徳治の世

自分らしさというものがあります。これは個性でもあり、その人にしかない天命というものもあります。誰かと比較してではなく、その人がその人にしか与えられていないいのちを最大限発揮していくということです。それが自由でもあり自立でもあります。そしてそれが社会の役に立つようになれば人類の仕合せもあります。

社会で役に立つようにするには、みんなでお互いの自分らしさを尊重し合うような寛容な世の中である必要があります。それぞれがお互いに反省し合い、そして認め合う世の中にしていくことです。

誰かが正しい、誰かが間違っているとなっていがみ合えばいつまでも対立構造が変わらず争いが絶えません。しかしお互いに尊重し合うようになれば、自分も正しい、みんなも正しいという具合にそれぞれの違いを認め合えるようになります。

そのためにどうお互いに折り合いをつけるのかを対話するのが人類の叡智です。

人類は、太古のむかしから真の豊かさとは何か、そして真に平和な世界は何かということを何度も何度も反省しては築こうと努力してきました。そして徳による政治を行うことを孔子は説きました。つまり徳治の世にするということです。

自然界というものは、弱肉強食と教えられます。しかし果たしてそうでしょうか。サバンナやアマゾンをみていても、お互いに自制し合い、尊重し合いながら自然の摂理に従ってお互いのいのちを精いっぱい発揮しています。自然界はまさに自分らしくあります。弱肉強食は、何度も立場が入れ替わりますからお互い様ということです。

人間はその自然の尊重し合う仕組みを捨てて、一方的に権力や権威で集団をまとめようとしていきました。その方が、都合もよく実は時代が変わってもこの辺はあまり変化していません。しかし、この時代、情報化も進み、人類も世界と結ばれ、国境もなくなってきました。人類としてどう生きるのか、どう自分らしさによって真の豊かさに近づけていくのかをみんなで対話する時が近づいているように思うのです。

そのモデルをどの国の誰がやってみせるのか、そして深く静かに実践することで形どっていくのか。今、人類は試練の時です。だからこそ、子どもたちのために徳積財団を立ち上げ、徳治の世を実現しようと挑戦をはじめたともいえます。

いよいよ、宿坊の甦生もひと段落して本懐であった徳積堂の運営をはじめていきます。子どもたちに譲り遺していきたい懐かしい未来を今、この時代に甦生して実践していきたいと思います。

彦山譜の甦生

昨日は、全国的に有名な立螺師が集まり勉強会が行われました。そこには法螺貝を100個以上持っている方、また倍音を研究するためにホルンやトランペットなどあらゆる楽器を深めている方、他には自作の拭き口をなん本も磨いて法螺貝をつくりあげている方がおられました。

音階もさることながら、あらゆる音を出せ、そしてそこには艶があります。音の余韻も、穏やかで静寂が流れるものから、龍が飛び跳ねるような躍動感のあるものまで、まさに信仰そのものが音に現れていました。

鳴り響いた音がずっと身体の中を流れ続けていて、今朝も起きたときに血液の中を駆け巡っているような感覚が残っています。こんなにも音が全身に宿るのかと、今まで感じたことのない音とのつながりを学ぶことができました。

現在、私は英彦山の宿坊の甦生をしています。もともとこの英彦山の甦生に取り組むキッカケになったのは、宗像環境会議のご縁でしたが法螺貝との出会いは英彦山の有名な修行場での出会いです。

そこで法螺貝に触れてから、急に禊や滝行とのつながりが産まれました。今思い返せば、意味があって私は法螺貝を持つことになったことが分かります。

法螺貝の音は、それぞれの風土によって音色も音譜も異なります。基本は、号令や指令などの合図として使われてきたもので軍事的なものにも用いられましたから合図は秘密です。なので口伝でのみ伝承されてきました。そしてそれぞれの地域には、それぞれの文化があるようにその地域の文化の影響を色濃く受けた立螺師もいるし法螺貝も音譜もあります。

英彦山にはかつて、彦山譜というものがありました。今ではそれはもう残っていないといいます。もしも祈りが叶うなら、その彦山譜を甦生させるお手伝いをしたいと昨日、心に決めました。

何百年、何千年も続いてきたその土地の風土を伝承しその土地の風土になるには、その土地でその文化を甦生させ、極め抜きそのものと一体になる覚悟が入ります。まさにこの土地風土の化身のような存在が音色に出てくるはずです。

未来の子どもたちのためにも、風土や文化を顕現する人の営みや精神、そして伝承の知恵など、あらゆる方面から取り組み、それを次世代へと結んでいきたいと思います。

ご縁に心から感謝しております。

自然のリズム

先日、浮世絵師・廣重の東海道シリーズ「三嶋」の中の三嶋明神前でほら貝を吹く男の図というものを見ました。これは何の図だろうと深めていたら、むかしはお役人さんたちが宿場町で時を知らせるのに法螺貝を用いたとありました。山伏だけではなく、むかしは役場職員たちも法螺貝を吹いていたということになります。そういえば、先日、インドから来られた留学生もインドでは朝や夕方にみんな法螺貝で今でも時を知らせているといわれていました。それだけむかしは、法螺貝は暮らしの中で当たり前に存在した道具だったのでしょう。

話は変わりますが、もともと今のような24時間を分刻みで生きるようになっているのは現代の特徴で少し前までは不定時法といって自然のリズムに合わせた時間が用いられていました。

一日の長さを等分に分割する時刻制度を「定時法」で、これに対して一日を昼と夜に分けそれぞれを等分するやり方を「不定時法」といいます。江戸時代までは日本はこの不定時法が使われていました。つまり昼と夜をそれぞれ6等分し、一単位を「一刻」と呼びました。

これを使えば、一日のうちでも昼と夜の一刻は長さが違い、同時に昼夜の長さは季節によって変化しました。つまり時間が昼と夜と季節によって変わるということです。時間に合わせるのではなく、自然のリズムに合わせた時間を生きていたということです。

そしてその時の呼び方も数字ではなく真夜中の子の刻から始めて、昼夜12の刻に十二支を当てました。一方で子の刻と午の刻を九ツとして、一刻ごとに減算する呼び方も使いました。子の刻が九ツ、丑の刻が八ツで巳の刻の四ツまで行ってまた午の刻で九ツから数えます。これは数字だと、同じ数字が2回出てくるのでどちらの2つとか、どちらの3つとか聞き直すこともあったからでしょう。それで夜の九ツ、昼の九ツ、明け六ツ、暮れ六ツといった区別をつけたのです。泣く子も黙る丑三つ時というのもここから出てきます。

これはよく幽霊が出てくる時間帯といわれ怖がられました。これは中国の陰陽五行のもっとも陰の強い時間帯のことです。陰陽はたとえば「月は陰、太陽が陽」「裏は陰、表は陽」ともなります。そして「丑は陰」で「寅が陽」となり、その中間にある「丑寅(午前3時)」は「鬼門」です。つまり「鬼が出入りする」方角となるため、近い時刻の「丑三つ時」が「鬼門」と深い関係があると解釈されこの時に幽霊が出ると信じられたのでしょう。

むかしの人は昼と夜の時間を棲み分けしていたといいます。昼は人の時間で夜は神の時間だったのです。そうやって自然のリズムで自分たちの働き方を換えていきました。今では働き方改革には自然のリズムが無視されています。そのすべては人間中心です。

私たちの暮らしフルネスでは、自然のリズムを取り入れています。人間が本来持っている暮らしの時間は、今まで生きてきた時間軸を使うことで甦生していきます。子どもたちが真に豊かな時間を持てるように、この時代で逆行小舟と言われようとも子どもの憧れる生き方と働き方の実践を磨いていきたいと思います。

今度、法螺貝で時を知らせてみたいと思います。

身近な自然との調和

現在、「サル痘」という感染症が世界で流行り始めています。このサルという名前がついているのを調べたらあまりサルとは関係がないことがわかりました。このサル痘ウイルスによる感染症は、1958年、最初にこのウイルスが発見されたのが医薬品開発のために集められたサルだったことから、サル痘と呼ばれはじめたそうです。

実際にはいろいろな自然動物の血液を解析したところ、リスやネズミなどのげっ歯類がこのウイルスを持っていてこれらの動物にかまれたり、血液・体液・発疹などに触れたりするとヒトにも感染するということがわかっています。それがヒトからヒトへ感染になると大変です。飛まつ・体液・発疹などに触れることで感染していきます。

ヒトからヒトへの感染はあまりないといわれていますので感染拡大はないといわれてますがすでに20か国で感染拡大があったそうです。

また6月から海外からの入国が緩和されていきますが、これから発生してくる感染症をどのように対応していくのかはまだ解決していません。コロナでここ3年間くらいを過ごし、もしももっと強力な感染症が流行ったらまたどうなるのでしょうか。

人間と自然との共生関係やバランスが崩れて行き過ぎると、すぐにこのようなことが発生してきます。島国の動物たちなどがよく絶滅するのも、本来そこにいない生態系やウイルスが入ってきて抵抗力のない生き物たちが絶滅していきます。

現在、アフリカの奥地にあるようなウイルスや、ひょっとするとシベリアの永久凍土の中にあるようなウイルスも人間の移動や輸送のときについてきます。虫たちも船や飛行機と一緒に入ってくれば、それまでの風土の生態系が崩れます。

感染症の問題は、生態系の問題でもあります。そうなってくると環境問題、つまり人間の問題が産み出しているということですから解決がなかなかできないのです。

ウイルスとのイタチごっこですが、治療薬もそんなにすべてをすぐにつくりだすことはできません。この辺で、冷静になって人類はどのようにこれから本来の暮らしをとのわせていくことが永続する未来につながるのかを身近な実践から見つめ直していく必要があるのではないかと思います。

暮らしフルネスの実践を磨いて、身近な自然環境との調和をととのえていきたいと思います。

 

智慧の甦生

守静坊にあった古い道具や食器などを洗っていると、随分と傷んでいました。200年以上前の御椀ですから当たり前ではありますが、どのように修繕すればいいかを色々と調べています。

この時代の御椀はどれもしっかりしていて重厚感があります。今みたいに機械がありませんから一つ一つ、手彫りで行われたこともわかります。それに厚めの漆も塗られていますが、漆がだいぶ剥がれています。直せば何回も使えるものとわかっていますが、今の時代は周囲にそれができる職人も少なく自分でやろうとすると色々と悩んでしまいます。

むかしは、どうしていたのかなと想いを馳せます。

ひょっとしたら自分でやっていたのではないか、御椀にある文字や漆の塗り方をみていたらそれを感じます。むかしは、多くの時間がありました。特に厳しい冬はいろいろな内職をやっていたかもしれません。みんなそれぞれに手に職を持ち、民芸品などの生活用品をつくっていたといいます。

草鞋や蓑などのわら細工のもの、また竹細工のもの、手先も器用になったはずです。

今では機械に任せて、ほとんどの手仕事がなくなっていきました。確かに便利にはなりましたがその分、どのようにそれを直していたのか、どのように修繕をすればいいかといった智慧や伝承も失われていきました。

両方あってもいいのですが、どうしても人間は便利な方、楽な方、安易な方へと流れていきます。特にお金が優先される経済になってから余計に、加速度を上げて変化していきました。

今、私が取り組んでいる甦生はまるでその逆の方へと進んでいます。しかも、機械も否定せずにです。だからこそ、そのバランス感覚を磨く必要があると思っています。

子どもたちのためにも、智慧を甦生して新たな未来を創り続けていきたいと思います。

伝統固定種の甦生

昨日は、自然農の畑で伝統固定種の堀池高菜の種どりをいつも親しくしている情報工学の学生さんや友人のご家族と一緒に行いました。新緑のいい風が吹いていて、今年は特に種をたくさん収穫することが目的でしたからしっかりと種どりを行いました。

もともと高菜というのは、漬物にすることで有名です。日本三大漬け菜として「高菜漬け」「野沢菜漬け」「広島菜付け」があります。そして九州を代表する漬物がこの高菜なのです。

高菜というのは、前にもブログで書きしましたが平安時代くらいに種が日本にも入ったといわれています。平安時代は8世紀末ですから1200年以上前からずっと日本で育ってきたということになります。日本の風土に根付いて、日本の味になり、さらに九州の風土の各地に根付き、それぞれの美味しさに進化してきました。

調べると西暦892年発刊の『新選字鏡』には高菜の事を「太加奈」と記載してあるといいます。明治時代には中国四川省から高菜の在来種というべき青菜が日本伝わり九州・東海地方に伝わったといいます。そこで九州では紫高菜、柳川高菜、相知高菜となり高菜漬に適した三池高菜になったそうです。もともと筑豊地域の高菜漬けはとても美味しかったと年配の方々からよくお聴きすることがあります。

炭鉱の時代、炭鉱夫はお腹を空かせてたくさんのお米を食べたことでしょう。その時、もっとも食卓でご飯の友として食べられたのがこの高菜だったことは簡単に想像できます。それが今では、飯塚のほとんどの農家さんが積極的に高菜を作っていません。

その理由は、やってみるとわかるのですが重労働にもかかわらず見合う収入が得られないということがほとんどです。高菜は安いわりに大変な労力がかかるのです。よくラーメン屋にいけば無料で高菜がついていたりします。他にもスーパーなどで販売していますが、どれも安いことが分かります。高菜イメージが安いというものでできていますから、それが高いと売れないという理由もあって農家さんの収入の役に立ちませんでした。

そういうことがあり農家さんの高菜離れが拍車がかかり今ではほとんど作らくなったということです。さらに福岡には三池高菜があり、その有名な高菜を種をもらい筑豊でも三池高菜の種を植えるようになりました。他にも大手種メーカーで自由に高菜の種を買えますからそれを植えています。そうするとそれまであった地元の伝統固定種と交雑しますし、さらには農薬や化学肥料をつかうことで本来の味わいも落ちていき形状も変わっていきました。

本来の伝統固定種というものが失われていくのは、こういった消費優先の経済活動によってそれまで醸成されてきた1200年の文化ともいえる進化が消失するのです。

よく考えてみたらわかりますが、今もむかしも重労働であったのは1200年間変わっていません。それでも人気だったのは、郷土の知恵料理であり、懐かしいふるさとの味を子どもたちにつないで残していこうとした先人の想いや願いもあったことがわかります。

それが今、安易に生活できないからという理由や便利さを優先し簡単に変化し守る努力を諦めてやめてしまえばそれまでの歴史も潰えてしまうのです。時代が変わっても流行で価値観が変わっても、変えてはいけないものがあると私は思います。それが未来への宝になり、子孫たちへの与贈になるのです。

必ず時が経てば、本当の価値や真実は時間と共に明るみになります。希少価値とはそういうものです。しかしその時にやろうとしても種が残っていなく栽培できる環境がなく、消えてしまってはあまりにも悔いが残ります。これを新しいテクノロジーを活用し温故知新して新たなものにし、新たな価値に乗せて守り育てていきたいと改めて感じる一日になりました。

手触りや手入れは、心とつながっていますから目的や初心を忘れることはありません。人間に寄り添うテクノロジーを私は突き詰めていきたいと思います。伝統と歴史、地域や風土、人、物、心の和合、堀池高菜からはじまる伝統固定種の甦生を楽しみにしています。

反省の大切さ

論語に「吾日三省吾身」というものがあります。これは「吾、日に三つのわが身を省みる。人の為に謀りて忠ならざるか。朋友と交わりて信ならざるか。伝えられて習わざるか」の孔子の高弟、曽子の言葉です。

反省というのは、自分自身の心に向かって内省していくものです。誰かの比較や評価ではなく、その日あったことを振り返り自分自身の心に訪ねて対話をしていくのです。本来の主体性というものは、一方的に外側から伝えられる情報では発生しません。外側で感じたことを内側でどのように感じたか、そして同時に人生の意味や目的や初心などを砥石にしてどのように磨いたかを確かめるのです。

人は失敗することで成長しますが、失敗は反省することで得られます。そして反省したら改善や修繕の創意工夫が産まれます。つまり反省をすることは、人生をよりよく生きる上で何物にもかえがたいものであるのは間違いありません。

松下幸之助さんはこういいます。

「誰でもそうやけど、反省する人は、きっと成功するな。本当に正しく反省する。そうすると次に何をすべきか、何をしたらいかんかということがきちんとわかるからな。それで成長していくわけや、人間として。」

そして稲盛和夫さんはこういいます。

「忙しい毎日を送っている私たちは、つい自分を見失いがちである。そうならないためにも、意識して反省をする習慣をつけなければならない。反省ある人生を送ることにより自分の欠点を直すことができ、人格を高めることができる。」

名経営者たちもまた、反省の大切さに気付き反省することで素直さや謙虚さ、主体性や純粋性などを磨かれ人間として成長を学び続けておられたように思います。

もともと反省は、自分自身との対話ですから一人でやっていくものです。しかしそれだけでは日本の伝統的精神の衆智を集めることはできません。だから私は一円対話という場を通して反省する仕組みを提案しています。

忙しくなるのは、振り返る「場」がないからです。

人は場があれば、その時間は丁寧にその場で自分自身と向き合うことができます。それをみんなで振り返ることができるのならみんなで自己内省したことを共有しあうことができます。

例えば、初心をみんなで振り返る場があればみんなが主体性を発揮して改善していく組織になります。誰かと比較や、思い込みやバラバラになるのではなくそこに確かな協力や共有が深まります。つまりバラバラでも内省によって繋がりあう関係が結ばれるのです。

これを自律分散型の組織という言い方もします。振り返りは、自律や協力をしていくための土台です。これはまず自分自身がそうなっているのかということを振り返ることが前提になっています。自分というものとの付き合い方がととのってないのに、周囲の人との関係をととのっていくことはできません。

自分自身をよく振り返る人は、自立していきます。子どもたちにもその時間や場を設けることの大切さを伝えていますが、そこに関わる方々の場もととのえていく必要があると感じています。

だからこそ論語にある「三省」が大切になるのです。徳もまた内省によって磨かれていくものです。引き続き、生き方を通して一人一人が自分らしく仕合せに生きられる社会のために自分自身と丁寧に一円対話していきたいと思います。

大切な一歩

日本には古来から今まで続く伝統の精神があります。これはずっと先祖代々、親祖から今まで大事にしてきた心であり私たちの基礎や土台になっている重要な文化の源泉でもあります。

つまり何を大切にするかということを、代々、伝承して磨いてきた私たちに備わっている精神文化です。これは空気のように当たり前になっていて気づきにくいものですが、それぞれの民族にはそれまで連綿と続いてきた伝統が必ずあります。伝統とは、伝承されてきた歴史のことです。

この歴史は、風土の影響を受け、或いは、ご縁の影響を受け、また或いは偉大な先人の確立した哲学や実践の影響を受けたものかもしれません。私たち日本人が、よく感じている空気感、場や間、和などもまた日本的精神文化であることは間違いないことです。

ここから何が分かるかと言えば、一つは八百万の神々という言い方があるように多くの神様の意見を集めること。八意思兼神を私も邸内社でお祀りしていますがこの神様は神々のファシリテーターのような役目で一円観を持つ偉大な先祖でした。

もう一つは、徳を重んじることです。自分の主体性を発揮し、自分らしくイキイキと楽しみ喜びながら周囲の喜びになっていくという姿。日本人の仕事観は、本来は「ハタラキ」といって自然のように自分自身を主体的に発揮してみんなのお役に立っているということです。つまり、みんなの働きにみんなで感謝しているという状態。いつも働いてくれてありがとうとすべての存在に感謝しているということです。

さらに一つは、繋がりの中に生きているということです。常に一緒に生きているという存在として思いやりを忘れていません。和の心とは、調和のことですべてのご縁を大切にして繋がっていることを忘れないという生き方です。このつながりに何か大切な意味があるとし、そのご縁の糸を丁寧に丹精を籠めてつなぎます。ご縁をみんなで尊重し合うのです。

日本人は、本来、そういう精神文化の土台の中であらゆる世界の文化を取り入れてj文たちの文化の上に重ねてきました。土台があるから、器があるからそこに盛ることができるのであってそれがなくなればただ散らかっている部屋のようになってしまいます。

今の世の中の問題を眺めてみたら散らかし放題で片付ける人もいなくなっているように感じるのは私だけでしょうか。子どもたちはその散らかった部屋で居場所がなく、あちこちとさ迷ってしまいます。

先人たちの今までの生き方を見つめるとみんな子どもたちにその伝統精神をどう譲っていくかを苦心して努力してきた存在であったことがわかります。

その証拠に、行事や御祭りをしたり伝統的な暮らしをととのえていく場をたくさん用意して反省を続けた形跡があります。

この時代は世界の文化が混じり合っている世紀ですがだからこそ自分たちの文化をちゃんと学び直す必要があると私は思うのです。私の暮らしフルネスは小さな一歩かもしれませんが、先人たちが紡いできた長い道のりの大切な一歩です。

真摯に子どもたちのために、自分の天命をやり切っていきたいと思います。ありがとうございます。

屋根を支えよ、いのり続け世

昨日は、日本茅葺き文化協会主催の茅葺フォーラムに参加してきました。全国各地から茅葺職人さんやその文化を守ろうとする方々が参加しておられました。私もはじめて参加しましたが、会場も熱気がありこの先の未来が楽しみになりました。

私は、有難いことにここ数年の数々の甦生を通して多くの伝統文化に携わる方々と交流を持たせていただきました。文化や歴史と共に歩んでいる方々はどの方も力強く、そして守り守られているような雰囲気があります。

代を重ねるというのは、それまでの代々の遺志を繋いでいるということでもあります。これは生き物たちが子孫を残して今につながっているように、脈々と受け継がれていく智慧があります。この智慧を一つ、自分が担っていると感じるだけで天命を味わえるものです。自分の中に何を残してくださっているのか、自分の中に何が受け継がれているのか、その一つ一つをひも解けば自分の使命を自明していくことも可能です。

個性や能力、そしてその人の宿命や運命は、自ら求めなくても自然に導かれていくものです。この道に入っているのも、また日々の出会いも、どれもこれもが文化の顕現したものです。

歴史の面白さはその謎解きでもあり、解明でもあり、新たにそれを見守り育むことができる仕合せを感じられることでもあります。

以前、ブログにも書きましたが聖徳太子が「屋根を支えよ、いのり続けよ」という縁の下の舞のことを書きました。茅葺の屋根は、みんなで葺いた屋根でその一本一本を重ねて束ねたものです。それが自分の家を守っているということを教え、そしてそれをみんなで葺いたということを忘れるなとし、さらにはその重たい屋根をみんなが支えていくようにと初心を舞いで振り返るようにしました。そのうえで、いのり続けよとは、別の言い方では永続する平和の世がいつまでも続きますようにと願いなさいとしたのです。

まさに茅葺は永続の平和の象徴であり、この屋根が多くある日本こそが世界でもっとも自然と共生し永続し循環する仕組みを大切に守る国であるという理念が顕現した国だったのです。

今の時代、先祖たちはきっと心配しているでしょう。しかし、それでもこうやって屋根を守り、祈り続ける人々がいることで安心してくれているでしょう。今までの歴史を省みても、文化を守ったのは大勢いではありません。どのような困難な時も、繁栄のときも、文化を守ったのはごく一部の限られた人たちです。その人たちの純粋で真摯な生き方や生き様によって今の私たちも文化の恩徳・恩恵を享受されているのです。

文化は消えそうなとき、そして失われそうなとき、もっともそこに力が凝縮するものです。その一本の糸は、簡単には切れることはありません。まさにその瞬間も結び続けます。「結」とは、そういう縁「むすび」のことであり必ず守られるという意味でもあります。

日本の茅葺き屋根の文化がこれからこの世界を変えていく気がしています。子どもたちのためにも真摯にその意味を伝承していけるよう守静坊と共に歩んでいきたいと思います。

善根の真心

善根宿(ぜんこんやど)という言葉を知りました。別の言い方では、御蔭宿ともいいます。これは諸国行脚の修行者、遍路、または行き暮れた旅行者などを無料で宿泊させる宿屋のことです。ただなぜ善根というのか、それはお遍路さんに奉仕をし孝徳を積むことができるかともいいまます。

この孝徳とは、孝行の徳のことです。自分の親を大切にするように、喜ばせて大切にするということです。親孝行とは、子が親を敬い、親に尽くすことをいいます。

デジタル大辞林には、《「ぜんごん」とも》仏語。よい報いを招くもとになる行為。また、さまざまの善を生じるもとになるもの。「善根を積む」「善根福種ふくしゅ」とあります。

もともと仏教には、因果応報の法則というものがあります。そこには「善因善果」(ぜんいんぜんか)「悪因悪果」(あくいんあっか)という言い方をします。これは「善い行いをしていれば、いずれ善い結果に報いられる」その逆に「悪い行為には、必ず悪い結果や報いがある」という意味です。

これは地球を含め、丸い球体をみればわかります。どんなに遠くに投げたものでも必ず自分のところに戻ってきます。つまりどのようなものを積んでいるかで、その積んだ因果が長い年月をかけて戻ってくるのです。その時、善い種を蒔く人は善い花が咲くし善い実を漬けます。そうやって、どのような因果を積むかということを常に意識するのが人生をよりよくする一つの知恵でもあったのでしょう。

しかし実際は、宗教とは別に自分の人生を善悪のどちらかでいるためにこんなことをやっているのではかったのではないかと思います。私の思う信仰は、自他を喜ばせることです。みんなの喜びと自分の喜びが一致することです。それを私は徳積みと呼び、お布施といいます。

お布施行としての善根宿であり、まさに御蔭様で宿っているということでしょう。お互いに仕合せになりような巡礼にしていたのが、本質的な宿坊の役割だったのではないかと思うのです。

仲間や巡礼路の甦生に手掛けていますから、私自身もその一つの役割を果たせるように善根の真心で取り組んでいきたいと思います。