野見山広明-子どもたちの未来を願い徒然なるままに書き綴るカグヤ社長の惟神の道blog。

仏陀の絆

現代の私たちはあまりこの150年の間の歴史を知りません。明治に入り激動の時代を超えて今がありますが、この150年間で一体何が起きて何が変わったのかを検証されることもなく前へ前へと進むことばかりに注力してきました。

しかし、時代が変わっても忘れてはいけないものがありますし、今の私たちがなぜこういう生活ができているか、その御恩もいつまでも覚えておく必要があると感じるからです。「懸情流水受恩刻石」という言葉があります。これは受けた恩は石に刻み、かけた情は水に流せというものです。人として、いつまでも恩を忘れす、恩に報いていこうとする生き方は子孫繁栄のためにも大切なものです。

明日、スリランカから来客があり英彦山でおもてなしをする予定があります。

このスリランカというのは、実は私たちは大変な御恩があります。それは1951(昭和26)年9月6日午前11時からのスリランカ代表のJ・R・ジャヤワルダナのサンフランシスコ講和会議です。

実は私たちの日本は、第二次世界大戦の敗戦後、分割統治をされバラバラになるところでした。今のように一つの島国ではなく、ありとあらゆるものが解体され日本という国も失われる寸前でした。戦争に負けるというのは、大変悲惨なものであり歴史をみると文化も人も財産もすべて消失するほどの出来事に遭遇するものです。

その大事な局面が、サンフランシスコ講和条約でした。世界から49か国が署名してくれて私たちの国は主権を回復しました。そこには先ほどのスリランカの故ジャヤワルデネ元大統領が対日賠償請求権の放棄などを訴えた演説がありました。その演説がなければ、今の日本はなかったほどです。こんな大切な徳のことを子孫へ伝えないのは恥ずかしいことです。

その演説では「憎悪は憎悪によってやまず、慈愛によってのみやむ」との仏陀の言葉を引用して語られました。スリランカもまた第二次世界大戦の犠牲をたくさん受けており、損害賠償を請求する立場にあったにも関わらずすべてを放棄され仏陀の言葉を実践する演説をしたのです。他の国々もこの演説に感動して同意してくださった御蔭で、今の日本の主権は守られました。

先人たちが掲げた独立自尊の精神、本来、植民地で支配されるような世の中ではなくそれぞれが尊重しあう社会を求めて国々が平和を結んでいこうと感じたのではないでしょうか。もちろん、歴史ですからそこには大小さまざまな思惑などもあったかもしれません。しかし人の心を打つ演説にはその人の生き方が出ていますからこのJ・R・ジャヤワルダナ元大統領が目指した理想をみんなが共感したからに他なりません。

この方は、そのあとも日本と交流を続けられその後は「自分はこれからもスリランカと日本という二つの国の行く末を見守りたい。だから、二つの目の角膜の一つをスリランカ人に、もう一つを日本人に移植してほしい」と願い、そのこの遺言どおり、片目の角膜は群馬県に住む女性に移植されたといいます。

中国の老子に、「怨みに報いるに徳を以ってす」という言葉もあります。お互いに恨み憎しみあう先に、戦争はなくなりません。戦争をなくすというのは、愛と許しが必要ですがそれは一人からの勇氣ある行動によってからだと感じます。

戦争はいつの時代もいつまでも終わらないものです。憎しみや恨みは停戦しても失われず、溜め込んでは爆発し、冷戦のような陰湿なものになるだけで真の平和は訪れません。難しいことではありますが、平和のために人々はみんな一人一人の中で平和のために仏陀や老子のいうような実践を結んでいくしかありません。

私たちが日々の暮らしの中で、恩や徳に報いていこうとする生き方を実践することで世界の平和も革新していけるように私は思います。仏陀の教えに守られてきた日本とスリランカとの歴史や初心からこれからも平和の絆を維持していきたいと思います。

暮らしフルネス~もてなし~

もてなすの語源は、「以って為す」が由来といいます。何を以って何を為すのかは、その人が感応して決めるものです。例えば、聖徳太子は和を以って尊しと為すといいました。和こそ、何よりも尊いとみんなで取り組んでいこうとしました。

そしてある人は、真心を以って商いを為すといいました。何を以って何を為すか。これこそが、ここに道徳の極みがあるように私は思います。つまり、徳を以って道を為すということです。

漢字というものは、二つのものが一つになることでその意味を反復するものです。つまり同じ意味を成すことがあります。本来は反観合一であり、すべてのものは一つになりバランスを保ちます。一つに統合するには、何を以って何を為すかを覚悟して実践していくことで実現するように思うのです。

おもてなしというのは、本来は生き方のことです。その人がどのような生き方をしているか、そこに裏も表もなくその人が正直に自分を生ききることでその姿に人々が感銘をうけてその生きざまに感謝しているように思います。

生き方というのは、別に誰かに認められたいというものや見返りがあるものでもなく、効率も効果も意味も必要がなく、その純粋な純度の高い精神と実践で行われているものです。

つまり生き方を以って、人生を為すということでしょう。生き方が尊いからこそ、その生き方を優先してその人らしく人生を盡していくなかで心を味わうのです。決して、消費者に媚びたり、過剰なサービスをしたり、他人軸にあわせてやることを決めたりなどはしていないものです。現代のおもてなしも意味が変わってきているかもしれません。形だけが模倣され、中身がなくなったものが海外に文化として輸出されるもの残念なことと思います。

私はこの場所で、日々に暮らしフルネスを実践しながらご縁のある方々を自然体でもてなしています。いつも行っている実践を一緒に味わう。それだけですが、これが私のもてなしです。そして人生だけでなく仕事もまた、自分がこれが道だと感じることを愚直にやり続けます。評価もされず批判をされることもありますが、これが私のおもてなしであり生き方ですから徳を以って己を磨くことを為すものです。

子どもたちが日本人の生き方を伝承し未来に誇りをもって生きていけるように、丁寧に暮らしを紡いで背中で伝えていきたいと思います。

視野を広げる

塩野七生さんという歴史作家がいます。「ローマ人の物語」というローマの1300年の興亡を描き切った方です。私も読めていないのですが、文章のところどころに視野の広さや戦略のこと、政治と軍事のこと、本当に深く洞察されております。

歴史は、よく見直し洞察すると現代でも起きている戦争や政治の混迷などほとんど似ていることが発生します。似ているということは、過去から深く洞察し歴史から学べるということです。

「戦略は、現状を正確に把握していさえすれば 立てられるというものではない。 過去、現在、未来を視野に入れたうえで、 それらを統合して立てるものである。そうでないと、たとえ勝利しても それを有機的に活用することができない。 活用できないと、戦闘には勝ったが戦争には負けたということになってしまいがちだ。 「自覚」が重要なのは、これこそが一貫した戦略の支柱になるからで、 それが確立していないと、 戦争の長期化につながりやすい。戦争は、攻められる側だけでなく、 攻める側にとっても悪である。 「悪」なのだから、早く終わらせることが何よりもの「善」になるのだった。」

本来の戦略とは統合されているものということ。統合できる視野があることを洞察されています。今のウクライナやロシアの戦争もまた、どのように終わらせればいいか、どの視野でこれをリーダーたちが理解できるかどうかによります。

「兵士を率いて敵陣に突撃する一個中隊の隊長ならば、 政治とは何たるかを知らなくても 立派に職務を果せる。 しかし、軍務とは何たるかを知らないでは、政治は絶対に行えない。 軍人は政治を理解していなくもかまわないが、 政治家は軍事を理解しないでは政治を行えない。人間性のこの現実を知っていたローマ人は、 昔から、軍務と政務の間に境界をつくらず、この間の往来が自由であるからこそ生れる、 現実的で広い視野をもつ 人材の育成のほうを重視したのであった。」

政務と軍務も本来は統合されたものです。それを分業することで視野が狭くなります。広い視野とは、分けないということ。それは一体であるという認識を持つことです。違いを認め合い、お互いの持ち味を活かすことこそ視野の広さを醸成していきます。

組織を含め、分けていくのは簡単ですが分けることで視野はどんどん狭くなるものです。どうやって共生するか、そして統合し思いやりのあるいい状態を創造するかに視野は育つように思います。

他にも塩野七生さんの遺した言葉があります。共感するものばかりです。

「危機を打開するには、何をどうやるか、よりも、何をどう一貫してやりつづけるか、のほうが重要です。」

「戦争は、死ぬためにやるのではなく、生きるためにやるのである。戦争が死ぬためにやるものに変わりはじめると、醒めた理性も居場所を失ってくるから、すべてが狂ってくる。」

「 100%の満足を持つなんて、自然ではない。天地創造主の神様だって幾分かの不満足は持ったに違いない。本当の仕事とは、こんな具合で少々の不満足を内包してこそ、実のあるものになるのだと思う。」
「危機の時代は、指導者が頻繁に変わる。首をすげ代えれば、危機も打開できるかと、人々は夢見るのであろうか。だがこれは、夢であって現実ではない。」
どれも高い視野で語られている言葉です。ローマという国がどのように興亡したのか。そこには歴史の深い教訓があります。人類は今こそ、歴史に学び直す必要性を感じています。
身近な実践から見つめていきたいと思います。

今と暮らしフルネス

現代は、過剰な経済競争と都市化によって様々な心身の病気が増えています。また将来のためにとこうすれば幸福になれるという方法論や動機を増すことを教育やメディアによって日々に発信されています。先日、友人の送料がDOINGとBEINGの違いを説明していましたが、まさにどうすれば幸福になれるかといったDOINGばかりを躍起になっている世の中ともいえます。

そんな中、マインドフルネスをはじめ未病のために色々と工夫する方法なども増えてきています。おかしな話ですが、大金をはたいてマインドフルネスの体験をしてまわっているビジネスマンもいます。経済効率をあげ、さらに能力を発揮するためにマインドフルネスを活用するという具合です。それもまた先ほどのDOINGと同じではないかと思うのですが、今の世の中ではなんでも経済、なんでもお金にしないと評価されず、そして認められません。

そういう時代背景こそが病んでいるのではないかと思うのですが、現代は病気も個人の問題として社会や時代のことは他人事のようになっていますから結局はあまり改善することはありません。

私は暮らしフルネスという仕組みを考えて、日々に実践していますがそれは今に集中することができるからです。そもそもこの今に集中するというのは、日々の暮らしを調えていくということです。頭で考えていても、実際には日本古来からの暮らしを丁寧に取り組んでいたらあまり頭で考えるだけで時間を使うことはできません。

朝起床してから夜就寝するまで、実践することが多すぎて考えるだけの時間がありません。なので五感を用いて体を使って暮らしを実践していると気が付くと今に集中しているということになっています。

今から離れることで、人は不安になり体調が崩れます。生きているのが今ですから、今しかないのです。今ではないことを考えるのは、今から切り離されるからです。今に居続けるというのは、今を味わうということです。

頭でわからないことは実践することで身についていきます。引き続き、子どもたちのためにも今と暮らしフルネスを実践していきたいと思います。

経世済民と暮らしフルネス

徳が循環する経済をと取り組んでいますが、もともとはこの世はすべて徳が循環することでいのちが繁栄しているともいえます。経済を単なるビジネスという視点で観るのか、それとも経世済民というように暮らしや幸福として観るのかではその結果も目的も変わります。

そもそも貨幣経済は方法論ですが、はじまりは政治が深くかかわっています。つまり、どのように社会を修めていくかという仕組みです。これは、すでに中国で論語の大学で「古之欲明徳於天下者、先治其国、欲其国者、先斉其家。欲其家者、先脩其身」と示されています。有名な一説、「修身斉家治国平天下」です。

まず自らを修め、家を修め、国を修める道こそ天下が幸福になると。そのためには経済をどう修めるかということを説くのです。国東にある三浦梅園もまた、その著書、価原のなかで道徳と経済の意味を説いています。

この道徳経済の一致は、他にも二宮尊徳や渋沢栄一、石田梅岩なども同様に実践と意味を発信してきました。結局たどり着くのは、何のための経済か、そもそもこの仕組みの初心は何かということを忘れるから何度も時代を超えて説かれるのです。

人間は、置かれた環境の中で多くの刷り込みを受けます。今の時代であれば、お金持ちというだけで大きな立場が得られて誰からも勝手に尊敬されます。良し悪しなどは、関係なく社会のなかで大きな地位や名誉、立場をえます。しかし、政治を考えたとき、何を規範にするか、どう修めるかをみんなで取り組むことで本来の政治は調いました。

徳を実践する人がいない世の中になれば、どうなるでしょうか。便利さや効率、そして合理的な判断が優先され政治はずる賢い人たちが世の中を統治するようになります。国家が乱れ、戦争が起きるのはそういう状態になっているときでしょう。それは歴史が何度も何度も証明しています。

だからこそ、国を修めるためには先ほどの修身斉家治国平天下という道徳=経済、つまり経世済民の思想と実践が必要だと何度も語られるのです。人は、油断をすると実体がないものを実態があるかのように仮想かして現実を塗り替えます。自然と不自然がわからなくなるのもそこからです。

本来、何が自然であるのか、何が当たり前であるのか、そういうところから今を見つめ直し、どうあるべきかをみんなで考えて取り組むのが学問の本質のように私は思います。

子孫のことを思えば、先人がどのような道を歩んできたかを観てもらい、その道が今どのようになっているのかを検証する必要を感じています。つまり歴史に学び、故人の遺志を伝承するということです。

小さなところから、ご縁のあるところから、徳の循環する経済、徳積経済と暮らしフルネスを体験を通して弘めていきたいと思います。

郷里の食文化

福岡の郷土料理にもつ鍋があります。以前、東京に住んでいるときにもつ鍋を食べたことがありますがもつが美味しくなくびっくりした記憶があります。故郷や地元で食べた方が鮮度も味も抜群です。特に私は炭を使いますし、水も井戸水などだしもこだわりますから遠方からの来賓のおもてなしで喜ばれています。

このもつ鍋の福岡での歴史はそんなに長くはありません。もともとの起源は、終戦して間もないころに当時炭鉱で働いている朝鮮半島の人々がもつとニラを一緒にアルミ鍋で炊き、醤油味で味付けして食べていたところからだといいます。もともと朝鮮半島の料理はチゲもですが、ニラや肉や魚の内臓をいれて煮炊きします。日本では、動物の内臓はもともと食べないことが多く元々は捨てるものであるとされていたことから関西弁で捨てるものを「放るもん」ということから「ホルモン」と呼ばれるようになったといわれます。私たちの郷里でも、捨てることを放るといいますから関西弁ということでもないのかもしれません。

内臓を食べる料理というのは世界中にあり、栄養価が高く健康にも優れているということもあります。それに戦後の食糧難で、どんなものでも大事に食べて健康を保とうとした工夫からもあります。もともと薬膳鍋のような効果もあり、消化にもよく、疲労回復や美容効果もあるといわれます。

もつ鍋に使うそれぞれの食材が栄養豊富なので、もつ鍋一食で摂れる栄養の種類も多く一つの鍋で多種類のビタミン・ミネラルを一度に摂ることができる優れものです。

その土地にある歴史を感じながら食べるということを私たちはつい忘れがちです。本来は、その土地に何かの文化が創造されたからこそ食文化も誕生します。その歴史の上に今の私たちがいることを忘れてはいけません。

今、私たちが住んでいる町はそれだけ文化が誕生し今でもその文化を伝承し、さらにもう一歩、その文化を甦生し創造していくことでいつまでも食文化も発展していくように思います。食べるということは、本来は文化を伝承しているということです。

子孫たちへ食文化の誇りも伝承していきたいと思います。

病気の正体

現代人の病気のほとんどは、がん・脳卒中・急性心筋梗塞・糖尿病、そして精神疾患があります。どれも理由ははっきりしていますが、その環境は取り除かずに病気を退治しようとするのでこれらの病気を扱う病院はいつもいっぱいです。それに医療費の負担も増え、そのうち何のために働いているのかと気づくほどにみんな病気に近づいていくかもしれません。

本来の健康は、未病であり、病気にならないような暮らしを調えていくことによります。病気になる生き方には、他人軸といった評価や期待、空気を読みすぎたり、比較されたり自分に厳しすぎて自己を大切にしなかったことなどで頑張り無理がたたり心身が病んでいきます。もちろん、いくら気を付けていても自分のいる環境がそういうところにいる場合は知らず知らずのうちに影響を受けて病気になることもあります。

自分というものを大切にしていれば、環境の影響があっても自分というものを持ち続けることもできるかもしれません。しかし人間は弱いもので、欲望もあり感情もありますからそんなに強いメンタルを維持することはなかなかできません。

そういう時は、自分にもお手入れが必要になります。自分のお手入れというものは、日々に自己の心と対話をする習慣をもったり、身体の声を確認する時間があったり、あるいは環境を変えて心身を調える場に身を置いたりなど工夫はできます。

私の場合は、ライトワークとして徳の循環する経済圏を創生していますから意識的に水や火を用いて自然から離れないよう、不自然と自然が何かを常に確認する機会に恵まれています。そして場づくりで風水をよく感じて、気の流れが澱まないように気を付けています。そもそも病気というのは、気の流れの澱みから発生するのではないかと私は直感しています。気が流れれば、病気は次第に快復していくからです。

例えば水でいえば、澱むことで水は腐ります。私たちは水を纏い循環することで生きていますが、排水や排出ができないと病気になります。植物も同じく、水というものがいのちの中心でありその水の流れ方がどうなっているのかというのはとても大切です。

暮らしフルネスを実践していますが、これはメンタルヘルスにも大いに役立ちます。そもそもむかしの先祖たちは病気を一番、気を付けていました。今では仕事を一番気にして病気になるという悪循環ですが本来は健康であることが一番であったのです。

健康でなければ喜びもしあわせもありません。常に健康で自他が喜び合う中に徳もあります。子どもたちのためにも、暮らしフルネスを伝道して子孫へと先人の生き方の知恵を伝承していきたいと思います。

変化を味わう

人は自分の人生の経験をどう深く味わうかによってはじめてその意味を感じ取るように思います。あれこれと脳で考えて、良し悪しを裁くことがあっても本当のところはどう感じてどう味わったかはその人にしかわからないものです。

100人には100通りの人生があり、また同時に100通りの味わい方があります。それぞれに与られた自分の人生を、どう味わいどう感じるかはその人の主体性が必要です。よく自分軸という言い方もしますが、自分の人生をどう味わうか、その責任は自分で持つということでしょう。

誰かを比べて、羨ましがったり妬んだりしますがそれも味わうことを疎かにしていることだったりもします。自分がこの世に生まれてきて何を体験したいと思っているのか。喜怒哀楽そして苦労も多いですが、どれも必要なことが起きているともいえます。

そう考えてみれば、必要なことをすべて味わい盡していくためには素直さや謙虚さ、そして丸ごと含有できる寛容さや感謝があります。感謝というのは、思えば当たり前ではないことに気づくことのように思います。

少しでも体調を崩せば、当たり前だった健康が懐かしくなる。急に一人になれば、家族や仲間がいたことが有難いと思うようになる。これは雨が降らなければ雨が恋しくなり、降り続ければ洪水や土砂崩れなどの心配がくる。

人間の心や感情というものは、その時々の変化であちらこちらに移動していきます。しかしよく考えてみたら、心や感情が動くからこそはじめて味わい深いものに気づくともいえます。何も変化がなければ味わうことが難しいのです。

変化があるから味わうことができ、その変化に対してどう味わったかというのが私たちのもともと持っている感覚なのでしょう。すでにあるものに気付けるか、もともとあるものをもう一度思い出せるか。まるで記憶にアクセスするかのように、変化を体験し、その時の懐かしい味わいを思い出します。

人生は一期一会、その時、その場所、その人、そのご縁は一回きりで同じことは二度とありません。日々の変化を深く味わい、変化と共に唯一無二の今を味わっていきたいと思います。

徳の宝

明日の守静坊の夏至祭の準備で宿坊を調えています。もともとこの宿坊の伝承では、夏至に太陽の光を鏡に受けるという行事があったといわれています。今は、もう文献も残っていませんがそれを甦生させてみようと試みています。

本来、神事というものは形式が問題ではなくその本質が何だったかを学び直すことのように思います。繰り返し伝承されるものは、形式が問題ではなくその伝承したものの本体をどう承ることができたかということによります。伝える方がいなくなったのなら、伝える側が使ってきた道具たちやものたちに物語を謙虚に教えてもらいそれをなぞりかたどるなかでその真心を直感していくものです。

私が甦生をするときは、まずよく「聴く」ことからはじめます。この聴くは単なる思い込みを外すだけではなく、そのものがどうしたいのか、何のためにあるのか、もともとはどうだったのかと深く丁寧に時間をかけて取り組んでいきます。そうしていると、早ければ数日、遅くても数年から十数年で次第にその本質にたどり着くまでの情報やご縁があちこちから集まってきます。

そのためには、そのものへの敬意や畏敬の心が必要です。何かを学ぶというのは、それだけそのものから学ばせてもらうための心の姿勢が大切になります。わかるとかわからないとかという心情ではなく、真心に対して真摯に応えるという真剣さが必要になります。それは深く礼を盡して、純粋で素直、そして謙虚であるかという心の基本が立っているかどうかによります。

自然から学ぶ、自然から聴くというのもまた同様です。

今回の夏至祭もまた、どのようなものであったのか。それを今、辿っていますが太陽の徳を感じています。太陽は、広大無辺に私たちいのちがあるものを遍くすべてに徳を与え続けます。その姿は見返りのないあるがままのものです。

そして夏至は、その太陽の光がもっとも長く、高く、広く、私たちの今いる場所を照らしてくれています。植物たちや木々を英彦山の山中でよく観察していたらこの太陽に徳に報いようと一生懸命に成長しているのを感じます。成長するというのは、この果てしなく広大な太陽の恩徳をいただいているからだと気づきます。

一年に一度、私たちは徳の存在に気づくことがこのお祭りの本質であり、そしてその徳を一年、そして一生忘れないで暮らしていこうとする意識こそ太陽を拝む生き方なのかもしれません。カラスもまた、太陽の使いや太陽に住む鳥ともいわれます。英彦山には烏尾観音や烏天狗の伝承もあります。太陽と深く結ばれ、太陽に祈る文化があったように私は思います。

当たり前に気付ける感性、もともとある存在をいつも感じる感性は、徳を磨く中にこそあります。今の時代は変人だと思われるかもしれませんが、太古のむかしからつながっている物語を今の時代も変わらずに実践し、子孫たちへ徳の宝を結んでいきたいと思います。

保存食の知恵

燻製の歴史を考えてみると、どこからどう誕生したのかを想像してみます。歴史をたどれば、今から13000年前くらいの石器時代にその原型があるともいわれます。それから古代ローマに入り、ゲルマン人が塩を使い保存し、その後はスパイスが混じり今のような燻製の形になっているともいわれます。

随分長くこの燻製という調理法は大切に伝承されてきました。煙を嫌う生き物たち、煙が如何に防虫防カビ、除菌などにすぐれているかに気づいた先人たちの知恵の御蔭で今私たちはこの調理法をもっています。

他には発酵や乾燥、冷凍、焼く、水で洗う、干すなどもすべて常温保存のための知恵です。特に水が多い日本では、水を上手に活かして保存していきました。どんぐりなどのアクの強いものも水にさらすことで食べれるようにし冬の間の保存食にしました。干し野菜や焼き米なども同様です。

つまりは、今のように冷蔵庫や保存料、防腐剤などがなかった時代、如何に栄養がありいのちが充実し飢餓や飢饉から身を守ろうかと生み出した知恵でもあります。特に燻製は、動物性の肉を保存するには最適でした。普通にしていたら腐ります。それが燻製になると腐りにくくなります。そこには熟成という知恵が働きます。

この熟成は肉の中に酵素という物質があり、それが肉のタンパク質を分解し旨み成分であるアミノ酸に変わる工程のことをいいます。酵素がタンパク質を分解するには日数が必要です、その間、腐敗に傾かないように塩漬けにしておきます。この塩漬けは、水分を脱水し味をよくするためです。水分が残ると腐敗がつよくなりますから、そこに塩を入れて腐敗の微生物たちをおとなしくさせておくうちに熟成するのです。

なぜ人は熟成するものを美味しいと感じるかというと、化学的にはタンパク質がアミノ酸やペプチドに変化し増量するからだといわれます。人間の舌はこのアミノ酸を旨味として捉えておいしいと感じるからだといわれます。また人間の体はのたんぱく質は、そのままでは吸収されずペプチド・アミノ酸に分解され吸収されますが熟成肉はすでにアミノ酸になっているのでそのまま栄養が吸収されるそうです。

肉は腐る前が一番うまいという言葉もあります。この熟成の技術は、食べるものをよく観察することで得られるように思います。むかしの人たちは、どこまで食べれるか、いつまで食べれるか、そしてどうすれば長持ちするかとその3つを真摯に研究してきたように思います。

今のような飽食の時代、ありあまり食料を捨てている時代にはわからなくなっているでしょうが本来は食べるという営みの源流はこの保存食の知恵にこそあります。

子どもたちに保存食の意味を伝承していきたいと思います。

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