英国での出会い
私は以前、中国の上海へ留学していたことがある。
まだ20歳くらいのころの話だ。
今まで生きてきた中で初めて接した外国での感性と文化、価値観、等々。
現地の人たちと一緒に生活してみると海外には今まで如何に自分が何も考えず生きてきて物事を見る物差しを持っていなかったかに気付かされる。
ちょっとでは駄目だ、一年以上住むと分かってくる。
中国では本当に色々とやった。
学校も仕事も旅行も・・・
もちろん大学でも、大勢の中国人の学生とふれあい、考えをぶつけ、そして多国籍の人たちがいる学生寮でともに学びそして生活をした。
異文化の中にも、一人のニンゲンとして大事なことがあることを知ったのもその時だった。
「人は、決して一人では生きてはいけないということ。」
そんなシンプルな真理も、学びの入り口へも20年かかっていた。
やっぱり、人生はところどころに衝撃的な出会いがあるからオモシロイ。
そしてそこでも、人生を左右するある人との出会いがあった。
日本人だが、中学の国語の教師をしていて生徒に対して見聞が足りないと一度すべての職を他の先生へ引き継ぎ単身中国へ留学へ来ていたのだ。
チベットなどはじめ、数々の町へ旅をし深い見識と優しい人間味があった方だ。
その方は、中国ではたった一度きりの2時間ほどの出会いだった。
それから2年ほど経って中国で働いていた日系企業での仕事を辞め、帰国後のある日自宅に一通の手紙が英国のロンドンから届いた。
その国語の教師の方からだった。
私も変なのかもしれないが、手紙を見て気がつくとすぐ英国ロンドンへきていた。
そこでも様々な衝撃の日々だった。
特にその方に教えていただいた最高の学びは「謙虚」ということだった。
今でも、その謙虚を紙に書いて机の前に貼っていたころのことを思い出す。
年を取るにつれて、悟るどころかその重みは次第に深さに変わっていく。
でもその方に出会わなければその言葉にも出逢う事はなかった。
そして、その方は私の結婚式の仲人になっていただいた。
人生は本当にとても不思議なことばかり。
これから、新しい何かの学びがあることを考えるとわくわくするものだ。
ふといつも素直な気持ちで『童心』に返ることができる。
この大人になってもココに在る”子ども心”、これからもずっと大切にして多くを見守っていけるといいなと切に思う。
まだ20歳くらいのころの話だ。
今まで生きてきた中で初めて接した外国での感性と文化、価値観、等々。
現地の人たちと一緒に生活してみると海外には今まで如何に自分が何も考えず生きてきて物事を見る物差しを持っていなかったかに気付かされる。
ちょっとでは駄目だ、一年以上住むと分かってくる。
中国では本当に色々とやった。
学校も仕事も旅行も・・・
もちろん大学でも、大勢の中国人の学生とふれあい、考えをぶつけ、そして多国籍の人たちがいる学生寮でともに学びそして生活をした。
異文化の中にも、一人のニンゲンとして大事なことがあることを知ったのもその時だった。
「人は、決して一人では生きてはいけないということ。」
そんなシンプルな真理も、学びの入り口へも20年かかっていた。
やっぱり、人生はところどころに衝撃的な出会いがあるからオモシロイ。
そしてそこでも、人生を左右するある人との出会いがあった。
日本人だが、中学の国語の教師をしていて生徒に対して見聞が足りないと一度すべての職を他の先生へ引き継ぎ単身中国へ留学へ来ていたのだ。
チベットなどはじめ、数々の町へ旅をし深い見識と優しい人間味があった方だ。
その方は、中国ではたった一度きりの2時間ほどの出会いだった。
それから2年ほど経って中国で働いていた日系企業での仕事を辞め、帰国後のある日自宅に一通の手紙が英国のロンドンから届いた。
その国語の教師の方からだった。
私も変なのかもしれないが、手紙を見て気がつくとすぐ英国ロンドンへきていた。
そこでも様々な衝撃の日々だった。
特にその方に教えていただいた最高の学びは「謙虚」ということだった。
今でも、その謙虚を紙に書いて机の前に貼っていたころのことを思い出す。
年を取るにつれて、悟るどころかその重みは次第に深さに変わっていく。
でもその方に出会わなければその言葉にも出逢う事はなかった。
そして、その方は私の結婚式の仲人になっていただいた。
人生は本当にとても不思議なことばかり。
これから、新しい何かの学びがあることを考えるとわくわくするものだ。
ふといつも素直な気持ちで『童心』に返ることができる。
この大人になってもココに在る”子ども心”、これからもずっと大切にして多くを見守っていけるといいなと切に思う。