自然學問の実践~場の道場~

もともと私たちは自然からあらゆる原理を学びます。その理由は、私たちは自然に活かされ自然がなければ生きていけない存在だからです。この水も空気も太陽も植物も土も微生物もすべて存在しているから私たちの肉体をはじめ精神は健康を保つことができます。その自然の恩徳をいただき存在するからこそ、私たちはその恩徳の存在の根源は何かとその自然學問への探求心が磨かれていくようにも思います。

この自然というのは、言葉で切り分けた自然ではありません。自分も入っている自然ですからもっと突き詰めれば自分というものも存在しない、あるいは自分も渾然一体になっている自然のことです。

その自然の原理というのは、観察によって磨かれます。農などはまさに観察の學問です。自然のハタラキのありとあらゆるものを観察して察知し、その原理を活かして暮らしを成り立てます。むかしの人たちは当たり前に學問に励み、自然に精通していたともいえます。

そして同時に人間のことも観察します。人間の存在が顕す自然の原理をよく観てそれを「孝」として察知し學問を磨きます。人間の徳が、孝によって磨かれ高められ自然に深く厚く循環を恩恵をめぐらせることを発見します。

発見した原理を如何に実践するかというのが、この世の中の経世済民家であり今では経営者といわれる人たちかもしれません。経営者は、自分の経営からということであれば世界人類皆経営者ということになります。

論語大学に、明徳の道はとありますがまさに自然の道はと言い換えれば孝の実践です。人間がいつまでも自然のままであること、これを古来の日本ではかんながらの道とも言いました。

また原理を具体的に実践した人に、二宮尊徳先生がいます。

この方に「たらいの水」理論の実践があります。これはたらいを使って、世の中が丸くなっていること、つまり自然が一円であることを説きました。今では地球を外からいくらでも科学的に観察できますからこの原理は自然の原理であることはもう誰にでもわかります。その中で、二宮尊徳先生は「欲心を起して水を自分の方にかきよせると、向うににげる。人のためにと向うにおしやれば、わが方にかえる。」とし、贈与していく実践を見せてはそれが如何に循環して最終的な偉大な恵みになって帰ってくることを可視化しました。

この思想は、一円観ともいい私もこの思想の原理と同じ意識で徳が循環する経済を実現させようと挑戦しています。これを「場」に投影させるということが、今の私の実践です。

そのため私が「場の道場」を創設して、場のハタラキがどこまでその徳を循環させるのかを観察する実験場としているのです。

今回、その実験の一つの節目としてどのような働きがあるのかがまた新たに観察できます。たらいの水の理論は、私に言うとまず一円であること、そしてお水が宿していること、そして循環すること、さらには浮かんでいるということ、最後はそのたらいそのものが生きているということが重要です。

徳は永遠に巡り、それが子々孫々へと恵みます。

今の時代だからこその面白さを、學び治していきたいと思います。

ふるさとの宝

私たちの暮らしている場所にはそれぞれに固有の風土があります。この風土とは、その地域の自然環境のことです。しかしその自然の中には、単なる気候や土や環境のようなものとは別にその地域の人々の気質や生活文化、そして醸成されてきた性格を含めて様々なものが混淆しています。これらを括って風土ともいいます。

その風土が生んだものの一つに特産品というものがあります。これはその地域でしかできない、その地域固有の個性です。食文化などもその影響を大きく受けています。私たちが観光である地域を訪れ、その地域の素晴らしさを実感するときにその地域の特産品をその場所で食べると驚くほどに美味しく感じ、その地域の魅力に深く魅了されます。

私もかつて旅行でその地域の特産品を食べて感動して、それを持ち帰ったり東京で食べたりしましたがあまりその時のような感動がありませんでした。その「風土の中で」というのが最も重要だったことがわかります。風土には、人物空間、歴史や伝統などありとあらゆるものが混然一体になっているということでそれを深く味わえるのです。

この特産品の「特」というのは、特別の特のことです。この「特」の字はもともと古代中国の象形文字です。元々は牛に関する特別な印を示す意味で、牛をさしていたとされています。それだけ他とは異なる最も優れたものが牛だったということでしょう。特許や特有などといってむかしから大切なものの総称としても使われます。

そしてこの特産品は辞書で引くと「ある特定の国や地域でのみ生産 されたり、収穫 される物品のことでその地域を代表しその土地の気候風土を生かした物品のこと」とあります。

似た言葉に名品、名産品というものがあります。これは「その土地でしか作られないわけではない」ものです。その地域で売れていたり有名なものが名産品です。

しかし不思議なことにこれだけ重要な名産や特産の違いはあまり気にされず、言葉の意味や使い分けの部分は曖昧なままに偽物が年々増えているように思います。産地偽装や原材料の不透明化、さらには加工している時に大量の化学添加物を入れたりその土地の人や道具、あるいはプロセスなども無視したものでもまるで本物のように出回ります。世間では原材料も一部は違っても100パーセントと言っていいとかの規制緩和があったりして?ですし、他にも色々と調べれはきりがないほど「グレーゾーン」な部分が増えるのが当たり前で世の中は誤魔化しばかりです。それこそDAOの技術であるブロックチェーン技術も今は偽装を防ぐためばかりに使われています。

海外ではブランド品が模倣され様々な問題になっています。信じて買ってみたら、実際には偽装されたものだったとなれば売る方も買う方も悲しい気持ちになります。そうならないようにと、色々と対策を立ててはいますが売り買いする方も見た目ばかりを誤魔化して販売してきたことで、本物を見分ける力も失われているものです。

例えば、食に関する特産品であれば生産から加工販売まで全てを正直に自分で取り組んでいる人は偽装はしません。首尾一貫して本物にこだわり、伝統文化を守り風土と共に生きる人は偽装できません。それを「現場に見に行けば」すぐに本物かどうかは見分けがつきます。ただ、儲けに目が眩んで正直に取り組まなくなれば品質は下がります。

農業であれば、農薬や肥料をつかい機械化し大量生産をし種を改良しとすれば本来の風土の味が劣化していきます。加工でも便利なものを使い時短をし添加物などで誤魔化せば味が劣化します。また販売する方も、見た目ばかりで消費者が買いそうなものにデザインし流通にのるように価格をコントロールすることでさらに味が劣化します。

つまり正直に取り組まないから味が劣化するわけで、正直に取り組んでいれば味はその風土を体現するような本物の磨かれた味わいが出てきます。味に出るから本来は誤魔化せないはずなのですが、味を目や脳みその思い込みで食べている時代はなかなか本物を見分ける本能や感性も劣化してしまうものです。

話を戻せば、特産品というものは本来は「ふるさとの宝」です。このふるさとの宝をどう甦生して、そのふるさとの魅力を開発していくかはその志事に関わる人たちの大切な使命であるはずです。

それに気づいている人たちが地域の宝を守り、その宝を守る時にブランド化するということでしょう。みんなで守ろうとしなければブランドはできません。まず何が地域の宝なのか、そしてその宝をどう守るのか、それが将来の子どもたちや子孫へ何を譲り遺せるかにかかってきます。私が取り組む古民家甦生もですが、現在の消費優先の利益吸い上げ型の仕組みに気づき宝を磨いて守っていくような経世済民型の仕組みに転換していく必要性を感じています。

核心は常にこの宝を何にするかにかかっています。

引き続き、人類の本当の宝を磨いていきたいと思います。

徳積帳のヒント

江戸時代における日本最大の私塾に日田の咸宜園があります。これは豊後の三賢人の一人、廣瀬淡窓が開いた私塾です。三賢人は他には、梅園塾の三浦梅園、西崦精舎の帆足万里があります。それぞれ独創的で本質的な教育者で和の系譜を伝承されています。

廣瀬淡窓は、敬天思想の実践者で「万善簿」をつけて善に取り組みました。これは毎日善を積めれば白丸、そうではなければ黒丸、毎月集計して白丸を増やしていき一万の善を積むというものです。この善は、別の言葉では徳ともいいます。毎日徳を積んで、一万回ということでしょう。日々の暮らしを善や徳を意識して実践するというところに、この咸宜園の理念を感じます。

咸宜園の「咸宜(かんぎ)」は中国の詩集「詩経」の言葉fr「ことごとくよろし」という意味になります。これは徳を活かすという意味とも言えます。また実際には身分、学歴、性別を問わず誰でもどんな人でも入塾ができるという三奪法(さんだつほう)」というものを定めます。年齢や地位や職業など問わないで人間本来の學問を一緒に取り組むということでしょう。

むかしの私塾の創設者や學問を立てた人たちは、その人格のすごさや内容の素晴らしさにいつも感銘を受けます。これは伝統技術や伝統工芸でもむかしの人たちのつくり上げたものに現代の人たちが叶わないのと同じです。それだけ人格が磨きあげられ、暮らしが丁寧であったことが想像できます。

廣瀬淡窓は、學問への姿勢として「淡窓詩話」の中でこういうこともいいます。

「天下ニ廣ク流行スル説ハ。其説必ス浅近(せんきん)ニシテ一偏(いっぺん)ナリ。如此(かくのごとく)ナラザレバ。中下等(ちゅうかとう)ノ人ヲ引キ入ルゝコト能(あた)ハズ。予ガ如キ漠然タル説ハ。迚(とて)モ人ノ耳ニ入ラズ。是亦子莫カ中ヲ執リテ權ナキノ類ナルベシト。自ラ一笑シテ止ミヌ。」

意訳ですが、「天下に流行している学問の極端な説は、浅はかで偏っているから人気があってすぐにうける。しかしそういう俗うけするものはそういう浅はかな人たちがばかりが集まってくるものだ。自分のいうような当たり前の説は、ほとんど広がらないし俗うけしないし目立つこともない。これは中庸であるからで、極端ではないからであると。いつも笑って受け流している」と。

これは現代の珍しい著書やニュースや偉い人たちが極端なことをいってテレビなどで注目されて人気が出ているのを見てもよくわかります。みんな新しい説や極端な説ばかりを探して、メディアはそれを取り上げては情報ビジネスで儲けています。しかし、本来の中庸とは「あたりまえ」のものです。それは空気や水や光などの自然の道、あるいは暮らしという生活と意識であったりもします。

私も日頃から話していて世間からみるとそんなの知っているということを何度も地味に伝えています。しかし知っているだけで実際にやっていないのならそれは知っているとは言わないものです。知りたがりが増え、知ることが目的になってしまえば、あたりまえの本質的な意識を改革するような暮らしは遠ざかる一方です。一人の暮らしが変われば世界が変わるといっても、今は10億人が変わることの方が変わったという時代です。

本当のことを學ぶは、人の教育の理由と本質であり、人格を磨くことにおいてはまず「あたりまえ」から共に學び直しはじめましょうということかもしれません。それは古今問わず誰にでもある普遍的な「暮らし(生活)」からということでしょう。むかしの私塾が全寮制であったり、共に師弟で薫風するのを見つめているとその本質を感じます。

私もこの場で暮らしフルネスを実践していますが、引き続きあたりまえのことを丁寧に取り組み徳を積んでいきたいと思います。

盂蘭盆会の徳

先日から自宅で今年の分の落雁をつくり盂蘭盆会のお供えをはじめています。今回は菊の花を象った木型をつかい美しい菊の落雁ができました。以前、このブログでも紹介しましたが落雁は室町時代に中国経由で日本に伝来したものです。

落雁の名前の由来は中国では軟楽甘という名前からというものと、平たく四角形に固められた表面に胡麻を散らせた様が近江八景のひとつ「堅田の落雁」に似ていたからとも。実際の内容は、仏陀の百味飲物(ひゃくみおんじき)が由来です。これは目連という僧侶が亡くなったお母さんが食べられるようにと供養に用いたところがはじまりです。

実際に手作りで落雁をつくってみると、その一つ一つの工程が供養に結ばれていることが分かります。私たちは誰かのことを思いやり、真心で手作りするとき手から供養が入ります。物質的なものの見方だけではなく、たとえ目には観えなくてもこの世には魂や思いのようなものが存在します。

例えば、「場」というものにおいても追善供養といっていつまでも亡くなった方の遺徳を偲び、いつまでもその人への感謝や魂への尊敬を失わないでいるといつまでもこの世に存在し続けています。目には観えないし直接に触ることもできませんが、意識を通して触れ合うこともでき、同時に冥福を祈るように供養をすると心で通じ合うこともできるように思います。

お経やお香、お水やお光など、また声や音などを通しても伝わっていくようにも思います。私たちはそういう目には観えないものを「場」で感じることができるのです。

私が場を調えて、場を磨くのは、目には観えないものの存在によって私たちが謙虚に覚り反省しさらに世の中を明るく徳が伝承していくような実践をして豊かさや仕合せを感じるようにしていきたいからです。

私たちの存在は、親祖をはじめ祖先からずっといただいてきた何かでできています。それも徳の一つです。その徳を大切にするために、私たちは先祖へのご供養をします。先祖を思い慕い冥福に感謝するとき、同時に自分自身の徳へも感謝していることになります。

この盂蘭盆会の時機は、一年でもっとも豊かな暮らしが味わえる時間です。丁寧に真心を籠めて、場を調えて先人たちの遺徳の全てにここから祈りたいと思います。

徳の根源

懐徳堂の学問を深めていくと、「孝」が中心になっていることがわかります。この孝とは、中国の孝経が由来で孔子が弟子の曾子に孝こそが徳の根源と語ったものから由来します。

孝経の中で「身体髪膚之を父母に受く、あえて毀傷せざるは孝の始なり」とあります。これは自分の身体は元々は父母からいただいたもの、その身体を大切にして傷つけないようにすることが最初の孝行であると。そこからずっと辿っていけば、ご先祖様からいただいたこの大切な身体を真心で大切にしていくことが孝行であるといいます。

そもそも「徳の根源」というものはどのようなものか、私の解釈ではそれは生まれる前から私たちに具わっているというもののことです。これは人間に限らずあらゆる生き物にも等しくいえます。

生まれたばかりの鶏でも本能があり、誰も何を教えてなくても餌の食べ方や遊び方、水の飲み方からその体の使い方や鳴き声が具わっています。親は子を守り、子は親を信頼します。これは自分が勝手に得たものではなく、父母をはじめ先祖からの徳の根源の存在があるからです。

自分の身体と共に生きている存在に感謝してそれに孝行することは先祖に孝行することと同じとも言えます。その気持ちをもって実際の父母を自分と同じように孝行をし、そして同時にその先のご先祖様たちの存在にも感謝を忘れないで暮らしていくことができればそれは徳を積んでいるのと同様であるということでしょう。実際には、その孝行を盡すのを広げて他にも国家の主や上司や先輩にも仕えていくことを忠孝ともいいました。明治維新以降はこの忠孝という言葉が戦争に使われ戦後はこの忠孝を忘れるような教育が入り家の概念も薄れて失われていきました。今では歪んだ個人主義が蔓延し、忠孝はパワハラや押し付けともなっています。

本来、この忠孝は「徳」の存在を感じるものであり、身近な徳を理解し実践するのに何よりも近道になっているものだったように思います。自分を大切に見守ってくださっている存在を自分と同じかそれ以上に深く思いやり愛することによって私たちは徳の根源にいつも出会うということでしょう。

懐徳堂もその教義の中で、「孝」「悌」をまず第一の徳目として掲げていたといいます。具体的には「父母によくお仕えするのを孝といい、年長者によくお仕えするのを悌と名付ける」とあります。そして「孝悌の二字は日夜心がけて、一生忘れてはならない」ともいい學問の道に導いていました。

同じく近江聖人と呼ばれた中江藤樹先生は、「父母の恩徳は天よりも高く、海よりも深し」といい同じく孝を第一義に実践をされ徳のことをあるがままに伝承されました。また孝行にならないものとして「にせの学問は、博学のほまれを専らとし、まされる人をねたみ、おのれが名をたかくせんとのみ、高満の心をまなことし、孝行にも忠節にも心がけず、只ひたすら記誦詞章の芸ばかりをつとむる故に、おほくするほど心だて行儀あしくなれり」ともいいました。つまり孝行や忠節がなくなると、人は父母の恩徳を忘れているということでしょう。自分の代のことばかりを憂いて夢ばかりを追いかけていると志が損なわれていくのはいつの時代も同じです。

懐徳堂の代々學主の生き方をはじめ、三浦梅園先生、麻田剛立先生など道なき道を拓き子孫へと徳を伝承された方々は共通して静かに隠棲し名誉や地位や権力やお金など私利私欲よりも公や天下万民、あるいは子孫たちの真に豊かな未来のためにと生涯を盡されておられたことが生きざまから観えてきます。この根本には、常に共通して「孝」があると実感します。

これから盂蘭盆会の時節ですが、ご先祖様のことをずっと感じ続けるこの期間はとても仕合せを覚えます。落雁をつくりお供えし、献花し香や火を絶やさずお水を添えてお祈りをする。父母の恩徳や家の有難さを最も感じる場です。

長い目で観れば最も子どもたちに伝承したいのはこの「孝の心と実践」です。引き続き、自らが恥ずかしくないように心身を調えて心穏やかに恩徳に報いていきたいと思います。

古今を懐かしみ真の今に至る大切さ

昨年、三浦梅園生誕300周年記念シンポジウムを開催したことのご縁からその學朋で同志の天文学者、麻田剛立のことを知りました。麻田剛立を知って大坂にある町人による學問所、「懐徳堂」にご縁が結ばれました。私が取り組む「徳積堂」に名前が似ていてすぐに関心が湧き、どのような「場」であったのかを深めました。

懐徳堂は今から300年前の江戸時代、五人の町人有志が出資して創設されその後も町人有志により運営された私塾ということがわかりました。そしてその學風も自由で寛容、自律や自助、そして貴賤貧富は関係がなく、謝礼も貧苦の方々は受けずまた聴くだけでもいいとあります。この当時、世界のなかでもこれだけ開かれ純粋に學問に取り組める場はありません。

最初の學主は、三宅石庵といい万年先生と呼ばれていました。朱子学を始め、陽明学、古義学、医学等々の諸学の善いところ取りをするから周囲から鵺学問といわれたそうです。鵺とは伝説の妖怪の総称です。鵺の見た目はサルの顔にタヌキの胴体、さらにはトラの手足に尻尾はヘビのようになっていてここから鵺学問とは得体のしれない不思議ではっきりしない人物や学問だといわれたということです。現代でも似たようなもので、分類わけできないものは得体のしれないものとして評価されないのと同じです。しかし本来はこの鵺のように、真の學問は「分かれていない」ところにあるものです。一物全体ともいい、一円融合ともいい、真の実践者たちは自然体で丸ごと自由に學び問い続けます。この懐徳堂の學風は、この鵺学問の実践がその後に偉大な影響を与えます。

その初代學主、三宅石庵はこの私塾創設の理念や初心に「人の道」を掲げます。

『扨学ト云ヘルハ、何ヲ学ブモノゾ、道ヲ学ブコト也、何ヲカ道ト云フ、人ノ道也、人ニアラザレバ各別、人ト生レタルモノハ、人ノ道ヲ学ハ子バナラヌ也。(學とは何を学ぶのか、それは道を学ぶのである。道とは何か。それは人の道のことである。人と生まれたからには人の道を学ばなければならない。)』

學=道=人だと言います。つまり人は道を學ぶことが誠の人になることだと、そしてこう続きます。

『シカルニ気質ノ偏ガ有ツタリ、耳目ノ欲ガアリテ、フト我ガ生レツキテヲル道ヲトリ失フナリ、ソレヲ失ナハズ、生レノママナルガ聖人也、学トハソレヲマナブ也。(現実には性格の偏りや情報の刷り込みや目先の欲望によって人は自分の生まれつきの道を失うことがある。それを決して失わないままでいることが聖人である。學とはこの聖人になる道のことである。)』

これは人=聖=徳であり、自分が生来もっている「徳」をいつまでも失なわずに存分に発揮できることが聖人でありそうあり続けるように學び続けることが道徳であると。

畢竟、人の道は「徳」に尽きるのでしょう。

懐徳とは、その徳の意味を心に深く省みて生きようとする生き方のことです。ご縁あって今月の8月25日に「徳積堂と場の道場」で「懐徳堂300周年供養祭×徳が循環する未来の甦生シンポジウム×ブロックチェーン経済」を開催することになり、先んじて先人たちのご遺徳を偲び墓前にご焼香と献花とご念仏をお供えしてきました。また旧懐徳堂跡の「懐徳堂旧阯の碑」でも一緒に登壇する禅僧、星覚さんと法螺貝奉納をはじめ供養祭をしてきました。大阪の今を眺めつつ、日本人の和の系譜に思いを馳せる善い機会になりました。

この今は普遍的な道を生きた方々への懐かしさがあってこそ真の今になると私は信じています。今を生きる私たちは子孫として先人たちの遺徳をよくよく顕彰し伝承し、その後の道を歩む一人として真摯に學問を心の中で磨き続けていくことが大切なのではないでしょうか。懐徳堂を知り、明治以前にあった思想は、私たちの思想の根源と結ばれていることに氣づきます。明治のころに歴史が消失し分断されましたが今一度、懐かしく徳を結び直して道を続けていきたいと思います。

古今を懐かしみ真の今に至る大切さを忘れないで300周年のご供養といたします。

懐徳堂の代々の學主、創設者の方々。またご縁を結んでいただいた方々。懐徳堂が144年間、塾生たちが学んだ場所跡。

三宅石庵
中井甃庵
三宅春楼
中井竹山
中井蕉園
中井履軒
中井桐園
並河寒泉
五井蘭洲
五井持軒
富永仲基
山片蟠桃
長崎黙淵
中村良斎
井上赤水
麻田剛立
緒方洪庵
緒方八重

徳積堂と懐徳堂のご縁~富永仲基の氣づき~

富永仲基のことを深めていると、歴史の面白さを改めて感じます。私たちは現代に生きていますが、なぜ今のような歴史観になっているのか。そして歴史のはじまりから今に至るものは実際にどのように編纂されてきたのか。歴史をただ人の言い伝え、あるいは書かれたものを鵜呑みにする前に、どのように編纂されてきたかを理解するというのはとても大切であるように思います。

もっと言えば、なぜ言葉はこうなっているのか。なぜ音と言葉は今のような関係になっているのか、あるいは本当は最初は何で何をどう加工されてきたのかなどのことをもっと知ろうとすることはこれから何をどう自らが自らの歴史を人生で編纂するかという事実と向き合うにも重要だと思います。

思えば、孔子をはじめとした人たちのことを儒者と呼び、仏陀をはじめとした人たちのことを僧侶と呼びます。しかし元々孔子や仏陀が本当に今のようなことを言ったのか。かれこれ2500年以上前の話で、本当にその時代の人だったかも実際には定かではありません。そして経典をはじめ、解釈された本などもそのずっと後になって誰かによって編纂されたものです。本人がすでにこの世にいないのだから、そういう意味だたったかどうかも本当のところは定かではわかりません。

そもそもこの定かではないことを如何に信じるのか、善いことを言っているのだから別にそれでいいではないかということもあります。それをいちいち調べて紐解き、本当はどうかということを言い続けていたら話が纏まらなくて紛争すら起こるではないかと。しかしわからない事実はどうあれ、「編纂されたこと」はちゃんと調べて紐解く必要があるように思います。

ひょっとしたら私たちが2500年前からと信じていたものが50年前に誰かが新たに上書きして編纂した別ものだったりしたら驚くと思います。しかし実際には、時代の価値観をはじめそれぞれの民族の性質、あるいは言葉の定義の違いやその時代の権力者たちの思惑などあらゆるものが上書きされ編纂されます。とにかく全てがちぐはぐになっているのだからそれを編纂を見極めるというのは難しいのです。

富永仲基はその著書、「出定後語」のなかで加上説を唱えました。これは歴史は代が経ることにそのさらに上の歴史を載せて編纂していくということ。原初のものがあって、時代が経つたびにさらに古い時代のことを持ちだして歴史を改ざんしていくという事実です。なので人類の編纂は事実に対して二極化されてどちらが正否での議論はなく、もっと古いものを持ちだして単に上書きしてきたということです。

これは個人でもある自分の先祖のことを遡るとその人本人はもうこの世にはいないのだから推定で色々と調べて編纂します。しかしその先祖が本当にそうだったかと別の子孫が語ればその人はいないのだからもっと前の先祖からの話を付け加えて説明します。つまりは後世になるたびに上書きを繰り返していくという原理です。それは本人とはもう別の話になっています。これはもう本人にしかわからないということでしょう。それでも本人になり換わって編纂していく、これが歴史の編纂をしているということでしょう。それに今の私たちが信じている歴史は勝者になればすまたそれまでの敗者の歴史を上書き編纂していきますからその時にももっと古いものを付け加えては自己の歴史を新たに加えて正当化していくということでしょう。

編纂というのは、編纂者が何を上書きしたかということをよく観察すると歴史を紐解くことができるように思います。不思議なことですが、絡まった紐を紐解くように上書きされたものを少しずつ剥がしていくなかでその奥に入っているものを洞察していくということに似ています。

笑い話ですが、全部紐解いてみたら中身が何もなかったということもあるかもしれません。最初の点が何だったのか。富永仲基は別の著書「翁の文」で「誠の道」ともいいました。言葉や文字が氾濫し複雑極まりない現代の情報が溢れかえった仮想経世の真っただ中でその最初の歴史の「点」を覗いてみたいものです。

ということで、今月の8月25日に福岡県飯塚市にある「徳積堂」で富永仲基が学んだ懐徳堂300周年記念を兼ねて先人たちのご遺徳を偲び徳積循環経済のシンポジウムや供養祭を開催しようと思います。

点をどのように結ぶかのなかに、真の徳積を味わえるかもしれません。楽しみにしています。

懐徳堂の甦生

昨日から懐徳堂の代々堂主や先生方のご供養をしにそれぞれのお墓参りをしてきました。いくつかのお墓にはその方の人生がどうであったかが文字で刻まれ、徳が顕彰されていました。

実際に歴史を省みるとき、現地に赴きそれぞれの遺した跡を辿ることで知識として得ている情報が実際に感じられるものに変わります。そこには、場の不思議があり場にはいつまでも徳の余韻が残るものです。

それぞれの墓前で、ご冥福をお祈りし献花、焼香をし、お経をあげて現状の世の中のこと、私の志、また行く末や未来について報告してきました。

先人たちはどのような未来を画いてその時代を生きておられたか、その思いに心を合わせる時間になりました。

そもそも人が何かをするとき、そこに志があります。懐徳堂であれば、最初に五同志が資金を持ち寄り設立するときにその志を定めて開堂します。そして道なき道を切り拓き、その道の最中に志ある方々がその場所でその志を同志や同胞、仲間と磨き合い精進して道をさらに結んでいくのです。

懐徳堂の玄関柱には中井竹山の筆になる竹製の聯が玄関柱にかけられこう文字が刻まれていたといいます。

「学に努めて以て己を修め、言を立てて以て人を修む」

そして懐徳堂が明治維新後に体制が変わりその144年の歴史に幕をおろし閉堂する際に学主となった並河寒泉は一首したため門前に下記を詠み掲げました。

「百余り四十路四とせのふみの宿 けふを限りとみかへりて出ず」

しかし、その後も同志や有志が何度も懐徳堂の徳が顕彰され甦生を続けて今に至ります。

道というものは、最初切り拓いてからそのうち誰も通らなくなると草や木が生え鬱蒼とした森になります。しかしその誰かが通った道を、改めて歩み直して調えているとその遺徳の道が永遠に場にあり今でも見事に甦生するのを感じます。

先人たちの歩んでこられた道は、失われることはなく今でもその続きを私たちが歩んでいるともいえます。改めて、志を持ち、同志の理想の未来を共に歩むと心に深くその士魂が響いてきます。

懐徳堂がはじまり300年が経ち、大坂をはじめ日本は経済大国としてどのように振舞っていくのか。何をもって経済大国であり、何が私たちの先人たちが目指した経済の本質であるか。今一度、原点に帰り懐徳堂から学び直していきたいと思います。

懐徳堂300周年のご供養

懐徳堂の300周年のご供養のために今日から大阪に向かいます。それぞれの先人たちの墓地にお伺いしてご遺徳を偲びます。そもそも私たちが今の時代にこれだけの様々な恩恵をいただいているのは先人たちの志と実践、実行の御蔭です。その志の糸を、連綿と継ぐ方々によって長い時間をかけて結実してきたものです。

例えば、学問においても大志を抱いて世のため人のためと偉大に願い取り組んできた人物たちが一代では終わらないその志をやり遂げるためにいのちを懸けて道なき道を切り拓き挑んできました。その挑んだ道の壮大さに感銘を受けた同志たちが弟子になり、或いは朋となりそれぞれの場所で志を継承して結実に貢献していきました。

こういうものは志の系譜を辿れば観えてくるものです。特に日本は、和の系譜があり最初まで辿るとそこには偉大な先人たちの志が連綿と結ばれているものを感じます。特に和という祈りは、縄文時代よりもずっと前から私たちの民族が大切にしてきた真心です。

その真心の道を、時代時代に生きた人たちがそれぞれの持ち味と徳において発揮して世の中の和に貢献していきました。私はこの和の系譜の実践こそが、このブログのタイトルにもなっていますが「かんながらの道」だと信じています。

私もかんながらの道を歩みたいと普遍的な同志たちの生きる魂に憧れ取り組むなかで和の系譜の方々の遺した言霊や士魂に本当に励まされています。

現代は、人類の行き過ぎた欲望の果てに思考停止し雑なものや余談のような話ばかりが出ては情報に操作され、懐かしい徳が輝くシンプルな生き方や暮らしが蔑ろになっています。それは知識として持つものではなく、志としてふるまうものであったはずです。

そのふるまいの一つに、ご供養や遺徳を偲ぶというものがありました。私たちが先人の御恩に深く感謝して自己を見つめどう生きるのかを学び直すのです。本当は、知識ではなく生き方からというのが志の編み込みになるように私は思います。

心静かに祈りと共に歩んでいきたいと思います。

魂の詩

私をずっと支えてくださっていた恩人の詩があります。その恩人はいつも一行詩を私に贈ってくれました。いつまでも心に薫り続けるのが詩です。今思えば、詩を贈ってくださった真心に涙がでます。

もうこの世では、お電話することも詩を贈ることもできませんが心の中で詩と共にいつも一緒にこの先も歩んでいきたいと思います。

詩「暮らしフルネス」

「かつて日本には自然と一体となった

モノにも礼儀を正す循環型の美しい暮らしがあった

その象徴が藁葺家

自然と共生し

仕事と暮らしを一体化するかんながらの道

暮らし方を変えることが

働き方を変えることになり

新しい豊かな社會を創造する

子どもも大人も育つはたらき方

和の文化と場の文化の甦生

仕事場は仕合せ場

日々を新たに 心を磨く それが 暮らしフルネス 」

清水義晴

ご冥福を心からお祈りしています。変革は、弱いところ、小さいところ、遠いところから、決して奢らず謙虚に素直に憧れた背中をこれからも歩み続けていきたいと思います。

魂の詩、ありがとうございました。