経営の道

経営という言葉があります。この語源を調べてみると、はじめて使われたのは紀元前八世紀、周の国だといわれます、そこには「祖先文王が霊台という祭壇を築いて、建国のシンボルとしたことを追想して霊台を経始し、”これを経しこれを営す。”庶民これをおさめ、日ならずして成る」という言葉からです。

この経営の「経」の字は、織物の経糸(縦糸)を表していてそれが変じて南北の方向(経度)、仏教や儒教における不変の教示を説いた書(経書、経典など)をになったそうです。そして経営の「営」は区画を調整する意味があり、周囲を守るための「陣屋」や「兵営」「営舎」などでも使われています。

つまり、筋道を立てて枠組みを定めるという意味でしょう。ここから経営戦略というものが出てきます。どのような目的、目標を定めて、それをどのような筋道で行い枠組みでやるのかという発想になっていきます。

私はよく周囲から経営者っぽくないといわれたり、経営者向きではないなとどいわれたことが多くあります。若い頃から、あまりジャンルや分類に囚われず、またマネージャーとかプレーヤーなどという言葉にも興味がなく、自分のスタイルでやってきたからかもしれません。

そう思うと、周囲の言う経営者とは何だろうと思うことが多くあったのです。経営がうまいというのは、稼ぐのがうまく会社を大きくする人のように言われます。経営者向きだという言葉も、数字の計算が早くて合理的、会社の運営が上手で人がよくまとまっていることのようにいわれます。名経営者といわれる人は、その分野で大成功を収めた人のこといいます。失敗して、倒産した人のことを名経営者とは言いません。

しかしここに何か、私は違和感を感じるのです。

私が思う名経営者は、松下幸之助さんです。運を大切に生き、PHPを設立し子孫たちのために尽力されました。この経営者は、若い人は知らない人も増えてきたかもしれませんが松下電器、今はパナソニックの創業者です。

松下幸之助さんは大成功したからか名経営者なのか、私はそうは思っていません。どのような人生を歩んでこられて、その中でどのように商売の道を究められたのかという意味で先達であり一つの模範であるのは明らかです。経営者というよりも、生き方のモデルということです。

人は一人ひとりは、本当は経営者ではないかと思うのです。自分の人生をどう生きるか、そこに成功も失敗もあるでしょう。しかし生き方を通して何をその人は学び魂を磨いていったかは、その人の経営によると思うのです。自分という一生をどう生きるか、そして自分に与えられた尊い道をどう歩むのかは自分で決めて実践するしかありません。これを実現するには自主経営をするしかありません。

本来、経営者というのは会社だけのこというのではなく人生を歩んでいく者という意味が近いと思います。今思い返すと経営者向きではないということの意味も、使う人によって異なりますから私にとっての経営とは何か、経営者とは何かをまず確認することが大切だったのかもしれません。

自分の人生をどう生きるか、その人生の生き方はそれぞれに千差万別ですから尊重していく必要があります。そのうえで、理念を持ち、志を高め、自分を磨き、周囲を愛し、真心と感謝で生きる人は立派な一流の経営者だと私は思います。それは起業していようが、会社をもってなかろうが、その生き方が立派な経営者だと思うのです。

ご縁から色々な人にお会いしますが、私の尊敬している経営者はみんな自分というものを見事に経営されている方で答えを生きている方ばかりです。子どもたちに、生き方のお手本になるように真摯に学び、私なりの経営の道を切り拓いていきたいと思います。

世界変革への門出

昨日は、聴福庵にてブロックチェーンエンジニアたちと一緒に鏡開きを行いました。お昼にはその鏡開きの御餅を使い、七つの穀物と七つの若草を使いお雑煮にしたり、かき餅にしてみんなで食べました。

鏡開きでは、まずみんなで鏡餅に感謝をして参拝して、その後は「おめでとうございます」と声掛けをしながら御餅を木槌で開いていきました。清々しい門出と福がみなさんにつながるようにと祈り行いました。

寒い日でしたが、炭をたくさん使った古民家はとてもぬくもり、またコロナでテレワークからなかなか会えない仲間たちと一緒に雑談をしたり学び合い、教え合う時間は、何よりも有意義でした。

畳になれていない人も多く、少し腰が痛いこともありましたが懐かしい未来の時間をみんなで過ごす豊かな時間です。

一昔前まで、日本人はどのような環境で仕事をしていたのでしょうか。そういうことを知っている人ももういませんし、たいした文献も残っていません。

しかしむかしから続いている場所で、むかしの真心をもって文化を継承している人がいるとそこには懐かしい未来の場が甦生するのです。私がそうであるように、私の暮らしフルネスの実践の中に人が入ればそこに何かを直感してくれます。

それは私が先人の智慧を尊び、日本人であることの素晴らしさ、文化の偉大さを実感しているからにほかなりません。現在は、都市化され国家を優先して生活というものを激変させましたからむかしからある本来の豊かな暮らしを失っていきました。

生きているということは、決して生活のためだけではなく暮らしのためにあります。この暮らしは、現代の暮らしではなく、懐かしい暮らしのことを言うのです。暮らしの定義を換えない限り、本来の私たちの豊かさは原点回帰しないのではないかとも感じます。

コロナで私たちは大切な何かを思い出し、そしてコロナ後に世界は人類のしあわせとは何かということを考えようと話していました。しかし、現在の社会情勢をみていたら原点回帰は元の経済優先の仕事中心に戻ることのように報道されます。

残念なことです。

人は一人ひとりの中での意識の変革によってしか世界は変わっていきません。まずは自分自身が変わることで、つまり暮らしを換えることで世界は真に変革していくと私は思っているのです。

子どもたちの未来、子孫たちの平和のために、世界の変革をこの場所、私のいる足元から変えるために実践を積んでいきたいと思います。

体験と気づき

人は体験するということは、自分の知らないことに気づくということです。知ってから体験すると、知っている体験をしようと思うあまりその体験を素直に気づくことができないものもあります。

例えば、太陽とは何かというものを知識で得たとしてもその太陽の持っている多様な力や徳を全部わかることは決してありません。人間は、固有の言葉を用いてそのものを分類分けて理解し、その言葉で語り合いますがその深さや真実を知るには膨大な体験と気づきが必要になるからです。

人によっては、ある真実や本質までたどり着いている人がいます。こういう人たちは、それぞれの分野である一定のところまでその事物や存在を深めてその体験から何が本当のことかということに気づいた人であったりします。

ある人は、自然界の観察から太陽を理解し、またある人は光や熱源というものから理解し、そのすべてを気づいたわけでなくてもその太陽というものの存在をあらゆるすべての存在を通して観ているとその本質に少し気づくことができるというものです。

ただ、気づいて知ったからといってコントロールすることなどできず私たちはその存在に寄り添い合わせていくしかありません。その存在を知ることは、その存在と一体になっていくからです。

この自他一体になる感覚というものは、万物とつながるための方法の一つです。本来は、分かれていなかったものをもう一度、一つに融和するということ。これが気づきを促進し、そのもののことを深く感じることができるからです。この感じる世界、気づきの領域というものは体験で近づいていきます。

良質な体験をし続けるためには、この感じる力、五感を研ぎ澄ませて素直な心で自分から傾聴し感謝し続けるという実践も必要です。謙虚であればあるほどに、この世の普遍的な事実に気づきやすくなるということです。

生まれたての子どもたちは、みんなその感覚の境地を開いています。それを閉じていくのが、知識でもあります。このような時代、知識に頼り過ぎてしまいその感覚の世界が失われてきつつあります。本来の人間の学びとは何か、子どもたちの環境を創造しながら見守っていきたいと思います。

存在

人はいつも同じ人とずっと一緒にいるわけではありません。特に若い時に知り合った友や、そしてご縁のあった方々とはまた離れて暮らしていくものです。しかし、これはいつの時代も同じですが離れていても心は傍にいるという感覚といものがあります。

これは同じ志を持っていたり、共感をしたり、もしくは、ご縁を信じていたりする感覚を持っているということです。そしてこれは、生きている存在だけではなくご先祖さまやもしくは故郷のように形のないものにもそれを感じるものです。

人との出会いというものは、誰かが引き合わせていきます。その誰かは、まるで先にそうなることを知っていたかのようにその人と人を見事に繋ぎ合わせていきます。ここには、まるで時間という概念がなく未来も過去も今もありません。言い換えるのなら、「そうなるご縁を知っている」かのようです。

つまり、未来を予測するのでもなく、過去からつなぐでもなく、今その瞬間に感じたわけでもなく、「そういうご縁である」と最初から確定して存在しているのです。これを天命とか運命とか宿命だという人もいます。しかし、よく考えてみるとこの世のすべての存在に想像を膨らますとき、複雑にみえて実はシンプルに「ただそこにあるもの」という事実に気づきます。

存在は、いのちのカタチであり、カタチとしての認識が存在となっているのです。そしてこの存在するということを人間の感覚でとらえるとき、そこには役割があるという認識を持ちます。

役割があり存在があるとするのなら、そこにはご縁があるということになります。そのご縁は、丸ごと一体でありそのすべてに役割がある。役割を誰かが無理に決めるのでもなく、存在そのものを役割にするという考え方です。

私たちの心というのは、その存在をいつも身近に感じているものです。

懐かしいという感覚は、どこかその存在のことを示唆しているように私はいつも感じます。古いものに触れても、新しいものに触っても、懐かしいのです。形と無形は永遠に循環していきますが、そこに存在する真心はいつまでも不滅にあります。そういうものを身近に感じて暮らしていけることこそ、真の意味で豊かなことでありいのちが磨かれていることではないかとも感じます。

難しい書き方になりましたが、昨日、ちょうど哲学者の方と一緒だったのでその影響もあったかもしれません。子どもたちの未来のために一つ一つの存在に深く感謝して、今日も一日を過ごしていきたいと思います。

行事の本当の意味

私たちは様々な年中行事という文化を持っています。保育園や幼稚園をはじめ、老人ホームなど、生活の中で行事は当然のように実施されていきます。最近は、イベントのように行事は使われていますが本来は日本人の心を守るためのものだったのではないかと私は感じます。

その理由は、すべての行事が感謝に関係していることからです。私たちは、何のためにそれをやるのかという理由を持っています。そして行事であればその行事がはじまった理由があります。その理由は初心でもあり、その初心を甦生し繰り返していくなかで智慧や真心を伝承していくのです。

なんとなく忙しくなり、とにかくやるだけ続けていくなかで簡素化していくとその本質や意味が失われていくものです。だからといって、ガチガチに形を決めてそれをただやっていたら行事で疲れてしまいます。本来は、自然体で行事をし、そのまま感謝で実施されていくのが一番です。

しかし自然体であるためには、日々の暮らしの方をしっかりと維持していることが重要です。そもそも行事は、暮らしの中での行事であって決して暮らしから外れた単なるイベントではありません。これは暮らしの節目に感謝していくものでありその節目に心をなくさないように、先人への感謝を思い出すようにと豊かに取り組んでいくものだと私は思います。

豊かさというものは、心のゆとりでもあります。心のゆとりとは、感謝の心を持っていることであり、決して時間が暇になることではありません。ゆとりがあるというのは、心が感謝で満ち足りているということです。

世間ではゆとり教育とかいって、テクニックや方法論ばかりが議論されましたが本来は日本人がもっていた心のゆとりの回復であったのではないかと私は思います。そのためにまず必要なことが行事の改革であるというのは私の直観する本筋です。

時代が変わっていくなかでも大切なものはいつまでも失ってはいけません。

その大切なものを甦生させ続けていく、伊勢神宮が式年遷宮をするように、神道では常若という実践があるように、これは日本の先人たちがいつまでも子孫のためにと祈り続けてきた一つのカタチなのです。

行事の本当の意味を知ることは、私たちのルーツと未来をつなぎ永続させていくことです。子どもたちの未来のためにも、暮らしフルネスの大本命の一つ、行事の改革に今年から本格的に取り組んでいきたいと思います。

七草と薬草

人日の節供は、平安時代までは野草ではなく穀物が中心でした。その内容は、お米、アワ、キビ、ヒエ、ミノ、ゴマ、アズキの「七穀」です。この穀物が粥になったのですが、その後は薬草の七草を使うようになりました。

七草はセリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベラ、ホトケノザ、スズナ、スズシロのことをいいます。この七草をすべて合わせると約12種類の薬膳効果があります。調べると具体的には健胃効果・食欲増進・利尿作用・二日酔い解消・解熱・去痰・咳止め・気管支炎予防・扁桃腺炎予防・肝臓回復効果・そばかす予防・あかぎれ予防・心の安定効果の効果があるといわれます。

この七草の縁起に意味付けして、セリは競り勝つ。ナズナは撫でて汚れを除く。オギョウは仏体。ハコベラは反映がはびこる。ホトケノザは仏の安座。スズナは神を呼ぶ鈴。スズシロは汚れのない潔白。としています。

日本人は、どのようなものにも意味を宿してそれを吉として呼び込むことで縁起担ぎをしてきましたからこのような意味付けが誕生したのでしょう。すべてのものをいのちそのままを丸ごといただこうとする智慧があります。

薬草というのは、日本最古の歴史書である『古事記』にも書かれます。奈良時代、593年に聖徳太子は怪我や病気で苦しむ人を救うために、四天王寺内に施薬院(せやくいん)を建立し、そこで薬草を栽培していたという説も残っています。

そしてこの薬草は日本だけでなく世界中で用いられます。植物の中にある薬効成分が心身をととのえたというのは非常に大きな発見だったように思います。つい身近にある草を雑草と思い込んでいて関心を持ちませんが、実はこれらの草には驚くほどの効果効能があります。スギナやドクダミ、ヨモギなども効能は枚挙にいとまがないほどです。

自分たちの風土の中で、如何にして私たちは自然を取り込んで色々な治癒に活用してきたか。先人の智慧には頭が下がります。今年から薬草や和漢方を深めていくので、よいものを子どもたちに伝承していきたいと思います。

行事の意味~人日の節供~

現在、和漢方のことなどを深めていて七草がゆの効能も調べています。同時にまもなく到来する人日の節供(七草の節供)の準備をしています。

まずこの人日の節供(じんじつのせっく)という呼び名は、中国では1日が鶏、2日が狗、3日が羊、4日が猪、5日が牛、6日が馬とそれぞれ獣畜を占う日があり、その日にあたる動物は殺生しないことになっていました。7日が人を占う日なのでこの日は人との争いは避け、犯罪者に対する処罰もしなかったそうです。

そもそもこの七草粥を食べる習慣は古代中国から伝来したものを奈良時代から平安時代にかけて宮中行事となり、江戸時代に「五節供」の1つ「人日の節供」(七草の節供)として幕府の公式行事となったことがわかっています。そして明治5年(1872)12月の「明治の改暦」に伴い廃止された行事です。

もっと遡れば、七草粥になったのは、室町時代になってからだともいわれています。それまでは「羮」(あつもの)といってお雑煮のような汁物、汁椀の中に七草が入ったものだったのが想像できます。この七草は中国最古の歳時記「荊楚歳時記」に「正月七日、人日と為し、七種菜を以って羹と為す」から「七種菜羹」を食べて邪気払いをし健康と無病息災を願う行事があったことがわかっています。日本に伝来してから正月初子の日に若菜を摘み取る「若菜摘み」の風習と和合し「供若菜」という宮廷行事になったともあります。「延喜式」にも「正月十五日供御七種粥料」と記されていて、米の他、粟、きび、胡麻、小豆などの穀物が入っていたそうです。それを入れた粥を食すると一年の邪気を払うと信じられていました。邪気払いですから、鬼退治などでも使われる穀物中心になっています。

話を節供に戻しますが「節句」という字になっていますが本来は「節の日に供える」という意味でした。区切りとしての「句」に挿げ替えられていますが「お供えをするこころの文化」というのが、この節句の本質であるということがわかります。

明治の歴の廃止で七草粥だけなんとなく残っていますが、そもそも節供とは何かということを理解して取り組むことでその意味を感じ効力が発揮されるようにも思います。

現代は、物質文明で科学的なものしか信じない風潮がありますが本来は目に見えない存在、私たちがいつもいただいている御蔭様の見守りや恩徳に対して感謝する心が「おもてなし」をふるまい、しつらうことで顕現していくものです。

日本人の大切にしてきた「供養」するという実践が、単なる意味もないものになっているのは残念なことです。子どもたちには、その意味を理解できるように今一度、食べるだけではなくそれを室礼したり、おもてなしする作法や道を伝承していけたらと思っています。

最後に、郷里の福岡県には、七草汁というものがあります。これは七草を中心に味噌仕立てにした汁、「カツオ菜」を使うことが特徴です。福岡ではカツオ菜や高菜は古くから親しまれてきた伝統野菜です。これが雑煮や吸い物に使われることも多いそうで名前も「カツオの出汁がなくても同じぐらいおいしい」ことからそう呼ばれいるそうです。

今週末は来客がたくさん来られます。みんなで福を分けて豊かな暮らしフルネスの時間を過ごしたいと思います。

 

智慧の集大成

世の中は「思想」というもので溢れています。インターネットを検索したり、本屋さんに行けばいくらでもその思想を学ぶことができます。また誰かによって整理され体系づけられた思想はお金で売買され評価もされています。こうやって同じ世界を何度も体系づけてはあれでもかこれでもかの議論で経済が動く時代です。そういう意味でも今の時代は、便利な時代ですからどのような思想でも探せばすぐに見つかり加工しやすいものです。

しかし、現実を直視すればその思想だけでは物事は動きません。現実には現場がありそこにはその思想をカタチにできる人と技術が必要です。思想と技術は両輪であって、それがちゃんと整っていなければ物事は真に救われません。つまり現実を変える救うや救われるためには思想だけではなくそこに技術が必要なのです。同時に、思想がなく技術だけだと凶器にもなりかねず結果的に救われません。

つまり救うことや救われるためには、この思想と技術の和合こそが欠かせないのです。学問というものは、この学者と技術者の協働によって大成していきます。

そういう意味で、それができる私の理想の人物とはだれかともしも訪ねられたら二宮尊徳のような人物であると答えます。二宮尊徳は、農民でしたが思想と技術をもった徳と才を持つ現場実践者でした。

この徳と才は、人々を救い導くためには必要不可欠な力です。この力はどうやって磨かれるのか。それは現場での試行錯誤と鍛錬、そして徳の修身といった人格を高める努力しかありません。そしてその中で、磨き上げられたものが智慧になり、その智慧こそが人類を新しいステージへを導く鍵になります。まさにこれは歴史を鑑がみて気づく王道の基本です。つまり、どんなに無限の思想が誕生しても、どんなに便利な技術が溢れてもその根本はすべて基本にこそあるということです。この基本とは、徳才一致の顕現ということでしょう。

私は思想もありますが、それをカタチにしていく技術があります。具体的にカタチするのは救いになるからです。思想だけでは救われないことを若い時に何度も体験し、どうやったら救われるのかの技術を高めていきました。そして技術が高まるとそれ相応の普遍的な思想が求められていきますからさらに思想を磨きます。

これの繰り返しを実践現場で何度も試行錯誤しているうちに本物の智慧に出会ったということです。私の甦生業は、この智慧の集大成でもあります。

今年は色々とまたカタチにしていく年です。私が先陣をきってやっていきますからぜひ皆さんも一緒に手伝ってほしいと願います。子どもたちのために、今年も真摯に挑戦していきたいと思います。

遺徳

昨日から久しぶりに石見銀山の阿部家に来ています。松場ご夫妻と懐かしいお時間を過ごしながら阿部家の余韻に触れています。この阿部家はいつも新しく磨き上げられています。古民家ではなく、新民家です。私もこの場所にきて、その暮らしの美しさに感動して今があります。

人は、どのように日々を暮らしていくかはその人の選択です。

美しく生きようとする人には美しい暮らしがあり、感動して生きようとする人には感動する暮らしがあります。その実態は、その人の心の姿そのものであり、生き方がそのまま暮らしになるということを意味します。

つまり何を暮らしにするかを決めるのはその本人であるということです。人生という言い方でもいいかもしれません。どんな人生を送ってきたかは、その環境や場所に残存します。それを余韻ともいいます。

私自身もいつまでも人々の心に美しい残り香のある暮らしがしたいものだと感じるものです。それを別の言い方では、「遺徳」ともいいます。

徳を積んでいく暮らし、徳を磨いていく暮らしは人類の原点です。

色々な教育がでてきては、あれやこれやと複雑になっていきますが本質や根源は一つです。私たち人類は、何を捨てて何を求めていったのか。そして今、何を本来拾い直すときで何を手放すことが必要なのか。

そのきっかけを与えて気づかせることもまた徳を積むことになるのでしょう。

私が暮らしフルネスに取り組む本質的な理由は、本来のあるべき人間の心を子孫たちに先人が私たちにしてくださったように繋いでいきたいからです。改めて、原点を思い出しました。

一期一会の出会いとご縁に深く感謝しています。

道心の中にこそ真の暮らしはある

最近、別々の人たちから「道心」のことを聞く機会がありました。具体的には、「道心の中に衣食あり、衣食の中に道心なし」というものです。これは天台宗の開祖、最澄の遺した言葉で一心戒文というものの中に出てきます。

この一心戒文は最澄の弟子、光定(こうじょう)がまとめたものですがこれは同じ道を歩む人たちへの心得と心構えを遺したものです。

この道心とは、以前このブログで書きましたがこれは徳を高めて道を志す道徳心です。最澄が目指した世界はどこにあったのか、これは1200年前からずっと今にいたるまで世界の人類がみんなが最終的に目指すゴールの姿も同じです。

如何に平和を譲り遺せるか、そして人は如何に思いやりに満ちた仏さまのような心を保つことができるか。人間の徳を磨き続けて、いつまでも平和の世の中にしたいと発願した人たちの御蔭で私たちは今でも平和のカタチを心に遺して学び続けていけるように思います。

もしもこのような道徳心というものを知らなければ、私たちは文明や文化そのものを真の意味で発展していくことはできません。どの時代であっても、私たちは目先の利害や損得、欲に呑まれてしまい本当の人間の幸福や豊かさの意味を忘れてしまいます。

そうならないように、お手本になること、そしてそうありたいと願う生き方の中にこそ真の教えはあります。今でこそ、宗教は何か学問とは別の信仰と区別されていますが本来は宗教は学校であり学問のもっとも磨き抜かれた道場でした。

その道場で学んだ教師、むかしは聖人といいましたが彼らが各地を巡り、どう生きることが人々の真の仕合せにつながっているかを初心を忘れないようにと伝法していたのです。そうやって、人が持つ地獄のような苦しみから解き放ち、手放すことを教え、共に実践し心と現世の幸福に導いたのでしょう。

しかし、実際にはどの時代にも人間は目先の欲に呑まれます。自戒として、最澄が「道心があるなかにこそ真の暮らしは存在する」といったのではないかと私は思うのです。

現代の人たちが理解しやすくしようとするとこの「道心の中に衣食あり、衣食の中に道心なし」の「衣食」を「仕事」という言葉に置き換えればピンと来るのではないかとも思います。

「道心の中に仕事あり、仕事の中に道心なし」

です。

仕事ばかりして生きていますが、その中に真の暮らしはあるのでしょうか。本来、人間は真に暮らしをしている中にこそ、本当の意味の仕事があるのではないでしょうか。志や理念、初心を忘れないで働く人は、暮らしをととのえて働いているでしょう。しかしそういうものを持たずに単にお金のためだけに仕事をしていたらそこに真の暮らしはないということです。

どの時代も、真理や普遍性というものは変わることはありません。しかし時代と共に、欲が形を変えていきますから私たちもまた先人に倣い対応していくしかありません。

最澄は、大乗仏教を唱え、能力のあるないにかかわらずすべての人々を救おうと志しました。そのため、誰にでもできること、特別な能力がなくてもどんな人でも救われる方法をその時代に突き詰めたのでしょう。それがこの一心戒文の中で感じ取ることができます。

私が「暮らしフルネス」を提唱し、実践し、それを弘めようとするのもまたこの道徳心を磨く、そして徳を積むことを誰でもできるようにして道心を甦生させようと発願したからです。

最後に、最澄のこの言葉で締めくくります。

「国宝とは何者ぞ。宝とは道心なり。道心ある人を名づけて国宝となす。故に古人曰く、経寸十枚、これ国宝にあらず。一隅を照らす。即ち此れ国宝なり」

道心ある人が国宝であると、徳を積み、道を歩む中にこそ平和と天国があります。宝とは、すべてこの真の暮らしの中にこそあるということです。

子どもたちのためにも、自分の志を生き、自分の道に専念していきたいと思います。