藁ぶき古民家の甦生~徳の伝承~

今日、無事に藁ぶき古民家甦生のお披露目の日を迎えることができました。多くの方々に見守られ、支援していただき、ここまでくることができました。人の御縁はとても不思議なもので、何かを実現しようと思う時に四方八方から現れては力を分けてくれます。

動機が善であるか、私心はないか、そしてこれは子どものためになるかと自問自答しながらも徳を磨こうと取り組んでいくことでそれを一緒に実践してくださる仲間や同志に回り逢うのです。

このご縁をよく観察すると、ある人は、これからの未来のために必要な情報を取ろうとし、またある人は過去の何かの因果を解決しようと関わろうとし、またある人は、今を生きることを学ぼうと実践しようとされます。つまり、ご縁を活かすというものは生き方や生き様、そして志の輪が広がっていくことをいうのです。人のつながりは、志があってはじめて強く結ばれるということでしょう。

そしてこのご縁は、人とだけではありません。物や家とのご縁というものがあります。今回、藁ぶき古民家で暮らしを甦生する方が振り返りの映像の中でシンデレラストーリーのような話と言っていたのが印象的でした。

このシンデレラストーリーといえば私が思い出すのはプリティ・ウーマンという映画があってその主人公の女性が最初はみすぼらしい様から、紳士の指導によって次第に磨かれて美しく洗練された人物に変化していくというようなあらすじだったと思います。この話は、同時にその紳士もその女性によってさらに徳が磨かれて真の紳士に成長していくという話です。

これは今回の藁ぶき古民家と確かに共通点があります。誰もが価値がないと捨てられていた古民家を拾い、それを磨き上げていきます。この家が今は、美しく洗練された家に変化して甦っています。そして同時に、私自身も家から学び徳を磨く機会をいただき成長することができたのです。

私が古民家甦生をするとき、自分を主語にはしません。家を主語にします、つまり家が喜ぶかどうかを観て取り組んでいくのです。そうすると、家が喜べば私も喜びます。これが逆になると学ぶことができません。

人が学ぶことにおいて大切なのは、自然を主語にしたり、先祖を主語にしたり、徳を主語にしたりと、コミュニティを主語にしたりと、「私」を主語にしないということが大切です。私ばかりをみて、私が私がとなったら磨かれないのです。何を砥石にして自分を磨いていただくか、そこに人は自分の徳や魅力を引き出すポイントがあると私は感じます。

今日は、その藁ぶき古民家のお披露目会。

どのような姿になったかをみんなに見てもらるのがとても楽しみです。子どもたちにも、徳のある家から学び、見た目ではなくそのものが磨かれるとどのように徳が顕現するかを伝承していきたいと思います。

 

藁ぶき古民家の準備

いよいよ明日、藁ぶきの古民家甦生のお披露目の日になります。今回の古民家は、2011年頃からずっと気になったいたものでこうやって新しく甦りここでこの家で再び暮らしがはじまっていくことに有難い思いがします。

現在は、古民家はすぐに空き家になり捨てられて廃れていきます。子どもたちは都市に引っ越し、すぐに別の場所に新しい箱のような家を買い住んでしまいます。介護が必要になればその家に住めませんから介護施設や遠くの子どもたちの家かその近くに住みます。するとその家は、空き家です。

そんな状態になれば、誰も手入れもせず離れているから鬱蒼としても家が傷んでボロボロになっても気にしなくなります。近所の方々は何とかしてほしいとみんな思っていますが家主をはじめその家族は近くには住んでおらず滅多に来ることもありませんからそのまま放置されます。

今回の藁ぶきは、子どもがいない家で家主さんが亡くなり奥様が介護施設に入り、そのまま亡くなられました。そこから十数年間、ずっと空き家で野生動物の巣窟のようになり、庭の木々が剪定されることもなく多い茂り密林のようになっていました。家もガラスが割れていて傾いていて家にはかつての生活道具や野生動物が荒らした台所、そのままのベッドや布団、家具類などが散乱していたのを覚えています。

ちょうど私が自然農に取り組む田んぼや畑に行くときに必ず通る道でしたから、その家を見るたびになんともいえない複雑な気持ちになっていました。もしかしたらこれは将来のまちの姿ではないか、子どもたちはこのような家をみてどう思うのだろうかと、これは果たして個人の責任だろうか、本当はこれは市民たちの問題ではないのかと、通るたびに考えていました。

今回、ご縁がありこの古民家に携わらせてもらう機会があり改めてかつての藁ぶきのあったころの原風景を感じ、懐かしい未来を創造していくことに挑戦しました。それが結のことを学び、本来の日本人の生き方や生き様を知る機会にもなりました。

私はいつも有難いことに民家が先生になり私を指導してくれます。そしてこれからの民家としてどうあるべきかを温故知新するためのアドバイスをいただきます。家を主語にし、家が喜ぶかと取り組むことはもっとも自分が学ぶことです。

感慨深い気持ちもありますが、節目に向けて見守ってくださったすべての存在に対しての準備を進めていきたいと思います。

法灯と宝珠

英彦山にある霊泉寺の本堂向かって右側の宝珠一帯の木材が雨により傷み壊れていたので修繕を報謝させていただくご縁がありました。こういう機会をいただけたことに深く感謝しています。

この霊泉寺を調べると、英彦山修験のはじまりだといわれます。幕末に修験道は神仏習合で信仰を禁止され一気に廃れていきました。この霊泉寺は、元々の英彦山修験のはじまりであった霊仙寺の法灯を継ぎ昭和30年(1955)復興、そして平成元年(1989)には本堂や寺務所、庫裡が完成したとあります。

元々は英彦山は北魏の善正という僧が531年に英彦山内の洞窟に籠り、修行して仏教を広めたことがはじまりです。この時期は日本に正式に仏教が伝えられるよりも7年前ということになり、日本の仏教のはじまりはこの英彦山ではないかといわれます。この善正法師は最初は大宰府に来て仏法を弘めようとしましたが光が日子山にさすのを見て、山中の石窟にこもりその時機まで待つと決め修行をしたことがはじまりです。そして豊後の恒雄という猟師が善正に弟子入りし「忍辱」と名乗り英彦山修験が興ります。

この場所が、現在の玉屋神社がある玉屋窟です。この窟で忍辱は一心不乱に修行を積んで、如意の宝珠(世の中の人々を救うために役立つ不思議な力を持つ珠)を授かります。その珠は窟の奥から小さな倶梨伽羅(竜)が口にくわえて細い水の流れにのって現れたそうです。その珠が出現したことから、それまで般若窟と呼んでいましたがそれを改めて、玉屋窟と呼ばれるようになりました。この霊泉は今でも現存して滾々と湧いています。

その後、有名な修験宗開祖の役小角もここで修行したとされ、以後も義覚・義玄・義真・寿元・芳元(五代山伏)などが続きます。さらに弘仁10年(819)以降、宇佐出身の「法蓮」という行者が堂宇、伽藍、社殿などを造営し、霊山寺と名付けます。

この霊山寺という名前が霊仙寺になるのは弘仁13(822)年、嵯峨天皇より、「日子を改めて彦となし、霊山を霊仙に改め、四方七里を寺の財産とし、比叡山に準じ3千の僧を置き、天台の教えを学ばしめ、70州を鎮めて海宇の豊かなることを祈れ」とお言葉をいただいてからです。そこから900年間、英彦山はますます荘厳になりその信仰圏は九州一円、40万戸にも及んだともいわれます。元禄9年(1696)、英彦山は幕府により別本山と定められます。そして霊仙寺は江戸中期には坊舎800、山伏ら僧衆3000を数えるほどだったともあります。

今ではその霊仙寺は名前を変えて法灯を継ぎ霊泉寺となり玉屋窟から銅の鳥居に場所を移動させこの先にまた興るであろう未来の時機をじっと待ち、この先の修験道や山伏たちの御縁を見守っています。私は、時空や時間を旅をするのが好きですから約1500年以上の月日をその場で味わい、その中でどのような方々がここで暮らし、そして生きたのかに想いを馳せては徳を感じ心を潤します。

現在でも「不滅の法灯」といって比叡山延暦寺で最澄が御本尊の前に灯して以来、1200年間一度も消えることなく灯され続けている明かりがあります。今でもその灯りを道を継いだ志のある方々が偉大であり、その光はいつまでも心を照らします。

この英彦山には、宝珠がありそして法灯があります。

甦生させていくというのは、言い換えるのならこの法灯を守り宝珠を使うことです。私がさせていただけるのはどこまでかはわかりませんが、心の声に従って使命を果たしていきたいと思います。

 

プラットフォームの意味

プラットフォーム(platform)という言葉があります。これはIT用語としては、アプリケーションやソフトウェアが動作するための土台を指します。一般的には、モノやサービスなどがつながる場とも定義されます。そもそも「プラットフォーム」の語源の原義は「一段高くなった平らなところ」という意味です。この原義から「プラットフォーム」の別の意味が生まれていったといいます。

これを日本で考えてみると今では「舞台」が近いように思います。そしてそれは別の言い方では「場」とも言います。どのような場になっているか、そこに○○プラットフォームという言い方をするようになったのではないかと思います。

私の考えているプラットフォームは「繋がる場」ということになります。どのような繋がる場を用意するか、場に繋がる環境を整えていくか、そこにプラットフォームを創造し磨いていく面白さがあります。

つまりプラットフォームを提供するというのと、場を提供するというのは同義であるように思います。

私は場の道場を運営していますが、場づくりと場の提供こそ道の本質となります。どのような道を歩んでいくかを設定していくにもこの「場」の提供は欠かすことはできません。

何かをやり遂げたいと思うと、まずは「場」を産み出すこと。そしてその「場」を通して繋がること、さらにその「場」を結び合うこと。これによって場と道は実践され永続的に循環されていきます。

この「場」とは、先ほどの「プラットフォーム」であり、こういうものを具体的なアナログでの場で実現させるのと同時にデジタルの空間の中にプラットフォームを実現させようと試みているのが今の私の取り組みということになります。

人類はこれからどのような場を創造しくかにかかっていて、そこには理想や哲学や初心が入っているものでありその価値観を結び合わせて居場所をどう醸成していくかにかかっているのです。

そしてそこには、自己組織といったDAOの考え方、またスマートコントラクトといった透明性、ブロックチェーンの持っている特性が活かせるのです。そして私は世界に古来からある「徳」に着目し、徳を循環させることでいのちもまた甦生していくことを発見しました。

私が実現したいプラットフォームは、徳のプラットフォームであることはこのブログでもたびたび発信してきたものです。古民家甦生もまたその場の創造をアナログで実現してきたもの、そしてこれからデジタルで場を創造していきます。

ハイブリッドに取り組むのは、暮らしフルネス™を創造して提供しています。子どもたちのために、未来の世代のために挑戦を続けていきたいと思います。

素直さの意味

人間はみんな我があるものです。この我とは、一つは欲であり一つは情です。他にも細かく言えば我ばかりですがその我があるから真実や本質が見えにくくなっていきます。なぜこうなっているのかと、真摯に洗い清めて透明になるまで磨き上げていけば真実は見えやすくなりますがその間に様々な穢れがこびりついてきますからどうにも本当のことがわからなくなります。

そうなると、人は「素直」であることができません。素直というのは、単に従順になることではないことはすぐにわかります。他にも、ただ性格が良いことだけを言うのではないこともすぐにわかります。

素直さというのは、ある意味で無の境地であり、謙虚に我が省かれている状態であり、何か偉大な自然と直につながり直観が働いている心境であったりのことです。

つまり何物にも囚われない澄んだ心の姿勢の時こそ、人は素直になっていると言えます。人の話が素直に聴けるというのは、人の言うことを単に逆らわずに聞くことではなく心が澄んだ状態であるがままのことを聴けるということです。

よく他人に質問して何かを訊いているのに話をまったく素直に聞かない人がいます。それは自分の我があるからですが、素直ではない状態だから訊かないのはすぐにわかります。自分自身の心が澄まないので、澄ませていきたいと思って訊くのならその人は謙虚ですから素直に近づいていくこともできるかもしれません。

しかし最初から我が強く出て自分の思い通りにしたいと思っているのもがあるのなら、本当のことを素直に直観できる感覚はそこで働いていないと私は感じます。

素直さというものは、直観力であり、そして浄化力であり、研磨力でもあります。どれだけ研ぎ澄ましていくか、そして洗い流していくか、心を清らかにして真実を明らかにしていくかというものであろうと思うのです。

素直にいきましょうと声掛けするのは、お互いに心を澄ましていきましょうという掛け声をすることです。みんなが素直になるのなら、本当のことがわかり本質のままにお互いに協働して助け合い、清々しく明るく物事に取り組むことができます。

つまり素直にという意味は、「清々しく明るく」いましょうということだと私は思います。人間は、常に相手がどうかではなく自分が澄んでいることが重要です。そうでばければ、この世にいて本当に起きている事象や出来事、ご縁を理解していくことができなくなるからです。

日々の喧騒や荒波、濁流の中であっても深海のような静けさ、水面の鏡のような美しさを保ちたいと思います。子どもたちのためにも、むかしからある日本人の智慧を伝承していきたいと思います。

農泊の本質

以前、ヨーロッパに滞在していたときにドイツで民泊を体験したことがあります。そこは、年老いた夫婦がかつて息子がいた部屋を旅行者に開放していました。表看板に「部屋がある」と書かれた表札がかけられておりそこで交渉して泊まります。簡単な食事も提供されていて、ゆったりと過ごしたことを憶えています。

他にもフランスやイタリアで同様に田舎の民泊を体験しましたが、どれもその土地に相応しい人と、相応しい料理、風景、そして文化を体験できるものでした。その土地での体験はいつまでも心身に沁みこみ、懐かしい思い出になっています。

思い返せば、あれは単なる経済効果を狙ってやっていることではありませんでした。あれは、地域を守り、古民家を守り、暮らしを守るためにそれぞれが自分のできることで精いっぱい努力している人々の姿でありその故郷を子孫のために大切にしたいと願う思いの結晶であったように思います。

日本では、すぐに金儲けの手段としての●●というように何か西洋から持ってきてはそれを真似して広めます。そして流行らなくなればすぐにやめては、別の金儲けをはじめます。そのうち、その地域は疲弊してきてさらに廃屋が増え、文化が途切れ、子どもたちは離れ、そして過疎地のように荒れていきます。

経済効果ばかりを追いかけているうちにミニ東京やミニ都会の考え方を田舎に持ち込み、そのうち田舎の善さも消失していくのです。これは、ヨーロッパと日本の文化の違いとかではなく単に古いものや伝統文化に対する意識の差があるだけのことです。

古民家などもヨーロッパではとても大切にされます。特に古い土地、風土、家はその地域の文化の象徴でもありいつまでも子どもたちに遺していきたいと思っている風景です。

その風景を守ろうという取り組むの中に、農泊、グリーンツーリズムがあり地域の人たちの真摯な取り組みがあります。いつまでも故郷を大切にしたいという思いが人々をその地域に集め、同じように故郷を見守り続けたいという人たちが立ち上がってそこに仲間ができていくのです。

私が見てきたヨーロッパの農泊には理念がその地域にありました。どんな地域にしたいという願い、それは本来、どの自治体でも持つべきもののはずです。しかしそれを実践に移そうとすると、ないものねだりばかりして何もできていません。その理由はほとんどがお金になっています。

私はお金で古民家を甦生しているのではなく、お金で暮らしを甦生しているわけではありません。子どもたちに何を譲り遺していくのかを考えたとき、故郷を甦生させていつまでもこの故郷を大切にして見守りたいと願い投資していくのです。

この投資は、世間一般のお金儲けのための投資ではなくまさに未来、子孫への投資です。これを徳積みという人もいますが、むかしの人たちは当たり前にみんな行っていたことです。

自分のことしか考えないといった部分最適では、結果的に自分も破滅してしまいます。全体快適といって、自分が損をしても全体のためにと投資したならそれが長い年月を経て子孫や、そこで暮らす人たちのためになっていくのです。

そういうものに投資できる人というのは、実はとても幸せなことです。なぜなら、自分が今あるのは先人たちの投資の御蔭であることに気づけるからでありそうやってみんな守られてきたことを実感し感謝に生きていくことができるからです。

誰でも廃屋、廃村にならないように取り組もうとするその志、そして生き方を選択する人が出るのならその地域は必ず復興し復活します。要はその初志初心を貫けるかどうかということでしょう。

子どもたちにいつまでも伝統文化や暮らし、その土地や人々の歴史の徳が守られるように脚下の実践を積み上げていきたいと思います。

感受性を磨く

人間には感性というものがあります。辞書には「物事を心に深く感じ取る働き」とあります。この感性というものの正体は一体何なのか。私たちは生きる目的=初心ということと向き合うとき、この感性を磨くことの大切さに改めて気付くように思います。

例えば、日々は誰にしろ訪れ、同じように24時間をかけて過ぎていきます。しかし、その一日をどのように感受するのかは人によって全く異なります。これは同じ環境、同じ状況、同じ体験をしたとしてもです。それだけ人は感性によって人生が異なっているともいえます。

私は毎日、何らかの事件が発生して何もない日はないほどに様々なことが発生するタイプのようで周囲にいる人たちは一緒に過ごすと大変だとよく言われます。確かに、自分でもよくもこんなにいろいろなことが発生するものだと感心するのですがこれは感性によって無意識下によって行われているもののように思います。近くにいることで周囲の人も感性が増幅するのかもしれません。

つまり感性が磨かれているからさらにその感受性が豊かになっていったということでもあります。そうすると、次第に学びや心のメッセージに向かって自ずから深く体験をするような出来事をますます呼び寄せていくのです。

人間は誰でも自分がこの世で体験したいと思っていることを自ずから実践することで感受性を高めていきます。それは言い換えれば、何のために生きるのかということを突き詰めていくことに似ています。

日々に何のために生きるのかと向き合う人は、次第に感受性が高まっていきます。そうすると、自分の運命や宿命、そして目的や本質に気づきやすくなっていきます。そして初心を持つようになり、その初心に帰るたびにアンテナが研ぎ澄まされ立っていきます。

その初心のアンテナが磨かれていけば感受する力もまた同時に高まっていきます。そうすると、自分の初心に適うものはどんなに僅かなものでもすべて受け取れるようになっていきます。すると次第に自分の人生に必要なことをすべて自覚でき、その意味付けをすることでさらに体験が濃く深くなっていくのです。

特段、テレビや映画やドラマで見かけるような激しい事件でなくても日々の微細なことまですべて事件のようにダイナミックに感受できるようになるのです。これが感受性が豊かになっていくということでしょう。

感受性とは、つまりその人の初心を自覚する力ということです。

子どものころにもって生まれた感受性がつぶされてしまうとなかなか元に戻らなくなっていきます。教育をはじめ刷り込みによって子どもたちは本来の感受性に蓋をされ貧しい感性に仕立てられていることもあります。

子どもたちが感受性を思い出せるよう、初心を伝承していきたいと思います。

苦労し甲斐~メリハリのある人生~

人生には「苦労し甲斐」というものがあるように思います。時が経ち、後で振り返ったときに苦労した甲斐があったなと感じるもののことです。苦労したからこそ、得たものがあります。それはそこまでに経てきた体験からの気づきであったり、智慧であったり、そして技術であったり心身の練磨による成長であったりです。

これをやろうとすれば苦労すると最初に誰もがわかっていてもそれを厭わずに挑戦し突進していく。そこに人生の真の妙味があるように思うのです。

人生の妙味を知る人こそ、苦労し甲斐を知る人でもあります。

周りからすれば、何でこんなことをと思っていますがそこには苦労によって誰でもわからない境地に生きているからです。私の場合は、未来の子孫のためにと初心を定めていますからそのためには苦労を厭わずに何でも来たものは選ばずにご縁と導きを信じて取り組んでいきます。

過去の経験や何かそれを実現する才能などは特にありませんから、毎回新しいことに挑戦することになります。周りからは、苦労するよと言われてもそうですねと笑いながら取り組んでいきます。失敗したり困難があると、ほれ見たことかといわれることもありますがそんなことは最初から分かっていることだから特段何も影響はありません。

問題は、この苦労は苦労のし甲斐があるかどうかというところが重要なのです。そしてそれは「道」として必ず通らなければならないのであれば正面から向き合って取り組んで味わい通過、もしくは突破していくだけです。

そうして振り返ったとき、今の自分が育てていただいたこと。今の自分の信念や勇気、そして生き方や生き様を創造してくださったことに感謝できるのです。

人生は一期一会であり、今は唯一無二です。

何事も遣り甲斐があることに挑むことが、メリハリのある人生が送れるということになります。このメリハリとは、緩むことと張ること、つまり弓のように適度に弦がはっている状態をいいます。いい意味で、充実して心身が調和している状態のことです。

何かに集中するというのは、そのものを実現するために真剣に打ち込んで苦労をしていくということです。苦労のない人生は、ハリがありません。ハリのある人生は、苦労を通して人生の妙味を知りそしてそれをゆったりと振り返りその時の思い出を豊かに味わい感謝していく生き方です。

これは苦労のし甲斐があると、偉大な目的に向かって生きるとき人は人生が真に豊かになり充実するのです。若さ、情熱、青春は苦労と共にあります。大変でも目的に生きる苦労の多い人生の価値を、子どもたちに伝承していきたいと思います。

お手入れの循環

最近、捨てないということについての動きが活発になってきています。資源が枯渇してくればくるほど、資源のリサイクル化は進んでいきます。しかし実際には、膨大な量を生産していれば捨てなければこの世はまるでゴミ溜のようになっていきます。

現在は、資本主義経済を循環させることが大前提ですから両立するというのは如何に経済を回すかということですがそれでは本当の意味で解決することはありません。

私は捨てないということよりも、本物にするということだけで十分解決すると感じています。

例えば、日本には伝統職人さんたちがいます。彼らは、自然物を上手に活かし、里山循環の中にしっかりと溶け込み、自然の一部としての役割を見事に果たしています。藁ぶき職人であれば、その地域の藁やカヤ、葦などを用いて家の屋根を葺きます。また左官は田んぼの土などを活かして土壁を塗ります。また森林を手入れし炭焼きをし、大工さんらはその木を用いて家を建てます。竹の手入れによって数々の暮らしの道具を人々はつくります。かつて、私たちは「何が本物であるか」を知っていたのです。

その時、私たちは捨てるのでもなく作り続けるのでもなく「手入れする」ということだけに専念したのです。

私は今の時代、もしも世界が変わりこの人類の方向性を導けるとしたらこの「手入れ」をするということだと確信しているのです。そのことから、徳積財団を設立し、暮らしフルネスを起草し、「お手入れ」のための活動と実践をこの地から発信しています。

物を大事にすること、もったいなくいのちをいただき伸ばすこと、このすべては「お手入れ」する心から育つものです。自分の心をお手入れし、身体をお手入れし、そしてお導きやご縁にお手入れする。当たり前のことかもしれませんが、自然はみんなでお手入れをすることで循環を守り続けてきたのです。

現代はこのお手入れの反対のことをみんなでやってます。やりっぱなし、なげっぱなし、捨てっぱなしで作りっぱなし、これがゴミの正体であることに気づく必要があると私は思います。

日本にはそもそもゴミという概念がありませんでした。八百万の神々の一つであり、それが他の神様のお役に立つ大切な存在でした。だからこそ、ここ日本からこの思想や生き方を伝道していくのが今の世代の使命だと感じています。

子どもたちがこの先、100年後、1000年後、どれだけの自然に見守られているのか。自然の回復力と人間の魂の真の成長を信じて、子どもたちのために日々のお手入れ、修繕を伝承していきたいと思います。

紫陽花の不思議

この時期は、あちこちで綺麗に咲く紫陽花の花を見かけます。いろいろな形や色に変化していく様子は、まさにこの季節の雰囲気を明るくしてくれます。幼いころは、紫陽花が咲くころにはカタツムリを探しにいきました。比較的大きな、カタツムリをみつけては紫陽花の主人のように振る舞う様子に不思議を覚えた記憶があります。

改めて紫陽花のことを深めてみるとその名前から不思議であることがわかります。

詳しいことはウィキペディアにもありますが、それもまたはっきりしない内容です。そこにはこうあります。

「アジサイの語源ははっきりしないが、最古の和歌集『万葉集』では「味狭藍」「安治佐為」、平安時代の辞典『和名類聚抄』では「阿豆佐為」の字をあてて書かれている。もっとも有力とされているのは、「藍色が集まったもの」を意味する「あづさい(集真藍)」がなまったものとする説である[8]。そのほか、「味」は評価を、「狭藍」は花の色を示すという谷川士清の説、「集まって咲くもの」とする山本章夫の説(『万葉古今動植物正名』)、「厚咲き」が転じたものであるという貝原益軒の説がある。花の色がよく変わることから、「七変化」「八仙花」とも呼ばれる。日本語で漢字表記に用いられる「紫陽花」は、唐の詩人白居易が別の花、おそらくライラックに付けた名で、平安時代の学者源順がこの漢字をあてたことから誤って広まったといわれている。草冠の下に「便」を置いた字が『新撰字鏡』にはみられ、「安知佐井」のほか「止毛久佐」の字があてられている。アジサイ研究家の山本武臣は、アジサイの葉が便所で使われる地域のあることから、止毛久佐は普通トモクサと読むが、シモクサとも読むことができると指摘している。また『言塵集』にはアジサイの別名として「またぶりぐさ」が挙げられている。シーボルトはアジサイ属の新種に自分の妻「おタキさん」の名をとって Hydrangea otaksa と命名し、物議をかもした。これは Hydrangea macrophylla と同種であった。」

なんともはっきりしない由来ばかりで、しかも間違って使われている事例ばかり。まさに七変化の象徴のような花であるのを感じます。

うちの庭にあるものは、野生種のヤマアジサイです。独特な形をしていて、緑と花が交互に折り重なるように咲いているので透かしもあり涼し気です。

このヤマアジサイは九州や四国に分布している種だそうで、むかしから私の故郷の地域の山や沢に咲いていたのでしょう。それがうちの庭にもあるというのは、どのようにここに運ばれて来たのかわかりませんが時と場を感じます。

こうやって、その土地に相応しいものやいつまでも変わらずに存在するもの。変化しないものと変化するもの。紫陽花から色々と学び直す機会を得ています。

子どもたちにも紫陽花の美しさを豊かに鑑賞するゆったりとした時間を持てるよう環境を用意して見守っていきたいと思います。