仮想と陰徳

現在、新しい通貨がどうとかこうとか色々と騒がれています。仮想通貨が新しい経済をつくるというのもわかります。もともと仮想というものの定義が何か、IT用語辞典で引くと「実際には無いが、仮にあるものと考えてみること。 仮に想定すること。 ITの分野では慣用的に “virtual” の訳語として「名目上は違うが、実質的には~であるとみなせる」という(本来とは少しずれた)意味で用いられる。」とあります。

仮想は英語では「virtual」と書きます。これははラテン語の「男らしさ」を意味する言葉で「目には見えないがあるもの=事実上の」という意味になったそうです。英単語としては、virile(男性的な)virility(男らしさ)virtually(事実上)virtue(美徳)とあります。

私にとっての仮想は、この「virtue・美徳」に近いものがあります。それで徳積帳を開発したのです。これは「物理的な効力 [virtue] によって本質的に存在することという意味です。つまり、実践することで顕現する効果ということでもあります。これは日本語の仮想の意味とは異なります。本質的な言葉の意味は、「陰徳」なのです。

変なことを言っていると思われるかもしれませんが、私にとっての仮想は陰徳という定義です。そもそも仮想通貨も、通貨の側面を意味しています。価値を道具で交換し合うところから生まれたものですが現代の世の中はお金でなんでも交換できるように仕上げてきました。その結果、ある意味でとても便利な世の中になりました。しかしまたある意味でとても冷めた物質的で機械的なものにもなってきました。

現代、真の豊かさという言葉が出てきているのもまた貧富の差が開く一方であまりにもお金に支配されたこの社会システムにつかれてきた人が増えてきているからかもしれません。

私がこれから取り組む仮想空間は、「場」です。この場には、いのちが宿りその顕現する姿として「道」が現れます。それを「場道」と呼び、現代の人たちが忘れてしまっている初心を思い出すため、暮らしフルネスという体験を通していのちを甦生させていくのです。

現代の社会では、なかなか意味が分からないことをやっていると思われますがそのうち時代が追いついてくるはずです。その時、この仮想が陰徳であったことの事実を人々は悟るように思います。これは宗教ではなく、自然科学の現象の一つを改めて気づき直すということでもあります。

研究者も増え、そして実践者が増えていくとき、私たちはその価値観を学び直し、先人たちの生き方を尊敬し、子孫たちへ徳を譲る世の中にしていけると思います。

私は粛々と深く静かに私の提案するブロックチェーンが実践して具現化したものを表現していこうと思います。ここで根をはり花を咲かせ、実をつけ、そして種になっていきたいと思います。

和紙とは何か

英彦山の宿坊、守静坊の甦生のクラウドファウンディングの返礼品を用意するために和紙の準備に入っています。和紙の定義は、現在では西洋から伝わった製法の木材原料を主とする洋紙に対して、むかしながらの製法でつくっているのが和紙と言われます。他にも手漉き和紙のみが本来の和紙という定義もあります。また最近では原料に三椏や楮が100%使われたり、機械でも手すきに近いものも和紙と定義されたりしています。

何が和紙というのかは、それは個々人の受け止め方ですから厳粛に何が和紙かということはわからなくなってきています。以前、伝統のイグサで畳をつくっている農家さんからイグサは加工品ではなく生産品であるという話を聞きました。つまりいのちあるものとして生きているものだということです。

私にとっての和の定義は、いのちがあるものということになります。そういう意味で和紙は、私にとってはいのちのあるものでつくっているものという意味です。それでは何がいのちがあるのかということになります。

もともと日本の和紙作りの三大原材料として使われているものは楮(こうぞ)、三椏(みつまた)、雁皮(がんぴ)です。この植物を収穫し、丁寧に扱って和紙の原料をつくっていきます。それを和紙職人が、一枚ずつ手で漉いていきます。私もその場面を何度も観ましたが、とても神秘的で神々しい様子です。

その和紙は機械ではでない風合いがあります。これは手漉きだけではなく、最初からずっと完成するまで日本の伝統的精神でつくられているからです。

和というのは何か。

この問いは私にとっては明確な定義があります。それは日本の心でであるということです。日本の心とは何か、それは思いやりのことです。思いやりを忘れない、すべての主体をいのちとして主人公としていのちをすべて全うできるように配慮や尊重があること。

そうやってつくられたものだからこそ、和であり和紙になるのです。

だから自然の篩にかけられても長持ちし、何百年、もしくは千年を超える時間を維持することができるのです。そういういのちを入れるものだからこそ、むかしはお札にも使われていて人々の暮らしを守ったのでしょう。

返礼品は、このいのちをそのままお届けしたいと思います。

英彦山の守静坊から思いやりを伝承していきたいと思います。

徳治の世

自分らしさというものがあります。これは個性でもあり、その人にしかない天命というものもあります。誰かと比較してではなく、その人がその人にしか与えられていないいのちを最大限発揮していくということです。それが自由でもあり自立でもあります。そしてそれが社会の役に立つようになれば人類の仕合せもあります。

社会で役に立つようにするには、みんなでお互いの自分らしさを尊重し合うような寛容な世の中である必要があります。それぞれがお互いに反省し合い、そして認め合う世の中にしていくことです。

誰かが正しい、誰かが間違っているとなっていがみ合えばいつまでも対立構造が変わらず争いが絶えません。しかしお互いに尊重し合うようになれば、自分も正しい、みんなも正しいという具合にそれぞれの違いを認め合えるようになります。

そのためにどうお互いに折り合いをつけるのかを対話するのが人類の叡智です。

人類は、太古のむかしから真の豊かさとは何か、そして真に平和な世界は何かということを何度も何度も反省しては築こうと努力してきました。そして徳による政治を行うことを孔子は説きました。つまり徳治の世にするということです。

自然界というものは、弱肉強食と教えられます。しかし果たしてそうでしょうか。サバンナやアマゾンをみていても、お互いに自制し合い、尊重し合いながら自然の摂理に従ってお互いのいのちを精いっぱい発揮しています。自然界はまさに自分らしくあります。弱肉強食は、何度も立場が入れ替わりますからお互い様ということです。

人間はその自然の尊重し合う仕組みを捨てて、一方的に権力や権威で集団をまとめようとしていきました。その方が、都合もよく実は時代が変わってもこの辺はあまり変化していません。しかし、この時代、情報化も進み、人類も世界と結ばれ、国境もなくなってきました。人類としてどう生きるのか、どう自分らしさによって真の豊かさに近づけていくのかをみんなで対話する時が近づいているように思うのです。

そのモデルをどの国の誰がやってみせるのか、そして深く静かに実践することで形どっていくのか。今、人類は試練の時です。だからこそ、子どもたちのために徳積財団を立ち上げ、徳治の世を実現しようと挑戦をはじめたともいえます。

いよいよ、宿坊の甦生もひと段落して本懐であった徳積堂の運営をはじめていきます。子どもたちに譲り遺していきたい懐かしい未来を今、この時代に甦生して実践していきたいと思います。

心を一つに

昨日、無事にクラウドファウンディングの目標を達成することができました。約60日の間、皆様からご支援、応援、激励をいただきそれが力になりました。思い返すと、最初は小さなほんの小さな活動からはじまりました。協力者もごくわずかで、話も半信半疑、こんなことは夢物語ではないかと心配されていました。

私も必ずやり遂げると決心してからも、数々の困難や試練が訪れ挫けそうなことばかりでした。今度こそは無理かもしれないと諦めそうなところを支えてくださったのは信じてくださった方々の想いに応えたい、裏切りたくないという思いだったようにも思います。そして、いつもその困難な現場に足を運んでくれて気持ちよく手伝ってくださって徳を一緒に磨いてくださる方もおられました。あらゆるご支援いただいた方のその心がどれだけ工事の時の支えになったことか、、本当に感謝しかありません。

特に今回の宿坊は、もともと僧の暮らす家だからこそみなさんの布施を集めて甦生させたいと願っていましたから特にお布施のプロセスを重視して取り組んできました。寄付といよりも、自他一体に徳を喜びあうように全体の仕合せを意識して取り組みました。その御蔭様で甦生も無事に取り組んでこれました。

そして取り組むのにもっとも大事にしたのは歴史をつなぐことです。最初からこのj業は日本の伝統的精神で取り組みたいと願い、かの東大寺の大仏の布施を集めた重源上人や行基菩薩のやり方を参考にしてきました。もともと大仏建立は聖武天皇が自らの不徳を反省して世の中が真に安らぐようにと願い取り組んだはじまりです。しかしここに日本の和の心の原型があると私は感じています。

この聖武天皇の時代は本当に大変で政変、旱魃・飢饉、地震、病気、そして愛する幼子を亡くし、もうこれでもかというような災難や苦難の連続でした。そして天平9年(737)聖武天皇は自ら省みて「責めは予(われ)一人にありと全責任は私一人の不徳であったと定め、そして大仏造立の詔を発します。

そこにはこうあります。

「人有(あり)て、一枝の草、一把(にぎり)の土を持ちて、像を助け造らむと情(こころ)に願はば、恣(ほしいまま)に聴(ゆる)せ」

意訳すれば「もしも、誰かが、一枝の草や一握りの土を持ってきて、自分も大仏造立を手伝いたいと言ったならば、これを許せ」と。つまりどのような小さな力でもいい、みんなで和心を合わせて心を一つにしようと言葉掛けるのです。そして布施を集めて見事に美しい大仏を建立するのです。

私もこの歴史を知った時、涙が出ました。御先祖さまたちはこうやって苦難のたびに人々の心を一つに和合し、大事な局面をみんなで小さな力を合わせて繋いできてくださったのだと。これを参考にしたいと願ったのもこの歴史を学んでからです。

一枝の草、一握りの土、それでもいい。みんなで一緒に心ひとつに徳を積もうとの声掛けにこの苦しい時代を転じて人々を分断から救ったのではないかと思うのです。

はたしてこの現代は、どうでしょうか。今はまさに分断の時代ともいわれています。物質的には豊かになりましたが、心はどうでしょうか。みんなの心は一つになっているのでしょうか。小さな力を合わせて、本当に大切なことをみんなで守ることができているのでしょうか。

宿坊の甦生は、単に古民家を直して観光名所や発信拠点にしようとしているのではありません。むしろその逆です。秘かに静かに平和を守るために先祖たちと同じ気持ちで丹誠を籠めて山の暮らしを慎んで実践していく。そして未来の子孫たちに、その祈りや願いを伝承していきたいから甦生させているのです。

心は形はありません、しかし心はみんなでカタチにできるのです。

この宿坊をこうやってみんなの気持ちを一つにして甦生してこれたこと、自分のこと、そしてみんなのことを心から誇りに思います。御先祖様も喜んでくださったでしょうか。直接の何のメリットがなくても、子孫や未来の徳のためにと真心でご加勢頂いた皆様に改めてこの場をお借りして心から感謝いたします。

皆さんの心のカタチを守静坊でしっかりと守り続けていきたいと思います。

来月にはすべてととのえて、7月初旬には皆さんと苦楽を分かち合うような感謝祭を開催したいと思います。ぜひ徳の余韻を皆様にも感じていただきたいと思います。日時が決まりましたらまたお知らせいたしますので、引き続き見守りをよろしくお願いします。

本当にありがとうございました。

一期一会 令和4年5月31日
一般財団法人徳積財団 副理事長 野見山広明 拝

彦山譜の甦生

昨日は、全国的に有名な立螺師が集まり勉強会が行われました。そこには法螺貝を100個以上持っている方、また倍音を研究するためにホルンやトランペットなどあらゆる楽器を深めている方、他には自作の拭き口をなん本も磨いて法螺貝をつくりあげている方がおられました。

音階もさることながら、あらゆる音を出せ、そしてそこには艶があります。音の余韻も、穏やかで静寂が流れるものから、龍が飛び跳ねるような躍動感のあるものまで、まさに信仰そのものが音に現れていました。

鳴り響いた音がずっと身体の中を流れ続けていて、今朝も起きたときに血液の中を駆け巡っているような感覚が残っています。こんなにも音が全身に宿るのかと、今まで感じたことのない音とのつながりを学ぶことができました。

現在、私は英彦山の宿坊の甦生をしています。もともとこの英彦山の甦生に取り組むキッカケになったのは、宗像環境会議のご縁でしたが法螺貝との出会いは英彦山の有名な修行場での出会いです。

そこで法螺貝に触れてから、急に禊や滝行とのつながりが産まれました。今思い返せば、意味があって私は法螺貝を持つことになったことが分かります。

法螺貝の音は、それぞれの風土によって音色も音譜も異なります。基本は、号令や指令などの合図として使われてきたもので軍事的なものにも用いられましたから合図は秘密です。なので口伝でのみ伝承されてきました。そしてそれぞれの地域には、それぞれの文化があるようにその地域の文化の影響を色濃く受けた立螺師もいるし法螺貝も音譜もあります。

英彦山にはかつて、彦山譜というものがありました。今ではそれはもう残っていないといいます。もしも祈りが叶うなら、その彦山譜を甦生させるお手伝いをしたいと昨日、心に決めました。

何百年、何千年も続いてきたその土地の風土を伝承しその土地の風土になるには、その土地でその文化を甦生させ、極め抜きそのものと一体になる覚悟が入ります。まさにこの土地風土の化身のような存在が音色に出てくるはずです。

未来の子どもたちのためにも、風土や文化を顕現する人の営みや精神、そして伝承の知恵など、あらゆる方面から取り組み、それを次世代へと結んでいきたいと思います。

ご縁に心から感謝しております。

自然のリズム

先日、浮世絵師・廣重の東海道シリーズ「三嶋」の中の三嶋明神前でほら貝を吹く男の図というものを見ました。これは何の図だろうと深めていたら、むかしはお役人さんたちが宿場町で時を知らせるのに法螺貝を用いたとありました。山伏だけではなく、むかしは役場職員たちも法螺貝を吹いていたということになります。そういえば、先日、インドから来られた留学生もインドでは朝や夕方にみんな法螺貝で今でも時を知らせているといわれていました。それだけむかしは、法螺貝は暮らしの中で当たり前に存在した道具だったのでしょう。

話は変わりますが、もともと今のような24時間を分刻みで生きるようになっているのは現代の特徴で少し前までは不定時法といって自然のリズムに合わせた時間が用いられていました。

一日の長さを等分に分割する時刻制度を「定時法」で、これに対して一日を昼と夜に分けそれぞれを等分するやり方を「不定時法」といいます。江戸時代までは日本はこの不定時法が使われていました。つまり昼と夜をそれぞれ6等分し、一単位を「一刻」と呼びました。

これを使えば、一日のうちでも昼と夜の一刻は長さが違い、同時に昼夜の長さは季節によって変化しました。つまり時間が昼と夜と季節によって変わるということです。時間に合わせるのではなく、自然のリズムに合わせた時間を生きていたということです。

そしてその時の呼び方も数字ではなく真夜中の子の刻から始めて、昼夜12の刻に十二支を当てました。一方で子の刻と午の刻を九ツとして、一刻ごとに減算する呼び方も使いました。子の刻が九ツ、丑の刻が八ツで巳の刻の四ツまで行ってまた午の刻で九ツから数えます。これは数字だと、同じ数字が2回出てくるのでどちらの2つとか、どちらの3つとか聞き直すこともあったからでしょう。それで夜の九ツ、昼の九ツ、明け六ツ、暮れ六ツといった区別をつけたのです。泣く子も黙る丑三つ時というのもここから出てきます。

これはよく幽霊が出てくる時間帯といわれ怖がられました。これは中国の陰陽五行のもっとも陰の強い時間帯のことです。陰陽はたとえば「月は陰、太陽が陽」「裏は陰、表は陽」ともなります。そして「丑は陰」で「寅が陽」となり、その中間にある「丑寅(午前3時)」は「鬼門」です。つまり「鬼が出入りする」方角となるため、近い時刻の「丑三つ時」が「鬼門」と深い関係があると解釈されこの時に幽霊が出ると信じられたのでしょう。

むかしの人は昼と夜の時間を棲み分けしていたといいます。昼は人の時間で夜は神の時間だったのです。そうやって自然のリズムで自分たちの働き方を換えていきました。今では働き方改革には自然のリズムが無視されています。そのすべては人間中心です。

私たちの暮らしフルネスでは、自然のリズムを取り入れています。人間が本来持っている暮らしの時間は、今まで生きてきた時間軸を使うことで甦生していきます。子どもたちが真に豊かな時間を持てるように、この時代で逆行小舟と言われようとも子どもの憧れる生き方と働き方の実践を磨いていきたいと思います。

今度、法螺貝で時を知らせてみたいと思います。

智慧の甦生

守静坊にあった古い道具や食器などを洗っていると、随分と傷んでいました。200年以上前の御椀ですから当たり前ではありますが、どのように修繕すればいいかを色々と調べています。

この時代の御椀はどれもしっかりしていて重厚感があります。今みたいに機械がありませんから一つ一つ、手彫りで行われたこともわかります。それに厚めの漆も塗られていますが、漆がだいぶ剥がれています。直せば何回も使えるものとわかっていますが、今の時代は周囲にそれができる職人も少なく自分でやろうとすると色々と悩んでしまいます。

むかしは、どうしていたのかなと想いを馳せます。

ひょっとしたら自分でやっていたのではないか、御椀にある文字や漆の塗り方をみていたらそれを感じます。むかしは、多くの時間がありました。特に厳しい冬はいろいろな内職をやっていたかもしれません。みんなそれぞれに手に職を持ち、民芸品などの生活用品をつくっていたといいます。

草鞋や蓑などのわら細工のもの、また竹細工のもの、手先も器用になったはずです。

今では機械に任せて、ほとんどの手仕事がなくなっていきました。確かに便利にはなりましたがその分、どのようにそれを直していたのか、どのように修繕をすればいいかといった智慧や伝承も失われていきました。

両方あってもいいのですが、どうしても人間は便利な方、楽な方、安易な方へと流れていきます。特にお金が優先される経済になってから余計に、加速度を上げて変化していきました。

今、私が取り組んでいる甦生はまるでその逆の方へと進んでいます。しかも、機械も否定せずにです。だからこそ、そのバランス感覚を磨く必要があると思っています。

子どもたちのためにも、智慧を甦生して新たな未来を創り続けていきたいと思います。

伝統固定種の甦生

昨日は、自然農の畑で伝統固定種の堀池高菜の種どりをいつも親しくしている情報工学の学生さんや友人のご家族と一緒に行いました。新緑のいい風が吹いていて、今年は特に種をたくさん収穫することが目的でしたからしっかりと種どりを行いました。

もともと高菜というのは、漬物にすることで有名です。日本三大漬け菜として「高菜漬け」「野沢菜漬け」「広島菜付け」があります。そして九州を代表する漬物がこの高菜なのです。

高菜というのは、前にもブログで書きしましたが平安時代くらいに種が日本にも入ったといわれています。平安時代は8世紀末ですから1200年以上前からずっと日本で育ってきたということになります。日本の風土に根付いて、日本の味になり、さらに九州の風土の各地に根付き、それぞれの美味しさに進化してきました。

調べると西暦892年発刊の『新選字鏡』には高菜の事を「太加奈」と記載してあるといいます。明治時代には中国四川省から高菜の在来種というべき青菜が日本伝わり九州・東海地方に伝わったといいます。そこで九州では紫高菜、柳川高菜、相知高菜となり高菜漬に適した三池高菜になったそうです。もともと筑豊地域の高菜漬けはとても美味しかったと年配の方々からよくお聴きすることがあります。

炭鉱の時代、炭鉱夫はお腹を空かせてたくさんのお米を食べたことでしょう。その時、もっとも食卓でご飯の友として食べられたのがこの高菜だったことは簡単に想像できます。それが今では、飯塚のほとんどの農家さんが積極的に高菜を作っていません。

その理由は、やってみるとわかるのですが重労働にもかかわらず見合う収入が得られないということがほとんどです。高菜は安いわりに大変な労力がかかるのです。よくラーメン屋にいけば無料で高菜がついていたりします。他にもスーパーなどで販売していますが、どれも安いことが分かります。高菜イメージが安いというものでできていますから、それが高いと売れないという理由もあって農家さんの収入の役に立ちませんでした。

そういうことがあり農家さんの高菜離れが拍車がかかり今ではほとんど作らくなったということです。さらに福岡には三池高菜があり、その有名な高菜を種をもらい筑豊でも三池高菜の種を植えるようになりました。他にも大手種メーカーで自由に高菜の種を買えますからそれを植えています。そうするとそれまであった地元の伝統固定種と交雑しますし、さらには農薬や化学肥料をつかうことで本来の味わいも落ちていき形状も変わっていきました。

本来の伝統固定種というものが失われていくのは、こういった消費優先の経済活動によってそれまで醸成されてきた1200年の文化ともいえる進化が消失するのです。

よく考えてみたらわかりますが、今もむかしも重労働であったのは1200年間変わっていません。それでも人気だったのは、郷土の知恵料理であり、懐かしいふるさとの味を子どもたちにつないで残していこうとした先人の想いや願いもあったことがわかります。

それが今、安易に生活できないからという理由や便利さを優先し簡単に変化し守る努力を諦めてやめてしまえばそれまでの歴史も潰えてしまうのです。時代が変わっても流行で価値観が変わっても、変えてはいけないものがあると私は思います。それが未来への宝になり、子孫たちへの与贈になるのです。

必ず時が経てば、本当の価値や真実は時間と共に明るみになります。希少価値とはそういうものです。しかしその時にやろうとしても種が残っていなく栽培できる環境がなく、消えてしまってはあまりにも悔いが残ります。これを新しいテクノロジーを活用し温故知新して新たなものにし、新たな価値に乗せて守り育てていきたいと改めて感じる一日になりました。

手触りや手入れは、心とつながっていますから目的や初心を忘れることはありません。人間に寄り添うテクノロジーを私は突き詰めていきたいと思います。伝統と歴史、地域や風土、人、物、心の和合、堀池高菜からはじまる伝統固定種の甦生を楽しみにしています。

反省の大切さ

論語に「吾日三省吾身」というものがあります。これは「吾、日に三つのわが身を省みる。人の為に謀りて忠ならざるか。朋友と交わりて信ならざるか。伝えられて習わざるか」の孔子の高弟、曽子の言葉です。

反省というのは、自分自身の心に向かって内省していくものです。誰かの比較や評価ではなく、その日あったことを振り返り自分自身の心に訪ねて対話をしていくのです。本来の主体性というものは、一方的に外側から伝えられる情報では発生しません。外側で感じたことを内側でどのように感じたか、そして同時に人生の意味や目的や初心などを砥石にしてどのように磨いたかを確かめるのです。

人は失敗することで成長しますが、失敗は反省することで得られます。そして反省したら改善や修繕の創意工夫が産まれます。つまり反省をすることは、人生をよりよく生きる上で何物にもかえがたいものであるのは間違いありません。

松下幸之助さんはこういいます。

「誰でもそうやけど、反省する人は、きっと成功するな。本当に正しく反省する。そうすると次に何をすべきか、何をしたらいかんかということがきちんとわかるからな。それで成長していくわけや、人間として。」

そして稲盛和夫さんはこういいます。

「忙しい毎日を送っている私たちは、つい自分を見失いがちである。そうならないためにも、意識して反省をする習慣をつけなければならない。反省ある人生を送ることにより自分の欠点を直すことができ、人格を高めることができる。」

名経営者たちもまた、反省の大切さに気付き反省することで素直さや謙虚さ、主体性や純粋性などを磨かれ人間として成長を学び続けておられたように思います。

もともと反省は、自分自身との対話ですから一人でやっていくものです。しかしそれだけでは日本の伝統的精神の衆智を集めることはできません。だから私は一円対話という場を通して反省する仕組みを提案しています。

忙しくなるのは、振り返る「場」がないからです。

人は場があれば、その時間は丁寧にその場で自分自身と向き合うことができます。それをみんなで振り返ることができるのならみんなで自己内省したことを共有しあうことができます。

例えば、初心をみんなで振り返る場があればみんなが主体性を発揮して改善していく組織になります。誰かと比較や、思い込みやバラバラになるのではなくそこに確かな協力や共有が深まります。つまりバラバラでも内省によって繋がりあう関係が結ばれるのです。

これを自律分散型の組織という言い方もします。振り返りは、自律や協力をしていくための土台です。これはまず自分自身がそうなっているのかということを振り返ることが前提になっています。自分というものとの付き合い方がととのってないのに、周囲の人との関係をととのっていくことはできません。

自分自身をよく振り返る人は、自立していきます。子どもたちにもその時間や場を設けることの大切さを伝えていますが、そこに関わる方々の場もととのえていく必要があると感じています。

だからこそ論語にある「三省」が大切になるのです。徳もまた内省によって磨かれていくものです。引き続き、生き方を通して一人一人が自分らしく仕合せに生きられる社会のために自分自身と丁寧に一円対話していきたいと思います。

大切な一歩

日本には古来から今まで続く伝統の精神があります。これはずっと先祖代々、親祖から今まで大事にしてきた心であり私たちの基礎や土台になっている重要な文化の源泉でもあります。

つまり何を大切にするかということを、代々、伝承して磨いてきた私たちに備わっている精神文化です。これは空気のように当たり前になっていて気づきにくいものですが、それぞれの民族にはそれまで連綿と続いてきた伝統が必ずあります。伝統とは、伝承されてきた歴史のことです。

この歴史は、風土の影響を受け、或いは、ご縁の影響を受け、また或いは偉大な先人の確立した哲学や実践の影響を受けたものかもしれません。私たち日本人が、よく感じている空気感、場や間、和などもまた日本的精神文化であることは間違いないことです。

ここから何が分かるかと言えば、一つは八百万の神々という言い方があるように多くの神様の意見を集めること。八意思兼神を私も邸内社でお祀りしていますがこの神様は神々のファシリテーターのような役目で一円観を持つ偉大な先祖でした。

もう一つは、徳を重んじることです。自分の主体性を発揮し、自分らしくイキイキと楽しみ喜びながら周囲の喜びになっていくという姿。日本人の仕事観は、本来は「ハタラキ」といって自然のように自分自身を主体的に発揮してみんなのお役に立っているということです。つまり、みんなの働きにみんなで感謝しているという状態。いつも働いてくれてありがとうとすべての存在に感謝しているということです。

さらに一つは、繋がりの中に生きているということです。常に一緒に生きているという存在として思いやりを忘れていません。和の心とは、調和のことですべてのご縁を大切にして繋がっていることを忘れないという生き方です。このつながりに何か大切な意味があるとし、そのご縁の糸を丁寧に丹精を籠めてつなぎます。ご縁をみんなで尊重し合うのです。

日本人は、本来、そういう精神文化の土台の中であらゆる世界の文化を取り入れてj文たちの文化の上に重ねてきました。土台があるから、器があるからそこに盛ることができるのであってそれがなくなればただ散らかっている部屋のようになってしまいます。

今の世の中の問題を眺めてみたら散らかし放題で片付ける人もいなくなっているように感じるのは私だけでしょうか。子どもたちはその散らかった部屋で居場所がなく、あちこちとさ迷ってしまいます。

先人たちの今までの生き方を見つめるとみんな子どもたちにその伝統精神をどう譲っていくかを苦心して努力してきた存在であったことがわかります。

その証拠に、行事や御祭りをしたり伝統的な暮らしをととのえていく場をたくさん用意して反省を続けた形跡があります。

この時代は世界の文化が混じり合っている世紀ですがだからこそ自分たちの文化をちゃんと学び直す必要があると私は思うのです。私の暮らしフルネスは小さな一歩かもしれませんが、先人たちが紡いできた長い道のりの大切な一歩です。

真摯に子どもたちのために、自分の天命をやり切っていきたいと思います。ありがとうございます。