2017のテーマ

昨年は伝統を通して、本来の姿を見つめた一年になりました。かつての先祖たちがどのように暮らしてきたかを知れば知るほどに自然と一体になり、自然に親しみ、自らを慎み、素直に謙虚に生きてきた様子に日本人本来の当たり前の姿を観た気がします。

昨年はもののはじまりを知るがテーマでしたが、すべての物事には起源がありその本質を見極めれば何が異常で何が正常であったかがわかります。今の世に照らして、正常が何であるかをつかむというのは本質的に生きていくことを大切にしていく上では何よりも重要な実践項目になります。

先日、熊本県八代市のい草農家の草野様が聴福庵に来庵した際に「こだわり」と「当たり前」についてのお話をしてくださいました。

草野様が見守り育てているい草は、品質、出来栄え共に「本物」で熊本でも有名で若い人たちの指導もなさっているそうです。そのい草を聴福庵に入れましたがその輝きや美しさ、また触り心地などすべてにおいて素晴らしく、い草本来の徳が引き出されているように感じます。

この草野様のい草づくりはとても手間暇と丹精を籠めてあり、通常ではここまでやるかというくらい徹底して丁寧に育てられているそうです。それを見た周りの人たちは「あそこまでこだわれない」とか「草野さんのこだわりはすごい」などと評するそうです。

しかし本人は「こだわり」だと言われるのは好まず、これは「当たり前」のことだといいます。このこだわりと当たり前の間には、異常と正常の違いがあるのです。

今では心を籠めないで頭でっかちに計算をして取り組むことの方を当たり前だとなってます。しかし古来のように丹精を籠めて丁寧に心を使い手間暇をかけることはこだわりだと言われます。私も様々なことを徹底して実践するタイプですから周囲からはこだわりが強い人だと言われます。しかし私自身は同じくこだわっているのではなく、真心を用いるのは当たり前のことなのです。

メンターと共有した今年のテーマは「常」です。つまりは「平常心で心を乱さない、心のままでいること」です。

常は平ともいい、その常とは平常心のことです。これは心のままでいる、本質が観えてきているから、表面的なものにあたふたしないで心のままであり続けます。心の世界で取り組むのならば常に本質を維持できますが、心から離れればすぐに本質がブレてしまいます。

本当のことや本物にこだわるのは、それがかつては当たり前であったからです。そしてそれが今、最も危うい状況になっているからです。作物を育てるのも人を育てるのも心を用います。心があるからこそ理に適います。つまり「心即理」なのです。

だからこそ今年はその当たり前をさらに深めて、こだわりとか当たり前とか区別されないくらいの自然な姿に私自身近づいていきたいと思います。子どもたちが何が当たり前であるかに気付けるように平常心を大切に取り組む一年にしていきます。

今年もよろしくお願いします。

一期一会~今~

四書五経の一つ「大学」の中で「苟日新、日日新、又日新」という言葉が出てきます。これは古代中国に殷という国の初代湯王が (まことに日に新たに、日日に新たに、又日に新たなり)と毎日使う手水の盥(たらい)に銘辞を刻んで日日の自戒としたとされているものです。

これは自分の日々の垢を洗い清めるように、過去に発生したすべてのことを取り払い新しい自分でいようと磨き続ける、言い換えれば「今を生き切る」と弛まずに精進し続けたという証です。自分が過去に捉われないよう、自分が今に生き続けるようにと自戒したという生き方にとても共感します。

これを座右にした昭和の大経営者の土光敏夫さんがこのようなことを語っています。

「神は万人に公平に一日24時間を与え給もうた。われわれは、明日の時間を今使うことはできないし、昨日の時間を今とりもどすすべもない。ただ今日の時間を有効に使うことができるだけである。毎日の24時間をどう使っていくか。私は一日の決算は一日にやることを心がけている。うまくゆくこともあるが、しくじることもある。しくじれば、その日のうちに始末する。反省するということだ。今日が眼目だから、昨日の尾を引いたり、明日へ持ち越したりしない。昨日を悔やむこともしないし、明日を思いわずらうこともしない。このことを積極的に言い表したのが「日新」だ。
昨日も明日もない、新たに今日という清浄無垢の日を迎える。今日という一日に全力を傾ける。今日一日を有意義に過ごす。」

今この瞬間に生き切るということは、自分のいのちを一期一会に使い切っているということです。私の座右も一期一会ですから、この生き方に共感するのです。時は過ぎ去っていくだけで過去の成功に縛られても仕方がないし、未来のことばかり憂いていても仕方がない。大切なのは、今どうにかできる今だけですから今に真摯に真心を盡していくことこそが人生を豊かに感謝で生き続けることになると思います。新しい自分とは、今の自分のことで古い自分も今の中に生きています。だからこそ古今は未来そのものです。

この殷の湯王の自戒には、もう一つ私が心から尊敬するものがあります。反省とはこういうもので、内省とはこういうものだという至高のお手本を示したものです。論語を学び、大学を学ぶものとしてこの殷の湯王は何よりもそのモデルになります。

最後にこの殷の湯王の自戒で締めくくります。

「希望あれば若く
燃ゆる情熱
美しいものへの喜悦
逞しい意志と情熱と
安易な惰性を振り捨てて
人は信念とともに若く
情熱を失うときに老ゆ
希望ある限り若く
理想を失い失望と共に老ゆ
心して暮らせ」

一期一会というのは、この信念と情熱と理想、意志と希望と喜悦によって真心を盡して暮らすことです。子どもたちのためにも、自分がその実践を体現して生き切っていきたいと思います。

できないことを頑張る努力~競争刷り込み~

人は、完璧な自分に向かって努力していくことと完全な自分に向かって努力していくことでは努力の定義が異なります。例えば、育てるときに使う努力と、育つときに使う努力とが異なることとも同じです。無理に育てるために努力するのなら詰め込みやらせた方がいいのですが育つための努力するのなら見守る方がいいのです。

私たちの会社は一家という家族という関わり合いで働いていきます。チームも同じですが、一人で生きていくわけではないのだからお互いに持ち味を活かしあって働きます。一人だけで生きていくのならなんでも自分でオールマイティにできなければならないことも、仲間やチーム、組織があるのだからできないことは周りに頼り自分にしかできないことでみんなに貢献していくのです。

しかしかつての比較競争の社会教育を施された人たちは、できないことがあってはならないと無理になんでも頑張ろうとします。自分にしかできないことをやろうとするのではなく、常に自分ができるまで努力しようとするのです。こういう刷り込みを持つと「できないことを頑張ることが努力」だと思い込んでしまいます。そしてできないことを頑張らないことは楽をしたことだとし真面目な人は悪いことをしていると罪の意識すら持ってしまうのです。

実際に教室では先生と生徒はどこでも縦の関係が強く上下のピラミッドの関わりです。そして生徒と生徒は仲間というよりも比較競争されたライバルだったりします。そうなってしまうと一人でできるようになることを目指していくようになります。全員が同じ課題を持ち、全員が同じことができるようになる組織の中では自分だけができないことは悪いことになるのでしょう。

しかし時代は変わり、今ではアクティブラーニングのようにチームや仲間と一緒に学びあうということになってくるとできないことを頑張られると周りの人たちは協力できなくなるので困るのです。もしも仲間やチームがあっての中の自分ということになれば、「自分にしかできないことをやり、できる人に頼んで手伝うことが努力」と定義が変わっていきます。それぞれの得意分野を活かしつつ、自分にしかできないことをやるのは、その根底には助け合い支え合って思いやり一緒に生きていこうとする協働社會が存在します。

協働社會の時の努力と、競争社会の時の努力は価値観が丸ごと全く異なっていますからそれが誤解してしまいといつまでも協働して一緒に働くことができないことになります、無理をしてできないことをできるまで頑張ったり、できることばかりをやり続けたりすることは最終的な孤立を生みます。そうやって助け合わずに働けば結局はいつも一人ぼっちになり、仕事が増えすぎてパンクして投げ出すことが関の山です。

だからこそそんな働き方、つまり競争の働き方をやめて協働の働き方に換えていくべきです。時代は今は、協働を求めていますしすでに今世紀は協働世紀です。それは人類がかつてから智慧として大切にこのいのちを繋いできた至高至大の唯一の徳恵だからです。

働き方改革というのは、私にしてみれば競争から協働へということです。

子どもたちに遺し、譲っていきたい未来の社會のためにも自分自身が何よりも自分にしかできないことで全体に貢献したいと思います。そして無理をして自他を責めず仲間を信頼し自分にはできないことを助けてもらい、頼り頼られる絆やつながりが広がっていくような協働の実践を積み重ねていきたいと思います。

本物の美しさ ~燦然美~

先日、伝統のある京町家で本物の美しい和室を体験する機会がありました。お昼過ぎ、申の刻の陰翳礼讃を肌で感じ、凛としたその空間の厳しさと包み込むような和かな暗闇に心寛ぎました。雪見障子から眺める奥庭は、四季折々の色々に彩られ季節が室内へ透過され自然と一体になって静寂に入っていきました。

その和室のおもてなしをする主人の真心が感じられ、今までその家がどのような家だったか、どのような暮らしを営んできたのかがわかります。自分の内面の深いところを観てもらうようで、その主人の間にはその家代々の大切にしてきた生き方が刻々とその空間に深く沈んでいます。

一言でいえばその媚びていない空間は、あまりにも自然体でありあるがままの心を開いて受け入れてくれている美しさがありました。この美しさとは一体何か、自然とは何かということです。

媚びるというのは、どこかよく見せようとか、よく見られないとか誰かを気にしている状態です。その状態は自然ではなく、媚びているといってもいいと思います。媚びているものはどこか、凛としたものとはかけ離れ、心を閉ざしている雰囲気があります。

しかし媚びない姿はこの反対で、自分らしくいて自信にあふれ、自然体であり心は常に万物の世界に開かれていてどんなことも一円融合に受け容れる寛さがあります。一言でいえば媚びないというのは、生き方を貫いてきた姿ということです。

どんなに時代が変わっても、どんなに環境が変化しても、どのような生き方をするかは自分自身で決めることができます。流されて自分を持たず、大衆に迎合して自分を失ってしまうことは周りを見ていればすぐにわかります。しかしそんな中でも、最近世界遺産に指定された富岡製糸場のように「売らない、貸さない、壊さない」と信念を貫き媚びない姿を遺したことで今でもその価値は燦然と輝いています。

大事なものを守り続けるというのは、主人の信念が決めるものです。どんなに好条件でうまい話があったとしても、決して本質を見失うまいと覚悟を決めた姿にはその人物の美学があります。

この美学を貫くとき、媚びない姿が顕れ同時に本物の姿、自然体も顕れるのです。

自然が美しいのはなぜか、それはそのままあるがままであるからです。人間はもっと自然に習い、あるがままの美しさ、自然体の素晴らしさを学び直す必要を感じています。自分らしいことを諦め、ただ周りもそうだからと大衆に流されて大切なものをゴミくずのように捨ててしまっているうちになくしてしまうものは何よりも大切な自分自身の御魂かもしれません。

どんな時代であっても、大義を貫きその大義に生きようとする生き方には本物の美しさがあります。私が尊敬しているその家は、有り難いことにその凛とした佇まいのままに京都に遺っています。そんな家のご主人と時代を超えてお会いできる一期一会は、私の人生にとってはかけがえのない勿体ない邂逅です。

また引き続き、日本人としての生き方の御指南をいただくためにもその空間に今後ともご挨拶に伺いたいと思います。

ありがとうございました。

一円組織

組織というものはいろいろな形があります。以前はピラミッド型組織が流行し、官僚のように上下の階級がはっきりしたものを使われていました。そこからフラット型組織というものが流行し、トップ一人にあとは全部横並びというものに変わっていきました。その両方は、どちらにしても上か下かという概念に縛られます。

私は一円対話というものを実践しつつ、一円組織というものを考えています。これは新しい経営の在り方のモデルに挑戦することであり、持ち味を活かし全体が一つの生命体のように機能する組織のことです。

しかしそれを実現するには、今の社会の常識に縛られないこととそこで一緒に働く人たちが過去の刷り込みに負けない変化が必要になります。

一円組織というものは、上下がありません。そこにあるのは、それぞれの持ち味を活かしあい豊かに一緒に働く仲間があるということです。実際の組織では上下がありますから、指示命令の上下運動で物事は進みます。しかし一円組織においては上下がありませんから、いつもオープンに積極的で自発的なコミュニケーションを自ら取り合って「助け合う」必要があります。

かつて日本では、大事な決定を考えるのに火を囲み車座になって語り合いながら合議していました。そこでは階級などが存在せず、一座としてみんなで自分たちの今について心を開き語り合いました。それは囲炉裏の文化として引き継がれ、皆で丸くなって助け合い働くということでお互いの意思疎通だけではなく相互理解、また談笑のうちに本心をさらけ出し周囲との信頼関係を築いて物事に取り組みました。

そこには結果責任がどうだと、分担だどうなのではなく、豊かに一緒に働ける歓びや仕合せや感謝、もしくは愛を分かち合う場がありました。まるで家の中で一緒に手を取り合って生きていく温かい家族の絆が観えます。今では一部の人たちにだけに責任を負わしたり負わされたり、または誰かを責めたり貶めたり、背負ったり投げ出したりと、競争や比較、評価ばかりの中でみんなが一円になることがなくなってきています。

本来の人間はどういうときにもっとも力を発揮するか、そして社會はどういうときに思いやりの循環が生まれるか、それはお互いが尊重され一人ひとりが活かされるときです。そしてその一人ひとりが活かされるのは全員参画型の組織に変わる時です。その先に組織があり、その先に社会があり、その先に町があり、都市があり、国家があり人類の未来があるのです。

まだまだそこには私たちも辿り着けていませんが、このプロセス自体の中に実践からのヒントや、型を産み出していく中で世間の刷り込みを取り払うための方法などが発明できています。

引き続き、一人ひとりが全員主人公で豊かで仕合せな幸福型組織、一円組織を目指して挑戦し続けていきたいと思います。

こよみ(暦)

現在、生きていくうえで人間は時間やスケジュールというものを中心に一年を過ごしています。特に日本では時間に正確に動くことは当然となり、電車であっても1分遅れでさえもクレームがでるほどになっています。日時というものに合わせて、曜日というものに合わせて計画を立てて生きていくのですがどこか時間的余裕が失われ季節感もなくなり日々の忙しさに追われているようにも思います。

私たちが生きていく基準にしているものの中に「暦」(こよみ)というものがあります。これを辞書で調べると「語源は日読み (かよみ) 。1日を単位として数えることにより,週,月,年と時間を分割した体系,また,この体系の基礎となる天体の知識,年間の予知すべき事項を記載したものをいう。分割の基礎になるものは,月の公転周期 (朔望月 29.531日) および地球の公転周期 (太陽年 365.242日) であり,前者を採用したものを太陰暦,後者を採用したものを太陽暦,両者を併用したものを太陰太陽暦という。 」(コトバンクより)とあります。

現代の私たちはかつての太陰太陽暦を捨てて明治以降から太陽暦(グレゴリオ暦)という西洋で作られた「西暦」というものを用いて生活しています。これは1582年にカトリックのグレゴリウス13世はユリウス暦を西暦が100で割り切れ、かつ400では割り切れない年(例:1700年、1800年、1900年)は閏年とはしないという新しいルールを加えたグレゴリオ暦を制定したところから来ています。

古代ローマで作られたのがはじまりですから、12月のカレンダーにあるJanuary、Marchなどの月の呼び名はすべてローマの神話に出てくる神様の名前です。それにsunday,mondayなどの曜日の呼び名は北欧の神様も入っています。おかしな話ですが、私たちは日本人の神話もあるのに暦は別の国の神話の神様のカレンダーを使っているとも言えます。私たちが誕生日にこだわるのも、キリスト教会がイエスの誕生祭にこだわるからでもあります。

日本でそれまで用いられてきた太陽太陰暦にあったような農業や年中行事の和暦を全く無視した西暦(グレゴリオ暦)に明治時代に強引に政府が入れ替えました。それまで農業では、季節の節目を洞察してつくられた二十四節気・七十二候が用いられ種まきや収穫の時機や季節による農作業の準備をきめ細かく行ってきました。そして正月や節句のような年中行事は月の満ち欠けの太陰暦の日付で行っていました。それだけ昔の人は、暮らしと暦が密接でありこの和暦があることで安心して自然と一体になって暮らせていたとも言えます。

季節感がなくなってしまったのは、この暦が季節とまったくかけ離れたものを用いだしたからともいえます。今では年中行事も土日の方が人が集まるや、それがやりやすいからと勝手に日時を人間都合のスケジュールで動かすようになってきました。本来の年中行事の意味や自然の季節のサイクルともズレた行事は本来の暦の本質からも離れていく一方です。

改めて明治時代の改暦から約140年経ち、社會の今の見つめれば何が歪んでいるかに気づきます。その歪に気づいたなら自分自身がまず本質に回帰した生活や暮らしを実践し温故知新して次世代に譲り渡していかなければなりません。

今では季節感もなくなり年中行事も意味が失われてきていますから、子どもたちのためにも自分たちが実践により今の時代に適応した仕組みを創ってみたいと思います。古民家再生の一つの主柱にこの「こよみ」(暦)というものを使います。

愛は人の為ならず

人間は情というものがあります。この情に感がつけば感情と書きます。つまりはどんな人にも感情があり、心が感応するとき同時に情も感応します。昨日、我のことを書きましたがこの情というのが我に密接していますからどう折り合いをつけていくかが大切になるように思います。

諺に「情けは人の為ならず」というものがあります。現在はこれの意味とは間違って理解しているものが多く、他人に情けをかけることはよくないように使われています。しかし実際の意味はそうではなく、他人にかけた情けは巡り巡って自分のところに戻ってくるご縁なのだからそれは他人のためにではなく自分のために行っているものだということです。

人間には自我が情がありますから、してあげたことややってあげたことを相手に見返りを認めたりするものです。本来は、真心からしようと思っていたことも我が強すぎたり自分の情ばかりを優先してしまうと相手に求めたり期待したりとその行為まで歪ませてしまいます。そのうちに、恩知らずとか恩を仇で返されたとか、恩を返せとか要求したりするものです。こうなってしまうと、最初から真心などなかったかのような出来事にすり替わってしまいかえってお互いの感情がぶつかり対立関係を深めてしまいます。

同じような諺に、「受けた恩は石に刻み、かけた情は水に流せ」というものもあります。これは先ほどの情けをかけて見返りを求めるなということと似ています。なぜではこうなってしまうのかということです。

人間は誰しも自分を満たしたいと思っています。生きていくうえで、人間は承認欲求というものがあります。認められたいという心や、自分の存在を認めてもらいたいという欲があるのです。これは決して悪いわけではなく、生きていくうえでそれが転じれば社会貢献をしたいという気持ちを育てる側面もあります。しかしこれが歪んだ自己愛になっていくとよくないプライドになったり、自己中心的な考え方になったりしていくものです。

この情というものも、相手を自分と分けてかけるのではなく相手は自分そのものと自他一体になっているのならそれは先ほどの情けが人の為ならずのように真心の愛を循環させていくことができるように思います。これを言い換えれば、「愛は人の為ならず」ということなのです。

本当の自分を愛することができる人は、同じように他人を愛することができるように思います。自分の中にあるものを一つ一つ受け容れて、みんな同じような苦しみを持っていると同時に生きていくのならそのうちに自他は一体になっていくものです。

これを邪魔するのが自他を分けるということであり、自分を愛しすぎたり、自分を粗末にし過ぎたりすることで歪んだ情愛が根付いてしまうように思います。

福沢諭吉に『世の中で一番尊いことは、人のために奉仕して恩に着せないことです』というものがあります。

感謝の心を育てていくのは、人事を盡していくこと、真摯に自分を活かしていくことをやりきっていく中で次第に醸成されていくようにも思います。見返りを求めないことが愛でもあり真心です。自分がそうしたかっただけという言葉の中には、相手がもしも自分だったらと他人事にせずに全身全霊を懸けて取り組む実践によって磨かれた生き方や生きざまがあります。

愛を循環させていく心の深淵には、人を深く愛しているという人道があります。人道支援というものは決して弱い人を助けることを言うのではなく、自他一体に「情けは人の為ならず」を日々に実践していくことです。

引き続き、人類を愛するからこそ日々の小さな真心の実践を積み重ねていきたいと思います。

 

本義本業

人は誰しも感情があります、その感情は我があるから感応します。また人には誰しも真心というものがあります、その真心があるから真我が感応します。ここの境目にははっきりと我と真我という分かれ目があるわけではなくそこは薄明りのように和合しています。

この我や真我というものは頭で理解することはできず、たとえば真心なども言葉や知識で理解できるものでもありません。心技体、真摯に苦労をおしまず自己すべてを使い切っているときに発動しているものです。すべての物事はこの真心に懸っているとも言えます。つまり良いか悪いかは頭ですること、心でするのは真心のみです。

聖徳太子がこういう言葉を17条の憲法の中で遺しています。

「真心は人の道の根本である。何事にも真心がなければいけない。物事の善し悪しや 成否は、すべて真心のあるなしにかかっている。真心があるならば、何事も達成できるだ ろう。群臣に真心がないなら、どんなこともみな失敗するだろう。」

これは第9条に書かれており、良いか悪いか、正しいか間違っているか、それはすべては真心のあるなしがすべてであるといいます。それを受けて第10条にはこう添えられます。

「十にいう。心の中の憤りをなくし、憤りを表情にださぬようにし、ほかの人が自分とことなったことをしても怒ってはならない。人それぞれに考えがあり、それぞれに自分がこれだと思うことがある。相手がこれこそといっても自分はよくないと思うし、自分がこれこそと思っても相手はよくないとする。自分はかならず聖人で、相手がかならず愚かだというわけではない。皆ともに凡人なのだ。そもそもこれがよいとかよくないとか、だれがさだめうるのだろう。お互いにだれも賢くもあり愚かでもある。それは耳輪には端がないようなものだ。こういうわけで、相手がいきどおっていたら、むしろ自分に間違いがあるのではないかとおそれなさい。自分ではこれだと思っても、みんなの意見にしたがって行動しなさい。」

謙虚に自分自身の至らなさを恥じて、自分自身の真心を確認して自分を正し続けるということです。そしてこれは私たちが目指す聴福人の姿です。まずは心のままに聴くのが先だということです。そのうえで誠実に実直に真心を盡していくことこそが、人の道の根本でありそれが生きるということにおいての本業です。そういう意味で仕事のコトとは何か、このコトには意味がありますからその事が為すということは真心を盡すということであり、その真心を盡すことこそが仕事の本義本業ということになります。

頭でっかちにわかった気になる理由は、真心を盡すという本来の本義から外れているからです。頭でできるような仕事は真心を使わない分、楽を選んでいきます。自分にとって都合が悪いもの、自分にとっては苦しいもの、自分にとっては大変なものであったとしても、「それでもやるか」と自省するとき、真心がどうなっているのか、自分の至誠は果たしてどうなっているのかは自分自身(我真我)が対話をするのです。

この対話を通して人は対立関係をやめて和合し一つになります。真心を盡していくことが和合そのものであり、その真心こそが何よりも尊いのです。和を持って尊しとするのは、何よりも真心こそが全ての根本なのです。

真心の仕事こそ、カグヤの本義本業です。

刷り込みが深いのもまたこの心の対話がまだまだ未熟な証拠ですから、常に真心からの行動や言葉、そして真心での働き方、かかわるすべての物事へ真心の生き方を通して磨きをかけて刷り込みを転じて丸ごと活かし子どもたちの役にたっていきたいと思います。

 

畳~日本固有の文化~

昨日、聴福庵にて66年間畳業を営み今でも本物にこだわって作っている方とお会いするご縁がありました。畳も大切に使えば60年以上使えるものだそうですが、今までの痛みもありまた大切におもてなしする客間でもあることから畳を入れ替えることにしました。

お話をお聴きしていると畳の魅力や、畳がなぜこんなに日本的であるかを改めて再認識する機会になりました。

そもそも畳というものは、中国から渡来した文化が多い中で完全に日本で生まれ育ち延々と今でも大切に受け継がれている日本固有の文化の代表的なものです。つまり、日本人が生み出した発明品であり日本人の暮らしと共に一緒に今まで生活の中で息づいて共生してきた大切な道具であるともいえます。

この畳は、古事記にも記され莚(むしろ)・茣蓙(ござ)・菰(こも)などの薄い敷物の総称でした。そして現存する最古のものとして奈良時代のものがあります。今でも奈良東大寺の正倉院に保管されているそうです。その後は、平安時代には寝具や座布団の代わりとして用いられ鎌倉時代頃には部屋や床の全体に敷かれるようになります。武家が主だった畳も、安土桃山時代からは町人の間にも普及し、江戸時代頃には庶民の家にも普及します。

畳の名前の由来は使用しないときは「畳んで部屋の隅に置いた」ことから、動詞である「タタム」が名詞化して「タタミ」になったのが畳の語源とされています。

畳の効果は素晴らしく、イグサや藁が敷き詰められることで断熱性保湿性に優れ空気を浄化する作用もあります。つまりは夏は涼しく冬は暖かいということです。また音を吸収し遮音する効果があり足元から静寂を演出します。それに黄緑色の配力は心を癒すリラックス効果もあるといわれます。イグサ独特の香りも、私たちの心に懐かしく感じ和室の空間に流れる穏やかさをさらに引き立てるようにも思います。

また科学的にいうと人間の皮膚が呼吸をしていると同時に光も吸収しているといわれます。人間には自分の皮膚の色に近い反射率の色を感じると安心できるという本能があるとも言います。この畳の部屋の反射率が日本人の皮膚の反射率とほぼ同じということもあり畳の部屋は安らぎを覚える空間になっているそうです。

つまりは畳は土壁や木などと同じく「呼吸」をしているということです。私が感じる日本家屋の特徴は呼吸です。この呼吸は「息をする」ということ、つまりは「生きている」ということに尽きます。生きているからこそ、一つ一つの道具には「いのち」があります。そのいのちを大切に扱い、大切にいのちを伸ばしていこうとする作り手と使い手の「真心」があって「和」の空間は活かされていくのです。

イグサを育てている人の生き方、そのイグサだからこそ大切に作りたいという作り手の生き方、そして私たちがそれを子どもに伝承しようとする生き方、それが三位一体に寄り添って今回の畳替えが行われます。

12月には畳を私たちも一緒につくるという体験も得られます。この貴重な体験から日本人とは何か、日本の原点とは何か、日本の心とは何かをもう一度深め直したいと思います。

日本固有の文化に誇りが持てるような機会を子どもたちに伝道していきたいと思います。

 

自分のルーツ~クニの初心~

私達の先祖の大切にして来た思想は、先祖への畏敬の念でもあります。自然から学び、先祖の恩を大切にする生き方は道を歩むことにおいては何よりも優先されてきた徳目とも言えます。

日本にいたら当たり前になっていることも、世界からみたら当たり前ではないことが多々あります。私達は子ども達のためにも、まず自分たちのクニがどのようなものなのか、そして自分たちがどのような民族であるのかを自覚し、その誇りによって世界に出て持ち味を活かしていかなければなりません。

温故知新とは単に伝統を毀せばいいのではなく、その時代のその人たちの調和、所謂「持ち味」をどのように活かしてその妙味を発揮するかということにも関わってきます。守破離は、何を守り、何を毀し、そして何を活かすのかということです。

私は伊勢神宮にこの温故知新と守破離の妙味がなお生き続けていると思っています。ドイツ人建築家のブルーノ・タウトは、伊勢神宮をはじめてみた際に「稲妻に打たれたような衝撃を受けた」と言います。そして自著「日本美の再発見」の中で伊勢神宮についてこう述べています。

「芳香高い美麗な桧、屋根の茅、これらの単純な材料が、とうてい他の追随を許さぬ迄に、よく構造と融合している。形式が確立された年代は正確にはわからず、最初にこれを作った人の名も伝わらないこの建築は、恐らく天から降ったものであろう。伊勢神宮こそ、全世界で最も偉大な独創的建築である。試みに壮麗なキリスト教の大聖堂、イスラム数のモスク、インドやシャム或はシナ等の寺観や塔を思い浮かべてみるがよい。伊勢神宮は、これらのものとは全く類を異にする建築である。また古代ギリシアを考えてみてもよい。ギリシアの諸神は、天上の美のなかに反映された人間性そのものにほかならない。アクロポリスのパルテノンは、今なお古代のアテナイ人が叡智と知性との象徴であるところの女神アテネに捧げた神殿の美を偲ばしめる。パルテノンは大理石をもって、また伊勢神宮は木材を持って最高の美的醫醇化に達した。しかしたとえパルテノンが現在のような廃虚にならなかったとしても、今日ではもはや生命のない古代の記念物にすぎないのだろう。」

そしてこう言います。

「二千年にわたって西洋建築におけるアテネのアクロポリスにたとえることを許されるならば、日本には今もなおアクロポリスが存在している。ことに伊勢神宮は廃墟ではない。それは21年ごとに今尚繰り返されている。これは世界の何処にも見ることが出来ない事実である。」

「古代の遺跡である伊勢神宮が今尚機能していることは奇跡である」と。

式年遷宮において初心を伝承し続けるということが、如何にいのちの永遠性を象っているか、ここに伝承の秘訣があると私は思います。文字や文章で継承するのではなく、口伝で伝承するのではなく、魂で伝承する仕組み。まさに日本人が大和魂と呼ぶものは、この魂の伝承の仕組みのことを言います。

フランスの文化人類学者のレヴィ・ストロースがこう言います。
「日本は、神話と歴史のつながる世界で唯一の国だ。」と。
この証明は伊勢神宮の存在そのものが顕しています。つまりは神代より大切なものを大切なままに維持し続けている精神性、そして継続性、実行性、その尊さを何よりも重んじいている民族とも言えます。それは言い換えるのならば、まるで自然がいつまでも続くように私たちの生き方は自然そのものから学んだ永遠性を具備しているのです。
ブルーノ・タウトは別の著「日本の家屋と生活」の中でこう言っています。「社殿をめぐる老杉の鮮やかな緑はあたかも永遠に生きる自然さながらに、絶えず新たに造賛さらる日本精神の棲処を縁どっている」
私が特に共感を持てるのは「永遠に生きる自然さながらに」という一節です。
日本人の美意識や芸術における精神性の高さと、その真心は常にこの自然との一致に由ります。自然のままにありながら如何にその中の人間としての徳を高めていくか、自然との自他一体においてもっとも高い芸術性を持っていると定義されているのです。
常に自然をお手本にして自然の中にあるいのちに沿って暮らしていく謙虚で素直な生き方、そこに日本人の本当の姿があるように私は思います。
自分たちの本来の生き方を学び直すことは、自分たちの個性を磨いていくことです。
多様な世界で活躍する子ども達の持ち味を伸ばすためにもまずは自分たち自身が、自分たちのクニのルーツを学び直す必要を感じます。
引き続き、子ども第一義の理念を通して子どもに遺したい暮らしを伝承していきたいと思います。