中興の祖

種を蒔けばそれが自然に保育されやがて花を咲かせ実をつけます。これは自然の摂理であり、揺るがない一つの真理でもあります。そしてこの摂理は、いのちの循環を示してもいます。

どんないのちも、この循環を繰り返しこの世に出ては実を結びまた種になります。これは形のあるものの姿ですが、実際には形のない「想い」というものにも同じ摂理がはたらきます。

例えば、一つの「想い」という種を蒔きその想いが保育され、その想いに花が咲き、その想いが実をつけます。そしてまた次の想いの種になっていくのです。

私たちは想いというものを持ちます。

どんな想いを持つのか、そしてその想いをどのように育てるのか、この想いこそが時代を超えて時空を超えて存在しているのです。歴史のある場所の想いであれば、その想いはその風土にいつまでも残っています。その想いの力は、ずっとその場に留まり続けます。

その想いを受け継ぐ人が現れれば、その想いはその時代の人の想いと融和してさらに偉大な想いへと発展していきます。そしてまたその想いの循環は繰り返されてまたいのちを吹き返して甦生していくのです。

よく歴史の中では中興の祖と呼ばれる人たちがいます。これは辞書では「過去に衰退して危機的状況に陥った時に回復させて再び盛んにさせる事ができた先人」という意味だといいます。

私はこの「想い」はすべて、想いを受け継ぐ人が中興の祖であると思うのです。想いはそのままにしていると次第に朽ちていきます。それは自然の摂理と同様です。しかし、そこには朽ちても小さくても廃れていても物語としていつまでもいのちが生き続けています。

そのいのちを誰かが受け継ぐとき、その想いを受け取り引き受けるとき、その物語はさらに偉大なものとつながりそのいのちに天命を与えるのです。つまり、いのちが甦生するのです。

私は甦生業が生業ですから、物語を生きているともいえます。その物語に新しい章が加わるたびに、あらゆる想いは融和して発展生成を繰り返してさらに磨かれていきます。

想いをどのように見守っていくのか、それは先人の想いとつながり、子孫へと想いを伝承するなかで感じられます。歴史の語りべが語るのは、その想いの物語であり、それは魂やいのちにおいて何よりも大切な仕事でありかけがえのないものなのです。

想いを見つめて、想いを歩んでいきたいと思います。

心の居場所

聖地巡礼という言葉があります。もともとはイスラム教徒の信者が使っている言葉だったそうです。これはイスラム教のマッカにあるアル・ハラーム礼拝堂を聖地にし、その神殿を巡ることを巡礼と言いました。一生に一度は、聖地巡礼を行うことは信者にとってはとても大切なことでした。現在はこの言葉は、日本ではアニメや漫画の熱心なファンがそのアニメの舞台になったところを訪れることを聖地巡礼を呼ぶようになっています。

このこの聖地巡礼は、時代を超えて大昔から人々の心の文化の一つだったように思います。お伊勢参り、四国八十八か所巡りなども同じように聖地巡礼が美徳とされ今に受け継がれているように思います。

その聖地にいけば、何か自分の中にある信仰に触れるということでしょう。教えを肌で感じ取ったり、そのものが悟った場所に自分を運べば文字では得られない感覚をあらゆる場の力を感じて直観することもあったように思います。

以前、私も33か所観音霊場巡りをしたときにその聖地巡りにおいてその価値を実感したことがあります。最後まで巡り終えたとき、その最後の寺院に詩が読まれていてその詩には「この33か所巡りをしているうちにあなたはどの観音様と巡り会いましたか?」と尋ねるようなものが書かれていました。その時、思い返してみると道すがらに声を掛けてくださった人、挨拶してくださった人、猛暑厳しい中で冷たい飲み物を差し出してくださった人、みんな観音様ではなかったかと実感したのです。

つまり、私たちは心のありよう一つで観音様に出会ったり出会わなかったりしているということを聖地巡礼で学び直したことを思い出します。この聖地巡礼の仕組みは、自分自身と向き合い、自分自身とつながるという体験を持たせているように思います。

その場において、何をすることで自分自身とつながるのか。

ここにこれからの時代の心を癒し、自分を取り戻すためのキーワードがあるように思います。これから場の道場をはじめ、私は暮らしフルネス™を提供していきますがこの聖地巡礼の仕組みは時代を超えて参考になります。

子どもたちに、心の居場所を譲り遺していきたいと思います。

 

天人道

天道と人道というものがあります。天の道は、自然のままであり人為のないもののことをいいます。それに対し、人の道はその自然の中に人為が入ることをいいます。つまり、天道と人道とは分かれているようですが実際には天人道ということになります。

人もまた自然の一部ですから、人がどうあれば自然にかなうのか。それを語る言葉です。例えば、自然界ではそれぞれの生き物がそれぞれの役割を果たします。それは小さなバクテリア一つ、分解者となりて自然界の調和の役目を果たします。本来、私たち人間もまた自然界の一部ですからなんらかの調和の役目をもらっています。

そうやって生き物たちは、共生し貢献しあいながら自然の中でそのいのちを謳歌させていただける存在であるのです。そして天人道とはまさに、その天の道に沿いながらも人の道を盡していくことによるのです。

つまり天に対して人としてどう生きるかということを原点を確認するものです。

二宮尊徳にこういう言葉が残っています。

『夫れ元一円の原    国民衣食に乏し
天に従って地理を量り  天に逆って田畑を開く
天に従うを自然となす  之を名づけて天道といふ
人を以て作事を為す   之を名づけて人道といふ
人道は田畑を開き    天道は田畑を廃す
人道は五穀を植ゑ    天道は生育を為す
天道人道に和して    百穀実法(みのり)を結ぶ
原一変して田となる   田一変して稲となる
稲一変して米となる   米一変して人となる』

これはお米づくりで例えていますがとても分かりやすく真理を語ります。本来、田んぼをそのままにしていたらそのうち荒れ地になっていくのは自然が荒れ地にしようとするからです。しかしそこに人が手を入れれば田んぼは人の暮らしの一部となります。そして人が種を植えるのなら、自然はそれを生育させます。これが和合してたくさんの食料を産み出します。

つまり何もなかったところに人が入り田んぼになり、それが変化して稲となり、またそれがお米(食料)になり、それが人という存在をつくっている。

天人道はこの天と人の和合にこそなるということを、二宮尊徳は説いたように思います。

これからどのような生き方を選んでいくか、それは一人一人が今と見つめなければなりません。私はこの天人道こそ、徳そのものであり、こうあることが自然と人間の喜びになるように確信しています。

子どもたちに、天人道を示していきたいと思います。

修繕こそ人の道なり

BAの干し柿を鳥が毎日啄みにくるようになり、干し柿が食べころになったことを知らせます。見た目にはあまり変化がなくても、動物たちはもっとも美味しい時を知らせてくれます。

庭の野菜も、キャベツや白菜、ブロッコリーの葉っぱが虫に食べられています。まさに今が旬で、もっとも美味しい時期なのを虫もわかっています。見た目には、あまりわからなくても動植物たちは自然共生の中でお互いの活かしあう時機を悟っているともいえます。

私たちは、その時機を頭でわからなくても尊敬の念をもって動植物や昆虫を観察することで自分たちにとって何が最善で今かを知るのです。

人間の本能は、自然という天の理を周囲の生き物たちによって学び続けてきたとも言えます。しかし、これを人間が待てずに自分たちの都合で好き勝手にすれば動植物や昆虫に迷惑をかけていきます。そしてより自然の理がわからなくなり、人の都合ばかりで欲にまかせてやっているうちに時機を見失いバランスを崩しそれを改善するために余計なエネルギーばかりをつかって本質を見失うのです。

天の道に従うのは、自然な流れに沿うことですがこれは欲を諦めて素直に学ぶという具合です。そして人の道に従うのは、欲を制して謙虚に学ぶという具合です。人間は、学問をする理由は天道地理、義理人情を悟ることともいえます。

人の道を説いた、二宮尊徳はやはり私たちの模範になる先達であったといえるように思います。私が、古民家甦生でもっとも示したいことはこの心田を開発することであり心の荒蕪を耕し、心の豊かにして人道を栄えさせることです。だからこそ、「修繕」という実践を通して道を歩んでいるように思います。

『人道は物を修繕するの途(みち)なり。之を怠れば法の無き昔に帰る。是即ち禽獣なり。』

意訳ですが、人間がもっとも大切にしなければならない最優先ことは、修繕、つまり人の道から外れないようにすることです。もしこれをやめたら人の世はなくなり無法に戻る、これはただの野生動物になることなのだと。

動物が悪いというわけではなく、人が人の世をこの地球で末永く心豊かに存在していくためにも人は自然と調和し、自然の中でも人の道を大切に社会を耕していかなければ今の幸福は失われてしまうということでしょう。

子どもたちのためにも、この時代の新しい幸福論を暮らしフルネス™を通して実践していきたいと思います。

手前味噌

昨日は、暮らしフルネス™の実践講習会の直会で味噌鍋を一緒に食べました。味噌は友人の味噌とうちの手前味噌を合わせて竈で炭で煮込んだものです。かなりの量を用意したのですがみんな何度もおかわりをしてくださった御蔭で全部きれいになくなりました。

この味噌は、7年間継ぎ足しながら拵えた手前味噌です。この手前味噌という言葉は、その家で醸し出した味噌の味という意味です。つまりは、その家の味ともいえます。

手前味噌ですがというのは、その家の味をお披露目しているということでもあります。

先日、味噌で聞いたお話で印象的なものがありました。それは同じ材料で同じ時期にみんなで作っても一年後に持参して試食するとみんな味が違っているというのです。それだけ、場所や気候をはじめその環境や作る人の個性が味に影響が出るということでしょう。それに味噌は、人の声が聞こえるところに置いた方が発酵するといわれていたり、囲炉裏の周りもいい、またその灰も餌になるといわれます。またその菌の家は、木樽がいいとも言います。うちは、どの漬物の樽も木樽ですからその木樽に菌が住んでくれていますからもう長いこと一緒に生活しながらお互いに餌を与えあって共生関係を結んでいます。

こうやって人間の暮らしの傍で、菌たちも一緒に暮らしています。古い家には、それだけ古い菌がいるともいわれます。それだけ長い時間、一緒に暮らしを営んだきた菌は、自分たちの先祖とも一緒に暮らしてきたということでもあります。先祖が結ばれ、子孫も結ばれ、今でも一緒に暮らしを共にしているということの安心感は特別なものです。

うちの手前味噌の感想は、みんなコクあるという評価でした。年季が入っているからかもしれませんが、この「コク」があるという言葉は、「複雑な味わいがある」という意味で定義されています。何かが積み重なった味わいがあるということでしょう。

人間は味覚を通して、その積み重なったものを感じることができるということです。複雑な味わいは、その積み重なったものの深い味わいであり、年季が入った数々の実践が味わいの中に醸し出しているのかもしれません。

人間も、様々な艱難辛苦を通して味わい深い人になっていくといいます。人格を磨き、人生の味わいが深まれば深まるほどにその人にしかない複雑な人間力が醸し出されます。味噌を通して、そうありたいと願うばかりです。

手前味噌の話はここまでですが、みんなでその家の味を守れるように、先祖たちの祈りや願いが伝承できるように日本の子どもたちにコクのある伝統を守っていきたいと思います。

真の豊かさを味わう場

本日は、場の道場で暮らしフルネス™の「室礼」の講習会を実施します。これは8年前から弊社の役員の一人が中心になって取り組みはじめ、今では暮らしの中で定着している実践の一つです。最初は東京の新宿の高層ビルと自宅のマンションではじめましたが、現在は古民家の御蔭で前よりも自然に豊かに室礼を取り入れています。

はじめに弊社で取り組んだときは、西洋的な建物でビジネスをするためのオフィスに自然なものを取り入れたいということで植物をはじめ日本の伝統のものを増やしていきました。例えば、炭であったり、和紙であったり、花器であったり藍染の敷物やイグサのゴザなど、和のものを中心に増やしていきました。そしてできるだけ、自然光や季節を感じるようにとお昼は団欒できるようにちゃぶ台を用意し、伝統の保存食、発酵食品などを持ち合い、時にはみんなでつくり、音楽も和楽器のもの流したりしていました。

そうやって忙しい時にも豊かさを失わないようにと、みんなで心がけ、保育の仕事をしているからこそ私たちは子どもたちが憧れるような大人のモデルになろうとみんなで都会の環境の中でも自分たちの在りたい姿に向かって挑戦をしてきました。

私たちは今では「暮らしフルネス」™を提唱していますが、その暮らしの柱の一つを深く支えてくれたこの「室礼」だったようにも今では思います。

この室礼は、四季折々の年中行事を通して先人たちの積み重ねてきた精神性を深く学ぶ大切な伝承の機会でもあります。私たちはどのようにこの風土で暮らしてきたのか、それを自然に心の豊かさを通して自然から学びます。それは代々、先人から子孫へ、大人から子どもへと譲渡されていきます。

つまり暮らしの中で行う、大切な保育そのものでありこれが私たちの民族を育ててきた一つの心の教育であったことは自明の理です。現代では、精神疾患をはじめ痛ましい事件が増えて殺伐とした場が増えてきています。日々の報道でも、人間のよくないところばかりをフォーカスし、本来の人間に備わっている徳や心の豊かさがあまり表に出てきていません。それだけみんな忙しくなってしまっているのだと思います。

しかし私のところには、癒しやつながり、そして仕合せの原点を求めて多くの人たちが集まってくるようになってきました。これは本来の豊かに生きるということを願い、子どもたちにも大切な日本の心を残したいという志のある仲間が増えているからだとも思います。

人生は一度きりです、どう生きるのかはその生き方が決めています。何か大切なことを思い出す節目、つまり年中行事があることで私たちはその初心を思い出して生き方を磨いて光らせていきました。

いぶし銀のように磨かれるのは、この節目をどう過ごしてきたかということでしょう。コロナ後にどう生きたらいいか、どう進めばいいかを悩んでいる人がたくさんいるとお聞きします。一度、ここに来てもらいその豊かさの本質を実感して子どもたちに日本の真心を弘めていけるようにみんなで一緒に「真の豊かさの実践を味わう場」を増やしていきたいと思います。

地域の目覚め

明治時代以降、税金で国家の問題を解決するという仕組みが入る前は人々はみんなで義援や奉仕、寄贈などの協力によって物事を解決してきました。例えば、その地域地域の伝承を調べてみたら川の氾濫を止めるために堤防を築いたり、石橋をつくったり、そのほかにも津波の対策をするために松を植えたりと、その土地の庄屋を中心に、地域の有徳の士がそれぞれの場所で協力して地域の課題を解決してきたことがわかります。

現代は、行政や国家の問題になっていますからほとんどが市役所にクレームを入れて解決しようとします。その市役所も、資金と人手不足から全部にこたえることはできませんから課題が山積みのままに素通りするしかない状態も増えてきています。

本来は、市民がみんなで協力し合って課題を解決すればそれはその土地への愛着や取り組んだことへの誇りもうまれ、その地域はますます課題を通して善い土地へと変化していくものです。しかし、この税金を払っているのだからやるのは当然のような感覚や、歪な作業分担などの意識から一切自分たちでやろうとはせず、また行政側も面倒なことを言われないように責任を被らないようにとあの手この手で避けているから悪循環が続いているのです。

クレームを言い合い、さらにそれを規制でコントロールする。こういうことをしているからかえって柔軟性がなくなりお互いに寛容な気持ちが薄れて動きずらくなりつまらなくなっていく。近代の日本のとってきたこの税の仕組みをそろそろ見直す必要を感じます。少子高齢化で人口減になっているからこそ、このままの仕組みではどうにもできなくなります。

江戸時代前の仕組みをもう一度よく検証して、そのころにどのように人々が協力して支えあって相互扶助の仕組みを働かせていたか。徳治によって、地域を見守ってきた有徳の士の背中をまた教育によって思い出させ、一人一人の自立を促すことが近道だと私は思います。

ある意味での投資や奉仕、寄付や寄贈、義捐は、まわりまわって大きな利益になっていくものです。つまり徳は得にもなり、損は徳で得になるのです。長い目でみてその事例が発生することを学び直すことで地域の目覚めも進むとおもいます。

身近なところ、弱いところ、小さなところから改善していきたいと思います。

義徳金

義捐金という言葉がります。震災などでみんなが寄付して集めつときにこの義捐金という言葉が使われます。なぜわざわざ「損」という字を用いるのか、疑問に思っていたので少しだけ深めてみようと思います。

この義捐をウィキペディアで調べると『「義捐」(ぎえん)は明治時代に作られた和製漢語である。「義」は、正しい行い、もしくは公共のために力を尽くすことを意味し、「捐」は、捨てる、捨て去るの意である。すなわち「義捐金」は、正しい行いのため、公共のために捨てる金を意味する(イスラームにおける喜捨相当)。戦後の国語改革で「捐」が当用漢字に採用されなかったため、「義えん金」と混ぜ書き表記した。現在はほとんどのメディアで「義援金」という表記が見られるが、これは新聞協会による独自の基準で定めた代用表記である』とあります。

また参考にされるのが夏目漱石の「吾輩は猫である」の中の「義捐」という言葉です。そこにはこう使われます。

「主人(苦沙弥先生)は黙読一過の後、直ちに封の中へ巻き納めて知らん顔をしている。義捐などは恐らくしそうにない。せんだって東北凶作の義捐金を二円とか三円とか出してから、逢う人毎ごとに義捐をとられた、とられたと吹聴しているくらいである。義捐とある以上は差し出すもので、とられるものでないには極まっている。」

義捐とは、差し出すものという意味になる。現在の義援は、援けるという字が使われるのは自分の方が援ける側であるという自覚で義援するものです。しかし、少し前までは自分が損をするということを義捐とします。これは結構、感覚が異なるのは想像してみればわかります。

義援は援助できるところまでに対し、義捐は損ができるところまでということ。この援けるという字と損するという字、意味が完全に異なっています。

私はこの「損」をするという字は、悪い意味に思っていません。みんなで損をする、言い換えれば「徳」を積もうということになるからです。それを言い換えれば、義徳金ともいえます。

損をするというのは、自分の大切なものを差し出していくことです。現代は、得に対しての損といった相対的な損になっていて、みんな損はしたくないと思うようになりました。損することがもっともよくないことのようにも語られ、正直者が損をするとまでいいます。

しかし果たしてそうでしょうか。

本来は、損をすることは徳になります。まずは自分から損をして徳を選んでいく生き方、本来の子孫たちへのよりよい社会のために自分から損を選んででも徳を積んでいくような生き方。そういう義徳がこれから必要だと私は思うのです。

義徳金というものを、これから徳積ではじめようと思っています。

みんなが損をする覚悟で、世の中のために徳を積むのならきっと未来の子孫たちに偉大な財産を譲れます。まさに、情けは人のためならずのことわざ通りに必ず巡り巡ってその損は自分や家族に還ってくるからです。

改めて、この時代の価値観を毀すような実践を楽しんでいきたいと思います。

ひな祭りの甦生

現在、桃の節句でひな祭りの季節です。この節句というのは、中国の暦法で季節の節目のことをいいます。有名な五節句は1月7日の人日の節句、3月3日の上巳の節句(桃の節句)、5月5日の端午の節句、7月7日の七夕の節句、9月9日の重陽の節句になります。

この節句の節の定義は、奇数が重なるときに陽が重なり陰になるということからその禍を避け邪気を祓うためにはじまったものです。それが日本の農耕と合わさり、日本の伝統行事に昇華され今に至ります。

一時期、明治新政府が五節句禁止令というものを出しましたが実際にその時には今までの伝統行事を急にやめることはなく継承されたといいます。しかし今は、ご節句禁止令など出てなくても次第にその行事が失われてきました。

本来、意味があったものが意味がないものにされることでそのものの本体が喪失します。意味を伝承してきたことが本来の伝統行事でありそれが流行に流されたり経済効果だけを優先するなかで失われてしまうことはとても残念です。そもそも行事は何のためにあったのか、そしてその意味や由来はどうだったのかは実践する人たちが後ろ姿や口伝などで示していくしかありません。

子どもたちへ籠めた願いや祈りがそのままに未来にまでつながっていくことを信じるばかりです。

今週末は、「流し雛」というものをやってみようと思っています。この流しびなは、ひな祭りのルーツになったものと言われています。これは「源氏物語」にも出てくる話で、人型の形(かたしろ)を舟に乗せ須磨の海に流したそこには記されます。

むかしは、病気は禍いや祟り、邪気のようなものと恐れられていましたからそれを祓い清めることで福にできると信じていました。特に自然界の植物にはいのちが宿ると信じられていましたから、その自然物を自分の「形代(かたしろ)」にして悪い箇所(痛みのある部分)にその形代を撫で付けて痛みをうつし川に流していたといいます。これが雛祭り(雛人形)につながっているといます。

今は木の葉や自然物を用いた「形代」を使わずに「桟俵(さんだわら)」という藁で舟をつくり、その中に紙粘土で作ったお人形と願い事を書き入れた紙を一緒に入れて川に流すという具合に発展しているといいます。

しかし本来は、葉っぱや植物、その他の形代を流すことで穢れを海に沈めてもらおうとしたのです。私は神社をお祀りして祝詞をあげだしてわかりましたが、大祓祝詞の中にも、数々の神様が川から海に穢れをもっていって清め流して沈めてくれて取り祓うと記されています。

日本人は、いのちや魂を信じていてそれが依り代としてこの世に出てきたり、形代として移したりできると信じていたのです。私の先祖の土師氏も、埴輪などの土器をつくりそこに息を吹きかけて形代にして埋葬することをやりました。

いのちの移し替えをすることを知っていたように思います。ものづくりをする人たちは、自分たちの想いがモノに宿ることを知っています。これもまたいのちの移し替えり、私たちはこの世にでて多くの形代を持っているのです。

今の伝統行事がどのように受け継がれてきたか、みんなよくその意味を学び直す必要があるように思います。意味がある行事を意味のないものにするのは、それを深めたり磨いたり、探求したり本質を学ぼうとしなくなるからです。忙しくなる理由は、そうやって実践することを怠ることでさらに心は迷いわからなくなるからです。

どんなに忙しくても、伝統行事を丁寧に丹精を込めて取り組めば暮らしの柱はそこで支えられます。本来の日本人の生き方、そういうものが正しく子孫へ伝承できるように実践を積み重ねていきたいと思います。

室礼の本質

来週、古民家講習会の3回目で室礼について行います。この室礼は大和言葉であることはブログで書きましたが改めて飾ることと室礼することの違いについて少し書いてみようと思います。

飾るという言葉を辞書で引けば、「1 他の物を添えたり、手を加えたりするなどして、美しく見せるようにする。装飾する。「食卓を花で―・る」2 物を、人目につくように工夫して、置き並べる。「商品をウインドーに―・る」「雛人形 (ひなにんぎょう) を壇に―・る」3 表面をよく見せる。取り繕う。「体裁を―・る」「―・らない人柄」「言葉を―・る」4 りっぱにやり遂げることによって、価値あるものにする。華やかさやすばらしさを添える。「白星で初日を―・る」「有終の美を―・る」「歴史の一ページを―・る壮挙」5 設ける。構える。「高座を―・ってくだされ」〈狂言記拾・泣尼〉」(goo辞書)とあります。つまりは、美しくするために飾るということです。

それに対して、室礼を辞書で引けば「1 「設(しつら)え」に同じ。「テーブル設いをする」2 (「室礼」「補理」とも書く)平安時代、宴・移転・女御入内などの晴れの日に、寝殿の母屋や庇(ひさし)に調度類を配置して室内の装飾としたこと。室礼(しつらい)は、鋪設とも書き、建具や調度を配置して、生活の場、または儀式の場を作ることである」(デジタル大辞林)とあります。

飾るだけではなく、儀式の場をつくるとあります。この儀式の場とは何かということです。この儀式は、公事 (くじ) ・神事・祭事・慶弔などの、一定の作法・形式で執り行われる行事。また、普段の生活での行為とは異なる特別な行為のことです。

単に装飾するだけではなく、そこに信仰や信条、宗教、哲学などが入っているということです。

例えば、今年の場の道場のトイレの室礼には「赤べこ」をしつらいしています。これは丑年と疫病除けに縁起があります。ほかにも、厄除け大三元大師のお札もあります。暮らしの中で私たちは信仰をしてきた民族ですから、数々の行事はすべて室礼とともにあります。

今月の例大祭では、玄関には松竹梅の門松を祀り、お社周辺のしめ縄や素焼きのお皿なども新しくし飾るだけではなく御水を汲みにいき、丹精を籠めた神饌をお供え、丁寧に磨き清浄にして場を整えます。そして直来で伝統の赤飯餅を用意し、ぜんざいを振る舞うのもまた室礼の一部です。

つまりこれらは単に綺麗に飾っているだけではないことはわかります。飾っていることと他に信仰が入っているのです。信仰心がある人は、単に飾る以上の心を用いていることがわかると思います。。意味があるものを意味のあるままに大事に祀り続けるのです。これは縁起を大切にしてきた民族だからです。

そうしたご縁があったものは単なるモノではなく、お祀りしていく神様となります。私が取り組んでいる暮らしフルネスの暮らしの柱は、この日本的な伝統の精神にあります。聴福庵も場の道場も徳積堂も、祐徳大湯殿もみんなその神様のようにお祀りしてしつらえています。

その室礼に感動してくださった人たちが、日本人のかつての懐かしい暮らしを思い出してくれて伝承をしてくださっています。

今回の講習では、実践を観ていただきながらなぜ古民家甦生が意味があるのかを伝えていきたいと思います。