一人ひとりの力
昨日は、Barendrechtにあるリーン氏の3つ目の学校と一法人で4施設運営する保育園を視察した。
まずリーン氏の学校だが、子どもがそれぞれに自分のやりたいことをやりながらも落ち着いて自らの見立て見通しを立てることができるように工夫していたのがつぶさに観えた。
特にワールドオリエンテーションでは、思考のプロセスや思考の広がりを大切にし、世界観、宗教観、歴史観、死生観など子どもをひとりの人間として受け止めて日本では保護者がアアダコウダ言いそうな問題にも平然と向き合って素直にオープンにディスカッションしている。
どんな子どもたちも自分たちの創る未来と社会なのだから、それを尊重して自分たちがそれをやるという自覚が育っていくという意味では本当に素晴らしい小学校だと感じた。
もちろん、校長の理念が明確で人間というものを深く認めているからこそできるのだが、こんな仕組みや教材、そしてやり方の小学校が日本にもたくさんあれば日本の大和魂を引き継ぐ子どもたちが世界をリードしてくれるのにと思えた。
今は、一人ひとりが押さえつけられ個々の個性を蔑にされて、大人が大人目線で好き勝手にやりたい放題自分たちの主観を正しいと強引に認めさせるため、日々大人同士で陰湿な喧嘩ばかり・・・いつの時代も反省もせず有権者が正義正義とやっているうちに子どもをホッタラカスのは一体どうゆうことだろうか?ノブリスオブリージェ(高貴な人が持つ使命と責任)を忘れてしまったらもうそこでそこに居てはいけないのだ。
離れてみればみるほど、悔しさと情けなさで人間の持つ欲が織り成す無常観に苛まれる。勝ち負けを争い、奪いあい、生きていく、それもまた逃れることはできない生きる者が持つ生きる業。しかし人間には、それを乗り越えてそれ以上のものを創り出す叡智も理性もまたある。
どちらを選ぶかはその人の人生だが、やはり私は後者を選びたい。
子どもたちにはそんな当然生物が生きていたら感じてしまう業ばかりに対処する方法を教えるよりも、より人間らしくニンゲンとして豊かにそれぞれが幸せを感じられるようなことを共に学んでいく関係と環境を用意してあげたい。
この小学校で見たもの聞いたもの感じたものは、自分の人生に於いて帰国後も明確な照準を定め必ずそのビジョンを達成すると強く念じる。
本当に有難い機会に恵まれたことを改めて感謝します。
また次の保育園の視察では、今、オランダでも待機児童が増えていて保育施設が足りずどんどんできているとのこと。現在は5施設目を作っている最中とのことで設計図も見せていただいた。
ここは昔の農家のイメージで保育施設を作り高い天井と大きな部屋、そして木のぬくもりなどを大切にして家庭的な雰囲気をつくろうとしていた。
100人の施設に保育士が約20名弱で朝7時〜夜7時まで預かっている。この国ではワークシェアリングが大変進んでいて、日本と違ってゆったりと保育ができる環境を国や制度が守ってくれる。そういう意味では、日本で起きるような問題は少ないように思える。
ただ、やはり長時間その部屋にこもって保育をしている様子を見ると、保育士の質や学ぶ時間、そして環境を用意する専門性などはどこも同じで向上しにくいようにも感じた。
その質と量の判断は園長の理念に直接左右されるのは世界どこでも同じ。園経営運営はとても難しい業務で、補助金があるにしろないにしろ園長が教育と経営に精通しているのといないのではまったく外見も中身も異なってくる。
ここの園では、その辺がとてもしっかりしていて見通しも見立てもうまく地域や保護者からも大変人気があるように感じた。
職業というのは面白いもので、どんなに文化、人種が異なっていても似ているものは似ているし、陥るワナも同じなのだと思う。
保育園視察は、日本でもライフワークみたいになってしまっているけれど今回も相違、同異、方位など、たくさんのことに気づくキッカケになった。
最後に、私が尊敬する吉田松陰が明治維新の原動力として大和へ放った言葉に『草莾崛起』(そうもうくっき)という言葉がある。
松陰先生は、一民間人としてまだ20歳前後でひたすら命がけで高い問題意識と危機感で山鹿流兵術等の戦略を学び、そして頼まれてもいないのに日本中でどこが外国攻められたら危ないかなどをつぶさに自らの足で見て回り、ただの長州藩の一下級武士の立場であっても自らの国のために自分が信じる道を誰がなんといおうが構わず遣り抜き、最期まで忠と誠を貫いた第一級の人物だった。
その行動力から鑑みれるのは、「政治が幕府がなにするものぞ、国を創るのは自分たち一人ひとりだ、国がなにをしてくれると期待するのではなく、自分が国に何ができるのかを問へ」というような生き様だった。
いつも私が本当に辛く苦しい時、心の支えになってくれる師匠の一人だ。
『草莾崛起』
この『草莾崛起』(そうもうくっき)とは民間人がみんなで何ができるかを考え立ち上がっていくこと。草の根が、天地自然の水や太陽、その志を得るとき、その根が大きく広がり世界を変えていくこと。
時代を超えてもやるべきことはいつの時代も同じということだ。
これからも私は自信をなくして依存して精神が病んでいるような悲しい現在の祖国の環境に対して、無限の可能性を持つ雑草のひとつになり、自らができることで自らにしかできないことをやっていけるような勇気を与えるモデルと行動をとっていくぞと新たに心に誓う。
まずリーン氏の学校だが、子どもがそれぞれに自分のやりたいことをやりながらも落ち着いて自らの見立て見通しを立てることができるように工夫していたのがつぶさに観えた。
特にワールドオリエンテーションでは、思考のプロセスや思考の広がりを大切にし、世界観、宗教観、歴史観、死生観など子どもをひとりの人間として受け止めて日本では保護者がアアダコウダ言いそうな問題にも平然と向き合って素直にオープンにディスカッションしている。
どんな子どもたちも自分たちの創る未来と社会なのだから、それを尊重して自分たちがそれをやるという自覚が育っていくという意味では本当に素晴らしい小学校だと感じた。
もちろん、校長の理念が明確で人間というものを深く認めているからこそできるのだが、こんな仕組みや教材、そしてやり方の小学校が日本にもたくさんあれば日本の大和魂を引き継ぐ子どもたちが世界をリードしてくれるのにと思えた。
今は、一人ひとりが押さえつけられ個々の個性を蔑にされて、大人が大人目線で好き勝手にやりたい放題自分たちの主観を正しいと強引に認めさせるため、日々大人同士で陰湿な喧嘩ばかり・・・いつの時代も反省もせず有権者が正義正義とやっているうちに子どもをホッタラカスのは一体どうゆうことだろうか?ノブリスオブリージェ(高貴な人が持つ使命と責任)を忘れてしまったらもうそこでそこに居てはいけないのだ。
離れてみればみるほど、悔しさと情けなさで人間の持つ欲が織り成す無常観に苛まれる。勝ち負けを争い、奪いあい、生きていく、それもまた逃れることはできない生きる者が持つ生きる業。しかし人間には、それを乗り越えてそれ以上のものを創り出す叡智も理性もまたある。
どちらを選ぶかはその人の人生だが、やはり私は後者を選びたい。
子どもたちにはそんな当然生物が生きていたら感じてしまう業ばかりに対処する方法を教えるよりも、より人間らしくニンゲンとして豊かにそれぞれが幸せを感じられるようなことを共に学んでいく関係と環境を用意してあげたい。
この小学校で見たもの聞いたもの感じたものは、自分の人生に於いて帰国後も明確な照準を定め必ずそのビジョンを達成すると強く念じる。
本当に有難い機会に恵まれたことを改めて感謝します。
また次の保育園の視察では、今、オランダでも待機児童が増えていて保育施設が足りずどんどんできているとのこと。現在は5施設目を作っている最中とのことで設計図も見せていただいた。
ここは昔の農家のイメージで保育施設を作り高い天井と大きな部屋、そして木のぬくもりなどを大切にして家庭的な雰囲気をつくろうとしていた。
100人の施設に保育士が約20名弱で朝7時〜夜7時まで預かっている。この国ではワークシェアリングが大変進んでいて、日本と違ってゆったりと保育ができる環境を国や制度が守ってくれる。そういう意味では、日本で起きるような問題は少ないように思える。
ただ、やはり長時間その部屋にこもって保育をしている様子を見ると、保育士の質や学ぶ時間、そして環境を用意する専門性などはどこも同じで向上しにくいようにも感じた。
その質と量の判断は園長の理念に直接左右されるのは世界どこでも同じ。園経営運営はとても難しい業務で、補助金があるにしろないにしろ園長が教育と経営に精通しているのといないのではまったく外見も中身も異なってくる。
ここの園では、その辺がとてもしっかりしていて見通しも見立てもうまく地域や保護者からも大変人気があるように感じた。
職業というのは面白いもので、どんなに文化、人種が異なっていても似ているものは似ているし、陥るワナも同じなのだと思う。
保育園視察は、日本でもライフワークみたいになってしまっているけれど今回も相違、同異、方位など、たくさんのことに気づくキッカケになった。
最後に、私が尊敬する吉田松陰が明治維新の原動力として大和へ放った言葉に『草莾崛起』(そうもうくっき)という言葉がある。
松陰先生は、一民間人としてまだ20歳前後でひたすら命がけで高い問題意識と危機感で山鹿流兵術等の戦略を学び、そして頼まれてもいないのに日本中でどこが外国攻められたら危ないかなどをつぶさに自らの足で見て回り、ただの長州藩の一下級武士の立場であっても自らの国のために自分が信じる道を誰がなんといおうが構わず遣り抜き、最期まで忠と誠を貫いた第一級の人物だった。
その行動力から鑑みれるのは、「政治が幕府がなにするものぞ、国を創るのは自分たち一人ひとりだ、国がなにをしてくれると期待するのではなく、自分が国に何ができるのかを問へ」というような生き様だった。
いつも私が本当に辛く苦しい時、心の支えになってくれる師匠の一人だ。
『草莾崛起』
この『草莾崛起』(そうもうくっき)とは民間人がみんなで何ができるかを考え立ち上がっていくこと。草の根が、天地自然の水や太陽、その志を得るとき、その根が大きく広がり世界を変えていくこと。
時代を超えてもやるべきことはいつの時代も同じということだ。
これからも私は自信をなくして依存して精神が病んでいるような悲しい現在の祖国の環境に対して、無限の可能性を持つ雑草のひとつになり、自らができることで自らにしかできないことをやっていけるような勇気を与えるモデルと行動をとっていくぞと新たに心に誓う。
師匠からの学び | comments (3) | -
コメント
それを感じたのは、日本の保育は保守的で閉鎖的、
昔の保育観を持つ人間が園長になっているので、
その園は昔ながらの保育になっているのだと思っています。
しかも、保育経験が沢山あるので、自分の保育に間違いがないと自信を持ち、時代の流れで保育観も変わっていることに気付かずにいるからなのではないかと思います。
世界の保育に視野を向けて色々な人に関わる中で、現場の先生に伝えるために本物の保育を見て、感じて伝えたいと思います。
コメント
自分から何ができるかということを考えていかないといけない様に思いました。
人から与えられるのを待っている依存した関係では人が育たないと言う事を訴えているので
しょうか、湧きあがらせることを覚えます。大人であるからこそ、子どもたちにとっても
方向性を示すことが出来る様に、自分がモデルになっていることを自覚して、日々の行動も
気をつけていきたいと思います。自分の行動一つで世界を変えることもできる。
そう思い、今日も励みたいと思います。
コメント
学ぶべきところはしっかりと学び子どもにとって何が本当に大事なのか考えたいと思います。