気づくことの大切さ

人は何でも失ってみてはじめてわかるものがあります。ある時は、当たり前と思っていてもなくなってしまうとどれだけ大きな存在であったかということに気づくのです。

私たちの心には、いつも繋がっている存在がありその存在によってご縁を結んでいます。その結んでいるご縁の存在にどれだけ心が救われているのかと思うと計り知れないものであることに気づきます。

例えば、居場所という存在、信頼する人とという存在、心の拠り所というものがあります。

私たちは生きていく中で、お互いを支え合い助け合い自分を立てていることに気づきます。自分の人生の中で、深く関わっているご縁は安心基地を醸成していきます。その安心基地の存在は年齢と共に少しずつ変化していきます。

私たちは人生の中で、最初に父母に恵まれ、家族に恵まれ、友人、仲間、あらゆるものに恵まれてその人生を成り立たせていきます。どの存在も深く自分というものに結ばれているもので、そのどれが欠けても自分というものはできません。

そう考えてみると、この自分というものを形成するのは周囲の存在があってこそということに気づきます。その存在が喪失していくことの深い悲しみ、そして新しい存在が誕生することの仕合せ、こうやって私たちの心はそれぞれに拠り所と出会い人生を彩るのです。

失ってみてはじめてわかるのは、自分の心の拠り所の一つであったという事実。そして一緒に生きてお互いに助け合い支え合って生きてきたという事実。さらに、お互いに愛を与えあい結ばれた存在であったという事実があるということです。

ずっとあると思えば、どうしても粗末になってしまうのが人間です。なくならないと思うから大切にしなくもなるのです。しかし、加齢とともに出会いと別れを繰り返していくとそれがいつかは失われていくことに気づいていきます。

だからこそ、このかけがえのない一瞬、一期一会を大切にしたいと心が感じるようになるのです。失いかけて気づくものもあれば、失って気づくものもある。そして失わずに気づくこともあります。

私たちは気づきをし、心を取り戻していきますから大切なことに気づく日々を過ごしていきたいと思います。子どもたちにも、このかけがえのない日々に感謝できる環境を見守り続けていきたいと思います。

場を磨く

私の故郷は、もともと庄内村ですが嘉麻郡を経て嘉穂郡となり飯塚市なっています。この嘉麻郡の由来は日本書紀巻18に安閑2年(535)安閑天皇の条に筑紫の穂波屯倉・鎌の屯倉等を置くというものが由来です。

和銅6年(713)に諸国の郡郷名に好字を付けることが命令されそのときに嘉麻の字になりました。そして明治29年(1896)に嘉麻郡、穂波郡が合併して嘉穂郡となるまで約1,300年間は嘉麻郡のままでした。そしてこの年、嘉麻郡と穂波郡が合併して嘉穂郡 となりました。その後はこの嘉穂郡の一部が飯塚市の中に組み込まれて今があります。

少しだけ前に遡った明治22年ころまでは、庄内村は綱分村、赤坂村、筒野村、高倉村、入水村、山倉村、有安村、多田村、仁保村、大門村、元吉村、有井村で構成されていました。現在まで私が住んでいた場所は、この中の綱分村と有安村です。

この綱分村にも綱分八幡宮を中心に歴史があり、有安にも獅子舞をはじめとした文化が遺っています。

現在、合併を続けていく中で、それまで大切にされていた村やその場所の歴史も次第に失われていきます。小さく分かれていた時は、その小さな中で文化の誇りや遺徳、信仰なども細かく語り継がれてきました。それがなくなっていくというのはとても残念なことです。

合弁して簡単に一つにしますが、本来その場所は風土によって環境も文化も完全に異なるものです。日本国土が自然豊かで多様性があるように、その場所場所は多様性に富んでいます。

地名が一つなっても場所の魅力というのはそれぞれで異なるのです。その場所を知り尽くしている人は、その場所の魅力を知り磨き続けていくことができます。私はこの庄内村出身ですが、この場所のもっている徳や歴史が身体に沁みこんでいます。だからこそ、この場所の活かし方や使い方、もっている魅力を引き出すことができるのです。

こうやってそれぞれの故郷でみんなが魅力を引き出し磨きだせば、日本という国は多様性に富んださらに温故知新された場所に甦生していきます。すぐに東京や大都市圏に憧れてそこにいきますが、本当はその産まれた場所を磨き上げていくことが子孫たちの使命でもあります。

引き続き子どもたちのために暮らしを整え、場を磨き上げていきたいと思います。

和歌のはじまり

日本最古の和歌集に万葉集があります。これは7世紀後半から8世紀後半にかけて編纂されたものです。全20巻、約4500首の歌が収められています。和歌には天皇から農民まで幅広い階層で詠まれた土地も東北から九州に及びます。

実際の記録にあるこの万葉時代は天智天皇や天武天皇の父に当たる629年に即位された舒明天皇にはじまり、万葉集最後の歌である巻二十の4516番が作られた759年(天平宝字三年)までの約130年間だといわれています。

この万葉集という言葉の意味は、「葉」は時代の意味で、それが「万」世まで伝わるようにと祈念してできたものとも言われます。この万葉集は、一人の編者ではなく多くの編者と複雑な過程を経て最終的には大伴家持により20巻にまとめられたのではないかといわれます。

また分類としては「雑歌」「相聞」「挽歌」と分かれます。

「雑歌」は行幸や遊宴、旅などさまざまなときに詠まれたものです。そして「相聞」はお互いの消息を交わし合う意で恋愛などのものが詠まれます。もう一つの「挽歌」は人の死に関するものです。

万葉人たちは、人生の節目に和歌を詠みお互いにその心情を確かめ合ったり伝え合ったり、分かち合ったりしたのかもしれません。日本人が情緒豊かである理由もこの和歌から伝わってきます。素直で純粋に美しい心を持ち、それを文章にしていく。美しい四季や自然の畏敬をそのままに言葉にしていったのでしょう。

例えば、天平のころの光明皇后が詠んだ歌があります。この方は、仏教を信仰し興福寺や東大寺をはじめ、仏教を重んじた光明子は民のために悲田院等の慈善活動に邁進された方です。以前、石風呂のことで東大寺の施浴のことを書きましたが1300年前に社会福祉のお手本の実践した方でもあります。3つほど、万葉集に収められています。

「我が背子とふたり見ませばいくばくかこの降る雪の嬉しくあらまし」第8巻1658番歌

「朝霧のたなびく田居に鳴く雁を留め得むかも我が宿の萩」第19巻4224番歌 

「大船に真楫しじ貫きこの我子を唐国へ遣る斎へ神たち」第19巻4240番歌

意訳ですが一つ目は、夫婦でこの美しく降る雪が眺められたらどれだけ嬉しいものか。そして二つ目は朝霧が出てきた田んぼ我が庵の萩が雁をとどめてくれようか。そして最後は、大船に乗っていく唐の国にいく我が子らをどうか神様見守ってください。というものです。

この3つからも光明皇后の人柄、その情景が心に映ります。こうやって、むかしの人たちは素直に自らの心情を和歌によってあるがままに語り合いました。今では、言葉が膨大に増えてあらゆるものは言葉で説明できるほどになりました。

しかしかつてのようなシンプルで純粋な言葉は失われ、本当の気持ちや心情が読み取れないほどになっています。複雑なものは実は本当はとても純朴な言葉になるのであり、現在のような複雑さはかえって本当のことが見えにくくなっています。私のこのブログの文章もまた、そういう意味ではまだまだまったく研ぎ澄まされているものではありません。

言葉が増えた時代のコミュニケーションと、言葉がなかった時代のコミュニケーション。時代が変わっても、万葉人たちが伝え合ったような言葉を今でも大切にしていきたいと思います。

子どもたちにも、本当の言葉が伝わっていくように和歌を学び直していきたいと思います。

 

富と徳の天秤棒 ~近江商人の初心~

近江商人の生き方をもう少し深めていますが、文化2年(1805)、近江商人の第一人者・初代中井源左衛門という人がいます。この方は長い商いの体験から得た人生訓を、浄土宗を開いた法然上人の一枚起請文にならい子孫に「金持商人一枚起靖文」を書き記しています。

「一、世間では『金を溜める人は、運がいいからで、金が溜まらないのは自分に運がないからだ』と言うが、それは愚かで大きな誤りだ。運などというのは無いのだ。金持ちになろうと思うなら、酒宴や遊興、贅沢をやめて長生きを心掛け、始末第一に商いに励むより方法はない。他に欲深いことを考えると、先祖の慈悲にも、天地自然の道理にもはずれることになる。ただし始末とけち(原文では「しわき」)とは違う
。無知な人は、これを同じように考えているが、けちの光はすぐに消えてしまうが、始末の光は現世の極楽浄土を照らすものだ。二、これを心得て実行する人が、五万、十万の大金ができることは疑いない。ただし、国の長者と呼ばれるようになるには、運も必要で、一代でなれるものではない。二代、三代と続き、善人が生まれて、はじめて長者と呼ばれる家になる。そのためには、陰徳・善事を積むことより方法はない。のちの子孫の奢りを防ぐために書した」

さらに意訳ですが、金が溜まるのは運ではない。質素倹約につとめて長い目で観て事の本末を見据えて謙虚に励むこと。そしてこれを実践すれば長い期間を得てお金は溜まる。それは何代も世代を超えて陰徳を積むから長者が出るのだと。だからこそこれを心得なさいということでしょうか。

お金持ちなったのは、先人たちの遠い子孫を思い、理念を定め徳を積んだ実践の御蔭なのだということでしょう。

例えば近江商人の中井正治右衛門は瀬田の唐橋の一手架け替えを1818年に完成しました。この工事の費用は全体で1千両かかったのですが、さらに幕府に3千両を寄付したとあります。その理由は工事の費用1千両にあわせて、後の橋の補修や架け替え等が必要だと気づき残りの2千両をそのことに使ってほしいという事での寄付でした。

長い目で観て、計画を立てて実行し、陰徳善事を盡していくところにお金持ちになる所以があります。つまり近江商人の実践の素晴らしさは、先祖からの恩恵を忘れずにそれを子孫たちへさらに陰徳を偉大にして受け継いでいくことにあるように思います。

また近江八幡出身の江戸中期の歌人の伴蒿蹊は、家訓として「陰徳あれば陽報ありとて、かくのごとく常々つとむれば、目に見える幸を得て繁盛すべし。此幸を得るためとあてにしてするは陰徳にあらず、無心にてすれば自然にめぐるなり。」と常に陰徳を積むものが富むというその富の循環の道理を語ります。

つまり近江商人はまず徳を重んじて、それ相応の富をまた陰徳につぎ込みながら地域や日本を仕合せにする実践を大切にしてきたように思います。富に相応しい徳があるかどうか、また徳が富に相応しいかどうか。天秤棒を担いで行商をしたといいますが、ひょっとするとその徳と富を常に天秤にかけていたのかもしれません。

今の時代、冨ばかりが優先されてケチになり徳があまり意識されることがありません。しかし本来は、徳があって富があり、冨があるのは徳の御蔭ですから私たちはよくよく日々の事業の本末や始末と正対して天秤にかけて内省していく必要があるように思います。

子どもたちのためにも、近江商人の生き方からの智慧を伝承していきたいと思います。

 

伝承の場

先日、ある方から鏡の話を聴きました。鏡というのは、カタカナではカガミとも書きますがこのカガミの「ガ」が取り除かれたらカミになるという話です。日本では、天照大神が三種の神器の一つとしての初心に八咫鏡を伝承し神代より私たちには特別な存在として認識されています。

この八咫鏡は、古事記には「高天原の八百万の神々が天の安河に集まって、川上の堅石を金敷にして、金山の鉄を用いて作らせた」とあるので「鉄鏡」ではないかとのことです。この鉄鏡を磨き上げて美しい鏡をつくったのかもしれません。

鏡には現実として、磨かなければ錆が出たりして曇り澱んでいきます。常に美しく透明であるためには、鏡面をしっかりと整えていく必要があります。そうやって手入れをし続けてこそ鏡はありのままの現実を映すことができるのです。

そして人間の心をこの鏡と見立てる場合、この鏡がいくらありのままの真実を映したとしてもそれを観る人間の心が曇り澱んでいたらそれが明瞭に映ることはありません。つまり真実が映らないのは鏡の問題ではなく、自分自身の心の問題であるということです。

人間は不思議なもので、ある人にはこの世が美しく鮮明にいのちの楽園のようにキラキラと輝いで観えます。またある人には、殺伐とした無機質の味気ない荒野のようにも見えています。同じ人間が同じ風景を見ても、これだけ世界は異なって観えているのです。

この世界の見え方は、そこに「我」があるのがわかります。人間は生まれたての時、そして死ぬ寸前にこの我が離れてあるがままの状態に回帰しているとよく言われます。我から離れて執着を手放し、澄んだ状態になるというのです。その時、まるで神様のように神々しく観えるとも言われます。

本来、私たちは自然の一部として何の刷り込みもなく余計な知識もなく地球と喜び自然と一体になっていれば心の曇りや澱みはあまり発生してきません。そこから離れて我の世界に入っていくことで、心の中にあらゆる執着がこびりついてくるのです。

かつての先人たちはその道理を知り、その穢れを祓うためにあらゆる工夫を暮らしの中に施していきました。そうやって親祖の心のままに生きていこう、天照大神のような心を持てるように精進していこうとしたのです。

いつの時代もまた、私たちは同じ悩みと苦労で現実に立ちます。この今、此処をどう生きていくか。常に向き合いながら歩んでいきます。心をどう磨いて透明にしていくか、そしてどう日々に心のお手入れをして整えていくか。

子どもたちには、一つの生き方としての伝承の場を遺していきたいと思います。

 

智慧の本体

私たちは先人の智慧をたくさんいただいて自国の文化を築き上げています。その先人の智慧は、先人たちが残してくれたものですがそれが今でも私たちが身近に活かすことができるのはその時代時代の人たちがその智慧を磨いて甦生させてくださってきたからです。

そうやってその時代にその時代の最先端と融合させていくことで、いつまでもその智慧が錆びないようにまた風化していかないように甦生させていくのが私たちの世代の使命でもあります。

古いものと新しいものの融合は、その世代の責任として果たしていく必要があると私は思います。それを新しいだけ、古いだけにしてしまうのは時代が繋がっていきません。私たちは今もこれからもこの地球で安心して道を歩むことができるのは、偉大な先人の恩徳をいただいているからです。その恩徳に報いることは、その先人の智慧を甦生し磨いて子孫へ繋げていくことで実現するように思います。

私たちは、どんな小さな生態系であれあらゆる繋がりの中で循環しているものです。生態系の循環が途切れるとき、それは滅亡するときでもあります。滅亡しないように私たちはその生態系の一部としての役割と責任を果たしその智慧を繋いでいくのです。

現代は、あらゆるものの繋がりが断たれている時代ともいえます。お金にならないもの、経済的ではないもの、効率的でないものはほとんど捨てていきました。そのための法律をつくり、そのための正当な理由を学術的に発表し、かつての智慧は目には見えない非科学的な迷信として切り捨てていきました。

その結果として、先人の智慧が消失するだけでなく生態系の循環まで途絶えさせていきました。そのツケが、環境汚染や気候変動、天変地異などによって人類に酷い影響を及ぼしはじめています。

生態系というものは、めぐりめぐってまた振り出しに戻る中で永続する生命を維持する仕組みです。それを別の言い方では、暮らしとも言います。この暮らしを守るために私たちは智慧を働かせていく必要があります。そのためには伝統と合わせて先進技術も磨いて融合させていく実力が必要です。

私が伝統と合わせてブロックチェーンと融合させているのもまた、生態系を守るためであり、恩徳の循環を自然と共生しながら永続する仕組みを甦生し続けていくためでもあります。

こういうことは目先のことだけをやっているのではやれませんし、ただ長期的なことだけをやっていてもやれません。まさにそのちょうどいいところ、その中心、真ん中を捉えなければできないことでもあります。

しかしそれこそ先人の智慧の本体であり、私たちは先人を尊敬しそこに当代として挑んでいく必要があるのです。私は別に伝統工芸の家に生まれたわけでもなく、仕事も伝統文化に関することをしているわけではありません。ただ日本人であるだけです。

子どもたちに日本人の魂が繋がり続けて生態系が活性化し循環が促進されさらなる繁栄と弥栄の未来が続くように引き続き暮らしフルネス™を実践していきたいと思います。

 

暮らしフルネスの役割

国内総生産のGDPというものに替わる概念として国内総充実のGDWという言葉があります。このGDWは「Gross Domestic Well-being」の略称です。具体的には物質的な豊かさだけでなく既存のGDPでは測ることのできなかった「精神的な豊かさ」(主観的ウェルビーイング)を測るための新しい尺度のことを言うといいます。

GDPの方は、「Gross Domestic Product」の略称で国内総生産のことです。これは一定期間内に国内で新たに生み出されたモノやサービスの付加価値のことをいいます。シンプルに言えば、指標のプロダクト主義からウェルビーイング主義への転向といってもいいかもしれません。

今までは物質的な豊かさを生産することが幸福の指標としたものが、これからは精神的な豊かさ、心の満足度や充実度を幸福の指標にしようとする考え方へとシフトしようとする概念です。

もともとこの考え方は経済指数を示す国民総生産(GNP)よりも国民総幸福量(GNH)を重要とするブータンの提唱によって世界で意識されていきました。資本主義的な経済価値を求めるGNPやGDPではなく、国民の心理的な「幸福感」「充実感」などを示すものにGDWを活用していこうというのです。

よく考えてみるとすぐにわかりますが、人生は決して物質的なものだけが膨大に増えてもそれですべてが手に入って満足しても充実するとは限りません。例えば、皇帝や王様などすべてが物質的に手に入っても本当の意味で幸福ではなかったという歴史の話はたくさんあります。心の渇望を物質で満たせても、それは一時的なもので永続するわけではありません。物をただ多く持つことはかえって幸福度を下げてしまうこともあるからです。

だからこそこの時代、従来の豊かさで得られなかった真の幸福とは何かを問い始めたということでしょう。人類がいつも青い鳥を探しているのはむかしから何も変わらないものです。

改めてウェルビーイングを調べてみると初めて言及されたのは1946年です。これは世界保健機関(WHO)設立にあたって考案された憲章にこう書かれました。「Health is a state of complete physical, mental and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity.」と。これは意訳ですがこれは真の健幸は、病気や弱っていないとかではなく、精神的にも社会的にも「全体として快適で充実している」ということだとおおよそ定義しました。

もっと簡単に言えば「人生においての居心地の善さ」といってもいいかもしれませんが一人ひとり、その人がその人らしく生きられる世の中になっていて、それが全体快適になり人類全体で永続する暮らしを味わえる状態になっているということでしょう。これは平和な社会と平和な暮らしの実現でもあります。

この問いはそもそも人はなぜ生まれてきたのか、何のために生きるのか、ふと立ち止まってみるとすぐに誰もが考えるものです。本当は、この地球に生まれてきてから私たちは真の豊かさを備わって誕生してきました。足るを知る世界に入るのなら、誰もがその幸福に気づくものです。

しかしあれが足りない、これが足りないと、わかりやすい成長と繁栄ばかりを追い求めてきた結果として自然環境が人類の都合で悪化し、空気や水やその他の暮らしのリズムなど、当たり前に存在してきた偉大な幸福も急激に失われているのが現状でもあります。

今、まさに人類は世界の中で真の豊かさについて議論をしだしたということでしょう。人類は、今、大事な分水嶺にいてその「選択」によって未来の子どもたちに影響を与えます。今の世代の責任として、子孫のために何を選択していくか。それが問われているのです。

もともと日本人の先祖は「和」を尊びました。私たちは今、世界の一部としての日本となりました。世界は様々な文化と融和し、新しい世界を切り拓いています。だからこそ日本から私たちは真の豊かさを発信する必要があると思うのです。それが私たちの役割であり、世界に貢献できる真のウェルビーイングの定義の提唱になるのです。

世界が一つになっていくからこそ、この問題は人類は決して避けては通れません。日本から何を伝道していくか。まさに今こそ、私たちはこの問いに正面から向き合い発信していく責任を果たすべきでしょう。

子どもたちのためにも、概念論だけではなく実態をもった智慧を「暮らしフルネス™」を通して引き続き実践していきたいと思います。

本物の道具

人類は進化とともに数々の新しい道具を産み出してきました。その道具によって今の産業は発展し現在の世の中が存在します。しかしその道具は、使い道一つで人類を滅亡させるようなものにもなれば、平和を維持するためのものにもなります。

例えば、核などはその最たるもので使い道一つで人類を滅ぼす道具になります。そう考えてみると、問題は道具の方ではなく人間の方にあることはすぐにわかります。道具を産み出すこと自体の中に人間は大きなリスクを増やしているともいえるのです。

道具と人間の生き方は常に正対するものであり、道具を使う側にも持つ形にも産み出す側にも責任が発生します。特に人間都合で産み出される便利な道具ほど危険なものです。便利さというものは、人間の欲と繋がっていますからさらに便利なものへと発展していきます。不便さがよくないということになれば、道具はすべて人間の欲の方へと傾きそのために発生する不自然で不都合なことまで隠してしまおうとするものです。

本来、先人たちは道具を自然をよく観察し産み出してきました。そしてそのすべては自然に還るものだけを用いていました。不便ではありますが、そのどれもが自然と共生するものであり人間にとっては多少都合がわるくてもその道具を用いることで人格や人間性が磨かれるものでした。

つまりは「砥石」のような、そのものを磨く対象として道具を用いたのです。私たちは道具に使われるのではなく、あくまで人間の徳性の一つとして道具をあくまで人格を磨く対象として用いたのです。

人間性を高め続けるための道具であれば、その道具は自然から離れることはありません。そのどれもは自然をお手本にして自然の智慧を抽出するものです。それは真善美といった自然の本体を参考にするものであり、人間もまたその生き方をするひとつとして道具を持ったのです。

この時代、あらゆる道具は人類全体、世界全体に対してリスクになるようなものを産み出していきます。IT技術をはじめ、遺伝子操作、バイオテクノロジーなど、挙げればきりがないほどに先進技術が用いられて道具が発明されていきます。

しかしここでよく考えなければならないことは、本当にその道具は人格を砥石にできるものか。子孫たちに責任を果たせるものかという問いです。私も温故知新して、古いものと新しいものを融和させて道具を産み出す側ですがここに徳や人格などを関係なくやるのなら子孫に大きなツケをまわしてしまいます。そうならないように先人の智慧を尊び、歴史を学び、どうあるべきかを問い続けて磨いていく必要があるのです。

子どもたちのためにも、本物の道具とは何かを深めていきたいと思います。

 

薫習

先日、藁ぶき古民家で祈祷をした際、大祓祝詞を宮司さんと一緒にそらんじていた方がいました。もともと宮司さんだったのかとお聴きすると、そうではなく幼いころに身近で祖父母や両親が祈祷していた中で育ったので身体が覚えていたということでした。

幼少期、また子ども時代に暮らしの中で身についたことが何十年もなくならずに染みこんでいるのを実感しました。

薫習(くんじゅう)という言葉があります。ウィキペディアにはこう書かれています。

「熏習(くんじゅう、梵: vāsanā、abhyāsa、bhāvanā、 वासना)とは、身口に現れる善悪の行法もしくは意に現れる善悪の思想が、起こるに随ってその気分を真如あるいは阿頼耶識に留めること。俗にいう「移り香」、香りが衣に染み付いて残存するようなことを言う。薫習が身口意に現れたのを「現行法」(げんぎょうほう)といい、真如あるいは阿頼耶識に気分が留まったものを「種子(しゅうじ)」あるいは「習気」(じっけ)という。このように現行法が真如あるいは阿頼耶識にその種子もしくは習気を留める作用を薫習という」

この阿頼耶識とは「阿頼耶識 (あらやしき、 梵: ālaya-vijñāna、आलयविज्ञान )は、 大乗仏教 の 瑜伽行派 独自の概念であり、個人存在の根本にある、通常は意識されることのない 識 のこと 。. アーラヤ識 。. 眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識 ・ 末那識 ・阿頼耶識の8つの識の最深層に位置するとされる 。」ともあります。

つまりシンプルに言えば、潜在意識ともいわれるような通常は意識に出てこない深いところ、深層の意識のところにいつまでも留まっている記憶のようなものです。

現在の教育は、この薫習ではなく暗記を中心に表層の意識に詰め込むものばかりを行います。いつもすぐに表層意識に出てこないといけないので、物覚えが悪い人には大変です。

本来は、私たちの文化や伝統はこの薫習によって染みこんでいくものです。それは、暮らしを通して場で行われてきました。伝統的な暮らしには、あらゆる先人たちの智慧の宝庫です。

そこに触れることで自然に薫習されて、次世代へとその智慧が受け継がれていく。そうやって私たちは人格を形成し、生きるための指針や根からの養分を吸い上げていくことができるようになります。

子どもに与える環境というのは、本来はこういうものに触れる機会を醸成していくことです。私の取り組みは、この薫習をハイブリッドに実践して体得していくことによります。

子どもに懐かしい未来を譲り遺していきたいと思います。

場をつくる

人はそれぞれに場をつくる力をもっています。この場は、みんなそれぞれに異なりますがそこに確かな場が存在したことを確認することはできるものです。

昨日、ある話を聴いた中に二酸化炭素の吸収のことがあります。若い木の方が二酸化炭素を吸収して酸素を排出するので古い巨木や古木を伐採して若い木を植えているということがあるそうです。木を見て森を観ずというか、二酸化炭素だけをみたら若い木の方が吸収していきますが実際には古木や巨木は周囲に苔をはじめ多くの植栽が芽生え循環し、見事な生態系を創り出します。その全体で吸収する二酸化炭素の量は若い木と比べてもまったく問題ないほどです。

それにその若い木もそのうちに古木になりますから、古木になれば切って若い木だけを植えるというのは人間であれば労働力として価値のない老人は切り捨てていくというのと同じことです。

老人は、見事な人格を磨かれていけばその周囲には見事な場を創り出していきます。まさに若いものを育て、周囲の自然生態系を活発にし、あらゆる徳を循環させていく場を醸成していくのです。

これは先ほどの古木や巨木も同じく、神社の境内や聖域と呼ばれる山にあるように見事な鎮守の森、つまり「癒しの場」をつくるのです。

この場をつくる力とはいったい何なのか。それはこの木の生き方から学べるものです。

私たちの先祖はそれを悟り、日本全国に信仰と共に素晴らしい場を整えてくれました。それが神社であり、あるいは古民家であり、またあるいは棚田であったりします。

場をつくるのはそこに場があることに気づいた人々です。場があることに気づくからこそそこを守ろうとします。そして人は、その場をつくる仕組みを学び、一人一人が、木のように場を見守り育てていくのです。

それは一つの発達を見守ることでもあり、私が一緒に取り組んでいるギビングツリーの提案する保育の在り方と同じです。木は、まさに一つの場をつくる力を示します。

どんな環境を創造していくのか。

それはその木の生き方、そして杜の在り方から感じ取れます。地球は本来、大きな杜です。この偉大な杜に守られて私たちの生命はこの世で幸福な場を享受されています。

場道家として子どもたちに場づくりの智慧を伝承していきたいと思います。