「見守られる側とは??」
カグヤが大事にしている見守る保育には
子どもたちが他の環境と関わり合うことで
自分で考えて、自分で問題を解決し、主体的な活動を行い
自立できるようになってほしいという思いが込められています。
しかし、この見守る保育とは
何も大人と子どもの関係だけではありません。
上司との関係や同僚との関係、人と人の間にある
関係性について言えるように思います。
何でも人は、やってくれた方がいいと思ってしまいます。
例えば、お腹が空いた時、すぐに食事が出てきたりすると
嬉しく思いますよね。
でもそんな機会が続くとお腹が空いた時の気持ちや
解決方法を忘れてしまう事にも繋がるのかも知れません。
人間にとって当たり前のことが
世の中が便利になる事によって
当たり前が当たり前で無くなることもあります。
お腹が空いているのに空いている事に
気づけなくなってしまうこともあるかも知れません。
トイレに行きたいのにトイレに行きたいと
思うことがなくなってしまうのかも知れません。
これは子どもだけでなく
大人の社会にも言える部分があります。
よく「言われないと行動しない社員」など
ニュースや記事でもよく見かけます。
でもそれは言う前に代わりにやってあげていた大人がいたために
その子が育つことが出来なかったのかも知れません。
何もその人のことばかり責めることもできないことが
今の世の中には起きている様に思います。
カグヤでは上司である社長が細かく先に指示する様なことはありません。
私たちクルーが自分で自立できるように見守り、課題が見つかった時にも
自分で出来るように発達に合わせて援助をしてくれています。
してくれることが前提ではなく、
だからこそ見守られている側も自立で返さないといけないのですね。
社長が見守ってくれているということは
私も見守られていることを自覚しないといけないと思いました。
自分で主体的に動こうとしなければ
社内では会話が成り立たなくなってしまうこともあります。
本当に大人として大成するために、社内の環境が用意されています。
何かをやったから、結果が得られたからいいという事ではなく、
自分がやりたいことが本当に会社の方向性に合っているかが、
重要である事に気づき、反省しました。
社会で組織の一員として貢献するためにも
自立がキーワードの様に最近特に思います。
園にお邪魔すると先生方の大変さは良く伝わります。
大変と思うことの中にはもしかして、
動き方や進め方に一つ課題があるのかも知れません。
私自身、まだまだであり、
こういうことを申し上げることは甚だ恐縮ではありますが、
皆さんと共に自立し、子どもたちが自立できる豊かな土壌を築ける様に
取り組んでいきたいです。
コンシェルジュ
瀬口 拓郎