和紙とは何か

英彦山の宿坊、守静坊の甦生のクラウドファウンディングの返礼品を用意するために和紙の準備に入っています。和紙の定義は、現在では西洋から伝わった製法の木材原料を主とする洋紙に対して、むかしながらの製法でつくっているのが和紙と言われます。他にも手漉き和紙のみが本来の和紙という定義もあります。また最近では原料に三椏や楮が100%使われたり、機械でも手すきに近いものも和紙と定義されたりしています。

何が和紙というのかは、それは個々人の受け止め方ですから厳粛に何が和紙かということはわからなくなってきています。以前、伝統のイグサで畳をつくっている農家さんからイグサは加工品ではなく生産品であるという話を聞きました。つまりいのちあるものとして生きているものだということです。

私にとっての和の定義は、いのちがあるものということになります。そういう意味で和紙は、私にとってはいのちのあるものでつくっているものという意味です。それでは何がいのちがあるのかということになります。

もともと日本の和紙作りの三大原材料として使われているものは楮(こうぞ)、三椏(みつまた)、雁皮(がんぴ)です。この植物を収穫し、丁寧に扱って和紙の原料をつくっていきます。それを和紙職人が、一枚ずつ手で漉いていきます。私もその場面を何度も観ましたが、とても神秘的で神々しい様子です。

その和紙は機械ではでない風合いがあります。これは手漉きだけではなく、最初からずっと完成するまで日本の伝統的精神でつくられているからです。

和というのは何か。

この問いは私にとっては明確な定義があります。それは日本の心でであるということです。日本の心とは何か、それは思いやりのことです。思いやりを忘れない、すべての主体をいのちとして主人公としていのちをすべて全うできるように配慮や尊重があること。

そうやってつくられたものだからこそ、和であり和紙になるのです。

だから自然の篩にかけられても長持ちし、何百年、もしくは千年を超える時間を維持することができるのです。そういういのちを入れるものだからこそ、むかしはお札にも使われていて人々の暮らしを守ったのでしょう。

返礼品は、このいのちをそのままお届けしたいと思います。

英彦山の守静坊から思いやりを伝承していきたいと思います。

徳治の世

自分らしさというものがあります。これは個性でもあり、その人にしかない天命というものもあります。誰かと比較してではなく、その人がその人にしか与えられていないいのちを最大限発揮していくということです。それが自由でもあり自立でもあります。そしてそれが社会の役に立つようになれば人類の仕合せもあります。

社会で役に立つようにするには、みんなでお互いの自分らしさを尊重し合うような寛容な世の中である必要があります。それぞれがお互いに反省し合い、そして認め合う世の中にしていくことです。

誰かが正しい、誰かが間違っているとなっていがみ合えばいつまでも対立構造が変わらず争いが絶えません。しかしお互いに尊重し合うようになれば、自分も正しい、みんなも正しいという具合にそれぞれの違いを認め合えるようになります。

そのためにどうお互いに折り合いをつけるのかを対話するのが人類の叡智です。

人類は、太古のむかしから真の豊かさとは何か、そして真に平和な世界は何かということを何度も何度も反省しては築こうと努力してきました。そして徳による政治を行うことを孔子は説きました。つまり徳治の世にするということです。

自然界というものは、弱肉強食と教えられます。しかし果たしてそうでしょうか。サバンナやアマゾンをみていても、お互いに自制し合い、尊重し合いながら自然の摂理に従ってお互いのいのちを精いっぱい発揮しています。自然界はまさに自分らしくあります。弱肉強食は、何度も立場が入れ替わりますからお互い様ということです。

人間はその自然の尊重し合う仕組みを捨てて、一方的に権力や権威で集団をまとめようとしていきました。その方が、都合もよく実は時代が変わってもこの辺はあまり変化していません。しかし、この時代、情報化も進み、人類も世界と結ばれ、国境もなくなってきました。人類としてどう生きるのか、どう自分らしさによって真の豊かさに近づけていくのかをみんなで対話する時が近づいているように思うのです。

そのモデルをどの国の誰がやってみせるのか、そして深く静かに実践することで形どっていくのか。今、人類は試練の時です。だからこそ、子どもたちのために徳積財団を立ち上げ、徳治の世を実現しようと挑戦をはじめたともいえます。

いよいよ、宿坊の甦生もひと段落して本懐であった徳積堂の運営をはじめていきます。子どもたちに譲り遺していきたい懐かしい未来を今、この時代に甦生して実践していきたいと思います。

彦山譜の甦生

昨日は、全国的に有名な立螺師が集まり勉強会が行われました。そこには法螺貝を100個以上持っている方、また倍音を研究するためにホルンやトランペットなどあらゆる楽器を深めている方、他には自作の拭き口をなん本も磨いて法螺貝をつくりあげている方がおられました。

音階もさることながら、あらゆる音を出せ、そしてそこには艶があります。音の余韻も、穏やかで静寂が流れるものから、龍が飛び跳ねるような躍動感のあるものまで、まさに信仰そのものが音に現れていました。

鳴り響いた音がずっと身体の中を流れ続けていて、今朝も起きたときに血液の中を駆け巡っているような感覚が残っています。こんなにも音が全身に宿るのかと、今まで感じたことのない音とのつながりを学ぶことができました。

現在、私は英彦山の宿坊の甦生をしています。もともとこの英彦山の甦生に取り組むキッカケになったのは、宗像環境会議のご縁でしたが法螺貝との出会いは英彦山の有名な修行場での出会いです。

そこで法螺貝に触れてから、急に禊や滝行とのつながりが産まれました。今思い返せば、意味があって私は法螺貝を持つことになったことが分かります。

法螺貝の音は、それぞれの風土によって音色も音譜も異なります。基本は、号令や指令などの合図として使われてきたもので軍事的なものにも用いられましたから合図は秘密です。なので口伝でのみ伝承されてきました。そしてそれぞれの地域には、それぞれの文化があるようにその地域の文化の影響を色濃く受けた立螺師もいるし法螺貝も音譜もあります。

英彦山にはかつて、彦山譜というものがありました。今ではそれはもう残っていないといいます。もしも祈りが叶うなら、その彦山譜を甦生させるお手伝いをしたいと昨日、心に決めました。

何百年、何千年も続いてきたその土地の風土を伝承しその土地の風土になるには、その土地でその文化を甦生させ、極め抜きそのものと一体になる覚悟が入ります。まさにこの土地風土の化身のような存在が音色に出てくるはずです。

未来の子どもたちのためにも、風土や文化を顕現する人の営みや精神、そして伝承の知恵など、あらゆる方面から取り組み、それを次世代へと結んでいきたいと思います。

ご縁に心から感謝しております。

日本人の伝道

昨日、親しい友人たちをお招きし久しぶりに祐徳大湯殿サウナの石風呂に炭を熾して入りました。備長炭を10キロほど使い、4時間ほど温めていきます。もともとこの石風呂は、日本の伝統的な文化を基盤にして創り上げたものです。

仏陀の温室教を参考にし、千利休の茶室の知恵も融合し、さらにフィンランドサウナの善いところ取りもしています。日本の歴史に精通している人であればあるほどに、温故知新したこの石風呂に感動していただけます。

私はもともと歴史を深めて、日本の文化を深く愛しています。日本人であることと、日本人とは何かということを子どもたちに伝承しようとして取り組んでいることがほとんどです。

最初の動機や目的を伝えていくことで、その味わいもまた深く格別なものになります。お昼も、穴料理といって日本の伝統的な食を味わいました。日本人としての歴史の一つ一つのつながりが、全体で結ばれるとき、私たちは何か不思議な感覚を覚えます。

ととのうという言葉も、本来は原点回帰や調和などをいいますがその深さが真に文化に根差したものであるときにこそ訪れるのではないかと今では感じます。

久しぶりに炭の話をしていたら遠赤外線のことについて色々とワクワクすることがありました。もともとこの遠赤外線とは、波長が3000nmから1,000,000nmの光のことをいいます。ほとんどのものには、遠赤外線が出ています。炭からも石からも、そして私たちの身体からも遠赤外線が出ています。

この遠赤外線を吸収した物は分子が振動します。その分子の振動が激しくなると温度が上がる仕組みです。そうやって分子を振動させる力によって私たちは熱を発するのです。その遠赤外線は、水の中に吸収されます。水の分子を動かすのです。太陽の光をあびて私たちは体の中に遠赤外線を吸収し体温があがります。

そう考えてみると、この世のすべては朝太陽が出てすべてのいのちが遠赤外線を吸収して熱を持ち、分子レベルを振動させて活動していくのです。この分子をととのわすのに、私は石や炭を使います。

炭はもともと穏やかに遠赤外線が放射されています。炭の近くにいてぬくもりを感じるのは、この遠赤外線を感じているからです。そして石は演繹外線を貯めこむことができます。特に波動が高い石、振動が強い石が遠赤外線を貯めこみ密度を高めて放射すれば水分子の小さなものまで極限状態の振動を与えていきます。

その振動を身体に浴びることで私たちはととのうことができます。この時の整うのは、私の言葉で定義すれば「自然のリズムで分子が振動することができた」ということです。

自然のリズムを崩すと、振動もまたバランスを崩します。私たちは常に自然と一体になって振動している存在ですから、あまり都市化された中でありとあらゆる電磁波を受けていたら分子もおかしくなっていきます。それと元の状態に戻すために私はあらゆる禊や法螺貝、仕組みの知恵を使っているのです。

非科学的に思われるかもしれませんが、本来の科学とは自然をどこまでわかっているか、つまり自然と共に実践をして自分のものにしているかということでもあります。知っているだけではものにはなりません。だからこそ五感や六感を研ぎ澄ませてそれを科学するという発明が必要になるのです。

子どもたちのためにも、私の実践で伝道していきたいと思います。

伝統固定種の甦生

昨日は、自然農の畑で伝統固定種の堀池高菜の種どりをいつも親しくしている情報工学の学生さんや友人のご家族と一緒に行いました。新緑のいい風が吹いていて、今年は特に種をたくさん収穫することが目的でしたからしっかりと種どりを行いました。

もともと高菜というのは、漬物にすることで有名です。日本三大漬け菜として「高菜漬け」「野沢菜漬け」「広島菜付け」があります。そして九州を代表する漬物がこの高菜なのです。

高菜というのは、前にもブログで書きしましたが平安時代くらいに種が日本にも入ったといわれています。平安時代は8世紀末ですから1200年以上前からずっと日本で育ってきたということになります。日本の風土に根付いて、日本の味になり、さらに九州の風土の各地に根付き、それぞれの美味しさに進化してきました。

調べると西暦892年発刊の『新選字鏡』には高菜の事を「太加奈」と記載してあるといいます。明治時代には中国四川省から高菜の在来種というべき青菜が日本伝わり九州・東海地方に伝わったといいます。そこで九州では紫高菜、柳川高菜、相知高菜となり高菜漬に適した三池高菜になったそうです。もともと筑豊地域の高菜漬けはとても美味しかったと年配の方々からよくお聴きすることがあります。

炭鉱の時代、炭鉱夫はお腹を空かせてたくさんのお米を食べたことでしょう。その時、もっとも食卓でご飯の友として食べられたのがこの高菜だったことは簡単に想像できます。それが今では、飯塚のほとんどの農家さんが積極的に高菜を作っていません。

その理由は、やってみるとわかるのですが重労働にもかかわらず見合う収入が得られないということがほとんどです。高菜は安いわりに大変な労力がかかるのです。よくラーメン屋にいけば無料で高菜がついていたりします。他にもスーパーなどで販売していますが、どれも安いことが分かります。高菜イメージが安いというものでできていますから、それが高いと売れないという理由もあって農家さんの収入の役に立ちませんでした。

そういうことがあり農家さんの高菜離れが拍車がかかり今ではほとんど作らくなったということです。さらに福岡には三池高菜があり、その有名な高菜を種をもらい筑豊でも三池高菜の種を植えるようになりました。他にも大手種メーカーで自由に高菜の種を買えますからそれを植えています。そうするとそれまであった地元の伝統固定種と交雑しますし、さらには農薬や化学肥料をつかうことで本来の味わいも落ちていき形状も変わっていきました。

本来の伝統固定種というものが失われていくのは、こういった消費優先の経済活動によってそれまで醸成されてきた1200年の文化ともいえる進化が消失するのです。

よく考えてみたらわかりますが、今もむかしも重労働であったのは1200年間変わっていません。それでも人気だったのは、郷土の知恵料理であり、懐かしいふるさとの味を子どもたちにつないで残していこうとした先人の想いや願いもあったことがわかります。

それが今、安易に生活できないからという理由や便利さを優先し簡単に変化し守る努力を諦めてやめてしまえばそれまでの歴史も潰えてしまうのです。時代が変わっても流行で価値観が変わっても、変えてはいけないものがあると私は思います。それが未来への宝になり、子孫たちへの与贈になるのです。

必ず時が経てば、本当の価値や真実は時間と共に明るみになります。希少価値とはそういうものです。しかしその時にやろうとしても種が残っていなく栽培できる環境がなく、消えてしまってはあまりにも悔いが残ります。これを新しいテクノロジーを活用し温故知新して新たなものにし、新たな価値に乗せて守り育てていきたいと改めて感じる一日になりました。

手触りや手入れは、心とつながっていますから目的や初心を忘れることはありません。人間に寄り添うテクノロジーを私は突き詰めていきたいと思います。伝統と歴史、地域や風土、人、物、心の和合、堀池高菜からはじまる伝統固定種の甦生を楽しみにしています。

大切な一歩

日本には古来から今まで続く伝統の精神があります。これはずっと先祖代々、親祖から今まで大事にしてきた心であり私たちの基礎や土台になっている重要な文化の源泉でもあります。

つまり何を大切にするかということを、代々、伝承して磨いてきた私たちに備わっている精神文化です。これは空気のように当たり前になっていて気づきにくいものですが、それぞれの民族にはそれまで連綿と続いてきた伝統が必ずあります。伝統とは、伝承されてきた歴史のことです。

この歴史は、風土の影響を受け、或いは、ご縁の影響を受け、また或いは偉大な先人の確立した哲学や実践の影響を受けたものかもしれません。私たち日本人が、よく感じている空気感、場や間、和などもまた日本的精神文化であることは間違いないことです。

ここから何が分かるかと言えば、一つは八百万の神々という言い方があるように多くの神様の意見を集めること。八意思兼神を私も邸内社でお祀りしていますがこの神様は神々のファシリテーターのような役目で一円観を持つ偉大な先祖でした。

もう一つは、徳を重んじることです。自分の主体性を発揮し、自分らしくイキイキと楽しみ喜びながら周囲の喜びになっていくという姿。日本人の仕事観は、本来は「ハタラキ」といって自然のように自分自身を主体的に発揮してみんなのお役に立っているということです。つまり、みんなの働きにみんなで感謝しているという状態。いつも働いてくれてありがとうとすべての存在に感謝しているということです。

さらに一つは、繋がりの中に生きているということです。常に一緒に生きているという存在として思いやりを忘れていません。和の心とは、調和のことですべてのご縁を大切にして繋がっていることを忘れないという生き方です。このつながりに何か大切な意味があるとし、そのご縁の糸を丁寧に丹精を籠めてつなぎます。ご縁をみんなで尊重し合うのです。

日本人は、本来、そういう精神文化の土台の中であらゆる世界の文化を取り入れてj文たちの文化の上に重ねてきました。土台があるから、器があるからそこに盛ることができるのであってそれがなくなればただ散らかっている部屋のようになってしまいます。

今の世の中の問題を眺めてみたら散らかし放題で片付ける人もいなくなっているように感じるのは私だけでしょうか。子どもたちはその散らかった部屋で居場所がなく、あちこちとさ迷ってしまいます。

先人たちの今までの生き方を見つめるとみんな子どもたちにその伝統精神をどう譲っていくかを苦心して努力してきた存在であったことがわかります。

その証拠に、行事や御祭りをしたり伝統的な暮らしをととのえていく場をたくさん用意して反省を続けた形跡があります。

この時代は世界の文化が混じり合っている世紀ですがだからこそ自分たちの文化をちゃんと学び直す必要があると私は思うのです。私の暮らしフルネスは小さな一歩かもしれませんが、先人たちが紡いできた長い道のりの大切な一歩です。

真摯に子どもたちのために、自分の天命をやり切っていきたいと思います。ありがとうございます。

屋根を支えよ、いのり続け世

昨日は、日本茅葺き文化協会主催の茅葺フォーラムに参加してきました。全国各地から茅葺職人さんやその文化を守ろうとする方々が参加しておられました。私もはじめて参加しましたが、会場も熱気がありこの先の未来が楽しみになりました。

私は、有難いことにここ数年の数々の甦生を通して多くの伝統文化に携わる方々と交流を持たせていただきました。文化や歴史と共に歩んでいる方々はどの方も力強く、そして守り守られているような雰囲気があります。

代を重ねるというのは、それまでの代々の遺志を繋いでいるということでもあります。これは生き物たちが子孫を残して今につながっているように、脈々と受け継がれていく智慧があります。この智慧を一つ、自分が担っていると感じるだけで天命を味わえるものです。自分の中に何を残してくださっているのか、自分の中に何が受け継がれているのか、その一つ一つをひも解けば自分の使命を自明していくことも可能です。

個性や能力、そしてその人の宿命や運命は、自ら求めなくても自然に導かれていくものです。この道に入っているのも、また日々の出会いも、どれもこれもが文化の顕現したものです。

歴史の面白さはその謎解きでもあり、解明でもあり、新たにそれを見守り育むことができる仕合せを感じられることでもあります。

以前、ブログにも書きましたが聖徳太子が「屋根を支えよ、いのり続けよ」という縁の下の舞のことを書きました。茅葺の屋根は、みんなで葺いた屋根でその一本一本を重ねて束ねたものです。それが自分の家を守っているということを教え、そしてそれをみんなで葺いたということを忘れるなとし、さらにはその重たい屋根をみんなが支えていくようにと初心を舞いで振り返るようにしました。そのうえで、いのり続けよとは、別の言い方では永続する平和の世がいつまでも続きますようにと願いなさいとしたのです。

まさに茅葺は永続の平和の象徴であり、この屋根が多くある日本こそが世界でもっとも自然と共生し永続し循環する仕組みを大切に守る国であるという理念が顕現した国だったのです。

今の時代、先祖たちはきっと心配しているでしょう。しかし、それでもこうやって屋根を守り、祈り続ける人々がいることで安心してくれているでしょう。今までの歴史を省みても、文化を守ったのは大勢いではありません。どのような困難な時も、繁栄のときも、文化を守ったのはごく一部の限られた人たちです。その人たちの純粋で真摯な生き方や生き様によって今の私たちも文化の恩徳・恩恵を享受されているのです。

文化は消えそうなとき、そして失われそうなとき、もっともそこに力が凝縮するものです。その一本の糸は、簡単には切れることはありません。まさにその瞬間も結び続けます。「結」とは、そういう縁「むすび」のことであり必ず守られるという意味でもあります。

日本の茅葺き屋根の文化がこれからこの世界を変えていく気がしています。子どもたちのためにも真摯にその意味を伝承していけるよう守静坊と共に歩んでいきたいと思います。

挑み甲斐

昨日は、英彦山の守静坊でこれまでの茅葺職人さんはじめ大工さんらをはじめお手伝いいただいた方々の労をねぎらい感謝と茅葺屋根完成のお福分けを行いました。お赤飯をみんなで食べ、御餅まきも行いました。

茅葺と大工の棟梁もどちらも今までで一番大変な現場であったことを話されました。そういう私も、凍てつく寒さと難工事で今までで一番大変だったかなと思い返していました。そう考えてみたら、何が大変だったのだろうかと振り返ります。

山奥の谷で車が入れずに荷物が運べないことだろうか。あまりの寒さで思考が止まるほどで作業もできず頭痛が酷かったことだろうか。休みがほとんどとれず、土日や一晩中、この甦生に取り組んだことだろうか。トイレも遠くまでいかないとなく、水も凍っていたことだろうか。史跡でほとんど変更できないなかで判断が難しかったことだろうか。いにしえの宿坊ということもあり、間取りも換えずに先人の遺したものをできるかぎり使ったことだろうか。資金がほとんどないなかで、金額を意識せずに本物の素材や仕事にこだわったことだろうか。祈りの場ということもあり、心を常につかっていたことだろうか。家からの往復約2時間を半年間通いつづけたことだろうか。重たい荷物を必死に運び続けたことだろうか。業者さんとの打ち合わせをなんどもなんどもやり直したことだろうか。

いろいろと思い返すと、そのどれもは確かに大変なことでした。しかし、大変だっただけで終わってしまえばそのどれもが命を懸けて取り組んできた自分の精いっぱいだったことであることがわかります。決して、それは嫌々であったことではなく誇りとして胸をはれます。

先ほどの棟梁たちも、大変だったが嫌ではないということは事実でしょう。それは私も同じく、大変な現場だったからこそやり遂げたときよくやり切ったという誇らしい気持ちになり充実した時間を過ごしたことへの感謝があります。

私たちは大変だからと避けるのではなく、大変なことだから挑み甲斐があると思うとそこに大事な時間が活かされるように思います。これからますます子どもたちに先人の智慧や日本の真心を伝承するために挑んでいきます。

これまで本当にありがとうございました。この御恩は一生忘れません。真摯に、徳を磨いていきたいと思います。

守静坊から皆さまへの感謝

一つの偉大なことを為すのは一人の力では成しえません。それはよく振り返ってみればわかります。本当に多くの人たちが助けてくださって、関わってくださってそして一つになります。

つまり一つというのは、みんなで一つということでそれだけ歴史の中で偉業は行われてきたのです。つい歴史の本などには、誰か特定の一人だけがフォーカスされてその人がさもやったかのように記されます。しかし果たしてそうでしょうか。そんなことは絶対にありません。

その当時、その一人に共感してお手伝いしてくださった多くの人たちの人生や願い、想いがあります。それが形になったものが偉業であり、その偉業はその人の名前で為したみんなの偉業ということになるのです。

今、英彦山の宿坊の甦生で本当に多くの方々のお力をお借りしています。本日も、いよいよ茅葺屋根の完成と足場の解体で結をお願いしたら50名以上のお手伝いをいただくことになりました。

思い返せば最初から本当にいろいろな方に関わっていただき、そしてここまで出来上がったのは皆さんが力をお貸ししていただいたことの結晶であり、集積です。それが建物に宿り、いのちを吹き替えてしています。

最初は空き家でボロボロ、シロアリが食べ、野生動物が棲み、暗くジメジメとした廃墟のような状態でした。このままでは、この家は失われて歴史が消えてしまうという声もあり、様々なご縁が背中を後押しして甦生させていただくことになりました。

とても最初は一人では途方に暮れるような話で、不安や心配ばかりでしたが一人、また一人とお手伝いいただいたことでどれだけ心を励ましていただいたかと思うと感謝しかありません。

この後、宿坊でどうするのかというという声もありますが今はそんなことは何も考えられずただただ感謝と恩返しがしたいという気持ちがあるだけです。宿坊が素晴らしいともしもこの先、褒められることがあるとしたらこれは甦生に参加していただいた皆さんが素晴らしいと褒められたということだと私は感じています。

最後まで皆さんの真心に応えられるように、みんなの一人としてやり遂げていきたいと思います。いつも本当にありがとうございます。

暮らしの改善

私は子ども心を見守るのが本業ですから、自分らしく自分の道を生きている人をみたら応援したくなります。自己を理解し、自分というものを大切にたった一度きりのこの人生での自分の役割や使命を果たしていこうとする人をみると自然と安心します。

その逆に、自分に嘘をつき、周りの評価ばかりを気にして、自分らしく生きることをあきらめているのをみると、環境や仕組みの影響を感じて自由な場づくりを心掛けていきたいと思うようになります。

自由を奪われ、安心できないような環境や仕組みがなぜ生まれていくのかを観察していると教育や社会システムのゆがみを見つけます。今まで長い年月の中で、時代の変化もありそうなってしまったものもありますが本来の目的や人間の仕合せを見つめて本質的な改善を続けていくのが効果があります。

例えば、暮らしの改善というものがあります。

自分らしく生きていくための暮らし方の改善です。自分自身がどうしたいのかということを振り返るような時間、もしくは場を持つこと。これも暮らしをととのえていくことができます。また忙しさに流されないように、身の回りを整理整頓したり掃除をしたりすることで呼吸もととのえていくことができます。

ほかにも、自然のリズムとともに生きることで人間都合のスケジュールを自然をベースに調律したり、体と対話して自分の体の声を聴いて体調をととのえたり、暮らしは改善することができます。

本来、私たちはどこを主軸にして暮らしをするかで暮らしの質は変わります。仕事中心にするとそういう主軸の生活になります。本来、暮らしは自然と一体になっているものだと私は定義していて、生活とは別だと思っています。仕事の中に暮らしはなく、暮らしの中の一部に仕事があるというのはそういうことからです。

自分らしく生きていくというのは、自然体になっていくことに似ています。そして自然体の自然は、自然と同じように他を尊重しあいながら全体最適を目指していくことです。そしてそこに徳を積むことの喜びや仕合せもあります。

子どもたちが悩み迷うとき、自分らしく生きている自然体のモデルがたくさん身近にあり、自他を喜ばせ、全体快適な暮らしができるように、日々をととのえていきたいと思います。