カグヤの行事

カグヤでは、継続して行っている行事のようなものがたくさんあります。その一つに、初心会議や一円対話などがあります。これは私たちが、もっとも仕事をしていく上で大切にしていることを振り返る場の一つです。

この場の一つというのは、仕組みの一つという言い方もできます。つまりは、環境や習慣にすることで大切なことを忘れないようにすることや、私たちが日ごろから自然に協力して助け合う風土が醸成されるように配置された知恵のようなものです。

日本では古来より、生活文化の中でたくさんの知恵を配置してきました。その代表的なものの一つに日本家屋というものがあります。玄関にはじまり、床の間やおくどさん、箱庭や縁側、仏間があり奥の間もあります。その一つ一つの家のつくりはまさに見事に自然風土と一体になり、如何に知恵の結晶であるかがわかります。

その中で暮らしていく家族は、使っていく道具も知恵ですが行事がさらに相乗効果を高めています。つまりむかしの日本人の知恵の取り入れ方は、ごく自然に、もっとも大切なものを優先できるような場を用意されていたのです。

この仕組みを私はカグヤという会社に取り入れ、日本的経営を行ってきました。この日本的というのは、むかしの知恵を守る経営とも言いかえれます。老舗の日本の店舗や伝統的な会社が理念を大切にしているように、ごく自然に家の中が治まるための仕組みを行事で実践しているのです。

外から見ると、変な価値観がある会社や、真面目な会社、余裕がある会社とか色々といわれますが実際には日本の知恵を守り、社員家族の仕合せを優先するための大切な私たちの暮らしの実践なのです。

その御蔭で、私だけでなく社員、またお客様にいたるまで皆さんこの実践によって守られていきます。理念や初心を忘れないこと、そしてみんなで和合して調えあって働きやすい環境を優しく包んでいくこと。人は何のために働くのか、それは仕合せになるためです。仕合せをいつも確認し合える環境があること、その場そのものこそ仕合せであるというのが本来の知恵でしょう。

子どもたちには、長くて短い人生の中で上質な生き方、働き方をしてほしいと祈ります。その一つのモデルとして、自分たちが実践していくことが将来を豊かに、今を感謝にしていくことのように思います。

この取り組みの輪が広がっていくのを楽しみにしています。

全体快適と一円対話

世の中には、完全なる善人や悪人はいません。みんなその両方を持っています。なぜならある方向からみれば善でも別の方向から見たら悪になるからです。ただ、自分がされて嫌なことはしないとか、思いやりをもって接するとか、善であることを優先して心がけようというものがあります。自分だけが正しいと思い込むと、そうではないという正しさがまた出てくるものです。だからこそ、人は価値観の相違を超えて協力して助け合うとき有難い徳や恩恵がいただけるようにも思います。

自然というものも同じです。自然の変化である生き物たちは辛いことになっても、同時に別の生き物には有難い感謝になったりもします。自然は全体最適ですから、部分最適なことは循環しているなかでは些細なことです。人間の身体も同様に、意味のない臓器も活動していない細胞もなくすべては調和して内外で全体最適をしています。寒くなれば、それだけのことを活動して熱をつくり健康を守ります。

自分の視野をどのようにととのえるのか。この実践の中に逆転の発想や、禍転じて福にしていくような知恵があります。なので自然界ではほどほどがよく、足るを知るものがいいともいいます。しかし人生を色々と体験したい、味わいたいと思っている人は極端になり強欲になることもあります。どれもが完全ではないのです。不完全であるからこそ、全部を持っているからこそ全体快適を目指そうというものです。

私が一円対話で大切にしていることは、この全体快適です。森信三先生はこれを「最善観」ともいい、中村天風先生はこれを「絶対積極」ともいいました。つまりは、自然の中心と共に一体であれば善悪が消え一円のように丸くなるということです。

この丸くなるというのは、日本では「和」ともいいます。和とは、調和の和です。調和の調は、言葉を周るという字で形成されています。これは言葉に神経がゆきとどくという意味でもあります。物事というのは、なかなか全部にはゆきとどきません。しかし、みんなで和合して協力し助け合えばそれを補完しあうことができます。これが一円融合です。

みんながそうなるような「場」をどれだけ醸成してきたか、そこに自然の妙法や智慧があります。今は、個が歪んで歪な関係になりやすい場が増えています。今一度、場を調えることの大切さを子どもたちに伝承していきたいと思っているのです。

私の一つの使命ですから、これは復興、甦生の大事業の一つです。

同志や仲間と共に、世の中を明るく全体快適にしていきたいと思います。

大寒こそ福

もうすぐ大寒を迎えます。この大寒というのは一年でもっとも寒い時期を指し、1月20日から2月4日ころまでをいいます。むかしからこの時機はどのように過ごしていたのか。先人の知恵をどのように伝承していたのか深めてみたいと思います。

まず大寒の朝に汲んだ水は「寒の水(かんのみず)」と呼ばれ縁起物として知られています。大寒の朝に汲んだ水は1年間腐らないと言われ、昔の人達は長期間保管していたといいます。今は水道水で塩素も入っているから腐りませんが、むかしは井戸水や湧き水などでしたからどうしても生活の中で腐ることもあったように思います。

気温が高くなるときに汲んだ水というのは、すぐに細菌が繁殖してしまいます。しかし、大寒の日の朝は凍てつくような寒さ。そしてこの時機の水は雑菌も繁殖できません。そこで大寒の水は質が良いといわれていました。

なのでこの時期に味噌や醤油、お酒などの発酵食品をつくります。いわゆる寒仕込みというものです。発酵は、腐敗するスピードよりも発酵するスピードが速くないといけません。そのバランスが調和しているからこそ発酵するのです。

この寒仕込みであれば、ゆっくりと発酵して腐敗もできず上手く菌が醸成されます。一度発酵してしまえば、あとはお手入れだけですからこの時期にこそやることが重要でした。あとは、大寒に食べるとよいものとしては大寒たまごというものや脂ののった「寒ブリ」や「寒サバ」があります。実際に寒い時期はニワトリが水をあまり飲まずエサをたくさん食べるため縁起物というだけではなく、栄養価も高いからというのもあるそうです。ブリやサバは脂がのって美味しいということです。

他にも代表的なものは甘酒があります。もともとこの甘酒も寒の水が使われていました。大寒の時期に仕込んだ甘酒は美味しく新鮮だといわていて現代でも製菓会社では、大寒を「甘酒の日」と定めるところもあるそうです。

むかしの人たちは、この寒い時期だからこそできることをやりました。まさに禍転じて福にするのです。かつての日本人は、寒いから嫌だではなく寒いからこそと善い方を観ました。そして立春を迎えます。

こういう四季折々の自然の流れに逆らわずにそれをうまく活用して善いことにし、さらなる躍進につなげたというのは素晴らしい知恵です。先人の生き方に倣い、子どもたちの憧れる生き方、働き方を実践していきたいと思います。

試練の砥石

人は何かを志せば試練というものがやってきます。その試練は、その目指した志に対してどれだけ学び乗り越えて自らを磨けるかということになります。自分を磨き、志を達するには試練が砥石になるということです。

その時の砥石に対してどう磨くか、それは刀身を削り落としていくことになります。荒い砥石からはじまり、最後はきめ細かな砥石に移行していきます。大きな試練から日々の小さな試練、そのどの試練も大切な砥石になるということです。

その砥石は何かということになります。これは私は「天」であると直観します。西郷隆盛は人を相手にせず天を相手にせよといいました。これも偉大な砥石であろうと思います。

天がなぜこの試練を与えようとするのか、天は何を学ぶようにとご教授いただいているのかと、天と正対して自分を磨くのです。さらに言えば、天道地理義理人情に照らしあわせて世の中でそぎ落としていかないといけない「私」を磨くのです。

誰かと何かを一緒にやっていくというものもお互いに試練が必要です。共に己を磨き高め、精進していく実践が伴います。目指している志に対して、どれだけ自分が純粋にそのことにいのちを懸けて取り組んだか、それを共にすることで相乗効果を発揮していくのです。

目的を一致させることは、天道地理に必要です。そのうえで、筋道や思いやりが必要です。そのどれもが大切な自分の試練になり、その試練が真に志を成長させます。試練には四苦八苦が伴います。その中で、何を学ぶか、何に気づくか、どう自分を磨くかは自分次第です。

天を相手にして、天命に従い、人事を盡していきたいと思います。

人生の味

人は病気になることで健康の有難みがよく深くわかります。人は何かを深くわかるために、その陰陽の二つを同時に折り畳みその中で混ざり合ったものから味を感じ取るものです。

本来、その両極のものは同質のものです。健康を深く味わいたければ病気の味を知り、病気を深く味わいたければ健康の味を知る。このように味というものはその両方を感じる中で複雑な妙味を感じるのです。

他にも年数というものがあります。経験もあります。時間をかけて何度も振り返ることで、その深い味わいの意味やその理由などがわかります。人生というものは、深く味わうなかで様々な体験を通して感覚と記憶を直観するためにあるのかもしれません。

コロナに感染して、臭いや味がなくなると今まで如何に臭いや味があったことが有難かったを知ります。食べ物がおいしいのは、もちろん体全体が調和して美味しいと感じるのですがその感覚が一つ、二つ失われるだけで味わえなくなります。この味わえなくなることの辛さは言葉にできないものでした。

以前、私がイギリスに留学しているとき親友からある言葉を教えてもらったことがあります。その中には、苦しみを避けて通るのではなく苦しみは味わうことができるというものがありました。いやだなと思うのではなく、その苦しみはどのような味かを感じることができるという選択肢があることで人はその苦労の味の深さを学びます。

苦労というものは、例えば人格を磨きます。そして愛を学びます、他には感謝ができます。それをさらに時間をかけて忍耐強く正対していたら、苦労の醍醐味というか得難い体験をさせていただいていることに気づくものです。

そうするととても逆説ですが、苦労は嫌だけれどもなぜか苦労をしたくなってくるというように味をしめてしまいます。苦労の味を知ってしまうと、わかっているはずなのに苦労をしたくなってしまうのです。

大変な方を選択したり、苦労する方を選択する、他にも自分にとって困難だと思えるような道を選んでいく。それはどのような味が体験できるのだろうかと、人生を味わう方を選択していくからです。

一人一人の人生はそれぞれに天命があります。どのような天命かは、その本人にしかわかりません。しかしその天命をどう玩味するか、妙味を味わい尽くすかはその人次第であります。

どんな意味があるのか、なぜこの時機なのか、そしてこの環境なのか、この出会いか、一つ一つを深く丁寧に味わうと善悪正否を問わず人間はいただいているご縁の味に触れて感動するのです。

味を学び、意味を知り、その人生の最幸の味付けをするのは自分次第です。

初心と原点、一期一会に触れながら日々を味わっていきたいと思います。

鏡餅の徳

先日、鏡開きをしてその御餅を家族や仲間と一緒に食べることができました。お汁粉にしたりあげ餅にしたり、焦がし醤油であぶったりとどれも美味しく元氣をいただきました。

もともとこの鏡開きの由来は、室町時代や江戸時代の武家社会で行われていた「具足開き」にあると言われています。むかしの武家社会では、床の間に飾られた具足(甲冑)にお正月の鏡餅をお供えする「具足餅」と呼ばれる風習がありました。お正月が明けたあとに具足餅を下げ、木槌で割って食べる行事でした。もともとは1月20日に行われていてこの「20日(はつか)」の読みが「刃柄(はつか)」に通じ、「刃柄」を祝うことで武運長久を祈る行事だったといいます。江戸時代に徳川家光が亡くなった日がこの日だったため1月11日になったともいいます。

この御餅を包丁で切ると、切腹を連想させるため縁起が悪いということもあり手や木鎚で割り、「切る」「割る」という言葉を避けて「開く」という言葉を使うといいます。

もともと歳神様を迎え入れ、正月の間、床の間に御鎮座いただきその依り代であったこの鏡餅をいただくことで私たちはその歳神様のお力を分けていただくというものもあります。お米の中にある無限の元氣を取り込んで一年の力にしていくというのが私たちが大切にしてきた伝承です。

私はお米作りもしていますから、種まき苗育て、田植えに草とり、収穫に干して脱穀し炊飯をするまで本当に多くの手間暇と大勢の人たちの見守りでお米が成立していることをいつも実感しています。みんなの力を合わせてはじめてお米が食べられるという当たり前のことを有難いと実感するのもこの鏡餅の行事で場を調えていただいているからかもしれません。

私たち日本人にとっての「和」とは何か、神様として大切にしているものが何か。それはこのお米に関わる協力や助け合いの精神が根源であることがわかります。協力し助け合うことの有難さ、美味しさは格別です。

この世に産まれてきて、どんなものを食べるか、どのように食べるかは、その人たちの生き方が決めるものです。先祖代々、どのように暮らしてきたかを思い出すことで私たちは生き方を磨きます。

子どもたちにも大切な精神や生き方を譲り遺していきたいと思います。

士魂の場

志というものや魂というものは受け継がれていくものです。自分というものだけではない存在、何か自分を超えたものの存在を感じることで私たちは志や魂というものを実感することができるように思います。

例えば、ご先祖様という存在があります。これは、今の私が産まれるまで生きてこられた存在ですがその先祖がどのような志で生きてきたか、どのような魂を持って歩んできたかは目には観えなくても自分たちの心や精神のなかで生き続けて宿っているものです。不思議なことですが、長い時間をかけて先人の生き方を尊重し子孫がその遺言や生き方を受け継ぎ、さらなる子孫へと譲渡していく。その生き方こそが志や魂にまで昇華されてご先祖様と一緒に今も生きているのです。

他にも考えてみると、志を生きた人や魂を磨き切って歩んだ方との出会いは自分の人生を導いてくれているものです。道を教えていただき、道を実践するようになったのもまたその志や魂に触れたからです。そういう先輩や先人、仲間や同志に触れることで志や魂はまた多くの方々に受け継がれていきます。

この志や魂は自分のものですが自分のものではありません。何か偉大なもの、繋がって存在しているものです。そういうものを実感することで自分の中にもあり自分のものではないものと結ばれ一つになります。

離れていても、身が滅んでいても、この世に存在していないようでも意識をすれば目に見えないところで一緒に歩んでくれているのを実感するものです。

徳は孤ならず必ず隣有りというのは、この志や魂のことをいうように思います。自分に与えられた場所、そして境遇で如何に平時から志を立て、魂を磨く実践に取り組むか。

毎日、一期一会に出会い続ける士魂に勇気や愛を感じるものです。

子孫たちにさらに精進したものを譲渡せるように、日々を大切に過ごしていきたいと思います。

天地の学

天地自然の法というものがあります。これは誰かが教えたものではなく、誰かに倣うものでもありません。人間が人間として解釈するのではなく、自然がそのままに存在して運行するものです。

私たちは便利に誰かが観察したものをもってそれを理解して分かった気になれるものです。畢竟、便利さというものはどこか大事なものを欠けさせているものです。結局、便利なものに縋って生きてしまうと便利なものが大事なことになってしまい本来の天地自然の理などは後回しになるものです。

先人たちの中には、安藤昌益や三浦梅園のように誰かの教えたものを観ずに直接天地自然を観察した人たちがいます。本来、人はその師をどこに置くかでその求めているところを直観するものです。

その直観は、人が疑問に思わないところ、当たり前すぎて考えもしないところに置かれるものです。誰も考えないというのは、それくらい当たり前にあって気づかなくなっているものです。

例えば、この呼吸というもの、身体の神経、他にも光や影、空間や場などもです。あって当たり前のもの、なぜそれがあるのかを考えるところに自然を観察するための入り口があります。

なぜというのは、真理の入り口でありそのなぜをどの場所でなぜと思うかで人は学びの場所が変わるということでしょう。

これだけ知識が増えて複雑になった世の中では、知識はさらに便利なもの、特殊なものばかりに偏っていきます。しかし天地というものは、悠久に変わりなくこの先も永遠に普遍です。本来の学びというものは、何を主軸にしているかで自分たちの在り方も変わっていきます。

後世に名を遺すような偉業、つまり子孫たちのために何をすべきかを問う学問は常に天地と正対しているものです。

私も先人たちの生き方に倣い、脚下の観察と実践を味わっていきたいと思います。

野性との共生

池の周囲には大量の白鷺(シラサギ)が飛来してきています。この白鷺は、夏は田んぼでよくみかけ川の畔にはアオサギなどをよく見かけます。結構、印象深い野鳥ですが当たり前すぎて気に掛けることも減っています。

むかしの日本は、これに鶴などの野鳥がたくさんいたのでしょう。鶴はもともと江戸時代までは北海道から関東地方でも見られたようです。しかし明治時代になると乱獲され、さらに生息地である湿原の開発により激減して今では絶滅したといわれます。葦などの湿原が多くあった日本の土地も、今ではほとんど失われています。

まだ白鷺などの方は、田んぼやサギ山といった林や森があるので生息地が確保されています。野生動物たちの生きる場所や生活の範囲を奪うと、生きものたちは行き場を失っていきます。

むかしの人たちは、敢えて杜をつくり生き物たちが生息できるような境界をもうけて見守り合っていました。自然というものをみんなで分かち合い生きることに真の豊かさを感じていました。生き物が次第に減っていく姿をみていたら、本当の貧しさとは何だろうかと向き合うことに気づけるようにも思います。

現在、鳥類の8種に1種が絶滅危惧になっているといいます。そのうち、ツバメやスズメも絶滅するのではないかといわれています。日本はこの150年で3分の2以上の野鳥が絶滅及び減少しました。

鳥が減っている理由には様々ですが、人間が原因であることは間違いありません。人間の生活が、ほとんど野生の生き物を無視しているところに起因しています。都会の人間だけの生活に憧れ人間以外を無視してきた生活が田舎の隅々にまで広がっていきます。

実際には鳥の鳴き声で癒され、魚や虫たちの多様性に花も実も支えられている私たちがそういうものを無視して排除してきたことで生き物は減りました。一度、絶滅してしまった生き物は復活することはなく永遠にそこで失われます。

あと100年後の日本、及び世界はどうなっているのか。子どもたちが未来に生きるとき、その時、野鳥をはじめ野生の生き物たちはあとどれくらい残っているのか。心配になります。

子どもたちの未来を思うと、まだ今の世代の責任を果たすチャンスがあります。身近な小さな一歩からでも、野性との共生をはじめて伝承していきたいと思います。

 

コロナウイルスの振り返り

コロナウイルスのパンデミックがはじまりそろそろ3年目くらいに入ります。このコロナウイルスとは何だったのかと振り返るにはちょうどいい時期でもあります。蝙蝠が由来とか、人為的だとか、色々と起源は判明せず、陰謀説や自然説も今となってはどうでもいいことになっています。

その後のワクチン応酬とゼロコロナなどの隔離、第1波から第7波だのと自粛だ開放だとの繰り返し。マスコミや政府、専門家の言いたい放題で後始末のない現実。病院はコロナに翻弄され、高齢者たちや病気を持つ方々は戦々恐々としてじっとするしかない状態。国民の安全か経済かと天秤にかけ、結局経済最優先という価値観が優勢になり急に世界はゼロコロナからフルコロナへと移行する。コロナの御蔭で環境改善が進むかと思えば、リバウンドで環境がさらに悪化する始末。この隙に応じて世界戦争がはじまっているという状態。

コロナとは一体何だったのかということが少しだけ垣間見えるような気がします。実際のウイルスというものは、単なる病原体にすぎません。これはかつてのパンデミックでも有名な、ペスト、結核、インフルエンザ、天然痘、コレラと同じくあるときに急に感染が広がり世界では死者が急増します。一つの自然現象であり、人間が広域で交流するようになったからこそ出てくる問題です。離島の動物たちが絶滅していくように、他から入ってくる強烈な外来種やウイルスに抵抗がなければ死んでしまいます。それぞれに分を弁えて、移動を制限して生きていればないことですが気候変動もありこれは仕方がないことでしょう。

問題は、自然現象ではなく人工的な現象の方です。例えば、人口密度です。狭いところにこれでもかと人間を押し込み、大量生産大量消費を無理やりに継続させていく仕組み。人口増加はもはや限界値を超え、さらに密度を増やそうをしています。食事も食糧難が来るからと、昆虫を食べるように開発し、サプリ栄養を確保しようと躍起です。未来を予測すると、抗生剤や抗菌剤、ワクチンはじめて遺伝子治療などをしてでもこの人口密集に耐えられる仕組みを人為的に施すことを行き着くところまで繰り返す予定でしょう。そのうち、人間が完全に弱り切ったころに大きな自然災害に見舞われ大量絶滅をするというシナリオでしょうか。これは自然現象かといえば、人間の人為的な行動の結末です。

人間は、わかっていても目先の欲望に打ち克つことができません。歴史は何度もそれで国が滅び、人々が大量に死んでいます。それでもなお同じことを繰り返していきます。解決も抜本的ではなく、対処療法を増やしていくだけで少しだけ延命治療をすることができるようなった具合です。世界が今、一つになろうとしているまさにそのときも、人類を導くようなリーダーは出てきません。むしろ悪化していて、自分の国の利益を我先にと争っては資源を貪りつくします。人間の浅ましさ此処に至れる具合です。核戦争など、本当に嫌です。人間がすべての生き物を殺傷するための大量破壊兵器を使う、これが人工的な現象の最後の姿です。コロナウイルスとは違います。ここに来て、今、どの辺に人類は立っているのかみんなで考え直す時期だと改めて思います。

だからといって現実逃避をする気もなく、こんなところだからこそ私は私で子どもたち子孫のために何ができるかと考えています。常に原点を忘れず、先人たちが残してくださった知恵を守り未来の分水嶺にむけて準備を調えながら徳を磨いていきたいと思います。