柿渋講習

昨日は、無事に柿渋講習を実施することができました。コロナ禍で人が集まることが難しくなっていますが、もともと柿渋にはウイルスを除去する効果がある伝統的な日本の知恵でもありますからまさに今やるべきとも感じています。

先日、ある報道で柿渋がコロナウイルスに効果があることが発表されました。

「奈良県立医科大学は、果物の渋柿から取れる「柿渋」が新型コロナウイルスを無害化させるという研究結果を発表しました。柿渋は、渋柿を絞って発酵・熟成させたもので、古くから塗料や染料などに使われてきました。奈良県立医科大学は、新型コロナウイルスと唾液に、純度の高い柿渋を混ぜて10分間置いたところ、ウイルスが無害化したと発表しました。飴やラムネなどに柿渋を混ぜて口に含むことで、新型コロナの感染を予防できる可能性があるということです。(奈良県立医科大学免疫学・伊藤利洋教授)」

柿渋のタンニンの成分の中にその効果があるとのことです。このタンニンとは、渋みのことです。この渋みと柿が合わさって、柿渋と呼んでいます。

また広島大学大学院の研究で柿渋が広い範囲の種々のウイルスを強力に不活化できることも発表されました。具体的な12種類のウイルスに対して効果を判定し、柿渋とそのほかの植物由来のタンニン7種類との抗ウイルス能力の比較を行い柿渋のみが調べた12種類すべてのウイルスに対して強い効果があることを示したといいます。

つまりすべてのウイルスを完全に不活性化したのは柿渋のみでした。研究グループでは柿渋の抗ウイルスの能力の作用機構を調べるとウイルス表面蛋白質に柿渋が結合しウイルスを不活性化していることも発見されています。また効果の持続を確かめるため、2年間の劣化でも柿渋の抗ウイルス作用は失われないことが示されたといいます。

まさに、ウイルス対策にうってつけのものがこの柿渋なのです。

昨日の参加者の一人からも、むかしの御医者さんが火傷でも柿渋を塗って処置していたといいます。雑菌の繁殖を防ぎ、そして自然由来で人体には無害。これほどの薬のような存在が今まであったことを人類は再確認する必要があると思います。

先人たちはこの柿渋の知恵で、様々な怪我や病気、防疫に役立ててきました。今、なぜ柿渋講習なのかと思われるかもしれませんが本来は有事の時だからこそ今こそ柿渋講習なのです。

子どもたちにも自然の知恵が身近に活用できるよう、引き続き伝承をしていきたいと思います。

真に豊かな暮らし

現在、持続可能な環境をつくろうと世界では様々な挑戦が続けられています。このまま資源が地球から枯渇してしまえば、未来の子どもたちは今のような生活を維持していくことはできなくなります。

この資源はすべての生き物たちにとっても大切な生活の糧ですからそれが人類によって著しく失われていけば、この世は繋がりの中で共生し合っていますから共倒れになってしまいます。

そうならないようにどうすればいいのかを、経済活動と並行しながら今の暮らしを維持しようとみんな藻掻いていますが実際には根本的な解決に至っているものはまだ見いだせていないようにも感じます。自転車操業的な文明の進化は、競争や対立によって拍車がかかるばかりです。どのみち、いつかは立ち止まる機会を得ますからそれまでにやり直す準備を進めなければなりません。

人類史の長い歴史の中では、文明の崩壊による新生は何度も繰り返されてきたことでもあります。その都度、何がよくなかったかを検証して私たちの先祖も改善を続けてきました。それを見倣い、取り組んでいくことで根本的な解決策をまた見出していくのも今の世代を生きる私たちの使命です。

私は日本の伝統文化と接する機会が増えていますが、この日本の先人からの伝統的な文化の中にはその仕組みや知恵が入っていることが分かります。

例えば、「永く使う」という暮らしもまた自然の資源を枯渇しない仕組みです。現在は、安く大量に何でも便利につくれますが流行が過ぎればすぐに廃棄しています。いくらリサイクルしたとしても、資源の消費のスピードが短く、結局は捨てるまでの期間を少しだけ伸ばしているにすぎません。

本来は、「捨てない」暮らしを実現していて先人たちはもともと「永く使う」ことを前提にしてものづくりをしていきました。そのために防腐防カビの智慧や、手入れする智慧、自然物の徳性を上手に活かす智慧などを活用してきました。

これは限りあるいのちや資源を如何に最期まで使い続けるか。言い換えるのなら、寿命というすべてのいのちが天寿を全うできるように自他に思いやりをもってこの地球での生活を営みました。

そこにはいのちへの深い感謝と思いやりがあり、いつまでも一緒にこの世で暮らしを共にしながら助け合い支え合い生きていこうとするような大家族への優しさに満ちている生き方をしているのです。

人類は本来は、地球上のどのいのちよりも周囲のために思いやりをもって接してきた存在ではなかったかと感じることがあります。だからこそ、自然を美しくする、また生きものたちを尊重して活用する技術に長けたのです。

今更かもしれませんが、こんな今だからこそ「いのちを大切にする」ことをもっと行動で示す必要があると私は思います。私の暮らしは、古いもの、本物に囲まれた有難い環境があります。

この場、この時、この人たちと一緒に、真に豊かな暮らしを実現していきたいと思います。

道は一つ

ミッション(理念)とは生き方の事です。どのような生き方をするか、それを保つためにどのような経営をするか、理念経営とは、理念が優先であってそれに合わせて経営を工夫するということです。

よく経営を優先して理念があとでという事例を見ますが、これは理念経営ではないことはわかります。本来、何のためにやるのかが本であり、末にどのようにやるのかが決まります。本末が転倒してしまわないように、常に初心を振り返りどのように取り組んでいくのかをみんなで真摯に実践していくしかありません。

そしてそのミッション(理念)を砥石に、振り返りながら磨いていくことで生き方を高め生き様を伝道していくことができます。そうすることで、一つの組織がまるで生きもののように生き様を共にする人たちによって人格のような姿が現われてくるのです。

稲盛和夫さんはこういいます。

「リーダーの行為、態度、姿勢は、それが善であれ悪であれ、本人一人にとどまらず、集団全体に野火のように拡散する。集団、それはリーダーを映す鏡なのである。」

つまりリーダーの生き方、またその生き方を共にするスタッフたちがミッション(理念)を共有し生き方を実践すれば企業に格(社格)ができるというのです。

さらに稲盛さんは、「人を治めるには、権力で押さえつける「覇道」と仁、義などの「徳」で治める「王道」とがあります。私は、やはり人間性、人間の徳をもって相手の信頼と尊敬を勝ち取り、人を治めていかなければならないと思っています。」といいます。

もしも覇道になれば、ミッション(理念)を凶器のように使われて権力の一つの道具になります。しかしもしも、このミッション(理念)が徳で使われるのならスタッフが自分たちの魂を磨き、人格を高めるお守りのようになります。

私は後者のためにミッション(理念)を使っているのであり、私の提案する仕組み(智慧)は自然に徳が穏やかに沁み込んでいくように日々の内省を通して自己の精神性を洗い清め高め合いながら自立と協力を促していくようにしているのです。

それはミッションページやミッションリーフレットなど、ミッションとつく物はすべてこの「徳」による王道の智慧を活用したものです。

まずは自己の脚下の実践からということで、弊社ではミッションブログに始まり、内省、一円対話、讃給などあらゆる仕組みを実証しています。

覇道でいくのか王道でいくのかと対比されますが、本来の道は一つです。

人類は魂をどう磨くか、磨き方は自然から学び直すことが一番です。自然の徳に包まれ見守られて生きている私たちのいのちだからこそ、その徳に報いていきたいと思います。

色を醸す

私たちが通常眺めている「色」には様々な意味が存在します。この世には、無数の色があり同じ色と思っていても自然界では千差万別な色で構成されています。私たちが馴染みの深い色には、その色の持つ歴史があり、私たちは暮らしの中でその色を眺めては心のつながりを深めていったように思います。

例えば、私は黒が好きで黒をよく使います。黒といっても、日本には数多くの黒が存在します。漆黒の黒であったり、灰色がかった黒であったり、他にも鳥羽色といった藍がかった黒があったりと、同じ黒でも色合いが異なります。

私が特に好きな黒は、炭の黒ですが穏やかな気持ちになる墨の黒は心に何かを伝えてくるものがあります。また煤から取り出す黒もまた格別です。この煤は、炭火が消えたあとののこり、その煤ですがなんともいえない深い味わいのある黒に変化していきます。渋墨という柿渋と松煙を混ぜた伝統塗料の色も、うっとりする黒を醸し出します。

むかしから色には意味があると信じられてきました。代表的なものに五色というものがあります。これは古代中国の陰陽五行説から渡来したものです。この陰陽五行説は、この世のすべては陰陽と木・火・土・金・水の五行で成り立つという思想です。

これは自然界を構成する代表的なものを分類し変化や調和を学んだのでしょう。易経や風水もこの五行を参考にされています。この五行の五色、ここから木=青、火=赤、土=黄、金=白、水=黒(玄)としたのです。

自然界の変化には色があります。例えば、先ほどの私の炭色であれば夜の暗闇の中にこの炭色は浮き出ます。同じ黒でも、闇の中の炭の黒は暖かい黒であり、見分けがつくほどに炭は存在感を出しています。また黒と赤は相性がよく、観ていると和むのは炭に火が灯ると黒と赤の絶妙な明かりが周囲を包むように照らすからです。

火と水の調和から産み出される色合いに、私たちのいのちはその何かに感応していきます。色はまた感情も顕します、あらゆる色合いのなかで私たちはまた自然に透明な色に回帰してそこからまた色が産み出されていきます。

色は私たちの変化の証であり、いのちの活動の動静や明暗を伝えるものです。自分に合った色を知ることは、自分の環境をととのえていくのにはとても大切なことです。私は和色が好きですから、古いものを磨き、深い色合いが出ているものを身近に置きたくなります。

年数がたてばたつほどに色合いは深く濃くなり、一つの色の中にあらゆる歴史が凝縮されて色が醸します。色々な人生を色々な感性と共に歩み、それを和して顕現させていく。子どもたちがどんな色を楽しんで醸していくのか、今からとても楽しみです。

 

ご縁が解ける

仏(ほとけ)という言葉があります。この語源を調べると、それぞれの辞書で内容は異なりますがブリタニカ国際大百科事典には「仏陀のこと。語源は,煩悩の結び目をほどくという意味から名付けられた,あるいは仏教が伝来した欽明天皇のときに,ほとほりけ,すなわち熱病が流行したためにこの名があるともいわれる。日本では,死者を「ほとけ」と呼ぶ場合もある。」とあります。

シンプルに言えば、執着を取り除いた姿が仏(ほとけ)の象徴とされたように思います。強く握りしめていたこうでなければならないというものを、手放し融通無碍に来たものの全てを受け容れて受け止めるときこの仏(ほとけ)に近づいていくということかもしれません。

小林正観さんの著書にこの仏(ほとけ)についてわかりやすい内容で紹介されています。

『執着やこだわり、捕らわれ、そういう呪縛から解き放たれた人を、日本語では「ほとけ」と呼びました。それは「ほどけた」「ほどける」というところから語源が始まっています。自分を縛るたくさんのもの、それを執着と言うのですが、その執着から放たれることが出来た人が仏というわけです。ところで、「執着」とは何か、と聞かれます。執着というのは、「こうでなきゃイヤだ」「どうしてもこうなってほしい」と思うことです。それに対して、楽しむ人は、「そうなってほしい」のは同じなのですが、「そうなったらいいなあ。ならなくてもいいけれど。そうなるといいなあ」「そうなると楽しいな」「そうなると幸せだな」と思う。「こうでなきゃイヤだ」と思ったときに、それが執着になります』(だいわ文庫)

想いの強さは時として、それが執着になっていきます。情熱がありすぎると正義を振りかざしたり、自信がありすぎると思いやりに欠け過信にもなります。なんでも片方に過ぎることが時として調和を崩すことがあり、その都度、自己の執着を手放すようにと何か偉大な存在に見守られながら諭されていきます。

人生は誰もが一生涯修行であり、どんなときにも自分の中にある執着と対話してそれを手放すという修練が求められていきます。その中で、人は深いご縁ほどにつながりもまた深くなります。

一つ一つのご縁の中では、誤解もあれば了解もあります。しかしそのどちらも、いつの日か時が経てば解けていき真実が顕現していきます。未熟だった自分を反省し、改善していくことで人はさらに成長していきます。そういうご縁をいただいていること自体が感謝そのものであり、深くご縁に見守られていることを実感します。

子どもたちが憧れるような未来を遺していくためにも、今を直視して日々に弛まずに怠けずに逞しく嫋やかに実践し、思いやりを忘れず優しい心で歩を進めていきたいと思います。

結の甦生

藁葺のことを深めていると、むかしの相互扶助の共同体の「結」のことにつながります。今では金銭でなんでも解決するような生活になってきていますが、むかしは貸し借りを金銭ではないもの、つまりはお互いの義理人情のようなもので支え合っていました。

もちろん、今でも義理人情はありますがむかしは見返りを求めずに助け合うという根底には「徳」というものの考え方によって人々が助け合い支え合うという土着文化がその地域を安定させていたとも言えます。

例えば、先日の藁葺でもみんなに声をかけて集まってもらい集まった人たちで助け合いながら藁葺職人たちと一緒に屋根を修繕していきました。懐かしさを感じるのは、こうやって金銭ではなくみんなで助け合い支え合うところに暮らしの原点があるということです。

中部地方の合掌造りの茅葺屋根の葺き替えは「結」の制度があり、ウィキペディアによると今でも下記のような手順で藁葺を進めているようです。

「作業の3年以上前から準備が始まる。屋根の面積から必要な茅の量と人員を概算する。作業の日取りを決め、集落を回り葺き替えをいついつ行うので手伝って欲しいと依頼する。予め作業に必要なだけの茅を刈って保存しておく(そのための「茅場」を確保してある)。役割分担を決める(茅を集める者、運ぶ者、茅を選別する者、縄などその他道具を準備する者など)。上記は専ら男性の作業である。女性は作業に従事した者達への食事、休息時の菓子、完成祝いの手土産の準備を行う。屋根の両面を同時に吹き替えることはほとんど無く、片面のみを2日間で仕上げる。1日あたり200人から300人の人手が必要となる。100人以上が屋根に登るさまは壮観である。」

金銭であれば1000万以上かかるものを、無報酬で協力し合って村人たちで行われているといいます。

以前、この「結」のことである方に聴いたことがあるのは「むかしの人は自分が受けた恩義をいつまでもお互いに忘れない、それが先祖代々、「結帳」に記入してあれば子孫の代になっても口伝、もしくは記録しいつまでもその人たちのことを協力するという考え方があったことです。恩義を中心にして、無条件でお互いに支え合うというのは「徳」のつながりのことであり、私が取り組むブロックチェーンの概念と同様です。

貸し借りとは、金銭的なものだけを言うのではありません。等価交換できないもの、それもまた恩義でありそれは生き方が決めるものです。感謝し合う人格が磨かれた地域であれば、その地域の文化はみんなで恩義の質量を高めていくことができます。

つまりは徳を中心にした思想によって、相互扶助の豊かさを実現していくことができるのです。この豊かさといういうものは、現代のような物質的な豊かさではないことはすぐにわかります。

これはまさに人がこの世で安心して暮らしていくために絶対不可欠な安心基地を持つ豊かさの事です。そして見守り合い徳を分け合う暮らしは子孫たちの安心にもなり、先祖たちもその繋がりに恥じないよう、またいつでも顔向けできるようにと協力を惜しまずに恩送りをするのです。

等価交換できないものを持つというのは、心で繋がり深く結ばれていくということです。これが和の原点であり、結の意味でしょう。

「結」の甦生は、これからの時代の新しい真の豊かさにおいてかけがえのない大切な実践項目です。むかしの豊かさから学び直し、原点回帰していくことで日本人の甦生、日本の甦生、そして世界の甦生を促していきます。

これは現代を全否定するのではなく、あくまで原点回帰して本物や善いものは持続しながら文明を調和させていくということです。ブロックチェーンで私が取り組むことはこの新しい豊かさの甦生です。

引き続き、子どもたちのために志を磨いて挑戦をしていきたいと思います。

 

和の心

今回、藁ぶきの古民家の甦生をしていますが家から学ぶことが多くあり新鮮な気持ちで取り組んでいます。今まで、ただの雑草と思えていたものでも家で活用していく現場を観るとそれが大切な資源であることがわかります。

例えば、藁ぶきの藁や、萱などもススキやヨシのように草刈の対象でみると厄介な存在ですが資源でみるととても価値があるものに換わります。

本来、私たちは無駄な資源などというものはなくすべて自然からいただくものは大切な資源でした。その資源を無駄にしないように、なるべく旺盛に生えてくるものから活用し、時間をかけて少量しかないものは特に丁寧に手入れをして使いました。

竹や杉、この萱などは毎年旺盛な繁茂力がありますから手入れをしないとその場所が荒れ果てていきます。なので小まめに収穫し手入れをしてその資源から暮らしの道具を編み出していきました。竹細工、わら細工、木工品はすべてこの資源の活用方法から生まれた智慧の産物です。

そして何十年もかけて育てた森の木は、大黒柱にしたり梁や棟などに使い何百年も持たせる家の素材などにしました。資源を如何にきちんと使い切るか、そして資源を育て続けるかに注力してきたからこそ暮らしが守られたのです。

現代は、価値がある資源は競争して取り合って掘り出していきます。石油などもなくなるとわかっていても、誰もその競争を止めようとはせずに使える分だけ使い切っていきます。そうしているうちに、資源がなくなればどうなるのか。予測はついていても、経済を優先して誰も何も変えようとはしません。

資源が枯渇するとわかっていても、広い地球を移動すればその資源はいくらでもあるだろう、なければ宇宙に出ればいいと思っているかのようです。しかし、日本は古来から島国で資源が少なくもしそこで大量に摂取すれば島ごと生態系が失われる経験をしてきました。

だからこそ、水を溜めるために田んぼをつくり、生態系が豊富になるようにお米をつくり、山と川と海のバランスが整うように人間が「暮らし」を調和させて自然の営みの支援をしていったのです。

こういう視座があったからこそ、瑞々しい風土が醸成され、豊かな感性と「和」の心が育ってきたと私は思います。

和の心は、いのちを大切にしていきます。それは限られた存在、愛おしい存在に対して自分自身から自然に近づいていき自然とともに末永くこの風土に存在していきたいという思いやりから発心しているように思います。

何千年も続けてきた先人の生き方に倣い、この今こそ学び直して子どもたちに伝承していきたいと思います。

全体最適の暮らし

最近は、専門性を高めるために分業化が進みましたがその分業化によって大切な本質を見失うことが増えてきたよういも思います。全体最適あっての部分最適ですが、部分最適ばかりを追いかけているうちに全体最悪のようなことが発生してきているように思います。

例えば、縦割り行政なども同様に専門性は高まりましたが横連携がなく無駄や無理、ムラばかりが発生して結果的に対立構造の中で協力しにくい雰囲気が出てきます。それぞれに正論をいっても結果として何も進まないとなると国民の怨嗟の声も増すばかりです。

私たちの伝統文化を深めていると、これらの文化はすべて暮らしの中で醸成されてきたものであることがわかります。

先日から茅葺職人さんたちと共に現場で作業をしながら話をしていると、やはり伝統の畳職人さんの時と同じく地産地消、その土地でとれた作物でつくりその場所で循環させるということを大切にしていました。

これはすべて中心に「暮らし」が入っており、暮らしのないところに本来は伝統文化も職人もないということです。

現在は、全体最適の暮らしではなく部分最適の経済ばかりを追いかけています。そうすると、本来の全体を調和していたものがなくなりお金を儲けるための職人技ばかりがフォーカスされてしまいます。

つまり、テクニックばかりが競われ、先ほどの「暮らしの中での」というところが切り離されてしまうのです。現在は、海外の遠いところからわざわざ材料を集めてそれが生活の中で提供されます。スーパーの刺身などを見てもわかりますが、ほとんどが遠い国からきているものばかりです。

暮らしは本来は、その土地でその場所で身近なところでみんなで循環しながら永続させるものです。暮らしの智慧とは、まさにこの持続する仕組みであり、持続しない仕組みにならないように百姓たちがあらゆる職種を縦断しみんなで専門性を深め、多様な個性を発揮してその土地の文化を醸成していったのでしょう。

その土地土地に伝統文化が育づくのは、先人の智慧がそこで磨かれ高まり守られてきたことの証です。

何が本来の「和」なのか、「和」の本体とは一体何か、私の取り組みを通して実現させていこうと

懐かしい国

昨日、藁ぶきの古民家の藁を片付けているとむかしの手紙や書類が藁と共に残っていました。そこのはがきの住所には、今の地名になる前の住所が書かれていました。それは単に市町村合併で名前が統合するのではなく、国としての単位が変わっていますから余計にそれを感じたのかもしれません。

私の郷里は、もともとは神話の時代は豊国に属していました。そして筑前国になり今の日本国になります。もともとは九州に属していますがむかしは筑紫島、その後に九州島と呼ばれていました。

具体的には筑紫、豊、火、襲(そ)の4国にはじまり、701年以降は西海道として大宰府が筑前、筑後、豊前、豊後、肥前、肥後、日向の7国と壱岐、対馬の2島を統轄する体制になり、薩摩、大隅を入れて9国と2島に分かれてから九州になりました。

日本国はそもそも島であり、その島がいくつも連なって国のカタチを持ちます。国という単位は、律令制で朝廷が定めていたとしてもその頃は国といっても自分の住んで歴史とつながっている場所の感覚しかなかったかもしれません。頭で考える国というものと、そもそも感覚で理解した国は別もののように思います。その感覚は、郷土への郷愁というか懐かしい故郷とのつながりのようなものかもしれません。

郷愁を辞書で調べると、「 他郷にあって故郷を懐かしく思う気持ち。ノスタルジア。「故国への郷愁を覚える」「郷愁にかられる」そして過去のものや遠い昔などにひかれる気持ち。「古き良き時代への郷愁」とあります。

ふるさとを懐かしみ、そのふるさとを守るため生まれ育った文化や伝統を大切に先祖からの智慧や暮らしを大切に受け継いでいこうとする祈りに近いものが国という認識だったのかもしれません。

藁葺の古民家の甦生を通して、今回のメッセージは何かとても大切なことを伝えてくださった気がします。なつかしい故郷を甦生させていくのは、その懐かしい国を甦生させていくことです。

引き続き、丁寧に過去を紡ぎながら懐かしいものを甦生させていきたいと思います。

心組み

人に得意不得意があるように、物事にもメリットデメリットがあります。それをよく見極めていくことで、できることできないこともまたわかってくるものです。

何かが良くないと一方的に決めつけてしまえば、本当に良いことがわからなくなります。よくよく現実を直視して、冷静に判断していくには自己と本心と素直に向き合い、本当はどうなのかということを突き詰めていく必要があります。

本質の深堀りや真理の探究というものは、学問していく上でもとても大切なことです。

例えば、違いを認め合うというのは問題を見つめるときに効果を発揮します。お互いに対話を通して、何が異なっているのか、何が共通しているのかを可視化して整理していくことで本質が観えてきます。

その本質が観えれば、その違いを活かすことを考えて配置することで一つのチームが仕上がってきます。チームには、それぞれに共通の目標があり役割分担があります。お互いに違うからこそ、活かし方があり、その活かし方が百通りも千通りも出てくるのが共働の智慧です。

むかし、今のような個人主義や縦割り制度ばかりではない時代にはきっとみんなで協力し合っていい塩梅を探し、もっともちょうどいいところの解決方法をたくさん持っていたように思います。つまり多様な問題を多様な解決方法でそれぞれに臨機応変に対応したはずです。ゆるい公共のつながりが、現場の間であったからこそそういうことも可能だったのでしょう。

私も現在の世の中の仕組みを憂いていながら何かが良くないと決めつけてしまうことがあり、制度のことや個人主義が云々とそれが悪いとだけをいっても物事が変わることがないことを実感します。もっと謙虚に全体のことをよく知り善く学び、調和する方法を模索していくことの方が変化を支援できることに気づきます。

法隆寺の宮大工の口伝というものがあり、そこにはこう記されます。

「塔組みは、木組み木組みは、木のくせ組み木のくせ組みは、人組み
人組みは、人の心組み人の心組みは、棟梁の工人への思いやり
工人の非を責めず、己れの不徳を思え」

法隆寺五重塔は1300年の歴史で美しく免震構造もあり今でも建築技術の智慧の結晶で大工のバイブルのようなものです。大工さんだけでなく、あらゆる職人たちを束ね一つの建物を立てる。専門性が高いからこその癖もこだわりもあったでしょう。そういう人たちを癖をよく知り、よく学び、心を組み合わせていく調和こそが五重塔を立てたのです。

謙虚に思いやりをもって己の不徳を思へというのは、いつまでも身に染みる言葉です。批判することは簡単ですが、実際にはそれを乗り越えてでも謙虚に低姿勢で徳を積んでいくことで調和を促していく方が努力が要ります。

学んだことを次に活かすためにも、真摯に一歩一歩挑戦していきたいと思います。