人の形

先日、大宰府天満宮の宝物館で展示されている友人の中村弘峰さんの作品を見学する機会がありました。常に人形を通して、時代時代に生き方を温故知新し変化を求めて挑戦しているそれぞれの代々の生き方の展示でもありとても刺激を受けました。

時代は常に変化して已みません。私たちはこの今も日々に新たな気持ちで自分の中にある初心に正直に生き続けていくことで本当の自分のままで存在することができるものです。

自分の心に素直であり続けることは、本当は周囲の環境とはあまり実は関係ありません。どんな環境下であっても、自分の初心のままであり続けることができてはじめて人は自分を生き、真に自立することができるからです。

どんなときにも初心を優先できるか、この問いは人類一人ひとりに与えられた使命でもあります。

今回、展示の中で感動したものの一つに中村人形の家訓があります。改めてこれはものづくりに関わる人だけでなく、まさに日本人としての初心を忘れてはいけない素晴らしいものだと思い皆さんに共有したいと思いました。こう記されます。

【人の形を作ることを生業とする我が家は代々一子相伝である。

たとえ粥を食へども只ひたすらに良き物を作るべし。

これは初代筑阿弥が残した家訓である。

生活が貧しくとも信念を持ち人形を作ることを第一とする。

人形は人々に夢や希望を与えうるものである。

特に祭りの御神体の様なものは祈りを受ける存在である為、

それを作る時には殊更自我を捨て、無になることが必要不可欠である。

その為、我が家では幼き頃より常に自分のものを人に差し出す事でその特訓をし、

人の形を作る者は謙虚であるべきと教える。

青年になりし頃、心と体を鍛え学問に邁進し、

我が家の後継は必ず修行に出て人の役に立つ為に苦労を買って出る事。

歳を経ても常に純粋で素直であるように、

仕事に臨む時は作らせて頂いている心を大切にする。

初代より我が家は臨終に於いて、

後継は先代の手を握り目に見えるものを受け取る。】

どの文章の中にも、自戒が籠っていてそれが本物の人形を象ることができると諭しているかのように感じます。私たちの身体も本来、自然の一部であり依り代でもあります。その時代時代に、どうやって無我の境地を会得し、どのように人々の心に残るような自分自身を貫遂していくことができるか。

人生のテーマは、先人たちの生き方や生き様からも学べます。子どもたちに、未来の希望が伝承していけるようにこれからも学びを楽しんでいきたいと思います。

心のふるさとのバトン

これから英彦山の守静坊の屋根を茅葺屋根に葺き替えるための本格的な準備は入ります。現在は、トタン屋根になっていますが本来の宿坊の姿を甦生するために元の屋根にする作業です。

この費用が甦生でもっとも決断が必要なものでしたが、日本人の心のふるさとを甦生するためにもこの茅葺屋根は欠かすことはできません。

私の取り組む甦生は、この茅葺だけではなくありとあらゆる日本の伝統文化につながるものを同時に甦生させていきます。それはただ伝統の物を使うのではなく、その伝統の意味も一緒に甦生させていくのです。

例えば、畳一つにしても畳がなぜ存在したのかの歴史的な背景をひも解き、同時にその畳を本物にこだわる職人さんと一緒にその心や伝承を伝道していきます。そして職人さんたちやその土地の人々を結び、本来の日本の結の関係をつなぎ直していくのです。

そのためには大変な手間暇や配慮なども必要になりますが、もともと日本人なら備わっている真心があると確信していますからそれを丁寧に甦生させていきます。

今回の茅葺屋根の甦生も、葺いてしまえば手入れをしていけば30年以上は家を守ってくれます。そしてまた30年経った頃には、また葺き替えをするのでしょう。そのころはもう私も生きていないかもしれませんし、一緒に取り組んだ職人さんたちもいなくなっているかもしれません。

しかしここで今、つなぐことにこそ意味があり、誰もしないから私もやらないではなく、誰もしないからこそ自分がやる必要があるのです。

子どもたちのことを思うと、先人たちの祈りや志、生き方や知恵をつなぎたいと真摯に思います。人生の中で、何がもっとも役に立つのか、そしてどこに心の居場所があるのか、それはもう明白です。

煌びやかで派手なものばかりについ感情的に魅せられますが、それもすぐに消費され飽きてしまいます。しかしこの私が取り組んでいるものは、一生飽きることもなく、そして永遠に知恵として未来の子どもたちの人生を助けます。

今はわからないかもしれませんが、これは本当に100年後、もしくは数百年後に人々が気づききっと感謝しているのがわかります。

それはなぜか。

私自身が、先人たちや先祖たちからいただいている恩徳に心の底から感謝しているからです。よく私のところまで来てくださった、つないでくださった、集まってきてくださったと感謝しているからです。

私の身の回りには、いつもそういう徳の存在のものや人たちが集まってきてくださいます。何よりもその知恵ややさしさ、思いやりや美しさに日々の暮らしが感動に包まれています。

時代の当事者、時代の責任者として普遍的なものを丁寧に紡ぎ、自分がされたように未来の子どもたち、そして後世へと心のふるさとのバトンを渡していきたいと思います。

時代の責任者

ロシアがウクライナに侵攻をして世界は戦争の意味をもう一度、確認することになりました。誰も望まないはずの戦争はいつから発生するのか。それは歴史を省みると少しずつ明らかになってきます。

私たちは最初に戦争をはじめたのはいつか、それは古代の頃、領土を取り合うことではじまります。地域によって得られる富が変わってきますから、当然人はよりよい領土を広げて富を増やしていこうとします。しかしそこには先住民がいたり、あるいは別の人たちがすでに富を確保していたとします。富は、その領土の経済力を決めますから富を守るために強烈な軍隊を持つこともでき、さらに国力を増大してその富を拡大させてさらに富を守ろうとしていきます。

世界は、ずっとその繰り返しで領土を取られたり奪われたりをしてきました。そして現代もまた、冨の拡大のために新たな領土を探し続けて争いはなくなりません。日本でも最初の大きな政府が誕生してきたら富を集中させてそれぞれの領土の人たちのバランスが崩れて戦争にならないようにコントロールしてきました。戦国時代などは自分たちの富を増やし守るために領土を取り合うために発生した時代でもあります。

江戸時代には江戸幕府ができて、戦争が起きないように見張りました。すると領土が拡大できない分、隠れて貿易をしたり年貢を必要以上に取り立てたりと富を守る工夫は続きました。富は、常に人類の戦争の中心にあったのは間違いないことです。

世界には、その理屈を知り、冨をうまく分配し合って助け合う領土もありました。しかし、冨を拡大する領土から狙われる羽目になり失われていきました。自分たちのものにするには、その領土の人たちも自分たちのものにする必要がありましたからそれぞれに言葉や文化、あらゆる価値観を融合していくために宗教なども入っていきました。

今もその構造はほとんど変わっていません。

その当時の人々も、農民や職人たちもそんなに裕福だったわけではありません。裕福だったのは一部の富裕層であり、その富裕層が富を守るために戦争をはじめていくのです。農民一揆なども同じように、貧富の差が拡大することによって人々の不満が高まりさらに押さえつけるために強権を発動していき抑え込める。それが限界に達すると、政権が変わる。そのうちまた同じことが起きて繰り返す。こういうことばかりをずっと数千年も前から繰り返しているのです。

私たち人類は、情報化社会で色々なことを知ってきました。むかしは諦めていた人々も今では、情報を学ぶことによってこれは諦めることではないことを学んでいきました。

この時代、人類が真の幸福や仕合せになるために何をすべきかということを全人類に問われているのです。

冨=幸福という構造を如何に乗り越えるのか、そのためには富は何のためにあるのかから考える必要があります。日本も戦後に物質的には非常に裕福な国になりました。毎日大量のごみを捨てても、まったく影響がないほどに、食べきれない食料をもち、使い切れないほどのお金を持つことができました。これである一面では幸福になったのでしょうが本当にそれだけでいいのでしょうか。

私は、人類がもっとも望んでいるもの、富を超えて本当に幸福を感じるものがどれだけあるのかがそろそろ人類で議論する時期が来ているのではないかと思います。それで暮らしフルネスを実践することを自らがはじめています。

冨ではない別の物差し、真の豊かさということをみんなで考える時期に来ているということです。戦争はもうここまでくると、人間とは切り離せない全体の一部ではありますが自分たち一人一人のみんなが当事者として自分に打ち克っていくことで戦争を小さく未然に防いでいくことができるように思います。

時代の責任者として、こんな時だからこそ暮らしをととのえていきたいと思います。

 

真の知恵

現在、英彦山の宿坊の甦生に取り組んでいますが、仲間や同志たちからたくさんのメッセージや連絡が入ります。私が今、ちょうど必死に取り組んでいるのを汲んでくれているのか、温かく強い言葉をたくさんかけてくれます。

みんなそれぞれの場所で、自分の信念と生き方を守るために自己と向き合い周囲に流されずに踏ん張っています。時代の中で、何度も生まれ変わる中でこうやって友達に再会しそれぞれで励まし合っていくのはとても仕合せなことです。

コロナで不要不急といって、色々なものが失われていきました。

その中には、決して不要不急ではなくても普遍的で何よりも大切な伝統や文化、そして伝承なども失われていっています。そして経済を優先するように働きかけ、経済と関係ないものは後回しという具合にもなってきています。

実はいつの時代も、今回のコロナのような感染症が流行した時もあり、今のように戦争が起きて日常生活が一変したことは人類は体験してきたのです。

しかし今でも、文化が失われず、日本人としての生き方がそれぞれの人や場所に遺っているのはそれは先人たちがどんな過酷な環境下であっても守り通してきたからに他なりません。

つまり今の自分の存在こそが、先人の生きた努力の結晶の証なのです。

そこに私たちは真の誇りと心のやすらぎ、そして居場所を得るのです。

最近は、居場所がないと苦しんでいる人が増えています。それは先祖や先人たちとのつながりが希薄になっているからです。私は家系図を辿ったこともあり、そして家系図で出会った先祖をその後にお祀りすることになり、今では歴史のつながりの深い場所や人、そしてご縁を大切に生きています。

御蔭様でいつも心の深いところに居場所があり、いつも身の周りには先人からの知恵とご加護とお守りに包まれて暮らしていくことができています。

私に言わせれば、「コロナで不要不急だからこそ、本当に大切なものを守る。」ことが今を生き、これからを生き延びるための真の知恵だと感じています。文化に携わる友人たちは、みんな今、大変な想いをしながら自己を磨き利他に挑戦しています。

私もみんなの元氣の一つになれるよう、みんなが勇気を出すためのチカラになれるよう、私の持ち場を守っていきたいと思います。

お互い様の存在

人は人を信頼していると、色々な助けが入ってきます。その助けは、その人に勇気を与え、その人が持っているポテンシャルを引き出す原動力になっていきます。私の人生を振り返りと、いつも人に助けてもらってきた人生であることがわかります。

その助けは、もっとも身近な家族、そして親族、そして同志や友人、またはこれまで出会った素晴らしい生き方をなさっている先人たちからいただきます。そういう思いをいただきそれを心に抱いて挑戦していきます。

この挑戦は、当然結果も出しますがそれ以上にそういうものをいただいて挑戦したという事実に心底救われます。救いというのは、助けと共にあり人が助けを求めるとき救いが顕れるのです。

そしてこの助けには、大前提として人を信頼しているというその心を研ぎ澄ましていることが大切だと感じます。それは赤ちゃんから学び直せます。私たちは最初は赤ちゃんからはじまります。産まれてすぐの私たちは裸一貫で自分だけでは生きていけません。そこで親を頼り、周囲を頼り、はじめて生きていくことができます。

最初からそんな状態ですが自立していく上で、自分も同じように赤ちゃんを守るような力を持てるようになっていきます。しかし、よく考えてみると思うのです。実は、いくら大人になっても自分だけで生きることなど不可能ではないかと思うのです。

だからこそ私たちは自立というものを勘違いしてはならないと思うのです。自分一人できるようになるから助けを必要としないのではなく、常に生まれてから死ぬまで私たちは助けてもらうことで生きていけます。助けてもらう状態、つまり人を信頼したままで、今度は助けをお返しできる人になりたいと「お互い様」が当たり前にできるように学び盡していくのです。

お互い様というのは、感謝を忘れていない赤ちゃんの心であり感謝そのもので信頼している人間そのものの純粋な姿でもあります。子どもたちに、何かを遺したいと精進していますが私自身は子どもたちからいつも救われています。子どものことに関われる人生に心から感謝しています。

これからも子どもや赤ちゃんから人間としての純粋で素晴らしい存在を学び続けていきたいと思います。

いのちの甦生

英彦山の守静坊の祭壇の甦生が仕上がってきました。江戸時代に書かれた建具の絵に仙人が描かれており、そこで学んだ山伏や檀家さんたちの様子が甦ってきました。

私はその時代には生きていませんが、その建具は大勢の人たちがこの宿坊に来て様々なことを学び合い語り合い、そして助け合った記憶を見守ってきました。新しい宿坊になっても、この時を超えた見守りはいつまでも続くようにと願い祭壇の壁面として生き続けられるようにしました。

他にも、もともとあった古材の板をはじめ彫刻や柱など遺してあるものの中でも特に大切に祀られてきたものや飾られてきたものはできる限り修繕をして使っていきます。

私たちの身近にあるものはどれも歴史を持っています。古いものであれば、何代もの主人を経て今の私のところにたどり着いています。前の主人はどのように大切にしてくれたのか、新しい主人はどのような人なのか、物はよく私たちを観ています。

どう考えても私の寿命よりも長いものばかりに囲まれていると、その数奇な運命に人生の妙味を感じます。辿ってきた歳月や、出会ってきたご縁、そして時代の様々な出来事との遭遇、それをすべて体験して今のカタチとして此処にあるからです。

物は物語を持っています。これはただの無機質の物ではなく、時を持っているのです。その時が集まってきたもの、つまり集大成がこの今であり私でもあります。

物を大切にすることも、もったいないとすべてのご縁を活かすこともそれはこの時の中に自分も一緒に存在していることを感じ続けているからです。これを最近では五次元という言い方もするそうですが、元々生まれてきてからずっとこれからも私たちは五次元の中今に存在するということでしょう。

私が仕合せなのは、もともと別の使われ方をするために作られたものがそこで一生を終えるのではなく別の役割をもって甦生していき喜んでいる姿を観ることです。そのものが終わるかどうかは、それを見出し使う側の存在に由ります。

才能があっても見出す人がいて開花するように、道具たちや物たちもそのいのちを活かす側によって開花します。この地球で産まれたすべてのいのちは、そうやってお互いに活かしあい生きるときこそ真の幸福を感じるのです。

私の甦生の流儀は、場にこそ顕れます。

子どもたちに場を遺し、その生き方を伝承していきたいと思います。

日本の初心

現在、英彦山の宿坊の甦生に取り組んでいますがいつものことながら困難続きです。だいぶ、これまでの経験から慣れてはきていますが信じているものの現実の対応には決断ばかりが必要で心身の疲労は蓄積していきます。

振り返ってみると、これまでも古民家甦生は無理難題ばかりの連続でした。当然ながら、費用の問題。大工さんや職人さんたちは一生懸命に取り組んでいますからそのお支払いが必要です。なぜ今までなんとかなってきたのが不思議で、その都度に知恵を出したり周囲の方々からのご寄付があったりして何とかなってきました。

そして次に建物の問題。私がやるところは皆が手入れをやめて荒廃していよいよ最期かというところのものしかご縁がありません。中もぐちゃぐちゃで、木材などもシロアリ被害にあっていて思った通りに工事が進みません。

他にも私の無知からの不手際でご迷惑をおかけしたり、本業の仕事ができなくなりみんなに迷惑をかけたり家族との時間が減り家事を任せきりになっていたりと、いろいろとあります。

何よりももっとも大変なのは、本質を守り続けるためにブレないで最後まで貫遂するための自分自身との正対です。

私が取り組むときに最初に決めるのは、「家が喜ぶか」「本物の和にしたか」そして「子どもに恥じないか」と定めます。今回の宿坊はそれに加えて、お寺ということもあり「布施行」を貫き仲間を増やし、「いのりの場」として子孫に繋ぐためのプロセスを重んじたかと、取り組みの際の自戒を定めてやっています。

何度も費用のことや、楽にやろうとしたり、時間がないなかで時間を敢えてかける方を選択したり、ブレないで自戒を大事に守り取り組んできました。夜中に夢に魘されたり、山の中の寒さで冷え切り体調が著しく崩れたり、心ここにあらずで怪我をしてしまったり、ストレスで頭痛や胃腸を悪くしたりと、思っていた以上に堪えました。

しかし、そんな時こそ足るを知り、いただいている方を観て感謝して同時に信じてくれた自分や周囲の御蔭様に勇気をいただき前進してここまで来ました。周囲からは、順風満帆で明るくやっていますし私自身も弱さを公開せずに徳を積む仕合せをこぼれさせようと顔晴っていますからなかなかこんなことを伝えることがありません。

むかしの諺に「武士は食わねど高楊枝」があります。 これは誇り高い武士はどんなに貧しくても、腹いっぱい食べたかのように楊枝を使って見栄を張っていたというものです。これは見栄をはっていたのでしょうか?

実際には、江戸時代の武士の多くは今でいう政府や役所のお役人でした。彼らの多くは私利私欲に走ることなく世の中のため、民衆のためにと働いた公人でした。現代のように裕福でモノに溢れた時代もある中でも為政者としての武士の倫理規範をもち、無私の奉仕、誠実な生き様を痩せ我慢をしてでも実践した言葉です。

この時代、価値がないと捨てていく大切な伝統や本物の文化が荒廃していくのを見すごせないと私のようななんでもない凡人でも環境がなくても真摯に取り組めば甦生はできるとその姿に何かを感じてほしいと宿坊の甦生に取り組んでいます。

かつての山伏もまた、山で暮らし山を守り、日々に修行に精進して気品高く人々のために盡してこられました。私にとっての山伏は、先ほどの武士は食わねど高楊枝で尊敬する先人であり先達なのです。

その暮らしを甦生するためにも、私自身が同じ境地を少しでも感じたいとこの今も甦生に取り組んでいます。今回の宿坊の甦生、英彦山の甦生は、できる限り多くの方々のお布施や托鉢、そして英彦山を愛し、日本の誇りを甦生するための寄付をなるべく多くの一人ひとりから集めたいと願っています。

それが日本人の心のふるさとを思い出し、日本の初心を甦生させることになると信じているからです。途中経過になりましたが、今の私の心境です。皆様の心に何かが伝わり、一緒に徳を積むことの仕合せや喜びがこの社会をさらに磨き上げて素晴らしくしていくことをいのっております。

宿坊が甦生し、皆さんにお披露目できるのは新緑の頃になると思います。

ぜひ、この「いのりの場」に来ていただくご縁がありましたら心に懐かしい未来の美しい風景が宿りますことを念じております。残りの期間、しっかりと取り組みます。

一期一会

暮らしの修行

人にはそれぞれのそれぞれのお役目というものがあります。他人と比べるのではなく、自分の天命を生きるとき、その天命を通して自分の役目に少しずつ気づいていきます。その役目を受け容れるとき、私たちは諦観を得て安心の境地を感得するのかもしれません。

まだまだ心が定まらないのは、自分のお役目よりも自分の我が先行して執着に囚われているからかもしれません。そんな時こそ、内省をして自分本来の心が実践したがっていることを素直に取り組んでいくことで心の平静を保てるように思います。

人は人に影響をされるし、及ぼされる存在でもあります。その影響は、自分を中心に変化していきますから体験した気づきを学びながら日々の暮らしをととのえていくことで時を味わい時に素直に学べます。

日々の暮らしの修行の面白さというのは、常住坐臥の境地を遊べることかもしれません。

私たちは修行というは何か厳しいものという認識を持っています。しかしよく考えてみたら、生きているというのは自然界では当たり前の厳しさはあります。食べていくだけでも大変ですし、気候の変化や災害、そして病気や外敵などすべての生命はその当たり前の自然の厳しさの中で暮らしています。同時に、自然の慈愛や恩恵もいただき自然界ではいのちを謳歌して何百年も何千年も同じようにこの自然界で楽しみ豊かに生きています。

自然から離れてしまうと、私たちは何か厳しさで何が慈愛なのかを感じにくくなっていくのかもしれません。本来は厳しい中にこそ慈愛があり、恩恵の中にこそ厳しいものがあったりもします。自然はどちらかに偏るのではなく、陰陽調和のように常に中心を保とうとして変化しています。

私たちも自然の一部ですから同じようにすべての生命と同様なことに共に中心を保つように取り組んでいくのです。言い方を換えれば、調和のためにバランスを保つのが私たちの中心であるということです。

心はその中心の軸を保つものです。

心をととのえていく暮らしは、先人たちも今まで行ってきた懐かしい暮らしの中に見出すことができます。私が取り組んでいる暮らしフルネスの中には、その知恵がたくさんあります。

子どもたちに、先人の知恵が伝承され、この地球で健やかに長く平和に暮らしを豊かに楽しんでいけるようにお役目をはたしていきたいと思います。

甦生の意味

私が取り組んでいる甦生は、様々なことを結び直すことです。途切れそうなもの、途切れかけているものを結び、それを子孫や未来へと確かに繋いでいくものです。

例えば、伝統文化の甦生は何を甦生としているか。それは伝統が途切れないように様々な工夫で今の時代に甦らせていきます。新しい発見をし、その知恵が今の時代でも愛され続けるように改善や修繕をしていきます。あるいは、新しい価値を見出してその価値を人々が理解できるようにしています。

それがもし形のないもの、例えば信仰だとしたら同じように甦生させていきます。今までは、当たり前に信仰されていたものが失われてしまいそうになればそれを結び直すために今の時代ならこうやったらいいという提案をします。

よく周囲から発明家やアーティストなどといわれたりしますが、私はただの甦生家です。

丁寧に甦生を続けていくことで、人々が捨ててしまったような荒れた荒野や土地を耕してそれをまだまだ無尽蔵に生きる場所にととのえていくのが本命です。私からみたら、なぜこんなにいいものを捨てるのか。手入れをせずに手放していくのか、理解に苦しみます。

便利な都会で新しい知識や知見は人々の好奇心を揺さぶりますし、楽しいでしょう。しかしそれはすぐに使えなくなるから、すぐに新しいものを生み出しています。そこに本物の知恵はありません。本物の知恵は普遍的であり、ほぼ永遠に活用できるものです。

それは古いものを新しく磨き上げるときに誕生するのです。

私が思う、最先端のテクノロジーとは、もっとも古いものともっとも新しいものを掛け合わせることで磨かれます。この思想を学ぶためにこの「場」があり、私はそこで生き方を実践する道場長ということになります。

周囲には遠大で理解されませんが、甦生を続けていればその価値に気づいた子どもたちが後を受け継いでくれると信じています。

生きている間、少しでも次世代の舞台づくりができるように真心を籠めて精進していきたいと思います。

小さな努力、小さな成功、偉大な志

一つ一つをカタチにしていく中で小さく試すというものがあります。いきなり大きなものをやろうとしても本当にそれができるのかがわかりません。それにもしものことを考えたら足が止まってしまうものです。

そういう時は、まず小さくはじめるというのがコツだと私は思います。それが一つの知恵です。

以前、北海道で植松勉さんと一緒に紙でつくったロケットを飛ばす体験をしたことがあります。あの時も、小さいながらも実物を縮小したものを触った感覚でそれが大きくなったのが宇宙にいくものになります。石風呂をつくったときも、波動石の温度や質感が本当に思った通りになるのかが不安で何回も小さく試しました。小さいものでできたら、それを大きくしていく。これがもっとも成功への近道であったように私は思います。

私はもともとはむかしから慎重で石橋を叩いて渡るタイプです。臆病なのかもしれません。没頭すると、忘れてしまうので余計に試してからと思うようになったのかもしれません。

よく考えてみると、不可能を可能にするのはこの小さくはじめていくことかもしれません。最初から大きいことにすると、可能なことも不可能になってしまいます。周りがどんな風に思おうとも、志があれば小さなことを積み重ねていく努力は続けていくことができます。

本当に偉大なことをやり遂げたいと思うのなら、小さな成功を積み重ねていくことを大事にしていくことだと私は思います。私の取り組みも、今はまだなかなか理解されずにご迷惑をおかけしていますが1000年後の子どもたちのためにも着実に小さな試行錯誤と小さな努力を続けています。

この私が準備していく舞台がいつの日か、子どもたちの未来に結ばれていくように真心を籠めて取り組んでいきたいと思います。