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眞田の記事一覧

「子どもが見ている」

2009年9月29日

こんにちわ、眞田です。

私事ですが、あと2、3日くらいで第一子が産まれます。

初めてのことなので戸惑いもありますが
子どもを持つという喜びは
何事にも変えられないものだと感じ始めています。

そして、まだ産まれてきていないにも関わらず
すでに子どもに大きく感謝していることがあります。

それは、「子どもが見ている」と思えること。

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日々の生活や仕事を通して
自分自身の壁や課題を乗り越えていくときがありますが
今までと大きく違うのは
自分自身の課題を乗り越える理由とモチベーション。

「自分のため」から「人のため」に変わったことを実感しています。

今までは「自分のため」という気持ちが強かったので
まだまだ人に生かされているという思いや
感謝の気持ちを持てなかったり
方向を見失うことが多かったのですが。

「人のため」と思える環境にいられると
自分の命も先祖から受け継がれてきているのだということや
子どもたちに人生の豊かさを受け継いでいく
使命があることを気付かせてくれるのだと思いました。

だからこそ
自分自身が成長し豊かに生きる姿を
子どもたちに見せて行きたい。

私心を無くして成長を出来る環境を
子どもに与えてもらえていること。

本当に有難いなぁ、、、

と心から感じています。

                オルタナティブコンサルタント
                            眞田 海


「命の秋」

2009年10月13日

10月に入り少し夜風の匂いも変わり、
朝の引き締まった大気を吸い込むと、
あぁ、秋が来たのだ と感じさせられます。

私の心の中では、
新たな季節の到来を喜ぶ心と同時に、
夏が過ぎ去ってしまったことを思い、
「今年も夏が行ってしまった・・・」と
少しの哀愁を感じる季節でもあります。

なんだか、そんな哀愁を含めて、
「秋」なのだと毎年の繰り返しの中で感じています。

しかし、今年の「秋」の到来は少し趣が違いました。

今年の「秋」の到来は新たな「生命」の到来と共に来ました。

何かといいますと、、、

実は私事ではありますが、
10月2日に第一子が誕生し私も一児の父親となりました。

出産までの大変さ、苦しみなど、
男の私ではまったく計り知れない部分であり、
妻に何をしてあげられるのだろうと
産まれるまでに色々と考えたりしました。

そして、色々な豊かさとも出会いました。

例えば、私が勝手に、
「妻が子育てに嫌気をさしてヒステリー
   を起こさないようにするにはどうしたらいいのだろう」

と勝手に自分の出来ることを考えていた時の事。

ちょうど母親と食事をする機会があったので、母親に、
「子育てって大変でしょ?!辛い!!
   と思ったときにどんなことをしてほしかった!?」

と聞いたときの母親が発した言葉たちが
私にとってはとても衝撃的でした。

「子育てなんて辛いことは一つも無かったわよ、
  むしろこんなに可愛い我が子の面倒を独り占めして
     見られるなんて幸せでしょうが無かったわよねー。」

と母親は言うのです。

でも大変なことばかりじゃないかと聞くと、

「大変なことは辛いことじゃないでしょ、
  大好きな子に大好きなことをたくさん出来るんだから幸せじゃない」

と言われた時に、
なんて本質的な言葉なんだ!
と思うと共に私の中で疑問に思ったことがありました。

出産する前からそう思っていたのだろうか?!という疑問です。

そこを聞くとどうやら母親も、
出産前は不安で仕方なかったみたいです。
しかし、出産した瞬間からそんな思いは消えてしまったそうです。

何で消えてしまうんだろうねと話をしていたときに、ふと母親が、

「それが母性なのかもしれないね」
    と話したとき、私もなんだかとても腑に落ちた感覚がありました。

人類が誕生してから今まで、
一度も途絶えず、生命の引継ぎがされて来た理由の一つとして、
母性というものがあるのではないかと感じたのです。

そして、私が出来ることといったら、まずは妻を信じ、
母性を信じ、不安な時は寄り添い、
子育ての豊かさを共に分かち合っていくことなのだろうかと
そう感じるようになりました。

そして、、、、大きな課題ですが、
「父性」というものと向き合わなくてはならないと感じたのです。

「父性」とはなんだろうかと考えたとき、
私の中ではやはり自分自身の父親を思い出しました。
すでに他界していますが、思い返せば、
沢山の愛情と沢山の経験、環境を私に与えてくれて、破天荒ではありますが、
沢山のことを受け継がせてくれたのだと心から感謝しています。

等身大のことしか出来ませんが、
父親からしてもらったご恩をしっかりと、
子どもに受け渡してあげられるように「口だけ」ではなく、
自分自身が「実践」をしてその姿を見せてあげられるように、
自分自身を高めていこうと思いました。

また、改めて感じられるこの機会を与えてくれた子どもの存在に、
本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

まだまだ、出産を終えたばかりではありますが、
子どもが生まれるということには、
どれほどの気付きの場があるのだろうと驚きの連続です。

また、次回のブログにて、
気付きを綴って行きたいと思います。

                         オルタナティブコンサルタント
                         眞田 海


「空の見方」

2009年10月27日

寒露も過ぎ、秋も深まりましたが、
今年の秋はカシオペア流星群に注目していました。

カシオペア流星群は、
どうやら今月の23日を過ぎると、
また見えるようになるのは70年後ということになるそうですね。

天文学では良く、
70年後、120年後、などという表現がされますが、
よくよく私の人生を考えてみると、
70年後に生きている可能性のほうが
非常に低いのだと気付いた時、
人間の人生というものは
何て短いのだろうと感じる瞬間でした。

短いからこそ、
一瞬一瞬をもっと大切に生きたいと思います。

さて、一番見やすい時間帯はと調べると
12時過ぎということなので流星を見ようと
玄関の外に出たのですが、
やはり都会は光が身近に多く、
なるべく街灯の光を遮れるようにと、
パーカーのフードを被って空を見上げていました。

空の星を眺めるのと違って、
流星を見ようとすると毎回毎回ですが
ある一定の時間、苦労することがあります。

それは何かというと、「空の見方」です。

星を見るのであれば
その星を凝視していればよいですが、
流星は何処から出てくるのか、
またどこに行くのかは決まってはいないので、
一点を凝視していると気付きづらいんですよね。。。

なので、夜空全体を見つめるように見方を変えるようにしています。

そうは言うものの、
普段の生活では無意識に動くものや何かを目標として
眼で追っているので、一点を見つめないというのはとても難しく、
初日は5分近く、慣れないままでした。

一点ではなく、全体を意識して集中していくと、
なんだか視野の中で魚眼レンズで覗いたかのように、
急に空の解像度が上がったプラネタリウムが構成されてくるのです。

私の感覚なのですが、
そうすることで今までは見えなかった星たちの光も見ることができるようになり、
その全体の空の中で星たちが輝くリズムの違いを見ていると、
空が呼吸をしているように見えたり、
まるで生き物のように感じるようになります。

視点、視野を変えると、
実は普段中々見えづらいものが見えやすくなったり、
新たな発見があったりするのではないかと、
カシオペア流星群を見ながら、感じた最近でした。

目に見えるものや、
一方から見たことに対する意見だけで物事を判断しないこと。

また、人からの意見やどこかで聞いた知識だけで物事を判断しないこと。

これは、カグヤがカグヤの理念ブックの中で
大切にしている大事な理念の一つです。

人生や仕事の楽しみ方にも通じる
この大切なこだわりを日々意識して実践していきたいと思います。

                        オルタナティブコンサルタント
                        眞田 海


「誕生」すること

2009年11月10日

10月も終わり、11月に入り、今年も残すところ2か月となりました。

日本プロ野球も、メジャーリーグも、サッカーも、
F1も様々なスポーツがこの時期になると
一年の集大成として盛り上がりますが、なぜ、
彼らの姿を見て興奮をするのか、

ここまで心が釘付けになってしまうのかと考えたとき、
やはり思うのが、「本気の姿勢」の一言なのだと思います。

一年を通して本気を貫いてきたその集大成なのだと思います。

そう考えると、そこには技術の問題ではなく姿勢の問題であり、
他人事ではないのだと改めて緊張感を覚えます。
今年を大切な年にするためにも、来年をより良い年にするためにも、
残りの2ヶ月間、気を抜かずに思いを持ち続けていこうと思います。

さて、思い返すと今年の10月は私にとってはとても特別な月でした。

元々、10月というのは私の誕生日ということもあり、特別な月でした。
10月20日が誕生日なのですが、毎年朝にテレビを付けると
皇后である美智子様の誕生日が祝われており、何だか毎年それを確認しては
自分が誕生日であることを実感することも多かったです。
しかし、今年は10月の2日に第一子が生まれたこともあり、
父親になったからなのか、、自分の誕生日ということよりも、

「私を母親が産んでくれた日」

という思いを強く感じました。

なので、今年の誕生日は実家に戻り、
祖母や兄弟、母親と家族で集まり食事をすることにしました。

そして、セミナー中であるにも関わらず、
一瞬の時間を縫ってカグヤクルーと社長にお祝いの言葉と歌とプレゼントを頂き、
本当にうれしい瞬間でした。

仕事を終えて実家に着くと、
私は母親に感謝の気持ちを伝える日として、プレゼントを持って伺ったのですが、
結局、家族のみんながそれぞれにプレゼントを用意してくれていたので、
プレゼント交換のようになってしまったのがとても恥ずかしくもあり、
嬉しくもあり、幸せな時間でした。

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誕生日というものを
「プレゼントをもらえる日」や「祝ってもらえる日」という価値観だけではなく、
私は「産んでくれたこと」に、母親や兄弟や祖母は
「産まれてきてくれたこと」に感謝をするという日として過ごすことができたのが、
何よりも嬉しく思い、この価値観を大切にしていこうと心に誓いました。

きっと、こうやってお互いがお互いを感謝できる時間を作っていけば、
自分の人生を大切にすることの意味や、人を思いやるということの大切さを
教えたり、求めずとも自然に身についていくのではないかと思うと、
子どもたちにこの環境を残していくためにも、
この豊かな時間をずっと大事に続けていこうと思います。

                       オルタナティブコンサルタント
                       眞田 海


「現在を最も良く生きる」

2009年11月24日

こんにちわ、眞田です。

早いもので今年も残り1か月と少しになりました。

気温も下がり、空気も乾燥してきましたが、
やはりインフルエンザの発生が活発になってきています。

手洗い、うがい、マスクをすること、そして、
抵抗力を上げていくためにも、しっかりと意識した食事をとりたいですね。
私は、玄米を炊いたあとに願掛けのように、
「よろしくお願いします」と玄米に手を合わせています。

さて、先日ですが今年最後のGTセミナーがありました。

セミナーの中で、心に強く残った言葉がありました。

「子どもの発達は大人がやってあげられるものではないのだ」
という言葉です。

歩くという行為は大人がやってあげられるわけではないのだということ。
大人がやってあげればやってあげるほどに、
子ども達が自分たちで問題を解決する能力が奪われていくことやその
発達を妨げてしまうことがあるのだということを改めて感じました。

大切なのは、それをしたい!という
心情・意欲を育てることができる環境を用意し
それが態度として現れることができるような物的・空間的・人的環境を
用意することなのだと感じました。

セミナーを通じて、
子どもに対してはそういった環境を大人が用意するということが
大切なのだということを理解したとき、
同時に、大人自身はどうなのだろうという思いが湧きました。
子どもは、大人が用意してくれるけれども、
大人は誰が用意してくれるのだろうと考えたとき、
私は、それは自分自身で用意していくのであり、それが、
大人になるということ、「自立・自律」なのだと思いました。

そう思うと、自分自身を反省すべき点がよく見えてきました。

自分自身が、自分自身に対して
「現在を最も良く生きる」為の
心情、意欲を育てることができる環境を用意しているのか?

それが態度として現れることが出来るような環境を用意しているのか?

子どもに対しての目線と同じ目線で自分自身を見つめたとき、
なんだか、もっと自分を大切にしてあげたいなと思いました。

子どもに対して、
「現在を最も良く生きる」ための環境を用意しようという思いがあるのであれば、
それは、まずは自分が出来ていなければ、
「現在を最も良く生きる」ということの本当の豊かさや
大切さを実感することも出来ないですし、
その豊かさを自分の子どもに伝えることも出来ないのではないかと思います。

親として、子どものためにも自分自身を大切にしていこうと思います。

                             オルタナティブコンサルタント
                             眞田 海


「ごはん鍋」

2009年12月 7日

こんにちわ、眞田です。

もう寒さも本格的になり
新宿の早朝も朝靄が美しくなってきました。

朝焼けの赤さが
靄に包まれて幻想的に街を彩る姿を見るたびに
なんだか早起きが私にご褒美をくれたかのように思えて
嬉しく思います。

都会の朝も
捨てたものではないのだと思う瞬間です。

さて、話は変わりますが最近
我が家で再ブーム且つ、苦戦しているものがあります。

それは、「ごはん鍋」です。

写真にある鍋ですが
外蓋と内蓋の二重構造になっています。
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炊飯時間も短く
また土鍋なので遠赤外線でふっくらと炊けること
それから金属を使用していないので金属イオンが
お米に流出しないことなどたくさんのメリットはありますが
私が一番素敵だと思っているメリットはこれです。

「お米が炊き上がるまで、お米と会話ができること」

我が家のお米は
家内の実家のご両親が作ってくれている白米と
会社で購入している玄米
(これについては話すと途轍もなく長くなるのでまた今度に)
の2種類があります。

大変な思いをして作られた両親や
会社からの有難いお米を大切に美味しく頂くように
自分自身も努めたいと考えたとき
圧力鍋や、ごはん鍋にたどり着きました。

この鍋のお陰で、ご飯を炊く時も、手を抜かず、
お米のコンディション、水の量、漬ける時間、火加減、蒸らし時間など
お米との対話をたくさんすることが出来
ご飯を有難くいただくことが出来るようになりました。

しかし、冒頭にもお伝えしましたが
そのごはん鍋が最近、再ブーム且つ、苦戦しています。。。。

それはどういうことかというと
最近に玄米の種類を変えてからというもの
水の量、漬ける時間、火加減が今までの経験が
全く役に立たないほどの状況になってしまったことです。
玄米の香りも玄米自体も力強いお米なのですが
何をしても中々納得のいくようには炊けない。。。

普段食べる時には
白米と玄米を半々にしているのですが
そちらの炊き方はほぼマスター出来たのに
玄米のみの炊き方となると、、、、、

もはやごはん鍋を買った当初のようなブーム再来です。

お米が変わったり
季節が変わる度にこうやって楽しめること
お米と語り合うことを通して
作って頂いた方への感謝の気持ちを持つことができること

本当に有難いと思う反面
子どもの頃、キャンプや海などで父親にご飯を炊くことを命じられて
失敗したときのあのカミナリを思い出します。

食べ物を粗末にするなと
失敗した度に酷く叱られたことを思い出します。

きっと天国で今も私の不始末を見ては
カミナリ顔なのだろうと思うと
炊くのを失敗したときにいつも言っていた

「楽しむのはいいが、本気でやれ、遊ぶな」

という言葉が、胸に刺さります。

                       オルタナティブコンサルタント
                       眞田 海


「暮れを迎えて」

2009年12月18日

ついに今年も暮れを迎えました。

何だかこの時期になると心が「躍る」とも「揺れる」とも「わくわく」とも違った、
なんだか緊張と楽しさと期待と反省とが混じり合った「鬱蒼と上気した」気持ちになります。

クリスマス、大みそか、お正月と行事が続きますが、
同志、お世話になった諸先輩方、家族、友人への一年の感謝の気持ちや
また来年もよろしくお願いしますという気持ちを伝えることができる
大切な季節を大事に過ごそうと思います。


この時期になると一年を振り返るものですが、

「今年は激動の年だったなぁ」

と、毎年のように言っているように思います。


そして、例年に漏れず今年も

「激動の年だったなぁ」

と、心の中で呟いてしまいました。

ただ、、同時に反省するのが、会社の成長、変化や
身の回りの環境の変化に対して、自分自身の変化のスピードが
まだまだ足りていないと感じます。

自分自身の成長を疎かにして、会社の成長や周りのご恩に寄り掛かかってしまっては
同志にも、そして家族や友人にも申し訳が立ちません。

こんなにも、成長させて頂ける環境を会社にも家族にも友人にも
用意してもらっているのだからこそ、
来年は今年以上の自分自身の成長を以て恩返しをしていきたいと思います。

今年お会いさせて頂いた園の皆様、野見山社長、カグヤクルーの皆。
今年は大変お世話になりました。
来年もまた、よろしくお願い申し上げます。

                           オルタナティブコンサルタント
                           眞田 海


「新年のご挨拶」

2010年1月 8日

新年明けましておめでとうございます。
コンサルティング事業部の眞田です。

冷たく澄んだ空気が、新たな年を迎えるにあたり身を引き締め、
心を澄ませてくれるように思います。

今年は、初めての我が子と一緒の正月だったので
私自身、初めてだらけの正月でした。

親族で集まって正月の挨拶をし、食事をしながら祝ったのですが、
娘を見て家族が増えたと喜んでくれる親族や

「100歳まで生きる生きがいを見つけられた」と
喜んでくれる祖母を見ると、子どもが生まれる喜びは、
当の親だけではなくこんなにも人々の人生の喜びとなることを初めて感じました。

この子を授かることが出来たのも、自分たちを生んでくれた両親が居るお陰であり、
その両親も祖父母が生んでくれていることを考えると、私の命も子どもの命も、
一瞬たりともこの血を途絶えさせることをしなかったご先祖様のお陰なのだと改めて感じます。

先祖からつながるこの命の誕生をしっかりと親族やご先祖様に感謝し
報告することが当の親としての大切な義務であり、思いやりであることを
学ばせていただく機会でした。

こんなに大切なことを気づかせてくれた親孝行な娘にも、改めて感謝です。。。

また、新年ということもあり、今年の抱負をカグヤクルーで話し合ったのですが

今年の私のテーマは漢字一文字で表すと「成」としました。
イメージとしては、、、将棋をご存知の方だとイメージしやすいのですが、
将棋の中で「成る」ということがあります。

それはなにかと言うと、
自分の将棋の駒を敵陣のある部分まで攻め進ませることに成功すると、
自分の駒を裏返すことが出来るのですが、駒を裏返すと表に書かれていた文字とは違った
文字が書かれており、まったく新しい力を持った駒に「成る」ことが出来ます。

一歩一歩、苦労を重ね前進し続けることによって、新たな自分自身に「成る」ことが出来る。

小さな火でも、水に当て続ければいつかは沸騰し、水蒸気に変わるように、
私自身も、努力と実践を続けて新たな自分自身に「成る」ぞという思いを込めて
今年のテーマを「成」としていきたいと思います。

皆様、本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

                                 オルタナティブコンサルタント
                                 眞田 海


「心」を使う

2010年1月22日

こんにちわ、営業部の眞田です。

今年は暖冬という予想から始まりましたがどうやら予想を大きく
裏切り気象庁も1998年ぶりの大雪の年になる可能性もあると修正をしてきたと聞きました。

各地で大雪となっているニュースが流れていますが、
私の友人が住む帯広では-27度を超える寒さとなっているようです。

さて全国的にそんな寒さの中で我が家の娘も
生まれてから三ヶ月が過ぎ、首を動かしたり、動くものを目で追うようになったり、
泣くときにも「快」「不快」を表情で表わしながら泣くようになってきました。

子どもが自分の感情を顔いっぱいに表現するあの素直さと誠実さと一生懸命さに
私たち新米夫婦はたくさんのことを気づかせてもらっています。

例えば妻の場合。
寝不足や腱症炎やばね指など慣れない子育ての中で
満身創痍の日々を送っているとついつい忙しさに心を失くし
授乳や寝かせつけることが作業のようになってしまうことがあるようです。
しかしそんな時娘は必ず妻をじっと見つめたりして飲むのをやめて訴えるそうです。

「ちゃんとこっちを見て!私のこと考えて!」
と妻には聞こえるそうなのですがその度に「あぁ、ごめんね、ごめんね。」と
心ここにあらず授乳している自分に気づいては改めるのだそうです。

私も同じように日々の仕事に没頭する毎日ですが
お風呂に入れる時や寝かしつける時にそんな考え事を
していたりするとすぐにバレてしまいます。

言葉がしゃべれず、まだ何も分からないから・・・
と勝手に子どものことを判断し大切なコミュニケーションを
疎かにしている心無い自分たちに気づかされます。

娘自身が私たちに訴えかけているのかどうか
本当の意味では分からないのかもしれませんが私たちが気付いたことは
  「子どもを決めつけないこと。」 「ちゃんと心を使うこと。」

今が大変だから、
と自分たちのキャパシティや都合に合わせてしまえば
それは大人都合になってしまうのではないかと反省しました。

今が大変だから、こそ、
しっかりと心を使うことが大切なのではないか。
ちゃんと心を使っているからこそ、娘にも伝わり
手伝ってくれる親や兄弟、親戚もいろいろなことを
快く引き受けてくれるのではないか。

この1年間でこんなにも自分たち以外の
家族や親せきと絆を感じることが出来てそして豊かな関わりを持つことが
出来たのは娘のお陰でありながらも、少なからず、
夫婦が心を使って来たからではないか。

そう考えると、「心」を使うことの大切さを改めて実感しました。

カグヤの理念ブックには

「分かった気にならないこと」
「本当は何なのかから考えること」
「子どもの気持ちになって考えること」

これら一つ一つのことについてもしっかりと書かれています。
まだまだ私自身「分かった気になっていたのだ」と改めて感じています。

自分のためにしか「心」を使えていない自分が此処にいますが一事は万事。
せっかくのこの人生、もっともっと自分以外の為に「心」を使っていきたいと思います。

                              オルタナティブコンサルタント
                              眞田 海


「諸行無常」

2010年2月 3日

こんにちは、営業部の眞田です。

もうすぐ、あと10日ほどでバンクーバーオリンピックが開催です。
4年に一度、また人生においては何回出場できるか分からない頂上決戦の幕開けです。
まさに人生を賭けた人々の真剣さは、私たちの心を魅了するように感じます。
今回のオリンピックは史上初の室内開会式ということも話題に上がっているようですが、
スキー、スケート、カーリングなど沢山の日本代表の活躍を思うと、今から興奮が収まりません。

さてそんな中、
カグヤではクルーが毎朝集まり「朝サミット」というものを行っています。

月曜日はカグヤの理念を皆で深める日
火曜日は論語など偉人が残した言葉を深める日
水曜日はクルーが考えたアクティビティ(実体験から学ぶ)
木曜日は火曜と同じ。
金曜日はチームとしての振り返り。

これを大切に行ってきましたが、
先々週からこの内容について改めて考え直す機会を作ることとなりました。

とても大切で、
確かに毎日学びを感じられる瞬間ではあるのですが、
時代も移り変わるように、私たちも常に成長し、
変化し続ける中で、同じことをずっと同じようにやり続けることは、
成長を妨げるような弊害となるということに気づきました。

今のクルーにとって、
一番必要な実践は何なのだろうかということを改めて考え、
そして朝サミットで行うことを定義しなおしたのですが、
その時に驚いたことは、

新たに決めた内容は、
以前の内容と同じものが一つもなかったということです。

以前の内容も、
決めた当時は全員が納得し最善の手段であると感じて決めたことでした。
しかし、一年経たない間ですら、
こうやって改めて今の自分たちの最善の実践は何かと考えなおすと、
まったく同じ実践は一つとして出てこなかったのです。

社会は常に変化し、
組織も常に変化している。石ですら、空気ですら、変化しないものは無い。
自分たちの変化は自分たちでは気づきにくいものなのかも知れませんが、
だからこそ自分たちを見つめなおし、
日々の実践を最善にしていく場が必要なのだと改めて感じる瞬間でした。

そして、何よりもこうやってチームとして課題を見つけあい、
乗り越え合えることの喜びと、それが実現できる環境を用意していただけていることに深く感謝し、
これからも毎日の実践を深めていきたいと思います。

                      オルタナティブコンサルタント
                      眞田 海


「学びの場」

2010年2月16日

こんにちわ、営業部の眞田です。

寒さの日々にも随分と体も慣れ
寒さを楽しむことが出来るようになってきた日々ですが
もうそろそろ、ふきのとうやつくしなどが萌え芽ぐみ
春の息吹を感じられることを思うと
冬を楽しみながらも春が待ち遠しく感じます。

先日、全社員で致知出版主催新春セミナーに参加してまいりました。

致知出版とは「人間学を追求する」出版社であり
各界各分野で道を切り開かれた素晴らしい実践家の
方々の体験談を紹介している月刊誌「致知」を発行しており
この「致知」の愛読者には

稲盛和夫(京セラ名誉会長)、牛尾治朗(ウシオ電機会長)、
北尾吉孝(SBIホールディングスCEO)、鍵山秀三郎(イエローハット相談役)など
そのほかにも沢山の著名な経営者の方々が愛読されています。

カグヤでもこの月刊誌を毎月購読し
高い志を持って道を作られてきた方々の
その実践の記事を社員全員で回しながら読み
それぞれの気づき、反省を共有しながら沢山の学びを頂いております。


今回は新春特別講演会『人間力を高める』
というテーマで行われたのですが
講演をされた方々が何とも素晴らしい先生方でした。


第1講座には、千日回峰行を万行された塩沼亮潤さん(慈眼寺住職・大阿闍梨)
第2講座には、ヒト・レニンの遺伝子解読に成功された村上和雄さん(筑波大学名誉教授)
第3講座には、今回のセミナーを主催された、藤尾秀昭さん(致知出版社社長)


宗教とその「行」の実践という道から「人間学」を説かれた塩沼さん
科学、遺伝子の解読という実践の道から「人間学」を説かれた村上さん
社会、その中での出会いの哲学の道から「人間学」を説かれた藤尾さん


皆さまのお話をお伺いして私が感じたことは
「どんな道を行こうと人間としての本質は変わらないのではないか」
ということでした。

本質とはなんだろうと改めて疑問に思い辞書で引いてみると
「あるものがそのものであるために最低限持たなければならない性質」
と出てきますが

「人間が人間であるために最低限持たなければならない性質」

ということを
塩沼さんは先人の教えと仏教の修行を行ずる実践の中から

「ありがとう」
「すみません」
「はい」

であるということを説かれました。

村上さんは人の遺伝子を解読していく過程を通して
「遺伝子レベル、細胞レベルの成り立ちの奇跡」
それが人間の場合「60兆個集まっても調和している」ことの奇跡
人間の命・存在そのものが「有り難い」存在であること
まさに、「生かされている」存在であること
そういったことに気づくか気づかないかで
DNAの作用が全く変わってくるということ
科学の観点から伝えて頂きました。

また、藤尾社長からは

人が人になるための学びを「成人の学」として

①「徳性」(人間学)    
②「知識・技能」(時務学) 

であるとおっしゃりました。

徳性が備わらずに
知識や技能だけを学んでも世の中は治まらないという言葉には
強く感銘を受けました。

いくら、ものすごい知識や能力を持っていても
人間性が備わっていなければそれは
世のためにも人のためにもならない。
だからこそ、教育は知識や能力を教える前に
人間学を教えていかなければならないのだと
改めて感じました。

子どもたちに人間学を学んでもらうには
やはり自分たちが人間学を学ばなければならない訳ですが
藤尾社長はそれについて

子どもたちの素直な心を素直なままに育ってもらうには
「尊敬」という太陽が必要である。
子どもたちのために、尊敬できる人間になろう
とおっしゃっていました。


平成5年の調査になりますが、
ヨーロッパ各国、日本、アメリカ、韓国の20カ国で
子どもたちが「親」と「教師」を尊敬しているかと
いう調査が行われましたがその結果を見ても
教師を尊敬すると答えた子どもは

アメリカ  82.2%
中国    80.3%
ヨーロッパ 82.7%
韓国    84.9%
日本    21.0%


親を尊敬すると答えた子どもは

アメリカ  83.9%
中国    83.7%
ヨーロッパ 82.9%
韓国    85.1%
日本    25.2%


と出ています。
如何に大人が尊敬される存在に
なっていないかが表れていることだと思います。

一般的に、50%を下回ると、国家存亡の危機と言われるとその調査で書かれておりました。


私たちは今
子どもたちの将来のために今一度自分たちを振り返り
反省し、子どもたちのために「人間力を高め」尊敬される
大人になる必要があるのではなく、責任があるのではないかと感じ
自分自身の行動を改める決意をしました。

今回のこの学びの場は
私にとって、深く反省させていただく場であったとともに
今のこの時代だからこそ、人間学を学ぶ必要性を強く感じ
実践している私たちカグヤが進んでいる方向性は
間違っていないということを改めて感じ
安心して実践に努めることができると思いました。

人生そのものが
学びの場であり終わることはないのだと思いますし
人間学を学ぶということは自分自身の壁と常に向き合い
乗り越えていくこととも同じだと思います。

私自身、辛い時、大変な時、心折れそうになる時が多々あります。

しかし、そういった時にこそ
今回の学びを胆力として、乗り越えていきたいと思います。

最後に、塩沼亮潤さんの言葉で
今回のブログを締めさせていただきたいと思います。


「若さゆえに苦しみを乗り越える力がある
年負うごとに、苦しみを活かす知恵がある」


有り難い学びの機会に感謝致します。
ありがとうございました。

                     オルタナティブコンサルタント
                     眞田 海


「沖縄で大きな和~前篇~」

2010年2月26日

こんにちわ、営業部の眞田です。

そろそろバンクーバーオリンピックも終盤を迎えましたが
今回の冬季オリンピックも数々の感動のドラマを見ることが
出来たことに対して競技者の方々に感謝の気持ちで一杯です。

モーグル、スノーボード、アイススケートなど
特に盛り上がったり、波乱があったりとありましたが
各国の選手の振る舞いや表現を見ると国を尊敬している人、そうでない人
同じ種の競技者を尊敬している人、そうでない人
違う種でも競技者全体を尊敬してる人、そうでない人

というのが、選手のインタビューや立ち振る舞いから見えるように感じ
各国の教育の在り方も見えてくるように思う大会でした。

さて、そんな中カグヤではバンクーバーの寒さは何のその!
ということになりますが2泊3日で沖縄研修に行ってまいりました。

今回のテーマは「大きな和」

けじめと調和の中でお互いがお互いを敬い合い愛する
ことの大切さを知るということとなりますが人は皆
一人ひとり本当に、本当に驚くほどに見事なまでに違うのだということ。

感じ方や考え方、表現の仕方、得意なこと
苦手なこと、習慣、体格、良心、何もかもが皆
それぞれ違っていることが当たり前だということを理解すること。

それが個性であり、個性があるからこそ
お互いがお互いを敬うことが出来る。愛することができる。

このことを、知識としてではなく
体験を通して学ぶことが今回の目的だということで臨みました。
そして、沖縄に到着するや否や、、、

今回一緒に研修を行う保育園さんからの激烈な歓迎。
研修の準備のために遅くまで残り企画立てをしていただいたこと
園全体でそれを表現していただいたこと。

人を喜ばすということが自分の喜びとなるということを体現されているその姿に
「感動」としか言いようの無い深い思いが込み上げてきました。

人は、人を喜ばせようとした時に
どうしたら良いのかということの真理を教えていただいたように感じました。

「頭で考える」のではなく「心で考える」
この違いは、場所が違うだけのようで全く意味も違ってくるのだと思いました。

「心遣い」「心意気」「真心」「心地よさ」「本心」「心配」

どの言葉も、頭で考えるよりも、
心で考えたほうが良く分かるように思いました。
これはきっと、当たり前のことなのだと思いますが
私自身の日々の生活を思い返すと家で食事を用意してもらう時にも
「ありがとう」と言う言葉は言いますが。

習慣として伝えるだけになっていて、
心を使って「ありがとう」と伝えているかというと、
そうではない自分が居ます。

また、贈り物をするときも「モノ」ではなく、
それを送ろうとするときに、何を思い、
どれ程の心を籠めたのかが大切であるにもかかわらず、
自分自身は「贈り物をすること」という動作で
心を使った気になってしまう時があり、猛省したことがあります。

また本心で決めたことに対しても
数か月経つと「やってはいるが、心が籠っていない」
ことが私は多々あります。

簡単なようですが
心で考え続けることというのは実は大変で
知らず知らずのうちに習慣として頭が認識して楽に出来るように
刷り込んでしまっているようにも感じられます。

というのも、弊社社長から頂いた言葉なのですが
「脳は刷り込みに遭うが、心は刷り込みに遭わない」
という言葉に私自身大きな感銘と気づきを得たように思うからです。

心というのは、刷り込みに遭うことはない。
だが心というものは使わずしても、脳があるので生きてはいける。

日々の生活でどれだけの動作・行動を
「心を使わずに」行っているのかを反省させられるとともに
どういうことが心を使うことなのかということを今回沖縄研修での
体験を通して教えて下さった園さんには、感謝の念でいっぱいです。

また今回の研修では、そのほかにも
弊社社長のシンクロニシティーの発動ということで、
様々なドラマ、出会い、感動があったのですが書くには
あまりにも長すぎるために、今回はここまでとして
またの機会に後半はお伝えしたいと思います。

本当に、短くまとめようにも、まとめられない研修に感謝です。
こんな研修、受けたことが無いですし、一生の思い出になりました。

また、後半を書けることを楽しみにしています。

                        オルタナティブコンサルタント
                        眞田 海


「国境なき世界」

2010年3月 9日

こんにちわ、営業部の眞田です。

もう3月。 卒園の時期、学年が上がる時期。
新たな年度に切り替わるということが待っているだけで
なんだか新たなドラマがスタートするのだと思うと楽しみです。

また、社会全体も新たなスタートを切るような予感すらしています。

それは、地球誕生から46億年と途絶えることなかった生命の和が
私たちの生活によってたった50年足らずで途切れてしまう方向に
向かせてしまっているという事実に気づいたことで
新たな取り組みが始まっているということです。

社会、自然、教育、文化、それぞれの分野において
継続可能な考え方、あり方とは何なのだろうかと
今までの自分達を振り返り、そして新たな実践に変えていっている。
そのように感じます。

自分を中心に考えると
知らずと自我が出すぎて知らずのうちに不自然なこともありますが
子どもを主体と考えると、大人の生き方も変えていけるのだと改めて感じました。

そんななか、カグヤでは先日研修をおこないました。

ユニセフの子どもの幸福度調査で「子どもの幸福度」世界1位だった国、オランダ。
その調査で日本はデータ不足でランクは出ませんでしたが
答えた質問に対しての結果は酷く、特に「孤独を感じる」
という項目についてはビリから2番目の国と比べても2.6倍近い開きがある結果。

日本の子どもたちが何かと比べられ、競争させられ
夢を持てず、自己肯定感を感じられずにいるのではないだろうかと
危機感を持たざるを得ない結果でした。

その子どもの幸福度が高い国オランダの教育というものは何を行っているのか。
日本は何を学び、何を大切にするべきなのか。
そういったことを学ぶ機会を、弊社社長より用意頂きました。
今回はオランダで生活をし、オランダのイエナプランを学び
現在、日本にて教育の在り方を講演・出版などで
発信していらっしゃいます実践家の
リヒテルズ直子さんをお招きし、研修を行いました。

今回の研修で学んだことは数々ありますが
その中でも私自身にとって大切だったのは
オランダも、日本も、共にまだまだ子ども主体を
目指して進み続けなければならないのだということでした。

どうも、私は答えを求めていたように思います。
「オランダ【北欧】が正しい」という答えを得ることによって
日本がどこに進めばいいのか、何を参考にすればよいのかが
分かるのではないかという考えを持っていました。

しかし、学べば学ぶほど
オランダはオランダの課題があり、日本は日本の課題があり
本当に子どもが幸せになれる社会を目指して
それぞれの課題を乗り越えていかなければならない
のだということに気づかされました。
また、お互いその状況の中でも、
何故オランダの子どもは幸福度が高いのかを見ると、その一つは、
「個性を尊重する」という言葉が本当に社会全体で
実践されていることが大きかったように感じました。
日本では、子どもたちの個性や意欲、発達段階とは関係なく
年齢が重ねられれば学年が変わったり卒業したり、入学したりします。
しかし、オランダでは、子どもたちの主体性を遮らないために
年齢ではなく、発達段階や個人個人の意思で学年を進めることが出来ます。
このこと一つをとっても、改めて思うのがオランダの社会の
受け皿自体が個性を認めているということでした。

日本で、小学生が留年すると、その子は大変な目で見られます。
高校でも、留年すれば不良であるかのように見られたり、「出来ない子」や「問題のある子」
と見られることは自分自身の人生を振り返ると日本では明らかだと感じています。
日本は、皆と違うとおかしいと思われる文化が少なからずある。
一人ひとり違ってもいいはずなのに、実はそれが保障されづらい世の中になっている。

そこの違い、矛盾が「個性」の確立を妨げているということだと感じました。
ひとりひとりが、みんな同じモノサシで測られることが
子どもたちの自己肯定感を妨げ、個性を認め合えないのだとすれば
一人ひとり違っていいのだというモノサシを作る必要があるのだと感じます。

自然界を見れば、椿もあれば、桜もあって、コケもあれば、ヨモギもある。
一つの種類だけが揃っているのは、人間が整備した畑や森林だけであることを考えると、
杉林にブナがあるとオカシイと言い張ることと同じように
何かに押しつけられた価値観の中に違う価値観があるとオカシイと
なってしまう社会はある意味、不自然であるように思います。

リヒテルズ直子さんには、本当に有り難い言葉を頂きました。

「良心一つをとっても、みんな一人ひとり違うのです。
そして、それは決して間違いではないのです。」

この言葉を聞いた時に、
私は私の心の弱さを知るとともに、人生の豊かさを感じました。

答えは一つではない。
しかし、それは共生していくことが前提であること。

これを思う時、個性とは好きに自分を出せばよいものでも
人権を振りかざせるものでもなく、共に生きていくことのなかで
それぞれの個性としてあるがままの姿を出していく
豊かさを象徴しているのだと感じました。

人は皆違うから生きていける。
皆が同じであれば、誰がその人の苦手なところを補うのか。

一つ、自分自身の考え方の中で、
修正しなければならないと感じるところでもありました。

しかし、リヒテルズ直子さんに教えていただいたもう一つの大切な言葉。

それは、日本が持つ「同調」の心です。
オランダが持つ今の課題は「同調」だそうです。
ある意味で、個性を認めることが行き過ぎて
個性ではなく自由奔放になってしまっている部分がある。
逆に日本は、「同調」が得意であり、思いやりや協調性が高い。
なんだか、世界中の人々が協力し合い、
分かち合うことが今求め始められているように感じた瞬間でした。

これから、国境なき世界となるのであれば
お互いの国の背景と課題を共有して助け合っていくことが
出来るのだと改めて感じる研修でした。

気づきを実践に変えて、自分自身の糧とするためにも
今回の機会を大切にしていきたいと思います。
有難うございました。

                      オルタナティブコンサルタント
                      眞田 海


「沖縄研修~大きな和~後編」

2010年3月22日

こんにちわ、営業部の眞田です。

各園様にご訪問させていただくと、皆さま卒園式に向けて
準備をされている姿をよく見かけるようになりました。
子どもたちも、小学校に上がるということで
今よりもお兄さんやお姉さんになるという自覚なのかは分かりませんが
わくわくとした期待感を持つ眼差しと、卒園してしまうことへの少しの寂しさとが
入り混じったように心も体も高揚しているように感じます。

自分自身の卒園式のことを思い出すことが難しいですが
覚えている感覚としては、、なんだか特別な日であることと、母親が
豪い化粧をしていることに緊張した思い出があります。

今回のブログですが、全前回の沖縄研修の後編を綴りたいと思います。

沖縄研修にて、2日目にお伺いした笑味の店というお食事・お弁当屋さんでのことなのですが
自分自身の食に対するつたない考え方に新しい価値観を頂いたように感じました。

その「笑味の店」がある大宜味村というと
沖縄でも長寿の村ということで有名ですが
そもそも沖縄自体は長寿の県で有名だったはずですが
だんだんと異文化が入り伝統が消え、昔からあった地野菜も絶滅し
外来種の食べ物が入ってくることで、長寿のランキングからは消えさろうとしているようです。

その中で、大宜味村が長寿を保ち続けている理由は
地元に元々ある食材を昔ながらに大切にする文化が残っている
という理由も関係しているそうです。

元々、自然界や動物を考えれば理解しやすいことなのかも知れませんが
生まれおちるその土地にある食べ物や栄養素で生きていけるように進化してきたのが
その土地に居る生命なので、元々そこにある食べ物を食べるのが体にとっても良いのだ
ということを気づかせていただきました。

当たり前のことなのかもしれませんが
私はどちらかというと体にいいものを食べ物の種類で判断したりしていた感があります。

同じ肉でも、肉食で生きていく環境で育った国の人(狩猟民族)と
草食で生きていく環境で育った国の人(農耕民族)とでは
食べた時に体が催す反応は全く違うのだということを私自身
あまり認識していなかったように思います。

大切なのは食べ物の種類だけではなく
自分の身近なところで採れたものも大切なのだと感じました。

元々、そこに自然にあったものの中で工夫して助け合って生きていくこと。
これが、長寿につながる一つの大切な要因であることを学ばせて頂きました。

自分自身の体を助けるためにも、「地産地消」は大切なのだと思いますが
地元で自分の体に合った食べ物を作って頂けている農家の方
また、地元の食材を流通させて消費者に届けてくださる方々
またその食材を料理してくださる地元のお店の方々のことを考えると
何とも地域の人々は有り難い恩人であり、そう考えた時
地産地消とは、今のこの多様化しすぎ、本末が見えなくなったこの時代が
忘れかけてしまっている「思いやり・お陰さま・有り難い」などといった
「共生の理念」を取り戻すためのとても大切な行動であるように感じました。

時代は多様化し、国境も超えたコミュニケーションが一般化して行く中で
その変わりゆくことばかりに目を奪われ、そこにばかり順応していく意識を
持ちがちな自分が居ますが、流行ばかりに目を向けるのではなく
不易の部分もしっかりと持てる自分になるために、日々、物事を決めつけず
子どもたちの未来を思い、今を考えて実践していきたいと思います。


                            オルタナティブコンサルタント
                            眞田 海


「育つということ」

2010年4月 2日

営業部の眞田です。

桜が各地で咲き始めていますが、桜が持つ美しさについて、
弊社代表より、「山の中にポツンとある山桜の美しさも素晴らしいよ」と教えていただき
最近意識をして見ているのですが、和歌山での出張中に高速道路を走っている中で
山桜の美しさに出会うことが出来ました。

深緑の山々に一つだけ、神々しい山桜が中腹に有ったのですが、
遠くから見ても、その桜の色合いは、あまりに周りの木々とは異質であり、
神々しくもあり、禍々しくもあり、狂気すら感じてしまうような美しさでした。

川岸に植えられた桜並木も美しいですが、山々に自然に育った桜の美しさもまた格別であることを
体験することが出来た素敵な瞬間でした。

自然というものを考えたとき、自然が持つ負荷というものを考えさせられる機会がありました。

ちょうど最近、ハイポニカ栽培というものを自宅で始めました。

ハイポニカ栽培とは、農作物を土で育てずに水と酸素と栄養素を循環させ、
それだけで育てる栽培方法なのですが、栽培方法としては、

作物そのものが持つ育つ力の抵抗となっている「土」を取り除く(根が伸びる抵抗となるため)
ことと「酸素」を循環させて根に酸素が沢山届くようにすること、
それから作物が育つための栄養素を水に混ぜる栽培方法です。

ガイアシンフォニーという映画にも取り上げられた技術なのですが、
一つのトマトの種から、1万3千個のトマトが取れるという驚異的な成長を達成しました。

シンプルに考えると

植物は「根」が伸びれば伸びるほどに大きくなりますが、
そのために「根」に負担となっている原因を取り除いてみたということのようです。

「その種がもつ有るがままの育つ力を最大限に発揮させるとどうなるのか」

という話ではあるのですが、

この栽培方法を試してみて、私が感じたのは

土や空気といった自然界の環境の中で私たちは成長していきますが、
生命そのものが持つ「育つ力」というのは、私が思っている以上に凄まじい力があり、
また可能性があるのだということを感じました。

普段、自然という環境の中で様々な抵抗や負荷がかかりながら成長する姿しか
見たことがない私は、まさかトマトが1万3000個の実を実らせる能力があるとは思いもしないわけです。

そのことを知れたという意味において、大変有意義な学びの場であることに気づきました。
それは、作物を人間や子どもに置き換えることも出来るのだと感じたからです。

「社会」で生きるということは、「土」で育つトマトと同じだと思いました。
私たちは社会という自然界の中で育つわけですが、
人間本来の「能力」「育つ力」というのはトマトの種と同じように
凄まじい可能性を秘めているのだと思いました。
だからこそ、トマトで言えば自然界の中で如何に良い土、水、空気
といった環境を用意できるのかといったことで
トマト本来の育つ力を邪魔しないことが出来るように、
子どもたちにも子どもたちが育つ力を邪魔しないように、
良い文化、良い習慣、良い家庭を、親であり大人である私が
まずは持たなければならないのだと学びました。

今回、ハイポニカ栽培を通して
個体が持つ「育つ可能性」と自然界における
「自然界との調和」の両方の観点を学ぶことが出来たように感じます。

あとは、夏に向けて、トマトと空芯菜の収穫を楽しみに、楽しみに待とうと思います。


「自然と不自然」

2010年4月14日

営業部の眞田です。

4月に入り、上旬は寒暖の差が激しい日々が続きましたが、
お陰で例年よりも桜を長く楽しむことが出来、
家族で散歩に出かける機会が増えました。

春の季節を迎え、新入社員の方々のフレッシュな服装を
街で見かけることが多くなりましたが、
カグヤでも、初心を忘れることなく新たな一年を過ごすためにも
先日、新宿せいが保育園の園長先生である藤森先生をお呼びして研修を行いました。

藤森先生との研修に向けて、各クルーが自分自身が
今抱える悩みに対する根源的な問題点・課題などを明確にし、
時間が許す限りそれぞれが質問をさせていただければと考え、
研修に臨むこととなりました。

しかし、大きく私の予想を反した出来事がありました。

それは何かというと、、、
質問を前にして「私の頭の容量がパンクしかけたことです」

質問をさせていただく前にカグヤクルーそれぞれから自己紹介をさせていただき、
その後、藤森先生より基調講演を頂いたのですが、その内容が余りにも濃密で、
問題意識が自然と釣りあげられ、常に120パーセントの集中力で聞いてしまうこととなり、
基調講演を終えた時には、全身に汗が滴り、喉はカラカラで、
脳みそは空転してるかのように熱くなり、
体が知恵熱を持ったかのようにフラつくほどでした。

藤森先生の人生観や、ビジョンに触れることで自分自身では
見る事の出来ない目線での世界を見ることができ、
保育が世の中を変えていくという道筋を想像できたことに感嘆の連続でした。

また、藤森先生のお話の中で

「人類が誕生してから今まで、一度も途切れずに
続いてきたのは、それが自然の理と合っていたからではないだろうか」

というお話がありました。

たったこの50年で、地球環境は壊滅的に変化し続けていることを思うと、
人類は【自然界】から乖離し、【不自然界】を繰り広げているように私も感じています。
自然と共にあった時には、当たり前に持っていた能力が、
不自然な社会により様々な能力が失われてしまっているように感じます。

人を敬う能力
隣人を愛する能力
集団で協力するという能力
自立
自律
洞察力
共存する能力

自然界の中ではこれらの能力を発揮しなければ生きていけない環境であり、
人類は今まで何の問題もなく自然界で生きてこられたことを考えると、
【元々その能力を持っていた】からではないかと藤森先生のお話をお聞きして深く共感いたしました。

しかし、この不自然な時代、

これらの能力を使わずとも生きていくことは出来るようになりました。
便利さがそれを可能にしたわけですが、その大きな弊害として
「使わない能力は競合する能力に書き換えられてしまう」事態が起きているのだと
藤森先生のお話の中から学びました。

例えば、複数の赤ちゃんが母乳を飲むとき、赤ちゃんの

①「体重を一定量増やすことが目的」であれば
→それぞれの赤ちゃんは飲む量は違いますが体重の増える量は同じだそうです。

②「ミルクを一定量飲ませることが目的」であれば
→それぞれの赤ちゃんは飲む量は同じですが、体重の増える量は違うそうです。


①の場合は赤ちゃんは自分の体重を増加させるために飲む量を調節する能力を発揮しますが、
②の場合は大人が与える量を飲みきる能力を発揮させるため、

競合する「飲む量を調節する能力」は不必要となり失われてしまうそうです。

そう考えた時、私たちのこの便利すぎる社会は、本来私たちが自然共に生き、
人間が人間として持っていた能力を使わずして生きることが可能となっていることに気づかされました。
そして、本来の能力を無くしてしまっているのだと思います。

藤森先生は今生きていく中で大切な能力を

「問題解決能力とコミュニケーション能力」

だとお話されていたのですが、
まさに、今の社会では問題解決なくとも国や親や誰かに依存し
生きることが出来得る社会であるようにも思います。
また、助け合うことも不必要となりコミュニケーションが
稀薄になりつつあるようにも思います。

こうして、本来必要である能力を自分たち自らで失わせながら
私たちは自然に生きたいと願い、楽しんで生きたいと願い、
子どもたちにはより良い環境を用意したいと願う矛盾を抱えていることに
気付かされたように思います。

自然に楽しく生きたければ、自然から学ぶこと。

自然は過度に与えてくれませんし、過度に関わってくることもありません。

しかし、人類の血が途切れることが無くこの長い年月を生まれ
変わってくることが出来ている事実を改めて振り返れば
自然は私たち人類が持っている能力にちょうど良く働きかける環境である。
ということが言えるように思います。

これを思う時、私自身、改めて子どもに対する教育というものを考えさせられました。

便利さや、大人の都合で子どもに不自然さを与えていないだろうか。
教えなければ、教えなければという親の使命感という大人の都合を押しつけていないか。
育てなければ育てなければと、北風を旅人に吹き続けるようなことをしていないか。
旅人に太陽でありつづけることが旅人を気付かせることが出来たように
子どもに対しても、太陽で在りつづけたいと
心に誓わせていただく機会となった大変有り難い研修でした。

研修での気づきを書き記すにはあまりに一つの記事では足らないので、
また次回のブログにて自分自身の気づきを書き記すことが出来ればと思います。

                            オルタナティブコンサルタント
                            眞田 海


「昴であれ」

2010年4月26日

こんにちわ、眞田です。

思えば漸く寒かった冬も過ぎ去り、
春が私たちの周りに満ち足りているのを
空の色や、草花、空気の香り、日差しなどで感じます。

とある福岡の島にある幼稚園の先生に教えていただいた
明治時代の漢方医、石塚左玄の言葉なのですが、
私の今の生活を支える大切な気づきとなった言葉があります。

「春にがみ 夏は酢の物 秋からみ 冬は油を心して食え」

熊などの動物たちは、冬の間に蓄えた皮下脂肪を落とすために、
春になると、肝臓などの働きを良くするために
ふきのとうなどの「苦み」のある野草達を食べますが、
私たち人間も、同じ自然界の生き物ですから、やはり
そういった、季節に応じた自然の摂理は
大切にしていかなければならないと感じています。

自然の摂理を感じることが少なくなっているということは、
私たちの社会が今、どれほどに自然からかけ離れてしまっているのかと
改めて考えなければならないと危機感が募ります。

人間として当たり前にあった機能が不自然な環境によって
奪われていく。
それは、もちろん子どもたちに対してもそうですが、
私たち大人にとってもそうなのだと改めて感じさせていただく機会が
先日の藤森先生の研修の中で在りました。

そもそも、人間がなぜこんなにも一人ひとりの
個性が違うのだろうかということを考えた時、
みんなが同じであったら進化の過程で滅びてしまう
可能性が非常に高いからこそ様々な環境や逆境に対して
協力して乗り越えていくことが出来るように
様々な個性(得意・不得意)があるのではないだろうかと
いうお話を頂いた時に、私が強く反省をしたことがあります。

例えば、部下、後輩、友人、家族に対してですが、
その人の苦手な所にたいして、困っている姿を見ると、、
その苦手なところを克服できるようにとアドバイスをすることが
私にとっての思いやりでした。

しかし、その人の良いところを見つけ、そして認めること、
良いところを良いと伝えることが大切であり思いやりであると
言うことに対しては、大切だとは分かっていながらも、気づけば
目線はその人の苦手なことを克服出来るように!!と目線が行ってしまい
あまり重要視していない自分に気づきました。

皆が同じようなスキル・能力を持とうとすれば、個性はつぶされ、
想定外の場面に対して乗り越えるための多様性は無く、柔軟性も無くなり、
結局のところマニュアル化されて人間らしさは消えゆくのではないかと言うことを思うと、

苦手なところばかりに目を持っていくよりも、良い所や、別のところで
その苦手な部分をも補えるようなアドバイスを行うことの方が、
人間らしさも、チームワークも、共に生きる生きがいも、生まれてくるのだと
学ばせて頂きました。

まだまだ、その目線を持てているわけでも実践が深まっては無いですが、
一日一日、意識して過ごしていく中で、目線が広がる喜びと、
周りの人たちの素晴らしいところを沢山見ながら仕事が出来る喜びを
前より、ずっと感じられている最近です。

                         オルタナティブコンサルタント
                         眞田 海


「芽吹く命」

2010年5月12日

こんにちは、営業部の眞田です。

GWを過ぎると、風も日差しも夏の匂いに変わり、
暖かな陽気から燦爛と輝く陽気になりました。

日差しが変わり、我が家のベランダの野菜たちも
漸く芽が出始めるようになりました。

実は、以前にブログ「育つということ」で紹介をさせていただきましたが、
自宅のベランダでハイポニカ栽培をしています。

3月下旬から空芯菜とトマトを苗から土を取り、
ハイポニカの環境に設置して始めたのですが、
2週間で枯れてしまいました。

原因は、まだトマトにも空芯菜にも気候が寒すぎたためでした。

今の自宅の気温に合わない不自然な物を持ってきてしまったために
環境を植物に合わせることが出来ずに枯らせてしまった自分の無知さを
知り、反省する機会となりました。

ということで、今回は環境に合う野菜たちを種から育てようと
4月の一か月を費やしました。

トマト、ピーマン、ルッコラ、枝豆、ブロッコリー、イチゴ

それぞれの種をスポンジに入れ、湿らせ新聞紙を掛けて待ちました。

3日、4日、待てど変化は無く、5日目。

やはり発芽温度が低くても大丈夫なルッコラが種から芽を出しました。
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私は野菜を育てるということが人生で初めての経験なので、芽が出るということを
目の当たりにしただけでも、生命の神秘に感動してしまいました。

あんなにもカラカラとした小さな種から、こんなにも生き生きとした芽が出ていることに、
兎に角驚きを感じました。数か月、水分を取らずに袋に入れられていた種たちが、
自分たちに適合する環境になった途端に生命の息吹を取り戻す姿を見ると、
自分の子どもにも、その子に合った環境となってあげたいと切に思います。

また、自分自身のことを考えても、親から頂いたこの命を粗末にすることなく
大切に全うするためにも、自分の命の種が一番伸びる環境を
用意しなければならないと考えさせられました。

今、ベランダには自作のハイポニカ栽培装置をなんとか作り上げて、
その他に発芽した野菜たちを育てていますが、
自然の営みを生から死まで見ることで、人間界が如何に不自然であるかを
知る術となるように感じることが増えてきました。
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子どもたちが自らが持つ種を自然に発芽させ、
育っていけるような環境と私自身がなるために、
自然が持つ本質を学びながら、大切に育てていきたいと思います。

                             オルタナティブコンサルタント
                             眞田 海


「真心の実践」

2010年5月24日

こんにちは、営業部の眞田です。

気温も上がり、汗ばむ陽気も増えてきまた。
夏が大好きな私としては、願ってもない季節の到来です。

夏に移り変わるこの季節の、
天気がよく風が少し強いこの一瞬の時期や
そのあとに訪れる梅雨の匂いなど、
なんだか季節が風に乗ってやってくるように感じられて
楽しい日々を送っています。

そんな最近を振り返ると、
どうも仕事以外の時間を家庭とだけでなく、
私の親・兄弟も一緒に過ごす時間を
多く持つようになったことに気づいたのですが、
その中で、なんとも言えない親の愛を感じた瞬間がありました。

共に時間を過ごす中で、仕事の話や人生の話など
色々と難しい話や深みのある話などをする機会が増えたのですが、
親からの言葉は何時も一貫して「健康」の話。

どんなに遣り甲斐を持って働いているのかや、
何を大事にして生きているのかなどを話し合うと、
完全に受容してくれることも有り難いのですが、
やはり母親が気になるのは健康のこと。

振り返れば一貫して私に対しては
健康のことしか気にしていなかったように思います。

私に対して、色々な要望や希望や思いが
沢山あるのではないかと思ってしまいますが、
言われるのは健康のこと、生活のこと、それだけです。

私はこの母親の姿に心から尊敬してしまいました。

親としての「こうなってほしい」「こんな人間になってほしい」
という親心というものが有るのではないだろうかと思いながらも、
それを押し付けることなく、どんな人間にでもなれるように、
生活習慣や健康を大切にずっと考え続けてくれたこと、
いつも私を見守り続けてくれたことに、気づかせていただきました。

本当に相手のことを思うと、私心は消え、真心だけになる。

そして、それが相手に伝わるのだということを体験させてもらえたことを
心から有り難いと思いました。

常に真心で相手を思うこと。

簡単なようで人は気づけば感情が湧き、人情が包み込み、
一貫することが本当に難しいように思います。

しかし思いが振れはすれど、切らすことの無いように
真心の実践を大切にしていきたいと思います。

                       オルタナティブコンサルタント
                       眞田 海


「付箋紙の壁」

2010年6月 3日

こんにちは、営業部の眞田です。

もうすぐ、梅雨が来ます。
そしてサッカーのW杯も開幕ですね。
梅雨の鬱蒼とした空気も、W杯の熱気で晴れ晴れとしそうです。

また、有り難いことに今年はドイツ視察ツアーに
参加させていただく事となりました。

いつもとは違った梅雨の過ごし方が今年は出来ることを思うと、
今から楽しみで仕方がありませんが、好きなだけ仕事をすることが出来るのは、
家族や親の協力があってこそであることを考えると、
どれだけ自分はその有り難さを返すことが出来ているのだろうかと
反省するばかりです。

日々の感謝の気持ちを表すことは、
忙しさや疲れからふと忘れがちになってしまうことが多いのですが
その中でも毎回欠かさずに感謝の気持ちを伝えていることがあります。

その一つは、お弁当を食べ終えた後に書き添える

「ありがとうレター」です。

カグヤではロハス弁当を頂いており、食べ終えた後には
感謝の気持ちを籠めて付箋紙に言葉を添えているのですが、
私は有り難いことに家内がお弁当を作ってくれています。

なので、朝早くにお弁当を作って健康を気遣ってくれる家内に対して、
せめてもの感謝の気持ちをと思い、家内に向けて手紙を毎回書いています。

付箋紙にほんの少しのその日の気持ちを添えるだけではありますが、
日々継続していると、何も言わずとも信頼関係を築く事が出来ているように感じます。

家内もキッチンの一部に日々張り続けてくれており、
恥ずかしさの方が強いですが、大切にしてくれている事に有り難さを感じます。

CA3C0179.jpg

真心は姿勢から伝わるのだと、小さな実践ではありますが
学ぶことが出来ました。

そして、この小さな実践は私にとっては今は
とても大きな意味を持つ実践に変わってきています。

日々の自分の姿勢の一つ一つが未来を作るのだからこそ、
より深く、真心を籠めて継続していきたいと思います。

改めて、家庭も豊かにする会社の実践に感謝です。

                 オルタナティブコンサルタント
                 眞田 海


「静寂を聞く」

2010年6月16日

こんにちは、眞田です。

W杯が始まりました。
人々が夢を追いかける姿には、
人を感化させる素晴らしい力があると思います。

W杯が素晴らしいのはサッカーの巧さや面白さだけではなく、
夢に向かって精いっぱいの力を出し続けるその姿そのものが
素晴らしいと思います。
私も直向きさを自分自身の姿を通して、人々に伝えられる人間になれるように、
一瞬一瞬を大切に生きていきたいと思います。

一瞬一瞬を大切に生きていると言えば、
先日、このブログにてお伝えさせていただきました、

ベランダ菜園(ハイポニカ栽培)を連想します。
1.jpg
周りの環境の中で精いっぱい生きている姿を見ると心が洗われる思いです。

しかし、最近ですが大問題が起きました。
出張から帰ってくると、根っこや水中に藻が大量発生してしまっていました。
大部分の野菜がそれにより枯れてしまいましたが、
始めて野菜を作ることとなった私には何が問題なのかが
全く分かりませんでした。

よくよく考えれば、簡単なことなのかもしれませんが、
自然界では植物の根には光が当たることはありません。
土の中にあるわけです。
しかし、私はそういったことに気づかずに、水中にも光がどんどんと
届くようにしてしまっていました。

そこで、色々と考えて根っこに光が届かないように遮断してみようと
レジャーシートで地表を作ってみました。
2.jpg
生き残った植物も弱ってしまい心配でしたが
翌日以降はどんどんと元気になり、育つ速度も速く、
漸く植物たちに正しい方向性で環境に働きかけることが出来たと
喜びを得ています
3.jpg
相手の最良の環境となることや、
環境に最良の形で働きかけることをしたいと思っても、
相手は植物。話しかけても答えてくれるわけではありません。

こうしてほしい、こうしたい!って話してくれたらどれだけ
有り難いことか、、、と思いますが、だからこそ相手をよく見て、
その変化をつぶさに読み取ることが大切だと思いました。

モノは言いませんが、環境に対しては正直に反応してくれるのが
植物だと感じました。

そして、また私たち人間も植物と同じ理を持った自然界の生命であることを
考えると、子どもに対していかにその子の心を傾聴しているかということや
その子の変化を見ているのかが大切なのだと
自分自身をあたらめさせられる機会となりました。
4.jpg
大人心で勝手に決め付けず、
その子のあるがままを素直に伸ばしていけるように
邪魔をしないで、必要としているところに
光を当てられる大人になろうと
思う一日となりました。

               オルタナティブコンサルタント
               眞田 海


「父の日」

2010年6月25日

こんにちは、眞田です。

梅雨入りして、湿度の高い日々が続いていますが
我が家の湿度の高さは、梅雨とW杯という理由だけではなく
娘に理由があるかと思います。

今までの人生、特に社会人となってからは梅雨や夏になれば
エアコンをつけて、少し寒いくらいにしている日々でしたが
娘のことを考えると、しっかりと自然の季節の通りの温度と湿度の中で
水分補給を行うことで調節していくのが、今までずっと生き続けてきた人間としての
あるがままなのではないかと考え、あまりに子どもにとって暑い時では無い限り
エアコンは控えるようになりました。

本当は何が正しいのかは分かりませんが
父親が私に遺してくれたものは
「便利さが人を駄目にする」ということのように感じています。

親になって、一年目。

親という冠が付くだけで私自身は
まだまだ親の道の入り口に立っただけだと実感します。

子を持つ人間は誰しもが親という呼び名を持ちますが
同じ呼び名でも、その親という責務と豊かさを人間としてどう果たしているのか
という問いに対しては、私自身、常に反省の日々を送っています。

親の発達も、子どもの発達と同じで
目に見えづらいものなのかとは思いますが
大切にしていきたいのは、周りの親がどうかということではなく
常に自分自身に対して矢印を向け、大人として恥ずかしくない行動を取っていないか。
子どもに見せたくないことをしていないか
と自分に問いかけることを大切にしていきたいと思っています。

つい最近ですが、子を持つ喜びと反省を繰り返す日々の中で
ふと心が温まり、何か自分自身が赦されたような気持ちになる瞬間がありました。

それは、先週の日曜日。
とある園様の研修を終え、最終便で羽田に戻り
日付が変わる時間帯に自宅へ向かうバスでのことでした。
携帯に一通のメールが届きました。

母からのメールでした。

その日は、家内と娘と私の親や兄弟たちが一緒に過ごしていた日だったので
その内容が幸せそうに書かれていました。
そして、その文章の最後には、こう書かれていました。

「父の日にお仕事お疲れ様」

最初は良く意味が分かりませんでしたが
何度か読み返してようやく意味が分かりました。
私は父親になって初めての「父の日」だったのです。

今まで、父の日は自分や家内のお父さんをお祝いする日でしか在りませんでした。
なので、本当に意味が分からず、漸くその意味が分かった時
赦されたような、認められたような、褒められたような
感謝されたような、なんとも言えない心の安らかさを感じる瞬間となりました。

そして同時に、親に対する深い感謝の気持ちが湧きあがりました。

親であることの有り難さ。
親が居ることの有り難さ。

その両方に感謝が出来るこの日を
私は改めて大好きになりました。

一年の一日一日が、人生を重ねる中で意味が深まり
味わい深い人生と為るよう一瞬一瞬を
一期一会の思いを持って過ごしたいと思います。

                       オルタナティブコンサルタント
                       眞田 海


「旅立つその時」

2010年7月 7日

こんにちは、眞田です。

先週の日曜日から今週の日曜日まで
GTのドイツ研修に行って参りました。

今回は、ドイツ研修の内容を書こうと思っていたのですが、
その前に、今回はドイツに着くまでの間にあったことを
少し綴らせていただければと思います。

私にとっては初めての海外ということもあり、
緊張の連続と好奇心の連続で、心は躍り跳ねていましたが、
行きの飛行機で、強い恐怖を抱く体験をしました。

飛行機に乗り、離陸を待つ瞬間のことです。
私はよく、物事について「最悪の場面」を
想像します。

気が小さい人間なので、かなり物事には臆病な一面もあり、
それと相反して好奇心に呑まれてしまう時もありと、
何とも面倒な性格なのですが、

特に、何か初めての場所や緊張したり未知のことについては
頻繁にするのですが、今回も海外ということが初めてだった為に、
飛行機についての最悪のことを想像してしまいました。

そして、その時に思い浮かぶ顔が在りました。

今までもその様なことは何度かありましたが、
浮かぶ顔と言えば、親兄弟と彼女くらいだったように思います。

しかし、今回は驚くほど沢山の人々の顔が走馬灯のように頭の中を巡りました。

親兄弟、親族、家族、社長、クルーの皆、友人。

走馬灯は一瞬の出来事でしたが、本当に沢山の人々の顔を思い浮かべ、
飛行機に対する恐怖と同時に、浮かんでくる皆と逢えなくなるかもしれない
という恐怖を感じました。

走馬灯は消えても恐怖は消えず、心臓は驚くほどに大きく鼓動しました。

どうしたらこの恐怖を受け入れられるのだろうと考えましたが、
分からず、もう一度浮かぶ顔の皆さんを思いました。

すると、皆さんが応援してくれているお陰で今自分はここに居られるのだと
言うことに気づきました。

私は一人ではないということ。

沢山の方々が支援してくれていること。

待っていてくれている人が居るということ。

それを知ることが出来た時、自分の命の存在よりも
その喜びが勝ったかのような感覚が、恐怖を包んでくれました。

その時の感覚を忘れることが出来ません。

なんだか、侍が世界を相手に日本を飛び出すような、
とても勇ましい気持ち。誇らしい気持ち。

勇ましさや誇らしさとは、きっと自分の命を超えた存在が
創り出すのだと感じた瞬間でした。

まだまだ、私は心の中での妄想でしかなく、
命を本気で使いきれているわけでもなく、
維新の志士とは到底比べ物にはなりませんが、

その妄想の中で得た気持ち、気付きを大切にして
少しでも、大きな人間に為ろうと感じた瞬間でした。

                 オルタナティブコンサルタント
                 眞田 海


「ドイツ研修②」

2010年7月22日

こんにちは、眞田です。

東京は梅雨が明けたようです。

この梅雨の間の豪雨の所為なのかは
分かりませんが、我が家のベランダで栽培している野菜達の一部が
完全にやられてしまい、枯れてしまいました。

また、妻が娘をおんぶしながらベランダを歩いていた時に、
どうやら娘が茶豆の葉っぱを掴んでいたようで、
茶豆の鉢は無残にもベランダに散開し、
いまはいびつな方向に向いた茶豆達が太陽の方向に向けて
自身を方向転換しています。

先日のドイツ研修についてですが、

ドイツに行って肌で感じたこと、考えたこと。
沢山ありますが、町並みや生活、文化から感じたことを
今日はお伝えしたいと思います。

ドイツで過ごした中で考えさせられたのが、
まずはエレベーターでした。

エレベーターに乗って驚いたのが、乗ったので階数を押して
ドアを閉めようと思った時でした。

閉めるボタンがなかったのです。
開けるボタンしかないことに驚きました。

また、建物は全て高さが守られています。
自分の都合で高く建てている建物もありません。
建物の景観も守られていました。

そして、街を夜に(といっても9時過ぎまで明るかったのですが)歩くと、
多くのお店が19時以降は閉店していました。

これを見て考えることとなりました。
私たちが住んでいる日本ではありえないことが
何故在り得ているのだろうかと考えました。

その中で思うのが、「自分の為の都合を優先しない」
ということを大切にしているのではないかと感じました。

私たち日本の国では、個人の利益や都合を優先した結果
夜遅くまで店が開いていたり、
建物も立てる個人の自由ということで混在していたり
エレベーターにも早く目的地に到達したいからこそ自分の都合を優先できる
「閉める」ボタンがあるように思います。

しかし、本当にそうやって「自分のことを優先」して生きていくことがよいのだろうか?
と考えると、良くないことは誰でも気付くことだと思います。

しかし、私自身にそれを問いかけると、気付いていながらも
何も変わりません。

今まで命を繋げてくれた先祖に対しても、この後に命をつないでいく
子孫に対しても、今自分が世の中を悪くして良い理由は無いにもかかわらず、
なぜ変わらないのか。

それを考えた時、気付いているだけでは何も変わらないことや
実行しなければ変わらないこと。
だからこそ、決めなければならないんだという当たり前のことを
御座なりにしている自分に気付きます。

世界中に居る同じ人間達の中で
子どもたちの為、家族の為、社会の為に
早く家に帰るということを決めて守っている人が居る。

エレベーターのボタンも、人を待ってあげるという
助け合いの精神を大切に守っている人が居る。

私ももっともっと、自分以外の為に何かを決め、そして
それを守っていきたいと、心から思いました。

そうしていくことが、自分の娘の教育にも躾にも
繋がっていくように思います。

ドイツの街並みからとても大切なことを
学ばせて頂いたように思います。

オルタナティブコンサルタント
眞田 海


「ベランダ菜園」

2010年8月 4日

こんにちは、眞田です。

最近の暑さは凄まじいですね、ベランダの野菜たちも
水分を欲しがり、今までの2倍近い水量を与えています。

唐辛子は真赤になり、トマトも実り、収穫が近付いています。

しかし、、、夏に一番期待していた枝豆ですが、、、、

残念ながら、枯れてしまいました。

水分の問題よりも日照時間の問題でしょうか。
未だ解決できておらず、調査中ですが、
日照時間が大切な枝豆にとって、ベランダはやはり
環境としては難しい様子です。

植物は一つ一つの特性によって水や光をどれほど必要とするのかが
違っていますが、説明書に書いてあることを守ればよいと思っていた私は
実際に植物と対面してみて説明書の通りにはいかないということを
痛感しています。

一つ一つの植物を良く見て、葉や茎のみずみずしさを憶え、
その都度その都度、考えながら色々と試していますが、
まだまだ分かりません。

たった一年でそのリズムを知ろうとするのが間違いなのかもしれませんが、
これから一年一年、自然の摂理に触れていくことが出来るということに
ワクワクしています。

植物を育てるということも子育ても、
自分自身が相手にとっての最良の環境に為るということが
大切なのだと思いますが、娘の為にも農作物を育てるというのは日々の実践として
学びが多いことを改めて感じます。
植物たちには感謝の気持ちを持って接していきたいと思います。

オルタナティブコンサルタント
眞田 海


「皆で乗り越える」

2010年8月18日

こんにちは、営業部の眞田です。

最近ですが、カグヤクルー皆で集まり、自分たちのことや会社のことを
沢山話す機会がありました。

その中でとても大切だと感じたことがあります。

クルーは毎日8時から集まりクルー達の会議「朝サミット」を行っています。
月曜日から金曜日まで毎日を自分たちで決めたテーマを元に会議しているのですが、
今回は、そのテーマというものの見直しから始まりました。
世の中や自分たちも日々変化していく中で、
日々おこなっている実践が形骸化してしまったり
自分たちの課題と合わなくなってしまったりすることがないだろうかと疑問を持ち、
私たちの今持っている課題を解決する為に
改めて自分たちでテーマを決める機会となったのですが、
この話し合いの機会が在ることで、チームとしての課題、会社としての課題、
個人の課題を共有することが出来たこと、また課題を課題で留めておくのではなく
解決するための実践を皆で考えて実行に移す事が出来ることに
チームとしての意義を強く感じます。
皆の為に、協力して日々を過ごすという他者支援の考えは
自分を助けてくれる人がチームの人数だけ増えるということ。
自分一人だけで自分のことを考えていると、支援者は一人ですが、
一人で出来ることは本当に少なく、難しいことを感じます。

皆の違いを認め合い、受容し合いながら、周りにいる人たちの支援者であろうとすること。

日々忙しくなると難しいことでもあるのだとは思いますが、
皆で決めた大切なことを毎日実践していきたいと思います。

オルタナティブコンサルタント
眞田 海


【まっとうな人】

2010年8月27日

こんにちは、眞田です。

もうそろそろ夏も終わりに差し掛かってきました。
私は夏が好きだからなのだと思いますが、毎年毎年思うことがあります。

「ようやく暑さにも慣れたと思ったら夏はいなくなってしまう。」
ということです。

暑さにも慣れ、夏の楽しみ方も本腰を入れようと思った頃には
夏は少しの憂いを残してまた今年も居なくなってしまうように感じます。
そして、センチメンタルな秋が迎えてくれるのですが、やはりまだ夏に未練を残している自分がそこに居ます。

今年のお盆は台風4号が重なったこともあり荒れた天候でしたので
余計に夏を堪能できていないので、この残りの夏を目一杯過ごしたいと思います。

さて、そんな荒れた天候の中で我が家のお盆は、父が所属していたヨットクラブで過ごしました。
ヨットクラブと言っても、豪華絢爛なものではなく、限りなく汚い部活の寮のようなところです。
築50年近くの土壁で、触るとさらさらと崩れてきます。
大きなクモに、大きな黒い虫達。
二階にある20畳ほどの畳が敷き詰められた座敷に布団を敷き、皆で寝ます。
一階のリビングには、20年前に私の父が作った木製のベンチとテーブルが未だに現役で使われており、
昭和な生活を大人になっても堪能できる場所。それが我がヨットクラブなのです。

きっと、最近の若者たちは近づき難いところなのかもしれませんが、
多くの先輩方やその子どもたちと、こういった自然の中で触れ合い、生活を共にし
風と波を感じながら成長できる場所というのは私たち家族にとっても貴重な場所です。

ヨットクラブも40年近く続いているのですが、この40年の間に沢山のメンバーが
入会しては辞めて行きました。私の父も初期のメンバーであったため、
私もこのヨットクラブに通い始めて29年目となりました。

そんな中で大先輩と夜を通じてお話をさせていただいた時のこと、
心に残るお言葉を頂きました。

「この40年で医者や経営者、大手の役員、沢山の肩書の人たちがこのヨットクラブに来たけれど、
沢山の人たちが消えて行った。
自分だけ楽しもうとする人。エゴの強い人。仲間を裏切る人。謙虚さに欠ける人。悪口を言う人。
そういう人たちはみんな消えて行った。

結局、残っているのは「まっとうな人」だよ。」

そのまっとうな人という言葉。

とても重みを感じました。
当たり前のことを当たり前に出来ること。
当たり前に感謝出来ること。
人は肩書の前に人であるということ。

諸先輩方のその生き様を見ながら学ぶことが出来るこの環境に
心から有り難いと思うとともに、

自分の為だけでなく、自分の子どもたちの為だけではなく、
私に関わってくれた皆さんの為にも
「まっとうな人」になると心に決めた一日でした。

オルタナティブコンサルタント
 眞田海



「繋がり」

2010年9月 8日

こんにちは、眞田です。

今年は残暑が強く、年々地球のバランスが崩れてきているのではないかと
心配になります。

驚くほどの暑さの中、先日祖母と母親と我が家で出かける機会が在りました。
猛暑と高齢のため、祖母もあまり外に出かけることも出来ないため、
せっかくの夏なのでどこかに連れていけたらということでレンタカーを借りて
都内観光をしました。

景色を沢山見てもらえればと思い、助手席に祖母を乗せ、2列目に娘と家内。
3列目に母親という図式だったのですが、祖母は景色よりもひ孫(我が娘)のことが気になって
ずーっとひ孫に話しかけたり携帯を取り出したりと、観光というよりも車内での
ひ孫との触れ合う機会となってしまっていましたが、祖母が喜ぶ姿を見ることが出来るのは
本当に嬉しいことです。顔をしわしわにして、何度も何度もひ孫との嬉しかったこと、
夜眠れない時に携帯でひ孫の写真を見ていることなどを話す姿は、心を揺さぶり
何とも言えない気持ちになります。

人に喜んでもらいたい、心からの笑顔を見たいと思っても、実際にはとても難しい事だと思っています。
今まで祖母に心から喜んでもらえることが出来た機会があったかというと、
人生振り返っても数度しかありません。
反対に、悪いことや自分勝手なことをして悲しませたり悩ませたことは沢山ありますが。。。

祖母との関わりの中で数度しかない経験のうちの一度を今回体験できたことが
私にとっては何よりも嬉しかったのが今回の一番の思い出です。

人に喜ばれ必要とされ、頼られることが、こんなにも嬉しくて自信を与えてくれて
幸福を与えてくれるものだとは、正直なところ理解していませんでした。
きっと、自分は一人で生きていくことが出来ると勘違いしていた今までの人生の代償なのだと思います。

今、私が此処に居ることも何もかもは、両親や祖母、祖父、ご先祖様が居てくれてこそであり、
この目には見えない繋がりというものがあってこそなのだということ。
人は決して一人では生きていないということ。
自分自身の傲慢さがその繋がりを見えなくさせているのだと気付いた時、
ご縁というものを改めて考えさせられる機会となりました。

そんな中、東京観光を終えで午後に向かったのは祖母の姉妹の家でした。
お仏壇の前に立つとご先祖様方がいらっしゃり、ちいさい頃から沢山の思い出を
頂いた方々の遺影がそこには飾られていました。

直接もう話す事が出来ない事実を改めて感じる半面、遺影と会話している自分を思うと、
この世での繋がりは消えていくこともあれば、娘のように増えていくこともありますが、
ご縁というものはこの世もあの世も関係なく、繋がっているのだと感じさせられる瞬間となりました。

沢山の方々との繋がりを心を籠めて心眼で見ると、沢山の有り難い繋がりが見えてくるということを
祖母との関わり、親戚との関わりから学ばせて頂きましたが、娘が生まれてきてくれたからこそ、
こんな幸せが訪れているということを肝に銘じて過ごしていきたいと思います。


オルタナティブコンサルタント
 眞田海


「価値を求める」

2010年9月15日

こんにちは、眞田です。
台風9号が過ぎ去り、気温が下がったように思えるこの頃ですが、
それでも残暑は強く残っていますね。作物に大きな影響が無いことを祈っています。

最近ですが、自分自身の仕事の仕方を振り返る機会が多くあります。
仕事に対する姿勢として、価値のあるものを会社や他人に求めるのか、
それとも価値のあるものを自分の中に求めるのかということです。

カグヤという看板だけで仕事をしていたら、自分自身で責任を負うことは難しく、
結局は誰かに甘え、頼ることとなります。
働く姿勢からそうなってしまっていたら、組織は誰かに価値を求め、頼る組織となってしまう。

社員一人一人が自分自身の中に価値を求め、責任を背負う姿勢を以って仕事に臨むことが
大切なのだと気づく機会が多くあります。

自分が出来ることを最大限自分の中から見つけるということ。
これは一見苦しいように思いますが、産みの苦しみとでもいうのでしょうか、
見つけられた時の自己肯定感やお役に立てた時の喜びは、何事にも変えられることは出来ないものであることに
気づきます。

そうしていくことが、自分らしさを発揮させる大切な道であることを
仕事を通して学ばせて頂いているように思います。

日々、自分自身の限界点を壊し、新たな自分に生まれ変わる気持ちを以って、
生きていきたいと思います。

オルタナティブコンサルタント
 眞田海


「お神輿」

2010年9月29日

こんにちは、眞田です。
涼しくなったかと思えば、残暑厳しく。
気温の変化に体がついていけなくなる方もいらっしゃるのではないでしょうか。
まさに私自身、この季節の変わり目に今年は苦戦しております。
体調管理が出来れば、この季節の変わり目は本当に美しい光や風や香りを感じられますが、
体調が悪ければそういったことにも気づけずに、一生に一度しかないこの瞬間を逃してしまうことを考えると、悔やまれます。

先日ですが、家族で私の祖母の家に行ってきました。
祖母の家では今は、私の母、妹、弟が祖母と暮らしているのですが、
行くたびに、幼少の頃に祖母の家に行った時の様々な記憶が蘇ります。

祖母の家の向かいにある氷屋で買った、かき氷やお赤飯、おだんごの味。
斜め前のとうふ屋にお使いで買いに行った時のこと。
隣の隣のうなぎ屋さんの香ばしい匂い。
お祝いごとになると食べることができた、近くのお寿司屋さんのお寿司。
祖父が遊ばせてくれた金物達。

商店街の一角で金物屋を営んでいた祖父と祖母に、私は沢山の思い出を貰いました。

その中で、今回蘇った思い出は、「祭り」です。

祖母の家に行った理由は私の娘にお祭りの雰囲気を感じてもらう為でした。
小さな町内なのですが、さすがは江戸の下町。12の地区に分かれ、それぞれがお神輿、山車を出し合います。年輩の方から若者まで、多くの人々がお神輿を担ぎ、そしてその周りを取り巻いたものですし、私も法被を着て参加していた昔の日々が蘇ってきました。

しかし、久しぶりにその祭りに来てみると何とも閑散とした雰囲気が感じられました。
神社に行っても出店はぽつぽつと在るだけ。悲しくなるほど少なくなり、活気も無くなり、その代わりに神社ではなく商店街で町内会が予算を出した出店の方は人も集まり活気があります。
もはや、出店も補助が無くては成り立たなくなってきているのでしょうか。

同じように、お神輿も変化がありました。
昔はあんなにも多かった担ぎ手が今はもはや頼まれて担ぐというような状況に変わり果てています。
神様に感謝し、御旅所から御旅所へ神様をお連れする為のお神輿であるはずが、
今となっては、担ぎ手も少なくなり、担ぎ手の負担は多くなるという悪循環。
それでも、担ぐ人々の姿には、神様への感謝、
伝統や文化を大切にしていきたいと思う心が在ることに感動しました。

元々、生きることが今のように簡単ではなかった時代、
私たちは共に助け合い、共生して生きていたのだと思います。
また、自然と共に生き、自然の恩恵を受けて生活をしていたからこそ、
感謝の気持ちが大切にされ、どんなモノにも神は宿っているという、
ヤオヨロズの神の考えが大切にされていたのだと思います。
しかし、そういった自然や感謝、思いやりなど目に見えないものが蔑ろにされ、
近代化が進んだ私たちのこの町は
モノ以外のすべての事柄が貧しくなったように思います。
これが子どもたちに与える影響は非常に大きいと感じます。
生きていることへの感謝、生かされていることへの自覚。
お神輿からは沢山の学ぶ機会があると感じます。

私自身、今の家に引っ越してからは、お神輿が担がれるお祭りもない為に
担ぐことが無くなってしまいましたが、祖母が居るこの町内のお祭りで
担ぐことが出来れば、自分自身が身を以って
子どもに姿を見せていくことが出来るのではないかということで、
祖母の家の向かいにある氷屋さんのおばさんと話しました。

「来年から担いじゃいなよ!!いいよ、いいよ!奥さんも一緒に担いじゃいなよ!」

来年から夫婦で正式に参加させていただけること成りました。

私の為にも、家族の為にも、母や祖母にとって楽しい出来事がまた増えたこと、
本当に有り難く思います。



オルタナティブコンサルタント
 眞田海


「親と子」

2010年10月 8日

こんにちは、眞田です。

親となり一年が経とうとしています。
振り返ってもバタバタと初めてのことばかりで
大変かと思いきや、我が子の可愛さは大変さを
こうも簡単に振り払うものなのかと、驚いています。

まだまだ、子どもが小さいからこその、この思いなのかもしれませんし
家内にばかり負担をかけてしまっていることもあるのだと思いますが
少なくとも大変さに心を支配されることが今は無いことに有り難い思いでいっぱいです。

また、この一年を通して我が子を見ている中で大きく感謝する事実がありました。

我が子に対してどういう姿を見せて行けばよいのかということについて
考える機会はこの一年で毎日と言ってよいほど考えていたかと思います。

その中で、「こうあるべきだ」「大人としての正しい姿を見せるべきだ」
「子どもに守ってもらいたいと思うようなマナーや品格は自分自身が持ち、実践するべきだ」と
今の自分自身をより高めて行くことで子ども自然と伝わることが良いのではないかなどを
考えては、野菜を育てたり、手間をかけた料理を勉強したり、環境を考えた生活をしたりなどと
一つ一つ実践を増やしてきたつもりでした。

しかし、よくよく考えるとこれは全部、私の両親が当たり前にやっていたことでした。
自分自身が生きてきた中で経験させてくれたことがあったからこそ、今こうやって
実際に行動に移す事が容易に出来ていることを改めて感じます。

物事を大切だと思うということは、その大切さに気付ける心が元々あるからこそ思えるのだとすると、
ちいさい頃からそういった心を育ててくれた両親のお陰で今、芽を出しているのだと思います。

私はまだまだ、両親が私に向けている愛に気づけているわけではないですが、
今回気づけた事だけでも、どれ程愛されているのか、そして信じて見守ってくれているのかということを
実感しましたし、この実感することが出来るお陰で、
私の子どもにも同じようにしていくことが出来るきっかけをもらえた事に対して、
深く深く、感謝の気持ちが湧き出てきます。

吉田松陰さんが、「子が親を思う心よりも親が子を思う気持ちの方が強いのである」と仰っておりますが、
このご恩を返していく為にも頂いた人生を大切に生き、輝かせていくことを大切にしていきたいと思います。



オルタナティブコンサルタント
 眞田海


はしらのきず制度~おもてなし編~

2010年10月20日

こんにちは、眞田です。

青空のコントラストも淡さを見せ始め、風も心地よさが増しており、
空も風も本格的に秋の到来を知らせ初めてくれているように感じます。

今月の初めですが、弊社の制度の一つである「はしらのきず制度」
を使わせて頂く機会に恵まれました。
この制度は6歳になるまでの我が子の誕生日には、
会社を休み、一緒に一日を家族で過ごすという制度です。

初めての我が子の誕生日を家族で一緒に過ごす事が出来ることの
有り難さと、大切さ、そして素晴らしさを深く深く体験する一日となりました。

その日は、奇遇なことに家内の親友の結婚式でもあり家内は実家の長野県へ
向かわなければならないため、元々私の母親に休みを取ってもらい娘を見てもらうことを
考えていたのですが、はしらのきず制度のお陰で家族と私の母の4人で過ごす事が出来たことは
本当に有り難いことでした。

朝早くから車で軽井沢へ向かい、車中では娘が生まれてからの一年を振り返る思い出話で盛り上がり、
家内が結婚式に出席している間には、軽井沢にある星野リゾートの一角である「星のや」という旅館に
見学にお伺いする機会にも恵まれました。

この旅館は本当のホスピタリティとは何かというものを徹底して実践している旅館として有名で在り、
弊社でも愛読している致知出版の月刊誌にも特集されており、
様々な経営者の方々や社会人が尊敬して学んでいる旅館なのですが、
何のアポイントもなしに訪問しても大丈夫なのだろうかと思いながら、
ちょっとでも覗ければという思いで立ち寄らせていただきました。

そして、看板に導かれて辿り着いた先には駐車場ときれいなロッジがあるのみ。
間違えたのかと思い、車を止めようとすると丁寧に誘導して下さるスタッフの方が
いらっしゃり、旅館の場所を尋ねると此処は旅館の駐車場で旅館はここから車で
5分ほど行った所にあるとのこと。宿泊者はここに車を止め、旅館の送迎車で旅館まで
移動するようになっているとのことでした。

ここで母が一言、「ずいぶんと不便な旅館ね・・・。」
私も最初はそう思いました。

そして丁寧なご説明のもと旅館に辿り着き、
致知出版の記事を読んで感動したことや見学をさせて頂きたいことを
お伝えすると、ドアマンの方がまるで星野社長であるかのように自信と自負を持って
感謝の言葉を私たちに頂けました。また、それだけではなく特別に案内係をつけて頂き、
旅館のご説明をして頂けました。
その時のご説明の中で印象的だったのが、駐車場が離れている理由でした。
「お客さまに日常を離れてゆったりと過ごして頂きたい。その為には、車やコンビニなど
日常の便利なものは出来る限り排除したい。そしてその不便さを十分に補えるおもてなしを
私たちスタッフがさせて頂くことで、お客様にその価値を感じて頂きたいのです。」
というお言葉でした。

「星のや」の大切にしていることは、これやっています、こんな施設です、こんなお料理ですといった
看板で表現できるようなサービスではなく、お客様一人一人との一期一会のおもてなしの心。
それは、こちら(旅館)が用意している看板(サービス)ではなく、相手(お客様)が望んでいることに対して、
人として何が出来るのかという根源から考える、心の通ったホスピタリティなのだと学ばせて頂きました。
だからといって、決して相手の望むもの全てを叶えるのではなく、星のやの理念は忠実に守る。
ですので、お客様に日常を離れてゆったりとして頂くためにも、見学者はロビーより先には進むことが出来ないのですと
ご説明をされた時には見学を制限されたにも関わらず、妙に深く納得したと共に、反対にその方が星のやを深く案内して頂けたことに
気づかされる瞬間でした。

家族、友人、お客様、社員、子ども。人と人とが出逢い、何か言葉を交わす時に
大切なのは、
「何をやったか、どれだけやったかではなく、どれだけ心を籠めたか。」

これは、弊社代表が私に教えてくれた事です。
子育ても、仕事も、人生全てはどれだけ心を籠めたのかが大切なのだと
今回の星のやさんのおもてなしを受けて学ばせて頂く本当に有り難い機会となりました。

母親も説明を聞いて「納得、感動。」いつかお金を貯めて泊りに来ようと誓いました。

そうして、結婚式も終わり軽井沢の街で娘のお祝いをしました。
大人たちそれぞれから一言ずつメッセージを書き、真中に娘の手形をつけた
お皿を作り、東京では触れることが出来ない自然を共に体験し帰路につきました。

この話には続きがあるのですが、とても長くなってしまったので今回はここまでとさせて頂き、
また次回続きを綴らせていただければと思います。

オルタナティブコンサルタント
 眞田海



はしらのきず制度~家族の絆~

2010年10月29日

こんにちは、眞田です。

随分と肌寒くなりました。
朝夕の冷え込みが気になり、娘に布団を掛けますが
数分と持ちません。

前回の続きに成りますが、娘の誕生日に「はしらのきず制度」を
使わせて頂いたことについて綴りたいと思います。

子どもの誕生日に一緒に居られることの幸せは何事にも変えられる事のないものだということを
感じる日となったのは言うまでもありません。

妻は無添加の食材で子どもでも食べられるケーキを作ったり、
娘が大好きな犬の顔の料理を作ったり、好きなだけ手づかみで食べ散らかせるように
セッティングをしたりしてる傍ら、
私は部屋のデコレーションの為の風船を膨らませる作業に奮闘し、息が切れ、
風船を部屋のいたるところに紐でぶら下げようとして、足を踏み外し脛を強打する始末。

私の母は娘が大好きな愛犬ロビンを沢山の食材と共に我が家に連れて来てくれ、
妹も弟も娘の為にプレゼントを用意して祝いに来てくれました。

自分の誕生日ではなく、誰かの誕生日にここまで家族が一致団結したのは初めてであり
兄弟も母親も妻も、今までにないくらいにお互いが協力し合う機会となれた事は、
これから娘に見せる家族像としてまた一つ、良い家族に近づけているのではないかと嬉しくなりました。

子どものことを考え、子どもの為に私たち大人が一つのことを考える時、
大人同士の関わりでは見つけることが出来なかった絆や気持ちを共有できることを知り、
改めて「子ども主体」で生きることの豊かさと大切さを学ぶ機会となりました。

これからも、子どもを第一に考えることを何よりも大切に生きて行きたいと思います。

オルタナティブコンサルタント
 眞田海


「子どもから教えてもらうこと」

2010年11月10日

こんにちは、眞田です。

夏の暑さに慣れたと思った途端に、夏は過ぎ去ってしまい、
また今年も夏を捕まえ切れなかったと悔しがっては、
夏と同じくらい大好きな秋が毎年やってきます。

雲も空気も夕陽も木々も少しの寂しさを帯びたような美しさを感じます。
日本の四季のその侘びと寂を最も表現しているとすら感じてしまうその美しさに、
ふと立ち止まり、空を見上げ、木々を見つめ、深呼吸をすると
その侘びと寂にシンクロしたように感じられ、浄化されていく気持ちを得られるように思います。

そんな秋のある日、おばあちゃん’ずの誕生日会が開かれました。
私の祖母と、親戚のおばあちゃんは誕生日が一緒なのですが、
その二人の誕生日会を毎年恒例行事として親族集まり、この時期に行っています。

皆が集まり、私の叔父が音頭を取り、料理を振る舞っては
とても楽しい時間が過ぎ去っていきます。

親族皆が仲良く、そして人の幸せを喜び、人の節目を祝い合える環境を
私は今まで当たり前のように感じてきましたが、我が子を持ち初めてこういった場に出てみると、
親族と仲良く居ることがどれ程我が子にとって素晴らしい環境に成っているのかを実感しました。

もしこれが、つまらない自分のエゴや大人の事情で親族の仲が悪く、共に集まって喜びあえる環境が無かったら
我が子は親族というものをどう捉えるのだろうかと考えました。
また、我が子の成長に於いて、どれ程の影響を与えるのだろうかと考えました。

私の命も、娘の命も一度とて絶えることなく繋がってきたのはご先祖様が居るからであり、
その命や縁そのものの絆を見えなくさせてしまうということは、もはや命そのものに対する感謝の念を
私の娘が抱く機会を私が奪うことに繋がるのだと大きな危機感を感じました。

本当に、今こうやって生きていられることは有り難い事であることを、
言葉や学問で知るのではなく、身を持って体験し体感する環境を私は娘に残す責任があるのだと
初めて気づくことが出来たのは、やはり私にそういった機会を与え続けてくれていた
両親と娘のお陰で在ることを改めて感じます。

親という名を授かってまだ一年、きっとこれからもこういった沢山の豊かさを感じられるのだと思うと、
子育ては本当に人生の至宝であると心から感じています。


オルタナティブコンサルタント
 眞田海



「目を閉じる喜び」

2010年11月19日

こんにちは、眞田です。

スポーツの秋、食欲の秋、読書の秋など様々な楽しみ方がある秋ですが、
最近は目を患ったために、妄想にふけることが多くなりました。
たまにはこのように、目に頼らずに思いにふけるのも、秋の楽しみ方としては
素敵なのではないかと感じています。

病気も仕事も、どのように病気を直すのかという治療法や
どのように仕事を達成するのかというやり方など、そういった良い方法を
私は探そうとします。時には医者や上司の処方やアドバイス。
時には自分で調べて見つけたりしています。

しかし、同じ方法を行ったとしても結果が全く違う時があることに気づきます。

その中でも特に自分自身が最近確信を持っているのが、方法の問題ではなく
その本人が病気を直したい、仕事を成し遂げたいと本気で思っているかどうかということです。

当たり前の事のように感じますが、私は気がつくと良く、効率の良い方法や効果的な方法ばかりを見つけ、
そしてその方法に「これなら大丈夫」と責任を乗せようとしてしまいます。

方法と言うのは結局はツール(道具)であり、それを使おうとする自分自身の心が
本気でなければ、道具は責任を取ってはくれないということだと思います。

やはり私は気がつくと、効率的なものや便利なものに頼り過ぎて、責任までを
押し付けようと依存してしまいそうになる傾向があります。

子育ても、育児本や様々な考え方などがありますが、一番大切なのは
そこに依存するのではなく、子どもに対しての責任を自分自身が背負う事だと
最近つくづく感じます。
「~~に書いてあったから」「~~さんが言っていたから」ということばかりに依存するのではなく、
今、目の前に起きていることに真剣に向き合い本気で考えた上で自分の責任で諸先輩方のアドバイスを使わせて頂くという
そういった気持ちがなければ、本気で向き合ってその方法論に辿り着かれた諸先輩方と同じ目線や結果に繋がるわけも無いのだと
自分自身、反省させられるばかりです。

しかし、人間とは便利なもので、昨日の自分やいつかの自分と目を閉じれば心の中では何度でも出逢うことが出来ます。
そしてその日を振り返ることが出来ます。起きている時は目を開けているので様々な情報に溢れて
それに対応してしまうことの多い日々ですが、こうやって目を患ったお陰で、
目を閉じてはついさっきの自分や、あの頃の自分と再会することが出来、そして気付きを得ることが出来る。
本当は、もっともっと自分の中に余裕を持って振り返る時間を取らないと人生がもったいないように思います。

日々の喧噪のなかにも、思いにふける余裕を大切に作っていきたいと思います。


オルタナティブコンサルタント
 眞田海


「ゆとり」

2010年12月 1日

こんにちは、眞田です。

気が早いと思われるかもしれませんが、
最近の早朝はもう既に手袋が欲しいと思うほど、
風が体に沁みます。

私は昔から暑さには強いですが、寒さにはめっぽう弱く困っています。
寒い土地に居るのは好きですが、体がすぐに冷え固まってしまうので
普段から厚着を欠かせません。そんな訳でそろそろ手袋にマフラーの登場となりそうです。

しかし、そんな寒がりの私に相対して、子どもと言うのは本当にどこまでも天真爛漫で
太陽の様な存在なのだと、寒空の下で冷たい風もどこ吹く風と熱中して遊び続ける娘を見ていると思います。

また、最近は特に娘に助けられている事があるのですが、それは「お風呂」です。

仕事や日常が忙しくなるとお風呂に入れることが出来るにもかかわらず、
どうしてもそちらを優先してしまうことが多くありましたが、
最近は後でできる仕事は後回しにして、娘とのお風呂を最優先事項にしています。

実は、娘との時間が取れると言うことは、自分自身の心にゆとりを持つことが少しでも出来ているという表れであり、
娘とのお風呂の時間すらとることが出来ない日々の場合、ゆとりも無く、仕事の視野も狭く、
実際には本当に大切にしたい価値を守れていないことが多くあるのだと気づかされています。

自分自身の都合を優先しようとすると視野が狭くなりますが、
やはり、子どもを第一に考えられる心のゆとりを持とうとする事と言うのは、
とても大切なことだと改めて思います。

まだまだ、心のゆとりを持つことが苦手な自分自身ですが、
日々の実践の意味を深めて行きながらゆとりを持てるようになっていきたいと思います。


オルタナティブコンサルタント
 眞田海


「子育て環境」

2010年12月10日

こんにちは、眞田です。

もう師走。今年もあっという間に過ぎ去り、一年の締めくくりの月となりました。
毎年毎年が激動の年であるように感じますが、今年も例年と同じく激動の年で在るように感じます。
子ども達の為に出来ることは本当に限りなくあるのだと改めて今の世の中、社会を見渡すと感じるとともに、
その様な大人都合の社会にしてしまっている大人としての責任を自分自身が感じています。

私の娘、家内に対してもやはり思うことは大きいです。
都会のビル群の中でマンションの一室に娘と家内の二人だけの生活。
地域性も、子ども集団も、おじいちゃんおばあちゃんの手助けも無い環境の中、
出張で多く家を空けてしまう状態を考えると、本当に子どもにも家内にも負担をかけてしまっていると
改めて思います。

藤森先生の講演の中でもありましたが、日本人は元々農耕民族であり、
子どもを親だけが育てるのではなく、お隣さんやおじいちゃん、おばあちゃん、
裕福な家庭でなくともお手伝いさんなどが居たりと、多くの人手の中で育ててきた経緯があります。
それにお米屋さんやたたみ屋さん、酒屋さんなど様々な方々が家に来ていたものですよね。

そういった環境が無い中で保育園や幼稚園が担う意味とは本当に大きいと感じますし、
また同時に保育園や幼稚園に任せずに、私たち大人一人一人がどうしていくのかを考えて
行動に移していかなければならないと思います。

私自身も、今引っ越しを検討する中で私の親との同居を考えていたり、
今の地域での子育て仲間との繋がりを創り出したりなど出来ることを始めていますが、
もっともっと本当に子どもにとって良い行動を考えて実践していきたいと思います。


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 眞田海


「小さな農園が教えてくれること」

2010年12月21日

こんにちは、眞田です。
5月に撒いたブロッコリーがようやく収穫の時期を迎えました。
(少し育ち過ぎてしまいましたが。。。)
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収穫までの期間として良く言われるのが4か月ですが、このブロッコリーは7カ月かけてゆっくりと育ってくれました。
娘の離乳食に使っていますが、美味しそうに食べてくれるのを見ると、作った甲斐があるなと心から思えます。

元々、野菜を作り始めたきっかけは、自分の子どもに「食べ物を大切にしてほしい」という思いが生まれたことがきっかけであったことを思い出します。子どもに大切さを伝えるには、自分自身が大切にしていなければ伝えられないと考えましたが、それ以前にそもそも私は食物を育てたことも無かったので、その育てる事の大変さや命の営みを知りませんでした。家内は長野の農家の生まれの為に、そういったことを知識ではなく経験で身につけており、私だけ経験が無かったのでこれはいけないと一念発起して野菜作りを始めました。

種を中心とした環境作りは、子ども主体の保育に通じるところがあるのだという気付きを頂きました。
種はこちらの都合では芽を出してくれず、種が必要とする環境を用意しない限りは発芽してくれないことを体験すると、まさに今自分の目の前に居る娘に対しての自分のあり方が変わりました。私がどうしたい、どうなってほしいではなく、子どもがどうしたいのか、どうなりたいのかを大切にすることの意味を教えてくれたように思います。

また、植物は言葉を発しませんので、聞いても分かりません。
しかし、まずは植物には自ら育つ力があるということを信じる事から育てる事の素晴らしさが始まったことも事実です。そこを信じられるまでは、肥料をやったり、水を過度に与えたり、沢山の手を加えてはうまくいきませんでした。きっと、過干渉のようなものだったのかもしれません。
この様に信じる心を問われる機会、あるがままの生命の素晴らしさなど、一年でちいさなベランダ農園から沢山の学びを頂いたように思います。

この一つ一つの学びを子育てにも自分にも活かして、それぞれの個性をあるがままに発揮できるような自分自身でありたいと思いますし、この小さな農園も毎年の習慣にしていきたいと思います。
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オルタナティブコンサルタント
 眞田海


【育つことの豊かさ】

2011年1月 7日

あけましておめでとうございます。
新しい年の始まりは、いつ迎えても希望を持つことができ、
自分自身の人生をどのように生きるのかを改めて考えて原点を確認できる
大切な時期であることを実感します。
子ども達にとって最善の大人の姿に近づける様に精進していきたいと思います。
本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

娘の話になりますが、
私も娘の発達を見守るほいくソフトでチェックをつけています。
その中で最近、チェックをしていて改めて体感したことがあります。

親として娘を見ている中で
お座りが出来る様になったことや、ハイハイが出来る様になったという
現象として見える成長面はよく分かるのですが、
ソフトを使っているとそういった成長が
子どもの内面のどの様な発達と共に現れたのかが分かり、
改めて子どもの成長の深さというか、豊かさを感じられることが出来ました。

何かが出来る様になるということは、
その子の内面にいろいろな気づきや発達・興味関心があるからこそなのだということ。

その内面を知ることができることで、
子育ては驚くほどに豊かにより幸せになっていくのだと感じました。

そう考えると、保育士の方々が日々やられている保育の中で
見つけたその発達という観点からの育ちを保護者に伝えている行為は
今の保護者への大きな支援であり、幸せを共有する大切な機会であることを感じます。

まずは、私自身も娘の興味関心を途切れさせない親としての関わりを大事にしていきたい
と思います。


 オルタナティブコンサルタント
 眞田海


「タスキと歪なボール」

2011年1月19日

こんにちは、眞田です。

年明けを振り返りますと、新年はたくさんの感動と出会えたように思います。
特にスポーツの分野では、箱根駅伝や高校ラグビーを見て心が震えるほどに感動を頂きました。

チーム全員の思いを乗せてタスキはつなげられていきますが、駅伝を見ていると本当のチームとは、皆で一緒に同じことをやることではないのだと気づかされます。

一人一人が自分の役割を理解し、その区間を精いっぱいの力で走り抜けること。
仲間を信じ、仲間の為に自分と向き合い、弱音を吐かず、その区間を走り抜ける。
だからこそ、次の区間の仲間に「頼んだぞ!」とタスキを渡すことができる。

その姿を見て、本当のチームとは責任という自分が走る区間があり、そのそれぞれが持つ区間が目標まで続いていることが大切なのではないかと思いました。
決して同じ区間を皆で走ることではないのではないかと感じるようになりました。

志は同じものを持てても、人は皆それぞれ違うのだからこそ全く同じ道を歩むことはでき
ない。
道は一人で歩まなければならないからこそ、道を走り切れるための練習や事前準備、方向性の確認がチームには大事なのだと気づかされます。

タスキがあの歪な形のボールに変わるだけで、
ラグビーもまた然りなのだと気づかされます。

組織・チームにおいてなぜ責任や役割が必要なのか。
なぜ事前準備が必要なのか。
当たり前のことなのかとは思いますが、その大切な部分を
本気で一つの大きな夢に向かって助け合う人々の姿から
学んだ新年になりました。

本年もどうぞよろしくお願いします。


オルタナティブコンサルタント
 眞田海



【働くことへの自覚】

2011年1月28日

こんにちは、眞田です。
新年が始まり、ひとときが過ぎました。
無駄に今までの当たり前という名の刷り込みに戻らないように
新年というタイミングを大切にしていきたいと思います。

最近ですが、近所でずっと気になっていたお店に行く機会がありました。
それは、有名な芸人さんがやられている居酒屋さんです。
出来て一年ほどですが、近所ではすごく評判でした。

しかし、私は自分自身が随分と天邪鬼だと思うきっかけともなりましたが、
そうやって近所での評判を聞いては

「芸人さんの名前を使って評判を得ているのだろう」

と考えては、行く機会を失っていました。

私の中での先入観が邪魔をしていました。
しかし、行かずして、見ずしてそういった判断をすることが
本当にいいことなのかと考えたときに、やはり一度自分の目で見て
判断しようということで、意を決して訪問してみることにしました。

私と家内と子どもとで行く、初めての居酒屋さんという機会ともなりましたが、
子どものお風呂もある為に開店間もない時間に伺えるよう予約の連絡を入れたのですが、その時点から、その店のホスピタリティを感じることが出来、訪問して料理や接待を受けると、今までに行ったことがある居酒屋とは一線を画する居酒屋であることを実感しました。

従業員一人一人が心から仕事をしており、マニュアルではなく、今目の前にいるお客さんに何ができるのかを考えて接している姿。また、たまたまなのかはわかりませんが、オーナーであるその芸人さんも店にいたのですが、奥にいるでもなく常にお客さんと接しているその姿からも、明らかにお店がおもてなしを大切にされている様子が見られました。

伺うと、この店はそのお笑い芸人さんが若手の食べていけない芸人さんたちが働くことが出来る様に作られた要素もあり、利益というよりもその後輩たちの為に作られた店ともいえるお話でした。

そこで合点が行くのが、従業員の若手芸人さんの働き方でした。
自分が尊敬する人が、自分たちの為に働く環境を用意してくれていると自覚して
心から感謝して働いている。

その自覚が、店をおもてなしにあふれる店に変えているように感じました。
また、料理も一つ一つが丁寧でおいしいことにも驚かされました。

その姿を見たとき、これは実はどんな組織にも言えることなのだと実感しました。

自分が働きたいと思った組織、そこのトップにいる人がどれだけの苦労でどれほどの思いでそこに働く人たちへの環境を用意してくれているのか。

それを、働いている人間が自覚しているのか。
それとも自覚せず、環境に文句を言い、不満を垂らしているのか。

何て人間の幸せとはシンプルなのだろうと感じさせられる瞬間でした。

すべては自分のその受け取り方であり、自覚で決められる。

物事を人の所為にすればそれはいつまでもある意味で不幸なのではないかとすら感じてしまう瞬間でした。

仕事とは、形はともあれ、やはり自分以外の人の為に行うことが大切なのだと改めて感じさせられる機会となりました。

これからも、子どもを連れていくことはなかなか出来ませんが、
この出会いを大切にしていきたいと思います。
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オルタナティブコンサルタント
 眞田海


「病が教えてくれること」

2011年2月 8日

こんにちは、眞田です。

全国各地で自然が猛威を振っています。
噴火や大雪などに始まり、鳥インフルエンザなど
自然界ではそのほかにもたくさんのことが起こりますが、
避けることが出来ない、そういった事象を見ては、
人間は自然界の中で生かされているのだということを実感します。

先日、私自身が病を患ったときにも
同じように自然の存在を感じることがありました。
酷い熱で魘されて動くことも出来ず、
何もできない様に思いながらも、
意思とは関係なく、
体は自然界のウィルスや菌と共存し、新しい免疫を作り
自然に同化させて回復させていきます。

私の意思にかかわらず、
60兆という細胞がコントロールされ
驚くほどの奇跡のような確率で
私は命を自然界に維持されているという
何か絶対的なものに触れている感覚に陥りました。

金魚鉢で泳ぐ金魚が
その水の存在や有難さに気付かないように

私も、自然の存在や有難さに
気付いていないことを自覚しました。

今目の前にある全ての物事に対して、
その存在や有難さに気付こうとする努力があれば、
いつかはそれが広がり、

環境破壊や汚染だけに留まらず、
教育問題や社会問題、戦争など

全ての物事が平和に解決されるように感じます。

病が教えてくれた大切な気づきを
思い出に留めずに、日々の行動に
移していきたいと思います。

オルタナティブコンサルタント
 眞田海


「芽吹き」

2011年2月17日

こんにちは、眞田です。

2月も終わりを迎え、そろそろ暖かさがそこまで来ているように思います。

植物も雪の下や土の中で芽を出そうとしているのだと思いますが、
我が家でも、新たな芽吹きが感じられています。

ここ数週間ほどですが、我が家では娘が昼間の天使ぶりとは打って変わって
夜になると夜泣きをくり返しています。

一晩中、繰り返し大声で泣き続ける姿を見ていると、
心が色々と一杯になっていくのが分かります。

どうするのがいいのかと正解を探し

どうしたらいいのかと途方に暮れる。

育児書やインターネットで検索したりとしながらも、
日々の寝不足でお互いの心が一杯になってしまっていくのを感じていました。

しかし、心が一杯になり溢れたときに芽が出たように思います。

育児書やインターネットで答えを探すよりも、
答えは今この家族の中にあるのだと自然に理解しました。

外に答えを求めるということは本質的には自分自身が変わろうとするのではなく、
変わらなくても問題を解決出来る様にしようとしていることのように感じます。

大切なのは自分たちが解決するのだという強い家族の絆を持つこと。
そして、お互いの能力を認め合い、最大限に協力する心を持つこと。

そういうものがあってこそ、外にある知識や経験を学びに行くことの
大切さに気付けるのだと実感する機会となりました。


こうやって少しずつ、娘に私達夫婦は育てられているのだと
笑い事ではなく実感する日々を経験していますが
私も年齢だけは大人の年齢ですが、果たして自分自身の人格を
振り返ると、大人として練れているのだろうかと疑問に思います。

コミュニケーション能力や問題解決能力など、
保育の世界でなぜ大切にされてきているのかを
身をもって体験しているように感じます。

まずは、家族のためにも自分を修養することに努めたいと思います。


オルタナティブコンサルタント
 眞田海


「心使い」

2011年2月25日

こんにちは、眞田です。
もうすぐ春ですね。

明治の食養家で食育の父とも言われる石塚左玄はこんな道歌を残しています。

「春苦味、夏は酢の物、秋辛味、冬は油と合点して食え」

春は苦いものを食べ冬の間に蓄えられた脂肪をやわらげ、
夏は酢の物で食欲を増進させ、秋の辛みは夏場に緩んだ体に刺激をあたえ、
いよいよ来たらん冬には皮下脂肪を蓄えなければならないので油分の多いものを。
というように四季のめぐりに応じて食べるものを変えなさいという知恵を教えてくれています。

というわけで、遠回りしてしまいましたが
春の山菜を食べるのが楽しみな最近です。

話は変わりますが先日出張先での昼食で何とも心に響き、考えさせられることがありました。

何の変哲もない食堂にて昼食を頼み、前払いのお会計を済ます際のこと。

お釣りを頂く際に店員さんがしてくれた動作が素晴らしかったのです。

右手でしっかりと私の手のひらにお釣りを乗せ、
そして万が一でも落ちないようにと、
本当にそっと、左手で私の手を下から支えるその姿とその動作の自然さに
私は感動してしまいました。

文章で表現することが難しいので諦めますが、
今までにもらったお釣りの中でもダントツの心使いの自然さと美しさを感じました。

しばらくお釣りを頂いてから立ち尽くしてしまう程でした。

お釣りを渡す動作ひとつで、
こんなにも人に心使いの心地よさと有難さを伝えることが出来る人がいる。

お会計のレジは行列です。
しかし一人一人のお客に丁寧にお釣りを渡すその仕草に、
私はおもてなしのプロフェッショナルを見たように思います。

お店のファンづくりとは、食事の味だけではなく全ての動作から作ることが出来るのだということを
自身で体験できたことは、自分自身の仕事にも繋がる大切な気づきを頂けた瞬間でした。

またもし、この土地に出張に来ることが出来たのならば、
いくらおいしい店があろうと、どうしてもそこに通いたい。
そう思えるお店に出会うことが出来たのは、やはり思い返せば
あのレジの店員さんのお蔭です。

自身が働くこのカグヤでも、私がその様に誰かに感じて頂けるようになりたい。

いつも自分の精いっぱいの心づかいを自然に楽しくやっていきたいと思います。

オルタナティブコンサルタント
 眞田海


「言葉と言霊」

2011年3月 7日

こんにちは、眞田です。

暖かさと寒さが交互にやってくる季節ですが、
この独特の季節のリズムも日本ならではなのだと思うと、
なんだかこの不安定で曖昧な瞬間を楽しめるように感じます。

ここ最近は子どもの夜泣きが驚くほど連日続き、
家内は特に参ってしまっていましたが、
先日、ふと家内が言った言葉が印象的でした。

なぜこんなに泣いて起きるのか、
なぜ寝てくれないのかとばかり考えていた家内ですが、
ふと昨日、なんだかすっきりした顔をして

「これだけ泣いて自分のことを表現できるのってこの子の特技だよね」

と私に伝えてくれました。

その言葉を聞いて、私はとても色々なものを受け取ったように思います。

以前からも、夜泣きは個性、夜泣きは個性と言葉では言っていましたし、
甘えてくれるのは、信頼してくれているからだよね!とも言葉には出していましたが、

家内を見ていると、それは自分を元気づける為の
栄養剤のような使い方をしていたように感じていたのですが、

その時の言葉には

全てを受け入れたことが伝わってくると同時に、
言葉だけではなく、家内の子どもに対する姿勢自体が
変わっていることも伝わってきました。

言葉は誰でも発することはできますが、
言霊は自分が何かを乗り越えて悟った分だけしか
発することはできないのではないだろうかと思った瞬間でした。

いつもいつも、何とか泣かない方法を見つけようと
あれやこれややってきた家内ですが、
そういう結果よりも、
まるごと子どもを受け入れる
自分の姿勢の方が大切なのだということを、
理論や言葉ではなく自分自身の姿から見せてくれたことに、
私はとても嬉しくなり、また有難くなりました。

私も家内を見習い、自分のその姿勢を正していきたいと思います。

オルタナティブコンサルタント
 眞田海


「臆病な大人」

2011年3月17日

こんにちは、眞田です。

最近、娘が家内をママと呼ぶようになりました。
私のこともいつかはパパと呼ぶのでしょうか。
お父さんと呼んでくれたら本望なのですが、
なんと呼ばれても、顔が崩れるのが目に見えて予想される今日この頃です。

我が家では一度もママという呼び方もしていませんでしたが、
やはりお友達や友達のお母さんなど娘の周りの環境を踏まえて見ると、
お友達がママと呼んでいる姿をじーっと見ている娘が居ます。

それを見て、小さくママとつぶやき、家内の方を見る娘を見た時には
この子の心の中ではどんな奇跡が起きているのだろうかと驚くばかりでした。

毎日のように転んで頭をぶつけても、毎日のように眠ることに恐怖して泣いても
子どもは驚くほどに昨日の自分を乗り越えて成長し続けていきます。
そして、自分の成長を何よりも楽しんで味わっている様子がうかがえます。

それに相反して

私は出来ないことに対して挑戦することに恐怖や不安を覚えます。

転んで頭をぶつけることもありません。
今日が終わることも恐れず、当たり前のように明日が来ると思っています。
泣いて悔しがるほどに一日一日を生きていません。

経験が邪魔をしているのだと思います。

もっと、転んでもいいし、泣いてもいい。
人生を子ども心と探究心で謳歌して、成長の喜びを噛みしめていきたい。

子どもから教えられることばかりですが,
共に成長し喜びをかみしめる姿を共有することを大切にしていきたいと思います。

オルタナティブコンサルタント
 眞田海


「ゆとり」

2011年3月28日

こんにちは、眞田です。

東日本大震災で被害に見舞われております
皆様に謹んでお見舞いを申し上げます。

唐突ですが先日、ひとつ大事な間違いをしました。
地震や原発などについてや、様々なことが丁度折り重なって
自分自身に随分と余裕がなくなっている一日があったのですが、
その時に、ゆとりを取り戻そうとコーヒーを淹れることにしました。
コーヒーを入れることは会社として大事にしている実践です。
皆のことを思い、豆を煎り、豆のことを思い丁度良い加減でおろし、冷まし、
挽いて、丁寧に淹れていきます。
もちろん、カップもコーヒーが覚めないように、
美味しく皆が飲んでくれるように、しっかりと温めます。


しかし、余裕のない私は、大事なその心をすべて置き去りにして
工程も気づけば無視をして、分量までも間違えてしまいました。

作り終えて自分自身、ハッとします。

何をやりたかったのか。

どうやら私は、コーヒーを淹れるという動作でなんとか自分の心のゆとりを
取り戻そうとしたのでした。

しかし、心のゆとりは、結局のところ心なので動作に「心」が伴っていないと
生まれてこない。

私は完全に動作に依存してしまいました。
結果、皆が大事にしている価値やゆとりを守ることが出来ませんでした。

心にゆとりが無いときこそ、心を動かし、心で行動しなければ、
ゆとりは生まれないのだということを、学ばせて頂く機会となりました。

決して動作的にならずに、心を使う工程を大切にしていきたいと思います。

オルタナティブコンサルタント
 眞田海


「使命」

2011年4月 6日

この度は未曽有の大震災に見舞われました被災地の皆様に心からのお見舞いを申し上げます。

この震災は私たち日本人に今、大きな課題を投げかけているように感じます。

経済合理性や、利便性を追求してきた競争社会に対して、
如何に共存して助け合っていく社会を作っていけるのかということを
投げかけているように感じます。

そのためには、子どものころから、
お互いが助け合う関係性の中で育っていく必要があると思います。

また、助け合うということは、お互いの個性、長所、短所といった違いを
受け入れあう環境が必要であることを感じます。

今の子どもの姿が日本の未来の社会の縮図なのだと考えると、
私たちが関わる仕事のその責任を感じます。

今自分が出来る事の中で、いかに復興に貢献していけるのかを考えたとき、
子ども主体の保育をこの日本に広めていくことを自分の使命のように感じます。

今私が出来ることを、もっともっと深く考えて行動していきたいと思います。


オルタナティブコンサルタント
 眞田海


「大人」

2011年4月14日

こんにちは、眞田です。

最近、一歳を過ぎた娘を見ていると私や家内が娘にしてあげていることを
同じように娘が私たちに良くします。

食べ物を私や家内に食べさせようとするのですが、
それを見ているとなんて思いやりのある優しい子どもなんだ!
と思ってしまいますが、先日の藤森先生の講演でもあったのですが、
それは自分がされていることを自分でやってみると
どんな気持ちなのかということを知る為の行動であり、
人間の脳内で起こるミラーニューロンの作用、役割交代であるとも
言われているというお話を聞いたことを思い出しました。

自分がやられたことを自分がやってみる。
それは、良いことも悪いこともすべてそのまま
親から子どもに受け継がれることを意味するのだと改めて感じます。

親がモノの扱いを乱暴にしていれば、子どもも同じように扱い、
親が思いやりに欠ける行動をとっていれば、子どもも同じようになっていく。

この時期、親と接することが子どもにとっての発達を促す環境の大部分であることを
考えると、子どものことを思えば思うほど、自分自身がどうあるべきなのかを
問われていることに気づきます。

見守ることや、環境を用意することは、方法論ではなく、自分自身の在り方が大切なのだと
改めて感じます。

自分自身がまずは自律し、大人となり、自分らしく輝いた楽しい人生を存分に満喫していくこと。
そこを大切にしていきたいと思います。

オルタナティブコンサルタント
 眞田海


梅とお酒

2011年4月22日

こんにちは、眞田です。

ついに春もやって参りましたね。

家内の実家からは、春の野草を送って頂きましたし、
祖母からは土筆の佃煮を戴きました。

そして、土筆においてはクルー全員で土筆狩りに行き、
沢山の春の芽吹きを感じることが出来ました。

家族でも土筆取りに出かけましたが、私が必死になって土筆を取っている姿を見て、
1歳半の娘が真似をし、見事に土筆を取って私に一生懸命渡してくれる姿に、
親としての感動を覚えた瞬間でした。
まさに、命を感じる季節です。

そして、これから5月を迎えますがこの時期になると
既に私の中では梅酒作りのことが段取りとして入ってきます。

「梅は三毒(水の毒、血の毒、食べ物の毒)を断ち、その日の難をのがれる」

と言われるように、朝に梅干しを食べておくと、
その日一日は災厄から身を守り、病気になることもない、

というような意味で僧侶たちは毎日梅干しを食べていたと言われています。

私の父も、毎年梅干を大量に作っていたので食卓にはいつも自家製の
途轍もなく塩っ辛くて酸っぱい梅干が置かれていました。

何かにつけては梅干を食べさせられた記憶がありますが、
効能を調べてみると、

「ウメの基本的な効能としては、食中毒や細菌性による下痢などに効く抗菌作用、
水虫などの真菌(カビ)を殺す作用、食物アレルギーや急性ジンマ疹に効果を発揮する
抗アレルギー作用などが知られています。 
また、特に慢性の下痢、嘔吐、胸やけ、食欲不振に有効で、広く胃腸病全般に応用されています。
さらに、体力増強、疲労回復、慢性のせき、微熱にも応用されて効果を上げています。」

江戸時代は旅路には欠かせない薬だったようです。

そして、梅酒もまた体に良いと言います。
梅の効能に、酒の効能が合うのでしょうか。

うんちくが過ぎましたが、自家製の梅酒を作る一番の理由は
市販の出来合いでは決して味わうことが出来ない、「育つ」感動と
旨味を味わえることに尽きます。

その年の梅と、その時に一番好きなお酒。
その二つが織り成す味わいは、年数を重ねるごとに変化していき、
楽しみを増やしてくれます。

今年は、どんな梅にしようか、どんなお酒にしようか、
どんな配合で作ろうか、どれだけ最初に寝かせようか。

こうやって、去年の梅酒を呑みながら
空想している時期が一番楽しいのかもしれません。


オルタナティブコンサルタント
 眞田海


「アースデイ」

2011年5月 6日

こんにちは、眞田です。
日差しが少しずつ強まり、夏が彼方から顔を覗き込んでいる様子が
伺えるようになってきました。
そんな4月24日、日曜日のことを今回は綴りたいと思います。

代々木公園で行われていた
EARTHDAY TOKYO 2011に家族で参加してきました。
今年は、東日本大震災ということもあり、
例年とは違った危機感と問題意識の高いブースが多く立ち並び、
被災地の現状や原発に対する多くの意見、主張が発信されており、
参加者達の姿も例年とは少し違って見えました。

エコやロハスをファッションや流行ではなく、
自分の生き方として本気で考える発信者と受信者の姿が多く見られ、
今私たちは、エネルギーシフトをしていく大きなチャンスに巡り合って
いるのだと実感しました。

まさに有事は人を試しており、震災からの復興の方向性を時代は
私たち大人に返答を迫っているのだと思います。

自分たちの代で責任を負えないものばかりを増やし、
次世代に引き継いでいく生き方からの脱却が今必要とされているように感じます。

タイムリーな話題の一つとして、
アースデイの翌日に環境省が発表した調査結果がありますが、
国内で自然エネルギーを導入した場合、どの程度の発電量が見込めるのかを試算した
内容なのですが、風力発電の普及できる余地が非常に高く、
稼働率を低く見積もっても最大で原発40基分の
発電量が見込める結果となったと書かれています。
東北地方だけでも原発3~11基分が賄える計算です。

また、ソーラーエネルギーについても、東大の研究者とシャープが
太陽電池の変換効率を従来の20パーセントから75パーセント以上にしていける
構造を解明し話題となっています。

技術的な課題はまだありますが、技術革新は日本の得意な分野だと思います。

電気自動車も夢かと思われていたものが今や形になる時代です。
原子力に費やす予算を、こういった研究に回していくことが、
私達大人としての責務のようにも感じます。

自然と共生する道を選ぶのか、経済を優先して不自然を選ぶのか。

今ではなく、この先の子どもたちを見据えたとき、
どちらが本当の豊かさであり、幸せであるのか。

多くのことを家族で考える大事な一日となりました。

オルタナティブコンサルタント
真田 海


「まなざし」

2011年5月16日

こんにちは、眞田です。

空気が湿気を帯びる季節になってきました。

梅雨はわりと苦手ですが、梅雨明けのあの清々しさは
梅雨が無ければ味わうことが出来ないのだと思うと、
やはり日本の四季を丸ごと愛する気持ちが湧いてきます。

すると、梅雨の鬱蒼とした空気や、しとしとと降る雨にも、
大地の恵みと感じられたり、恵みの雨と感じられたりと、
随分と自分の「まなざし」によって見ている風景や
価値観が変わってくることに気付きます。

この「まなざし」はとても大切であることを
最近よく感じます。

ゴールデンウィークに妻の実家に数日滞在した時の事。

妻の実家は長野の蓼科にあり、リンゴ畑に囲まれた農村なのですが、
そこにはGWやお盆になると、家内の姉さんや兄さん、おばあちゃん、両親、
そして、姉さんたちの子ども達と大人数が集まります。

子ども達はいつも大騒ぎですが、私も大騒ぎです。

何しろ、こんなにリンゴ畑が広がった壮大な自然の中にいるわけですから、
もう歩き回りたくてたまりません。

なので、朝起きては近くの山を登りに行ったり、
リンゴ畑の丘を歩き回ったりとしていました。

しかし、私以外の大人はだれもしません。
そんなの、大変だ。面倒だ。
地元で当たり前なので、ワクワクもしないわけです。

ですので、子どもからは私と散歩に行くととても楽しいと言われます。

私のまなざしが伝わるのだと感じます。

良く、人に感動を伝えるにはどうしたらよいのかという問いに対して、
あなたが感動することだという答えがありますが、まさにその通りだと感じました。

それと同時に、普段の自分自身のまなざしを考えさせられる機会にもなりました。

私と家内では明らかに「食器洗い」に対するまなざしが違います。

私はあまり楽しそうなまなざしを持っていないですが、家内は楽しそうです。

反対に、お風呂の排水溝や換気扇に対するまなざしは私はとても楽しそうですが、
家内はとても辛そうです。

こういったように、仕事に対してや、困難に対して、すべてのことに対して
人は沢山のまなざしを持っているのだと思うと、
子どもの前では、やはり前向きな、楽しんだまなざしを多く持った自分
でありたいと思います。

それと同時に、夫婦であればお互いがそれぞれ、よいまなざしで補い合う
ことが出来ることを感じます。本当に有難いことです。

まずは今度、お風呂の排水溝の掃除を娘ときゃーきゃー言いながら、
楽しんでみたいと思います。

オルタナコンサルタント
真田 海


「一緒に並んで歩くこと」

2011年5月24日

こんにちは、眞田です。

最近は随分と暖かくなり、外を散歩するのも楽しい季節です。
というわけで最近、休日は家族で散歩をよく出かけています。

先日は駒沢公園をぐるりと回り、松陰神社までゆっくりと3時間ほど掛けて散歩をしました。
目的地まで「移動」する手段としての「歩く」とは違い、散歩は辿り着くまでのその過程自体が
目的そのものであることを改めて感じます。

ゆっくりと自分たちの歩調に合わせて周りを見渡すと、沢山の物事が見えてくるようにも思いますし、
沢山の楽しい出来事が降ってくるようの思います。この歩調を合わせるという事がなんだかとても
大切なように感じました。

歩調は周りを思いやらなくては合うことはありません。
思いやりがお互いに通じあった状態だからこそ、ゆとりが生まれ、喜びや感謝や楽しみが
生まれる様に思います。

自分の力で立ち、自分の力で歩き、お互いの歩調を合わせる事。
中々、日々の中で大切に出来ていないことが多いですが今、私自身が大切にしたいと思う大きな、
大きな課題であり、楽しみでもあります。

オルタナティブコンサルタント
真田海

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「自分にしかできないこと」

2011年6月 1日

こんにちは、眞田です。
ついに関東も梅雨入りしました。恵みの雨が大地に降り注ぐ季節ですが、
今年は放射能のことなどもあり、いろいろと危惧することが多いように思います。


最近ですが、自分自身のテーマとして「自分にしかできないことをする」
をテーマとして掲げているのですが、どんなことが自分にしかできないのだろうと
思うと、毎日自分がやっている行動すべてが自分にしかできないものに
変えられるのではないかと感じる様になってきました。


仲間があっての自分であることを自覚すると、自分が行動することが
仲間のどういった部分の手助けとなり得るか、ということや、会社の
どういった部分に貢献できるのかと、そういうことを仲間、会社と共有して
から進めれば、自分が行動することはすべて
「自分にしかできないこと」になるのではないかと思います。


会社、仲間とも目的や役割を共有せずに、行き当たりばったりで
仕事をしていたり、頼まれたことを頼まれたとおりにしているだけでは
中々「自分にしかできないこと」には、ならないのではないかと感じています。
そういった、小さな気付きを積み重ねて行きたいと思います。


オルタナティブコンサルタント
真田海


「自然に触れる」

2011年6月10日

こんにちは、眞田です。
梅雨に入ると、時折訪れる晴天の日の有難さが良く分かって
良い季節だと感じます。

梅雨の語源を調べてみますと、中国から伝わったものであることが
分かります。

「梅の実が熟す頃に降る雨」という意味で、中国の長江流域では、
「梅雨(ばいう)」と呼んでいたという説。

「黴(カビ)が生えやすい時期の雨」という意味で、
「黴雨(ばいう)」と呼んでいたが、カビでは語感が良くないので
同じ読みで季節に合った「梅」の字を使い「梅雨」になったという説。


その他諸説あるようですが、私はどうも前説の梅の実が熟すころに降る雨
という印象が強いです。

私は梅雨が来ると思うと、梅酒作りのことを思ってしまいます。

小さいころの記憶を辿ると、面白いことに気付くのですが、
私の友達の家は、各家庭で梅酒を作っていたことを記憶しています。
また、ある友人の家庭では梅ジュース(アルコールのないもの)も作っていて、
それがおやつに出てくるのが何よりもご馳走だと感じていたことを思い出します。

というわけで、今年も梅酒作りの季節です。

人間だって自然界の一部。
そうであれば、やはり自然のリズムと一緒に生きることが
健康で、幸せで、人生を豊かに楽しめるように感じます。

季節を感じ、季節のものを自分たちで作り、それを美味しく頂くこと。

そうやっていくことで、自然の循環の中に戻っていける様に思います。

美味しい梅酒を作ることが大切なのではなくて、
自然と共に生きるという事の意味を感じることを大切にしていきたい。

子ども達にとって、山に行くことや海に行くことだけが
自然に触れるという意味ではないのだと改めて感じます。

子ども達の為にも、自然の循環を表す行事、習慣、風習を
自分自身がまずは学んでいきたいと思います。

オルタナティブコンサルタント
真田海


「梅酒作り」

2011年6月21日

こんにちは、眞田です。
前回のブログでも書きましたが、丁度梅酒作りの季節という事もあり、
休日を使って梅酒作りをしました。

とはいっても、梅酒作りはとても簡単で、
大した工程があるわけではないのですが、
昔、父がやっていたものを思い出してちょっと、
時間を掛けて作ってみました。

梅のヘタを取って洗い、水気を取り、
保存する瓶も洗って、水気を取る。
そして、容器の中に入れてつけていくのですが、
今年はその水気取りを、布でふき取るのではなく
天日干しで行うことにしました。

手間も時間もかかる作業ですが、太陽の光や自然の風の中で
水気を飛ばすことで、カビが発生する可能性がぐっと低くなるようです。

ベランダに新聞紙を敷いてその上に一つ一つ梅干を
丁寧に置いていく作業をしていると、
隣で1歳8か月になった娘が
置かれた梅干を丁寧に溝へ転がしていきます。
私がしていることを楽しそうに興味を持って、
近づき、転がしたり、匂いを嗅いだりしています。

お蔭で一部の梅干は傷ついてしまったので、傷ついた梅干と
そうでない梅干と2種類の梅酒を作ることにしました。

私自身、そのような作り方は初めてなので
味の違いを学ぶことが出来るきっかけとなりました。
娘のお蔭で今後も色々と学ぶ機会が増えるのだと思うと有難いですね。

こういったことも、継続していくことが大事なのだと感じます。
毎年の気候の変化、自分自身の変化、様々なことを継続することで
感じることが出来ます。そして、自然を少しずつ学んでいくのだと思います。

そういった、自然を学ぶことが出来る習慣を、
今後も大切にしていきたいと思います。

オルタナティブコンサルタント
真田海


「避難訓練」

2011年6月30日

こんにちは、眞田です。
梅雨も深まり、湿度と気温も高まって参りましたね。
扇風機の活躍の機会が多くなってくるのだと思いますが、
直接風を当てると風邪を引いてしまうので空気の通り道を
作ったり、壁に当てるなど工夫が必要ですね。


何か、扇風機の良い活用方法など在りましたら、
是非ともお知らせ下さい。


先日、会社の代表として防災訓練を受ける機会を頂きました。


今回の震災を受けて感じたのは、自分の命を守れなければ、
家族の命、周りの人の命を守ることは出来ないという事でした。


皆がそれぞれ、まずは自分の身の安全を確保する行動を知っていること。
そして、周りの皆を助けるための行動を知っていること。
それが大切なのだと感じます。


防災訓練では、ビルの避難経路の確認とシュミレーションを行い
その後に、要救護者への意識確認から協力者・救急車の要請、気道確保、
AED(自動体外式除細動器)の取り扱いなど、救急隊が来るまでの
一連の行動を学ぶ機会を頂きました。


それまで、AEDの使い方なども全く分からなかった私は今回の訓練のお蔭で、
大人用、子ども用の使い方などしっかりと学べたことは、カグヤクルーとしてまた、
家族を守るものとして大きな自信へと繋がりました。


この学びを会社、家庭に還元していきたいと思います。

オルタナティブコンサルタント
真田海


「梅干作り」

2011年7月11日

こんにちは、眞田です。
今年の梅雨明けのことを考える時期となりました。
すでに沖縄や九州の一部では例年よりも1~2週間ほど梅雨明けが
早まっているのを見ますと、関東は7月10日前後になってくるのでしょうか。

特に今年は梅雨明けの時期が気になります。
その理由は下の写真です

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ただ今仕込中の梅干です。
梅干は古くは平安時代には村上天皇が梅干しと昆布茶で病を治したという
言い伝えが残っているほどに日本人の健康を身近に守ってきた健康食品です。


しかし、梅干は干さないと梅干になりません。
晴天が続く時を見計らって「土用干し」をしなければならないので
梅雨明けが気になって仕方がありません。

梅干を作ることになった経緯ですが最近は娘も大きくなり、
いろいろなものを食べる様になりました。


娘の好物に梅干があるのですが、市販されているものを見ると添加物ばかり。
体に良い食べ物のはずが継続的に食べ続けると体に悪い影響を与えるものが
入っていることを見て、驚きました。

梅干なんて梅と塩と紫蘇があれば出来るのに。
そう思った瞬間に、これは家族で梅干を作るよい機会を頂いたと思いました。


家内は「え~?おばあちゃんでも作るのは難しいって言っていたよ!」と
作れるとは思ってもいない様子でしたが、私は、父親が毎年作っていたのを
手伝っていたので大体のことは分かります。


手間はかかりますが、カビさえ気を付けてあげれば美味しい梅干が出来上がります。

また、梅干も素敵ですが、梅干を作るときにできる梅酢の香りや、
それを使った料理、漬けるときに使った赤紫蘇で作る、ゆかりなど
色々と作る過程でも楽しみがたくさんあります。

昔、父の梅干作りを手伝っていた時の楽しさ、そして懐かしさを思い出しました。
すだれの上に一粒ずつ置いて、天日干しをしていた時やその中の一粒を盗み
食いした時の美味しさ。

まだかまだかと空を見上げ、風や雲を見ては梅雨明けを待っていた日々。
季節と共に生きていることを実感できるのが梅干作りだと思います。

そういった、自然との共生の感覚や、古くから日本人の体を守ってきた
食べ物を自分の手で作ることを大事にしていくことが、子どもの為に私が
今できることの一つなのだと思います。

仕事で子どもの事を本気で考える機会を頂いているからこそ、家庭でも実践が
出来ることの有難さを改めて感じます。


私が父を尊敬している様に、私の子どもたちにも尊敬してもらえるような
そういう父親になっていきたいと思います。

オルタナティブコンサルタント
真田海



「暑気あたり予防」

2011年7月21日

こんにちは、眞田です。
梅雨も明け、夏らしい空が広がっています。
朝日が力強く上り、少しの涼しさと、午後の暑さを予感させる
夏の早朝が好きです。


先日漬けた梅も、梅酢が順調に上がってきており、毎朝、樽を見て確認しては、
土用干しをする日を待ちわびています。

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梅干作りをして思うことは、梅は本当に余すところなく、日本人の食生活に
使われるのだと実感しています。


梅を仕入れても、青い梅、黄緑の梅、黄色い梅と熟度にばらつきもあります。
また、傷がついているものや斑点があるものなど状態も様々です。


しかし、それぞれに用途があることを教えて頂き、実際に作ってみました。
青梅は梅酒。黄緑の梅は梅ジュースに。黄色い梅は梅干に。
痛んだ梅は梅ジャムに。


購入した梅を余すことなく使うことが出来たことも嬉しいですし、
今度は、梅酒に入れてある梅干を取り出した後に作る梅ジャムもまた
新たな楽しみです。


そして、手作りの有難さは、手作りをした人にしか手に入らない宝物が
手に入ることだと思います。


例えば、梅干を作ると、梅酢が出てきます。
この梅酢は、実際には大変薬効も高く、現在ではコレラ菌が有機酸に
弱い菌であることはよく知られていますが、江戸時代にコレラが流行った
ときには梅干と梅酢が効果絶大だったそうです。


梅干を自作する方々や江戸時代は、梅干よりも重宝する位と言われている
ようです。また沢山の料理に使えます。


試しに米を炊くときに少量入れてみると、見違えるほどにふっくらと
美味しく炊きあがりました。


他にも、魚の臭みを抜いたり、らっきょなど漬物をつけたり、酢の物として
使ったりと、夏の食あたりを防ぐには昔から重宝されていたようです。


我が家でも、今年とれた梅酢で色々と活用してみたいと思います。
我が家の家族の健康も、薬やサプリメントなどの不自然なもので補おうと
するのではなく、自然のものを食事として摂取して行けるように少しずつ、
環境を改善していきたいと思います。

オルタナティブコンサルタント
真田海


「山登り」

2011年8月 1日

こんにちは、眞田です。
夏も真っ盛りですね。
先日、梅雨が明けたらやりたいことの一つをすることが出来ました。
梅干の土用干しではなく、登山です。


山梨県と長野県の県境にある、朝日岳~鉄山~金峰山を縦走してきました。


山登りはすべてが自分の責任です。命を落とすことも多々あります。
だからこそ、事前の準備を入念に行います。


明日の天候、登山ルート、かかる時間などを踏まえて、全てが逆算から始まり、
スケジューリングを行い、最終的な登頂開始時間を決めます。


これは、仕事の取り組み方と同じだと感じます。
どんな仕事も、全ては逆算からスケジュールされ、事前準備が重要でありながら、
どうも日々の癖や悪習でその場で乗り切ろうとしてしまったりすることがある
ように思います。


登山で言えば、何の準備も無しに、何も知らずに入山することだと思います。


これでは、何か起きたときに誰が責任を取るのか。結局、何の責任も取ろうと
しないからこその入山ですから、結局は周りの人々に迷惑を懸けてしまう。


これは、会社でも同じなのだと学びました。
山登りを通じて肌で感じるのは人と人とのつながりです。


皆、山の怖さと美しさの両端を知っているからこそ、山道ですれ違えば必ず
挨拶をします。


「こんにちは、暑いですね、おひとりですか?」と、汗だくで休憩していると、
声をかけてくれます。
「水は足りていますか?」と心配してくれる人もいます。


あとどれくらいで山頂なのかが分からず、足を休めている時にも
「山頂はもうすぐですよ」と声をかけてくれる方がいました。とたんに、
心に力が湧きました。本当に皆様有難いお言葉を頂けます。


山登りでは、それぞれのグループで登っていながらも皆で協力して助け合い、
気を使いながら登っていることを実感できます。


私も、下山するルートですれ違う時には頂上手前で疲労している人を見た
ときには、「山頂はもうすぐですよ」と、さっきしてもらって嬉しかったことを
声掛け出来たと、なんだか山では皆が仲間なのだと心から感じられる一日でした。
こういった体験を仕事や人生に還元していきたいと思います。

オルタナティブコンサルタント
真田海


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「つわりに梅ジュース」

2011年8月10日

こんにちは、眞田です。
どうも夏らしい青空が今年は少ないですね。
秋がそこまで来ているのでしょうか?


そんな中、我が家はてんやわんやです。


実は我が家には本当に有難いことに、春に新しい命が妻のおなかに
宿っており、現在15週目。ちょうど安定期に入るタイミングです。


しかし、つわりは一人目の子の時よりも随分とひどく、
1歳9か月の愛娘を小脇に抱えて、つわりに耐える妻に
何か日中も気持ちを安らげることが出来ないだろうかと考え、
手作りしたものがあります。


梅ジュースです。

また梅です。


今年は梅酒に梅干に梅尽くしですが、梅ジュースは妊娠中にも
とても良く、クエン酸やビタミンB1が疲労を和らげてくれる効能が
あると言われているみたいですが何よりも、梅ジュースをソーダで
割った時の梅の香りと甘さ。そして飲んだ時の爽快感がたまりません。


という訳で、仕込み期間14日間を経て
つわり解消夏爽快な梅ジュースの完成です。


あまり多くの量は仕込めませんでしたが、
妻の気分が少しでも和らげば、一緒にいる娘も
また安心するだろうと思います。


また、何よりもそれを見ている私自身が一番うれしいのは、
作る機会を貰った人間の特権ですね。

オルタナティブコンサルタント
真田海


「旬な生き方」

2011年8月24日

こんにちは、眞田です。
お盆も無事にご先祖様を迎え、そして送り出すことが出来、
終えることが出来ました。


東京のお盆は7月ですが、家内の長野の実家は8月のお盆という事もあり、
今年のお盆休みは長野で過ごしました。


長野の実家は完全自給自足という訳ではありませんが、
お米と野菜は自分の畑で事が足りる様になっています。


この時期は、緑色の野菜がたくさん採れ、食卓に緑の食べ物が並ぶと、
夏が来たなと感じるそうです。


東京で育った私には、季節感は結局のところスーパーで買うことが主な生活でした。
しかし長野の実家では旬の食材を買うのではなく、自分の畑に出来たものを食べるので
旬の食材しか採れません。


もちろん、旬が過ぎて硬くなったりしてきますが、旬を「買う」ということの不自然さを
改めて感じる機会となりました。


人間は、自然に生きていれば、いつも旬と隣り合わせに居るはずですが、
楽をしたり、大量生産しようとしたり、儲けようとしたりと欲に駆られれば
駆られるほどに、不自然な行動をとるのだと改めて感じました。


だからと言って、都会で畑をすぐに取り組むことは難しいですが、大事なのはその不自然さを
知ることや、自分の生活の中でそれを補う行動や気持ちを持つことだと感じます。


長野のお義父さんに今回教えて頂いた言葉があります。
野菜を育てていても、何をしてもそうだけれども、上手くいく時も、
うまくいかない時も必ずある。

上手くいったから喜ぶのではなく、うまくいかないから悲しむのではなく、
自然とは自分が何とかできるものではない、そういう偉大なものなのだと、
受け入れる事が大事だと教えてくれました。

子育ても、生活も、仕事も共通してくるとは思いますが、その生き方自体をもっともっと
自然な状態にしていけたら、子ども達に残していけるものが自分なりに増やしていける
のではないかなと思います。

オルタナティブコンサルタント
真田海


「景色が変わる瞬間」

2011年9月 2日

こんにちは、眞田です。
関東の海もクラゲが多くなり、夏の終わりを感じる時期になりました。
そんな海の話をしましたが、今年の夏は海よりも山へ良く出向く夏でした。


お盆には、お義父さんと初めての登山で2500メーターを超える山に挑戦し、
そして苦難を共にして辿り着いた頂上で得たものは、信頼という絆であったように思います。


もちろん、山頂から見る景色や、山頂で自炊する食事もたまらなく贅沢で大事なものですが、
何よりも贅沢な景色は、共に登ったその二人の心の中の景色だと感じます。


共に生や死を考え、生や死を身を以て感じ、自分や他を考え、自分や他を身を以て感じる。


いつもは考えるばかりで現実は伴わないものばかりですが、山を登るという事を通して、
考えることと体験することが同時に訪れます。


こういった体験を通して、人を信じ、人を思うことが出来るまなざしが取り戻され、
見ている景色が変わってくるのだと思います。


これは、今の幼児教育だけにとどまらず、社会全体に不足していることだと感じます。


本気で相手を思い、信じ、助け合う。
どんな場面でも、自分自身の生き方としてこれを貫ける人間でありたい。


一つ一つ、実践を積み重ねながら自分を陶冶していきたいと思います。

オルタナティブコンサルタント
真田海


「梅干作り」

2011年9月13日

こんにちは、眞田です。
先日の台風12号が日本全土に多くの雨を降らせました。
被害に遭われました方々にお見舞いを申し上げます。


地球は急激な温暖化により、大きく気候が変化していることを実感します。
最近では温暖化の影響で乾燥地帯に雨が降り、
サハラ砂漠の緑化が進んでいると言います。


そんな気候の変化の中で、今年の夏に一番困ったことは、
梅干作りの中で大切な工程である「土用干し」です。
中々晴れる日が無く、また晴れても夕立が予測される日は
干すことが出来ず、大変な苦労でした。


そんな中でも、何とか天気予報とにらめっこをしながら、
昼干しを3日 夜干しを3晩行うことが出来ました。

子どもにも手伝ってもらいながら、干しては戻しの繰り返しを通して、
何十年も長期保存が出来る状態までしっかりと繰り返しました。

この土用干しをしっかりと行わないと、数年で梅干が悪くなってしまうと
父からも教わり、そして今回調べて行く中で、3日3晩とは3日間続けて干すという事ではなく、
昼間に5~6時間干すことを3日、夜に8時間ほど干すことを3晩行うという方法を知りました。
先人の知恵とは言いますが、まだ実践しているわけではないので今回作った梅干の一部は、
一生涯残し続けてみて、経過を観察してみようと思います。


何事も、実践してそして経過を見てみないと分からないと感じますが、
実践してみると、梅の状態が如実に変化していることが体感できます。
知識だけでなく、それを行う事、知行合一を大事にしていきたいと思います。

オルタナティブコンサルタント
真田海


「銭湯」

2011年9月26日

こんにちは、眞田です。
今年の関東は随分とこの時期に晴れ間が広まり、
晴れ晴れとした残暑となっていますね。


最近、娘を連れて初めて銭湯へ出向きました。
今まで、家族での温泉などは良く出かけていましたが、
地元の銭湯へ行く機会は在りませんでした。


初めて聞く銭湯という言葉の響きに
娘も道中はしゃぎっぱなしの大騒ぎでした。


銭湯につき、番台でお金を払うと私自身の子どもの頃の暮らしを思い出しました。
家に風呂が無かった為、いつも銭湯へ行っていた当時の感覚が蘇ってきます。


娘の反応はというと、お風呂に入るのに知らない人ばかりという事で
急に静かになり、抱っこをせがむようになりましたが、後から入ってきた子ども達や、
おじいさん、いろいろな人がやっていることをつぶさに観察しているようでした。


次第に場に慣れ、私が体を洗っている間も遊んでいられる様になる姿を見ていると、
銭湯という環境も子どもの発達に於いてはとても大事な場所なのではないかと
感じる様になりました。


多くの年齢の人々と一緒に風呂に入り、マナーを守る大人達や怖い顔した
おじいさんに怒られながらもマナーを学ぶ子ども達を見ながら、
娘は何を感じたのかは分かりませんが、出る間際に風呂桶と椅子を片づける娘を見て、
嬉しそうに褒めたのは私だけではありませんでした。


銭湯に行って強く感じるのは、年配の方々が娘を見ては顔を綻ばせては
声をかけてくれます。


今、銭湯も子ども離れが広まっているそうです。
自宅の風呂も、子どもが自由に遊びこめて楽しい場ですが、
銭湯という、多くの年齢の方々が一つになって共に入浴するという
環境も大事にしていきたいなと思います。


また、銭湯にはもう一つ、メリットがありました。
それは、2時間近く、妻が自由な時間を手に入れられることです。


その日帰ると、妻から「せっかくの一人の時間なのに、どう過ごしたらよいのか
もう忘れちゃっていて結局、家事をしちゃった」と笑わせてもらいましたが、
きっとこれからは、妻にとっても有意義な一人の時間になるのだと思います。

オルタナティブコンサルタント
真田海


「娘から学ぶこと」

2011年10月 5日

こんにちは、眞田です。
台風一過、秋の香りが心地よい季節です。
青空が一層美しく感じられるように思います。


先日の事ですが、休日の朝に娘と話をしていた時の事、
今日は何をしたい?と聞くと、もうすぐ2歳になる娘が
「飛行機乗りたい」と言うのです。


ここ1ヵ月ほど、娘は飛行機の音や空を飛んでいる飛行機を見ると
大興奮で私を外に連れ出すようになっていたので、せっかくなので存分に飛行機が
見られる羽田国際空港へ家族で散歩に出かけました。


羽田空港に着くと、普段は歩くよりも抱っこが好きな娘が、靴も脱ぎ捨て、
どんどんと走り回る姿を見ると、人は目的の為に行動をするのだと改めて感じます。

大事なのは、大人も子どもも同じように、目標や目的、志を持つことなのだと
教えてもらったように思います。

そして、飛行機を見て午前中も午後も、楽しそうに「ジャンプ」の練習をする
娘を見て、環境が人を熱中させるのだと実感しました。

私は自分の環境を自分で整える事や選択することが娘よりも十分に自由に
出来る環境に居ます。

もっともっと、目標を持ち、環境を整え、熱中した人生を歩みたいと思います。

オルタナティブコンサルタント
真田海


「助け合うという事」

2011年10月17日

こんにちは、眞田です。
秋も深まり、食欲に読書にスポーツの秋。
という訳で、好天に恵まれた連休に友人と山登りに出かけてきました。


出向いたのは瑞牆山(みずがきやま)という山です。
良く登るホームタウンならぬホームマウンテンである金峰山の山頂から
いつもその存在感を示してくれる山です。

前日の深夜に登山口まで車で向かい、車内で一休みしてからの登山となりました。
まず、その休憩前の事。空を見上げて驚いたのは、星空です。


山梨県に入った時にも、東京と比べて星がきれいだという事で友人と
オリオン座がどこにあるなどと、話をしていたのですが、
登山口から見た星空は、そのオリオン座がどこにあるのかが全く分からないほどに、
星が多く見えていました。どこを見ても天の川のように星が集い輝き、昴のようで、
ただただ、声を失うばかりでした。


今この目で見えているものがすべてではないのだという事を星空を見ながら
感じる瞬間でした。


翌日の登山も、上り始めて数時間ほどしたところで、彼方に山の山頂が見える場所が
在ったのですが、その時の友人のセリフは

「絶対あの山じゃないよね、登るのは。」
「無理だし遠すぎるよね」
と断崖絶壁の岩肌の山を見ていうのですが、山登りは、自然に感謝し、その壮大さを感じ、
諦めず、慎重に一歩一歩歩み、そして助け合っていけば何日かかろうと必ず山頂に
辿り着けるのが醍醐味です。


ご年配のご夫婦が、お互いに助け合う姿や、危険な個所では誰もが助け合う姿を見て、
私も友人も、山は人を優しく、正しく、尊くするのだと、感じざるを得ませんでした。


苦難を乗り越え、山頂手前の最後の登りでは、友人と立ち止まり、
今までの苦しみと、今から立ち入る世界への喜びを話し合いました。


友人は15年ぶりの登山。また、日本百名山には登ったことがないと
その時に聞き、山頂への最後の道は友人に先に歩んでもらう事にしました。


そして山頂では、驚いたことに友人の大学時代の先輩と出会う機会まで恵まれ、
何とも忘れがたい数日間となりました。


こういった経験は自然との対話、自分との対話、そして同志との対話と
人間が生きて行く中で大切な様々な経験を味あわせてくれると感じます。

私自身、山登り、海での航海を経験する中で、こういった経験は
私という人間が子ども達に伝えていける大切な何かの中の
一部ではないかと感じています。


娘の為に、またこれから生まれてくる子どもの為にも
今できる事を、精一杯やり切りたいと思います。

オルタナティブコンサルタント
真田海


「大人都合」

2011年10月26日

こんにちは、眞田です。
先日、見守る保育リーダー研修を受けてから、「自分の子どもに対して良くできたときにだけ
褒めていないだろうか」と思う瞬間があります。


そうなると、娘は良くできなかったときに自分に劣等感や自己否定を持ち始めるのではないか。
いつもどんな時も、失敗をしても子どもが安心して心を休められる基地である様に居たい。
本当にそう思います。


良いも悪いも今の発達段階であり、本当に素晴らしいと思ったことを褒めるのは良いですが
ほめて伸ばそうとしたり、機嫌を良くしようとしたり、言う事を聞かせようとするために
褒めていることが私自身多いように感じます。


実は、大人の都合で褒めていることが多いのだと気付きます。
人間ですから、完全に止めることは出来ないのかもしれませんが、
今のように、大人の都合のバランスが多すぎることは避けられると思います。


自然界を見れば、作物も、良くできるときもあれば不作の時もある。
どちらがいいか悪いかではなく、それが自然なこと。
大人の価値観だけで物事を決めつけることを辞めていきたいと思います。

オルタナティブコンサルタント
真田海


「価値観」

2011年11月 7日

こんにちは、眞田です。
先日、家族3人と水入らずで、初めて一泊旅行に行きました。


今まで、色々なところに家族で出かけたように思いましたが、
思い返すといつも親族や友人、先輩方が一緒にいてくれていたことに気付きます。
本当にそれは有難いことであり、私の何よりの宝であるように思います。


旅行といっても、新宿から特急で一時間、送迎バスで40分という近場での旅でしたが、
近場だけに、妊婦と2歳の子どもも楽しめる旅でした。


子どもと旅をすると、身の回りにある多くの物事に対して、
新たな発見があります。


どんぐり一つを見つけても、子どものその驚き様を見ていると、
正に一期一会のように、この種とはここでしか出会うことが出来ない中で
出会えたというように、一つ一つのどんぐりに対して、感動し、そして持ってきては
私に説明する姿を見ていると、どんぐりがどれだけ素晴らしいものであるのかを
反対に私が考えさせられる機会になります。


どんぐりの種が素晴らしくなくて、ダイヤモンドは素晴らしいのでしょうか。
残念ながら人間界では、価値というものではダイヤモンドに値がつく様になっています。
しかし、自然界では等しく値段はついていません。
もしかすると、どんぐりは生き物の食べ物となったり、新たな木々の源となり、
空気を生成したりと、自然界ではどんぐりの方が役割が大きいのかもしれません。


子どもの素直で自然な姿を見ていると、私自身の価値観がどれほどに素直で
ないのかを考えさせられると共に、新たな価値観との遭遇の時間でもあることを感じます。
子どもと一緒に、私も成長していきたいと思います。

オルタナティブコンサルタント
真田海


「大切の輪」

2011年11月16日

こんにちは、眞田です。
最近は朝の空気が心地よく、一日の始まりを凛とさせてくれるように思います。


先日、亡くなった父親の誕生日にと、母と兄弟そして私の家族で
生前に父親が大好きだった中華料理屋へ出向く機会がありました。


食にうるさく、小学校低学年時の家族旅行のフェリー内でカップラーメンを食べるまで、
子どもに添加物を食べさせなかった程の父が、こういうものを食べなさいと足しげく通った
お店の看板料理が鶏煮込みそばでした。


素朴で、素材の味が透き通った優しい料理でした。
皆で、父が好きだった鶏煮込みそばや、当時から皆が好きだったものを思い出して、
思い出話と共に食した料理の味わいは、味覚だけではなく心で食している事が実感できる
瞬間でもありました。

また何よりも嬉しいのは家族が特に話し合わなくとも自然と今回の運びになったことでした。


お互いが自然と大切な人を思いやれたこと。
そういう経験を共に出来たことは、私の家内や子どもにとってもとても大切なことで
あったように思います。


そして、後日その日の話を知った友人がとても素敵な言葉をくれました。
「大切な人の大切なものを大切に出来る人は、大切にされるんだよってばっちゃんが言ってたよ。」
大切の輪、思いやりの輪はきっと世の中を調和していくのだと思います。

オルタナティブコンサルタント
真田海


「真心とは見守ること」

2011年11月28日

こんにちは、眞田です。
湿度が低くなるにつれて、青空が澄んでくる事を感じる季節となりました。
太平洋側ではこれから星空が夏よりも良く見える季節が近づいてきています。

先日の週末に家族3人で昭和記念公園に行きました。
昭和記念公園は政府が「緑の回復と人間性の向上」を
テーマに昭和53年度から着工した160haを超える国営公園です。
そのテーマの通り、緑に囲まれた広大な敷地ですが、
あまりの広さにほんの一部を堪能するだけで一日が過ぎてしまいました。

その一部というのが、「森のゾーン」にある、こどもの森というゾーンです。
1,600m2もある大きな雲のようなトランポリンでのことでした。
娘よりも一回り大きな姿をした沢山の子ども達が楽しそうに飛び回っています。

興味と緊張が混じり合い、少し紅潮した頬と真剣な眼差しで
娘はその雲のようなトランポリンを見つめていました。

普段は公園でも大勢の保育園児が遊びに来ると
怖くて泣き出したり、遊具で遊べないと怒りだしたりする娘ですが、
今回は圧倒的に好奇心が勝ったのでしょうか、大勢の子ども達の中へ歩んでいきました。

トランポリンの淵に乗り、高さ2メーターほどの大きな雲の山頂へ目がけて
娘は歩み始めようとしますが、バランスが取れず、未知の感覚に戸惑っている様子が
見ていてわかります。
しかし、同時にその未知の感覚との出会いを心から楽しみ喜んでいることも
十分に伝わってきます。

私はと言えば、娘に何をしてあげるでもなく、転がってきたら近づいて行ける距離で待ち、
娘が呼んだら返事をするだけでした。とても信じる心が必要だったと感じます。
手と手で直接触れて分かち合うのではなく、心と心で分かち合う感覚だと思います。

だからこそでしょうか、娘が親に合図を送るタイミングや距離がどんどんと離れていくことが
良くわかりました。
一つ一つ、自分で安全かどうか、どうすればよいのかを確認して学んでいき離れていく。
その心の様子が伝わります。

また、有難いことに頂上で立ちすくんだときに娘の横にそっと座り、
優しく声をかけて手を差し出してくれる女の子が現れました。

差し出された手を自然に握り返す娘と、一緒に滑り降りていく二人の姿を見て
娘を信じ、見守ることが出来て良かった。
私が近くに付いて助けてあげたり、やってあげなくて良かったと、心底思う瞬間でした。

そして、真心と信じることを貫くことは見守るという事につながるのだと感じる瞬間でもありました。

しかし見守れた理由は、トランポリンにたどり着く前に10メーターほどの大きな築山から
私がすべって転げ落ちて全身打撲で泥だらけだったからということも、少しは関係しているのかも知れません。

オルタナティブコンサルタント
真田海


「澄んだ心と触れ合う事」

2011年12月 7日

こんにちは、眞田です。
急激に空気が冷たくなりました。冬がもう来ていることを感じます。


前回のブログにも書きましたが、冬の太平洋側は、乾燥した空気のお蔭で
とてもよく景色や星が見えます。


先日の休日に、家内が友人の結婚式に出るというので、子どもと出かけた際にも、
海の向こうに驚くほど大きな富士山が見えました。

子どもも、「あぁぁぁ!!!おっきいやまぁぁぁ!!」と
目をまんまるくして指さし、驚き、喜んでいました。


いつも、富士山はそこにあるにもかかわらず、状態によって見えたり見えなかったり。
また、見えていても、あの驚き方を見ていると、私と娘ではきっと見えている富士山は
違うのだと思います。


空気が澄んでいる時に見える世界が違うように、心が澄んでいる時に見える世界も
違うのだと感じます。


子どもはいつも心が澄んでいて、挑戦する事を怖がらず、
いつも真剣で、心のままに行動しているように感じます。


その子どもをみて、私自身、心のままに常に行動できているだろうかと
自問自答をする機会が最近増えていることを実感します。


自分を偽らずに素直に振り返ると、心のままに行動することを
難しいと思っている自分や、そうしたら世の中やっていけないだろうと
どこかで思い込んでいる自分がいることに気付きます。


そして、気付くのは、難しいのでもやっていけないのでもなく、
ただ心のままであり続けることを何かの理由をつけて
諦めているだけであることに気付きます。


気付いても、行動に移さなければ変わるわけでもありませんし、
気付きに対しての行動がまだまだ追いついていないのが現状ですが、
一つ一つ、子どもに教えてもらい、そして一つ一つ行動に移すこと。


そういう機会が持てるというだけでも、本当に子どもと触れ合える環境というのは
有難いことだと心から感じています。

オルタナティブコンサルタント
真田海


「自転するということ」

2011年12月16日

こんにちは、眞田です。
先日は皆既月食がありました。
一人夜空を眺めに玄関に向かおうとするとその足音に気付いた娘が
起きてしまい、結局は家族三人で玄関から空を眺めることとなりました。


寒さの中で澄み渡る空に、いつもの神々しい光を放つ月とは随分と違った、
神秘的でそして少し恐ろしさを感じるような程の赤い色をした月は、
しばらく私たちを立ち止まらせました。

月が欠けていく姿を感じては、この地球が本当に動いているのだと
いう事を改めて実感しました。


星や月を見ていると、どうしても星や月が動いているようにしか見えませんが、
実際には星も月も地球も動いている。


自分自身を振り返っても同じように、日々を生活していると、時間や周りの出来事や
人々の変化には気づいても、自分自身の変化に気付くことが出来ないという事に良く陥ります。


いつも変化し続けるのだから、同じやり方、同じ考え方だけで生きて行くことには
限界があるように感じます。


同じ日など二度と来ないのに、一度出来た事や一度得た考え方だけでその後の日々を
過ごそうとしてもそれは、まるで自転をすることを止めた惑星のように大気も淀み、
気づけばそこに存在するだけで生きることを忘れてしまうように感じます。


本当に反省することばかりですが、これも気づきを行動に変えて、
自転をし続け自分らしく輝いて行きたいと思います。

オルタナティブコンサルタント
真田海


「それぞれの役割」

2011年12月28日

こんにちは、眞田です。
本年もお世話になりました。
また来年もどうぞよろしくお願い致します。


年末年始に向けて我が家伝統の塩辛づくりを行いました。


父親が造ったものが一番おいしく、弟が造るものがその次に美味しいのですが、
私も今年は例年以上に丁寧に手間と心を籠めて作りました。


使う材料は、イカと塩ですが、我が家の伝統でそれにスモークサーモンを入れます。
材料は3つしかありませんので、どこに工夫をするのかというと、素材同士の役割を
明確にしていくことから始めました。


イカの肝は味の大元を決める重要な部分です。
イカの身は歯ごたえや触感と味を吸収する部分です。
スモークサーモンは風味を整えます。
塩は塩辛の一番いい味を決めます。また、水分を抜きます。


その上で、今年はどうやって良い味を引き出そうかと考えました。
其々の役割が最大限活かせる方法は何だろうかと考えます。


そこで考えたのが、肝の味を濃厚にするために、肝に塩を振り
長時間置くことで、水分を出すことから始めました。


また、身も味を吸収する大切な部分ですので、
味を吸収しやすいように、まずは塩水(ほんの少しお酒を入れてみました)に
1時間ほど漬け、そのあとに水分を良く拭き取り、1時間ほど干してみました。


その上で、肝の中身を取りだし、イカとスモークサーモンと混ぜ、塩で味を決めました。


結果は、其々の役割を存分に発揮し、過去最高級の美味しさとなりました。

まだまだ、父親の味には及びませんが、弟には並んだのではないかと思います。


其々の役割を最大限に発揮するには、きっと、いくつかの工夫、知恵、が必要なのだと
実感する瞬間となりました。


これは、仕事でも同じであると感じます。
役割を分けるだけでは、最高の結果は出てこないのだと感じます。


最高の結果を出すために、チームで如何に知恵を出し合うのかということが、
重要になってくるのだと感じました。


役割を分けると、それをやれば良いのだと単純に思ってしまいますが、
チームとしての結果から最大限に出来る工夫というものを考える視点を
大切にしていきたいと思います。

オルタナティブコンサルタント
真田海


「気づきを紡ぐ」

2012年1月16日

こんにちは、眞田です。
新年も明けまして日にちが経ちましたが、
本年もどうぞよろしくお願い致します。


正月休みは、祖母と母、そして妹、弟が暮らす実家で
子どもと家内も一緒に過ごしていました。


若かった頃は、早くおせちを食べて友達と出かけたいとばかり
思っていた事を思い出しましたが、年を重ねると駅伝を観たり、
おせちを食べ、家族でゆっくりと過ごす時間が年々幸せであり、
かけがえのないものであると感じます。


そんな中で、今年の正月に皆で考える機会がありました。

2歳の娘が居間ではしゃいでいたのですが、はしゃいだ拍子に
置いてあった空の鍋を床に落としてしまいました。


それに驚いた娘がとっさに一番近くに居た祖母の膝を軽く叩き、
「駄目だよ!!ひいばあちゃん!!」と言ったのです。


この時、その場では話し合いませんでしたが、
その後誰もがショックだった為に自然と話し合う機会がありました。


何故、人の所為にしたのかという事について、娘を責めるのではなく、
そうさせる自分たちがいることを自覚するために話し合いました。


母と家内は「おばあちゃんを私がもっと尊重しなければいけないのかもしれない」
と話し、私は「家で自分が何か家内の所為にしている姿を見せているのかもしれない」
と話し、それぞれ気づいた事を大切にして改善していこうとしました。


娘がそうした原因が、本当は何だったのかは分かりませんが、
今回の事で、自分たちがそれぞれに発した「こうだからかもしれない」という
気づきは真実だと感じます。


大切なものの為に物事を振り返ると、自我がなくなり、
素直に自分を見ることが出来るように感じます。


子どもの言動一つで、自分を改め、また家族の絆が強まり、
豊かになったように感じます。


良いことも悪いことも、起きたことは全て大切に活かすことが大事だと感じます。
一つ一つの気づきを大切に紡いで、形にしていくことを今年は大切にして
いきたいと思います。

改めまして、本年もどうぞよろしくお願いします。

オルタナティブコンサルタント
真田海


「一年のテーマ」

2012年1月25日

こんにちは、眞田です。
新年が始まり幾日が経ちました。
毎年、一文字で自分自身のテーマを決めていますが、去年は「侍」でした。
自分を修め、律する中で自分らしさを砥いで行きたいと考えました。


そして、去年一年間で学んだことですが、自分らしさとは何かを考えたときに
夢中で仲間たちと目標に向かって助け合い、役割を担いあう中で自分らしさが
分かってくるのだという事に仕事を通じて学びました。


自分の為に生きていては、自分の事ばかり考えていたら
自分らしさは分かることが無いのだと実感しました。


何かの為に、自分を活かす中で自分らしさを確立していけるように、
今年のテーマは「活」としました。


そんな気持ちを新たにした出社初日にですが、
会社のカフェスペースで素敵な言葉と出会いました。


「最善の上にも最善あり」

自分自身の想像よりも、まだ素敵な世界があるのだと信じられるだけで、
どれほどに自分にも、世の中にも希望や夢が持てるのだろうかと
心がとても楽しくなりました。


今年一年、価値観を一新し、自分自身を活かしていきたいと思います。
どうぞよろしくお願いします。

オルタナティブコンサルタント
真田海


「見守るの循環」

2012年2月 3日

こんにちは、眞田です。
日に日に寒さが厳しくなるように感じる日々ですが、
我が家では暖かいニュースがありました。


長男の誕生です。


土曜の夜に産気づき、日曜の深夜に生まれました。
出産にも立ち会うことが出来、生命が体外に降り立つ瞬間を
この目に焼き付けることが出来ました。


血を吹き出し、苦しむ家内の前では、なんと声をかけてよいのか分からず、
ただただ、声もうまくかけられずに心の中で強く祈ることしかできなかったように感じます。


命を削って、身を粉にして出産する妻の姿を見たときに、女性に対する尊敬が深まりました。


女性は強く、美しいと感じると共に、命がけで生きるという姿を目の前で見て
自分の価値観では表現できない状況に戸惑うと共に、感動を覚えました。


出産後、赤ちゃんの体を拭き、手足の指など体の一つ一つを
看護師さんと一緒に確認をさせてもらいました。


まさか、自分自身が産後の子どもに触れることが出来るとは思ってもいませんでしたが、
看護師さんの「あなたの子どもですから、一緒に確認しましょう」と言ってくれた一言が、
何よりも印象強く、良い意味での責任感に満たされました。


今回の出産において産前、産後に於いて本当にたくさんの方々に協力を頂いていることを
実感しています。


家族、友人、会社のクルーの皆さん、病院の先生方、会社のお客様、エレベーターや電車、
バスに一緒に乗った方々、同じ病院で生まれたお母さん、お父さん。
皆さんが心配してくれて、そして協力してくれていることを実感します。


自分だけの子どもではなく、本当に社会の一員なのだと感じます。


見守られていることを自覚するという事が出来れば、
誰かを見守ることも出来るのだと思います。


沢山見守って頂いた分、私自身も誰かの為に、
世の中の為に、見守っていける自分でありたいと思います。

オルタナティブコンサルタント
真田海


「共感」

2012年2月14日

こんにちは、眞田です。
今年は例年に比べると随分と寒く、朝の空が随分と澄んで見えるように感じます。


先日の事、2歳になった娘と風呂に入って天井に水を掛けて水滴が落ちてくるのを見ていたり、
お湯をすくって遊んでいた時なのですが、娘が急に、「楽しいってなぁに?」と聞いてきました。


「楽しいっていうのはねぇ」と説明しようとしましたが、改めて感じるのは、
楽しいということを言葉では表現することはとても難しいことなのだという事でした。


楽しさや優しさは、一緒に体験する中で感じ取るものなのだと思います。


ガンジーの言葉にも、「世の中を変えようと思うなら、まず自分が変わる事だ」
とあるように。


また、写真家の星野道夫の言葉にもこうありました。
「いつかある人にこんなことを聞かれたことがあるんだ。

たとえばこんな星空や泣けてくるような夕陽を一人で見ていたとするだろう。
もし愛する人がいたら、その美しさやその時の気持ちをどう伝えるかって。」
「写真を撮るか、もし絵がうまかったらキャンバスに描いて見せるか、
いや、やっぱり言葉で伝えたらいいのかな」

「その人はこう言ったんだ。自分が変わってゆくことだって…。
その夕陽を見て、感動して、自分が変わってゆくことだって思うって。」


子どもからの問いかけは、自分自身が変わり、成長していく沢山の機会を
貰っているという事を実感します。


子どもの為にという事よりも、むしろ子どものお蔭でという事を感じます。
純粋に自分自身を成長させてくれるこの機会を大切にしていきたいと思います。

オルタナティブコンサルタント
真田海


「春の芽吹き」

2012年2月23日

こんにちは、眞田です。
関東ではフキノトウが出回り始めました。
一番早く春の存在を告げてくれる山菜であるように感じます。
冬の間に閉じ込めた老廃物が春になると芽を出してきますが、
冬の体から春の体に移り変わるこの季節に、フキノトウなどの
苦味を採って、体内を整えて行きたいですね。


我が家もまた新たな生命が降り立ち、
春がやってきましたので、体内を整えることと同じく
部屋を整えることとしました。


上の娘のおもちゃゾーン(と呼べないおもちゃの一帯)を
整理するべく、イケアで棚を買い、組み立て一つ一つの引き出しに、
収納されるおもちゃの写真を張ることにしました。


棚の制作から、写真の貼付けまで、娘が手伝って?!くれたお蔭で、
長時間楽しむことが出来ました。


出来上がったのがこちらです!

作ってからというもの、娘が妻におもちゃを探してと頼むことも
随分と減り、片づけも楽しんで手伝ってくれるようになり、妻にも娘にも
良い機会だったようです。


私は、娘と一緒に棚や写真を張ることが出来た事が何よりも楽しく
良い経験だったと感じます。


一緒に作っていく過程で一緒に感じた思いが宝物だと感じます。
どんどんと、宝物を積み上げて行きたいと思います。

オルタナティブコンサルタント
真田海


「心の絆」

2012年3月 5日

こんにちは、眞田です。

3月は卒業や別れの季節という印象があります。
未だ肌寒いこの季節に、卒業式の予行演習や写真を撮ったりしていた
学生のころの記憶が呼び起されます。

卒業までの残り少ないこの瞬間を味わいたい気持ちと、
まだそこに居たいという未練に似ているけれども少し違うような気持ちがありました。
そして、それとは反対に新たな世界での新たな自分に思いを寄せる自分もあり
心がソワソワとする時期であったように思います。

学生のころを振り返ると、一緒にいることが「仲間」という意味の中でも
多くの意味を占めていたように思いますが、
年月が経ち、社会人になって思ったのは「一緒にいる事」が仲間なのではなく、
「目的や夢などの同じ価値観を持っている事」が仲間なのだと考えるようになりました。
離れていても、同じ場所に居なくても、同じ目標や夢を持って
それぞれの山を登っていること。それが仲間なのだと考える様になりました。

しかし、今はまたその考えも変わることとなりました。
同じ価値観を持っていても、
いくら一緒に居てもそれだけでは仲間ではないのだと気づきました。
当たり前のことなのかもしれませんが、
仲間になるとは、お互いがお互いの幸せや成功を願うことなのだと
感じる様になりました。

お互いに、それぞれの山を登っているのだから、
助けに行くことは出来ないけれど、だからこそ、
「がんばれ!!俺も頑張る!!」と相手の成功、幸せを願い、
声を掛け合う事が仲間なのだと思います。
例え、声が届かない距離であっても、それでも相手の成功、幸せを願う。
その心の声の掛け合いが、仲間の絆を支えるのだと思います。

今、同じ目標や夢を持つクルーが近くに居るという事に
改めて有難さを感じると共に、近くに居るからと言って、
自分の事ばかり考えたり、甘えあわぬよう、
一層「がんばれ!!俺も頑張る!!」という言葉がけを
大事にしていきたいと思います。

オルタナティブコンサルタント
眞田 海


「ひた向きさ」

2012年3月12日

こんにちは、眞田です。


先日、息子のお宮参りを明治神宮でしてきました。
多くの新生児と、それを抱えるおばあちゃんの姿。
いたるところにそういった家族がいます。
皆、子どもを中心に幸せそうな笑顔をしているのが印象的でした。

私も、私の母の嬉しそうな顔を見て
改めて子を授かることの有難さと喜びを感じました。


親子というのは、何時になっても変わらないと思う時もありますが、
実際はいつの時も新しい関係性を築いているのだとも感じます。

特に二人目の子どもが産まれてからというもの、
母には、長期休暇を取ってもらい、出産直後の数週間は
長女を面倒を見てもらったり、
最近も仕事終わりに家に来て家内を手伝ってもらったりと
本当に有難いという言葉だけではなく、申し訳ないという気持ちでいっぱいですが
そういった機会が続いているからでしょうか、母との電話が増えました。

また、母がいつも電話口で聞くのは、私の家内の心配です。
私のことなどなんのその!です。


いつも、「〇〇ちゃん(家内)、大丈夫?眠れてる?ご飯食べられてる?」
と、心配してくれます。

忙しく、大変になればなるほどに、人と人との繋がりは密接になり、
そして、豊かになっていくことを実感します。

私は日々、忙しくならない様に、迷惑を掛けない様にと行動しがちですが、
本当は、忙しくても迷惑を多少かけても、熱心に子どもの為や、世の中の為にと
ひた向きになっていくことが大事なのではないかと思います。

もっと、自分の情熱を燃やして、人々との繋がりから豊かさを紡いでいければと思います。


オルタナティブコンサルタント
眞田 海


「学びの機会」

2012年3月19日

こんにちは、眞田です。

優しい冬の太陽の光も随分と彩度が上がり
眩しい春の日差しになってきたように感じます。

季節の移り変わりを、
あぁもうこんな季節になったのかと感じる様に、
我が子の成長に気付くのも、
あぁ、いつの間にかにもうこんなに成長したのかと思うばかりです。

子どもの成長を見ていると、
人生の成功の秘訣を目の前で見ているように感じます。

子どもの行動の多くは失敗です。
しかし、失敗してもどんどんとトライしていきます。

失敗を経験して次を躊躇することはもちろんありますが、
必ずと言っていいほど、出来ないところは親に頼みます。

泣いてでも、叫んででも、頼みます。本当に必死です。
そして、目的を自分一人ではありませんが、しっかりと達成します。

彼女は好奇心に対して本当に素直に行動しているのだと感じます。
そしていつの間にか、親の姿を真似て自分一人で出来る様になっていきます。

私自身も、自分一人で出来ないことは、泣いてでも、叫んででも、
達成できるために努力をしなくてはならないと感じます。


出来ない理由はいくらでもありますが、出来る理由もたくさんあり、
諦めさえしなければ、きっと何かが協力してくれるのだという事を
目の前の娘が教えてくれています。

そして、成長できるという事も証明してくれているように感じます。
そのチャンスを逃さず、学びにしていくことを大事にしたいと思います。


オルタナティブコンサルタント
眞田 海


「風邪からぼたもち」

2012年3月27日

こんにちは、眞田です。

日は暖かくなりましたが、
まだまだ風が冷たい季節ですね。

そんな中、娘の風邪をしっかりと貰い、
数日間、風邪を患いました。

風邪を患うと、いつも思うのですが、
妙に自分の体に対して優しくなる自分が居ます。

食事に限らず、
「冷しているところはないか、無理をさせているところはないか」
と、身体の色々な所と対話します。

そして、普段から自分の体や心と正しく対話出来ている事が、
体調管理と呼ぶのだと気付かせられる瞬間でもあります。

全体的に抵抗力が落ちているのもありますが、喉が特に酷かったため
去年作った梅干をじっくり焼いて、お湯の中で潰して飲みました。

昔から我が家では何か体調が悪くなると梅干を食べ、
そしてなんだか良くなっていく経験があります。
(二日酔いの日にも、緑茶に梅干はいいですね)
さすがに、この年になると、何故焼くのだろうと気になって
調べてみました。

すると、梅干には元々、殺菌作用や抵抗力のアップなど
様々な効能がありますが梅干しを加熱すると、
梅干しの糖とクエン酸が化学変化を起こし、
血行を改善する特効薬「ムメフラール」が出来るそうです。

それが、身体を温め、代謝を良くするみたいですね。

お蔭で、翌日には喉の痛みも和らぎ、
今では回復に向かっております。

民間療法と言われていたものも、
科学が進むと、どんどんとその真実が見えてくるのだと感じます。

また反対に、科学で分かる範囲内で作る薬と、
科学ではまだ解明できていない、梅干など民間療法と
言われてきた自然界のモノとを並べてみたときに
ご先祖さまは素晴らしいものを今に伝えてくれていたのだと
改めて感じます。

こういった、人間が自然界の生き物の一部として
脈々と受け継がれてきた叡智を、大切に次の子ども達に
伝えて行きたいと思います。


オルタナティブコンサルタント
眞田 海


「今を生きる」

2012年4月 3日

こんにちは、眞田です。

東京も晴れが続いており、とても清々しく
少し冷たい風が、目を覚ましてくれるように感じます。

我が家の息子も生後2か月を過ぎ、娘は2歳と5か月を迎えました。
物理的に手間のかかる時期なので、我が家はてんてこまいです。

食事も、お風呂も、寝る事も、子どもが一人しか居なかったときには
夫婦で大して協力せずとも出来ていた当たり前のことが、
子どもも二人となると協力せずには居られない環境となった今、
目の前にあるのは、子ども達の笑顔、泣き顔という
今を一生懸命に生きる子どもの姿を感じることが出来ます。

最近は、そういう瞬間に心底思います。
今しかこの瞬間は味わう事が出来ないのだと。

2か月の息子と2歳の娘と夫婦が味わうこの瞬間は
人生で今しかないのだと感じたとき、同時に思うことが在ります。

人生はいつも今しかないということです。
中々普段はそのことを意識して過ごすことが
難しいですが、今を今しかないと感じ、
今を幸せに生きることが、未来を創り上げていくのだと感じます。

4人で狭いお風呂に入り、お互いに協力して
身体を洗ったり湯船で温まったり、子どもの身体を拭いている時に
良くそれを感じます。

子ども達から与えてもらう事、教えてもらう事の多さを改めて感じます。
子ども達には、これからたくさんの恩返しをしていきたいと思います。


オルタナティブコンサルタント
眞田 海


「自己管理」

2012年4月10日

こんにちは、眞田です。

春が来ると、いつも自分自身が生まれ変わったように思います。
今年度も、また新たに自分自身を生まれ変わらせて理想に向かって
成長していきたいと思います。

最近ですが、クルーの間での取り組みとして新たなことを始めることとしました。
社内での日報は普通は今日起きた事を入力するようにしていましたが、
それを辞め、明日行う事を日報に記入する事にしました。

そして、当日は前日に記入した日報に詳細を記入して共有し、
翌日の日報を書いて終わります。

作業が増えたように感じますが、実は前日には明日の日報のタイトルと
目的・目標のみを記入しているだけなので、当日に当日の事を書いていた
日々の作業量と変わりは在りません。

しかし、何よりも変わってくるのが、翌日の自分を前日に想像しきる準備力と
そして、仲間が何を行うのかを知ることが出来る事です。

事前に形にしておくことで当日には慌てず集中することが出来ますし、
クルー間でも協力して時間調整をしたりすることが出来ます。

今までは、自己管理もクルーの意識に依存していましたが、このように
皆で取り組むとチームとしての総合力が上がることを感じます。

同じ作業量でも、始めてみるとこんなにも自己管理に差が出るものかと
驚いています。

本当に小さなこと、またやってみれば当たり前ではないかと思う事でも、
本当の意味はやってみないと分からない。

大事なことは、当たり前に気付ける様に小さな事を実践に変えて行けるチーム力なのだと
改めて感じます。

今年も、そういった小さな積み重ねから日々成長していきたいと思います。


オルタナティブコンサルタント
眞田 海


「花見」

2012年4月17日

こんにちは、眞田です。

暖かい日差しを感じられる季節になりましたが
東京は桜のお花見で大変賑わった数週間でした。

私も家族皆で一緒にお花見に出かけたのですが、
天候にも恵まれたため本当にたくさんの人々が集まっており
花を見て太鼓の音と共に踊り、笑顔を肴に酒を飲みかわす人々を
見ていると、きっとこの情景は古く昔から変わらずにあったのだろうと
その景観は感動を覚えるものでした。

調べると、日本の花と言えば、平安時代を境に「梅」から「桜」に
切り替わったようです。

嵯峨天皇や仁明天皇が桜を愛し花見を開いたり梅を桜に植え替えたりという事も含めて、
和歌への登場回数に桜が増えて大衆化したとの説があります。

今回、家族で行った花見会場は飛鳥山公園といい、
八代将軍徳川吉宗が約280年前、吉宗が享保の改革の施策のひとつとして、
江戸っ子たちの行楽の地とするため、飛鳥山に桜を植えさせたことで有名です。

また、上野公園などと並び、日本で最初に公園として認定された場所であることも有名です。
初めてその地に降り立ってみてまず感じたのが、花見客のマナーが非常に良いことでした。

花見客の層を見てもあまり若者が多くないという事もあるのかもしれませんが、
東京でも、上野公園や井の頭公園で見てきたような、コンロを持ち込んだり、
BBQをしたりしている人々が皆無に近かったことが特徴でした。
(コンロを持ち込んでいる人が数組いましたが、、)

桜を大切にし、周りとの協調を大切にする文化は日本人の特徴とする文化であると
感じます。吉宗の思いと共に、残されているのだと感じました。

花を見て、季節を感じ、そしてそれを皆で喜ぶ。
これからも大切な機会として家族や皆さんと一緒に過ごしていきたいと思います。


オルタナティブコンサルタント
眞田 海


「バランス」

2012年4月24日

こんにちは、眞田です。

先日の事ですが、週末に山登りに行きました。
6つの山頂を踏む縦走をしたのですが、
さすがに体が言う事を聞かないくらいに筋肉痛になってしまいました。

そして、身体を治すために力を使ってしまったのか、
肌が荒れて口内炎が出来ました。

適度な運動は免疫を高めますが、過度な運動はやはり
免疫を下げてしまう事を実感しました。(当たり前のことなのでしょうが。。。)

また、筋肉も負荷をかけたあと24時間~28時間の後に超回復が起こり、
最初よりも筋量が増える状況が起きますが、超回復の前にトレーニングをしても、
時間が経ちすぎてトレーニングをしても、筋力は上がらないそうです。

何事もバランスとタイミングというものがあるものだと
実感しています。

今の自分の段階と、ちょっと先の課題を知るという事が
何事においても重要なのだと感じます。

仕事に於いても、健康に於いても、生き方に於いても
共通することだと思いますので、自分自身と良く会話をしていきたいと思います。


オルタナティブコンサルタント
眞田 海


「体験から学ぶ」

2012年5月 2日

こんにちは、眞田です。

春の陽気も強まり、もうすぐ夏の到来かと思うと、
季節の移り変わりは早いものだと感じます。

少し前の事となりますが、10年来の付き合いの後輩が金曜日の夜に我が家を訪ねてきました。
話を聞くと先月で仕事を辞めて今後どうしていくのかを悩んでいました。

田舎に帰って職に就くのか、東京に残るのか、海外へ行くのかなど
どれがいいのかと質問してくる後輩に対して、「なぜそれをしたいのか」と聞いていく中で、
本当に自分がやりたいことを見つけられていない様に感じました。

本人が本当にやりたいことは、私には見つけることが出来ないですし、
自分自身で対話して見つけていくものだと思いますので、
私がいつも自分と対話する為に大事にしていることを一緒に経験してもらおうと考え、
翌日の朝から山登りに行くこととしました。

まずは翌日の朝と山頂で飲むコーヒーを生豆から一緒に煎り、登る山を決め、
登山を安全に終わらせられる様に翌日のスケジュールをシュミレーションし、
荷物を準備し、翌日早朝から登山へと向かいました。

初めての登山であったこともあり、随分と気づきがあったようでした。
印象的だったのは、
「僕は自分の事を自分で決めることをせずに、いつも人に聞いていいなと思ったことをやっていた。
自分で自分の事を決めるのが苦手なのだと気付いた。」
という言葉でした。

その言葉を聞いて他人事ではないと改めて感じると同時に、
自分で掴み取ったその気づきを気づきで留めない為にも
実践に移してほしいという願いと、私自身が普段どうしたら良いのかが分からなくなったときに
実践しているノートのとり方を彼に伝えました。

そして後日、彼から感謝のメールが届き、
私自身も大きな感謝の気持ちに満たされました。

まずは、私を訪ねて来てくれた事。そして、自分が実践していることからしか人には伝えられないという事実を
身をもって体験させてくれたこと。自分の事を自分で決めていく大切さ。

多くの事を体験を通して学ぶことが出来た貴重な機会となりました。


オルタナティブコンサルタント
眞田 海


「一家団欒」

2012年5月11日

「一家団欒」

こんにちは、眞田です。

先日、久しぶりの家族団欒という事で、
多摩川の河川敷でバーベキューをすることにしました。

都内でも有数のバーベキュー用地という事もあり、
若者たちとバーベキュー用品のレンタル会社がごった返していましたが、
我が家は全て自前で自宅から背負ってきました。

バーベキューと言えば炭とコンロですが、
登山用のガスバーナーで代用です。
こちらの方が、必要な時に必要な分だけ使うことが出来るので
効率的ですし、何より子ども二人の夫婦にはコンロと炭を持ってくるのは
大荷物過ぎました。その他、食材やレジャーシート、ゴミ袋、コーヒーセット、
飲み物、寒くなった時の着替え、カメラ、オムツ・・・などなど、大量の荷物を
ザックと、手提げかばんに入れ込み、電車に乗り一時間ほどでBBQ地まで
着きました。

バーベキューに来て思ったのですが、
普段の登山用品に、3人分の食材を焼くためのフライパンを
リュックに追加するだけで全てが整うのだと気付くと
今度、一人で山に登るときは、冷凍した肉でもザックに
忍ばせてみようかと企んでしまいました。

空の下で食べる昼食の美味しいこと。
また、免疫学的にも、自然環境の中で食べることは
重要視されているそうです。

子ども達の笑顔も、当然ながら家で食べるのとは違ってきています。

重い荷物を背負って子ども達を河原まで連れて行くことに
昔であれば、面倒さを感じお金を払ってレンタルなどを考えたかもしれません。
しかし、今となっては、お金を掛けずなんでも自分たちで用意し
自分たちで楽しめる環境を作れることの豊かさを改めて感じています。
準備をする過程がとても楽しく、夫婦で協力することの喜びを感じます。
こういった豊かさを子ども達に伝えていきたいと思います。


オルタナティブコンサルタント
眞田 海


「役割を感じる」

2012年5月18日

こんにちは、眞田です。

陽気も強まり、もうすぐ梅雨の季節がやってきます。
併せて青梅が出回る季節ですので梅干作りのスタートです。

最近の事なのですが、
2週間近く、社に居らずに一人で外出を続けていることが在りました。
それだけ離れていると、さすがに社の情報もそして心も寂しくなるものですが、
社内のクルーとのコミュニケーションが取りづらい中でも、
有難いことに会議の議事録や、各クルーの予定などをメールで
送ってくれています。

また、毎朝の電話会議でも、「おはようございます!今はどこに居るんですか?」
「気を付けて行ってきてくださいね!!」とみんなが声をかけてくれます。

一人ではなく、皆でチームとなっているのだと実感し、
元気と勇気が湧いてくる瞬間です。


其々役割は違えども、目的は一つの為に集っている。
今日も元気に私の役目を全うしてきたいと思います。


オルタナティブコンサルタント
眞田 海


「初節句とお食い初め」

2012年5月25日

こんにちは、眞田です。
GWの事ですが、息子の初節句とお食い初めが重なったため、
併せてお祝いを行いました。

こいのぼりを飾り、兜を飾り、柏餅に始まる初節句の料理と、
息子にはお食い初めの料理と、妻と私で作ることが出来たのはとても良い機会でした。
お食い初め用の梅干も去年、家族皆で作った梅干を使うことが出来、
手間と真心がたくさん詰まった料理を息子に提供出来た事は、
家庭としても目指していきたい方向性が定まってきたことを実感しました。

こいのぼりを選んだり、組み立てたりするのもそうですが、
こういった大切な行事を私の親、祖母、妻の両親と親族全員で出来た事に
何よりも喜びと繋がりを感じます。

子ども達には、写真では伝わらない人と人との繋がりを
これからも家族で大事にしていくことで、伝わっていければよいなと
思います。


オルタナティブコンサルタント
眞田 海


「出逢い」

2012年6月 1日

こんにちは、眞田です。

空を見上げると夏の日差しが強くなってきました。
季節の変わり目はまた体調管理も難しいですが
こういう時こそ早寝早起きの規則正しい生活を心がけたいですね!

さて、先日の金環日食は皆さんご覧になりましたでしょうか。

私は当日の朝まであまり意識はしていなかったのですが、
朝起きて出社準備を終えてベランダを見回すと、
沢山の人たちが外に出始め、カメラと三脚を用意していたり、
観覧用の眼鏡を持っていたりと、大賑わいでした。
そしてテレビを試しにつけてみると、大みそかのように
カウントダウンされている光景を見て、その賑わい様に驚きました。

一生に一度のレベルでの現象という事で、見てみたいという願望が湧きましたが、
我が家には何も見るものがありません。

裸眼で見てはいけないと知っていましたので
サングラスをかけてみましたが、それでも眩しすぎて全く見えませんでした。
出社までの道のりのコンビニにもメガネは売っていなかったため
半ば諦めてエレベータに乗り、会社のフロアに着いたのですが、
そこで素敵な出逢いがありました。

掃除のおばさんが、なんとメガネを持って観察しているのです。

思わず、話しかけるとおばさんも嬉しそうに、「見えるわよ!!見えるの!!すごいわよ!!!」と
まるで家族のように受け入れてくれ、一つのメガネで一緒に金環日食を楽しみました。

一生に一度のこの機会を何の縁かで一緒に過ごすことになったことを
二人で不思議そうに、そして嬉しそうにメガネを渡し合いながら語ったことがとても印象的でした。

この方とも、会うべくして出逢っているのだと思うと、
人生は自分から諦めず、出逢いに感謝していきたいと改めて思う一日でした。

追伸ですが、友人たちと話すと色々な観察方法を試した人がいて
とても面白くもあり、怖くもありました。

・ビスケットのリッツに空いている小さな穴から覗いていた人
・黒いごみ袋を3枚重ねてみていた人

人の発想力とはなんと豊かなのだろうと感じさせて頂く一日でもありました。

次は6月6日の金星の太陽面通過がありますね。
これは、今回を逃すと次回は105年後の2117年。
6月6日もどのような出逢いがあるのか、楽しみです。


オルタナティブコンサルタント
眞田 海


「健康作り」

2012年6月 8日

こんにちは、眞田です。

夏が来ますね!!夏の日差し、雲を見ると
なんだか地球がハツラツしているように感じます。
それに釣られて私も元気になるこの頃です。

最近ですが、社内での取り組みの中で、
如何に自分の健康を害さない生活が大切かという事を
考える機会を頂いています。
子ども達の事を考えたら、自分自身の生活やその生き方を通して
その大切さを伝えて行きたいと思いました。

その気づきの実践として、自宅でらっきょう漬けを始めました。
らっきょうは古来から漢方薬の主成分として使われ、
食物繊維の含有率も21パーセントと
食品の中では一番多く含まれていることもあり
効果としては
血液サラサラ効果、疲労回復、筋肉痛および腰痛の解消、
利尿発汗作用、整腸殺菌効果、カルシウムの吸収促進、
骨粗しょう症の予防、心臓の負担を取り除く…
などと言われています。

今年は2kgのらっきょうを買い込み、皮むきとヘタ取りを黙々とやりました。
夫婦二人、終わるころにはコツを掴みとれたように思います。
塩漬けして24時間後、10秒ほど茹でたらっきょうを今年は、2種類の漬け方で
楽しむこととしました。

一つ目は、去年の梅干作りで出来た梅酢を利用したらっきょうの梅酢漬け!

もう一つは、味噌と唐辛子を使った味噌漬けです。

今年の夏は、このらっきょうを食べて健康に過ごしたいと思います。


オルタナティブコンサルタント
眞田 海


「片付けから得た教訓」

2012年6月15日

こんにちは、眞田です。
梅雨入り前の暑さが際立つこの頃ですが
先週末に家の大片付けを行いました。

今回の狙いは、3年以上押し入れに隠れているモノたちと
向き合う事でした。

毎年毎年、大掃除をする中で
明らかに不要と分かるものは処分をしたり
リサイクルに回したりとすることが出来ますが、
実際には、要るとも要らないとも決めきれないものも多数出てきます。

そういったものは、「とりあえず押し入れに入れておく」
という判断をしてしまいがちで、これが数年繰り返されると
押し入れの中には、必要か必要でないのかが良くわからないもので
ごった返してしまう事となりました。

怖いもので、押し入れの中は普段は見ることは無いので、
気付く事がありません。まさに臭いものには蓋ということでしょうか。

という事で、まずは押し入れの中を全て出し、
必要なものから仕舞っていくことを始めました。

仕事の仕方も同じだと思いますが、分からないものを分からないままに
見えないところに仕舞いこんでしまうと、
必要なものを仕舞えず、心にゆとりが無くなったり、
仕事を仕上げることが出来なくなってしまうのだと
実感しました。

今回、我が家で一緒に掃除をして得た教訓は

「必要かどうか分からないものは、分かるまでお蔵入りしない!」

という事でした。
これは、掃除に限らず、生き方そのものに通じるところだと思いますので
今回の教訓を活かして、また家族で話し合っていきたいと思います。


オルタナティブコンサルタント
眞田 海


「お姉ちゃん」

2012年6月22日

こんにちは、眞田です。

梅雨入りしたにも関わらず、
強い日差しと気温の日々が続いています。
熱中症など気を付けて過ごしたいですね。

最近の我が家では、弟が出来た事を喜ぶ2歳の娘が、
お姉ちゃんという事を意識し始めています。

お姉ちゃんだからおもちゃを貸してあげるんだー!と
まだ、やっとものを掴めるくらいになった息子の手、
顔、お腹にどんどんとおもちゃを置いていきます。

息子が欲しいかどうかは別として、お世話をしたいと思う気持ちが
嬉しく思います。

そんな中、支援センターでの事。
小さなお友達と遊んでいたのですが、
そのお友達が娘のおもちゃを使いたがっていたので
妻がどうする?貸してあげたら?と聞いたそうなのですが、
無反応で拒否。

最近よく出る「お姉ちゃんだから」を
この場でも使ってみたそうです。

「お姉ちゃんだから、貸してあげようか!」

すると、簡潔にきっぱりと、

「澪は陽平(息子)のお姉ちゃんなの!!」と断られたそうです。

なるほど、その通りだなぁと思いました。

着実に成長をしていく娘を見ながら、
「陽平のお姉ちゃん」から、これからどんなお姉ちゃんになっていくのか、
とても楽しみです。


オルタナティブコンサルタント
眞田 海


「あるがままの生命力」

2012年6月29日

こんにちは、眞田です。

梅雨入りしてしばらく経ちました。
この鬱蒼とした季節が、生命に力を蓄え、
夏を通り過ぎていくのだと感じると、
十分にこの季節を味わっていきたいと感じます。

先日、去年に漬けた梅酒2種類から
梅を取り出して濾し、瓶詰を行いました。

二つの梅酒は使った梅以外は全て同じでしたが、
現状の香りや味には随分と違いがありました。

梅の違いは、無農薬の梅か減農薬の梅かの違いだったのですが、
漬けこんだ当初はとくには違いには気づきませんでした。
しかし、熟成が進むにつれて、その差が良く分かるようになりました。

無農薬の梅は梅そのものの香りが強く感じられ、
また、濁り自体も少なかったのですが、
減農薬の梅は、梅そのものの香りに加え、
雑味のような香りが微かにします。

アルコールが梅そのものから成分を溶かしていく為、
梅に浸透していた農薬も溶かしたのではないかと感じます。

また、1年以上の長期に酒に漬けることにより、
梅本来の生命力も問われるのか、
減農薬のモノは、無農薬のモノと比べ、
黒ずんでいることが分かります。

去年から始めた梅干作りにも通じますが、
同じ梅や塩でも100年前に当たり前であった梅や塩と
現在売られている梅や塩とでは、随分と違います。

100年前の梅干が現存する中、
スーバーでは梅干に賞味期限が
2週間と書かれているものがありました。

早く、安く、均一に作り出せるように工夫される
最近の風潮は、そのものが持つ本来を引き出すのではなく、
私達大人のニーズに引き合わせるように作られているのだと感じます。
そして、それは長期的にみると、様々な弊害を生み出していると感じます。

梅酒も、1年でこれだけの差が出るのだとすると、
この先どれほどの差が出てくるのだろうかと感じます。
梅がどのような育ちをしてきたかという事が、
長期を見れば見るほどに関係してくるのだと感じました。

大人主体ではなく、子ども主体を貫く理由もここにあるのだと感じます。
在るがままでいられる社会にして行く為にも、
自分自身がその価値を理解し、実践していきたいと思います。


オルタナティブコンサルタント
眞田 海


「自然との調和」

2012年7月 6日

こんにちは、眞田です。

今年は短期間で局地的に大雨が降る傾向が全国的に強いように感じます。
日本は平均すると3日に1回は雨が降る国であり、特に降水量の多い富山では
年に180日降ることもあるそうです(2008年)

改めて、日本は水に恵まれた国であることを感じます。

先日、梅雨の合間を縫って土日と晴れる週末があった為、
家族で初めてのキャンプを山梨県の甲斐駒ケ岳の麓で行ってきました。

娘は昼寝を忘れて自然の中に没頭し、夜には食事をしながらも眠くなり寝てしまい、
朝は6時過ぎから遊びまわり、とにかく2日間で6日間分くらい遊んだのではないかと
夫婦で計算をしてしまう位に楽しそうに遊びに没頭していました。

見た事のないものへの興味と恐怖、感動と不安、沢山の気持との出逢いが
娘の中で繰り広げられていることを見ることが出来た事が何よりも夫婦二人にとっては
良かったのだと感じます。

また、森の中では遊びを自分から作り出すことや、勇気を持って飛び込んでいく事
が必要となってきますが、そういった経験を今回、娘が積むことが出来た為か、次の日には地元の公園で娘が遊ぶ姿が随分と変わったと妻から教えてもらいました。

今までであれば、出来る遊び以外には消極的であった娘も、挑戦し、様々な遊具で
遊びを楽しんでいると聞いたときに、自然の中で過ごした2日間の経験はとても貴重なものであったことを実感しました。

ドイツへの視察研修に行った際にも、森での活動を大切にされていた訳を
子どもを通して実感として感じています。

元々、私たちは自然界の生き物であり、自然の中で調和して生きてきたのだからこそ、
今のような不自然な世の中では、自然との調和が大切なのだと改めて気づく週末となりました。

オルタナティブコンサルタント
眞田 海


「距離の変化」

2012年7月13日

こんにちは、眞田です。

空の雲が、もう既に夏の装いを始めています。
毎朝の空模様ひとつでもこんなに変化の激しい国に生まれると、
一年もまた、早く過ぎていくように感じます。

最近ですが、我が家でも笑いの輪に大きな変化がありました。

今まで、我が家での笑いの発生源は、娘と親、息子と親という関係性から
生まれていましたが、最近、娘と息子が二人でけらっけらとはしゃぎ合い、
笑い合っている姿を見ました。

なんだか、笑いの発生源に親が居ないことに違和感を感じましたが、
同時に、何とも言えない喜びと幸せに包まれました。

これからは、こうして、子ども達同士で笑い合い、助け合い、喧嘩したり、
泣いたりする機会が増えていくのだと想像するだけで、感動して涙腺が緩んでしまいました。

親と子の関係から、子ども同士の関わり作りへと変わりゆく中で、
そういえば、私の親が嬉しそうに私に向けていたあの眼差しは、
思い返せば、兄弟仲良く楽しく遊んでいる時に向けられていたものであったことを
思い出しました。

キャンプや海へ行けば、両親は良く、私たち兄弟に課題を出していたことを思い出します。
そして、自然と笑いの輪が生まれていたことを思い出します。

これから、子どもとの距離感がどのように変わっていくのか。
自分自身の変化、成長も含めて楽しみです。


オルタナティブコンサルタント
眞田 海


「待つということ」

2012年7月23日

こんにちは、眞田です。

雲や日差し、空気や風から梅雨の終わりを感じる今日この頃です。
鬱蒼とした梅雨の季節に蓄えた水分のお蔭で、夏を過ごすことが出来る訳ですが、
自然の循環が止まれば、私たちの生活も止まるように、地球や自然は私達の生命の源であり、
地球そのものが生命であるように感じるこの季節です。

最近の取り組みですが、梅干を作る為に、梅の追熟と塩漬けをしました。
青々とした梅では固い梅干になってしまい、反対に熟れた黄色の梅は痛んで
カビや失敗の原因になるため、その見極めが大切です。
追熟は私が成れと言ってもなるものではないので、待つしかありませんが、
心を切らさずにいないと、腐らせたり、痛ませたりしてしまうので
心を切らさず待つことの大切さと大変さを実感しました。

また、塩漬けでも同じ経験をしました。
昔ながらの製法で、お日様と梅と塩だけで作り、
添加物を加えない為、本当に手間暇がかかります。
塩だけで、梅が全て隠れるほどの水分を梅から出さないといけないのですが、
中々上手く梅酢が上がらず、姿勢を試されました。
何度、市販の梅酢を購入して入れてしまおうかと思いましたが
その度に、現状で出来る事を改めて考え直し、行っては待ち、
漸く梅酢が上がってくれました。

思えば、年々待つという事が出来る自分になっていることを感じます。
昔であれば、待ちきれずに手を加えてしまうか、心を切らしてタイミングを逃して
しまうことが多かったと思いますが、今は何事にも「信じる力」が増してきているように
思います。

子育てにおいても、仕事に於いても、何事にも「信じる力」
があるから、見守ることが出来るのだと体験からまた少し理解が深まったように感じます。


オルタナティブコンサルタント
眞田 海


「学びの機会」

2012年7月31日

こんにちは、眞田です。
夏はこんなにも暑かったのかと、
毎年毎年、この時期になると言っているように思います。

この暑さに体が慣れてきたころには、
もう秋がやってきて、去りゆく夏を少しさみしい思いで
見つめている毎年ですが、今年は季節の移り変わりと
シンクロした夏を過ごせればと思います。

最近ですが、登山をしていて感じることが在りました。
今、カグヤでは自然が持つ法則を体験して学ぶ機会を多くとっており、
先日は皆で自然農実践という事で、田植えをしてきました。

そういった体験の中から、何故私たちは農薬を使うのだろうかと
疑問に思うことが在りました。

一般的には農薬を使わないと、虫が葉や実を食べてしまうと
世の中では言われますが、植物の研究をされる方々の本を読むと、
それは、農薬を使わないから虫が葉や実を食べてしまうのではなくて、
その植物そのものに、「生きる力」が無いからだと仰ります。

自然な環境で、自然に育ってきた植物は生命力が強く、青々としており、
そういった植物は虫もよらず、元気に居るというのです。

それが正しいかどうかは私は実際に研究していないのでわかりませんが、
登山の中で気付くのは、山にある植物は確かに虫に食われず、
青々としていることでした。

農薬は、植物そのものの成長の問題ではなく、
植物が育つ土壌が本来あるべき環境にあるのかという問題を
無視した時に使われるのだと感じます。

そう考えると、教育も子育ても同じ事が当てはまるように感じます。

今ある根本的な問題に向き合わず、
自分が変わらなくても解決する方法を探せば、
農薬のようなものに頼るしかないのかもしれません。

そして、それは親自身が成長する機会を自ら逃しているように
感じてなりません。

私自身、日々を内省し大切な学び、成長の機会を逃さない様に
していきたいと思います。


オルタナティブコンサルタント
眞田 海


「親と子、娘と息子」

2012年8月 8日

こんにちは、眞田です。

夏も全開、暑さも全開ですね。
我が家でもベランダで娘と息子が小さなビニールプールで
水浴びを開始しました。

娘が息子の面倒を見たり息子が娘の行動を見て笑ったりと、
姉弟の関係はお互いにとって大切なことだと実感します。

先日、母親の早い夏休みがあったため、母を連れて家族で温泉へ出かけました。
キッチンが付いているコンドミニアムに泊まり、皆で協力して
食事を作り、場を楽しみ、温泉に浸かるという機会を得て感じたことは、
親が子の面倒を見たり、子が親の手伝いをしたり、それぞれが助け合い、
楽しみあうという実体験も、そのまま自分の子どもの育ちに繋がる事なのだと
感じます。

親に感謝する事、命の循環に感謝する事、その機会を作る事の積み重ねが
自分の人生の豊かさを増していくことでもあり、
自分らしく子ども達へ還元できることでもあると感じます。
自分らしさを通して、理念を実践していきたいと思います。


オルタナティブコンサルタント
眞田 海


「手をかけない」

2012年8月22日

こんにちは、眞田です。

今年も梅干を土用干しする季節がやって来ました。

去年は、十二キロの梅干を漬けましたが、
赤紫蘇を脱水する作業を洗濯機の脱水機で行ったが為に、
その後に家内がびっくりし、笑い転げていた事を思い出します。

あの時は、赤紫蘇を脱水機で脱水するとどうなるのかを
どうしても試したくて仕方がなく、
好奇心が抑えられなかったことを覚えています。

今年は、三分の一の量を
丁寧に、丁寧に、手間をかけて、
手をかけすぎず作っています。

人間の手をかければ、簡単にできる事は沢山ありますが
それでは、本来のそのものが持つ個性を欲が潰してしまう様に感じます。
それは、簡単に言えば、不味くなると言うことだと思います。

手をかけた梅干なら沢山売っています。
折角自分で梅干を作るのだから、やはり美味しく作りたい。

今年はどこまで、梅の本来の味を引き出せるか、楽しみです。


オルタナティブコンサルタント
眞田 海


「見守るほいくソフト」

2012年8月30日

こんにちは、眞田です。

最近、改めて見守るほいくソフトを使って
自分の子ども達の発達を見ていて感じたことが在ります。
ソフトを使っていると発達をよく見て、子どもの「今」が分かるようになると、
同時に「次」が何かが分かるようになってきますが、
この「次」が分かるという事が、親にとっては大変重要なことであると実感しました。

「次」が分かるから、子どもを待つことが出来るのだと感じます。

出来る様になったことばかりしか分からないと、
次を求め、大人の思いで子どもに関わってしまうように感じます。

それが表れたのが以前、
仕事に没頭し子どもの発達を見ることを忘れた四か月間の事でした。

知らず知らずのうちに「次」どころか「今」も主観だけになり、
連続性どころか周りの子どもや「ふつう」という概念に縛られ
子どもを見る様になっていたことに気付かされます。

親としてのゆとり、そして子どもを信じるということは、
思いだけではなく、実際の行動が伴って初めて「信じている」と言えるのだと
感じます。そして同様に、信じる為の実践無くして思うだけでは「ゆとり」も
生まれてこないのだと実感する瞬間でした。

一日の時間を変えることは出来ませんが、本質的な時間の使い方をしていくことで
豊かさと楽しさを味わっていきたいと思います。


オルタナティブコンサルタント
眞田 海


「思いが形作るもの」

2012年9月 7日

こんにちは、眞田です。

毎年9月に入ると空も風も夏が去りゆく切なさを伝えてくれる季節が来たと感じます。
そして、その切なさは前向きな切なさと表現してみたくなるほど、
心地よさを内包している様に思います。
これから残暑が続きますが、少しずつ空が高くなり、空の青さが
変わりゆく様を観察することが楽しみです。

先日、ヨットクラブで先輩から生前の父の話を聞きました。

分かりづらいやつだったな、でも気のいい男だったな。
俺は昔、お前の親父とは仲が悪かったけれど、
今はお前を見ているとお前の親父が羨ましくって仕方がないよ。
素晴らしい親父だよ。と目を潤ませて言ってくれました。

父親のやってきたことは生前も今も変わりませんが
父親の評価はその子どもを見て昔と逆転しました。

その時に昔を思い出したのですが、
私自身も父親が嫌いだったとき、その真逆の事を
別の方から言われた事を思い出しました。

そう思うと、自分がどう思っているかという目線が
その人の人物像を創り上げていくのだと感じました。

今、私は心の底から父親を尊敬しています。
だからその尊敬のまなざしと行動が、
父親の評価を変えたのだと感じます。

善い人になって欲しければ、良い人だと思う事。
信頼できる人に成ってほしければ、自分が信頼する事。
そういった当たり前の法則は、生きている生きていないに関わらず
通用するものなのではないかと感じる瞬間でした。


オルタナティブコンサルタント
眞田 海


「自分を見直す目線」

2012年9月18日

こんにちは、眞田です。

秋空が覗く日々です。
もう少しで土用干しした梅干が熟れてくる頃でしょうか。
今年の梅干もまた、来年、再来年にどのくらい熟成しているのか楽しみです。

最近の取り組みですが、福岡での自然農体験として草刈りをしました。
二人で2反の雑草だらけの畑の草刈りをしたのですが、骨が折れる作業とは
このことであることを実感しました。

今であれば機械を入れて耕してしまえば
一時間に37アール(370反)の草刈りが出来るという事は
ネットで検索をするだけで分かります。

今であればそうやって機械を入れれば一時間でとてつもない面積の
草刈りが出来ますが、昔の人々は毎日毎日コツコツと草刈りをし、
自分のできる範囲の田畑で生活をしていたのだと思います。

言い変えれば、今の時代は自分で出来る範囲を超えて生活をしているのだとも
考えられます。

機械に依存し、経済に依存し、日々の習慣を失い、自然との共存を失う。
私自身、自立からは遠ざかる行動をしていることを改めて感じます。

だからと言って、機械を無くそう、昔に戻ろうというのではなく
未来の子ども達が困らない社会をせめて目指し、そして出来るのであれば
子ども達が喜ぶ社会を作って行きたいと思います。

その為にも、自然農の体験は自分を見直し、
価値観を見直すための大切な取り組みであることを感じます。

自然からの気付きを行動に変えて実践していきたいと思います。


オルタナティブコンサルタント
眞田 海


「季節の食べ物から」

2012年9月26日

こんにちは、眞田です。

秋がやってきました。
この時期の楽しみと言えば、私はイクラの醤油漬け作りです。

筋子を安く買って来て、バラしながら丁寧に薄皮を取り除き、
自分の好きな醤油、みりん、酒で味付けをします。

この時期の筋子は、卵の皮も薄く触感も風味もすばらしいです。
また、何よりも市販のいくらよりも圧倒的に安い!こと、安全!であること
圧倒的に美味しい!ことだと思います。

作られて市販されているイクラは、どうしても製造工程から食卓に並ぶまでに
日数がかかります、また卵の目利きもできませんが、
自分で作ると卵の段階から目利きが出来ますし圧倒的に新鮮かつ
添加物の要らない安全で美味しいイクラができます。

そして、今年は娘と一緒に作りましたので、
娘も筋子がいくらになっていく様を驚き、感動し、楽しむ機会に
なったことも一つ、喜びが増えました。

また、こういったことを家庭で実践していると家族に自然と
「何を大切にしているのか」という思いが伝わるように思います。

イクラを手作りすることが大切なのではなく、
自分で実践する事の豊かさや楽しさに気付ける大切な機会を
これからも大事にしていきたいと思います。


オルタナティブコンサルタント
眞田 海