普遍的な若さ

人間には「若さ」というものがあります。この若さは、年齢的な若さもありますが同時に魂の若さ、精神の若さという心の瑞々しさのようなものがあります。人はいつかは年老いて死にますが、肉体以外のところは死ぬことはありません。つまり若さというのは、普遍的なものであるということです。

この普遍的なものをもって生きている人は、肉体の変化にも関わらずいつまでも若いのです。逆に肉体が若々しくても精神が年老いてしぼんでしまう人もいます。大事なのは、いつまでも心や精神を磨いて挑戦を続けて若さを謳歌していることのようにも思います。

改めて、サミュエル・ウルマンの青春(岡田義夫氏訳)を詠んでみるとその普遍的なものを表現しています。

「青春」

「青春とは人生の或る期間を言うのではなく心の様相を言うのだ
優れた創造力、逞しき意志、炎ゆる情熱、怯懦を却ける勇猛心
安易を振り捨てる冒険心、こう言う様相を青春と言うのだ

年を重ねただけで人は老いない。理想を失う時に初めて老いがくる
歳月は皮膚のしわを増すが情熱を失う時に精神はしぼむ
苦悶や、狐疑、不安、恐怖、失望、こう言うものこそ恰も長年月の如く人を老いさせ、
精気ある魂をも芥に帰せしめてしまう
年は七十であろうと十六であろうと、その胸中に抱き得るものは何か

曰く「驚異えの愛慕心」空にひらめく星晨、その輝きにも似たる
事物や思想の対する欽迎、事に處する剛毅な挑戦、小児の如く
求めて止まぬ探求心、人生への歓喜と興味。

人は信念と共に若く 疑惑と共に老ゆる
人は自信と共に若く 恐怖と共に老ゆる
希望ある限り若く 失望と共に老い朽ちる

大地より、神より、人より、美と喜悦、勇気と壮大そして
偉力と霊感を受ける限り、人の若さは失われない
これらの霊感が絶え、悲歎の白雪が人の心の奥までも蔽いつくし、
皮肉の厚氷がこれを固くとざすに至ればこの時にこそ
人は全くに老いて神の憐れみを乞う他はなくなる」

改めて、こういう心の持ち方、心の生き方をしていきたいと思うものです。一生一度のこの一期一会を味わっていきたいと思います。

九州の総鎮守

以前、九州自然歩道のことを調べているとそれが英彦山に続いていたという話を友人に聞いたことがあります。これは長い年月をかけて人々が、信仰によってあるいた巡礼の道があったということも意味しています。

そしてその場所には、点と線を結んだところにそれぞれ総鎮守というものがあります。この総鎮守とは、国または土地の全体をやすらかに守る神や総社のことをいいます。それぞれの住んでいる場所には、それぞれの鎮守がありその広さが大きくなっていきそれをまとめているところが総鎮守という具合です。またそこには一宮、二宮という言い方もします。

大体、その土地や地域を巡り総鎮守にいってみるとそこが何らかの発祥の地であることがわかります。つまり始まりの場所ということです。総鎮守には、全体を広く纏めるという意味とあわせてそこがはじまりの場所であるということもあるように思うのです。

言い換えるのなら、そこからすべての発展がはじまる原点があるということです。人間であれば初心があるということです。

私たちは、道すがら点があるのならそこに原点回帰しながら歩んでいくという智慧を伝承しているからでもあります。何度も生まれ変わり、先祖の想いや祈りを生きている私たちは時としてその原点に出会い自分の役割や使命を振り返ります。道は、巡礼そのものでありそのご縁や御蔭様や意味に触れては感動し感謝するのです。

総鎮守に詣でることは自分の原点を確認することになります。自分の原点を確認すれば人はそこに確かな運命や意味を実感して確信に至ります。勇気の源泉にもなり、偉大な信仰を呼び覚まします。

九州にも総鎮守というものがあるはずです。私はそれを英彦山だと思っています。その理由は九州の歴史は英彦山から始まったことがあまりにも多いことと、九州の巡礼の道が英彦山に向かってつながっているからです。

一つの九州という言い方を九州人はします。英語でONEKYUSHUという言い方もしています。それではその九州の総鎮守はどこかといえば英彦山にこそあります。それをこれから証明していきますが、九州人ならみんな英彦山を大切にすることで原点回帰すると私は信じています。そして九州は日本の始まりの場所ですから、九州が甦生すれば日本全体が甦生するはずです。

忘れてしまった歴史、隠された歴史、失われた歴史を甦生し、九州の場で新たな歴史を結びたいと思います。

 

 

日々の精進

若い頃に安岡正篤さんの著書で「六中観」というものを知りました。これは安岡正篤さんの座右の銘だったそうです。「私は平生ひそかにこの観をなして、いかなる場合も決して絶望したり、 仕事に負けたり、屈託したり、精神的空虚に陥らないように心がけている。」というほど意識されていたことがわかります。

常に中庸を保つというのは、丹田の錬磨によるものと思いますが歳を重ねるにつれてこの六中観の感じ方が変化してきます。

この六中観は、「忙中閑あり 苦中楽あり 死中活あり 壷中天あり 意中人あり 腹中書あり」の六つです。人生の中で、どんな「中」にいても六つに転じて福にしていく工夫。まさに人生の達人ともいえる境地です。

最近は、英彦山に関わることでまさかの壷中天ありまで体験させていただいています。仙人の境地に入れるかどうかわかりませんが、この六中観によって中庸や中心を磨いていけることに仕合せを感じています。

もう一つ、私は六然訓というものも同じくらい意識してきました。「自處超然  じしょちょうぜん 處人藹然  しょじんあいぜん 有事斬然  ゆうじざんぜん 無事澄然  ぶじちょうぜん 得意澹然  とくいたんぜん 失意泰然  しついたいぜん」の六つです。

これを合わせて私流に「かんながらの道」、つまり自然道と名付けて実践を続けています。どんな時でも、自然に委ねて天に任せるという生き方。まさに神人合一の境地です。

人生の中で、生き方の羅針盤があるというのはとてもすばらしいことです。時に絶望するとき、時に悲嘆にくれるとき、偉大な勇気になります。また時に歓喜するとき、有頂天になるとき、偉大な謙虚さを与えてくれます。

感情があることで様々な貴重な体験ができますが、分を弁えることで信仰や信心が磨かれます。人はこの感情と心のバランスを保ちながら、唯一無二の人生経験をこの宇宙で得られ記憶を育てます。

今に生きることは、この六中観や六然訓を大切に生きていくことです。

子どもたちにも健やかないのちの伝承ができるように日々の精進していきたいと思います。

神苑

英彦山に関わっていると、今まで知らなかったこと、繋がらなかったご縁と結ばれています。歴史は、結ぶ人たちがいることで顕現して甦生してきます。宿坊の甦生から新たな物語が繋がってくることに仕合せを感じます。

伊勢神宮に多大な貢献をしたある英彦山の山伏がいることを知りました。

名を、太田小三郎といいます。この方は、伊勢のまちの近代化に尽力した人物として有名で弘化3年(1846)、豊前国英彦山の鷹羽寿一郎の三男として誕生しています。この鷹羽家は代々豊前英彦山の執当職を担った家柄でした。お兄さんは明治の維新の志士で活躍した鷹羽浄典です。

明治5年(1872)初めて神宮に参拝し、ご縁あって古市の妓楼「備前屋」を営む太田家の養子になり、そのまま傾いていた太田家を立て直し、竟には今の伊勢神宮を守った人物です。

当時の伊勢神宮は、宮の中に民家が入り込んでいて神宮の尊厳と神聖が保たれている状態ではありませんでした。そこで彼は「神宮の尊厳を維持し、我が国の象徴である神宮とその町を、国民崇拝の境域にすべき」と方々に呼びかけ同志を募り明治19年(1886)に財団法人「神苑会」を結成しています。

そして多くの寄付やお布施を集め民地を買収し、すべての家屋を撤去して宇治橋から火除橋までを「神苑」として修繕していきました。現在、内宮の宇治橋を渡った先に広がっている聖地の清々しい場が醸成されたのはこの時の徳積みがあってのことです。

「神宮の尊厳を維持し、我が国の象徴である神宮とその町を、国民崇拝の境域にすべき」の理念は、そのまま英彦山宿坊の甦生でもとても参考になる考え方です。今、伊勢神宮があれだけの聖域になりいつまでも国民に深く愛され信仰の聖地となっているのはこの理念と実践があったからであり、今でもその理念が受け継がれているから伊勢は美しい信仰の聖地として燦然と輝いています。

今、英彦山は同じように大変な憂き目にあってもいます。水害にも遭い、山は荒れて参道周辺には廃墟のように空き家が目立ち、これから民家や営利主義の業者が入ってくるかもしれません。そうならないように、本来此処はどのような場であったのか、そして日本人にとってここがどのような場であったか、それを思い出し甦生する必要を感じるのです。

私たちの尊厳とは、先人たちの遺してくださった大切な灯でもあります。それを守るために、私たちがどのように歴史がはじまり暮らしてきたかを守ることは、日本人そのものを甦生していくことでもあります。

こうやって先人の山伏のお手本があることに心強く感じています。

私も伊勢神宮のような未来を描き、これから英彦山の甦生に取り組んでいきます。

ふぐのひれ酒の妙味

昨日は、懐かしい友人が遠方から訪ねてきたので一緒に夜中まで会食をしました。ちょうど寒くなってきたこともあり、ふぐのひれ酒を用意して飲みました。炭で温めて飲む熱燗だけでも贅沢ですが、そこにふぐのひれ酒が入るとお酒が止まらなくなるものです。

このひれ酒は、歴史を調べると意外とまだ新しいことがわかります。戦後の物資が乏しい時代に、美味しいお酒を飲むための工夫から発明されたものです。

詳しく言うと、昭和24年に酒税法改正で製造開始された新しい日本酒、正式名「三倍増醸清酒」というものが誕生します。これは日本酒の供給量を増やすために考えられた新しい製造法でした。戦時中は、食料米自体が足りませんからとてもお酒にはまわせません。そこで政府は日本酒へのアルコール添加を認め、日本酒を食用アルコールで水増しするという方法をとりました。しかししかし食用アルコールだけを添加した日本酒は辛くてとても飲みづらかったといいます。

なのでそこに糖類やグルタミン酸ナトリウムを加え、甘味料と人工的な旨味を調整し飲みやすく仕上げたものが三倍増醸清酒、つまり三増酒でした。この名の通り、アルコールと糖類と添加物で3倍量の日本酒をつくったのです。

密造酒や無許可で造られた酒との違いは、工業用アルコールや燃料用アルコールを使用していないことです。たまにロシアとかではニュースででますが、人体に甚大な悪影響がある危ないお酒です。三増酒は二日酔いが酷く悪酔いし甘ったるいなど、不平もあったようです。この三増酒は現在は、2006年の酒税法改正からは飲まれなくなっていますが戦前戦後はこれをどうにか美味しく飲めないかということで「ひれ酒」が発明されたのです。

ひれ酒はちょうどよく温まった日本酒の中に、少し炙ったふぐのひれを入れたものです。よく店舗では、最期に最後に火をつけてアルコール分を飛ばして蓋し差し出されます。ひれ酒の中でも最も美味しいとされているのがとらふぐのひれといいます。

先人の工夫の御蔭で美味しいお酒として飲める、ないなかでもあるものをうまく活かして楽しむのは素晴らしいように思います。もともとお酒は目出度いものであり、心を澄ましととのえる百薬の長とも呼ばれるものです。

飲み過ぎは注意ですが、このふぐのひれ酒の御蔭で食事の楽しみが増えるのは仕合せです。智慧を活かして伝承していきたいと思います。

自然の回復期間

中国の長江でこれから10年間の禁漁措置を始まります。これは急減している漁業資源の保護のためです。そのため流域で働く漁師計約30万人に失職することになるといいます。実際には漁獲減の根本的な原因とみられているダム建設は続いており、禁漁だけで解決するのかという問題もあるそうです。

他にも調べると、禁漁期間が終わってからの乱獲の問題、密漁の問題などもあり実際にはどうなるのかはこれからの様子次第でもあります。鵜飼など伝統的な漁業なども喪失していきますからこれは大変な措置です。しかしこのままでは魚が全滅してしまうということで10年間という期間、川をそっとしておこうという実験ということになります。

もともとこの長江は青海省のチベット高原を水源地域として中国大陸の華中地域を流れ東シナ海へと注ぐ川のことです。全長は6300kmで、中華人民共和国およびアジアで最長、世界でも第3位の大河になります。この川が禁漁というのだから大変なことです。

日本だと一番長い川は信濃川で367キロですからどれだけこの長江が凄まじい長さであるかがわかります。この川の魚がいなくなっているのだから、その損害はまた世界から見ても恐ろしいレベルです。

人間は、短期的に自然を搾取してお金にしますが自然はとてもゆっくりと回復していきます。自然の回復は大きいほどに緩やかですからその緩やかな回復を邪魔をするほどに搾取すれば回復する速度が追いつきません。

例えば、人間の身体もそうですが恢復は自然と同じくゆったりと治癒していきます。その治癒の途中にまた無理をすれば治癒が働かなくなっていきます。時間をかけて治癒していくものだからこそ、私たちはその治癒した分の余力で生きて暮らしてきたともいえます。

自然界も同様に、自然循環で発生し生まれた利子の分だけで暮らしていけば永続的に人間は生きていくことができます。つまり自然に寄り添い、自然を富ませ豊かにすることでその分の恩恵の中で暮らすことが私たちが循環の一部となって自然と一体になって地球での生活が保障されるということです。

人間は、地球の大きさに甘えてやりたい放題していきますからそれがいつか限界が来た時、真に反省するのかもしれません。長い歴史の中で文明は何度も滅んでいます。その滅んだ理由はほとんどが自然災害や自然が回復せずにその場所で生きられなくなったものだということもわかってきています。

何度も何度も同じことをして滅んでしまうのは、人間の一つの業なのかもしれません。子どもたちのためにも、その業と対話し、その業への向き合い方を転換し、暮らしフルネスを通して実践を伝承していきたいと思います。

お滝場の甦生

昨日はお滝場の石風呂にはじめての火入れを行いました。関わってくださった方々の御蔭で無事に場が整いました。特に建築に携わった大工の棟梁や窯をつくりあげてくれた職人、お掃除して綺麗に守ってくださった人たち、また修行者の方との一期一会はとても心に残りました。

滝行というのは、冬季の寒い中での荒行のように思われますが実際には一人で行うのと仲間と行うのではその感覚は異なります。昨日は、背中から水をかけてくださる方、勤行を唱えて祈りを捧げてくださる方、また法螺貝を吹いてくださる方がいて、他の仲間が見守る中でお滝をいただきました。

滝行をする方々は信仰深く、滝ではなくお滝とも呼びます。

私たちはいのちあるもの、尊敬しているもの、大切なものには「お」をつけます。お花、お米、お母さん、お水なども同様です。お滝というのは、流れている水ですがそこに確かな何かの存在を感じるのです。

神道の大祓詞には、瀬織津姫という神様のことが書かれていてこの神様が滝場にいて色々な災厄を祓い清めてくれると記されます。祓いというのは、あらいが語源で、禊というのはすすぐことを言うといいます。つまり祓い清めるというのは、今でいう洗い流ししてきれいにするということでしょう。

このお滝の神様の瀬織津姫のほかに、速開都比売(はやあきつひめ)・氣吹戸主(きぶきどぬし)・速佐須良比売(はやさすらひめ)という洗い流してきれいにする神様がいると祝詞には出てきます。川や渦、海などみんな洗い流してきれいにする神様たちの御蔭で私たちの汚れや穢れは取り除かれて自然に循環するというのです。

先人たちはこの自然の仕組みを知り、日々の小さな塵や垢のように心や魂などにつく汚れや穢れも洗いきれいにできる方法を発明したのでしょう。

今の時代、以前よりもスピードがあがり今までのように簡単に洗い流すことができなくなってきています。できればしっかりと洗い流しておかないと積もり積もるとそれだけ浄化に時間がかかってしまいます。

日々の暮らしの中で、私たちは禊をしますがこれからはますます必要になってくると私は確信しています。人間は集合意識によって社会を形成しますからそれが歪であればあるほどに地球や宇宙にも影響を与えてしまいます。量子のことが解明すれば、意識こそが世界に影響を与えていることはわかってくるはずです。情報化社会というのは、意識の社会ですから人間力を磨き高めていくことで未来の流れも変わることでしょう。

子どもたちのためにも、大切な智慧や伝統を活かしながら場を創造していきたいと思います。

 

野生の食

最近、山とかかわり始めてからジビエ料理を食べることが増えてきています。このジビエとは何かというと、これはフランス語で狩猟で得た天然の野生鳥獣の食肉を意味する言葉です。

もともとヨーロッパでは貴族の伝統料理です。日本では鹿や猪がジビエでよく使われていますが、もともとフランスでは貴族しか食べられないほどの高級食材だったといいます。貴重な野生動物を食べるのだから肉から内臓、骨、血液、その全ての部位をすべて料理に使うといいます。栄養価も高く、食べると独特の高揚感というか体の芯から熱く漲ってくるようないのちを食べている感覚があるようです。

日本では古代からこの野生動物は身近な食材だったといいます。縄文の遺跡からも、ウサギ、クマなどを食べた形跡があるそうです。まだ稲作が入ってなかった頃は、山から色々な食べ物を集めては食べていました。毛皮は加工して暮らしのあらゆるところに役立てていたともいいます。

それが平安時代になると仏教が伝来し、食べることが禁止になったりもします。しかし山の周辺の人たちにとっては野生動物を食べなければ生活もできませんからなくなることはありません。江戸時代にも一般的には狩猟が禁止になっていますが、鴨料理やしゃも料理などは人気だったといいますから野生動物は食べていました。

明治以降は、牛肉や鶏肉、豚肉など養殖によって増やすことになり便利に食べられるようになってから野生動物を食べることが減ってきたともいいます。本来は、高級食材で滋味を味わうものでしたが近代になってから獣害のことが出てきて鹿肉や猪肉を捨てるのではなく何かに活用しようとフランスのジビエに注目して取り組む飲食店も増えています。

この時代は本当におかしなことに、物が溢れ、獣が溢れとバランスが崩れていますから過去の歴史と在り方が逆転していて価値もまた逆転しています。本来は、貴重な価値だったものが今では獣害として価値がなくなり処分に困っているということ。

なぜ野生動物を食べていたのかということも忘れてしまうくらい、今は食が溢れているということでもありますが本来食とは何かということを考えさせられるいいきっかけになるとも感じます。

むかし上司の山小屋で狩猟していた猪を檻の中で食べるまで飼育していたことを思い出しました。周囲には強烈な獣臭と強烈な殺気、そして檻に身体をぶつけては今にも襲い掛からんとする怒りの形相にたじろきました。野生動物と対峙するというのは、いのちのやり取りをするということです。

今の時代、侍などもいませんからいのちのやり取りなども身近ではありません。しかし、野生に入るというのは本来の自然に近づいていくことでもあります。人工的になんでもできる時代ですが、こんな時だからこそ原点を忘れないで野生を宿した人間のままでいたいものです。

子どもたちにも時代の節目に相応しい本物の暮らしと食を譲り遺していきたいと思います。

世の中で一番

心訓七則というものがあります。福沢諭吉が弘めたものですが作者は誰かはよくわかっていないようです。どちらにしても、これはとても心の持ち方に対して大切な教えが入っているものです。

一、世の中で一番楽しく立派なことは、一生を貫く仕事を持つことである

一、世の中で一番みじめなことは、教養のないことである

一、世の中で一番さびしいことは、仕事のないことである

一、世の中で一番みにくいことは、他人の生活をうらやむことである

一、世の中で一番尊いことは、人に奉仕して決して恩を着せないことである

一、世の中で一番美しいことは、すべてのものに愛情を持つことである

一、世の中で一番悲しいことは、嘘をつくことである

この「世の中で一番」というのは、他にはないものということです。つまりそれ以外はないものという意味になります。例えば、ある人は世の中で一番大切なものは利他であるとします。すると、それ以外は実は必要ないとしているのです。またある人は、世の中で一番大切なものは義だといいます。それも同様に、それ以外は自分の人生においては取るに足らないものということです。

人間は、誰もが初心というものを持っています。他の言い方では業と呼んだ人もいます。その人の使命、人生の役割がその人の世の中で一番であるのです。

この心訓七則ですが、ここでは強調するために世の中で一番と使われていますからこんなに一番ばかりが並んだら本来はおかしなことになります。だからこれは並べて読むものです。

「一生を貫く仕事を持ち、教養があり、他人の生活と比較せず自分を生き抜き、利他に善き、すべてのものにいのちがあるものとして愛情深く接し、正直に生きていくこと。」これがもっとも世の中で一番の生き方であるということを感じさせるためのものです。

理想の生き方として、日本人の伝統的な美しい暮らしを営む人々が世の中で最も尊いと言っているようにも思います。そこから離れないこと、そういう人間にならないように心がけようと戒めているともいえます。

よく考えれば、この逆は「仕事がなく、教養もなく、他人とばかり比べては自分のことばかりを優先し、物を粗末にして嘘ばかりついている生き方。」これを戒めているのです。

学問をしていくのは、志を磨き、精神の働きを高めるためでもあるといいます。まさに、人間は生き方が仕合せを決めますから時代が変わってもその本質は変わりません。しかし環境や場が濁ってくると、それもできなくなってくるのでしょう。

場を磨き高めること、これらの学問の本懐を守り続けることにもつながります。子どもたちが安心して素直に正直に成長していけるように、見守り続けていきたいと思います。

徳積の一灯

仏陀に「貧者の一灯」という物語があります。これは簡単に言うと古代インドの阿闍世王が招待した釈迦のために、宮殿から祇園精舎への帰り道を大量の灯火で明るく照らそうと布施を声掛けします。貧乏な老婆も自分も釈迦のためにとお金を工面して一本の灯火を布施する。阿闍世王の灯火は徐々に消えていったが、老婆の灯火は朝まで消えなかったという話です。

それぞれの解釈の仕方がありますが、この物語はその中身がとても重要な話です。食べるものがなくて貧しくても布施をしようとしたこと、釈迦の教えを説いて布施をする人を集めたこと、単に油や火をつけたのではなく永遠に消えない信仰という火をつけたこと。どんな大量の油や火よりも真心を籠めて徳を積んできた火は尊いということ。世の中のために世界のために未来永劫の子孫のためにという偉大な心で取り組んだこと。ないからできないではなく、徳を実践しようと心掛けたことなどがあります。

釈迦は、説法もしますが実践をされた方です。それは姿からもわかります。布切れ一枚しか持たず、道を歩み、最期まで徳を実践されました。この徳は、仏教では布施ともいい、わかるよりも行動で示されました。

有名な布施には、「無財の七施」というものがあります。言い換えれば、徳を積むための「七つの実践」ということです。眼施、和顔施、言辞施、身施、心施、床座施、房舎施の七つです。

眼施(がんせ)は、常にやさしいまなざしでいる実践。

和顔施(わがんせ)は、いつも和やかに笑顔で人と接する実践。

言辞施(ごんじせ)は、優しい言葉で人と接する実践。

身施(しんせ)、自分の身体で奉仕する実践。

心施(しんせ)は、他の人に対して心配りをする実践。

床座施(しょうざせ)は、席や地位を譲る実践。

房舎施(ぼうじゃせ)は、自分の家や部屋を提供する実践のことです。

これは、他人を自分だと思って大切にする実践。自他一体の境地を顕すものです。私たちは自分を大切にするように他人を大切にするときに徳は積めます。決してお金をたくさん持っていなくても、財産に恵まれていなくても徳は積めます。言い換えるのなら、ないからこそ徳の実践はさらに豊かになります。

簡単にできないからこそ磨かれるものであり、それがもっとシンプルで根源的であるからこそ私たちは迷いなく生きていくための真理に近づいていくともいえます。

大切なのは真心で「一緒に積んでいこう」「共に磨こう」というあるないにかかわらず、実践するという純度の高い一灯に真の意味があるように私は思うのです。この貧者は果たして本当に貧者なのか、真の豊かな心を持つ「心の長者=仏陀」ではないかと思うのです。

昨日のブログで心の長者のことを書きましたが、この心の長者は心の豊かな者のことです。そしてこの心の豊かな者の正体は、この貧者の一灯の実践をする人ということだと私は確信しました。まさに仏陀は、誰にもできることであり、みんなが勇気を出して踏み出せばそこには仏陀があるのです。

徳の仲間ができることは、仏陀を産み出すことであり仏陀はそれを同じ人として平等なところで語っているのです。

これからいよいよ地球環境の変化の著しい人類の行く末を決める大きな分岐点に、この貧者の一灯はこの世を明るく照ら光明になるでしょう。子どもたちのためにも、徳を積むことの意味を実践して伝承していきたいと思います。