引力と場

何かの決意と覚悟で物事に取り組むとき、そこには引力のようなものが働きます。不思議と最良のもの、最適なものが集まってくるのです。これは意識せずとも、自然にまるで向こうから集まってくるかのように時が重なりタイミングが合います。

この偶然のようで必然が発生するのは、その「場」に充分に気や志が満ちたということの証明でもあります。

例えば、あるものを磨き続けているとします。それは泥団子でも構いませんし、古い木材、もしくは貝殻を磨いても同様です。ある一定の磨きをかけたら、ある時に突然光り輝きはじめます。

単にコーティングや塗装をしたものではなく、内側のもっているものが光りだすのに似ているのです。この状態になれば、自ずから光を発して変わらない状態に入っていきます。

実際に、舞台や場が磨かれていくとそこには義士が集まり、志が和合し、まるで水滸伝の梁山泊や南総里見八犬伝のように仲間や同志が集まってくるのです。

時間をかけてそれぞれが志を温めるまでの期間、また多くの人たちと志をぶつけ合い錬磨し合う機会の質量がある一定を超えるとき、そこに「場」が誕生するのです。

その場をどうつくるか、そこには夢を実現しようとするもの。そしてその夢に共感して自分もと挑戦をする人たちが必要です。小さくまとまるのではなく、大きなところで目的が同じであればそれぞれが自立して懸命にその目的に殉じていく必要があります。

その時、離れていても、或いは同じようにやらなくても結果は必ず一緒に取り組むところに落ち着くのです。こうやって歴史的な場は誕生し、それが時代を動かす一つの引力になっていくのです。

これは宇宙の働きの姿でもあり、私たちは同じやり方で場を創造していきます。

それぞれの志が一つになっていくことは、人生の仕合せとご縁の喜びです。引き続き、二度とないこの今に集中していきたいと思います。

続 暮らしフルネスの実践と幸福論 

古代ギリシャにディオゲネスという哲学者がいたといいます。この人は、ユニークな哲学者として様々な逸話が遺っています。物乞いのような生活をし、樽を住まいにしていたといいます。またアレクサンドロス大王がなんでも与えてあげようといっても、媚びを売らずに考えるためにどいてくださいと言ったほどだそうです。

例えば、残した名言も印象深いものです。

「つねに死ぬ覚悟でいる者のみが、真に自由な人間である。」

「人生を生きるためには理性を備えるか、それとも首括りの輪縄を用意しておかなければならない。」

「かの金持ちは財産を所有するにあらず。奴の財産が奴を所有しているのだ。」

「私に祖国などありません。私はただ天の下で暮らしているだけなのです。私は天下の住人です。」

「愚人から誉められても嬉しくない。多くの人から誉められたりすると、私も愚人なのではないかと心配になる。」

本来の自由とは何か、そして持たないものと持つものとの間にあって天下の住人とはどういうものをいうのか、まさに真理に生きた人の言葉のように感じます。

またこうもいいます。

「休みたいのなら、なぜいま休まないのか。」

「何もしないこと。それが平和だ。」

今でこそ、捨てることや持たないことなどを実践し、執着を離れることの真の価値を証明している人が増えていますがその当時にそれをやってのけているところは求道者の様相です。

そして私がもっとも共感したのは、幸福論です。そこにはこうあります。

「人生の目的はよく生きて幸福になることである。身体を労苦によって鍛え、健康と力を得るように精神や魂を徳によって錬磨し、その静かさと朗らかさの中に真実の豊かさと喜びがある」

時代が変わっても、流行は変化しても普遍的な真理は一切少しも変化したことはありません。この時代、物が溢れ、お金も成熟し過渡期です。本物の幸福に人類がアップデートしていかなければこの先の未来はありません。

改めて歴史に学び直し、この時代に相応しい「暮らしフルネス」の実践を増やしていきたいと思います。

普遍的な若さ

人間には「若さ」というものがあります。この若さは、年齢的な若さもありますが同時に魂の若さ、精神の若さという心の瑞々しさのようなものがあります。人はいつかは年老いて死にますが、肉体以外のところは死ぬことはありません。つまり若さというのは、普遍的なものであるということです。

この普遍的なものをもって生きている人は、肉体の変化にも関わらずいつまでも若いのです。逆に肉体が若々しくても精神が年老いてしぼんでしまう人もいます。大事なのは、いつまでも心や精神を磨いて挑戦を続けて若さを謳歌していることのようにも思います。

改めて、サミュエル・ウルマンの青春(岡田義夫氏訳)を詠んでみるとその普遍的なものを表現しています。

「青春」

「青春とは人生の或る期間を言うのではなく心の様相を言うのだ
優れた創造力、逞しき意志、炎ゆる情熱、怯懦を却ける勇猛心
安易を振り捨てる冒険心、こう言う様相を青春と言うのだ

年を重ねただけで人は老いない。理想を失う時に初めて老いがくる
歳月は皮膚のしわを増すが情熱を失う時に精神はしぼむ
苦悶や、狐疑、不安、恐怖、失望、こう言うものこそ恰も長年月の如く人を老いさせ、
精気ある魂をも芥に帰せしめてしまう
年は七十であろうと十六であろうと、その胸中に抱き得るものは何か

曰く「驚異えの愛慕心」空にひらめく星晨、その輝きにも似たる
事物や思想の対する欽迎、事に處する剛毅な挑戦、小児の如く
求めて止まぬ探求心、人生への歓喜と興味。

人は信念と共に若く 疑惑と共に老ゆる
人は自信と共に若く 恐怖と共に老ゆる
希望ある限り若く 失望と共に老い朽ちる

大地より、神より、人より、美と喜悦、勇気と壮大そして
偉力と霊感を受ける限り、人の若さは失われない
これらの霊感が絶え、悲歎の白雪が人の心の奥までも蔽いつくし、
皮肉の厚氷がこれを固くとざすに至ればこの時にこそ
人は全くに老いて神の憐れみを乞う他はなくなる」

改めて、こういう心の持ち方、心の生き方をしていきたいと思うものです。一生一度のこの一期一会を味わっていきたいと思います。

九州の総鎮守

以前、九州自然歩道のことを調べているとそれが英彦山に続いていたという話を友人に聞いたことがあります。これは長い年月をかけて人々が、信仰によってあるいた巡礼の道があったということも意味しています。

そしてその場所には、点と線を結んだところにそれぞれ総鎮守というものがあります。この総鎮守とは、国または土地の全体をやすらかに守る神や総社のことをいいます。それぞれの住んでいる場所には、それぞれの鎮守がありその広さが大きくなっていきそれをまとめているところが総鎮守という具合です。またそこには一宮、二宮という言い方もします。

大体、その土地や地域を巡り総鎮守にいってみるとそこが何らかの発祥の地であることがわかります。つまり始まりの場所ということです。総鎮守には、全体を広く纏めるという意味とあわせてそこがはじまりの場所であるということもあるように思うのです。

言い換えるのなら、そこからすべての発展がはじまる原点があるということです。人間であれば初心があるということです。

私たちは、道すがら点があるのならそこに原点回帰しながら歩んでいくという智慧を伝承しているからでもあります。何度も生まれ変わり、先祖の想いや祈りを生きている私たちは時としてその原点に出会い自分の役割や使命を振り返ります。道は、巡礼そのものでありそのご縁や御蔭様や意味に触れては感動し感謝するのです。

総鎮守に詣でることは自分の原点を確認することになります。自分の原点を確認すれば人はそこに確かな運命や意味を実感して確信に至ります。勇気の源泉にもなり、偉大な信仰を呼び覚まします。

九州にも総鎮守というものがあるはずです。私はそれを英彦山だと思っています。その理由は九州の歴史は英彦山から始まったことがあまりにも多いことと、九州の巡礼の道が英彦山に向かってつながっているからです。

一つの九州という言い方を九州人はします。英語でONEKYUSHUという言い方もしています。それではその九州の総鎮守はどこかといえば英彦山にこそあります。それをこれから証明していきますが、九州人ならみんな英彦山を大切にすることで原点回帰すると私は信じています。そして九州は日本の始まりの場所ですから、九州が甦生すれば日本全体が甦生するはずです。

忘れてしまった歴史、隠された歴史、失われた歴史を甦生し、九州の場で新たな歴史を結びたいと思います。

 

 

日々の精進

若い頃に安岡正篤さんの著書で「六中観」というものを知りました。これは安岡正篤さんの座右の銘だったそうです。「私は平生ひそかにこの観をなして、いかなる場合も決して絶望したり、 仕事に負けたり、屈託したり、精神的空虚に陥らないように心がけている。」というほど意識されていたことがわかります。

常に中庸を保つというのは、丹田の錬磨によるものと思いますが歳を重ねるにつれてこの六中観の感じ方が変化してきます。

この六中観は、「忙中閑あり 苦中楽あり 死中活あり 壷中天あり 意中人あり 腹中書あり」の六つです。人生の中で、どんな「中」にいても六つに転じて福にしていく工夫。まさに人生の達人ともいえる境地です。

最近は、英彦山に関わることでまさかの壷中天ありまで体験させていただいています。仙人の境地に入れるかどうかわかりませんが、この六中観によって中庸や中心を磨いていけることに仕合せを感じています。

もう一つ、私は六然訓というものも同じくらい意識してきました。「自處超然  じしょちょうぜん 處人藹然  しょじんあいぜん 有事斬然  ゆうじざんぜん 無事澄然  ぶじちょうぜん 得意澹然  とくいたんぜん 失意泰然  しついたいぜん」の六つです。

これを合わせて私流に「かんながらの道」、つまり自然道と名付けて実践を続けています。どんな時でも、自然に委ねて天に任せるという生き方。まさに神人合一の境地です。

人生の中で、生き方の羅針盤があるというのはとてもすばらしいことです。時に絶望するとき、時に悲嘆にくれるとき、偉大な勇気になります。また時に歓喜するとき、有頂天になるとき、偉大な謙虚さを与えてくれます。

感情があることで様々な貴重な体験ができますが、分を弁えることで信仰や信心が磨かれます。人はこの感情と心のバランスを保ちながら、唯一無二の人生経験をこの宇宙で得られ記憶を育てます。

今に生きることは、この六中観や六然訓を大切に生きていくことです。

子どもたちにも健やかないのちの伝承ができるように日々の精進していきたいと思います。

神苑

英彦山に関わっていると、今まで知らなかったこと、繋がらなかったご縁と結ばれています。歴史は、結ぶ人たちがいることで顕現して甦生してきます。宿坊の甦生から新たな物語が繋がってくることに仕合せを感じます。

伊勢神宮に多大な貢献をしたある英彦山の山伏がいることを知りました。

名を、太田小三郎といいます。この方は、伊勢のまちの近代化に尽力した人物として有名で弘化3年(1846)、豊前国英彦山の鷹羽寿一郎の三男として誕生しています。この鷹羽家は代々豊前英彦山の執当職を担った家柄でした。お兄さんは明治の維新の志士で活躍した鷹羽浄典です。

明治5年(1872)初めて神宮に参拝し、ご縁あって古市の妓楼「備前屋」を営む太田家の養子になり、そのまま傾いていた太田家を立て直し、竟には今の伊勢神宮を守った人物です。

当時の伊勢神宮は、宮の中に民家が入り込んでいて神宮の尊厳と神聖が保たれている状態ではありませんでした。そこで彼は「神宮の尊厳を維持し、我が国の象徴である神宮とその町を、国民崇拝の境域にすべき」と方々に呼びかけ同志を募り明治19年(1886)に財団法人「神苑会」を結成しています。

そして多くの寄付やお布施を集め民地を買収し、すべての家屋を撤去して宇治橋から火除橋までを「神苑」として修繕していきました。現在、内宮の宇治橋を渡った先に広がっている聖地の清々しい場が醸成されたのはこの時の徳積みがあってのことです。

「神宮の尊厳を維持し、我が国の象徴である神宮とその町を、国民崇拝の境域にすべき」の理念は、そのまま英彦山宿坊の甦生でもとても参考になる考え方です。今、伊勢神宮があれだけの聖域になりいつまでも国民に深く愛され信仰の聖地となっているのはこの理念と実践があったからであり、今でもその理念が受け継がれているから伊勢は美しい信仰の聖地として燦然と輝いています。

今、英彦山は同じように大変な憂き目にあってもいます。水害にも遭い、山は荒れて参道周辺には廃墟のように空き家が目立ち、これから民家や営利主義の業者が入ってくるかもしれません。そうならないように、本来此処はどのような場であったのか、そして日本人にとってここがどのような場であったか、それを思い出し甦生する必要を感じるのです。

私たちの尊厳とは、先人たちの遺してくださった大切な灯でもあります。それを守るために、私たちがどのように歴史がはじまり暮らしてきたかを守ることは、日本人そのものを甦生していくことでもあります。

こうやって先人の山伏のお手本があることに心強く感じています。

私も伊勢神宮のような未来を描き、これから英彦山の甦生に取り組んでいきます。

ふぐのひれ酒の妙味

昨日は、懐かしい友人が遠方から訪ねてきたので一緒に夜中まで会食をしました。ちょうど寒くなってきたこともあり、ふぐのひれ酒を用意して飲みました。炭で温めて飲む熱燗だけでも贅沢ですが、そこにふぐのひれ酒が入るとお酒が止まらなくなるものです。

このひれ酒は、歴史を調べると意外とまだ新しいことがわかります。戦後の物資が乏しい時代に、美味しいお酒を飲むための工夫から発明されたものです。

詳しく言うと、昭和24年に酒税法改正で製造開始された新しい日本酒、正式名「三倍増醸清酒」というものが誕生します。これは日本酒の供給量を増やすために考えられた新しい製造法でした。戦時中は、食料米自体が足りませんからとてもお酒にはまわせません。そこで政府は日本酒へのアルコール添加を認め、日本酒を食用アルコールで水増しするという方法をとりました。しかししかし食用アルコールだけを添加した日本酒は辛くてとても飲みづらかったといいます。

なのでそこに糖類やグルタミン酸ナトリウムを加え、甘味料と人工的な旨味を調整し飲みやすく仕上げたものが三倍増醸清酒、つまり三増酒でした。この名の通り、アルコールと糖類と添加物で3倍量の日本酒をつくったのです。

密造酒や無許可で造られた酒との違いは、工業用アルコールや燃料用アルコールを使用していないことです。たまにロシアとかではニュースででますが、人体に甚大な悪影響がある危ないお酒です。三増酒は二日酔いが酷く悪酔いし甘ったるいなど、不平もあったようです。この三増酒は現在は、2006年の酒税法改正からは飲まれなくなっていますが戦前戦後はこれをどうにか美味しく飲めないかということで「ひれ酒」が発明されたのです。

ひれ酒はちょうどよく温まった日本酒の中に、少し炙ったふぐのひれを入れたものです。よく店舗では、最期に最後に火をつけてアルコール分を飛ばして蓋し差し出されます。ひれ酒の中でも最も美味しいとされているのがとらふぐのひれといいます。

先人の工夫の御蔭で美味しいお酒として飲める、ないなかでもあるものをうまく活かして楽しむのは素晴らしいように思います。もともとお酒は目出度いものであり、心を澄ましととのえる百薬の長とも呼ばれるものです。

飲み過ぎは注意ですが、このふぐのひれ酒の御蔭で食事の楽しみが増えるのは仕合せです。智慧を活かして伝承していきたいと思います。

自然の回復期間

中国の長江でこれから10年間の禁漁措置を始まります。これは急減している漁業資源の保護のためです。そのため流域で働く漁師計約30万人に失職することになるといいます。実際には漁獲減の根本的な原因とみられているダム建設は続いており、禁漁だけで解決するのかという問題もあるそうです。

他にも調べると、禁漁期間が終わってからの乱獲の問題、密漁の問題などもあり実際にはどうなるのかはこれからの様子次第でもあります。鵜飼など伝統的な漁業なども喪失していきますからこれは大変な措置です。しかしこのままでは魚が全滅してしまうということで10年間という期間、川をそっとしておこうという実験ということになります。

もともとこの長江は青海省のチベット高原を水源地域として中国大陸の華中地域を流れ東シナ海へと注ぐ川のことです。全長は6300kmで、中華人民共和国およびアジアで最長、世界でも第3位の大河になります。この川が禁漁というのだから大変なことです。

日本だと一番長い川は信濃川で367キロですからどれだけこの長江が凄まじい長さであるかがわかります。この川の魚がいなくなっているのだから、その損害はまた世界から見ても恐ろしいレベルです。

人間は、短期的に自然を搾取してお金にしますが自然はとてもゆっくりと回復していきます。自然の回復は大きいほどに緩やかですからその緩やかな回復を邪魔をするほどに搾取すれば回復する速度が追いつきません。

例えば、人間の身体もそうですが恢復は自然と同じくゆったりと治癒していきます。その治癒の途中にまた無理をすれば治癒が働かなくなっていきます。時間をかけて治癒していくものだからこそ、私たちはその治癒した分の余力で生きて暮らしてきたともいえます。

自然界も同様に、自然循環で発生し生まれた利子の分だけで暮らしていけば永続的に人間は生きていくことができます。つまり自然に寄り添い、自然を富ませ豊かにすることでその分の恩恵の中で暮らすことが私たちが循環の一部となって自然と一体になって地球での生活が保障されるということです。

人間は、地球の大きさに甘えてやりたい放題していきますからそれがいつか限界が来た時、真に反省するのかもしれません。長い歴史の中で文明は何度も滅んでいます。その滅んだ理由はほとんどが自然災害や自然が回復せずにその場所で生きられなくなったものだということもわかってきています。

何度も何度も同じことをして滅んでしまうのは、人間の一つの業なのかもしれません。子どもたちのためにも、その業と対話し、その業への向き合い方を転換し、暮らしフルネスを通して実践を伝承していきたいと思います。

お滝場の甦生

昨日はお滝場の石風呂にはじめての火入れを行いました。関わってくださった方々の御蔭で無事に場が整いました。特に建築に携わった大工の棟梁や窯をつくりあげてくれた職人、お掃除して綺麗に守ってくださった人たち、また修行者の方との一期一会はとても心に残りました。

滝行というのは、冬季の寒い中での荒行のように思われますが実際には一人で行うのと仲間と行うのではその感覚は異なります。昨日は、背中から水をかけてくださる方、勤行を唱えて祈りを捧げてくださる方、また法螺貝を吹いてくださる方がいて、他の仲間が見守る中でお滝をいただきました。

滝行をする方々は信仰深く、滝ではなくお滝とも呼びます。

私たちはいのちあるもの、尊敬しているもの、大切なものには「お」をつけます。お花、お米、お母さん、お水なども同様です。お滝というのは、流れている水ですがそこに確かな何かの存在を感じるのです。

神道の大祓詞には、瀬織津姫という神様のことが書かれていてこの神様が滝場にいて色々な災厄を祓い清めてくれると記されます。祓いというのは、あらいが語源で、禊というのはすすぐことを言うといいます。つまり祓い清めるというのは、今でいう洗い流ししてきれいにするということでしょう。

このお滝の神様の瀬織津姫のほかに、速開都比売(はやあきつひめ)・氣吹戸主(きぶきどぬし)・速佐須良比売(はやさすらひめ)という洗い流してきれいにする神様がいると祝詞には出てきます。川や渦、海などみんな洗い流してきれいにする神様たちの御蔭で私たちの汚れや穢れは取り除かれて自然に循環するというのです。

先人たちはこの自然の仕組みを知り、日々の小さな塵や垢のように心や魂などにつく汚れや穢れも洗いきれいにできる方法を発明したのでしょう。

今の時代、以前よりもスピードがあがり今までのように簡単に洗い流すことができなくなってきています。できればしっかりと洗い流しておかないと積もり積もるとそれだけ浄化に時間がかかってしまいます。

日々の暮らしの中で、私たちは禊をしますがこれからはますます必要になってくると私は確信しています。人間は集合意識によって社会を形成しますからそれが歪であればあるほどに地球や宇宙にも影響を与えてしまいます。量子のことが解明すれば、意識こそが世界に影響を与えていることはわかってくるはずです。情報化社会というのは、意識の社会ですから人間力を磨き高めていくことで未来の流れも変わることでしょう。

子どもたちのためにも、大切な智慧や伝統を活かしながら場を創造していきたいと思います。

 

野生の食

最近、山とかかわり始めてからジビエ料理を食べることが増えてきています。このジビエとは何かというと、これはフランス語で狩猟で得た天然の野生鳥獣の食肉を意味する言葉です。

もともとヨーロッパでは貴族の伝統料理です。日本では鹿や猪がジビエでよく使われていますが、もともとフランスでは貴族しか食べられないほどの高級食材だったといいます。貴重な野生動物を食べるのだから肉から内臓、骨、血液、その全ての部位をすべて料理に使うといいます。栄養価も高く、食べると独特の高揚感というか体の芯から熱く漲ってくるようないのちを食べている感覚があるようです。

日本では古代からこの野生動物は身近な食材だったといいます。縄文の遺跡からも、ウサギ、クマなどを食べた形跡があるそうです。まだ稲作が入ってなかった頃は、山から色々な食べ物を集めては食べていました。毛皮は加工して暮らしのあらゆるところに役立てていたともいいます。

それが平安時代になると仏教が伝来し、食べることが禁止になったりもします。しかし山の周辺の人たちにとっては野生動物を食べなければ生活もできませんからなくなることはありません。江戸時代にも一般的には狩猟が禁止になっていますが、鴨料理やしゃも料理などは人気だったといいますから野生動物は食べていました。

明治以降は、牛肉や鶏肉、豚肉など養殖によって増やすことになり便利に食べられるようになってから野生動物を食べることが減ってきたともいいます。本来は、高級食材で滋味を味わうものでしたが近代になってから獣害のことが出てきて鹿肉や猪肉を捨てるのではなく何かに活用しようとフランスのジビエに注目して取り組む飲食店も増えています。

この時代は本当におかしなことに、物が溢れ、獣が溢れとバランスが崩れていますから過去の歴史と在り方が逆転していて価値もまた逆転しています。本来は、貴重な価値だったものが今では獣害として価値がなくなり処分に困っているということ。

なぜ野生動物を食べていたのかということも忘れてしまうくらい、今は食が溢れているということでもありますが本来食とは何かということを考えさせられるいいきっかけになるとも感じます。

むかし上司の山小屋で狩猟していた猪を檻の中で食べるまで飼育していたことを思い出しました。周囲には強烈な獣臭と強烈な殺気、そして檻に身体をぶつけては今にも襲い掛からんとする怒りの形相にたじろきました。野生動物と対峙するというのは、いのちのやり取りをするということです。

今の時代、侍などもいませんからいのちのやり取りなども身近ではありません。しかし、野生に入るというのは本来の自然に近づいていくことでもあります。人工的になんでもできる時代ですが、こんな時だからこそ原点を忘れないで野生を宿した人間のままでいたいものです。

子どもたちにも時代の節目に相応しい本物の暮らしと食を譲り遺していきたいと思います。