ルール
色々な人たちの間で生きているのが我々ニンゲンの生きる社会だ。
ある人が自分勝手に自由を主張すると、誰かが必ず不自由な思いをする。
だからそうならないように「ルール」というものを創った。
全ての対人関係にはこのルールというものがついている。
もし無人島で1人で生活しているのならばこれは必要ないのは分かる。
たとえばそれに触れる機会は、小さい頃からそれは身近にたくさんあった。
おやつなどの例で考えてみる。
物事がある程度分かる子どもが3人いる。
いつものように楽しい平和な午後を過ごし、おやつの時間になった。
いつものおやつの時間に今日は美味しそうな饅頭を誰かが買ってきてくれていた。
いつもなら別に問題はなかったが今回は問題だった。
なぜなら、子どもは3人居るのに饅頭が2つしかなかったのだ。
なぜ3つ買わなかったのかはここでは触れないが、2つしかなかったのだ。
さて、どうするか?
美味しそうな饅頭を食べようとして2つしかないものを3人で考えた。
3人で取り合えばどうなるだろう?
2人が満足したいと思い我先にと食べてしまえば、残った1人は食べれなくなる。そして、その1人は前回悔しい思いをしたので必ず次こそは絶対に早く食べようと仕返しに2つ食べたりすることになる。もしくは、1人を仲間はずれにして別の1人を仲間にして2つを1つずつ食べたりすることもあるだろう。するとまた1人は食べれなくなる・・・
その後どうなったかは自分だったらで考えてみるといい。相手のことが好き嫌い、過去の貸しもあるだろう、、、その2つの饅頭をどうするかの理由なんてキリがないほどある。
そしてどのような答えがあればそれがちゃんとみんなで満足することになるのか。
身体の大きさで分けたのかもしれない。
好き嫌いで分けたのかもしれない。
じゃんけんだったかもしれない。
日ごろの役割分担で決めたのかもしれない。
それがそれぞれの間で話し合って初めて決めた、「ルール」だったのだろう。
こうやって子どもの頃からみんなで話し合って、分かち合うこと、分け合うことを学んだ。
そして、みんなが満足してお互いと生きることを選んだ。
これがニンゲンの生きていく方法なのだ。
友達だって、恋人だって、夫婦だって、親子だってルールは必ずある。
ルールは、決して自分を無理に我慢して押さえ込むためにあるのではない。
人は1人で生きているわけではないから、自分を満たすために、自分を自由にするために「ルール」というものを作ったというのは饅頭で分かったと思う。
この饅頭を通して世界を観てみる。
「俺は前回2つ食べたけど俺が偉いから今回も2つだ。」とか、「誰もみていなければ2つ先にこっそり食べてしまえ、そして隠しとこう」とか、「2人で一緒に1人を追い込めば、2人で分けられるからそうしよう」とか、「1人要らないんじゃないか、では追い出してしまえ」、、何だかとても悲しくなる。
こうやって世界は悲しい戦争や争いが絶えなくなっていく。
饅頭をどうしたら3人みんなが満足するか、それぞれで話し合って分かち合うことを学べばいいだけなのに・・・
今の世の中は、とにかくそれが足りない気がする。
権力で分けることに一体なんの意味があるのか?
一度しかないこの生で自分だけ自分のみ幸せであればそれでいいのか?
もっと、我々大人はその大事なことを子どもたちに伝えていかなければいけないと私は思う。
『本当は、「ルール」は分かち合うためのものなんだよ。』と実践していかないといけないと私は思う。
私たち会社は、お金を軸に動いている。
そして仕事というものを通して人と人の間を生き、そこで利益というお客様からの対価である信頼と信用をいただき感謝で分かち合っているところだ。
だから会社で働くというのはその場で働いているというルールがちゃんとあるのだ。
自分勝手にすれば、お客様に対する自由がなくなってしまう。
だから社会人は、最低でもちゃんと当たり前のルールは守らないといけない。
当たり前のルールが分からなければ本屋に行けば参考書はたくさんある、それに身の回りの優秀なビジネスマン(できる人)を見ても分かるはずだ。挨拶や報告連絡相談、気遣い、気配り、掃除、約束を守る、紙にする、、、「ルール」が誰と分かち合うことなのかを考えもう一度よく見直すことだ。
それが、大切な自分を自由にすることにもなり、大切な相手を自由にすることもになるのだから。社会人になったら、子どもたちに見せれる大人としてしっかりと相手と分かち合うことを示していくことだからだと思う。
これから何年かけても何十年かけてもカグヤはそれを徹底していきたい。
ある人が自分勝手に自由を主張すると、誰かが必ず不自由な思いをする。
だからそうならないように「ルール」というものを創った。
全ての対人関係にはこのルールというものがついている。
もし無人島で1人で生活しているのならばこれは必要ないのは分かる。
たとえばそれに触れる機会は、小さい頃からそれは身近にたくさんあった。
おやつなどの例で考えてみる。
物事がある程度分かる子どもが3人いる。
いつものように楽しい平和な午後を過ごし、おやつの時間になった。
いつものおやつの時間に今日は美味しそうな饅頭を誰かが買ってきてくれていた。
いつもなら別に問題はなかったが今回は問題だった。
なぜなら、子どもは3人居るのに饅頭が2つしかなかったのだ。
なぜ3つ買わなかったのかはここでは触れないが、2つしかなかったのだ。
さて、どうするか?
美味しそうな饅頭を食べようとして2つしかないものを3人で考えた。
3人で取り合えばどうなるだろう?
2人が満足したいと思い我先にと食べてしまえば、残った1人は食べれなくなる。そして、その1人は前回悔しい思いをしたので必ず次こそは絶対に早く食べようと仕返しに2つ食べたりすることになる。もしくは、1人を仲間はずれにして別の1人を仲間にして2つを1つずつ食べたりすることもあるだろう。するとまた1人は食べれなくなる・・・
その後どうなったかは自分だったらで考えてみるといい。相手のことが好き嫌い、過去の貸しもあるだろう、、、その2つの饅頭をどうするかの理由なんてキリがないほどある。
そしてどのような答えがあればそれがちゃんとみんなで満足することになるのか。
身体の大きさで分けたのかもしれない。
好き嫌いで分けたのかもしれない。
じゃんけんだったかもしれない。
日ごろの役割分担で決めたのかもしれない。
それがそれぞれの間で話し合って初めて決めた、「ルール」だったのだろう。
こうやって子どもの頃からみんなで話し合って、分かち合うこと、分け合うことを学んだ。
そして、みんなが満足してお互いと生きることを選んだ。
これがニンゲンの生きていく方法なのだ。
友達だって、恋人だって、夫婦だって、親子だってルールは必ずある。
ルールは、決して自分を無理に我慢して押さえ込むためにあるのではない。
人は1人で生きているわけではないから、自分を満たすために、自分を自由にするために「ルール」というものを作ったというのは饅頭で分かったと思う。
この饅頭を通して世界を観てみる。
「俺は前回2つ食べたけど俺が偉いから今回も2つだ。」とか、「誰もみていなければ2つ先にこっそり食べてしまえ、そして隠しとこう」とか、「2人で一緒に1人を追い込めば、2人で分けられるからそうしよう」とか、「1人要らないんじゃないか、では追い出してしまえ」、、何だかとても悲しくなる。
こうやって世界は悲しい戦争や争いが絶えなくなっていく。
饅頭をどうしたら3人みんなが満足するか、それぞれで話し合って分かち合うことを学べばいいだけなのに・・・
今の世の中は、とにかくそれが足りない気がする。
権力で分けることに一体なんの意味があるのか?
一度しかないこの生で自分だけ自分のみ幸せであればそれでいいのか?
もっと、我々大人はその大事なことを子どもたちに伝えていかなければいけないと私は思う。
『本当は、「ルール」は分かち合うためのものなんだよ。』と実践していかないといけないと私は思う。
私たち会社は、お金を軸に動いている。
そして仕事というものを通して人と人の間を生き、そこで利益というお客様からの対価である信頼と信用をいただき感謝で分かち合っているところだ。
だから会社で働くというのはその場で働いているというルールがちゃんとあるのだ。
自分勝手にすれば、お客様に対する自由がなくなってしまう。
だから社会人は、最低でもちゃんと当たり前のルールは守らないといけない。
当たり前のルールが分からなければ本屋に行けば参考書はたくさんある、それに身の回りの優秀なビジネスマン(できる人)を見ても分かるはずだ。挨拶や報告連絡相談、気遣い、気配り、掃除、約束を守る、紙にする、、、「ルール」が誰と分かち合うことなのかを考えもう一度よく見直すことだ。
それが、大切な自分を自由にすることにもなり、大切な相手を自由にすることもになるのだから。社会人になったら、子どもたちに見せれる大人としてしっかりと相手と分かち合うことを示していくことだからだと思う。
これから何年かけても何十年かけてもカグヤはそれを徹底していきたい。
コメント
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その「最低限」をしっかり守ろうとしてしまう。本当はもっとその先にある豊かさのため
に自分を遣うことを子どもたちには是非伝えていきたいと思います。
ルールばかりを教えてしまうのではなく、夢を語り合って、実現出来る様な社会を創り、
子どもたちにそうなってもらいたいものです。
コメント
ルールを守らないで自由にしているのは、ただのわがままだと思います。
カグヤは自由に仕事が出来る環境がありますが、自由と言ってもカグヤの「ルール」、「責任」といものを取り組むことが前提での自由があります。
例えば「赤信号を渡らない」、「タバコは吸わない」などありますが、カグヤの中だけでなく、私生活でもこのルールを守ってこそカグヤのクルーだと思っていますし、自分がこのカグヤクルーの一人だと意識して世の中のお手本になれるように取り組んでいきたいと思います。