「コミュニケーションの復活」
3月11日にマグニチュード9.0の太平洋沖地震が起きました。
私どもの東京本社のビルも震度5強の揺れがあり、社内の花瓶や書籍など、立っていたものはことごとく倒れてしまい、東京も地震が多い地域だと認識していましたが、これほどまでの揺れは初めてでした。
16年前に起こった阪神淡路大震災では、当時私は18歳で広島の実家にいましたが朝方5時ごろ、人生で初めて下から突き上げられる縦揺れを経験しました。
朝が明けると共に事態の深刻さを知ることとなりましたが被災地に血液が不足しているとのことで我が母校にも献血車が駆け付け、授業を中断し緊急で献血したことを覚えています。今回の地震も誰もが想像を超えた被害に言葉を失ったことだと思います。
東京のような高層ビル群の地震ではビルの耐震システム上、振り子の原理で上下左右にビル自身が揺れれることで地震の揺れを吸収しようとすることもあり、実際の震度以上の揺れを実感しますし、私も揺れている間も天井から幾度も埃が降ってきましたが、ビル内から避難するよう指示があったのか、多くの人達で歩道は埋め尽くされ、新宿の多くのお店も閉店し、店員さんも避難したため、歩道に溢れた人達は更に行き場を失い、大混乱でした。
そんな中、皆さん事態を知ろうと携帯を片手に情報を得ていました。また街頭テレビに殺到し食い入るようにテレビを見る群衆の姿はさながら教科書で見た戦後間もないころの日本のようでしたが、普段と一つ違った点は見ず知らずの人同士、現状知り得ている情報を互いに提供し合う様子です。
普段の新宿では多くの人とすれ違いますが、言葉を交わすことも無ければ、知り合う機会も無い街ですが、同じ不安や見通しの無さを共有し合い、互いに話し合う姿はとても新鮮で都市部の人達はコミュニケーションが希薄だと言われていましたが、そんなことはないのだと実感しました。
また都市部の人は日頃の人の多さには慣れているはずですが、この日は停電や電車が止まり、首都高が閉鎖されたことで一般道が大渋滞となり皆さん、家に帰れない焦りや泊る所のない、不安などもあってか、2組もの喧嘩に遭遇し仲裁しました。
喧嘩の原因を当事者によくよくお聞きすると肩が当たったとか、足を踏んだとか些細なことですが、ストレスを溜め込み、きっかけは些細なことですがとんでもないところまで発展してしまいます。
そんな2組も時間をかけてお互いの思いを話しながら冷静さを取り戻し、互いの置かれた状況を理解するととても仲が良くなり、友人のように互いをわかり合う仲になっていました。
現代はコミュニケーションツールが多様し、昔に比べて劇的に人と話すことに不便の無い時代になりましたが、その便利ツールの存在の陰で例えばmixiのように自分と価値観をわかり合える人としか出会わないようになったり、通勤時には耳には音楽プレーヤーのイヤホンをつけ、目は携帯の画面やポータブルゲーム機を見つめ、電車内ではインフルエンザ防止のマスクが顔の2/3を被い隠し、まさに人を寄せ付けないように感じます。
多種多様なコミュニケーションツールが人として本当のコミュニケーションの機会を無くしているようでなりません。
現代人は人との対話が無くなることで互いを知るすべを失い、相手への不安が憶測を作り、思いやりの心を遠ざけ、簡単に人を恨んだり、自分のことは棚に上げ、人へ不満を抱いたりするようになるのだと思います。今回の2組の喧嘩もこれが外交であれば間違いなく戦争へと行きついてしまうのではないか。些細な喧嘩を外交にまで考えることは馬鹿げているとは思いますが、コミュニケーションの取り方一つで互いがよくわかり合い、受け入れ合うこともできれば、互いに誤解し、疑い、憎しみ合うことにもなる。
よりよい社会の根幹にはよりよいコミュニケーション力が問われているように実感した災害になりました。
オルタナティブコンサルタント
田上貴士