門松と信仰

昨日は、聴福庵に門松を飾り正月の準備を行いました。最近では、あまり家々の門に門松飾りを見かけなくなりましたがこれも古来から続いている日本の伝統の一つです。

そもそも門松の意味は簡単に言えば、正月に遠来から歳神様が家に来てくださるようにその目印としてお祀りするものです。より詳しくは、折口信夫氏の「門松のはなし」が最も的を得ているように思います。

「日本には、古く、年の暮になると、山から降りて来る、神と人との間のものがあると信じた時代がありました。これが後には、鬼・天狗と考へられる様になつたのですが、正月に迎へる歳神様(歳徳神)も、それから変つてゐるので、更に古くは、祖先神が来ると信じたのです。歳神様は、三日の晩に尉と姥の姿で、お帰りになると言ふ信仰には、此考妣二位の神来訪の印象が伝承されてゐる様です」

色々な説が時代と共に変化していますが、一般的には山から降臨する田の神様が歳神様だとも言われます。五穀豊穣を約束する神様が、家に来て福を授けてくださいます。床の間におもてなしする鏡餅は、正月の間、滞在してくださる神様の依り代です。稲作を中心に私たちは暮らしと信仰を一致させ永続する家としての智慧を結集したものの一つがこの正月であったのです。

門松の松は、常緑樹は榊と同様にいのちが宿る木とされ古来より神様の依り代になりました。また松を「待つ」と言霊の響きを同じくし、神様を待つとしています。松飾がある期間を「松の内」とし、その間は神様が家にいるかのように生活を慎みました。そして山にお帰りになるころにちょうど節分があり五穀豊穣を祈願するために五穀を蒔き歳神様をお見送りするとも言われます。

行事はそのもの単体で見ては意味がわからないものも、つなげてみるとその行事の意味や信仰していた日本人の心やカタチが観えてくるのです。

聴福庵では、古式の門松を飾ります。これは平安時代の「小松引き」が由来です。そのため玄関には「根」がついたままの松を飾ります。これは歳神様が訪れて幸せが根付くようにという縁起によるものです。そして裏玄関には根が切られた松を飾っています。これは厄を断ち切り根付かせないという縁起によるものです。

日本人は、むかしから物事の解釈を常に福になるように転じ続けてきました。根があってもいい、根がなくてもいい、それをどのように捉えるか、そのすべてを感謝に換えて言葉や文化、伝統を創り上げてきました。

信仰というものの本質は、どんなことがあっても丸ごと信じるという生きる姿勢の実践のことです。自然災害が世界で最も多い国だからこそ、自然災害から自然崇拝が誕生してくるのは自明の理です。宗教ではなく、「信仰」というものがあるのは私たちがそれだけこの自然風土の変化に晒されて逞しく変化に順応しながら生きてきたからです。

暮らしや行事は、私たちが自然の中で仕合せに生きぬいていくための先人の智慧と親祖の真心を感じます。時代が変わることは仕方がないことですが、変えていいものと変えてはならないものを確かに見つめ子どもたちのために先人の恩を繋いで結んでいきたいと思います。

 

かんながらの夢

先日、御縁あって東京の泉岳寺にお伺いすることがありました。忠臣蔵で有名な赤穂四十七義士の墓があるところでもあります。墓地では年齢が多様な日本人の参拝者が多くあり歴史の篩にかけられても未だに忘れられてはいません。

今の時代ではこの忠臣蔵の出来事の本質を深めようとするような学問も少なくなり、道徳が荒廃すればするほどにこの義士たちの理念が忘れ去られていくように思います。道徳の荒廃は大げさに聞こえるかもしれませんが私たち日本の民の原点から守り続けてきた生き方が失われていくことでもあります。

日本人が親祖より最も大切にしてきた生き方を守り続けるということは、言い換えれば子々孫々まで親祖の理念を維持していくということです。神社のお役目も本来はそうであったはずで天皇もまた祭祀によって理念を守り続けていらっしゃいます。そして世界のそれぞれの国には日本と同様にそれぞれのはじまりがあり、多様な国家や民族はそれぞれにその場所でその風土で誕生した道を歩み続けています。本来の道(聖道)から外れるとき、その聖道は途絶えます。途絶えさせないようにその時代時代の忠義の人物たちが理念を守り続けるから私たちは先祖の遺徳に感謝していくことができます。その遺徳を顕現させるものたちこそが義士なのです。

この義士は、先ほどの赤穂義士でも使われますがその定義は「人間としての正しい道を堅く守り行う男子。」ということです。この人間としての正しい道とは、道徳に則った人物ということになります。この道徳は、天地の至誠とも呼び、天地にあって常に中庸を貫き真心を盡すということのように思います。

赤穂義士たちの師は、山鹿素行です。山鹿素行と言えば、古学を究めた人物ですがこのアジアの原点や根本を突き詰めて達した人物です。私の定義する「かんながら」はこの山鹿素行と同じく自然です。山鹿素行はこのことを「天地」と定義します。

「天地の至誠、天地の天地たるゆゑにして、生々無息造物者の無尽蔵、悠久にして無彊の道也。聖人これに法りて天下万世の皇極を立て、人民をして是れによらしむるゆゑん也」

この世のすべての生成者は天地であり、永遠の道もまたここにある。聖人とは、この道を守り続ける人物であるといいます。何が人間の自然であるか、根本を説いています。故に「天地これ師なり、事物これ師なり」と言います。本物の師とは、天地のことである、その天地に生きる私たちの師は出会いであるとも。だからこそこう続きます。

「天地ほど正しく全き師あらんや。ただ天地を師とせよ。天地何を好み何をか嫌う。ただ万物を入れてよく万物になずまず、山川、江河、大地、何ものも形をあらわしてしかも載せずということなし」

この天地とは、自然の真心のことで風土の顕現した道理のことです。古来人はそれを神と呼びました。現代の神は、どこか人間の価値観で勝手に作りこまれたものを言いますが本来の神とはまさにこの風土のことを言うのです。天地のことを風土と呼び、その道を実践することを「かんながら」と私は呼ぶのです。

風土を改善するという私の夢は、言い換えるのなら風土に沿うということです。日本人であれば日本人の道徳を、日本の経営であれば日本らしい経営を、まさにその風土を師として風土を体現することが私のコンサルティングの中心なのです。

なぜならそれは親祖の祈りであり、孔子や聖人たちが願い続けた理想の道だからです。人類の平和はまさにその「風土を師と仰ぎ中庸を保つ」ということなのです。不思議にも今回のブログは私の遺言のようなものかもしれません。

義士たちがいつかここにたどり着くことがあるのなら、ぜひ一緒に問いかけてほしいと願います。「義」とは何かと、「志」とは何かと、そして「道」を想い直し「徳」を思い出してください。人類の成長を見守るのが保育であるのなら、私が子どものために何をしようとしていたのかを伝道してほしいのです。

最後に山鹿素行は学校を創りました、その学校はカタチは消えても心の中に存在し今でも子どもたちを見守り続けます。その学校は何か、こういいます。

「学問は天子より庶人に至るまで、一にこれ皆身を修むるをもって本となす。これを為すに学校が必要であり、学校と云うは民人に道徳を教えて、その風俗を正すの所を定むる事也。学も校もともにおしうるの字心にて、則ち学校の名也。学校のもうけは、上代の聖主もっぱら是れをもって天下の治道第一とする也。学校は、単に学問を教え、ものを読み習わせる所ではなく、道徳を教える所であり、つまり、人間を作るのが学校の目的である」

将来、私は学校を創りますが世の中の人が一般的に思っている学校とはあまりにも異なるかもしれません。しかしいつの日か、自然と調和し、人類がそれぞれに正しい道を歩んでいくことができるようにかんながらの夢を念じながら前進し続けていきたいと思います。

カグヤの挑戦

昨日は、聴福庵から群言堂の松場夫妻の講演に同行し国東半島まで一緒に同行する機会がありました。道中は楽しいばかりで、今までのことこれからのことなど希望に溢れたお話に元氣をたくさんいただきました。

改めてお話をお聴きすると敢えて誰もが手を出さないような巨大な難しい仕事に一匹狼のように挑んでいこうとする、まさに「逆行小船」のような純粋な生き方に感動しました。お二人の人生は周りから反対されることを敢えてやり続けてきた人生であったと講演ではお話がありましたが、常に自分たちの信念を貫く生き様であったように感じました。

時代の流れのなかで大量生産・大量消費、すべて同じ顔をした同じ物があふれていく世の中で、大量消費こそが価値のように消費しつくされていくなかで世の中の人たちが安易に捨てていくものに対して大きな疑問を持っていく。それは果たして捨てていいものかと。

例えば、手仕事の豊かさであったり、家族の愛おしい時間であったり、金銭を超えた信頼関係であったり、もしくは懐かしい思い出との慈しむつながりであったりと、色々と消費が加速するスピード社会の中で本当に大切なものを拾い続けていこうと覚悟されたこと。そして事業にされたこと、やっていることをお聴きすると私の会社以上に多岐に及び、伝統や地域だけではなく、教育やモノづくり、啓蒙活動に文化育成、書ききれないほどに様々なことに取り組んでおられました。

「時代と逆行していくかもしれないが、理念を守り1パーセントの壁を守り続ける」とその歩んできた人生に器の大きい美しい生き様を感じます。人間の器の大きさとは何か、これは矛盾を受け容れながらも信念を貫いていくその度量の品格を言うのではないかとも思います。

日々に暮らしの中で何百年前から今も残るむかしの道具たちと触れていたら、傷だらけになりながらもあちこちが修繕されながらも何百年何千年と子孫たちを見守り続けて生き続ける姿を観ます。まるで数千年の巨木、また数百年のお社のような存在の大きさです。信念は人を大きくし強くする、私もまたかくありたいと思いました。

最後に、講演の中で「本来の”消費”とは未来への”投票”であらねばならない」と仰いました。

「うちの会社は説明しても一体何の会社なのかと理解してもらえないし、なかなか分かってもらえない。それは「生き方」を販売しているからです。時代は必ずモノ売りからコト、そして必ずココロへと成長していく。だからこそ人々がこの会社の生き方を買おうとしてもらう、その投票してもらうことをやっている事業をしているのです。みなさんが選挙で応援し投票したのは、会社=生き方だからこそ、この会社から消費するとしていきたいのです。」

子どもたちが安心してこの先も暮らしを豊かに紡いでいけるようにするには、人類の意識を変化させていくしかありません。それは生き方を変えていくしかないということです。生き方を変える事業こそ、人生を懸けた私の、そしてカグヤの挑戦なのです。

過度な消費文明の中で消耗しきってただ滅亡を待つ日々を闇雲に過ごすのではなく、子どもたちのことを思えば思うほどに敢えて逆行してでもそれを解決しようと挑んでいくことに命を懸ける価値があるように思えます。短い小さな人生でそんなにできることはありませんから引き算しながら取捨選択するしかありません。

私も子ども第一義の理念に恥じないように、生き方=働き方を本気で遊んで極めていきたいと思います。

富苦労の恩返し

昨日、私の人生の価値観に大きな影響を与えてくださった大恩人の夫婦に聴福庵に来ていただくことができました。約2年半前にご縁をいただいてからここまでこの方々の言葉を信じて、そして生き方を尊敬し自分も学び直そうとここまで取り組んでくることができました。

人は、できるかできないか、成功するか失敗するか、いろいろな選択肢があるなかで「信じるか信じないか」という物差しがあります。私はこの「信じる」ということだけを大切にここまで生きてきました。

思い返せば、今、人生でご一緒している大恩人や道の達人たち同志仲間を信じたから夢を体験することができています。もしも疑ったり信じなかったりしたらどうなったでしょうか。当然、今の自分はありませんし周りもご縁もありません。御縁を活かすというのは、「信じる」ことです。そしてそれは信仰心にも似た純粋なものであり、真心の生き方のことでもあります。

出会いが素晴らしいのは、信じあう世界を築いていくことができるからです。一期一会に出会ったご縁によって、その人を信じることによって新たな世界が拓けていく。その人生のご縁を大切にする人はみんな信じ切ってきた人たちかもしれません。

その信じる気持ちが疑いになったとき、信じることができなくなったとき、そこで諦めてしまえば真実は隠れてしまいます。真実に生きるというのは、「信じるに生きる」ということなのでしょう。

その当時はまったく何もわからなくても、振り返ればその「信」の御蔭様で私の周囲の人たちも心豊かに暮らしを学びはじめ、そして子どもたちにも伝承できる永遠の智慧をたくさんいただいています。

信じるというのは、自分を信じるということです。それは言い換えるのなら、その人の信じるものを自分も信じる、そして信じる自分を丸ごと信じたということです。自分を信じ切るということこそが信念の本質なのでしょう。

直観や信念は、常に出会いを大切にする中にこそあります。

大恩人たちへの信じた証をお伝えできる今があるのは、苦しいときにも諦めずに自分が信じてこれたことの富苦労の恩返しです。一緒に道を拓いてきた恩師の古希祝いも明々後日にあり、信じてきた自分を心から誇らしく思います。

人生の出会いとその感謝を片時も忘れずに、一期一会のご縁を結ぶ仕合せに生きていこうと思います。

光を磨く

私たちは光を見て、物を確認することができています。これは光を見て脳が認識しているとも言えます。光が一切入ってこない真っ暗闇の中では何も物は見えません、それは光がそのものに反射しないからです。私たちは光の強弱などによってその物体を立体的に脳が認識して捉えることができるのです。

不思議ですが、その光が差し込んできて出てきた物体を見ると時にはそれが美しく感じ、時にはそれが儚く感じます。光というものを通して、その物を透かし見ているのかもしれません。光はいのちを透過させるようにも思います。

この光を見るためには、感性を磨く必要があります。言い換えれば、磨くことで光を観る感性が豊かになります。例えば、どんなものでもしっかりと磨けばそれは光ります。それが砂浜の砂であっても、貝であっても、または骨董品のようなものであっても、綺麗に磨けばそのものは光ります。

この時、光るのは私たちが光を観る感性が磨かれているからです。何も磨かなければただ眩しいだけですが、しっかりと磨いている人にはその感性によって光が本質を映すのが観えるように思います。

私たちは、四季の暮らしの中で様々な光を観ています。その光を観ることで、同じ空間であっても気配が全く異なり、同じ場所であってもまったく違った景色を観ることができます。つまりは、光を通して日常の一期一会を味わっているのです。

その光は、磨かれる場所や磨いている場所でこそ光そのものの美しさが出てきます。この光が集まる場のことを人はパワースポットと呼びます。つまりこのパワースポットとは磨き切られた場所のことを言うのです。

自分を磨く人は、その場によって磨かれた自分の感性を静かに見つめます。そして未熟さを知り、また磨き直していきます。このように神社や場を巡ることは、光に出会う旅路でもあります。そして光は私たちの生き様を通して灯りになります。

いつの時代も光を求めて人々は、集まりそして感性や魂を高めていきます。いのちのテーマは、永久不滅の理です。それぞれのいのちを活かし、子どもたちの持ち味を見守り続けられるように私自身の光を磨き灯りを守り続けていきたいと思います。

橋を架ける

現在、復古起新をしつつ暮らしを甦生させ子どもたちの未来に大切な日本人の心をつなごうと試行錯誤を繰り返しています。歴史を学び、先人たちの真心を読み、空間の中に佇んでいる言霊など、目には観えないものを手繰り寄せながら一つ一つを科学的にまた理論的に言葉にして整理することを続けています。

ユダヤの格言に、「自分の言葉を自分が渡る橋だと思いなさい。 しっかりした橋でないとあなたは渡らないでしょうから。」というものがあります。この言葉や文字もまた橋であり、その橋をしっかりと架けなければ人々はその橋を安心して渡ることができません。

よほどの勇気のある人でなければ濁流の滝つぼの上にある曖昧で不確か、そして今にも崩れそうで危うい橋を渡る人はいません。人々が渡る橋は、あちらとこちらが完全に繋がっていて安心して歩んでいける橋でしょう。その橋をつくるには、まず最初に自分が向こう側に渡る必要があります。そして渡ったら次にそこに橋を架ける必要があります。その橋が架かったのなら、最初は背中を押して一緒に渡っていける人を増やしそのうえで渡れた皆に協力してもらい向こう側とこちら側が安心して交流し行き来できるような立派な橋にしなければなりません。その後はその橋がまた崩れることがないように手入れを怠らずさらにその橋を見守り続ける環境を育てていく必要があります。

この橋を架ける仕事というものは、「つなぐ」ことです。何と何をつなぐかといえば、私でいえば歴史と今をつなぎ、子どもと大人をつなぎ、経済と道徳をつなぎ、自然と人間をつなぎ、人の心と心をつなぎ、世界と自分をつなぎ、文化と文明をつなぎ、目には観えないものと目に見えるものをつなぎます。

そしてこの「つなぐ」というのは、橋を架けるということです。

橋を架けるために、私はこのブログをはじめ、橋を架けるために自分に与えられたすべてを使って自分にできることを遣り切っています。その橋掛けは果たして何年、何十年、況や何百年、何千年かかるものなのか・・・考えると遠大で目が眩みます。

しかしその過程もまた橋になる途上ですから、その橋を架けることを豊かに歓びに換え渡る人たちのことを考えて丹誠を籠めて取り組みたいと思うのです。

日本人の仕事が世界で評価されるのは、後世の人に恥じないような仕事をすることです。私も目先の流行や、様々な我欲や、人間関係に惑わないように空を高く眺め、天の星の見守りを背中に感じながら橋を架けていきたいと思います。

この先も子どもたちが通る未来を楽しみに、橋を架ける人としての人生を歩んでいこうと思います。

質の本質

最近はよく「質」(しつ)に関することが話題に上がります。この「質」とは、本質のことで質が高いというのは限りなく本質に近いということでもあります。この「質」という言葉の成り立ちは価値の釣り合う+金銭が合わさる会意文字であり信に通じ「まこと」の意味を持つともいいます。

具体的に辞書を調べれば、 そのものの良否・粗密・傾向などを決めることになる性質。実際の内容。「量より質」「質が落ちる」 生まれながらに持っている性格や才能。素質。資質。「天賦の質に恵まれる」「蒲柳 (ほりゅう) の質」 論理学で、判断が肯定判断か否定判断かということ。 物の本体。根本。本質。「結合せるを―とし、流動するを気とす」〈暦象新書・中〉 飾りけのないこと。素朴なこと。「古今集の歌よりは―なり」〈歌源〉(goo辞書)とあります。

「質」とはそのものの本体でもあり、変わらぬ真実とも言えます。その本質が分かること、真実が観えていること、その真実に沿って取り組むことが質を高めることになります。

ではなぜ質が下がるのか、質が低くなるのかといえば真実から遠ざかっていったり、本質とは関係ないことをやりはじめるからです。その理由は、人間の個々の我欲や保身によることが多いように思います。

例えば、人間は「足るを知る」ことができれば豊かで質の高い人生を歩むことができます。それぞれが自らの分度を定め、十分に満ち足りているという暮らしを優先することができれば暮らしは人類の本質に近づいていきます。そこには助け合い思いやり、分け合い、尊重され、お互いが自由に幸福を味わっていくことができます。

しかしひとたび、「足るを知らず」、まだまだと欲望を際限なく肥大化していけば自ずから暮らしは消失し、貧しさが増え、人類の本質から遠ざかり比較、競争、画一化、奪い合いと不自由から不幸が増大していきます。

「質」から考えれば、本質的で質の高い暮らしは足るを知ることです。つまりは「質」を高めようというのはより原理原則に沿って真実に近づいていこうという生き方をしようということになります。

質が求められるというのは、それだけ本質的ではないことをやっているからです。今の時代は、本質であることよりも市場経済や金銭の獲得を優先するばかり本質ではないことの中で質を語られます。何をもって質なのかということすら、議論されることも少なくなっています。

そもそもそれは本当に必要なのかとそれぞれが足るを知る議論ができてはじめて、質とは何かということを考える入り口に立つことができるのです。物が増え、欲望もキリがなく、資本主義に呑まれ人類の手に負えなくなっているほどの今日、「質」について真剣に取り組む必要があると私は思います。

子どもたちの本質は何か、そして質の高い保育や暮らしとは何か、それを信念と実行で取り組んでいく本物の人物たちが次の時代を切り拓いていきます。私たちもその時代を創る一人になれるように、本質を見極めながら実践していきたいと思います。

 

 

不易と流行~いのちの恩寵~

ドイツ視察研修が昨日で終了し、今日から日本への帰国に向けて移動をする予定です。今回もとても学びが深く、改めてこれからの日本の未来をどのように導いていけばいいかと考える善い切っ掛けになりました。世の中は常に変化して已みませんから学ぶことを止めることはできません。常に本質的に取り組む中で新しいものをどう取り入れていくか、つまりは学問の不易を高めていくことで今を刷新していくのです。

もともと日本には「不易と流行」という言葉があります。これは俳聖と呼ばれた松尾芭蕉の初心の一つです。この初心が生まれた背景には、芭蕉が奥の細道で源義経を慕い、その所縁の地を訪ねるなかでむかしから和歌で詠われたきた憧れの場所があまりにも変わり果てた姿にショックを受けたことからです。その場所を見つめていると失われたもののもののあわれと同時に、古来から言い伝承されたものがその場所に遺っているものも観ることができ、永遠というものの本質を知り、変わり続けていくものの中にこそ「永遠」の今があるのだと悟るというところにあるといいます。

人生も同様に、どんな人間であっても初心を守り続けていくためには変わり続けていかなけれなりません。一度、これでいいと分かったからや悟ったからと、結果が出た云々次第で簡単に変化を已めてしまったならばもはや本質を維持することもないのです。

どれだけ多くの経験を積んだとしても、そしてどれだけ膨大な知識を習得し知らないことはないほどになったとしても、世の中が無常に変化する以上、学ぶことを已めてはならないのです。学ぶというのはそういうことなのです。

そして学問においてどちらが上とか下とか、偉いとか偉くないとか、地位、名誉、権力があるかないかに関わらず、私たち人間は皆平等に日々に新たに学び続けていかなければならないのです。その学ぶ姿勢こそが、本来の人間の価値や人格、人徳を高めていくのです。

今回のドイツの学びでも、子どもたちが置かれている社會環境が急速に変化することによって教育に関わる人たちがさまざまな新たな取り組みや挑戦する姿を拝見することができました。また子ども観においては、そもそも子どもも大人もなく、子どもは何も持っていない存在ではなく、「すべてをもって生まれてくる」という当たり前の世界の基本理念も再確認することもできました。

現代の子どもと大人を分けた歪んだ人間観や、子どもは何もできない存在だという偏った子ども観を持ったならば人は平等や権利や自由などの本当の意味をはき違えてしまうものです。本来の人間の姿がどうであるのかを私たちは教科書から学ぶのではなく、刷り込まれていない純粋な人間の魂、子どもたちの姿から社會を見つめ直していく必要があると感じます。

本来の道徳とは、教えて備わるものではなく人間は本来それはもともと備わっているということを自覚することは何よりも環境の変化の中でも人間の尊厳を守っていくものです。思いやりや優しさ、助け合いや分かち合いなどはすべての人間、いやいのちに備わった天からの恩寵や恩徳そのものということでしょう。それをどう引き出していくかが、歴史を継承し先を生きたものたちの具体的な使命なのでしょう。

人間観を学び直し、これからの世界の平和のためにも不易と流行を実践し、今できることに挑戦し続けていきたいと思います。

誓願

御縁あって、郷里のお地蔵様のお世話を御手伝いすることになりました。ここは私が生まれて間もなくから今まで、ずっと人生の大切な節目に見守ってくださっていたお地蔵様です。

明治12年頃に、信仰深い村の人たちが協力して村内の各地にお地蔵様を建立しようと発願したことがはじまりのようです。この明治12年というのは西暦では1879年、エジソンが白熱電球を発明した年です。この2年前には西南戦争が起き西郷隆盛が亡くなり、大久保利通が暗殺されたりと世の中が大きく動いていた時代です。

お地蔵様の実践する功徳で最も私が感動するのは、「代受苦」(大非代受苦)というものです。

「この世にあるすべてのいのちの悲しみ、苦しみをその人に代わって身替わりとなって受け取り除き守護する」

これは相手に起きる出来事をすべて自分のこととして受け止め、自分が身代わりになってその苦を受け取るということです。人生はそれぞれに運命もあり、時として自然災害や不慮の事故などで理不尽な死を遂げる人たちがいます。どうにもならない業をもって苦しみますが、せめてその苦しみだけでも自分が引き受けたいという真心の功徳です。

私は幼い頃から、知ってか知らずかお地蔵様に寄り添って見守ってもらうことでこの功徳のことを学びました。これは「自他一体」といって、自分がもしも相手だったらと相手に置き換えたり、もしも目の前の人たちが自分の運命を引き受けてくださっていたらと思うととても他人事には思えません。

それに自分に相談していただいたことや自分にご縁があったことで同じ苦しみをもってきた人のことも他人事とは思えず、その人たちのために自分が同じように苦を引き受けてその人の苦しみを何とかしてあげたいと一緒に祈り願うようにしています。

もともとお地蔵様は、本来はこの世の業を十分尽くして天国で平和で約束された未来を捨ててこの世に石になってでも留まり続け、生きている人たちの苦しみに永遠に寄り添って見守りたいという願いがカタチになったものという言い伝えもあります。

また地の蔵と書くように、地球そのものが顕れてすべての生き物たちのいのちを見守り苦しみを引き受けて祈り続けている慈愛と慈悲の母なる地球の姿を示しているとも言われます。

自分の代わりに知らず知らずのうちに苦を受けてくださっている誰かを他人と思うのか、それとも自分そのものだと思うのか。人の運命は何かしらの因縁因果によって定まっていたとしても、その苦しみだけは誰かが寄り添ってくれることによって心は安らぎ楽になることができる。

決して運命は変わらなく、業は消えなくても苦しみだけは分かち合うことで取り払うことができる。その苦しみを真正面から一緒に引き受けてくれる有難い存在に私たちは心を救われていくのではないかと思うのです。

傾聴、共感、受容、感謝といった私が実践する一円対話の基本も、そのモデルはお地蔵様の功徳の体験から会得し学んだことです。その人生そのものの先生であるお地蔵様のお世話をこの年齢からさせていただけるご縁をいただき、私の本業が何か、そしてなぜ子どもたちを見守る仕事をするのかの本当の意味を改めて直観した気がしました。

地球はいつも地球で暮らす子どもたちのことを愛し見守ってくれています。すべてのいのちがイキイキと仕合せに生きていけるようにと、時に厳しく時に優しく思いやりをもって見守ってくれています。

「親心を守ることは、子ども心を守ること。」

生涯をかけて、子ども第一義、見守ることを貫徹していきたいと改めて誓願しました。

感謝満拝

 

道理

世の中には道理に精通している人という人物がいます。その道に通じている人は、道理に長けている人です。道理に長けている人にアドバイスをいただきながら歩むのは、一つの道しるべをいただくことでありその導きによって安心して道理を辿っていくことができます。

この道理というものは、物事の筋道のことでその筋道が違っていたら将来にその影響が大きく出てきます。そもそも道は続いており、自分の日々の小さな判断の連続が未来を創造しているとも言えます。

その日々の道筋を筋道に沿って歩んでいく人は、正道を歩んでいき自然の理に適った素直で正直な人生が拓けていきます。その逆に、道理を学ぼうとしなければいつも道理に反したことをして道に躓いてしまいます。

この道理は、誰しもが同じ道を通るのにその人がそれをどのように抜けてきたか、その人がどのように向き合ってきたかという姿勢を語ります。その姿勢を学ぶことこそが道理を知ることであり、自分の取り組む姿勢や歩む姿勢が歪んでないか、道理に反していないかを常に謙虚に反省しながら歩んでいくことで道を正しく歩んでいきます。

成功するか失敗するかという物差しではなく、自分は本当に道理に適って正しく歩んでいるか、自分の歩き方は周りを思いやりながら人類の仕合せになっているかと、自他一体に自他を仕合せにする自分であるかを確かめていくのです。

その生き方の道理に精通している人が、佛陀であり孔子であり老子でありとその道理を後に歩くものたちへと指針を与えてくださっているのです。

道理を歪めるものは一体何か、それは道理を知ろうとしないことです。

相手のアドバイスを聞くときに、自分の都合のよいところだけを聞いて自分勝手にやろうとするか。それともよくよく道理を学び直して、自分の何が歪んでいるか姿勢を正し、すぐに自分から歩き方を改善するか。

その日々の一歩一歩が10年たち、30年経ち、60年経ち、未来の自分を創り上げていきます。将来どのような自分でありたいか、未来にどのような自分を育てていくか、それは今の自分の道理を見つめてみるといいかもしれません。

そういう意味で、道理を見せてくださる恩師やメンター、そして先達者や歴史上の先祖は、偉大な先生です。そういう先生の声に耳を傾ける謙虚で素直な人は、道理に反することはありません。

私もいただいた道理をもっと多くの方々に譲り渡していけるように感謝のままで自分を使っていきたいと思います。