健康第一義

人は健康でなければ、何をやっても楽しくはありません。健康とは、身体だけに限らず、心や精神の健康もあります。つまり健康とは全体調和してバランスが取れている状態であり、すべてがととのい落ち着いて和合している状態のことです。

まるで穏やかな日和で心地よさを感じて仕合せを味わうように、すべてが調和して平和を感じて味わうとき私たちは健康のありがたさを感じます。調和が健康というのは、人間であれば必ず体験したことがあると思います。

常に今の状態をよく観察して変化に合わせて自分を調和しととのえていくこと。これは暮らしをととのえていく中で磨かれていくものです。もちろんサウナなどでととのうこともありますが、それは現代社会の過酷なスピード社会の中での一時的なととのいであり、本来は恒久的に暮らしを楽しみ、味わい、すべてが調和し続けるようであることが本当の意味でととのうことになるのでしょう。

そのためにはまずは、私たちは生老病死といった逃れなれないものと常に調和していく必要がありますから常に気を付ける必要があります。私も最近は、老いを実感することが多くなり、老いのことについて向き合うことも増えています。

江戸時代の俳人、国学者でもあり武士でもあった「横井也有(よこいやゆう)」という人物がいます。この人が記した、健康十訓はずっと健康で長生きするときの参考になったといいます。少し紹介すると、

『健康十訓』
一.少肉多菜(肉を控えて野菜を多く摂りましょう。)
二.少塩多酢(塩分を控えて酢を多く摂りましょう。)
三.少糖多果(砂糖を控えて果物を多く摂りましょう。)
四.少食多噛(満腹になるまで食べずよく噛んで食べましょう。)
五.少衣多浴(厚着を控えて日光浴し風呂に入りましょう。)
六.少車多走(車ばかり乗らず自分の脚で歩きましょう。)
七.少憂多眠(くよくよせずたくさん眠りましょう。)
八.少憤多笑(いらいら怒らず朗らかに笑いましょう。)
九.少言多行(文句ばかり言わずにまずは実行しましょう。)
十.少欲多施(自身の欲望を控え周りの人々に尽くしましょう。)

とあります。まさに、日々の暮らしをととのえるために何を気を付けて生きていけばいいのかを記しています。今でも、この真理は変わっていません。私たちの心と体と精神の健康は、常にこの日々の手入れにこそあります。お借りして滞在しているこの自分をどう丁寧に手入れしながら活用していくか、これはすべての人類の課題ですから学ぶことばかりです。きっと江戸時代の人も、わかってはいるけれどつい欲に任せて生活することで病気になり不健康になったのでしょう。

人間はつい調子にのってしまいますから、若い時はできても歳をとるとそうはいかなくなるものです。老いと向き合うことが増えると、当たり前ではなかった健康と向き合い感謝することが増えますから歳をとることもまた素晴らしいことだと感じます。

最後に、この横井也有のこの言葉で締めくくります。

「老は忘るべし。又老は忘るべからず。」

歳をとって老いていくことは気にせずに情熱と気力を充実させていく暮らしをしながらも、老いていくことは忘れずに丁寧な暮らしを通してととのえていくのですよと。

300年前の人の格言ですが、心に沁みます。子どもたちのためにも、暮らしの実践を伝承していきたいと思います。

心の原風景と枯山水

現在、徳積堂カフェの庭園の枯山水に取り掛かっていますがここは甦生中の藁ぶき古民家で使わなくなった石を運んで配置し造園しています。この枯山水とは、日本庭園や日本画の様式のことをいいます。

枯山水は水のない庭のことで池や遣水などの水を用いずに石や砂などにより山水の風景を表現する庭園様式となっています。具体的には白砂や小石を敷いて水面に見立ててます。橋が架かっていればその下は水が流れているという具合です。石の表面の模様で水の流れを表現しています。

聴福庵の庭にも、枯山水を参考に白川砂利をいれて落ち着いた川の流れを表現しています。これは心の世界をととのえて静寂を楽しむための工夫にもなっています。

この枯山水のはじまりは日本に中国から禅宗が伝えられ、鎌倉時代に本格的に広まり、日本に最初の本格的枯山水が京都の禅寺・西芳寺に禅僧・夢窓疎石(むそう・そせき)によってつくられたことで有名です。

様式には、平庭式といって平らな庭に造られた枯山水。準平庭式といって平庭式に小高い山を加えた枯山水。また築山式といって斜面を生かして作られた枯山水。枯池式といった石を組んで池を表現した枯山水。枯流れ式といった小石や砂で水の流れを表現した枯山水。他にも特殊な枯山水があります。

今回、私が手掛ける分は築山式と彼流れ式、準平庭式などを組み合わせた特殊な枯山水になります。

そもそも枯山水は、ある心の情景を石で表現します。石は変化の中で形が変わっていかないところから古代の人たちは普遍的なものや永遠・永久の存在だとして崇めてきました。

その石が創り出し、織りなす姿は心の原風景をこの世に顕現させるものです。

苔との相性がいいのもまた、悠久の時を共にある存在だからかもしれません。私は徳積堂は、徳を実践する場として建立しましたがこの庭にはその徳を実感できるものにしようと思っています。

時代が変化しても、変わらないものがある。

その変わらないものの悠久の歴史や偉大な存在に徳のもつ畏敬を感じます。子どもたちにその意味を伝承していけるように丹精を込めて取り掛かっていきたいと思います。

 

神さびた道の甦生

昨日、写真家のエバレットブラウンさんと一緒に英彦山の玉屋神社に参拝するご縁がありました。水害もあって参道はだいぶ傷んでいましたがかつての修験道の山伏たちが歩いた道ですから終始神さびた感じの神秘的な時間を過ごすことができました。

苔むしている巨石群、そして美しく清らかな水の流れとせせらぎ、神域を感じながらあるいているとそこにかんながらの道が続いていることを実感します。

法螺貝を立てては歩き、ただ自然の中に心を研ぎ澄ませていると悠久の時間の流れを感じるものです。そういえば、子どものころにこのような神秘的な場所で別の何か偉大な空間が今居る場所に存在していることを何度も実感したことがありました。

目に見える景色とは別の何か、心でしか観えない景色が同じ場所に広がっている感覚のことです。

例えば、私たちは人間中心の世の中に生きていて物事のとらえ方一つ人間の物差しだけで見えています。動物側からこの世をみたら人間はどう見えるのか、他にも虫たちや植物たちからみたらどう見えるのか。さらに古代からの時の流や先人たちから見たら今がどう見えるのか。自分からしかない主観の世界の逆は客観的な世界だけではありません。そこには絶対的な世界というものがあるように思います。

この絶対的な世界というものは、宇宙のようなものです。

私たちは宇宙の中に存在して宇宙の一部として暮らしています。その宇宙には私たちとは別の時空や次元をもっていて常に宇宙から見た世界が広がっています。その宇宙から見た世界から今ここを眺めてみると先ほどのような神秘的な神さびた世界が広がっているのです。

私たちは本来、その宇宙と交信をし宇宙からの智慧を授かってこの世に存在しています。そういうものを感受していたのがかつての山伏たちでもあり、修験の奥深さではないかと私は思います。

一つの体験をどの次元で味わうのか、そしてそれをどう感受し暮らしに活かすのか。

この道を学び知るのは、その絶対的な世界に触れるとこからはじまるように思います。現代人たちが目先の世界に囚われて忘れがちな本来の神さびた道を甦生させていきたいと思います。

元氣の源

現在、徳積堂の前の桜が満開でひらひらと花びらが天空を舞っています。幻想的な風景にうっとりしながら季節の移り変わりの美しさに心が感応していきます。

心の感応は心の穢れを祓います。

つまりいのちそのものの変化、そのいのちの元氣に触れることでいのちはお互いにその元氣を分かち合うことができるのです。これが自然一体になり共生するということなのかもしれません。

私たちはいのちを観るとき、そのいのちと一つになります。つまり関係性というものは、お互いに一つであり夫婦和合のようなものです。この世は、分かれているものではなく関係性を結びながら一つになっているものです。それは、天地一体であり、あらゆる性質のものが統合しあって存在しています。

小さな変化に気づき、そのわずかな変化を味わえる人はいのちの豊かさの中に佇むことができます。この味わい深いいのちに触れるというのは、私たちはそのいのちの源泉に触れたということでもあります。

もともと元氣がなくなることを穢れ(気枯れ)と先人たちは表現しました。穢れないようにあらゆる工夫をして年中行事やハレとケというように仕組みにして文化を醸成させていきました。

つまり私たちが元氣をなくし気枯れるのは変化に気づけなくなること、味わうことをやめてしまうこと、マンネリ化することに原因があるのです。そうならないように私たちは四季折々の変化を味わい、移り変わりの妙味に触れていきました。

私はこれまで一期一会の生き方をしてきましたから味わい深い人生を求めて生きてきたのかもしれません。しかし、この関係性による夫婦和合の自然はつねに結ばれ縁起によってこの世を変化させていきます。

美しい生き方をして美しい風景を産み出せば世界もまた同時に美しい風景に変化していきます。万物が変化するのは、その時代に生きる人たちの生き方が風景に投影されているのです。決して自然と人間は分かれているものではなく、まさにその自然を換えるものは人間の生き方や観念でもあるのです。

自然環境と人間環境を分けることは意味がありません。

人間が善くなることが自然を善くすることであり、自然を善く観ることが人間をよく観ることになり、それが心の風景を変えることになるのです。心の風景が変われば、私たちの世界がガラリと変わります。

子どもたちにも自然の妙味を感じて元氣いっぱいに発達していけるよう、生き方を通して見守っていきたいと思います。

平和の甦生

昨日、藁ぶき古民家の甦生で傾いていた家を直すために伝統的な道具をつかって直していきました。シロアリ被害が深刻で床下の土台の木もほとんど機能せず、ジャッキアップをしようとしても木を貫通するばかりで少しも傾きを直すことができませんでした。中心の柱も全体的に約5センチほど、前のめりに傾いていて床板も張れず、このままでは時間をかけて傾きが大きくなり家自体の寿命も短くなるし、家主や家族を守り続けることができません。

もう百何十年も前から建っていますが、地盤沈下もふくめどうしても家は傾いていきます。土台がしっかりしていればいいのですが、この藁ぶきの古民家はむかしのあまり裕福ではない百姓の家ですからつくりもそんなにしっかりしてなく、また昭和の素人大工の工事であちこち突貫工事をされていてその傷みも激しく、床をめくると大量の釘や無理に直した形跡が残っていました。また天井の藁も台風で飛んでしまってからトタンにしたようですが、その藁もほとんど失われていましたから家自体がこの数十年の間はあまり大事に扱われていなかったことがわかります。さらに十数年前から空き家になって鬱蒼として手入れをされなかった庭によって風通しも悪くなり高湿度にさらされ家の内部はさらに傷みが酷くなっていました。

見方を換えればこんな状態でよくぞここまで持ちこたえたというところでしょうか。それを伝統的な大工棟梁と大工さんたちで傾きを直して家を恢復していきますが、これは人間であれば大手術するようなものです。大手術に家が耐えられるかどうかもありますが、この藁ぶきの古民家であれば土台はほとんど腐り、梁もほとんどシロアリに食べられ、土壁で持っているようなものでもうボロボロの満身創痍の状態です。

この大手術をしてまず傾きを直し、そのあとに補強や補修、修繕をしてもう一度甦ってもらうように直します。こうやって愛情をかけて一緒に暮らしをしていくなかで、家も甦りますが同時に家主や家族も甦ります。

私たちは修繕や手入れをすることでお互いに愛着を持ちます。それは愛の循環であり、愛はこうやっていつまでもその「場」に「想い」をとして残りその後のご縁のある方々を仕合せにしていきます。私が取り組み古民家再生は、実はあまり古民家かどうかが重要ではありません。大事なのは、人の想いが遺っているものを大切にすること、この世は愛でお互いを満たしあうとき愛し合う平和が訪れること、またお互いが一緒に末永く喜び合える関係が徳を積むことになり最幸の人生が送れることを実現するために取り組んでいるのです。なので私は再生ではなく「甦生」という言葉を使います。つまり単なる再生ではなく、甦生こそが生まれ変わらせ続けて永遠や永久という日本人の持つ「常若」という生き方を伝承していくのです。

本当は、子どもたちをはじめ現代の人にこの家があることが当たり前ではないこと、先人たちの想いや智慧を大切にしようと真摯に取り組む人たちの想いや願い、そして家主をはじめ家族をいつまでも見守りたいという人たちの祈り。そういうものを、この家を大手術するときに見に来てほしいのです。なぜなら、家が必死にまた恢復して家主や家族を守りたいと生き返ろうとしながら軋み響く音を聴くと涙が出てきます。それにそれを祈りみんなで立て直してねと祈る姿に心が打たれます。そうして甦っていく過程のなかで、家が甦り、里が甦り、国が甦りそして人々が甦っていきます。

徳を積むというのは、まず恩徳に報いるという心があってはじまります。つまり、今までいただいている御恩にどう報いるか、そしてお借りしているこの肉体をはじめあらゆる恵みに対してどう感謝を実践していくか、この生き方があってはじめて人は人の仕合せを得ることができるからです。

今回、大工さんらの真摯な手当てと、関係者のご協力と皆様のいのりによって無事に5センチの傾きはほぼ立て直すことができました。ここにまた新しい物語や伝説が生まれ、この地域をはじめ日本、世界を甦生させていくことになるでしょう。

家はモノではない、いのちのある大切なものです。

子どもたちにこのように先人や地域、その恩恵や恩徳を大切にする後ろ姿を見せていくことでいつまでも見守られているということを後世に伝承していきたいと思います。

ありがとうございました。

 

普遍的な幸福論

貝原益軒の養生訓は、人がどう生きることが幸福であるかを平易な言葉でシンプルにまとめているものです。人間は、足るを知らずついないものねだりをしてはかえって健康の大切さを忘れるほどに日々を費やしていくものです。

しかし本当は、すべてはないものはなくあるものの中に存在していて幸福もその中に存在するという事実は普遍的な事実でもあります。養生訓にもそのことが記されています。

「ひとの身体は父母を本とし、天地を初めとしてなったものであって、天地・父母の恵みを受けて生まれ育った身体であるから、それは私自身のもののようであるが、しかし私のみによって存在するものではない。つまり、天地の賜物であり、父母の残して下さった身体であるから、慎んで大切にして天寿をたもつように心がけなければならない。これが天地・父母に仕える孝の本である。身体を失っては仕えようもないのである。」

この身体は、もともと何でできているのか。天地和合した存在がこの肉体、なので自分のものであって自分のものではないからこそ慎むことが真理であるといいます。だからこそ親孝行するようにこの身体を大切に使うことであるといいます。つまり両親や天地自然から預かったものだから最期まで大切に大事に使っていこうという気持ちこそがまず第一であるというのです。

そしてその慎みを実践するために、心の状態、精神の状態、肉体の状態において何が大切であるのかを説きます。特に大切なのは心の状態のことをいいます。どれだけ裕福になったとしても、心豊かでなければそれは真の意味で裕福であるのではないともいうのです。つまり心豊かではないことこそが、病気の根源であるとしたのではないかと私は思います。予防医学や未病として、この発想こそが私は重要であると思うし現代人にも必要な教訓があるように思うのです。きっとこのあたりが、特に江戸時代の人々に共感されたところではないかと思います。少しひも解いていきます。

真の裕福さにおいてはこういう言い方をしています。

「およそ人間には三つの楽しみがある。一つは道を行ない心得ちがいをせず、善を楽しむこと。二つは健康で気持よく楽しむこと。三つは長生きして長くひさしく楽しむことである。いくら富貴であっても、この三つの楽しみがなければ真の楽しみは得られない。」

「ひとり家に居て、閑(しずか)に日を送り、古書をよみ、古人の詩歌を吟じ、香をたき、古法帖を玩び、山水をのぞみ、月花をめで、草木を愛し、四時の好景を玩び、酒を微酔にのみ、園菜を煮るも、皆これ心を楽ましめ、気を養ふ助なり。貧賎の人もこの楽つねに得やすし。もしよくこの楽をしれらば、富貴にして楽をしらざる人にまさるべし。」

まず3つの楽しみの裕福さを道を実践し、徳を積むのを楽しむ、そして健康を楽しむ、末永く楽しむと定義します、歳を重ねる喜びその仕合せを味わうのも貝原益軒の生き方であったといいます。そして具体的な「真の豊かな暮らし」がどのようなものであるのかを説きます。真の裕福とは、この日本的で伝統的な暮らしにこそあるといいます。これは私の提案する暮らしフルネス™とほとんど同じです。

そして日々の実践としては、「心を平静にし、気をなごやかにし、言葉を少なくして静をたもつことは、徳を養うとともに身体を養うことにもなる。」とまとめています。

人がどう生きるのが仕合せなのかということを示したものとしては、シンプルでそれは貝原益軒が85歳で亡くなるまでに得た教訓がこの養生訓だったように思います。私が特に印象に残ったのは、「徳を養うことが身体を養うことである」という一文です。

この徳を養うことの正体とは何か、これを貝原益軒のこの言葉で締めくくります。

「自ら楽しみ、人を楽しませてこそ人として生まれた甲斐がある。」

何が真に自らを楽しませるのかを知るものこそが真の豊かさを持つものであり、その真の豊かさを知るものこそが周囲の人を真に楽しませることができる。そしてそうやって道楽に生きる人たちこそが生き甲斐を持っているのであると。

暮らしフルネス™をいよいよ発信し、真実の暮らしを甦生させて普遍的な幸福論をこの場から発信していきたいと思います。

謙虚さと幸運

自然界というものは、人間の欲に敏感なように思います。人間が欲を持つことで、自然はそれに反応して対応してくるように思います。

私は自然農を実践していますが、自然に対して欲をもって接するときはその欲の種類に合わせて結果が変わってきます。例えば、自分の都合で収量を増やそうとすると虫や病気が来たり、便利にやろうとすると動物や天災などがやってきます。こんなことをいうと不思議に思われるかもしれませんが、自分の状態に合わせて自然もまた対応してくるのです。

この逆に、無の境地というか自然体で自然と一体となって作物を見守り育てるときは作物は健やかによく育ちます。虫や病気にも負けず、動物たちも悪さもせず天災も乗り越えていきます。

もちろん科学的みたら、肥料がよかったとか、菌類が豊富だったからとか、環境がよかったからではないかとかいくらでも理屈はつけることができます。しかし実際には、そんなことよりも欲が少なく足るを知るからこそよく育ったと感じているのです。

自然に対して自分がどのような状態でいるか、それはなかなか重要には思われません。しかし科学的には証明されなくても、むかしから謙虚であれば自然との共生関係ができ、傲慢になると災害が訪れるというのは先人の諺の中にもたくさん残っています。

津波や地震、その他の災害でもそれを乗り越えてきた人たちは一様に謙虚さがありました。そして謙虚だからこそ運をもっていました。この幸運は、常に謙虚さと一対であり、自分の欲を少し抑えてその分、全体快適になるように自分を努めれば運に恵まれていくのです。

自然農をはじめ、私が取り組む甦生はこの原理原則を重んじています。だからこそ、暮らしをととのえる必要があり、暮らしフルネス™を実践していく必要があるのです。

先人たちが身に着けてきた暮らしの中に、日本人の原風景があります。この日本の原風景が里山でもそして結というコミュニティの中でも顕現しています。

子どもたちに譲り遺したい未来を仲間たちとともに広げていきたいと思います。

真の智慧

人間に限らず、すべての生き物はその土地や風土の影響を受けています。それは単に肉体だけに影響を及ぼすだけではなく、精神を含めた全体に大きな影響を与えるのです。また石ころのような鉱物においても、場所を移動することでその影響を受けるように思います。

自然界の真理として、「適応する」ことが「変化そのもの」ですからこの世のすべては風土に合わせて適応するという仕組みが働くのです。逆説になりますが、風土が適応し続けているから私たちもその風土の影響を受けて変化するということなのです。

この世は、よく自然を観察すればわかりますが宇宙全体で変化しながら適応をし続けています。変化しない存在などは一つもなく、風土は常にその場所で変化し続けています。

私たちは移動する生き物ですから、人間は多くの場所に移動することによって多様性を発揮していきました。人類の生存戦略は、あらゆるところに移動してきたことです。そして移動しながらその場所に適応してきたことです。まもなく人類は宇宙にも旅に出ようとしています。その土地の風土によってまた適応し、肉体だけでなく精神もまた変化していきます。

おかしな話ですが、この地球に来る前に私たちは宇宙から飛来してきているのは間違いありません。なぜならそうやって永遠に適合していくようにあらゆる姿に変化して存在しているからです。宇宙はそうやってあらゆる姿に変わっては、適応し続けて変化を已みません。

その風土の中でどう適応してきたか、その適応してきたプロセスと結果こそが真の智慧であり、人類はそれを真の智慧であるということに気づく必要があると私は思います。その智慧が、この先の未来にとって必要なのは間違いありません。地域の伝承や口伝、またその暮らしの智慧を一つでも次世代につなぐことで私たちは適応を循環させていくことができます。

変化のもつエネルギー、変化のなせる業を子どもたちに伝承していきたいと思います。

マインドセットを替える

人間は主体的でなければすぐにその時代の価値観や周囲の常識に意識がマインドセットされてしまうものです。前提がどうなっているのかということを考える前に、思考停止してしまうように思います。

特に心の余裕が失われれば、自分で主体的に判断する時間も取れませんから周囲の価値観によって流されてしまうものです。自分で考え続けるというのは、常に自分の初心と向き合い一つ一つ選択して判断していく必要があります。

それはなぜ?と考えることや、そもそもと考えること、何が本質なのかということを突き詰める作業に似ています。哲学ともいうのでしょうが、本来は自分はどうありたいのか、本当は何をしたいのかということを生きようとする。それは魂の開放でもあり、魂の昇華ともいうように思います。

このマインドセットとは何かを辞書を引くと「マインドセットとは、経験、教育、先入観などから形成される思考様式、心理状態。 暗黙の了解事項、思い込み(パラダイム)、価値観、信念などがこれに含まれる。 マインドセットという言い方は、人の意識や心理状態は一面的なとらえ方はできず、多面的に見てセットしたものがマインドの全体像を表しているということから来ている。」とあります。

例えば、その人が過ごしてきた環境が現代のように経済優先の世の中ではないところで暮らしていたらその人の流れている時間軸はまた別のものになるという具合です。現代はスピード社会で競争対立する仕組みが動いていますからみんな時間がありません。スケジュールに追われ忙しくするのは、効率よく経済効果を発揮しないといけないから即席ですぐに成果がでるものばかりをモグラたたきゲームのようにたたき続けて余裕が生まれにくいのです。そしてその余裕も、経済的余裕を追いかけるばかり心のゆとりや余裕も生まれにくくなっています。

このような日々を過ごせば、マインドセットされているものから抜け出すことができなくなります。本来の余裕とは心の豊かさですが、それを持つためには現在マインドセットされている自分の観念や意識を転換する必要があります。それは環境を変えることや暮らしを変えることで得られるものです。私が体験を重視するのは、そのマインドセットを超えさせる機会と場が必要だから行っています。

本来、私たちはどのような暮らしをしているのかをよく観察すればそこにあるマインドセットをある程度は見抜くことができます。生き方は暮らし方ですから、暮らし方が変わっているというのはその人のマインドセットもまた変わっているともいえます。

根底や根本に合わせていくためには、まずはそれまでの前提を取り払う必要があると思います。子どもたちのためにも、前提を超えた場を創造して、そこに触れることで暮らし方を丸ごと転換する仕組みを提案していきたいと思います。

枯山水のつながり

徳積堂に枯山水の石庭を作庭していますが、配置が決まらずにいろいろと思案しています。もともと「枯山水」という言葉は、平安時代の『作庭記』(さくていき)という日本最古の庭園書に出てきます。まとまったものとしては世界最古のものと言われるそうです。

実際にこの「石」を使った庭のルーツは、巨石信仰にもあるように思います。人は、石が配置されているものを観てそこに不思議なつながりや力を感じたのでしょう。宇宙からのエネルギーを保存し、それを吸収して別のものにして放つ石のもつ癒しの力に畏敬の念を持ったのかもしれません。

BAの庭にも、1億年以上前の植物の化石の巨石が中庭に配置しています。また妙見神社のお社の磐座としても鎮座してもらい、そこを依り代にしていただくように場をととのえています。

徳積堂の庭は、茶庭になりますがそこに枯山水を配置します。かつて作庭家の夢窓疎石は仏教の宇宙観である「須弥山世界」を作庭しました。庭にあの世をつくりそこで座禅し瞑想することで「清らかなあの世を思い描いていると極楽浄土に行ける」という信仰が枯山水に投影されました。

また小堀遠州というもう一人の作庭家は、茶道の神髄と合わせた「綺麗さび」という美しく気品のある「書院枯山水」を作庭しました。心静かに、豊かに穏やかな空間の場を庭との結びつきを通して実現しています。その時代時代に、どのような枯山水を作るのかは志が同じでも出来上がりは異なるものです。私は、この時代に徳を甦生し、徳を可視化することに取り組むため、その徳を顕現させるような作庭にこだわるつもりです。

それに私は一昨年から石風呂を極めるために石を深め石に触れてきましたから「石」がとても好きになりました。その石を集めて庭を造ることは仕合せなことで思案しているだけでわくわくします。人々の心を癒せるよう、魂が甦生できるよう徳を主役にした徳積堂はまもなく開業する時期を迎えます。

そのおもてなしのはじまりで入り口をどのような作庭にするかは、私の思想と哲学、そして発明が入ったものになると思います。子どもたちの未来につながり、結べるような作庭をしてみようと思います。