先日、粽(ちまき(のことを深めていたら中国の屈原という人物のことを学びました。もともと端午の節句の食べ物として慣れ親しんできましたがその理由についてはあまり調べていませんでした。時期はズレていますが、少し紹介したいと思います。
もともとこの端午の節句や粽(ちまき)中国の故事にある楚国の詩人屈原(くつげん)の死を供養するためにはじまったものです。この屈原は、王様の側近でしたが陰謀により国を追われ悲観しついには河に身を投げてしまいます。この屈原の命日が5月5日でその屈原の死を嘆いた人々は米を詰めた竹筒を投じて霊に捧げました。理由は屈原の肉体が魚に食べられないようにという意味もあったそうですが同様に河に住む竜に食べられないようにと竜が嫌う葉で米を包み五色の糸で縛ったものを流し供養したといいます。
この風習が日本へは奈良時代には伝わり平安時代では宮中行事になったといいます。他にも神功皇后が三韓征伐の時持ち帰ったとも言われたり仁徳天皇の時代にちまきが宮中に献じられたと言う話、他にも伊勢物語や古今和歌集などに記述があるなどとあります。この「ちまき」と呼ばれるようになったのは、茅(ちがや)の葉が使われたことからつきました。
現在は笹の葉を巻いていますがこれも武士が戦に行く時にもっていくときに殺菌効果もあり腐らないからというのもあります。屈原との縁起を持つこともあったように思います。
では、屈原どのような人物であったのか。日本でいえば吉田松陰に似ているような気がします。澄んだ心で権力に媚びずに王と故郷を守ろうと真摯に忠義を貫きました。王が暗君でも政治が乱れていても、変わらずに自分の言葉と実践を大切にされました。別の言い方では、魂を守り生き方を優先した人生でした。その姿をみた国民や周囲の人々から深く愛され、亡くなってからその真価や徳が顕現した人物です。
自分に素直に生きていくことはもっとも価値があることです。しかし時としてそれは世の中が乱れているときは不器用な生き方です。もっとうまく生きていけばいいという声もあるでしょう。しかし、人生は一度きりですし自分も一人きりです。だからこそその人生おいて、魂を優先して歩み切ったのでしょう。
その清々しい姿、澄んだ真心に人々は心をうたれ歴史の中に生き続けて今もあります。粽はその生き方を尊び、最期まで自分を盡すことができるお守りでもあったのかもしれません。先日のソクラテスも同じですが、この世の自分を守るよりも真の自己を守る生き方。魂を研ぎ澄ませるような美しさは、私たちに目を覚まさせる力を持っています。
最後に、屈原の残した言葉です。
「この世すべて濁るとき、清めるは己れだけ、人々みな酔えるとき、正気なのは己れひとりだけ、されば追放の身となった。」
今の時代も通じることですが、先人の生き方から学び、暮らしを観なおし続けていきたいと思います。