気づきの質量
本日は、私たちが毎朝素読をしている論語や二宮尊徳の解説の本の著者である三戸岡道夫先生にご来社いただき社内研修を行った。
もう一年半になるが、先生の著書にお会いでき「仁義礼智信」、特にその「仁の精神」の重要性に気づかせていただき、毎朝の至宝の気付きをいただけるのは先生との邂逅の御蔭だと本当に感謝しています。
本日は、本当に色々なことを三戸岡道夫先生から教えていただきました。
孔子や二宮尊徳がどんな人生を送ってきたのか?またその頃の時代背景、周りの人たちとの関係性からどんな人物像が観えてくるのかなど先生が著書を書き下ろす際に深く洞察した内容の濃いお話をいただきました。また、上杉鷹山や保科正之など仁を通して多くの人民を救った人物に共通するその日本人としての民族と伝統などのお話などもいただきました。
どんなに時代が変わっても、人が志を持って「人間としての本来の生き方」という本質的なものから考えていくということが、何よりもどんなことよりも大切なことなんだとその必然性を考える機会になりました。
それに政治というものがどういうもので、その清濁併せ持つ政治に如何に適材適所に人の力を総合的に借りてうまく活用していくことが大事なことなのかなど三戸岡道夫先生の体験からのその処世方法なども教わることができました。
齢80歳を越えても尚、謙虚にそして躍動のあるお話ぶりに本当に感動しました。そして、その経験から語られる一言一言が私たちの見通しの甘さなどを戒めることができました。
人生というのは、まだわかった気になっているわけではないけれど色々なことに気づくという観点では年齢は関係ないと思うときもあるけれど、加齢し多くの体験をしていくことでその味わいの深さやそのあるがままの境地のでの解釈もできるようになるんだなとつくづく感じた。
質と量というのは、本質を味わい深くするためにもずっと大切にしていく真理のひとつなんだなと改めて感じた。
人生の目的を明確に持っていると色々な人たちに出会える。
そして、謙虚に素直に生きていると素晴らしい人たちに出会える。
出会いというのは自分の心の置き所一つなんだなと感じます。
最後に、食事会場の席での三戸岡道夫先生の話に感動しました。
先生が昔、小学校の教員をしていた時、勉強ができない子がいてその子にも何か活かせるものがあるのではと掃除班長をさせてみると学校の歴史に残るほどの掃除をしてみんなを驚かせていたこと、ソロバンが苦手な子に、あなたはソロバンを「弾く」のが本当に上手だねと褒めると、一、二年で学校で群を抜いてソロバンも計算も成績も上がり、何でも自信を持ってできるようになったことなどのお話、そして一つができるようになった子が次第に他のことでもどんどんできるようになった話、どれも心に残りました。
人は、必ずどこかにその人が活かせる要素があり大人や教師がそういうものを「正しく素直に観る」ことができるかどうかが「人を育てる」の本質ではないかということ。
自分の刷り込まれた偏見や思いどおりにならないことばかりの感情でその大切な教育の機会や器をいっぱいにせずに、それぞれの人間が得意不得意などをよく謙虚に観察し、そのできない部分も能力としてないものを探すのではなく、できるものを探していき認めるということが如何に大事なことなのかをまた改めて自らに反省し気づけることができました。
本当に心から感謝しています。
私たちカグヤの根底理念や文化として「論語」にこんなに親しむことができたのも、三戸岡道夫先生の著書があったからです。私たちはこれからも先生の教えていただいたことを大事に守って、子どもたちにも何かそういう仁の心を伝えていけるような仕事にしていきたいと思います。
また次回、先生とお食事をしながらたくさんの人生の機智に富んだお話をお聴きできるのを心から楽しみにしています。
もう一年半になるが、先生の著書にお会いでき「仁義礼智信」、特にその「仁の精神」の重要性に気づかせていただき、毎朝の至宝の気付きをいただけるのは先生との邂逅の御蔭だと本当に感謝しています。
本日は、本当に色々なことを三戸岡道夫先生から教えていただきました。
孔子や二宮尊徳がどんな人生を送ってきたのか?またその頃の時代背景、周りの人たちとの関係性からどんな人物像が観えてくるのかなど先生が著書を書き下ろす際に深く洞察した内容の濃いお話をいただきました。また、上杉鷹山や保科正之など仁を通して多くの人民を救った人物に共通するその日本人としての民族と伝統などのお話などもいただきました。
どんなに時代が変わっても、人が志を持って「人間としての本来の生き方」という本質的なものから考えていくということが、何よりもどんなことよりも大切なことなんだとその必然性を考える機会になりました。
それに政治というものがどういうもので、その清濁併せ持つ政治に如何に適材適所に人の力を総合的に借りてうまく活用していくことが大事なことなのかなど三戸岡道夫先生の体験からのその処世方法なども教わることができました。
齢80歳を越えても尚、謙虚にそして躍動のあるお話ぶりに本当に感動しました。そして、その経験から語られる一言一言が私たちの見通しの甘さなどを戒めることができました。
人生というのは、まだわかった気になっているわけではないけれど色々なことに気づくという観点では年齢は関係ないと思うときもあるけれど、加齢し多くの体験をしていくことでその味わいの深さやそのあるがままの境地のでの解釈もできるようになるんだなとつくづく感じた。
質と量というのは、本質を味わい深くするためにもずっと大切にしていく真理のひとつなんだなと改めて感じた。
人生の目的を明確に持っていると色々な人たちに出会える。
そして、謙虚に素直に生きていると素晴らしい人たちに出会える。
出会いというのは自分の心の置き所一つなんだなと感じます。
最後に、食事会場の席での三戸岡道夫先生の話に感動しました。
先生が昔、小学校の教員をしていた時、勉強ができない子がいてその子にも何か活かせるものがあるのではと掃除班長をさせてみると学校の歴史に残るほどの掃除をしてみんなを驚かせていたこと、ソロバンが苦手な子に、あなたはソロバンを「弾く」のが本当に上手だねと褒めると、一、二年で学校で群を抜いてソロバンも計算も成績も上がり、何でも自信を持ってできるようになったことなどのお話、そして一つができるようになった子が次第に他のことでもどんどんできるようになった話、どれも心に残りました。
人は、必ずどこかにその人が活かせる要素があり大人や教師がそういうものを「正しく素直に観る」ことができるかどうかが「人を育てる」の本質ではないかということ。
自分の刷り込まれた偏見や思いどおりにならないことばかりの感情でその大切な教育の機会や器をいっぱいにせずに、それぞれの人間が得意不得意などをよく謙虚に観察し、そのできない部分も能力としてないものを探すのではなく、できるものを探していき認めるということが如何に大事なことなのかをまた改めて自らに反省し気づけることができました。
本当に心から感謝しています。
私たちカグヤの根底理念や文化として「論語」にこんなに親しむことができたのも、三戸岡道夫先生の著書があったからです。私たちはこれからも先生の教えていただいたことを大事に守って、子どもたちにも何かそういう仁の心を伝えていけるような仕事にしていきたいと思います。
また次回、先生とお食事をしながらたくさんの人生の機智に富んだお話をお聴きできるのを心から楽しみにしています。
師匠からの学び | comments (2) | -
コメント
ことに気づき、その気づきを深く感じ取ることが出来るのかはまさに
自分次第に依るところでも在る様に感じられます。
子どもたちの姿を見ても思った事を言っている様でその深さに気づかされる
ことも多いのですが、その素直さを維持し続ける事の難しさも感じます。
人はどうしても思っていてもつい目の前に在る事に持っていかれてしまい、
決めた事を続けることが出来なくなってしまいます。その維持し続けることが
出来る様になり、習慣化出来るようになるために、私たちがあり、その前にも
自分自身の実践が重要になる事を感じます。
コメント
又自分自身が素直に生きることを大切にしていれば人生が大きく変わるのだと思います。
素直であれば周りの方の思いやりや優しさに素直に気づくことが出来るのだと思います。しかし素直でなければその大事な思いに気づくことすら出来なくなってしまうのだと思います。
自分を作り上げるのではなく素直に生きるということ、正直なところまだまだ私は出来ていませんが、
明日から意識していきたいと思います。