暮らしフルネスの冬至祭

いよいよ明日は、暮らしフルネスの冬至祭が行われます。そもそも暮らしフルネスは、足るを知る暮らしのことで暮らすだけで仕合せという暮らしそのものに生き方や人生の在り方、生きざまなどがすべて凝縮されたものです。人間は自然のリズムから遠ざかり人間だけの刷り込まれた世界にいると喜びが半減していきます。もともと私たちは、全体と一緒に生きているいのちであり、その循環のなかで役割をいただき天寿を全うしていきます。この寿命というものを深めると、自然に四季のめぐりの素晴らしさや暮らしができる喜びを味わえるものです。

話を冬至に戻せば、明日が北半球において太陽の位置が1年で最も低くなり、日照時間が最も短くなる日です。この冬至を境に、23日から日照時間が長くなります。むかしの人たちは、太陽を観て生活をし、月を観ては内省をして暮らしを紡いできましたからこの太陽が最も短い日はもっとも不安になった日でもあったでしょう。そこから、生まれ変わりという「甦生」の意識が誕生し、古いものが新たになりそして力を取り戻すと信じられたのでしょう。

この甦生は、日本だけでなく古来から世界各地でも似たような行事がありこの冬至の祝祭が盛大に行われています。クリスマスなども誕生祭ともいいますが、この太陽とのつながりからだともいわれます。

中国においては、陰が極まり再び陽にかえる日という意味で「一陽来復(いちようらいふく)」といって、冬至を境に運が上昇すると信じられていました。運とは、下降もすれば上昇もします。太陽がまた上昇してくるということを意識して、太陽の力の恩恵を肖り自分も天高く昇っていこうとしたのかもしれません。

この冬至には、運を上昇するために「ん」のつくものをたくさん食べるといいといいます。由来は、いろはにほへとの最後が「ん」になるのでそこからまたはじまるという意味もあるとの説も。阿吽のうんも「ん」で終わり、すべての終わりは「ん」からというのできちんと終わるということを意味するのかもしれません。

また春の七草があるように、冬の七草というものがあります。これは、なんきん:南京、かぼちゃ、れんこん:蓮根、にんじん:人参、ぎんなん:銀杏、きんかん:金柑、かんてん:寒天、うんどん:饂飩です。

他にも、体を温める作用の強い野菜を七つ集めて冬の七草ともいいます。それは白菜、大根、ネギ、春菊、キャベツ、小松菜、ホウレンソウの七つです。またゆず湯といって、強い臭いで邪気払いをして穢れを祓うというものもあります。冬至にゆず湯に入ると風邪をひかずに冬を越せると信じられてきました。

こうやって私たちの先祖は、自然を深く尊敬し暮らしの中で自然と共に生きてきました。現代は、お金や経済のことばかりで忙しく仕事ばかりに追われる日々に流されてしまいそうですがふと足を止めて、一生に一度しかないこの日を深く味わうことで人生の真の豊かさや自然への感謝に気づきたいものです。そしてそういう偉大な存在への感謝を仲間と共に音楽を奏でながら喜んでもらおうとするのがお祭りです。

子孫のためにも、知恵や慈悲を伝承してよりよい徳を循環させていきたいと思います。

三浦梅園先生の生誕300年のご報告

御蔭様で無事に三浦梅園先生の旧宅で生誕300年の行事を実施することができました。素晴らしい天候に恵まれ、この時期としては最も過ごしやすく穏やかな気候で心も体も深く癒されました。今朝から雨が降っていますが、改めて奇跡のような一日であったと感謝に包まれています。

遠方から多くの仲間たちが前入りしたり早朝からも駆けつけてくださってお手伝いをいただきました。また現地でも時間をかけてお手伝いいただいた方々やこの日のために準備を調えてくださった方々も参加し家族のような雰囲気でした。

行事がはじまると、みんなで三浦梅園先生と代々のお墓の清掃や旧宅のお手入れを行いました。人数が多いこともあり、あっという間に美しく綺麗に調いました。そして英彦山の古文書から甦生した伝説の和漢方不老園をみんなでお茶にして飲んで寛ぎ、三浦梅園先生の菩提寺である両子寺の寺田豪淳さんと300年の法要を行いました。宗派などを超えて暮らしのなかでみんなで遺徳を偲ぶ時間が懐かしく、緩やかな時間と一緒に般若心経を唱える調和に有難い気持ちになりました。250年前から吹き続けられた懐かしい法螺貝を吹いて奉納しました。

その後は、シンポジウムと移りました。改めて300年前、三浦梅園先生が過ごしたこの場でむかしの梅園塾のように30名の仲間たちが語り合い、学び合い、生き方を磨き合いました。

まず各々三浦梅園先生のことをどう感じるかを話し、信条を伝え取り組みを話しました。先生の条理学、自然観、生き方、そのあとは、真の経済ということをテーマに「価原」という先生の著書から学んだことを議論しました。登壇者からは、現代の貨幣経済の問題、時間泥棒のこと、限界集落や相互扶助の大切さ、懐かしい経済について語り合いました。また参加者からも格差経済のこと、連携経済のこと、協働創造のことなど、多岐に及び、時間があっという間に過ぎてしまいました。そして最後は、三浦梅園先生の慈悲無尽講を現代に甦生させるための挑戦を有志でやろうとなりその場でブロックチェーンの徳積帳を使い結に参加し両子山、両子寺周辺の自然環境や行事、お祭り、経世済民を実践するためにみんなで徳の積みたてに参加してくれました。内省シートを記入し、それぞれに気づきや知恵を書いていただき、来春にまたこの場で集まることを約束しシンポジウムを終えました。

お昼は、持参した自家製のむかしのお米をつかった酵素玄米のおむすびを火鉢を囲んでみんなで食べました。また友人の高橋剛さんのお父さんからもパンの差し入れがあり、みかんやお菓子などを食べて心温まる時間を過ごせました。その後は、親友の雲水、星覚さんが中心になってみんなで三浦梅園先生の里で「遊行」を行いました。ぶらぶらと目的を持たずに、先導する杖に委ねて歩くのです。私が先月の遊行中に骨折をして歩けなくなり、歩くことを一時中断することになってはじめて気づいたことなどを伝え、その歩くことの意味や感覚をみなさんで味わっていただきました。法螺貝が里に響き渡り、地域の方々もたくさん出てきてくださって賑やかさに喜んでいただきました。

最後は、みんなでまた生家に帰り一日を振り返り感想を伝えあいました。懐かしい未来、一期一会の場にこうやって一緒に過ごせたことに深い感謝がありました。ご挨拶をして、再会を楽しみにみんなでお別れしました。感謝の余韻の残る、かけがえのない一日になりました。

人生というのは、一度きりです。何を最も大切に生きていくかは、その人の心が決めます。真の豊かさとは、心の中にこそ存在します。真に豊かに生きておられた三浦梅園先生の生き方の余韻や空氣を存分に味わうことで私たちの心にもその片鱗が宿りました。

遺された人生、先祖代々の遺徳に感謝して丁寧に使わせていただき300年後の子孫のために今日も大切に使っていきたいと思います。

ありがとうございました、これからもよろしくお願いします。

小さな改革

マハトマ・ガンジーの思想に、七つの大罪というものがあります。これは現代の人類の価値観に警鐘を鳴らすものです。そこにはこうあります。

1.理念なき政治 (Politics without Principle)
2.労働なき富 (Wealth without Work)
3.良心なき快楽 (Pleasure without Conscience)
4.人格なき学識 (Knowledge without Character)
5.道徳なき商業 (Commerce without Morality)
6.人間性なき科学 (Science without Humanity)
7.献身なき信仰 (Worship without Sacrifice)

そもそも、これらの7つは本来はこうではなかったものがこうなったというものです。つまり政治は理念あるもの、富は労働するもの、快楽は良心あってこそ、学識は人格がつくる。商売は道徳であり、科学は人間性によるもので、本来の信仰は献身であると。この逆になっているのが今の時代の価値観ということです。

例えば、金融や経済などはわかりやすく一部の富の独占と貧困と飢饉によって貧富の差は拡大しています。道徳を忘れてしまえば、商業はますます世の中を非道徳の環境に貶めていきます。ガンジーはこういいます。

「私は、あなたが正しい手段で手にした資産を捨てろとは言わない。しかしその資産は、決してあなた自身のものではない。それは人々のために役立てることができるように、あなたに一時的に預けられているものだ。そのことを忘れてはならない。」

富や財産は決して自分のものではなく、これは単に預かっているものでありまたみんなで循環させていくために活用しようといいます。私たちの身体も同じで、預かっているもので正しい生の循環を止めてしまいどこかで留保し続けたらそこから癌になるものです。経世済民とは、誰かが富を独占し確保するのではなくみんなにサラサラと血液が流れ浄化されるように循環させていくところに幸福もあります。自然と同様に、自然から預かった環境を自分の天命を全うし、また好循環の一部として生を喜び全うしていくことが本来の姿です。

個人主義、利己主義が蔓延する競争と不安の世の中においては、商業が道徳的でなくなる理由はよくわかります。だからこそ、同時に道徳といった、徳が循環する経済を創造しようとしてこそそこに経済大国として世界を調和する大切な役割があるように私は思います。

そしてガンジーはこうもいいます。

「何かを訴えたい、意志表明したいと思ったときに、それを話したり書いたりする必要はない。行動し、生き様で示すしかない。私たちは一人一人の生き様を、生きた教科書にしよう。誰もがそこから学び取ることができるように。」

ということで、私は三浦梅園先生の慈悲無尽の生き方に感動し、それを実践して現代に甦生させてみようと思います。困難や非難もあっても、まずは試行錯誤してみてそれをみんなと切磋琢磨してこの時代の世代の役割を果たしていきたいと思います。

歴史に学ぶ

時代が変わると、人の価値観も変わります。偉い人になろうと人は努力しますが、時代の価値観が偉い人もつくりますから今の時代の偉い人は何かということを考える必要を感じます。

例えば、ある時代は徳の高い人が偉いといわれていたことがあります。その時代は、みんなで高徳の為政者を望みました。またある時代は、戦に強い無敵の為政者を求めてその人が偉い人になりました。またある時代は、お金持ちで成功者がもっとも偉い人といわれるものもありました。その時は、経済に影響を与えていることが偉い人となります。

時代が何を求めているかで偉い人も変わります。人間は、自分にとって有益であること、都合がいい人を偉い人にするものです。偉い人になった人は、その役目を演じて偉い人にまつり上げていかれるものです。実際には、偉い人に依存してしまえばみんなが自立することを怠ってしまいます。むかしから日本には、草莽というみんなで助け合ってみんなで偉い人になろうとする意識がありました。つまりは、自分には何ができるかと真摯に初心に向き合って互譲互助しながら自治を実現してきたものがあります。それが「講」という形でも各地に遺っているものです。

改めて、歴史に学ぶ必要があるのは時代が変わっても普遍的なことを学び直し今どのようにあるかを問うためにあるように私は思います。

陽明学の安岡正篤氏がこのような言葉を遺しています。

「偉くなることは、必ずしも富士山のように仰がれるようになるためではない。なるほど富士山は立派だけれども、それよりも何よりも立派なのは大地である。この大地は万山を載せて一向に重しとしない。限りなき谷やら川やらを載せてあえていとわない。常に平々坦々としておる。この大地こそ本当の徳である。我々もこの大地のような徳を持たなければならぬ、大地のような人間にならなければならぬ。」

偉くなることは、大地になること。大地は本当の徳だといいます。徳を持つことこそ真に偉くなることであるといいます。またこうもいいます。

「ずるいことをやったり、人を押しのけたりして、地位や財産をつくるのも人間の能力、知能のひとつであります。それを使っていろいろのことができる。できるけれども、そんなことができても、これは人間としては少しも偉いことではない。社会的には偉いかも知れぬが、人間としてはむしろ恥ずべきことであります。何を為すか、何をしたかということと、彼はどういう人間か、いかにあるか、ということとは別である。」

社会的な偉さよりも、本来の偉さとはどういうことか、人間として恥を説きます。また同時に人物の偉大さについてはこういいます。

「環境が人をつくるということにとらわれてしまえば、人間は単なる物、単なる機械になってしまう。人間は環境をつくるからして、そこに人間の人間たるゆえんがある、自由がある。すなわち主体性、創造性がある。だから人物が偉大であればあるほど、立派な環境をつくる。人間ができないと環境に支配される。」

偉い人は環境をつくる人であると。環境に支配されない人であると。まさに、先ほどの大地の徳を観ては自立の本質を直感します。そしてこうも言います。

歴史はくり返す。たいていのことは古典の中にある。何千年もたっているのに、人間そのものの根本は少しも変わっていない。自分が創意工夫し、真理を発見したと思っているが、それは大変な錯覚で、すでに古典にのっていることを知らないのだ。」

人間の根本は時代とは関係がない。古典というのは、先人からの知恵であり子孫への伝承です。三浦梅園先生がいた時代、そして300年後の今。まさに今こそ、歴史に学び300年後の未来へ向けて対話をする場が必要だと私は感じてシンポジウムを実現することにしました。

混迷する世の中で、普遍的な道をどう切り拓いていくか。子孫のためにも、実践を積み上げていきたいと思います。

懐かしくて新しい経済

経済という言葉や思想の変遷を深めていると、今の時代の経済がいわゆるむかしの商人の経済になり、それが価値観として最上のようになってしまっていることがわかります。

日本での経済の本来の意味は6世紀以降から中国の古典に記載のある語句に「世を経めて(治めて)民の苦しみを済う(救う)」という経世済民という言葉が使われていました。これは為政者たちが国を治めるために必要な徳目の一つでした。民の暮らしを豊かにして平和を持続するために、経済を調える必要があったからです。目的は、人民の幸福と国家の安寧のためです。

しかし江戸後期になり貨幣経済が発達してくると経済は次第に社会生活を営むための個人の消費や商売活動のみに意識が変わっています。明治に入り、西洋のeconomyという言葉が入ってくるようになりいよいよ経世済民というものは古い概念になり、新しい経済はいわゆる物の消費や利益を確保し個人が富を確保することのように変わってきます。

三浦梅園先生はそもそも為政者は、富を自分のところに留めてはならないといいます。それをすると単なる商人であると、為政者はその富を必要なところに循環させ自分ではもたず経世済民を怠らないことを説きます。最近近い人を見たなと思い出すと、世界一貧乏な大統領といわれたホセ・ヒムカ氏は経世済民の人物でした。資産はなくても心はとても豊かな方です。

話を戻せば実際に江戸初期の商人の行う経済と為政者の行う経済は別物でした。これにより富が独占され世の中が乱れたことで石田梅岩という人物を中心に商売と道徳の融合を唱え、江戸初期には士魂商才といった老舗を代表とする道徳と経済を一致させるような商人道が実践されてきました。大阪の懐徳堂をはじめ、近江商人などその頃は「三方よし」などの全体最適、利他を主軸にした道徳の経済が繁栄していきました。

この道徳の経済は、決して古臭いむかしの終わったものではありません。私の言葉にすれば「懐かしい経済」です。現代の新しい経済はどこか、個人主義や資本主義でいうところの「主義」に囚われ、自己主義で商売をし、国民全体、世界家族全体を豊かにしようとするものからますます遠ざかっているようにも思います。

実体の経済というのは、マネーゲームのように賢い人たちが富を使ってあれこれと遊んでいるのとは別のものです。自然と共生し、豊かな美しい徳に根差した暮らしの中でみんなで自己修養や集団の自治につとめ人格を磨き社会を調和させていくものです。商人が道徳を忘れてしまったら、国は乱れていきます。

実際に江戸時代初期の商人は、為政者の経済ではなく個人主義の経済でしたから卑しい存在だと疎まれたようです。しかし商人が卑しいといわれていたからこそ石田梅岩は、商売と道徳を一致させる商人道を切り拓きました。そして「お金は堂々と稼いだらいい。ただし、商売は正直と倹約の心を持って行わなくてはならないし、得た利益は、最終的に世の中のために役立てなくてはならない。」といい実践しました。

今は逆に道徳ではない商売の方が尊敬されているという不思議な時代です。現代では、お金持ちが偉い人、経済を動かす権威は立派な人だと尊敬されていますが時代が変われば価値観も変わるものです。こういう時は、尊敬されているのだから誰もここから道徳にとはなりません。だからこそ、何が必要か。それは「恥」の意識であろうと思います。尊敬でも軽蔑でもなく、恥の意識を持つこと。

恥ずかしいことをしまいとする、士魂士道、つまり生き方を実践する経済が必要だと私は感じます。これこそ、「懐かしくて新しい経済」になるように思います。

人間は時代の変化と共に価値観が変わります。しかしよくよく歴史に学び直し、価値観が変わっても、変えていいものと変えてはいけないものをしっかりと心に保ち実践することで子孫の永続と繁栄があります。

子どもたちのためにも、利己主義の経済に呑まれないように恥の感覚を磨いて仲間共に徳積みの実践を続けていきたいと思います。

真の経済

三浦梅園先生の著書に「価原」(かげん)というものがあります。これはコトバンクによれば、「1773年(安永2)の著書で、題名は価(賃金、物価)とは何か、価の本質の意とします。これを河上肇が1905年《国家学会雑誌》で、ついでまた福田徳三が、それが貨幣数量説〈金銀多ければ物価貴し金銀少ければ物価賤し〉というグレシャムの法則(悪幣盛んに世に行はるれば精金皆隠る)を主張していることを指摘して以来、江戸時代の経済論、貨幣論の傑出したものとして有名になったが論は広く政治政策論にも及んでいる。」とあります。

貨幣による支配が強まりはじめたこの時代、その貨幣の本当の意味について考察されたものです。現代では、世界中のありとあらゆるところで貨幣経済が浸透して貨幣による世界の支配や競争が激化しています。今から250年も前に書かれた本ではありますが、これだけの時間が経過しても本質は全く変わらないというところが真実を持っているということでしょう。

この価原のことを東京大学名誉教授で梅園学会会長の小川晴久氏が高崎経済大学で行われた梅園学会22回(平成12年度第1回学術講演会(講演抄録))の中でお話されていて大変参考になるので引用させていただきます。

「経済には二つの対立する形態がある。乾没(かんぼつ)と経済である。乾没は相手から富を吸いあげる意で、「利をもって利とする」商賈(商人)の術、経済は経・世済・民(世を経おさめ民を済すくう)の意で、「義をもって利とする」王者の道である。

乾没は今日の意の経済(エコノミー)、経済は政治経済学(ポリティカル・エコノミー)=福祉に当る。(梅園が今日我々が当り前のこととしている経済を乾没という言葉で理解していたことに注意。)そして経済という言葉は当時は経世済民以外の意味では使われていなかったことにも。この二つの形態があることを前提にして、梅園は価原で次の三つのことを強調した。

(1) 豊かさはお金ではなく、水火木金土穀の資源(民用)にあること。また民が豊かであること(民富)が国富であること。

(2) したがって為政者は民富につとめなければならず、富を自分の手元に吸い寄せようとする商人の術、すなわち乾没の手法を用いてはならないこと。国や天下を治める方法は、いつも経世済民的方法でなければならぬこと。

(3) その上で廉恥(れんち)礼譲の風を興すこと。

廉とは欲がないこと、利を人に推すこと。礼譲とは人に譲ること。これは争奪とは反対の態度である。人に譲るとは、目上の人に譲る、弱者に譲る、自分よりもふさわしい人に譲ることである。そのためには衣食が足りなければならない。梅園は礼楽制
度を作らねばならぬと言っているが、この制度は恥の感覚と譲るという精神の二つを根幹とする」

紙幣や貨幣はそもそも交換するための道具の一つであり、生産したものや自然にあるものではありません。そしてそれはくまで資源を大切にみんなで守り育てるため、また民が仕合せになるために用意されたものです。だからこそ人間社会の政治は、経世済民であり、先祖から子孫へと譲られていく徳の循環を守るために誰かやその世代だけが富を独占せずにそれをみんなが分け合い助け合うような仕組みにしようとすること。そのうえで、人間としての自己修養をそれぞれで実践し、利他と譲り合い、分度や推譲、また道徳に適ったものにしていこうとしたように私は思います。

この価原は、自分の分度に応じて不正をしないことを説き、利用・厚生・正徳こそ恥の中心であるといいます。

本来、金融システムや貨幣の仕組みが問題ではなく「人間の問題」であることは誰が考えても突き詰めればそこにいきます。我々人類が貨幣という道具をどのように用いるかで世界がどのようになるのかを予見している著書であるともいえます。これはテクノロジーも同じです。道具は使い手によって、産み出されるものだからです。

人間は受け身になって人間的な自立を諦めるとすぐに外的環境の仕組みや便利を重んじてすぐに奴隷のようになっていきます。ミヒャエルエンデの時間泥棒ではないですが、時間奴隷と貨幣奴隷になっていくものです。そのようにならないためには、人間は今一度、どうあるべきかを立ち止まって考え直す必要を感じます。

三浦梅園先生はその人間教養や修養の大切さを、「正徳」という言葉を主軸に語られています。そしてこの正徳の経済とは、民の仕合せのために相互扶助や互譲互助、利他による喜びの徳を循環させよと仰っているように私は思います。

虚構経済のマネーゲームではなく、実体と実践がある経世済民をもう一度、見直す時機に来ているように思います。私が取り組む、徳積循環経済やこれから子孫のためにできることをみんなと語り合っていきたいと思います。

道徳の実践

二宮尊徳に分度と推譲というものがあります。これは自分の分限を定め、倹約をしその余剰分を未来への投資にまわしていくという仕組みでもあります。しかしこの分度は、とても奥深く単なる金融的な分度だけではなく自分というものを真摯に理解し、先祖からの恩徳に深く感謝して、子孫へその恩を譲るために丹誠を籠めて真心で尽力していこうとする恩返しの意識でもあります。

例えば、お金で考えてみたらすぐにわかります。一般的に自分がお金を何に使っているか、そのお金はほとんどは自分の生活が裕福になるためです。あるいは、今だけを乗り切るためのものです。しかしもしもそのお金を未来の子孫のために有意義に使いたいと思うのなら何に投資するでしょうか。子孫のために美田は買わずという言葉もありますが、財産を大量に遺しても豪華なものをたくさん譲っても、それでかえって一族崩壊ということがほとんどです。だとしたら、どういう生き方を遺すか、どういう生きざまを譲るかということになるように思います。

つまり何に使うかというのが、自分もお金も大事なことでその使命の在り方の方を磨くのがこの分度と推譲ということになるように思います。

この世には、先祖からいただいた「徳」というものがあります。その徳は、先祖の生き方でありその御蔭様で私たちは今の仕合せを享受されています。その徳をどう子孫へと譲り渡していくか、それは感謝の心があれば気づくものです。

先人たちはみんなそうやって、先祖の恩を粗末にしないように、徳が減らないようにとみんなで意識しあいながら時代を譲り続けてきたのです。例えば、今の時代にやりたい放題にやって資源は使い果たし、様々な文化を破壊しまくって自分の子や孫にそれを譲ったら恨まれるのは間違いありません。何も残っていない廃墟のようなものをもらっても、何一つうれしいことはなく恨めしい気持ちだけが子孫から放たれます。それは自分たちの世代がそれをしたからであり、そうではない未来を創造しようとしなかったからです。

大切なのは、子や孫に何を譲り遺してあげたいか。それを思えば思うほどに、遠い祖先といわれる先祖代々が自分たちに何を譲り遺してくれているかを省みることが大事ということでしょう。

シンプルに言えば、お米をつくることであったり、もったいない、有難いというものを大切にする暮らしであったり、いのちや自然と共生することであったり、御蔭さまやお互い様で思いやり助け合うことであったり、つまり「道徳」といわれるもの全般であったのは間違いありません。道徳は学校の道徳知識のことではなく、道徳という生き方の実践の方です。

結局、貧困の本質はこの道徳が失われたことに起因します。比較も競争も、差別も戦争もすべてここからはじまるのです。だからこそ、そうならない世の中にするために知恵を絞り解決できないかとそれぞれの先人たちが試行錯誤して実践したことの一つに二宮尊徳の五常講、報徳仕法や三浦梅園の慈悲無尽講などがあるのです。

この時代、道徳は蔑ろにして仕組みやシステムや便利な技術革新ばかりを追いかけようとします。人間が人間を育てることをやめてしまった未来、諦めてしまった世の中に希望はありません。なぜロボットに支配されるか、なぜAIに管理されたがっているのか、これも道徳の実践が失われている結果ではないかと思います。

本末転倒という言葉もありますが、人間はすぐに本末転倒します。何が枝葉末節であり、何が根源根本であるか。引き続き、先人の遺訓や生きざまから懐かしきを思い、新たな今を創造していきたいと思います。

自然体の道

人は無理をするというのは過信があるものです。もっとできる、もっとやれるというように頑張りますがその時は自信ではないものです。ついなんでも無理をしてしまいますし、そういう教育を施されてきていますからそれが苦しみの原因にもなるのです。

自然体でいるということは、何よりも楽しめますが不自然になるから苦しくなり無理が発生するともいえます。

松下幸之助さんにこういう言葉があります。

『苦しかったらやめればいい、無理をしてはならない。無理をしないといけないのはレベルが低い証拠。真剣に生きる人ほど無理はしない。無理をしないというのは消極的な意味ではない。願いはするが無理はしない。努力はしても天命に従う。これが疲れないこつである。』

無理する人は、無理をしないのは頑張っていない、或いは努力が足りない、逃げているなど消極的なものと思い込み決めつけているものです。しかし実際には、天命にしたがうとかご縁を信じるという努力をしていないともいえます。全部必然と思い、無理をせずに取り組むことこそ自然体に近いように思います。

また無理をしないことは他にも大切な要素があります。松下幸之助さんはこうもいいます。

『富士山は西からでも東からでも登れる。西の道が悪ければ東から登ればよい。東がけわしければ西から登ればよい。道はいくつもある。時と場合に応じて、自在に道を変えればよいのである。一つの道に執すればムリが出る。ムリを通そうとするとゆきづまる。動かない山を動かそうとするからである。そんなときは、山はそのままに身軽に自分の身体を動かせば、またそこに新しい道がひらけてくる。何ごともゆきづまれば、まず自分のものの見方を変えることである。』

何か事件があったり、挑戦しているなかで行き詰ったり、困窮や困難に陥ったりします。しかしそういう時に、無理に同じことをまたやろうとするのではなく、別のやり方、別の観方、別の道があるとするメッセージとも受け取ればいいのです。つまり、無理をするよりもそこから別の道にいけばいいと楽観的に捉えていくことが大切だということです。道は無数にあるという考え方だからこそ、その方が別の道がひらくと思えばいいということです。

大切なのは、挑戦をし続けること、継続して目的地に向かっていくことであってそのためには一度、降りてもいいし、別の道を探してもいい、最後まで諦めていないのだからそれは逃げたのでも努力していないのでも、頑張っていないのでもないのです。

人生は、ちゃんと自分の目的に向かうように潜在意識や内面の自分、あるいは本当の意識は導いていくものです。それを信じて、道は無数にあると思うこと、これしかないではなく、あれもあるこれもある、自分にしかない道があると辿り着くことの中に人生の妙味があるように思います。

追い込まれないよう、追い詰めないよう、自然体で何でもちょうどよかったと楽しく融通無碍に道を歩んでいきたいと思います。

私の好きなもの

自分の好きなことを掘り下げてみると、自分の得意なことや興味関心があることに気づきます。その好きなことというのは、単に物質的な好きなものではなく具体的に取り組んでいこうとする気持ちの好きな方に自分の本心があることにも気づきます。

例えば、私は小さい頃から発明が大好きでした。自分にしか観えないものを形にしていくのは気持ちがよく、それが何の役に立つのかわからなくてもなんでも創造していました。また大人になると発明は多種多様になり、調理なども好きで様々な組み合わせで実験したりして楽しんでいました。今でも、何か新しいことをするのが好きなのは発明したいからです。

この発明の意味は辞書には従来みられなかった新規な物や方法を考え出すことであるとし、また自然法則を利用した技術的思想の創作のうち、高度なものともあり、物の道理を明らかにするものともあります。

私の興味関心は自然にこそあり、人間の知識ではなく自然そのものを明らかにしたいということが好きであることがわかります。本当のことを知りたい欲求や、元々がどうだったのかということを学びたいという願望はとても強いように思います。このかんながらの道ブログも、元来の道を探るために日々に深めているものでもあります。いついかなる時も、自然を観察して自然の道理を読もうという意味では自然科学者に憧れたのかもしれません。三浦梅園先生を尊敬するのもその根っこのところの共感にあるようにも思います。

また他にも好きなことといえば、浄化することです。この浄化は、今の言い方ではシンプルにすること、洗練させることです。磨くことといってもいいかもしれません。何かを為さなくても、日々に磨いたり洗練させたりシンプルにするのがとても好きです。もっと言えば、本物が好きともいえます。本物にしたいのです。

この本物というものの定義は自然になるということです。不自然を正して自然に帰す。先ほどは、発明ということで自然を知りたい願望でしたがそのあとは自然を知って自然に原点回帰したいという願望です。それも単にむかしに戻すというようなことが自然とは思ってはいません。今更縄文時代にというのは不自然です。今の時代に産まれているのが自然ですから、今の時代でもどうあれば不自然ではないかを試行錯誤するのが好きなのです。

それを突き詰めていたら、暮らしフルネスになっていくということでしょう。そう考えてみると、好きなことをやっているものです。せっかくなのでそれを世の中のために役立てようとして、それが仕事になるものを探しているということです。世の中の人に貢献するために発明していますが、なかなかこの発明が時代に適合するのには時間がかかります。

引き続き、それも楽しみ味わいながら発明の人生と自然の道を歩んでいきたいと思います。

場と気の流れ

私たちは場を考えるとき、空間というものの中にあるものを捉えます。空間は空っぽではなく、その空間には気が宿ります。この気というものは、気の流れともいいますがそれぞれが結ばれて気を関係しあうことで空間の中に絶妙な調和をもたらすものです。

例えば、自然界でいってもどの位置に山があり谷があり川があるのかでもその空間の場の空気は変わってきます。よく空気が美味しいという言い方もしますが、そこには空気を美味しくするような場が調っているということです。

これは空気に限らず、水でも火でも、絶妙な調和をもたらせている場所が力を宿す場になっているということです。むかしからそのような場所は、祈りの場所にしたり、癒しの場所にしたりと工夫されてきました。

私たちの感じる居心地のよさというもののまた調和をするときに感じるものです。つまりこの調和を本能的に自覚しているということになります。安心ともいい、喜びともいいます。

こういう場づくりはどのように行うのか、私は自然の中にその調和を見出していきます。そこにはそうなるように絶妙に仕組まれた経緯があります。その経緯を読むのです。

経緯というものは、ご縁とも言い換えることができます。これでは抽象的になりますが、実際には場と縁というのは切っても切り離すことができないものです。このお互いの関係性に気付けるかどうかが善い場を形成するための要諦になります。

ある山に入り、光と水と風、そして木々と音と火や煙、土と岩の絶妙な場所で人が祈る。これだけでもそこには見事な調和や場が誕生します。

つまりこれは気の流れの話です。気をどうするのか、気をどうしたのか、これはその気が観えていること、気を動かせる人、気を鎮められる人というように調和に導く存在の関係性の中で醸成されていきます。

私が場の道場のなかで特に磨いているのはこの一点といっても過言ではありません。この気の流れを読む力は、日々の一期一会のご縁を大切にしていく生き方によって高まっていくものです。

何のために場をつくるのか、この問いが大事になります。

引き続き、子どもたち、子孫のためにも廃れていくものを拾い集め、本来のいのちを場に置き換えてさらなる徳を磨いていきたいと思います。