不易流行の真髄

不易流行という言葉があります。これは変わらないものと変わっていくものです。別の言い方では、時中時流とも言えます。如何に時の流れの中でも本質や本物を維持し続けるかということでもあります。

時が経てばかつての本質や本物は次第に色あせていきます。それは時が流れていくからです。いくらある時それが本物であったとしても、時が経てば次第にそのものが本物ではなくなっていくのです。

例えばお茶を点てるとします。しかしお茶は時間の経過とともに酸化して味が変わっていきます。そしてそれを美味しいと思う人の心も変わっていきます。昔ある時に飲んだ美味しい一杯のお茶と同じ味を維持しようとしたら自分が時の流れ、環境の変化を感じて自分の方が変化してその時の味に近づけなければなりません。つまりそのままでは古くなるから新しく磨き直すのです。

いくら言葉で真理が語られていたとしても、その時代時代にその言葉の意味を磨き直す実践者が出てこなければその真理は本物ではなくなっているからです。それは仏陀であっても孔子であっても、それを今ならどう行うかというのはその時々の人たちがその本質を磨きかつてその言葉が語られた時と同じにする必要があるのです。

易経に、時に中ると書いて「時中」とありますがこの境地は本当に今、この時のままであろうかと変化の最中を確認するという意味であろうと私は解釈しています。

生命は不思議で、本来は老化しすり減って消滅していく身体を持っていますが何度も何度も使っている場所は逆にいつまでも皮膚も分厚くなり感覚もいつまでも鋭くなっていきます。経年劣化ではなく、磨き続ければ経年変化になるのです。

古民家甦生を通して私が学び直しているのはこの不易流行の真髄です。

変わるものと変わらないものを捉える心は中庸です。そして時機を逃さず最適なタイミングで直観したものを一つ一つ丹精を籠めて種を蒔くのは時中です。人間は徳が高まり、人格が磨かれれば自ずから不易流行の境地に入るのかもしれません。

徳を磨き続けることで本物は維持できます。本物か偽物か分からなくなっている今の世の中で、真に本物かどうかは徳が証明します。

学んだことをそのまま実生活に活かすためにも、学びに素直に、問いに謙虚に日々の体験一つひとつを今、此処の真心で真摯に磨いていきたいと思います。

心のふるさと

先日、もう8年間一緒に理念の実践に取り組んでいる園で理念研修を行いました。ここは「心のふるさと」を子どもたちに持ってもらえることを目的にしておりそのために見守る保育を取り入れて実践しています。

私もこの心の故郷という言葉には、強く心が惹かれるものがあり懐かしく思います。この心の故郷とは何か、それを少し深めてみようと思います。

心の故郷を思う時、私は純粋な心を思います。純粋な心とは、子ども心のことです。子ども心は、あるがままの心、つまり心そのもののことです。これが歳を経ていくごとに次第に純粋さが日常の些事によって曇っていきます。曇ってしまえば、自分の純粋性も分からなくなり魂が何を望んでいたかもわからなくなります。

三つ子の魂百までという諺があります。私の解釈では、魂や心が望んでいることは誰にも変えようがない。つまりは普遍的に魂や心はこの世で何をしたいかを持っているという意味です。天命を与えられて生まれてきた存在は、そのまま死ぬまで天命がなくなることがないということです。

しかし実際は、その天命をやらせてもらえず教育によってやってはいけないことばかりを仕付けられてはそのものであることが否定されたりもします。純粋な心はそれによって曇り、自分自身が何をしたかったのかが観えなくなっていくのです。

その純粋な心、三つ子の魂の本来の心であり、その心のふるさとは魂の父母が住んでいるところ。それを心に持っている人はいつまでも自分の天命に回帰し、自分の使命に生きていく悦びを忘れないで魂と全うしていくことができます。生まれてきた意味を知るということは何物にも代えがたい安心感なのです。

そして子ども心が何かをしたいと思う時、如何に寛大に丸ごと受け止めてくれる存在があるか。そしてその子どものことを丸ごと見守ってくれる存在であるか。子どもを信じることで、その子どもは信じる道を歩むのです。

子どもが安心して生きていけるというのはこの心の中に懐かしい故郷、その心の父母の無償の愛を持っているということです。その無償の愛とは、言い換えれば自然慈愛の魂とも言えます。この自然慈愛の父母の魂が、子どもの魂に宿るれば人は死をも怖がらなくなります。

純粋さを貫くことができること、それを「至誠」といいます。純心を死ぬまで持ち続けられた人をみると私たち人間は魂が激しく揺さぶられます。それは魂が望む姿を魂が感化されるからです。理想の生き方、真実の生きざまを魂は心の奥深くで求め続けて已まないのです。

その至誠の魂が子どもの魂を見守ることで、魂の純粋さは永遠に保たれていきます。その魂の純粋さを守ることで、その人は一生涯自分の安心基地を自分の心の中に持つことができるようになります。人がこの世で信じられるものを持っているということは、一生を生きていく中でとても大切なことです。本当の仕合せは魂の邂逅を得ることだと私は思います。

それを子ども時代に与えていきたいと願うのは、真心がそうさせるからです。真心の生き方を貫く人はみんなこの心のふるさとが助けて見守ってくれることを自覚しているのです。私がそうであったように、子どもたちが心のふるさとを持って自分の随神の道を歩んでいけるように自分自身の純粋な魂や真心を盡して子どもたちの環境に貢献していきたいと思います。

遺言として心の故郷を見守ることは、何よりも優先される死生間の仕合せであると明記してこのブログを締めくくりたいと思います。

 

自然の時流

世間には人間が言う時間というものと、自然の中にある時間というものがあるように思います。人間の時間は、グリニッジ標準時を基準に動ていますが自然の時間はそのままの存在が時間として動きます。

例えば、グリニッジ標準時は人間世界で時間を統一するための基準ですからスケジュールは人間の都合で動かしていきます。人間が誰かと共に行動するには、年間、月間、週間、また一日、午前午後、何時何分と細かくなっていきます。時間が合うとか合わないとはお互いにその時間帯が確保できる余裕があるか、他の予定が入っていないかということが問題になります。

結局は時間はその人たちの都合ですから、上手くお互いがその時間を合わせていくことがタイミングがあったということになります。

しかし自然の時間は、こういうものではなく過ぎ去っている瞬間瞬間、言い換えれば「今」だけが時間ということになります。自然農で例えればすぐにわかるのですが、種まきの時機や収穫の時機、そして今何をすべきかはすべて自然を観察することで行われます。自然は刻々と変化を已みませんから、その時々でやらなければ手遅れになります。そこには人間の都合などは関係なく、自然は絶妙にバランスの中で動いていますから自然に合わせて変化していくしかありません。

人間には時流というものがあります。これは人間の間で流行りすたりがあるということです。時流に乗って成功する人もいれば、時流で失敗する人もいます。これは人間社會の中での観察に由ります。

自然の時流とは、自然そのものの存在の流れ、それは運とも言います。中国の古書に易経という時の書というものがありそこに「時中」という言葉があります。これは自然の時を顕す言葉です。

時に流されながら時に流されない、つまりは流れるということを得ているということ。運に任せ人事を盡す、つまりは今から離れることなく今そのものに的中するということです。これを中庸とも言います。

如何に時に中るか、それを私は直観と呼びます。

直観を使うというのは単に博打をするというわけではありません、直観とは丸ごと全体そのものと一体になっている境地であり、今何をすべきかが素直に自明している状態であり正直にありのままの自然な流れに従うということです。

自然の経営の極意は、タイミングを外さないということです。自然な流れで自然に生きることは、如何に謙虚に真心のままでいるかということです。

引き続き、子どもたちに自然が譲れるように時を深めていきたいと思います。

商人とは

今では商人とは何かということが曖昧になり、いわゆる商売をする人たちをみんな一括りに商人と呼びますがかつての商人とはどのようなものだったか近江商人の家訓や心得から深めてみようと思います。

近江商人は、鎌倉時代から昭和にかけて活躍した滋賀出身の商人集団のことを指しました。この商人の理念には「三方よし」という思想があります。これは「売り手よし、買い手よし、世間よし」というものです。

この三方よしの考え方は現在の日本的経営の一つにも例えられ、如何に世間の皆様によって最も善いことになるかを常に考え行動することが商人であると理念を定めています。また「利勤於真」(利ハ勤ルニ於イテ真ナリ)という実践徳目もあり、これは商人の利益はその任務に懸命に努力したことに対するおこぼれに過ぎないとし、勤労を優先し利益はその結果として出てきたものに過ぎないと真心を優先することを大事にしました。

近江商人には、商売十訓というものがあります。ここには近江商人の生き方の事例が紹介されています。

・商売は世のため、人のための奉仕にして、利益はその当然の報酬なり
・店の大小よりも場所の良否、場所の良否よりも品の如何
・売る前のお世辞より売った後の奉仕、これこそ永遠の客をつくる
・資金の少なきを憂うなかれ、信用の足らざるを憂うべし
・無理に売るな、客の好むものも売るな、客のためになるものを売れ
・良きものを売るは善なり、良き品を広告して多く売ることはさらに善なり
・紙一枚でも景品はお客を喜ばせばる
・つけてあげるもののないとき笑顔を景品にせよ
・正札を守れ、値引きは却って気持ちを悪くするくらいが落ちだ
・今日の損益を常に考えよ、今日の損益を明らかにしないでは、寝につかぬ習慣にせよ
・商売には好況、不況はない、いずれにしても儲けねばならぬ

ここに商人とはどういう生き方をすべきか、そして商人の志すものは何かが記されているように思います。特に近江商人は「陰徳善事」というものも掲げ、人知れず見返りを求めずに徳を積むことを重要視したといいます。

今ではすぐに職業や肩書、人気や流行から評価して人を観ますが、本来はその生き方をする人が何の職業をやっているかとその「人物の生き方」を観ることが本来の働き方の確認なのです。つまり古来の日本的精神、士魂を持った人が商才を使っただけでその風土の日本人の生き方がどうだったかということです。

世の中では働き方の改革と言われますが、その前に自分の生き方がどうなっているのかを見つめることが必要だと思います。単に会社の制度や取り組みを換えればいいのではなく、その根幹にある生き方を同時に換えることが働き方改革の本質だと私は思います。

商人として自分の生まれ落ちた天命の中で、しっかりと日本の心を持って働くということが商いを通して社會を善くしていくということです。その働き方は、常に自他も善く、そして世間も善く、それを喜びにして生きていくということです。

世の中の平和平安の祈りに生きたその生き方、働き方こそ商人の基本なのでしょう。日本の商人の道に私は誇りを思います。

引き続き社業を見つめながら日本的経営を学び直していきたいと思います。

自分の道、自分にしか歩めない道

今月の致知の社内木鶏の記事で桂歌丸氏と中村吉右衛門氏の対談がありました。その中で伸びていく人と途中で止まる人ということが語られていました。大変印象深い文章で桂氏は「その差は自分自身にある」といいました。「自分自身の勉強の仕方、自分自身の努力の仕方。」であると。そしてこう続きます。

「自分自身のことがよくわかっていないで他人のことはよくわかるという人がいるんですけど逆だと思うんです。他人のことばかり気にしているのは大変な間違い。」そして中村氏は「自分をしっかり見る」と応答されると「ずっと見ていないとダメですよ」と語っておられます。

人間は自分で考えることをやめてしまえば他人軸や世間の評価でばかりにあわせて生きてしまうものです。自分が分からないという人が増えていくのも、自分と向き合うこともしないで他人のことばかりを気にしていることでますます増えていくように思います。自分が自分自身と正対し自分を丸ごと認めることなしに、他人から認めてもらいたいことばかりを求めても自分の道を歩んでいることにはなりません。

自分自身の道を深めていくということが学問を実践することであり、自分の道を往く中でそれぞれ人として大切なことを修得していくようにも思います。

松下幸之助氏に自分の道を歩むことの大切さが語られた詩があります。

「自分には 自分に与えられた道がある。天与の尊い道がある。どんな道かは知らないが、他の人には歩めない。自分だけしか歩めない、二度と歩めぬかけがえのないこの道。広いときもある。狭いときもある。のぼりもあれば、くだりもある。坦々としたときもあれば、かきわけかきわけ汗するときもある。この道が果たしてよいのか悪いのか、思案にあまるときもあろう。なぐさめを求めたくなるときもあろう。しかし、所詮はこの道しかないのではないか。あきらめろと言うのではない。いま立っているこの道、いま歩んでいるこの道、とにかくこの道を休まず歩むことである。

自分だけしか歩めない大事な道ではないか。
自分だけに与えられているかけがえのないこの道ではないか。

他人の道に心を奪われ、思案にくれて立ちすくんでいても、道は少しもひらけない。道をひらくためには、まず歩まねばならぬ。心を定め、懸命に歩まねばならぬ。それがたとえ遠い道のように思えても、休まず歩む姿からは必ず新たな道がひらけてくる。深い喜びも生まれてくる。」

自分の道に気づくのは、自分の道を覚悟したときかもしれません。その姿勢が本当に自分が受け容れた道であるのなら、この道を歩ませていただきたいという謙虚な心が定まるように思います。こんなはずではないとか、もっとできるとか、環境さえあればとかないものねだりをしては他人の道を羨み自分自身のことを自分自身で深掘っていこうとしないでは自分自身のことが分かるはずがありません。

自分自身のことが分かるというのは、自分の心が分かってくるということです。自分の心を大切に生きている人は、必ず自分自身のことが結ばれていきます。自分と自身が結ばれるとき、人は他人軸が気にならなくなり本当の自信を持てるようになります。

自信とは何か、それは結果が出てから持てるものでもなく、評価されたからもてるものでもなく、それは自分が自分を信じられるとき持てるようになるものです。そのために信念があり、その信念によって磨かれて磨がれているうちに本物の輝きを放つようになるように私は思います。

自分の心をお座なりにすることがないように、自分の心の声をずっと聴き自分の心を見つめてその心と最良の関係を築くことで自他を認められる人格を育てていけるように思います。

人格形成はまず自分の道を定めることなのかもしれません。

引き続き、人生の先輩に学び直しながら真摯に自分の道を歩んでいきたいと思います。

 

多様多彩

先日、仏教の子ども主体のある保育園で理念研修を行いました。もう十年以上一緒に理念に取り組み、一円対話やその他の私たちの社内と同じ実践を行っていますがその中での発見や気づきはいつも深い感動があります。目指している生き方を共にし、磨き合い高め合う関係は同志そのものです。

この園の保育の方針にはこう書かれています。

「この世界には山があり、谷があり、川があり、海があり、そしてそこにはたくさんの小さな薬草、中ぐらいの薬草、大きな薬草もあり、大きな樹木も、小さな木も、きれいな花も小さな花も、ありとあらゆる草や木があります。そこには、同じように太陽はあたり、雲が湧き、等しく雨が降り注ぎます。その雨はたとえどんな小さな花にも、大きな木にもあまねく平等に降り注ぎます。降り注ぐ雨は平等ですが、小さな花は小さいなりに、大きな樹木は大きいなりに、その受け取る量はまったく異なります。それでもそれぞれが自らの命を精一杯輝かせ、生き生きと成長していくのです。小さな花が大きな樹をうらやむ事も、大きな樹が小さな花を見下すこともいらないのです。仏さまのお慈悲は降り注ぐ雨のように、平等に注がれるのです。」

これは法華経の中にある仏陀の話、「三草二木のたとえ」から抜粋されています。これは私の意訳ですが、「どんな生き物も同じ自然の一部、その宇宙の下、お互いに尊重し合い、認め合っていこう」ということを仏陀が分かりやすく諭してくださっているように思います。

昔から見た目の違い、身分の差、持っているか持っていないかなど人間は自分の都合で違いばかりを見てはないものねだりをしていくものです。持っている人をうらやみ持っていない人を見下したりもします。比較と競争はこの世に争いを産み出していくものです。異質なものを受け入れず、単一で画一化されたものを良しとする風潮が世界に争いの種を蒔いているように私は思います。

今でも本来は異なるものを、みんなを平均化することでまるで同じものであるかのように教育を施しています。最先端の教育ではダイバーシティやインクルージョンの重要性が叫ばれてきていますがその根底には「お互いを尊重し認め合う」という人間として当たり前のことに気づこうとする原点があるように私は思います。

もちろん公平に分けるということは大切ですが、平等とは受け手が平等を感じることが平等ですから公平に分けてもそれは平等ではないのです。平等とは私の言葉では「認め合う」ということです。国の違いを超えて、生物非生物の違いを超えて、当然、大小や貧富、男女、そうやって二元化して分けてきたものを超えて本来は一つではないかと気づくことが平和になるということです。

人間が争わないで生きていく道は、この三草二木のたとえの実践を行っていくしかないように私も思います。自然はみんな異なっているのは、お互いを認め合っているからです。姿形が違うものは、それぞれにそれぞれでいいところがありそれを互いに尊重するから共存共栄の社會が存在していくのです。

最後に、かつて中国を訪問した時に御縁をいただいた慈覚大師円仁の句で締めくくります。

「雲しきて 降る春雨は分かねども 秋の垣根は おのが色々」

それぞれに己の命を全うしていく、その姿に慈雲慈雨はいつまでもあまねく降り注ぐ、そこにどんな命の姿が出てくるだろうか・・・命はその慈愛の真心にいつも偉大な見守りを感じています。私たちが見守ることが大切なのは見守られていることを自分自身がいつも忘れないためでもあります。

子どもたちが多様多彩に自分らしくそれぞれの命を燃え盡すためにも、引き続きこの世の刷り込みを一つ一つ丁寧に取り払っていきたいと思います。見守る実践を心新たに深めていきたいと思います。

 

主燈明

この世に死なない人がいないように必ず形あるものは消滅していきます。自然でも同じく、いくら固い石であろうが鉄であろうが時間が経てば必ず風化して消滅していくものです。これは今の国家であっても世界であっても時代時代で必ず消えていくものです。

必ず消滅すると知るのなら、執着しているものの全ては消えてほしくないと願っている私たちの心でもあります。あるものを保とうとするのは意識から細胞にいたるまで自己防衛本能の根本でもあります。しかし消えてしまうものを無理に消えさせまいと自然の摂理に反していたらその歪から変化することを抑え込もうや変化することを避けようなどという不自然なことをやってしまうものです。

例えば、川の流れで水をいくらせき止めてみても水は増え続けて流れようとするものです。堤防が大きくなってみても雨の量や風化のスピードは抑えようもありませんから必ずその堤防は決壊して変化の流れは誰にも止められません。

だからこそ人はその変化を受け容れて、その自然万物が消滅することを知りそれが少しでも永く継続維持できるように努めていくのでしょう。変わることを受け容れる人だからこそ今あるものをもったいなく感じて大切にしていくことができます。

人間は自然の摂理において淘汰されるはずのものでも、いつまでもみんなが守り大切にすることで生き続けていく文化として子孫へ継承されていくようにも思うのです。

仏陀は2500年前に自燈明・法燈明という言葉を遺しました。「他者に頼らず、自己を拠りどころとし、法を拠りどころとして生きる」と解釈されます。これは私たちでいえば組織に頼らず、内省を怠らず、理念(初心)を拠り所にして実践していきなさいという言葉になります。

変化していくというのは言い換えれば諸行無常ということです。変わらないものはなく、いつまでも今のままであることは続きません。だからこそどんな変化が訪れても理念(初心)を拠り所にして内省を怠らず、自分自身の心に意見をして歩んでいく必要があります。変化はいついかなる時も已むことはありませんから、常に人は日々に理念や初心を確認して自らがズレていないか、自分の心が変化に流されていないか、その変化に気づき心を常に原点回帰しているかと一歩一歩歩むたびに自らを省みる必要があります。

そうやって自分の心の主になることを自燈明といい、理念の主になることを法燈明になると私は思います。主体性というものは、自らの積極的な自燃力によって命を熾すこと、決して時と他人の奴隷になるなということでもあります。それを私は「主燈明」と名付けます。禅語でいうところの主人公のようなものかもしれません。

主は誰か、主とは何か、ひょっとすると仏陀はそれを生き方で示した方だったのかもしれません。

引き続き、私たちは子どもたちの主体性を守る仕事しているのだから自分自身が主体性を発揮して変化の中で何を守り何を守らないかを実践して子どもたちに主燈明を通してその背中を見せていきたいと思います。

道中日記

中国の格言に「10年、偉大なり。20年、恐るべし。30年、歴史になる。50年、神の如し。」というものがあります。これは決心したことをそのままに継続ができるのなら、以上のようになりますよという事実が説かれているものです。

これは力の本質を語る言葉ですし、すべての偉大は日々の偉小の積み重ねにおいて行われることを語るものです。二宮尊徳に積小為大という言葉もあります。日々の進歩や進化、改善や探求や実践が時を経てそれがすべてを動かす力の源であるということです。その力の源は「楽しい」ということです。

物事は日々に深めていると次第にそれそのものが楽しくなってきます。楽しいと思えるように本気で楽しいことに取り組んでいると次第に発見が多くなりもっとそれを探求してそのものに辿り着きたいと思うようになります。好奇心とも言いますが、飽きっぽいものは決して好奇心というものではなくそれは単に知識欲が旺盛ということで本当の楽しみは同じものを見ても毎日同じに見えないという「変化」を楽しむことができるということです。

日々に実践していくとそれまで知らなかったこと、わからなかったこと、わかった気になっていたことに気づきます。「おお、そうだったのか!」と驚きまたそのことがもっと知りたくなってきます。知ることが楽しくなっていくのです。そうすれば単にわかることが目的ではなく、もっと本当のことが分かりたいというまるで自然の妙味や宇宙の真理にも近づいていくかのようにドラマが生まれワクワクドキドキが止まらなくなるのです。

好奇心というものは、人が道を求め道を歩むときに必ず隣に有るもののように私は思います。

二宮尊徳は「知れたることを知って行ふは聖人なり、知らざることを知れというは小人なり」という言葉を遺しています。なんでも即席栽培のように速成をしようとする昨今の風潮がありますが、本来はじっくり醸成し凡事を非凡に徹底することの真価を身近な大人たちが示していることが大切ではないかと私は思います。

一つの道を極めていくのは、長い年月が掛かります。言い換えれば長い年月を掛ける価値はその人の日々の進歩に懸っているとも言えます。大きな目標ばかりを追い求めては今やるべき目の前のことには心を籠めないでは本末転倒です。

一つひとつの頂いた機会を如何に活かすか、それはその人がどれだけ日々の実践を徹底しているかに由ります。水脈にあたるまで井戸を掘り続け、山になるまで土を盛り続けるように弛まず諦めない根気がいります。

しかしその夢が大きければ大きいほど、周りの人には馬鹿にされるような小さなことをやり続けることになるものです。そういう真実に対して愚直に実践するものを私も聖人と呼びます。いつまでも知ってもやろうとしない人たちが変わらないのです。

目指す頂は壮大でとても自分一代では不可能だと思えます。しかしそれでも人類を愛し、人間を信じるからこそ諦めたくないと思います。

このブログも私にとってはその進歩を遠方の朋と味わう工夫であり楽しさを弘める道中日記のようなものです。

引き続き子どもたちのためにも、自然の恩恵の中で感謝報恩で生きていく仕組みを時中に合わせて開発していきたいと思います。

 

心田を耕す

心田という言葉があります。これは心の田んぼのことを言います。二宮尊徳は心田開発とも言い、また心田を耕すといいました。この心田の「田」とはどのようなものかということを少し深めてみます。

自然農の田んぼで昔ながらの農法を実践していればすぐにわかるのですが、田んぼがちゃんと田んぼであるのは人の手で手入れを行っているからです。畔の管理から草の管理、その他、田んぼに稲が育つようにその環境に相応しい場を見守り続けていきます。これは畑も同じく、作物を育てるためには育てる作物に応じて適切な場所や適当な広さ、または必要なら畝をつくり水切りし、太陽が届くように周りの木々を剪定します。

このように手入れをすることではじめて田も畑も私たちが暮らしていけるように順応してくれるとも言います。ここで大切なのは放置しないということです。自然農の田んぼで人手が足りず一つの場所だけは放置しているところがあります。そこはもう人の手が入らず自然そのもので雑木林のようにススキやセイタカアワダチソウなどで畑とは呼べるようなものではありません。手入れを怠り数年経てば、野生のままに回帰していくということです。

二宮尊徳は心田についてこう語ります。

「私の本願は、人々の心の田の荒蕪を開拓して、天から授かった善い種、すなわち仁義礼智というものを培養して、この善種を収穫して、又まき返しまき返して、国家に善種をまき広めることにあるのだ。」

「そもそも我が道は、人々の心の荒蕪を開くのを本意とする。一人の心の荒蕪が開けたならば、土地の荒蕪は何万町歩あろうとも恐れるものはないからだ。そなたの村は、そなたの兄ひとりの心の開拓ができただけで、一村がすみやかに一新したではないか。」

田んぼの手入れを怠れば田んぼは自然の摂理で野性地に戻ります。しかし人間が手入れをすれば耕作地となり私たちが生きていくための「保育地」になります。これを人の心に置き換えるのなら、私たちが心の手入れを怠れば人間も野性に戻ります。場合によっては動物のようになり理性が失われ本能だけのものになります。しかし心を正しく手入れをしていけば人間が育成され自然の恵みに感謝して共に助け合い暮らしていくための思いやりのある道徳社會ができてきます。

つまり心田の手入れとは何をいうか、それは我慾を制し、己に打ち克ち、自らを律し、感謝の心を育て、恩に報い、周囲を見守ることに似ています。そして心田を耕すとは、その荒れ果てて欲望のままに野生化した人の心をもう一度手入れをすることの大切さに気付かせそれを一緒に直し、直したらまた荒れることがないようにと手入れを怠らない工夫を人々に与えていくことです。

そうやって心田を耕すことで人ははじめて自然の叡智を得た人間の智慧を持ったことになります。何もしなければ自然のままに壊れていくのが天理ですから、その天理の道理を悟り、人道はその壊れていくものを壊れないように手入れをしその自然からの恩恵をいただき生きていくという人間本来の姿に回帰していくということです。

今は田んぼを耕すのは農家の仕事としてあまり周りの人たちには馴染みがなくなってきましたが、本来は自然の恵みを受けてそれを感謝でいただいて暮らしていくという人間本来の営みは農家に限らずこれは人類が今まで生き延びてきた由来であり由縁であるのです。自然の恩恵をいただき自然と共に暮らしていくことこそ迷いなく人間が生きるためのたった一つの悟りです。

もう一度、心田を耕すことを思い出し原点回帰する必要を感じます。

引き続き、子どもの傍にいて心の手入れを行うとはどういうことか。その手入れ方法を人々に伝授し、私も尊敬する二宮尊徳のように自然から学び直したことをカタチにして心田を耕すことに生涯を捧げていきたいと思います。

 

真の学者、真の学問

今年も無事に萩にある松陰神社に参拝することができました。毎年欠かさず24年間、一念発起してから初心を忘れずに今でも実践が続けられていることに改めて感謝します。

私は吉田松陰の生き方に触れ、魂が揺さぶられ如何に義に生き切るかということの大切さを学びました。その人の功績よりも、その人自ら背中で語る生き様に日本人の美しい精神、純粋な真心を学びました。

吉田松陰は思想の方ばかりを注目されますが、私はその真心の方に心を打たれました。真心の生き方を貫いた人物でこれほどの純粋無垢な人物が先祖にいたことに何よりも誇りに思います。

松下村塾には、竹に刻まれた「松下村塾聯」というものが掲げられています。これは吉田松陰が27歳の時に刻んだもので、塾生たちの最も目に入るところに掲げて戒めたものです「刻む」というのは忘れてはならないという意味です。

「万巻の書を読むに非ざるよりは、いずくんぞ千秋の人たるを得ん。一己の労を軽んずるに非ざるよりはいずくんぞ兆民の安きを致すを得ん」

一般的にはこれは「たくさんの本を読んで人間としての生き方を学ばない限り、後世に名を残せるような人になることはできない。自分がやるべきことに努力を惜しむようでは、世の中の役に立つ人になることはできない」と訳されています。

私の意訳は、「立派なご先祖様たちの生き方を文字や言葉を通して学ばない限り、同じようにご先祖様と同じような立派な存在になることはありません。そして自分自身の人生を自分のことだけに使い、世のため人のためにする苦労を自ら避けようとするようではとても社會を平和に変えていくことはできませんよ。」としています。

この書を読むことと苦労は一つであるとしているのです。

「日本の国柄を明らかにし、時代の趨勢を見極め、武士の精神を養い、人々の生活を安らかにした歴史上の秀れた君主や宰相の事蹟や世界の国々の治世のしくみを調べ、一万巻の本を読破すれば、つまらぬ学者や小役人にならなくてもすむ」といいます。

ここでのつまらぬというのは、「そもそも、空しい理屈をもてあそび、実践をいい加減にするのは、学者一般の欠点である」という意味と同じです。思想だけを弄び決して自分では実践しないでは世の中は何も変わらないから言ったのでしょう。

吉田松陰は真の学者、真の学問をするように学友や仲間たちに説きました。それは富岡鉄斎の座右「万巻の書を読み 千里の道を行く」に通じるところがあります。これは書を読むことと道を行くことが同じであることを意味します。つまりは「道を深めよ」という学問の本質が隠れていると思うのです。

吉田松陰はこういう言葉も遺します。

「井戸を掘るのは水を得るため、学問をするのは人の生きる道を知るためである。水を得ることができなければ、どんなに深く掘っても井戸とは言えないように、人の生きる正しい道を知ることがなければ、どんなに勉強に励んでも、学問をしたとは言えない」

人の生きる道を学ぶ道場、それが松下村塾であったと私は思います。志とは継続することで磨かれるもの、そして実践することを深めることで実現していくものだからです。常に学友と共に持ち味を活かして磨き合うところに、学問を活かす道があったように思います。

『学問とは何のためにあるのか。』

これをまずはじめに考えなさいと「聯」に刻まれているようで、松下村塾に行くとその初志を観て心が引き締まります。

時代を越えても時空を超えても志によって人々に勇気を与え道を示してくださる、まさに師と言います。私は生きている人をメンターと呼び、亡くなっている人を師と呼びます。

真の学者、真の学問を極めてご先祖様と同じように徳を磨き社會を豊かにしていけるように今年も精進していきたいと思います。