日本人の徳~やまと心の甦生~

日本人の心の風景を譲り伝わるものに「歌枕」というものがあります。これは辞書によれば「歌枕とは、古くは和歌において使われた言葉や詠まれた題材、またはそれらを集めて記した書籍のことを意味したが、現在はもっぱらそれらの中の、和歌の題材とされた日本の名所旧跡のことをさしていう。」とあります。

またサントリー美術館の「歌枕~あなたの知らない心の風景」の序文にとても分かりやすく解説されていました。それには「古来、日本人にとって形のない感動や感情を、形のあるものとして表わす手段が和歌でありました。自らの思いを移り変わる自然やさまざまな物事に託し、その心を歌に表わしていたのです。ゆえに日本人は美しい風景を詠わずにはいられませんでした。そうして繰り返し和歌に詠まれた土地には次第に特定のイメージが定着し、歌人の間で広く共有されていきました。そして、ついには実際の風景を知らなくとも、その土地のイメージを通して、自らの思いを表わすことができるまでになるのです。このように和歌によって特定のイメージが結びつけられた土地、それが今日に言う「歌枕」です。」

そして日本古来の書物の一つであるホツマツタヱによる歌枕の起源には、「土中の闇に眠る種子のようなものでそこからやがて芽が生じるように歌が出てくる」と記されています。

日本人とは何か、その情緒を理解するのに歌枕はとても重宝されるものです。「古来・古代」には、万葉人が万葉集で詠んだ歌があります。その時代の人たちがどのような心を持っていたのか、その時代の先祖たちはどのような人々だったのか。私たちの中にある大和民族の「やまと心」とはどのようなものだったのか、それはこの歌枕と共に直観していくことができます。

しかし現代のような風景も人も価値観も文化も混ざり合った時代において、その時代にタイムスリップしてもその風景がどうしても純粋に思い出すことができません。ビルや人工物、そして山も川もすべて変わってしまった現代において歌枕が詠まれた場所のイメージがどうしても甦ってこないのです。

私は古民家甦生のなかで、歌枕と風景が描かれた屏風や陶器、他にも掛け軸や扇子などを多くを観てきました。先人たちは、そこにうつる心の原風景を味わい、先人たちの心の故郷を訪ねまた同化し豊かな暮らしを永遠と共に味わってきました。現代は、身近な物のなかにはその風景はほとんど写りこみません。ほぼ物質文明のなかで物が優先された世の中では、心の風景や大和心の情緒などはあまり必要としなくなったのでしょう。

しかし、私たちは、どのようなルーツをもってどのように辿って今があるのかを見つめ直すことが時代と共に必要です。つまりこの現在地、この今がどうなっているのかを感じ、改善したり内省ができるのです。つまりその軸になっているもの、それが初心なのです。

初心を思い出すのに、初心を伝承するのにはこの初心がどこにあるのか、その初心を磨くような体験が必要だと私は感じるのです。それが日本人の心の故郷を甦生することになり、日本人の心の風景を忘れずに伝えていくことになります。そのことで真に誇りを育て、先祖から子々孫々まで真の幸福を約束されるからです。

私の取り組みは、やまと心の甦生ですがこれは決して歴史を改ざんしようとか新説を立てようとかいうものではありません。御先祖様が繋いでくださった絆への感謝と配慮であり、子孫へその思いやりや真心を譲り遺して渡していきたいという愛からの取り組みです。

真摯に歌枕のお手入れをして、現場で真の歴史に触れて日本人の徳を積んでいきたいと思います。

 

 

流域を見つめ直す

昨日、友人が流域を改善する必要性について話をする機会がありました。この流域とは何か、世界大百科事典大2典によれば「地上に降った雨や雪は,一部は蒸発や蒸散により大気中に戻されるが,残りは地表面や土壌中を流下し,場合によっては地下水を涵養した後に,河川水となって海に排水される。ある河川の河口に着目したときに,その河口から排水される河川水のもとになっている降水のもたらされる範囲を流域という。流域は河口についてだけ定義されるものではなく,河川のある1地点(たとえば,合流点,ダムの建設地点,架橋地点)をとった場合には,その地点に流下してくる降水のもたらされる範囲が,その地点からみた流域となる。」と記されます。

つまり河口から河川で海まで流れ辿り着くまでの範囲のことを指しています。この流域を再思考し観察することで自然災害と自然との共生を考えようとするということの話でした。

そもそも人類というか、すべてのいのちは水よりはじまり水に終わります。私たちは水を循環していのちを分け合い、いのちは水と共に移動してすべての生命を潤し身体も支えます。小さな微生物から昆虫、動物、植物、すべての生きとし生けるもの、無生物と人間が思っているものに至るまで水がなければ活動することはできません。水がすべての活動の根源です。人間であれば、すべての細胞は水を必要とします。その細胞一つ一つは生命があり、その生命を支えるものも水です。そう考えてみると、この流域で考えるというのは真に理に叶ったものであることはわかります。

そこから考えてみると、今の人間社会はどうなっているのか。

水などすべて無視して経済活動だけを優先しています。古代から大切にしていた水は、当たり前に水道を開けばどの家にも流れこみますしその水がどのように海に流れているかなどは考えることはありません。

以前、高島市にある里山の針江生水の郷を見学したことがあります。水路を中心にあらゆる生き物たちがその生活を循環できるように配慮されていて人間の食べ物のカスなどは魚が食べ、その魚もまた食べと小さな循環で生活を営んでいました。私も家で烏骨鶏を飼っており、野菜くずや虫たち、玄米を食べて一緒に暮らしをすると卵をいただきそれがまたお互いの共生を助けます。卵を産まなくても、一緒に暮らしていますから朝の鳴き声で眼を覚まし、日々の緩やかに安心して過ごしている姿に心も満たされます。

この小さな循環というのは、私たちが日々に実践できるものです。それを私は暮らしフルネスの中でも提案しています。人類は人口が増えて、今、宇宙にいこうとか、削減しようとか、バーチャルで乗り切ろうなどといっていますが古代の人はこれを聴いてどう思うでしょうか?知恵は使っていない知識の欲望に呑まれた人類を悲しく思うかもしれません。

本来は、人類の知恵は今でも私たちは先祖たちの御蔭で使うことができます。その知恵を使うことで、私たちは永続する未来を約束されていました。今、水の問題が地球から人類の進む方向へ警告がはじまっています。地球の声をどう聴くかは、知恵のある人たち次第です。

子どもたちの未来のためにも、今、できることから取り組んでいきたいと思います。

 

野生の感覚~いのちの間~

私たちは本来、古代から野生というものを持って誕生してきました。地球と共生する地球の一部としての本能というか、いのちが繋がっている存在でもあります。その野生は、大人になっていくにつれ減退し人工的なものになって都会化していきます。

そのうちにもともと使っていた能力や機能にも蓋をして野生であったことを忘れていきました。そうすると、本来のいのちの感覚や、身体の感覚、精神の状態なども含め、何が本当のニュートラルであるのかも忘れてしまいます。

目で見て知識が増えて、限りなく増幅させていくような幸福に魅せられては足し算や掛け算ばかりでモノを増やして消費してきます。しかし実際には、真の豊かさはその逆で足るを知り、削り取っていく余計なものを減らしていくような引き算のなかにあったりするものです。

野生に戻るには、足し算ではなく引き算のように自分がもっているものを減らしていく必要も感じます。

食べることであれば、たくさんを贅沢に食べるのではなく一つのものを丁寧に味わい、時間をかけてじっくりをいのちをいただく。品数も量も少なくても、その一つから生まれる有難さや喜び、味わいを感じ尽くすことで全身心が野生の感覚になり仕合せになります。まさに足るを知り喜びが満ちるのです。

私も暮らしフルネスのなかで、大切なご縁のものをいつまでもお手入れして味わったり、炭のぬくもりを最後まで味わったり、お水のもつ有難さを感じきったりして喜びが満ちることが何度もあります。

人工的に信じ込んだ増やす事ばかり、やることばかり、スケジュールに追われてお金儲けばかりしている知性のコントロールをしていかないと真に豊かさを感じることもできなくなっていくように私は思います。

必要な分だけということに人類が目覚めれば、人類は永続することができます。地球はその必要な分は用意しているから今までも暮らしてこれたのです。しかし必要以上に、誰かが集めようとしたり、必要ではないものまで獲ろうとすればそのツケは因果応報に自分に返ってきてしまいます。

一人一人がどのように目覚めていくのか、それが試される時代です。

子どもたちのためにも、先人の知恵を頼りながら新たな道を拓いていきたいと思います。

いのちの充実

食べ物には「いのち」というものがあります。いのちは充実することで溌溂とするものです。いのちが元氣な人は、いつもこのいのちが充実するような暮らしを行っています。いのちは、あらゆるものを体験し、さらに輝きを増していきます。そのためには、そのいのちの元氣を支えるための食は必要です。

例えば、いのちが元氣なものというのは自然に育成されたものです。その生のすべてを全うして存在しているものです。生を全うしたいのちであれば、そのいのちは充実し溌溂としますから元氣です。

この元氣溌溂としたものをいただくことで自分自身も元氣が甦生していきます。

今はこのいのちが充実する時間を食べ物に与えません。早く、効率よく、さらには便利に表面上の味わいだけを味付けしたものを食べさせています。元氣のないものを食べるから、さらに元氣はなくなっていきます。

植物でいえば、土が元氣なものはいのちが充実します。植物は土が化けたものであり、私たちは土を食べて元氣をいただているともいえます。海であれば、海が元氣なもの、山であれば山が元氣なものがいのちが充実するのです。

いのちの充実というものは、人間であれば何か。

人間であれば、自分の初心や目的に真摯にいのちを輝かせて生き切っている人たちが充実して元氣溌溂としています。その逆に、日々に流され初心や目的を見失ってしまうといのちは輝きません。人間は主人公として、独立自尊し自立するときに元氣が甦生します。

子どもも同様に、発達を見守りその自由に生きる喜びに生きるときにいのちは充実します。

生き方というのは、その人のあらゆるものに出てきます。どのような生き方を志すかはその人人の自由ですが、その生き方を通していのちを分け合い、尊重し合い、いのちを繋いでいくのです。

子どもたちのためにもいのちの充実する暮らしを紡いでいきたいと思います。

ただ坐ること

先日、「普勧坐禅儀」という書に触れる機会がありました。これは曹洞宗の祖である道元禅師が中国より帰国して最初に書き留めた書物であるといいます。日本の世相の価値観、時代の流れとともにくすんできた真理を甦生すべくその当時に座禅というものの価値を用いて真実の目を開き直させようとした取り組みのように思います。

私もオランダで学び、帰国して一円対話を考案して今に至りますが時代は変われど同じ問題意識であったのではないかと深く共感します。

やり方ではなくあり方、そして本来はどのような仕組みであったのかを探求したのです。つまり教えるのではなく、救うためにどうするべきかを突き詰めたということだと私は思います。

いくら世の中で便利な道具を用いて、あの技法やこの技術などを指導してそれが広がっても救われていなければ意味がありません。今の時代も同様に、これだけの情報が氾濫している世の中でも知っていても救われない、教えているけれど救えないということが往々にして発生していることに気づきます。

そんな世の中に嫌気がさして、どうすれば救い救われるのかと真摯に向き合われていたのが道元禅師ではないかと私は感じました。それがこの座禅の書、普勧坐禅儀の中に詳しく記されていたからです。

あまりにもこの世の嘘に触れていたり偽物ばかりの環境の中にいると、本物であることが分からないだけでなく本物や真実を恐れるようになっていきます。きっと、あらゆる便利なものが増えてきてあれもこれもとやり方が複雑になっていくなかで元が何かもわからなくなっていたのでしょう。元を尋ねて元本を知り、元々に回帰してみるととてもシンプルなものだったということでしょう。

それは例えれば、いのちの源流が水であったり、循環とは遍くすべてを通過することであったり、光も闇も一体であったように、或いは身も心もそもそもは一つであったりと、辿り着けばはじまりを知るという具合です。そこからもっともシンプルな仕組みを取り入れることで時代の価値観に流されず普遍的な生き方を保とうとしたものかもしれません。

あの手この手で悟りを語る宗教者の前に、只坐れというのはその時代はとてもセンセーショナルなものだったように思います。しかし、坐ればわかるとし実際に坐った人たちが感覚が変わる体験をして気づき目覚めていきましたから今でもその道統は燦然と輝き続けているようにも思います。

時代を超えても、坐れば道元禅師の目覚めに気づけるというのはとても有難いことです。場の道場では、目覚めをテーマにしていますからこれらの目覚めの仕組みを色々と探求し、本来の生き方、本質をシンプルに顕現させていきたいと思います。

一期一会の素晴らしい機会になりました、ありがとうございます。

煤払いの暮らし

昨日は、聴福庵と和楽のすす払いを行いました。この煤払いは一般的には12月13日に行います。もともと旧暦12月13日は、婚礼以外は万事に大吉とされる鬼宿日(きしゅくにち)とのことで江戸時代に江戸城で煤払いが広がったからといいます。

もともと神聖な歳神さまをお迎えする神事として厄払いを兼ねて丁寧に準備をして待つという意味でも行われてきました。この後は、正月に向けて門松やお餅つきなども行い新年にむけて清浄な場をととのえていきます。

有難いことに今年は、ご縁のあった曹洞宗の和尚さんに来ていただき家祈祷を行いました。この一年の道具たちや暮らしのあらゆる場に対して御供養していただきました。思い返せば、今年も竈や囲炉裏をはじめ火の神様と共に歩んだ一年でした。当たり前ではなく、この火があることの有難さ、尊さ、そしていつも豊かな人生を助けてくれる暮らしのあらゆるものへと感謝する機会になります。

和尚さんと共に数日間を暮らしていると、朝は日が昇る前に起き座禅をしお参りをします。そして元氣よくご挨拶をしてお掃除をします。一緒に朝食を食べ、一日を合掌と共に過ごします。心豊かに保ち、どんなこともご縁であり学びであるとよく聴きよく観て手を合わせます。夜になれば湯あみをして穢れを払い、またお経を唱えてはお参りをしてお休みします。

丁寧な生き方が暮らしを支えています。

もともと私たちは宇宙の運行や自然の循環とともに丁寧に和合する暮らしを営んできました。その時々の季節のめぐりと身体と心を一致させ感情をととのえて豊かに生きてきました。健康であることの有難さ、静かに過ごすことの仕合せ、太古の昔から足るを知り、幸福を味わって一生を終えていきました。

現代は、人間の都合で経済活動を中心とした時間とお金に管理されて暮らしが消失していきました。季節感もあまりなく、毎日は人間同士の活動で忙しくしています。太古からの暮らしは今では遠いむかしの過去の出来事です。

私は煤払いをはじめてから、懐かしいふるさとを感じる機会が増えたように思います。年末まで色々とあったことを振り返り、一年が豊かで恵まれていたことに感謝するのです。その感謝は、煤を払ったときに美しくその場にととのうものです。

大掃除という言い方ではなく、煤払いという言葉の中にその意味を感じます。積もった雪のような灰も煤も、暮らしの余韻であり仕合せの宝。それを綺麗にふき取って磨いていきまた元の状態を確認していくこと。私たちの日々は、払い、拭いて磨いてお手入れをしていくなかで味わい深いものになり心は安心するものです。

安心できる日々は、生きている深い味わいと実感を得られる日々です。

子どもたちに安心できる豊かな日々を共に創造していきたいと思います。

時代を歩む

人はみんなそれぞれに道を求めて旅をします。旅のなかで自分の出会いたいもの、自分と同じように実践する人を求めては訪ねていきます。それが短い間でも長い間でも、求めているものを探してはご縁を辿ります。

そうやって心を交わし、魂を混ぜ、共鳴して自分自身の人生の道の一つに組み込んでいくものです。出会いによって人生は変わり、道を歩き旅をすることによってその味わいは深まっていきます。

よく考えてみると、仲間というものや同志というものは同じ道を求めているから旅を伴にします。旅をしながら道を辿り、その時々の出会いや発見によって自分の道を深めていきます。時に助け合い、或いは時には支え合い、切磋琢磨、激励し合いながら目指している目的地に向かってそれぞれの場所で挑戦していきます。

気が付けば、旅のあちこちに仲間がいることに気づいて感動もし元氣も養えます。

むかしから同じように旅をしてきた人たちによって今の私たちの時代があります。いつまでも今も人は旅をしながら道を歩み、みんなで一緒に時代を歩んでいるのです。

大きな意味で、人間は意識の旅をしています。

その意識の旅は、時代の旅です。

この時代に生まれてきたこと、出会ったことに深く感謝して私も旅をより美しく味わい深く歩いていきたいと思います。

 

変化の本質

時代の変化というのは人々の意識の変化ともいえます。意識が変わっていくことで価値観も変化し、それまでの常識というものが変わります。同じような日々を歩んでいるようでも、新しい出来事が発生しその中で新たな意識が誕生します。意識というものは目には見えませんが、人々の間でいつも往来していて育っているものです。

10年前に通用したことが、今では全く通じなくなる。自分の強みがかえって負けになっていくということは歴史を見ても往々にしてあることです。それだけ変化というものにどれだけ自分の意識が磨かれているかは重要になります。

本来、普遍的なものや根源的なものは変わることはありません。本質はいつまでも変化はしません。しかしその本質に対しての理解の仕方、やり方などは意識の変化に応じて変え続ける必要があります。その理由は、普遍的なものが次第にくすんでいくからです。まるで塵が積もっていくように、あるいは手入れを怠ることで色あせていくように隠れていくのです。

その隠れているものをどのように磨き直すか。それが掃除であり、お手入れであることは間違いありません。意識というものが増えていくことは、普遍的なものを覆い隠していくのと似ているのです。

そういうものを常に取り払うためには、普遍的な砥石によって磨いて研ぎ澄ませ続ける実践が必要になるのです。私が甦生をするなかで特に大切にしているのはその部分であり、今でも普遍的なものや本質からブレずに丁寧にお手入れを続けているから意識の変化に応じて今を調和していくことを精進しています。

最も危険なことは意識の変化に気づかなくなることです。正解を求めてはあの手この手でやり方ばかりを変えていくことを変化だと勘違いすることです。そうではなく、その時々の味わい方や感じ方、そして正解ではなくすべてのことに一理あるとし一円観で丸ごと受け止めていくことから内省し謙虚で素直であり続けることです。

それはいつも理念や初心に立ち返ること、目的を忘れないで自らと今をさらに善いものにしていこうと努力を怠らず変え続けること。これは中国の古典、殷の湯王の自戒、「苟日新、日日新、又日新」の境地で実践することであろうと思います。

本来、何をやるべきかを他人に委ねてはならないように思います。自らの主人、自らの心に問いかけ、私も日々に新たに聴福人の生き方をする聴福人であることを忘れないでいたいと思います。

1000年の暮らし

私たちが自立という言葉を使う時は、社会の中でということが前提になっています。自然界ではそもそも自立していないものはなく、すべてにいのちを精いっぱい輝かせて活かしあい生きています。これは循環のことを指しています。私たちが自立するには、循環の中にいる必要があるからです。

しかし実際の人間の社会では分断の連続で循環しなくなってきています。そうなると自立ではなく、依存や孤立、特に今の個人主義という思想による利己や自利によって本来の自立とは程遠くなってきています。

自分を大切にの意味も本来の意味とは異なってきています。他にも自己管理の意味も自分を閉鎖し、無理をし我慢することのようにもなっています。

自由の意味も拘束の中の自由となり、鎖に繋がれた範囲での自由を目指して結局は本来の自由を知りません。

自然界の持っている開放感は、何をやっても許されるという安心感です。そこには、自立というルールがあり協力し合うことで喜びを感じ合えるという仕合せに満ちています。

本来の循環は水のようなものです。すべての生き物、いのちを通って海に流れそして雲になりまた雨となって山に降り注ぎます。その途中も経過もすべて水はそのいのちを透過していきます。それを遮断するとどうなるか、ダムなどを見ても明らかです。水が澱めばいのちの循環途切れます。途切れれば、不自然なことが様々に発生します。例えば、その分何かの生物だけが無理を強いられたり元氣をいただくことができず弱っていきます。

つまり真の循環というのは遍くすべてと分け合うときに実現するものなのです。空気も同じく、海も同じく、遍くものに循環をしてはじめて真の豊かな自然は実現するのです。

人間の言う循環は、本来の循環ではありません。特に資本主義の循環などは循環とはもっとも程遠いものです。しかしだとしても人間が長い年月で暮らしてきた歴史は、真の循環の時もあります。これは人間の心の循環も同じです。何度も途切れたり繋いだりしながら3歩進んで2歩下がるような一進一退ですがそれでも人格が磨かれ徳が積まれていけばいつの日か、真の循環に近づいていくと信じてもいます。時代の流行もまた真実ですから、どちらかを否定するのではなく今あるものを使いどう徳を磨くかということが大切だと私も感じています。

子どもたちのお手本になるような生き方、人生の味わい方をバトンとしてさらに善いものにして渡していけるように1000年先を祈り実践していきたいと思います。

むかしの人々

英彦山のむかしの山伏の道を歩いていると、岩窟や仏像、墓石などが谷の深いところにたくさんあります。今は木々が鬱蒼としていて、廃墟のようになっている場所にも石垣があったり石板があったりとむかしは宿坊だった気配があります。むかしはどのような景色だったのだろうかと思うと、色々と感じるものがあります。

守静坊の甦生をするときに、2階からむかしの山伏たちの道具がたくさん出てきました。薬研であったり、お札をつくる木版であったり、陶器や漆器、他にも山の暮らしで使うものが出てきました。

その道具たちを見ていたら、むかしはたくさんの人たちが往来していたのだろうと感じるものばかりです。食器の数も、お膳もお札の数も、薬研の大きさも関わる方々のために用意されたものです。

英彦山は3000人の山伏と800の宿坊があったといいます。この山では谷も深くお米もできませんから、食べ物はどうしていたのだろうかと感じます。これだけの宿坊があり、家族もいますから山の中だけでは食べ物は確保できません。実際に、宿坊にいるとそんなに作物が育てられるような場所も畑もありません。きっと、里の方々、檀家の方々をお守りしお布施として成り立っていたのでしょう。

宿坊には、他にも立派な御神鏡や扁額、欄間などがあります。貧しくもなく、そして派手でもない。しかしとても裕福な暮らし、仕合せをつくるお仕事をなさっていたことを感じます。

庭には、柿の木やゆずの木があります。そして220年の枝垂れ桜があります。足るを知る暮らしを静かに営み、祈りと里の人々の平安を見守るような日々を感じます。

英彦山、お山という存在は人々にとってどのような場所であったのか。

日々に疲れやすい心を癒し、身体を健康にしていくための故郷だったのではないか。今ではそう感じます。お山は誰かのものではなく、みんなのものです。そのみんなのものを大切に守ろうとされてきた方々によってみんなの故郷も守られてきました。今ではほとんど宿坊もなくなり、山伏もいませんがその精神や心、魂はお山の中に遺っています。

この遺ったものを感じ、自分なりにお手入れをしながらむかしの人々の生き方を学んでみたいと思います。