人類のアップデート

先日、宗像国際環境会議で「暮らしフルネス」の話をしてきました。この暮らしは、決して現代の便利な生活をさらに便利にしようとするものではありません。むしろ多少の不便さを快適に味わいながら、本質的な発展をしていこうとするものでもあります。

例えば、資源がなくなっていくことがわかっていて資源を貪りつくせば遂には砂漠のような国土になって人も生き物も住めないようなところに変わり果ててしまいます。それが分かっていてもやめられないとするのは豊かなことではありません。むしろ貧しさの極致です。

豊かさというものは、そもそも持続可能なものであり消失せずに循環をし続けるものです。

先ほどの資源の話であれば、その資源はそもそも人間だけ、自分だけのものではありません。みんなで借りて使っているものです。それは自分の身体もまた同様です。そういう借りているものだから、前よりも善いものにして返していこうとするのが循環であり豊かなことです。

そう考えてみるとむかしの人が目を付けたのはいつまでも長持ちする素材、すぐに再生して繁茂する素材、自然に負荷をかけない素材だったのは安易に想像できます。それは竹であったり、蔓であったり、土や石などです。

本来の人類の進化というものは、単にテクノロジーだけを極めることではありません。真善美といった、人間が持つ神秘的なセンスを磨き上げてその感性で気づいた全人格的な徳を使いそのあとにテクノロジーと調和していくことにあると私は思います。

私が懐かしいものと新しいものを和合していこうとするのもその思想から取り組んでいるものです。

気候変動も待ったなしで環境が激変していくこの世界で真に必要なのは、徳であり、その徳を世界と共有することだと私は感じています。子どもたちのためにも、自分の役割を理解し、実践を全うしていきたいと思います。

マインドフル・プラネット

昨日は、宗像国際会議のスピリチュアルツーリズムのセッションでZEN2.0の活動をされている宍戸さんと三木さんのお話のコメンテーターとして参加してきました。この団体の掲げているミッションは『生きとし生けるもの全てをかけがえのない存在として、人類全体が心豊かに地球を共有するマインドフル・プラネットを創っていくことをミッションとしています。また、近づく方法として、仏教の「仏・法・僧」の三宝から借り、「わたし」「自然」「つながり」を調和した社会の実現を目指します。』とあります。

お話の中では、ご自分の病気の体験やそこからの気づきにはじまり、心豊かに生きていくことの大切さ、世界のマインドフルな想いをオンラインで繋がりあうなど共感するお話がたくさんお聴きできました。また詳しくは後日、宗像国際環境会議のHP等から動画配信されると思います。

このZENというのは、アメリカに伝わった禅がそのままZENとして呼ばれているものです。アメリカではZENというと仏教という印象が強く、一般的にはマインフルネスという言葉で使われることが多いように思います。

マインドフルネスという呼び名になると、特定の宗教や宗派というものを超えて高い精神性や、静かな心境、穏やかな境地のようなものを持ちたいと願う人たちが使う言葉として現在は世界で定着しているようにも思います。

私には古くからの友人の一人に長崎にある禅寺の僧侶の方がいます。

その友人は、いつも禅的な生き方をして自由奔放で私のイメージする「雲水」そのものです。何ものにも捉われない、自分自身であることを大切にしておられます。

私自身も若い頃、道元禅師を慕い永平寺を参拝して朝の参禅に参加したことがあります。今でも思い出すのは、永平寺の周辺の滝場の美しさ、そしてととのった場の美しさ、今でも想いを馳せると心に薫ります。

本来、頭で理解する宗教や経典などとは別にそもそも生き方というのは「感じる」ものです。感じるというのは、五感をすべて自然に投げ出してそれを深く味わう時に磨かれ、その自然と一体になって全体と調和していきます。

本当の自分とは何か、自分自身とは何かということを自然から導いてもらうのです。

私たち人間は生きているうちに、人間だけが創り出した社会という名のどこか仮想で虚構の空間の中に放り込まれていきます。しかし、現実というものはそれとは別に「地球と一体になって暮らし」ているのです。

私もこのzen2.0のマインドフルプラネットという理念にはとても共感して、そうありたいと思う一人になりました。志のあるお二人に出会えたことをとても仕合せに思います。今日は、私も10時から「環境問題と価値観の転換」というテーマで登壇しますが未来の子どもたちのためにも自分の役割を真摯に果たしてきたいと思います。

ありがとうございます。

保育の豊かさ

人が一生のなかで巡りあう出会いやご縁というものは自分が蒔いているものです。この自分というものは、意識、無意識に関わらず自分が由あって結ばれているものです。

私たちは不思議ですが、そのように結ばれている「場」を創造しながら今を歩んでいく存在ということです。この今というものは、この今の選択にすべて帰命しています。

今何を感じているか、今何を選択したか、この小さくて偉大な今の全てが種になってそれを自分が蒔いているのです。自分自身が何を思ったか。その思ったことでさえ、それが種になりそれを蒔いています。

その種から芽が出てやがて実をつけます。その元の種が初心が澄んでいるものならばどんな環境下においても蓮の花のように美しく清らかです。人はみんな目的や初心を大切にして今を生き切れば、それなりの種になっていきます。

そしてその種もまた、今まで他の人たちが蒔いた種。もっと突き詰めれば、先人たちが蒔いた種が自分に宿っているともいえます。自分自身の中には、その初心というものをもった自分。そして時間を経て様々な体験を通して適応してきた自分があります。その自分が今此処で見事に調和して種になっているともいえます。

私は毎年、固定種の伝統高菜の種を蒔いて育てていますが毎年その生育は紆余曲折あります。一喜一憂は常に絶えず、悲喜こもごもに様々な体験をその季節ごとに味わっています。

そんな中でもまた種になり季節を巡り続けます。苦しい時には苦しみを乗り越えた花が咲き涙し、うれしい時には喜びを味わった花が咲きます。畢竟、私たちの本体は「種」であるのは間違いありません。

この種を一生をかけてどう育てていくか。そこに人間の一生の醍醐味があるように私は思います。

子どもたちはその種が繋がり結ばれた存在です。前の世代、そのずっと前の世代から連綿と種を蒔き続けて今があります。どんな種もまた見事な一生を送ります。その一生を見守る存在が環境ということになります。

どのような環境を見守っていくか。自分が見守られてきたように見守っていくことが種を育てていくことです。子どもたちのためにも、みんなでその保育の豊かさを味わっていきたいと思います。

想いの本質

私たちは先人たちの想いを継いで今に存在しています。その想いを継ぐのは、血のつながりもあるかもしれませんがそれ以上に想いで繋がっていくものです。人の一生はあまりにも短く、あっという間に人生が終わってしまいます。

そういう意味では、みんな志半ばで斃れていくのです。だからこそ想いがあるのです。つまりこの想いで人が繋がっていくというのが想いの本質なのです。そしてそれは決して死んでしまったから終わるのではなく、死んでからも続いているものであり生きているから繋がらないのではなく、生きていても繋がり続けるのです。それが道ということでしょう。

人生は誰もが想いを持てば道半ばです。

私の今の取り組みも、多くの方々の想いが繋がって実になっているものです。そしてこの先もずっと同じようにあらゆる人たちの想いが集まってさらなる成果を結んでいきます。

そのご縁のつながりこそ、決して金銭では交換できないかけがえのない豊かさであり私たちの仕合せの本体ということでしょう。

もしもこの世に金銭がなくなったとして、何がもっとも大切だと感じるか。それは私は「ご縁」であると、そしてそのご縁を結ぶつながりの「想い」であると私は思います。

人は想いとご縁で結ばれているものであり、これが仕合せを積み重ねて未来を希望にしていくように思うからです。

だからこそどのような想いを日々に醸成していくのか、どのようなご縁を結び活かしていくのか、そして如何に豊かな幸福の場を創造し続けていくか。ここに生成発展の万象繁栄の根本があるように感じています。

想いは形がないものです。しかし想いこそ、いのちの発する偉大なかたちでありご縁こそそれを結ぶいのちの綱です。今でも目を閉じると、志半ばで去っていた人たちの想いが私に宿っているのを感じます。そして耳を傾ければ、この先の未来で私を待っている想いが溢れています。

子どもたちのためにも想いを力に換えて、私の役目を全うし道を切り拓いていきたいと思います。

治癒の有難さ

私は大人になってもよく怪我をするタイプで、痛い思いをすることが多いように思います。何かに没頭したり集中していると、注意力が散漫になってしまっているのかもしれません。動作の激しさなどもあり、小さい頃から落ち着きがないといわれましたがスピードが速い分、色々と雑なところもあるのかもしれません。

ただ怪我をすると痛いので「またやったか」と反省しつつも、懲りずにまた怪我をします。過ぎてしまえばまた忘れるので痛みに懲りないタイプなのかもしれません。しかしその分、自然治癒力のことなどに感謝する機会もまた多いように思います。

少し怪我のことを深めてみます。

怪我でも軽いものは時間が経つと自然に治っていきます。今月は打撲に切り傷に色々と怪我をしましたが、今ではだいぶ回復して打撲も治まり、切り傷もきれいに治ってきています。私たちは何か怪我をすると自然治癒によって身体が回復させていきます。

例えば、皮膚の損傷であれば血管が断裂するので出血をします。その損傷に反応して血液を固め止血をするために血小板が働きます。そして血小板は最近よくコロナで聞く機会が多くなったサイトカインという物資を出します。このサイトカインが、血管から白血球やマクロファージといった貪食細胞を含んだ滲出液を分泌させ傷口の細菌や汚染物質を除去してくれます。このサイトカインは主にインターロイキン類、インターフェロン類、ケモカイン、造血因子、細胞増殖因子、腫瘍壊死因子に分類され人間の体内には約800種類存在していて今でも新たな発見が続いているといいます。そして最後に皮膚はマクロファージからの細胞成長因子により線維芽細胞や表皮細胞などの組織細胞が増殖して傷を修復するのです。

こうやって私たちが気づかないうちに、身体の細胞が怪我を修復させていくのです。もちろん大怪我になると治癒が追いつかず外科手術や薬が必要になります。ただ小さな傷や打撲、病気は自然に治癒してくれるのです。

そう考えてみると、自然に体に感謝の気持ちが湧いてきます。毎日、何かしらの怪我や病気、炎症を起こしているものをきちんと修復してくれます。今の私たちが大人になってこうやって活動できるのも体の御蔭です。自然治癒は、いつも私たちを守ってくれているのです。

これは自然界でも同じで、小さな傷や怪我は治癒をしてくれています。そのことに気づき、私たちは治癒を邪魔しないような環境を創っていく必要があります。なぜなら治癒してくれるのは当たり前のことではないからです。

この有難い機会から学び、子どもたちに安心できる未来を体験から伝承していきたいと思います。

根源は免疫、原点回帰

私たちの身体には、免疫というものがあります。これは病原体・ウイルス・細菌などの異物が体に入り込んだ時にそれを発見し体から取り除いてくれるという仕組みのことです。そしてこの免疫には自然免疫と獲得免疫というものがあります。

まず自然免疫は、生まれつき体内に備わっている免疫の仕組みで元々古来から存在する機能です。これは発見した異物を排除する仕組みです。有名なものに好中球と、NK細胞、マクロファージがあります。このどれも、外部からのものをキャッチして食べて無効化していきます。

そしてもう一つの獲得免疫は、人生で病原体と接触した際に再び感染しても発病しないようにする仕組みのことです。この獲得免疫は、侵入した異物を排除するだけでなく記憶細胞という特殊な機能をもつ細胞に変化し記憶しています。そうすることで、いち早く発見し感染が進む前にキャッチして食べてしまうのです。T細胞とB細胞が有名です。

インフルエンザで例えると、ウイルスが口や鼻、喉、気管支、肺などに感染した場合はまず自然免疫のNK細胞とマクロファージ、樹状細胞などがウイルスをキャッチして食べて駆除しはじめます。そしてそれでも駆除できない場合は、B細胞、キラーT細胞という獲得免疫が今度は活動を始めます。具体的にはB細胞は抗体を作り、その抗体はウイルスにくっついて他の細胞に感染できなくなるといいます。

そうやって私たちの身体は自然免疫と獲得免疫の合わせ技で撃退してくれていたのです。無症状の人がいるというのは、この免疫系が働き無害化させているからということになります。免疫がきちんと働いているのなら、外部からの異物は正しくキャッチされ、駆除され記憶され、ずっと身体を守り続けてくれるのです。

これからコロナウイルスも様々な変異株が誕生してきますし、その都度、ワクチンを開発して対応ではいたちごっこです。私たちの身体は大量のウイルスに日々に晒されていますからやはり今まで生き残ってきた力を磨いていくのが一番です。

その方法は、食生活、運動、睡眠、精神や心の安静、という基本、また体質改善、生活習慣の見直しでできるはずです。つまり暮らしを整えていくのです。暮らしフルネス™は、これらのことを実践するためにも欠かせない智慧の仕組みです。

引き続き、子どもたちのためにも暮らしを見直して伝承していきたいと思います。

和歌のはじまり

日本最古の和歌集に万葉集があります。これは7世紀後半から8世紀後半にかけて編纂されたものです。全20巻、約4500首の歌が収められています。和歌には天皇から農民まで幅広い階層で詠まれた土地も東北から九州に及びます。

実際の記録にあるこの万葉時代は天智天皇や天武天皇の父に当たる629年に即位された舒明天皇にはじまり、万葉集最後の歌である巻二十の4516番が作られた759年(天平宝字三年)までの約130年間だといわれています。

この万葉集という言葉の意味は、「葉」は時代の意味で、それが「万」世まで伝わるようにと祈念してできたものとも言われます。この万葉集は、一人の編者ではなく多くの編者と複雑な過程を経て最終的には大伴家持により20巻にまとめられたのではないかといわれます。

また分類としては「雑歌」「相聞」「挽歌」と分かれます。

「雑歌」は行幸や遊宴、旅などさまざまなときに詠まれたものです。そして「相聞」はお互いの消息を交わし合う意で恋愛などのものが詠まれます。もう一つの「挽歌」は人の死に関するものです。

万葉人たちは、人生の節目に和歌を詠みお互いにその心情を確かめ合ったり伝え合ったり、分かち合ったりしたのかもしれません。日本人が情緒豊かである理由もこの和歌から伝わってきます。素直で純粋に美しい心を持ち、それを文章にしていく。美しい四季や自然の畏敬をそのままに言葉にしていったのでしょう。

例えば、天平のころの光明皇后が詠んだ歌があります。この方は、仏教を信仰し興福寺や東大寺をはじめ、仏教を重んじた光明子は民のために悲田院等の慈善活動に邁進された方です。以前、石風呂のことで東大寺の施浴のことを書きましたが1300年前に社会福祉のお手本の実践した方でもあります。3つほど、万葉集に収められています。

「我が背子とふたり見ませばいくばくかこの降る雪の嬉しくあらまし」第8巻1658番歌

「朝霧のたなびく田居に鳴く雁を留め得むかも我が宿の萩」第19巻4224番歌 

「大船に真楫しじ貫きこの我子を唐国へ遣る斎へ神たち」第19巻4240番歌

意訳ですが一つ目は、夫婦でこの美しく降る雪が眺められたらどれだけ嬉しいものか。そして二つ目は朝霧が出てきた田んぼ我が庵の萩が雁をとどめてくれようか。そして最後は、大船に乗っていく唐の国にいく我が子らをどうか神様見守ってください。というものです。

この3つからも光明皇后の人柄、その情景が心に映ります。こうやって、むかしの人たちは素直に自らの心情を和歌によってあるがままに語り合いました。今では、言葉が膨大に増えてあらゆるものは言葉で説明できるほどになりました。

しかしかつてのようなシンプルで純粋な言葉は失われ、本当の気持ちや心情が読み取れないほどになっています。複雑なものは実は本当はとても純朴な言葉になるのであり、現在のような複雑さはかえって本当のことが見えにくくなっています。私のこのブログの文章もまた、そういう意味ではまだまだまったく研ぎ澄まされているものではありません。

言葉が増えた時代のコミュニケーションと、言葉がなかった時代のコミュニケーション。時代が変わっても、万葉人たちが伝え合ったような言葉を今でも大切にしていきたいと思います。

子どもたちにも、本当の言葉が伝わっていくように和歌を学び直していきたいと思います。

 

暮らしフルネスの役割

国内総生産のGDPというものに替わる概念として国内総充実のGDWという言葉があります。このGDWは「Gross Domestic Well-being」の略称です。具体的には物質的な豊かさだけでなく既存のGDPでは測ることのできなかった「精神的な豊かさ」(主観的ウェルビーイング)を測るための新しい尺度のことを言うといいます。

GDPの方は、「Gross Domestic Product」の略称で国内総生産のことです。これは一定期間内に国内で新たに生み出されたモノやサービスの付加価値のことをいいます。シンプルに言えば、指標のプロダクト主義からウェルビーイング主義への転向といってもいいかもしれません。

今までは物質的な豊かさを生産することが幸福の指標としたものが、これからは精神的な豊かさ、心の満足度や充実度を幸福の指標にしようとする考え方へとシフトしようとする概念です。

もともとこの考え方は経済指数を示す国民総生産(GNP)よりも国民総幸福量(GNH)を重要とするブータンの提唱によって世界で意識されていきました。資本主義的な経済価値を求めるGNPやGDPではなく、国民の心理的な「幸福感」「充実感」などを示すものにGDWを活用していこうというのです。

よく考えてみるとすぐにわかりますが、人生は決して物質的なものだけが膨大に増えてもそれですべてが手に入って満足しても充実するとは限りません。例えば、皇帝や王様などすべてが物質的に手に入っても本当の意味で幸福ではなかったという歴史の話はたくさんあります。心の渇望を物質で満たせても、それは一時的なもので永続するわけではありません。物をただ多く持つことはかえって幸福度を下げてしまうこともあるからです。

だからこそこの時代、従来の豊かさで得られなかった真の幸福とは何かを問い始めたということでしょう。人類がいつも青い鳥を探しているのはむかしから何も変わらないものです。

改めてウェルビーイングを調べてみると初めて言及されたのは1946年です。これは世界保健機関(WHO)設立にあたって考案された憲章にこう書かれました。「Health is a state of complete physical, mental and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity.」と。これは意訳ですがこれは真の健幸は、病気や弱っていないとかではなく、精神的にも社会的にも「全体として快適で充実している」ということだとおおよそ定義しました。

もっと簡単に言えば「人生においての居心地の善さ」といってもいいかもしれませんが一人ひとり、その人がその人らしく生きられる世の中になっていて、それが全体快適になり人類全体で永続する暮らしを味わえる状態になっているということでしょう。これは平和な社会と平和な暮らしの実現でもあります。

この問いはそもそも人はなぜ生まれてきたのか、何のために生きるのか、ふと立ち止まってみるとすぐに誰もが考えるものです。本当は、この地球に生まれてきてから私たちは真の豊かさを備わって誕生してきました。足るを知る世界に入るのなら、誰もがその幸福に気づくものです。

しかしあれが足りない、これが足りないと、わかりやすい成長と繁栄ばかりを追い求めてきた結果として自然環境が人類の都合で悪化し、空気や水やその他の暮らしのリズムなど、当たり前に存在してきた偉大な幸福も急激に失われているのが現状でもあります。

今、まさに人類は世界の中で真の豊かさについて議論をしだしたということでしょう。人類は、今、大事な分水嶺にいてその「選択」によって未来の子どもたちに影響を与えます。今の世代の責任として、子孫のために何を選択していくか。それが問われているのです。

もともと日本人の先祖は「和」を尊びました。私たちは今、世界の一部としての日本となりました。世界は様々な文化と融和し、新しい世界を切り拓いています。だからこそ日本から私たちは真の豊かさを発信する必要があると思うのです。それが私たちの役割であり、世界に貢献できる真のウェルビーイングの定義の提唱になるのです。

世界が一つになっていくからこそ、この問題は人類は決して避けては通れません。日本から何を伝道していくか。まさに今こそ、私たちはこの問いに正面から向き合い発信していく責任を果たすべきでしょう。

子どもたちのためにも、概念論だけではなく実態をもった智慧を「暮らしフルネス™」を通して引き続き実践していきたいと思います。

藁ぶき古民家の甦生~徳の伝承~

今日、無事に藁ぶき古民家甦生のお披露目の日を迎えることができました。多くの方々に見守られ、支援していただき、ここまでくることができました。人の御縁はとても不思議なもので、何かを実現しようと思う時に四方八方から現れては力を分けてくれます。

動機が善であるか、私心はないか、そしてこれは子どものためになるかと自問自答しながらも徳を磨こうと取り組んでいくことでそれを一緒に実践してくださる仲間や同志に回り逢うのです。

このご縁をよく観察すると、ある人は、これからの未来のために必要な情報を取ろうとし、またある人は過去の何かの因果を解決しようと関わろうとし、またある人は、今を生きることを学ぼうと実践しようとされます。つまり、ご縁を活かすというものは生き方や生き様、そして志の輪が広がっていくことをいうのです。人のつながりは、志があってはじめて強く結ばれるということでしょう。

そしてこのご縁は、人とだけではありません。物や家とのご縁というものがあります。今回、藁ぶき古民家で暮らしを甦生する方が振り返りの映像の中でシンデレラストーリーのような話と言っていたのが印象的でした。

このシンデレラストーリーといえば私が思い出すのはプリティ・ウーマンという映画があってその主人公の女性が最初はみすぼらしい様から、紳士の指導によって次第に磨かれて美しく洗練された人物に変化していくというようなあらすじだったと思います。この話は、同時にその紳士もその女性によってさらに徳が磨かれて真の紳士に成長していくという話です。

これは今回の藁ぶき古民家と確かに共通点があります。誰もが価値がないと捨てられていた古民家を拾い、それを磨き上げていきます。この家が今は、美しく洗練された家に変化して甦っています。そして同時に、私自身も家から学び徳を磨く機会をいただき成長することができたのです。

私が古民家甦生をするとき、自分を主語にはしません。家を主語にします、つまり家が喜ぶかどうかを観て取り組んでいくのです。そうすると、家が喜べば私も喜びます。これが逆になると学ぶことができません。

人が学ぶことにおいて大切なのは、自然を主語にしたり、先祖を主語にしたり、徳を主語にしたりと、コミュニティを主語にしたりと、「私」を主語にしないということが大切です。私ばかりをみて、私が私がとなったら磨かれないのです。何を砥石にして自分を磨いていただくか、そこに人は自分の徳や魅力を引き出すポイントがあると私は感じます。

今日は、その藁ぶき古民家のお披露目会。

どのような姿になったかをみんなに見てもらるのがとても楽しみです。子どもたちにも、徳のある家から学び、見た目ではなくそのものが磨かれるとどのように徳が顕現するかを伝承していきたいと思います。

 

法灯と宝珠

英彦山にある霊泉寺の本堂向かって右側の宝珠一帯の木材が雨により傷み壊れていたので修繕を報謝させていただくご縁がありました。こういう機会をいただけたことに深く感謝しています。

この霊泉寺を調べると、英彦山修験のはじまりだといわれます。幕末に修験道は神仏習合で信仰を禁止され一気に廃れていきました。この霊泉寺は、元々の英彦山修験のはじまりであった霊仙寺の法灯を継ぎ昭和30年(1955)復興、そして平成元年(1989)には本堂や寺務所、庫裡が完成したとあります。

元々は英彦山は北魏の善正という僧が531年に英彦山内の洞窟に籠り、修行して仏教を広めたことがはじまりです。この時期は日本に正式に仏教が伝えられるよりも7年前ということになり、日本の仏教のはじまりはこの英彦山ではないかといわれます。この善正法師は最初は大宰府に来て仏法を弘めようとしましたが光が日子山にさすのを見て、山中の石窟にこもりその時機まで待つと決め修行をしたことがはじまりです。そして豊後の恒雄という猟師が善正に弟子入りし「忍辱」と名乗り英彦山修験が興ります。

この場所が、現在の玉屋神社がある玉屋窟です。この窟で忍辱は一心不乱に修行を積んで、如意の宝珠(世の中の人々を救うために役立つ不思議な力を持つ珠)を授かります。その珠は窟の奥から小さな倶梨伽羅(竜)が口にくわえて細い水の流れにのって現れたそうです。その珠が出現したことから、それまで般若窟と呼んでいましたがそれを改めて、玉屋窟と呼ばれるようになりました。この霊泉は今でも現存して滾々と湧いています。

その後、有名な修験宗開祖の役小角もここで修行したとされ、以後も義覚・義玄・義真・寿元・芳元(五代山伏)などが続きます。さらに弘仁10年(819)以降、宇佐出身の「法蓮」という行者が堂宇、伽藍、社殿などを造営し、霊山寺と名付けます。

この霊山寺という名前が霊仙寺になるのは弘仁13(822)年、嵯峨天皇より、「日子を改めて彦となし、霊山を霊仙に改め、四方七里を寺の財産とし、比叡山に準じ3千の僧を置き、天台の教えを学ばしめ、70州を鎮めて海宇の豊かなることを祈れ」とお言葉をいただいてからです。そこから900年間、英彦山はますます荘厳になりその信仰圏は九州一円、40万戸にも及んだともいわれます。元禄9年(1696)、英彦山は幕府により別本山と定められます。そして霊仙寺は江戸中期には坊舎800、山伏ら僧衆3000を数えるほどだったともあります。

今ではその霊仙寺は名前を変えて法灯を継ぎ霊泉寺となり玉屋窟から銅の鳥居に場所を移動させこの先にまた興るであろう未来の時機をじっと待ち、この先の修験道や山伏たちの御縁を見守っています。私は、時空や時間を旅をするのが好きですから約1500年以上の月日をその場で味わい、その中でどのような方々がここで暮らし、そして生きたのかに想いを馳せては徳を感じ心を潤します。

現在でも「不滅の法灯」といって比叡山延暦寺で最澄が御本尊の前に灯して以来、1200年間一度も消えることなく灯され続けている明かりがあります。今でもその灯りを道を継いだ志のある方々が偉大であり、その光はいつまでも心を照らします。

この英彦山には、宝珠がありそして法灯があります。

甦生させていくというのは、言い換えるのならこの法灯を守り宝珠を使うことです。私がさせていただけるのはどこまでかはわかりませんが、心の声に従って使命を果たしていきたいと思います。