腸が喜ぶ生き方

腸内というのは体の状態を司っています。お腹の調子がいいと、肌をはじめ血液の流れもよくなります。ほとんどの生き物は、口から食べて腸で分解吸収して排出します。生きるために食べていますが、本来は生きることをよりよくするのなら何を食べるか、どういう食べ方をするのかというのが重要になります。

私は炭を使う料理が多く、炭に料理をしてもらいます。じっくりと炭火の遠赤外線などをつかって素材の味を引き出していきます。理想の状態になればなるほどに美味しいと人は感じます。

その美味しいという感覚はまず舌で食べているときの感覚、もう一つはいのちを食べている感覚です。本来、私は素材の味とは何かというとそれはいのちの味わいというものだと感じています。

そのもののいのちを引き出していく、いのちをいただいて細胞レベルで自分の体に取り入れていく。そこにいのちの移し替えが行われているように感じるからです。

私たちのいのちというのは、熱量があります。その熱量が何かほかのものに移動することによっていのちは充実していきます。いのちが活き活きと活動するもののエネルギーを吸収することは元氣になるということです。

その元氣を司るところが腸内ということでもあります。

腸内には膨大な数の菌がいます。菌が活発になっているところが腸内です。その腸内は、毎日何かを食べては分解してそのエネルギーを細胞へと届けています。腸内の菌が喜ぶような食べ物や生活をすると元氣はましていきます。

つい無意識に目先の便利な食で済まそうとするものですが、腸がどう思うかなと一呼吸置けば食べるものも少し変わってきます。そして日本人の伝統食こそ、ほとんどが腸が喜ぶものになっています。医食同源とは、それだけ先人たちは健康を優先して食べてきたという証拠でもあります。

日々の暮らしの小さな食事から、子どもたちのために見直していきたいと思います。

場を思い出す

昨日は、暮らしフルネスで自然農の体験をしたいという方がきて夏野菜の畑を一緒に取り組みました。はじめてこれから農的な暮らしをはじめるとのことで、何もしたことがなくてもやる気はとてもある方でした。

思い返せば、私も幼いころより祖父の手伝いで畑にはよく連れていかれましたが自分が本格的に野菜やお米をつくるようになったのはまだ十数年くらいなものです。しかも仕事をしながらの隙間時間でだったので、失敗も多く、思ったようにならないことばかりでした。

今では、野菜の性質をしり、土を理解し、風や水の通し、虫や動物への対策なども体験し自然に畑をつくり収穫をしています。しかも、どうやったら美味しく食べられるかも学び、自然農家のような暮らしができるようになりました。合わせて、今では山での暮らしもはじまりもう一歩前に進めて山での暮らしを体験しています。

みんなはじめは初心者です。誰が偉いとか、誰がすごいとかではなく、あのすごい人も偉い人もみんなはじめては初心者です。それを継続していくなかで、様々な失敗や成功を繰り返し実力が磨かれ結果としてできるようになります。

初心者だからダメではなく、いつかはできるようになる人のことを初心者というのです。私も現実的には、不可能と思えるようなことをたくさん体験してきました。特にはじめてやるときは現実に直面してたじろくこともありました。

しかしそれでも周囲に支えてくれる人や、見守ってくださる方が顕れ気が付くとできるようになっていました。こうやって人は、思いがあれば仲間が集まり伝承されることで継承されていくのです。

特に土を触ることや、野菜を育てることはもう何千年も前から私たちの先祖がはじめたことを私たちは今も取り組んでいることになります。できないはずはなく、忘れているだけです。

忘れているものを取り戻すことこそ、私は真にできることであろうと思います。問題は、どのように思い出すかということです。子どもたちのためにも、思い出すことが忘れないように場を調えていきたいと思います。

伐採の歴史

英彦山の宿坊で伐採を行っています。長年放置された木々は鬱蒼として、家に大量の枝がかかっています。日差しも入ってこず、風通しも悪くなるため行っています。実際には、高くなった木の伐採は神経を使いますし蔓の方が処理が大変です。絡みついている蔓は、切ったあともなかなかスムーズには取り外せません。特に高いところになればなおさらです。

通常の家屋であれば、高所用の車や道具が使えるのですが宿坊は岩がゴロゴロとしているうえに車が入っていきません。手動でやるしかないのですが、足場も悪く作業が進みません。それに高齢の枝垂れ桜があるので風の流れをあまり変えないように影響を与えそうな木は触らないようにしています。

自然の森林は、長い時間をかけて人間が暮らしていない森林に変わりましたがいよいよ住み始めるに至り、人間と共生していく森林になります。

そもそも日本人の木材の活用、伐採の歴史は縄文時代からわかっています。 竪穴式住居の柱、あるいは祭祀用の施設、小舟、狩りや料理の道具など木材は使われています。上手に、森林と共生して人間の暮らしを営んでいました。そのころは、今のように環境破壊もほとんど発生していなかったといわれます。森林の荒廃が分かっているのは、木材の加工技術が発展し大型建造物が誕生したころからです。田畑や居住地の開発によって森林は次々と伐採され676年には天武天皇から禁伐令を出すほどになりました。

それが戦後時代になるとさらに築城をはじめ、寺社仏閣、武家屋敷など建造物が増えていきます。人口増加と共に森林がさらに荒廃し、環境破壊が進み自然災害も増えていきます。それを江戸時代には、幕府と諸藩は積極的に森林の保全に取り組んだといいます。そして一時的に日本の森林資源は回復しました。

そして最も荒廃したのは明治中期だといわれます。

近代産業の発展により建築材や燃料が必要になり森林が一気に伐採されます。そして世界大戦のはじまりでと終わりの復興で木材を大量に使います。ここで政府は「拡大造林政策」を発令します。これは天然林を伐採し成長が早く経済価値の高いスギやヒノキなどの人工林に置き換える政策でした。そして昭和までこの流れは続きます。

ここで日本の原生林はほとんど失われ、国内の森の半分近くが人工林という状態になって今に至るのです。山のあちこちでは、スギやヒノキばかりで私も花粉症で大変ですがこれは明治の政策によって行わたことで発症したともいえます。

英彦山の奥地や裏にまわると今でも少し原生林が遺っています。とても穏やかでよく保水し、山も綺麗です。そこにヒノキや杉が乱立するとあっという間に周囲の雰囲気が鬱蒼としてきます。そして強風で倒れたり、鹿が杉皮なども食べるので腐ったりしていて放置すると危険です。

森に入ると、色々と自然環境が破壊されていく原因を感じます。

宿坊の木々を調えるなかで、子どもたちにも環境のことを伝承していきたいと思います。

今を生きる

今の自分に発生していることを、ちょうどよかったと思えるというのは今を生きているということでもあります。人は今から離れると、よくないと思い込んだり、良すぎるのではないかと思ったりするものです。今がもっとも今の自分に相応しいと思う中にこそ、物事を活かすヒントがあるように私は思います。

では、なぜ思えないのか。それは自己との対話に問題があるように思います。過去のことを引きずって後悔し自分を責めていたり、未来に対する疑心や不安が入ってきたり、感情が心の眼を曇らせていくものです。本来、心の眼というものは素直であり、あるがままのことが観えるものです。そこに感情が入ってくると、見たくないものは避けようとするし、見たいものしか見ないという欲望が邪魔をしたりして真実が観えなくなります。

感情がピークに達すれば、脳が過剰反応してショートしてしまうものです。脳は、心と感情の調整をしていますからバランスを保てずに病んでしまうこともあります。本来、素直さというのは心と感情がどちらも今に集中するときに行われるように思います。

今、感じたことを心もあるがままに観ている。それがいいかわるいかなどではなく、あるがままにそのままに許される。そのようなとき、心も感情も健やかになります。もっとシンプルに言えば、体験することを素直に喜び味わう状態になっているということです。この喜び味わうというのは、感謝できる境地であるということです。

日々に感謝で生きる人は、今ここに素直に人生を味わっている人のように思います。しかしそれも簡単にはできることではないから、魂の修行、内省の実践を続けて、自己との調和を通して自己を磨いて修養していくということでしょう。

感情が嫌だといいながらも、心はやりたがっていたり、心は嫌だと思っても感情が先に動いていたり、好奇心というのはやっかいなものですがその好奇心があるから人は体験を優先していけるように思います。

時代が変わっても、人の本質は何も変わりません。AIが出てきても、人間は変わらないのです。変わらないからこそ、何が変わるのかを善く見つめ、今を大切に過ごしていきたいと思います。

憧れる生き方

子どもの憧れる社会の一つに、仕事観というものがあります。将来、自分は何をして生きていくか、それが自分の仕合せや喜びにどうつながっていくのかということをわくわくと取り組める社会のことです。

日本は、義務感や責任感が仕事をすることの基本として教えていてあまり楽しそうにしていたり、自由に働いていることを良いことのようには教えません。特に学校というところもハードな仕事で残業もなく、精神疾患などが増えているということもよくニュースで流れています。

本来、憧れる職業の上位にあったものが今ではハードワークの代名詞のようになり担い手も減り、子どもたちもその仕事を夢とはしなくなりました。子どもたちにキャリア教育を指導することも大切かもしれませんが、本来は自分たちがどれくらい豊かに幸せに楽しく働いているか、そんな環境を調えているかということに向き合う方が先ではないかと私は感じます。

そういう私も、日本の社会のなかで目立つとすぐに色々と厳しい指摘があります。どれも有難い言葉として受け取ってはいるものの、子どもたちのこの先の行く末のことを思うと本来はもっと寛容な部分があってもいいのではないかと思うのです。

みんな勇気を出して、人と異なることをしてでも世の中のお役に立ちたいと思っているものです。しかし何か新しいこと、理解できないことをやろうとするとすぐに否定されたり、クレームが入ってきたりします。もちろん、新しいことをやるには秩序が乱れることもありますがそれでも何のためにやるのか、その初心が何か、目的がどうなのかを聴いてみるとそれはこの先の未来に必要なことだったりすることがほとんどなのです。

そういう時は、文句を先に言うのではなくどのようなフォローができるだろうか、どのように見守れるだろうかというのが大人の対応ではないかと感じるのです。子どもたちが同じようなことを挑戦し、新しいことをして世の中や社会をよくしたいと夢に挑戦するとき、自分はどちらの大人でありたいか、どうせ無理だと諦めるように促すのか、それともやったことは必ず意味があるから、フォローしたりカバーするから挑戦してみようと励ますのか。私は、これからを生きる子どもちたちが理想の社会を築いていけるように見守りたいと思うのです。

人は自分が仕合せでなければ、人の仕合せを喜べません。まずは自分自身の幸福、仕合せを感謝で磨いて高めていかなければ他人の成功や成長を支援できないように思うのです。

だからこそ、このいま、この瞬間を大切に夢を生き、夢を味わい、苦労ができる有難さや挑戦させていただける喜びに感謝していくことからが子どもの見本になるように思います。

まず正しいことを教えるよりも、喜びを感じてもらうことの方が生き方は換わるものです。引き続き、子どもたちの未来のためにも自分の生き方で力になれるように精進していきたいと思います。

道をたずねる

日本のルーツを深めていると、縄文時代にたどり着きます。私たちはこの日本で先祖がどれくらい長く住んでいるのか、そしてどのような暮らしをしていたのか、それがどのように現代に結ばれているのかを知ることでルーツが辿れます。

信仰もいのりも、最初はどうだったのか。長い年月で、異国の宗教や信仰形態も混淆していきますが本来はどうやっていたのか。その原点や道のりを辿れば自分というものを形成しているものも感じ取ることができるように思います。

縄文時代はどのような時代だったのか、遺跡からわかっていることが増えてきています。土器なども深めていると、どのような食事をしたのか、また形からもその調理法や活用法なども見えてきます。遺跡からはどんぐりなどの木の実、貝類、あとは動物の骨が出てきています。

現代でも、一部の地域にはむかしから部族が文明にはかかわらずに暮らしているところがあります。そこでは、当然ながら電気や水道、車、便利な家電製品などもありません。今でも狩猟をしたり、木の実などを採取して独特な祭祀を行い暮らしています。

以前、ブログでピタハン族のことを書きましたが抽象概念がない意識で暮らしていたり、あるいは幸福という言葉を知らない、いつも幸福なので意識的にそういうものがない部族があったり、また戦争という言葉もない部族もあります。

彼らの意識は、私たちのような文明での常識が通じず、ごく自然に余計なものがそぎ落とされて存在しています。地球環境も守り、仕合せに助け合い喜びに生きるという単純なものですがそれが何千年も続いているのです。

現代の文明人類側の様相は、核戦争がはじまりそうな終末期で地球環境は公害によって悪化し、個人の争いや不信、またコンピューターによる新たな支配がはじまります。一体、何処に向かっているのか。意識はどのように変化しているのか、もはや彼らの部族たちのような意識を持つことすら難しくなっています。

しかしやはりこういう時こそ原点回帰して、自分たちの先祖やルーツはどのようにしていたのかと学び直すことが大切だと考えます。それは原始人になれという意味ではなく、今にも私たちが憧れた未来、理想の今が先人たちが築いてきたことの延長にあるはずなのでもう一度、見直して改善することはできるのです。

人は迷う生き物ですが、迷えばまた道をたずねて修正すればいいのです。どのようなところを修正するか、それは生き方を見つめて改善できるはずです。最先端のテクノロジーを使いこなすのもまた、それを活用できる徳や意識があってこそです。

子どもたちの未来に、よりよいものを伝承していきたいと思います。

 

木は語る

昨日は、守静坊がある谷に住む方々と一緒に英彦山にある宗像神社の春の清掃と御祈祷に参加してきました。この場所はむかしから地域の方々には弁天様として親しまれている場所です。印象的な巨石が横たわり、見事な景観と清々しい風が吹いてきます。

そして福岡県が昭和39年に指定した天然記念物の菩提樹があります。樹高は約17メートルほど、胸高周囲は1.5メートルほどです。

この菩提樹の菩提とはサンスクリット語のボーディ(bodhi)の音写で、仏の悟りを意味しています。一般的な植物名の木とは異なり、その名の通り「菩提樹=悟りの木」と呼ばれます。

この日本にある菩提樹は、インドにある菩提樹ではありません。厳密にいうと、釈迦が悟りを開いたときに坐ったのはインドボダイジュの下です。このインドボダイジュはクワ科イチジク属の熱帯植物になります。寒さに弱いなどの理由で当時の日本では育てられなかったため、葉の形の似た近縁の中国原産のシナノキ属の木が代用として各地の寺に植えられて菩提樹と呼ばれるようになったといわれています。

日本で菩提樹と呼ばれているアオイ科シナノキ属の木になります。もともとはこれは中国中部の原産で仏教の聖樹としてよく寺院に植えられる落葉高木でした。開花時期は、6月から7月です。昨日も、菩提樹の実がなっていて可愛らしく印象的でした。この菩提樹の実は念珠の材料としても使われています。

仏教に縁が深い木で、その来歴は12世紀半ばに臨済宗の開祖である栄西が、中国の天台山にあったボダイジュの種子を持ち帰ったことを起源とする説と、筑紫の国(福岡県)に渡来したものが全国に広がったとする説があるといいます。

私は後者を信じていて、もともと山苔国、日子山には中国から仏教が善正という人物が志と共に私伝で入ってきた場所ですし忍辱という日本ではじめての僧が誕生した地でもあります。

この場所に菩提樹があることは特に違和感はなく、その当時から人々の手を伝って仏道を歩む方々と共に日本各地へ弘がっていったように私は思います。

その天然記念物の菩提樹が、この場所にありそれが谷の人たちによって大切に祀られているということ。守静坊の枝垂れ桜と共にこの菩提樹はこの地域の宝だったようにも感じます。

木はモノを語ります。人間は政治や宗教、あらゆる時代の価値観や流行、権力や状況次第でどうにでも変わっていきます。しかし、木はいつの時代も変わらずにそこで静かに真実を見つめています。この古木たちは何を物語るのか。非科学的でおかしなことを言うと思われるかもしれませんが、木は語るのです。

この英彦山にある木々から、真実を直観し、本来の伝承を掘り起こしていきたいと思います。

勇気を出す

国家の借金というものは年々増加しています。未来へのツケをまわさないと政治家は消費税や法人税の増税を求めています。その増税したもので、少子化対策や高齢化対策、そのほかの問題をお金で解決しようと躍起になっています。

しかし実際に蓋を開いてみると、もともと大切なことを優先するための倹約しての増税ではなく今のお金の使い方はそのままに増税していきますから、銀行も経済の状況にあわせて日本銀行券が大量に印刷されて増加していくだけです。しかも見通しもよくつかないなかでの行為なのでもしも世界恐慌や金融危機が発生したらどうするのかなども今は先送りしているのかもしれません。

大きいとわからなくなりますが、これを身近な個人であればすぐにわかります。生活水準は落とさないままで、経済状況を改善しようとするのなら借金していくしかありません。しかも借金して返済する前にまた借金をしたり、あるいは返済のための何か新しい挑戦で目途があればいいのですがそれもありません。それでは、いつか限界がきてしまうことは容易にわかります。

私の住んでいる市もそんなに大きな市ではありませんが、経済状況はよくありません。自分たちの市民の税金ではどうにもならないものは国や県からの支援をいただいて進めています。しかしそれももともとは国民の税金で行われます。それが長期的に効果があるものであればいいのですが、単年度で終わるものばかりでしかも評価する必要があるうえに無難なものになるようなものばかりが提供され続けます。もともとあると思っているから、また税金で無償化されているからと麻痺するのかもしれません。

麻痺しているものをまずは改善することが先決であろうと思います。空き家の問題も同じく、これ以上新築を建てたらさらに空き家は増えるとわかっていてもそれは止められません。他にも、石油もこれ以上使っていたら資源が枯渇し温暖化も激しくなるとわかっていても止められません。ありとあらゆるものが、走り出したら止まれなくなっているというのが本当の問題のように私は思います。

止まる勇気というのは、なかなか難しいものです。しかし止まって考えてみなければ、冷静にゼロから考えることができないものです。コロナで止まって考えておかしいと思っても、周りがまた動き出したら考えたことまで捨ててしまうというのはとても残念なことです。

人類の未来に本当の意味でツケを残さないということは、何をすることなのか。子孫たちに、真の意味で未来を譲っていくということは何をすることなのか。それぞれで真摯に立ち止まり考え直すことがこの先の危機を乗り越えられる妙法になると私は思います。

引き続き、この道を磨いていきたいと思います。

自己を調える

世界情勢が刻々と変化するなかで、グローバル化の影響は世界の隅々まで発生してきます。対岸の火事のようにはならないのが現代であり、世界の遠方にある小国の紛争が自分たちの生活にも多大な影響を与えるようになりました。こうなってくると、他所の問題ではなく自分たちの問題として紛争は解決していく必要がありますがそれぞれが自国を優先すれば紛争はさらに泥沼化していきます。

なんでも同じですが、競争して奪い合えば奪われまいと抵抗する人たちが増えていきます。譲り合って助け合えばその逆が発生します。余裕がなくなったり、誰かが乱暴に奪おうとすればそこから守ろうとして抵抗していくのが人間です。

人間社会をどのように調えていくかは、むかしから人類に与えられた大きな課題です。その問題に向き合ったであろう仏陀はこのような言葉を遺しています。

「自己こそ自分の主である。他人がどうして自分の主であろうか?自己をよくととのえたならば、得難き主を得る。」とも。そして「自ら悪をなすならば、自らが汚れ、自ら悪をなさないならば、自ら浄まる。浄いのも浄くないのも、各自のこと。人は他人を浄めることができない。他人にとって如何に大事であっても他人の目的のために自分の精進をしないということはない。まず自分の初心や目的を熟知して、自己の精進に専念せよ。」と。

これは真理ですが、実際に周囲に影響をされるなかでも自分自身は自分の初心を忘れずに精進するというのはなかなか難しいものです。そしてそれをみんなで実践していくことを仏陀は述べています。

確かに、どのような変化があっても自分の初心に真摯に取り組む人たちがたくさん発生していけば人間社会は自然にととのいはじめていきます。人間がととのうには、まずそれぞれが己に打ち克ち、己を磨き続け己を保ち続けるということが第一です。それは自分でできることですし、周囲のせいや誰かのせいでもありません。

己を奪われないようにしていくなかで、己はどうあるべきかということをみんなで取り組もうという本来は尊敬すべき国家のモデルや人間社会の模範、人類のお手本のようなものが必要になります。これを何度も何度も繰り返していますが、殺戮兵器や武器が強大になっていくなかで世界規模での戦争にも発展するようになりました。

しかし解決方法はいつの時代も一つです。

子どもたちのためにも、今、まさに自分でできることを真摯に取り組み自分の主を丁寧に磨いていきたいと思います。

本来の伝承

修験道のことを深めていると、時代の変遷を経て様々なものが混淆していることがわかります。はじめは山からはじまり、その山で修業し暮らした人たちが持っていた様々な知恵が里の人を救うための仕組みとして伝道していきました。本来の根源的なものは何だったのか、そういうものに触れることで私たちは歴史から原点を学び直すことができるように思います。

ざっくりですが、修験道をはじめすべての神仏混淆したものはそのはじまりは日本の場合は自然崇拝からはじまります。自然と自分と結んでいるもの、自分の心身を構成しているものとのつながりの中にいのちや、その存在の妙を直感し、自然にいのりはじめたことがはじまりです。縄文時代の遺跡や文化にも、祭祀を行い、自分を活かしているもの、自分のいのちを存続させてもらえる有難い存在、それはご先祖さまを含めて大切にいのり続けたことからも理解できます。

それが時代の変遷を通して、数々の人たちとその時代の価値観と融合してあらたな信仰として変化してきました。自然崇拝からの巫女さんたちが神道に混ざり、そして仏教が入り尼になりと、様々な暮らしの中で信仰が結びついてきました。さらに、政治的な宗教も入り、共同体としての豪族から領主的なものとしての統治に代わるなかでまた組織ができ、信仰も形を変えていきます。また明治に入り様々な宗教が区別されていくなかで、混淆していたものを分類わけして今に至ります。

本来の始まりはどこかということも、今であまり重要視されていません。しかし私は、分類わけして複雑になってそれがいがみ合うほどになっているのなら原点回帰することが自然ではないかとも感じています。それもまた自然の仕組みの一つだからです。

自然というのは、はじまりから終わりまで循環を続けます。ただその循環は何が循環しているのかということが重要です。自然界であれば、いのちが形を変えて循環を続けます。そのいのちがまるで水のように移り流れることで、私たちは生き続けて活かし続けられていきます。

本来のいのちがあるものは、そういう原点や根源的なものを失ってはいないものです。今の時代は、物質文明でいのちを物として扱い、便利さや効率を優先して経済効果を最大化するという仕組みで成り立っています。だからこそ、原点や根源的なものをあまり意識することもなくなってきました。

しかし、山は変わらずに今私たちの前にあります。その山と対話することは、今の私たちが忘れてしまっている原点や根源を思い出す大切な機会になるように思います。

子どもたちのためにも、はじまりから学び続ける姿勢を伝承していきたいと思います。