失われたものから学び直す

無事にスリランカに着いて今日から移動を開始します。日本ではストーブをつけ朝から雪が降っていましたがこちらは熱帯でクーラーをつけています。早速、蚊が襲ってきて寝不足気味です。コロンボという都市に泊まっていますが、それでも早朝からニワトリが鳴いている声で目が覚めました。猫も犬もいて、小鳥も多く自然がいっぱいです。

スリランカの人々の特徴は、一般的には家族を大切にし、人とコミュニケーションをとるのがすき、時間に少しルーズで平和的だと言われます。日本の離島のような雰囲気もあり、また僧侶が尊敬されていてみんなで大切に接したり、よくお祈りをしたりとむかしの懐かしい日本の雰囲気があります。

今回は、一昨年よりご縁ができて関係が深まった方がご案内してくれます。色々と丁寧で親切、薬草をはじめ巡礼や伝統的な暮らしなど日本で取り組んでいる暮らしフルネスや遊行、また子ども第一義の理念の学びも深まる予感がします。

すでに日本では失われてしまった文化を学び直すことは、自分たちが本来どのような民族で何をしてきたか、その初心に帰ることでもあります。

また私は徳積財団を運営し、徳が循環する経世済民の世直し行に取り組んでいますがスリランカの仏教の形態や功徳を重ねる仕組みにとても共感があります。日本では、ほとんどが職業と宗教が一体になっていて出家といっても、布施や乞食だけで生きている人はほとんどいません。

しかし本来、古来からの仏陀の仕組みは布施と乞食により徳を積む実践を通して人々に因果律をはじめ輪廻転生などを伝承してきたものだったはずです。

自分の中にある常識を疑い、今一度、何が布施経済の根幹なのか、何が徳積経済の本質なのかをこの場所から見極めていきたいと思います。

波動を調える

今年一年を振り返って見ると御蔭様で新たなご縁に恵まれてとても充実した一年になりました。その「新たな」というのは、「新たな意識で出会ったご縁」ということです。ご縁は自分の波動や意識が大きな影響を与えています。日頃の暮らしで何を観て何を考えて何を食べてというように、自分が日々に調えている波動や意識によって出会うご縁も変化します。

例えば、霊峰英彦山の宿坊に棲み静かに光や水の音に耳を傾け空気を深く吸い込み静かに座禅をしているとお山の気配を感じます。お山の気配とは、お山の呼吸のことです。その呼吸に自分も一緒に包まれていると、そのお山の波動になっていきます。

すると、それまで見えていた景色が変わり今まで観えなかったものが観えてきます。同時にあらゆる感覚が変わり、刻の流れや場の雰囲気すら変わります。場がその波動を調えて変えていくのです。

何だかスピリチュアルな話だと思われそうですが、実際に人間の身体感覚というのはどこまででも鋭敏になります。直観というものもまた、鋭敏な神経が見事に波動と調和して事前に洞察させたり感得させるように思います。シンクロニシティやテレパシーなど超能力のように閃きが迸ります。

話をご縁に戻せば、それだけご縁というのは次元を超えてあらゆる波動と巡り会っているということでしょう。そうして暮らしていると、似たような波動の人たちが集まってきます。さらに深く言えば、同じ身体感覚や神経を研ぎ澄ませて鋭敏にしているような仙人のような人たちと出会うのです。

仙人というのは、単なる能力が秀でた俗世から距離を置いた人として解脱したような存在と思われていますが実際にはそうではありません。当然、波動を高め徳を磨いていますから人間として深い魅力があり思いやりを持ちます。同時に、生き方を見つめ、生き方を優先していますから道を一人歩んでいます。

有難いことに仙人苦楽部を続けていると、よく仙人に出会います。そして私も仙人のような暮らしに近づいていきました。私たちは誰もが仙人としてのポテンシャルを秘めています。それが開花するかどうかは自分の波動をどうするかに由ります。そしてその波動を調えるのに暮らしの改革が必要です。別に仙人になったら何かいいことがあるのか、便利な何かがあるのかと思われるかもしれませんがそんなものはありません。

ただ仙人は、お山であればお山がどう生きて自然を守り豊かないのちを育んでいるのかを察知でき喜びを深く味わえます。また伝統的な先人たちの智慧に包まれ仕合せを深く味わえます。つまり永遠に豊かな心で生きていくことができるように思うのです。

好奇心というものもまた、仙人たる由縁の一つです。来年も、好奇心を存分に発揮して原初の道を求道し丁寧な暮らしを実践し波動を調え、新たな出会いを大切にしていく一年にしていきたいと思います。

今年も本当にお世話になりました。改めて感謝申し上げます。

原初の仏陀

スリランカの訪問にあわせて改めて仏教伝来のことを深めています。もともと仏教には、南伝仏教と北伝仏教というものがあります。

南伝仏教は、アショーカ王 の子(一説には弟)のマヒンダが前3紀頃にセイロン(スリランカ)に伝えた仏教であるといわれます。この仏教を上座部仏教ともいいセイロンから東南アジア諸国へと広まり発展したものです。仏陀が亡くなってすぐからの伝来なので初期仏教とも言われます。それに対して、北伝仏教は西北インドからシルクロードに沿って、中央アジア、中国、朝鮮半島、日本へと伝来した仏教のことです。これを大乗仏教とも呼ばれます。紀元前1世紀ころにガンダーラからパミール高原をこえて紀元前後頃には中国西部に伝えられました。有名なのはこの経典を漢訳した5世紀の鳩摩羅什 (くまらじゅう)、また7世紀の玄奘 (げんじょう)です。言い換えればこの2人の仏教が今の日本の仏教の原初かもしれません。

仏陀は本来は名前ではなく「悟りをひらいた人」を意味する称号です。今の日本では仏像になったり神様になったりと人ではないものになっています。しかし原初の仏陀は、ゴータマ・シッダルタさんとして己を磨き修行をして執着を手放し人としてどう生きることが仕合せかということをあらゆる角度から究め盡した人物のようです。人間が持っているすべての感覚や欲望、感情などを見つめ、それが何であるか、どうあることがいいかを解きました。好奇心の塊のような実践者です。

現代では仏教は相当数の派閥や部にわかれてそれぞれに解釈が異なり、時には争いの原因ともなっています。また政治にも密接に関わっており、それぞれの権力者たちが採用して治世の役に立てました。私たち日本でも、聖徳太子の時代に仏教を取り入れ、その頃の神道や儒教などとぶつかった歴史があります。

教えというものは、言葉と似ていて二元論を持ちます。善か悪か、正しいか間違いかと、常に言葉が二つに分けていきます。もともと口伝を採用していた初期仏教はその言葉の性質を知っていたのかもしれません。私たちは、言葉という便利な道具によってあらゆる知識を便利に理解でき、そして新しいものを発明するための道具にしていきましたがそこには長所もありますが短所もあります。バランスを保つというのは、形にすればするほどに難しくなるものです。

本来、聖徳太子が理解した時のように分かれる前に回帰するというのがいいように私も思います。聖徳太子は、神儒仏習合や神儒仏混淆ともしました。そもそも一本の木が、根と幹と枝葉に分かれたように丸ごとを観ると一つの木であるというのです。

私もこれは全くの同感でそもそもが一つの木でできていると捉えると分かれていることでそれと敵対することがありません。また、一本の木が成長と捉えたら全体最適であることが分かります。

先ほどの上座部仏教と大乗仏教の違いであれば己自身が悟ることと、大勢の人々を救い助ける利他に生きることは一本の木が成長する過程と同じです。新芽が出て、真摯に生きていけば周囲を活かします。そしていつか花を咲かしたくさんの実をつけ種になれば周囲を救います。別々のものではないということでしょう。

スリランカには、ゴータマシッダルタさんが生身で生きていたころと同じ暮らしをし、具体的にその人物に会った人たちの子孫がいます。その子孫が、何を感じ、何を学び、何を守ってきたのかを感じることが私にとっては原初の仏陀の痕跡になります。

因果の法則を解いた仏陀の御蔭さまで、一期一会の氣づきとご縁でスリランカと結んでくださいました。丁寧に原因と結果の間を辿りつつ、未来の子どもたちのために学び直してきたいと思います。

人類の大先達

スリランカのヴェッダ族のことを深めていると、驚くことが次々と出てきます。このヴェッダ族は人類の起源にまで遡るほどの歴史を持っている奇跡の民族です。ヴェッダ族に触れることは、人類の起源に触れることにもなります。人類のルーツが何か、これは私は保育の仕事に取り組んできたからこそずっと追い求めていたテーマの一つでした。今回の訪問では、これからの未来の子孫たちの行く末のためにも人類の深淵に出会ってきたいと思います。

もともとこのヴェッダ族は、古代、中石器時代に生きた最古の人類であるバランゴダ人 (ホモ・サピエンス・バランゴデンシス)の直系だといわれます。これはスリランカの大多数のシンハラ人とは異なります。洞窟の遺跡から発見されたバランゴダマンは少なくても紀元前 38,000 年前には定住していたともいわれます。別の科学者によれば、50万年紀元前からこのスリランカの地にいたともいわています。

人類の原初の暮らしを今でも持続し保ち続ける奇跡の民族、このヴェッダ族は地球と共生してきた人類の原型です。今でも狩猟採集民としてスリランカの森や自然環境と密接に結びついた暮らしを続けています。

もともとこのヴェッダという言葉の語源は、ウェッダー(Vedda)です。弓矢を持った狩人を意味するサンスクリット語の「ヴィヤダ」に由来します。実際のヴェッダ族は自らを「ワンニヤレット(Wanniyalaeto)」(森の民)と自称します。

日本の古神道の杜と同様に自然崇拝で、あらゆる自然の叡智と共に場を守り暮らします。自然や森の精霊を尊び、いのちの循環する宇宙の真理と共に生きます。私たちが文字や映像などで見聞きした何よりも神聖な空間と結界を守り続けて今でも真実を生きています。

私たち現代の人類は、あらゆる欲望の成れの果てに今の人類のみの世の中を好き放題に席巻してきました。もはや教えというものも何が正しくて間違っているのかも、あらゆる宗教派閥紛争や権利権力の集中や歪んだ知識の上書きの連続でもはや原型すらとどめていません。時折、自然災害に遭遇し目覚めるかと思えばまた同じことの繰り返し、人類は歴史から学びません。

しかし現代のようにいよいよ人類の成熟期で文明の末期症状が出ているからこそ、私たちは原点回帰し今一度、真実に目覚める必要があるのではないかと私は感じます。その真実は、誰かの専門家や権威の知識ではなく、大多数が信じる何かではなく、説得力のある本質的な正論でも教えでも記録でもなく、「真実を生きてきた人たちの背中」から學び直すことだと思います。

人類は、過去に何度も滅びそうな目にあってもいざという時のために種を遺してきたから今も持続しているともいえます。種は改良してどうしようもないほどに改悪されても、もしも最初の種が残ってあればそこからちゃんと生まれ変わり甦生することができるのです。

その種とは単なるDNA的なものではなく、意識や精神、生き方や暮らし方などを保つ人々の生活様式などが統合された今も遺り生きる人々の叡智のことです。

私は暮らしを変え場を創ることで、人類は変わると信じている一人の人間でもありますが暮らしの根源を持つ人たちはまさに私にとって人類の大先達です。

大先達から人類とは何かを真摯に學び直し、子どもたちのために真実の道を結んでいきたいと思います。

地域の宝徳

昨日は早朝より庄内中学校の有志の生徒たちが100人以上が集まり飯塚市の桜の名所の一つでもある鳥羽池周辺の清掃とゴミ拾いを行いました。地域代表としてお手伝いに参加してからもう3年目になります。最初は生徒会で実験的に取り組んでみて、その後は部活動の生徒たちが参加し、今では全校生徒で有志が集めいつも100人以上の参加するほどになりました。

庄内中学校は、校内にあるメタセコイヤの大木にイルミネーションをつけて地域を明るくする活動や、その資金調達にクラウドファウンディングに取り組むなど、実社会に基づいた社会への参画を色々と挑戦しています。またブロックチェーンの講義を受けたり、コロナ後の地域のお祭りに新たに積極的に参加したりとこの数年は特に目覚ましい活躍です。学校行事も次々と生徒が主体的に自由に取り組んでいるのが拝見でき、素晴らしい教育と大勢の見守りのある学校だと改めて母校の変化に感銘を受けました。

この鳥羽池の清掃では、初年度のゴミは恐ろしいほどの量で粗大ゴミや産業ゴミなどとても中学生の手におえないほどのものが出てきました。池の水が少なくなるこの冬の時期に誰かが捨てたものが池の中から出てきます。この場所は、夜は住宅が少なく人目につかないからと捨てに来る人がいるのでしょう。それを真摯に靴も泥だらけになり汗をかいて拾っている子どもたちの姿を見たら捨てられるはずはありません。

またゴミのほとんどを分別すると、ビールやコーヒー、ジュースの空き缶とペットボトル、それにお菓子や弁当などの袋、プラスチックや発泡スチロール、それに釣り道具などです。自然には容易に分解されないゴミばかりが池の周辺や池の中に大量に出てきます。同じ場所に吸い殻や同じ空き缶があるところは、同じ人がそこで捨てているのかもしれません。

この取り組んでから3年間、毎日散歩している人が拾ったり、ゴミ箱を設置してあってもゴミは1年に1度、生徒たちで清掃すると同じくらいの量が出てきます。しかもゴミ袋30袋以上の大量のごみです。これは一体なぜでしょうか。

一つには金融構造や欲望優先の消費経済、他にもシチズンシップや家庭教育の問題などいろいろとあるでしょう。以前、ゴミ処理場を運営している経営者にゴミ処理場を経営したら日本という国がどういう国かがよくわかると教えていただいたことがあります。ゴミの処分の仕方、ゴミに対する政策の内容、そしてゴミの種類や捨て方などにすべてが日本という国のありのままの姿が出ているからというのです。

以前、イエローハットで掃除道で有名な鍵山秀三郎氏から「足元のゴミ一つ拾えない人間に、何ができましょうか」という言葉を聴いたことがあります。そして著書でこう続きます。「『ひとつ拾えば、ひとつだけきれいになる』私の信念を込めた言葉です。ゴミを拾っていて感じることは、ゴミを捨てる人は捨てる一方。まず、拾うことはしないということです。反対に、拾う人は無神経に捨てることもしません。この差は年月がたてばたつほど大きな差となって表れてきます。人生はすべてこうしたことの積み重ねですから、ゴミひとつといえども小さなことではありません。」と。

これは徳を積むことも同じです。地域の代表として私からはみんなに「コツはコツコツ」の話をしました。コツは一つだけではなく、継続しコツコツとなることで非凡になると。ゴミ拾いというのは、継続と凡事徹底を學ぶ智慧にもなり、徳を磨き、己の心を育てるための素晴らしい教育になるということです。これは私の徳積財団の活動や丁寧な暮らしや社業の実践でいつも話していることです。

私がこれを改めて皆さんに発信したいと思ったのは地域の人たちに庄内中学校の生徒たちが真摯にキラキラと心を磨きお掃除をする姿を伝えていきたいと思ったからです。地域を守ることは、一人一人がコツコツと心をみんなで磨いていくことだと私は思います。

日本人は元々、来た時よりも美しくという精神を持っていて世界では試合後のゴミ掃除の姿がとても尊敬されています。正々堂々として清らかであろうと、荒んだ心を調えて和を尊ぶ国民性がある人たちといわれます。

都会に出て地域に子どもが少ないとか人口減少で過疎化しているとか不平不満ばかり並べる前に、凡事徹底して地域の宝や徳を磨き、それを未来へと大切に見守っていけるような日本人でありたいと思います。

 

太陽が甦生する日

明日は、冬至祭をBAで行います。この冬至というのは、1年で最も昼が短く夜の時間が長い日のことです。先人たちは、この日を陰極まって陽になると信じ、一陽来復とも呼びました。太陽が生まれ変わる日、つまり甦生する日として太古のむかしからこの日を特別な日としてお祝いしてきました。

よく考えてみると、今のように知識がなかった時代、私たちは太陽しか観ていませんでした。太陽の動きに合わせて、地球上のすべての生き物たち、植物たちも生きていきます。太陽の運行をよく観察することで、自身の体調の変化だけではなくあらゆる自然のリズムを感じて暮らしてきました。だからこそ、この太陽が甦生する日は地球上のすべての生き物においてとても大切な意味がある日でした。

そして2024年は12月21日18時21分に太陽が「山羊座」に入る瞬間が冬至点になります。この冬至点というものは、黄道上で黄経270度の点のことです。つまり黄道上で最も南にあり、太陽がこの点に来たときが冬至ということになります。

この冬至点の時に、私たちは深く祈り甦生をします。

私は場道家でもありますが、同時に甦生家でもあります。何をすることが甦生するのかを色々な古く懐かしいものを磨き甦生させていきます。その中の一つに、節目という甦生方法があります。これは節目をよく観察し、その節目にそれまでの記憶を洗い清めて新しい初心を定めていくというものです。

そしてそれが自然のリズムと調和することになり、同時にタイミングという御刻と和合していくことになります。

大河に浮かぶ舟のように、私たちは風に吹かれて自然の恩恵に恵まれて旅をしていきます。どの時期に船出をするのがもっともよいタイミングなのか、あるいはどの時期に舟を停泊させることがもっとも安心なのか、これは運が決めます。しかしその運には自然の運行、宇宙の運行、あらゆる運行が緻密に結ばれていてその偉大な全体最適に和合するのにこの冬至や夏至という目印がとても大きな役割を持っていると私は直観しています。

先人たちはどうにもならないようなこと、偉大で畏敬があるものの存在をいつも感じてきました。そうすると太陽と地球の運行の中に、その運命を決めるリズムがあることを発見し、そこからこの冬至の大切な意味を悟ったのではないかと私は思います。

暮らしフルネスは、この冬至や夏至がとても大切な節目として先人たちの智慧と豊かな仕合せを子孫へと繋いでいくために徳積の一環として伝承しています。

今年は特に大切な節目で、これからを生きていく人たちと共に柚子を使った清めやお餅つき、おめでたいこと盡していきます。冬至点には、フルートや法螺貝で平和を祈ります。

大切な節目をどれだけ大切に感じて過ごしたかは、その人の人生を決めていきます。色々なことがあるなかで、普遍的な太古からの道を見失わずに歩んでいきたいと思います。

元氣の根源

「志を立てて以て万事の源と為す。」これは、吉田松陰の言葉です。これはすべての根源は志を立てることだという意味です。この文章はいとこが元服するときに贈った言葉だと言われます。またその続きには、「士の行は質実、欺かざるを以て要と為し、巧詐、過ちを文るを以て恥と為す。」とあります。これは立派な大人として、誠実で素直、決して自他を欺かず、騙したり嘘をつくことは恥ずかしいという意味です。

この志という字は、そもそもどのような成り立ちかを考えるとその心が向かうところという意味です。そしてこの心とは何か、これは氣であると孟子はいいます。孟子は、その言葉の中で「志は気の帥なり。」といいます。

これは万物全ては氣で満ちており、志が立つのならばその氣はこれに従うとあります。つまり志こそがすべての氣の源泉であるという意味です。志とは、心が向かうところと書きましたが心が目指すところがしっかりと定まり醸成されているのなら氣は満ち溢れてくるという意味でしょう。

吉田松陰はこうもいいます。

志専らならずんば、業盛なること能はず」

これは志に集中していないのならば、どのような事業も学問も大成することはありえないと。ここでもすべては志だといいます。また「己に真の志あれば、無志はおのずから引き去る。恐るるにたらず」ともいいます。これは、自分の中に志が立っているのならそうではない人はみんな自然にいなくなっていくもので怖がったり不安になる必要は全くないという意味です。

志こそ氣の正体ですから、立志の人物は元氣に充ちているということでしょう。この元氣があればどのようなことも実現できると信じるのです。できるかできないかを悩む前に、志はどうなっているのかと初心を確認することが吉田松陰の學問の真髄で姿勢だったのでしょう。

最後にこういいます。

「志定まれば氣ますます盛んなり」と。

志さえあるのなら、どのような環境下や状況下でも氣は常に充実しているのだと。まさに、志を実践することこそが第一義でありそれ以外はないという生き方。もう逝去されだいぶ経ちますが吉田松陰の志は後世を生きる私たちの心にも元氣を分けてくれているように思います。

よくよく元氣の根源を振り返り、その志を磨き上げていきたいと思います。

 

井戸の豊かさ

昨日は、井戸の無事を祈願した神龍八大龍王神社に御礼参りに伺ってきました。今回の井戸は、最初から困難続きで不可能とも思え何度も諦めそうになることの連続でした。何度も絶体絶命で神様頼みをするなかで、何とか最期まで掘り抜くことができお水も申し分ないほどに湧き出るところまでになりました。

振り返ると、元々その場所は酒蔵で大量のお水が出ていたこと。そしてかつては家が繁栄していたのを井戸仕舞いをして衰退してしまったこと。室内に井戸があったといってもどこに埋まっているのかまったくわからなかったこと。また霊視できるある方から偉大な龍神がいて命の危険があること、傲慢さに気を付けるようにとご連絡をいただいたこと。何度も井戸を甦生するかどうかをギリギリまで議論し、最終的には何のためにやるのかと何度も吟味して決心し井戸掘りを費用度外視、歳月度外視で覚悟して取り組むことになったこと、他にも色々とありました。

気が付けば一年二か月という歳月を経て、約17メートルほど掘り下げた見事な井戸になりました。そしてこれをすべて手掘りで完成させました。今の時代、機械ボーリングで簡単便利に井戸は掘りますがむかしはみんなで井戸はいのちある存在として神事のように手掘りで掘り下げていきました。途中に岩盤があればそれを何とかしなければなりませんし、もしも作業中に井戸の周囲の土が崩壊すれば窒息死してしまいます。あらゆるリスクを想定して慎重に進めていましたが、保険にも加入しいざとなったらと私自身も後かたずけの覚悟を決めていました。井戸掘り職人の方は、天涯孤独の身であり心配ないと言われましたが常に心は井戸に置きいのちの安全を祈願し続けました。

井戸職人からは時には、落雷で停電して井戸内のワイヤーが宙ぶらりになったこと、また急激に水量が増して危険だったこと、ポンプが泥水を吸い上げられなくなったこと、その他にも井戸掘り道具が壊れたり梯子が使えなくなったりとありとあらゆることが発生し困難を極めたことなどを聴き、昨日は祝杯を酌み交わし、ずっと泣き笑いしながら苦労を分かち合い、労い合いました。

畢竟すべてが終わってみると、最期までみんなで諦めなかったこと、だからこそ今、この瞬間があると感動してそこには不思議な多くの御蔭様があったことに深く感謝しました。

自然を相手に何かをするというのは、常に謙虚な気持ちで真摯に取り組んでいくことの連続です。思い通りにはならず、思った以上のご縁に巡り会い続けます。振り返ると、とても豊かなことであり一生涯の人生においてこのような仕合せはありません。

ある独りは、いいものを提供したいと願い、またある独りは、頼まれた以上は無欲に信頼に応えるといい、またある独りは丸ごと全てを最期まで信じ切るといい、その三人が独立自尊して力を合わせたからこそこの井戸は完成しました。まさにお水の神様、辰年に相応しい目出度い最幸の一年になりました。

さあ、ここからがいよいよ本番で家の甦生に入ります。

この井戸とお水に見守られながら建築や修繕に取り組めることは有難く、この上ない喜びもあります。そのお水が活かされるように、隅々まで心を運びながら来夏ころの老舗開業に向けて真心を貫ていきたいと思います。

心から井戸の豊かさとすべてのご縁に感謝しています。

注ぎ方~お水の主人~

私たちは当たり前にあるものの可能性というものをどれくらい深めているかで、その意識の高さや生き方の磨き方がわかります。この当たり前というものは、普段あるものをどれくらいちゃんと活かしきっているか、どれくらい本気で一期一会に向き合っているかで変わってきます。これは自分の実体験をどこまで昇華できているか、そしてそこから本来は何かという真実や真髄を學ぶ境地に入っているかで変わってきます。

昨日は、ある方の紹介でお水をはじめすべての液体の注ぎ方を究めておられる人にお会いするご縁がありました。今年は辰年とのこともあり、お水に関係することに多く触れる機会になりましたが最も深い感銘と気づきをいただくご縁になりました。

そもそも私たちに元来具わっている感覚というものはどこから来ているのか、これは心の在処と結ばれています。私たちは感覚というものを通してあらゆるものを察知します。しかしそれはどのようにしているのか、知識では理解できるものではなく自分の中にある感覚が感受するときにはじめて感得するものです。つまりは最初からそれは存在している感覚があるということです。

その感覚のほとんどは、使う必要がなければ日頃は眠っているものです。つまりは使わないからそのまま使わないように自動調整されています。しかしある修練を積み、その感覚があることに気づき目覚めてしまうとその感覚が日常使いができるようになります。そしてその感覚を持っている人が、自分の指先や手を通して意識を投影させるとそれが他の人にもその感覚があったことを思い出させるのです。もちろん思い出すだけでそれを使うか磨くかはそのあとの練磨や修養次第ですがそれでも感覚が目覚める体験はその人の人生を大きく変えてしまいます。

人が究める、極まるというのはある一線を超えたところにあります。これは、感覚が研ぎ澄まされ感覚を活かせるということではないかと私は思います。感覚は、無限であり、感覚そのものは偉大な心の顕現する姿です。心を使えることや、心を使いこなすことは形を創ることです。私たちが象るものは心の現象が顕現するのです。

色々と昨日は今までのお水に関わる自らの関わり方や生き方、活かし方において深い反省があったことと、改めて学び直したことでその奥深さや美しさ、深い愛に感動しました。

職業や内容が異なっても、目指している生き方が同質の同志に邂逅できることほど仕合せなことはありません。心が躍動し感覚が鋭敏になるのもまた、ご縁と御蔭様のなず神業です。子どもたちや子孫へ、この古来からの智慧や大和心の生き方を伝承していきたいと思います。

保育と教育のお仕事

私は保育や教育のお仕事に取り組んできましたが、具体的に保育園や幼稚園を運営したわけではありません。また保育士や教諭の免許があるわけでもありません。しかし子どもは4人ほど育て、社員をはじめ多くの人たちの成長に関わることができました。

実際にお仕事はでは保育や教育のアドバイスやコンサルティンをする機会がたくさん得られ、子どもの発達を見守るソフトウェアの開発をしたり、育つ場を創造するためのツールや仕組みなどもたくさん手掛けてきました。これはどこに原点があるのかを見つめてみると、もちろんメンターがいて恩師があり保育道や見守るメソッドとの出会いが大きいのですが、同時に自然農といった実践によるものが大きいことが分かってきました。

そもそも野菜をはじめあらゆる植物や木々は種から成長します。人間も同様に最初は赤ちゃんからはじまります。

本来、教育という言葉はエデュケーションですが、これはエデュカーレという言葉が語源で引き出すということです。何を引き出すか、それは種から元々持っている力を引き出していくということです。種に教え込んだり押し付けたり、余計なものを刷り込んだりすることが教育ではないことがわかります。また保育というは、育つを保つと書きます。これは自発的に育つのを見守るという意味です。無理やり育てたり、同じ成長をするように型にはめ込んだりするものではありません。

しかし実際の教育や保育現場にいくと、引き出すことや育つことを無視したやり方を今でも続けているところが多数があります。これは農業でも同じことが言えます。

例えば、自然農だと余計なことはせず種を蒔いたらその種が育つように環境を調えていきます。種が育つのを見守りながら最適な距離で適切な環境を用意していきます。種の育つのをよく観察して場を調えていくのです。これが慣行農法だと、農薬をはじめ肥料を蒔き、無理やり人間の都合に合わせて栽培していきます。そして同じ野菜になるように種までも遺伝子組み換えなどまでして改良していきます。

前者の自然農は種の発達や成長を保障しその喜びや仕合せを優先するという考え方で行われ、後者の慣行農法は野菜の喜びや仕合せなどはある程度無視しても自分たちの都合のよい考え方で行おうとします。

教育や保育であれば、子どもの仕合せを最優先にするのか。あるいはそれは多少無視しても大人の都合に合わせていくのかという話になります。もちろん、野生児で縄文時代のような時代ではありませんから現代に合わせて環境は変わり教育や保育も変わっていきます。しかしその中心や根源を、種が自ら育つことを見守り、その種の生命を引き出すということにしているのか。あるいはそうではないかというのは大きな違いになっているように思います。それは見守っていく環境にも影響が出ます。

私たちは自然の姿をまず知って、自然がどうあるのかを学び、そのあとに自分たちはどこまで何をするのかを決めることが大切なように私は思います。つまり、そのものの種が自然に育つ喜びや仕合せをどう保障し、そのうえで如何にこの時代に適応していくかのバランスを調和していくのです。

保育や教育のお仕事は、そういう意味で自然や人々が和合していく幸福な社會の創造に関われ、自らのいのちを傾けるのに相応しい重要なものです。有難いご縁や学びに感謝しながら学び直していきたいと思います。