心の時

出会いというのを人を変えていきます。その出会いは時との出会いというものがあります。私たちは時を通して、今何に出会っているのかということを直感できるからです。

これは四季のめぐりにも似ています。四季折々に私たちはその時々の風景に出会います。その風景を観ては、その時を感じ、出会いの意味を知るのです。

例えば、この時機は冬から春にかけて空気も光も風もそして鳥、虫たち、植物たちも冬のもっとも冷えている環境の中で春を待ちます。この透明で凍てつく寒さの中で、春を待つ景色にその時の様相を感じます。それは時が止まったようで、ゆっくりと音も静かに流れている景色です。

朝焼けや夕焼けもその時を静かに語るものです。

私たちは日々に時と出会い、時に心を映します。

その時々の出会いをどれだけ感受性豊かにキャッチしていくか。それはその出会いに対して、どれだけ純粋に心が味わったことを噛みしめていくかに似ています。その出会いの余韻や、その時の仕合せ、心が時になるのです。

心の時というのは、永遠でもあります。

それは過ぎ去っていないままに、心に刻まれているからです。この心の時を持つ人は、いつも別の次元に時が止まったままで暮らしていきます。先ほどの、四季折々の変化のようにその時とその風景といつまでも出会いが続いているのです。

ご縁の世界というものは、現実的に目に見えるものだけの中ではなく、心の時といった風景の世界でもあります。

二度とない今だからこそ、この二度とない時を生きます。

子どもたちに美しく懐かしい未来を、続けていきたいと思います。

本当の歴史、真実の暦

本日は、旧暦での正月となりいよいよ今年が真にスタートする日です。現在、新暦とか旧暦とかの言い方をしますがもっともここで大切なのは「本当の歴とは何か」ということです。

私は本当の歴である2月4日の正月に、当社の妙見神社(ブロックチェーン神社)を秩父神社と多田妙見宮から勧請して建立したのには深い意味があります。もともと御祭や大祭は一年の中でもっとも大切で重要な御祭りです。かねてからそれを本来の本質的な歴で行いたいという願いと祈りがありました。

先祖や先人たちがなぜもともとこの日にしたのか、なぜ一年のこの場面でこの行事が必要だったのかという記憶に実践をし心を研ぎ澄ますことで直観的にアクセスでき思い出すことができるからです。ある意味、この行事とか御祭りとは子孫たちがいつまでも忘れてはならない「初心を思い出す」ためにあります。この初心を思い出せば、あらゆる記憶や感覚が生まれ変わり新しくなります。神道ではこれを常若という言い方もします。親が子を産み、繁栄していくように繰り返していくなかで初心は伝承されていくのです。それが文化伝承の知恵でもあります。

今年は、午前中にはいつものように初心と甦生を重んじる例大祭を昨年一年の無事と繁栄の感謝をこめて執り行います。そして午後からは、本当の歴史を学び直すための座談会をそれぞれの歴史の道を歩まれる方々と共に語り合います。

そして徳とは何かということを、みんなで分かち合い、先人への感謝と子孫への祈りを共有します。ただの知識ではなく、そこには確かな歴史がありその歴史を私たちは刻み続けている存在であることを学び合うのです。

一年のはじまりに私はこの御祭と理念の共有をするのは、英彦山の予祝でもあります。英彦山がはじまり、このご縁がうまれ、そして甦生が勢いづいてきます。後になって感謝をするではなく、その目出度い吉報とご縁と、そして天命にみんなで先に喜びあうのです。

神様がそうしてくださっているように私たちは真心で取り組めたか、神様にお任せして信じて自分自身の至誠を盡すことができたか。これを先にみんなで覚悟を認め合うのです。

日本の生き方は、先人の真摯な命がけの歴史と共に醸成されてきた一つの大和魂です。素晴らしい一年がはじまることに感謝いたします。

おめでとうございます。

 

場の道場の心得

人は守るものがあることで強くなります。本当の強さとは、守る強さのことです。この守るは、何を守るのかでその強さの質が変わっていきます。人には、それぞれの正義がありその正義を守るために争ったりもします。

しかし本来、守るものは外側にあるのではなく自分の内なるものの中にあります。その内なるものの守るというのは、己の心の中にあるものです。己の心の中にあるものを守るとき、人は争うことをやめととのえようとするのです。

それは敵対するものではなく、自分の一部であることを深く感得するからです。その相対的な存在も含めて自分自身であると悟れば、私たちはそのものを許し、理解し、そのものと一体になった調和の道を探す必要が出てきます。

その時、私たちは己心の平安を保つために精進していくのです。

そうやって何千年も前から、私たちは「人」であろうと努力してきました。人であろうと努力するとき、人は本当の強さを持つように思います。その強さは、「人であることを守る」ということです。

徳を積むことや、恩義に報いること、真心を盡すこと、心を澄ますこと、また信仰や感謝の心で生きることはこの人であることを守るためにあります。外側から教え込まれた知識ではなく、自分の内面の奥深くに学びにいくというような学問がなくなっていき、今は自分をととのえていくことの重要性を理解しない場所が増えていきました。

人類は、過去の歴史がそうであったように一人ひとりが己心を平安に保つように修行しないと人ではなくなるような所業をします。人とは何か、真の人格とは何か、そういうものをむかしはとても重要な徳目として大切に向き合ってきました。

この先の未来、そういうものを学ぶ場が必要で人はそこに出会うと今までとは別人のように変化し学び直しをはじめます。志を持つことで人を本当の人に変えてしまうからです。

松下村塾などもきっと、「人」を育てたのでしょう。志をもって万事の源とすると吉田松陰はいいました。つまり、根源は志であり、それが学問の根幹であるということです。そしてその志に必要なのが、何を守るかという自問自答なのかもしれません。

場の道場では、これを学び、これを体験し気づけるような環境をととのえています。子どもたちの未来に確かな道がつながるように、精進していきたいと思います。

暦と徳

今週の金曜日、2月4日の立春に例大祭と徳積財団設立2周年記念イベントを行います。私は旧暦に合わせて暮らしのバランスを取っていますから、歴を遊び様々な取り組みをしています。

そもそも本来の暦は、月や太陽の運行に照らして自然と調和しながらその宇宙や地球の機智に合わせながら生きていく仕組みです。全体快適というか、自然との調和の中で暮らしていく方が無駄な力もいらずみんなで共生し支え合っていきますから合理的でシンプルです。

自然界を観察すれば、動植物はじめすべての生き物たちはこの自然暦に沿っていのちを永らえて繋いできました。雨が降る時期には雨を活用し、暑い時にはその暑さを活用する。それぞれのいのちのリズムをととのえながら、他の生き物たちと一緒一体になって自然と上手に力を貸しあい借り合いながらこの世の生を豊かに全うします。

自然と遊ぶのは暦と遊ぶことに似ています。私は旧暦で大事な感謝の行事に取り組みますが、新暦もまた遊び心で楽しみます。日本には古来から予祝の文化がありますから、この少しズレている暦もまた予祝にしてしまえば御蔭様と感謝の二回、その徳を味わうことができます。

例大祭は、毎年、同じことをやっていますがその時々で神様が喜ぶようなことが変わります。それはご縁と出会いが増えていくこと、弥栄といいますか繋がりが豊かになっていきますから回数を重ねるごとに面白く仕合せが増えていきます。そして直来もまた、その時々にいただいたご縁によって変わります。同じことをやっていますが、同じことは一度もなく毎回、この日が来るのが楽しみになっています。

それに今回は、徳積財団設立2周年ということもありまた徳について磨き深める時間が持てます。あっという間の2年でしたが、なんと濃い2年であったかと振り返ると感謝がこみ上げてきます。

むかしから、徳には陰徳というものと明徳というものがあります。

陰徳は見返りを求めずに、自分の真心を盡すこと。そして明徳は、そのものに備わっている使命を明らかにすること。徳は、この世で生きていく上での真の羅針盤であり、この暦と徳を学べば安心立命の境地に入ります。

子どもたちの未来のためにも、本来の生き方を、日本人の道を少しでも後世に繋いでいきたいと思います。

徳の回帰

大分県中津市本耶馬渓に「青の洞門」というものがあります。これは江戸時代、荒瀬井堰が造られたことによって山国川の水がせき止められ、樋田・青地区では川の水位が上がりました。そのため通行人は高い岩壁に作られ鉄の鎖を命綱にした大変危険な道を通ることでしかそこを渡れなくなっていました。

諸国巡礼の旅の途中に耶馬渓に立ち寄った禅海和尚が、この危険な道で人馬が命を落とすのを見て心を痛め、享保20年(1735年)から自力で岩壁を掘り始めたのがはじまりです。

この禅海和尚は最初は、自分一人で3年間ノミとで穴を掘りぬき、その後も托鉢勧進によって雇った石工たちとともに30年余り経った明和元年(1764)、全長342m(うちトンネル部分は144m)の洞門を完成させたという話です。その後は「人は4文、牛馬は8文」の通行料を徴収して工事の費用をもらうことにし、これが日本初の有料道路とも言われています。

私はこの青の洞門に深く心が支えられていることがあります。周囲の誤解で事を邪魔されたり、すべてをひっくり返されるような出来事に出会う時、また一人でコツコツと地道に取り組んでいる最中など、ふとこの禅海和尚のことをいつも思い出し徳を偲ぶのです。

人は、あまりにも偉大なことを発想したり、あまりにも遠大なことに取り組もうとすると周囲から必ず誤解されたり疑われたり、変人や狂人扱いをされるものです。一生懸命それを何度も説明しても誰も本気にはせず、言い訳の一つやもしくは何か裏があるのだろうと思われたりもします。私の人生はいま振り返るとそんなことばかりの連続でした。不可能と思えることや、意味がないといわれることに取り組んでいくことは陰徳のようでそれを誰かに認められたいからなどの気持ちは入りません。でも人は人とあまりにも違う人をみると好奇な目もあり社会秩序などが気になってしまい黙ってはいられないのでしょう。

私の場合は、今まであまり目立たずにこっそりとひっそりとそっとしてもらいながら取り組んでいくように心がけていきました。時折、周囲が盛り上げて運動にしようとされますがそれがいつも返ってそれぞれの我欲望の養分になって大きな邪魔になってしまうことが多く、結局は静かに実践する人たちと穏やかに取り組んだ方が安心して結果が出るまでが早かったりするからです。

人は真の意味で人を信じることができるとき、本当の意味の支援や協力をしてくれるようになります。誤解されたり、いつまでも理解されないのは、まだ自分の真心が人々が信じるほどではないのだと諦めて真摯に取り組むしかありません。

この青の洞門は、そういう意味では私たちが真に徳を積むためのお手本であり模範です。この取り組みをベンチマークして学び、取り組むことで私たちはこの先人の智慧を活かしこの国も人々の心も甦生させていくことができると私は思うのです。

この禅海和尚は、初心を定めてから3年間はまずは一人で掘り続けました。すると3年目にしてはじめてお手伝いしてくれる人が現れ一緒に掘り始めます。その後は、一人二人と協力が現れみんなで掘り始める。今度は、石工たちに費用が払えるように托鉢が広がっていきます。最後は、有料道路にして通行料をとってそれを掘り修繕するための費用にします。この流れで、トンネルが掘られたのです。そしてこの景観と遺徳後世まで守るためにと、福沢諭吉が周囲の土地を買い取り守ります。その後は羅漢寺と共に、現代の資本主義の台風をいわばでしのぎながらも嫋やかにその陰徳を顕彰し続けるために維持します。そしていつまでも多くの人たちが訪れてその価値を学び続けます。それが私のように志を守る勇気をいただく原動力となって心にいつまでも徳が掘り続けられていくのです。

これは一つの真実であり、甦生やコンサルティングのもっとも王道のカタチです。

現在、英彦山の甦生に取り組んでいますが私がいつも心に抱いて見本にしているのはこの禅海和尚の志の貫徹する実践の姿です。信仰というものの本当のチカラは、人々の心に徳を回帰させていくことです。

徳が回帰すれば、人々はその偉大なことをいつまでも学びそれを世の中を導く原動力にしていきます。ひょっとしたら福沢諭吉にもこの禅海和尚は偉大な影響を与えたかもしれません。子どもたちは、このような遺徳が養分になり健康に成長していきます。

1000年後の未来のために、逆算して今、何をすべきかをこれからも真摯に取り組んでいきたいと思います。

 

備忘録1

私が日ごろ思っていることをいくつか文章にしてみたものがあります。これは暮らしフルネス™を体験した時に、言葉にするときに使うものです。他にも膨大にありますが、シンプルにいえば「本当の暮らしは徳を積む中にある」というのが私が実践しているものです。

私のいるこの場を磨く、そしてこの場が世界になっていきます。子どもたちのためのもこの場から世の中がさらに平和に、仕合せになってほしいと祈ります。

「1000年後から今をみて、子どもに残したい未来をやるのが暮らしの本質」

「感謝の日々は、行事に出てる、暮らしの中に、手入れの中に。」

「古いものではなく、つないできたもの、いきているもの、本物。」

「自然から離れるのではなく、自然の一部として生きる、それが私たちの心と身体をととのえる。」

「火をみる、水をさわる、風を感じる、この感性が,幸せと豊かさをつくっている」

「すべてはご縁であつまってくる、シンクロニシティとセレンビテイ、人生も家も集大成である」

「甦生とは、いのちを壊さないこと。いつまでも寿命をのばしつづけること、いのちを最後までいかしつづけること」

「温故知新、新しいものと古いもの、そのバランスを保つことがハイブリッド。ほんとうの最先端である。」

「伝統とは、世代を超えてつないでいくもの。遺志とはつながれるほどに強くなり、そして輝くもの。連綿と伝承してこそ、知恵になる。」

「感謝で暮らすことが本物の信仰、これは宗教ではなく道である。暮らしそのものが信仰なのが日本人なのです。」

「畢竟、自分をととのえることが世界を平和にする。他人のせいではなく、自分が主人公として暮らしをととのえること。これはガンジーの非暴力や、マザーテレサの愛を与えると同じ。感謝でととのえることが平和をつくる。」

「時間をモノのように扱わず、いのちとして扱い大切にする。みんなのいのちが集まっている、ここに一期一会の場が誕生する。」

「懐かしい未来とは、普遍的な暮らしのこと。人類の真の幸福のこと。これは徳を積むことでしか得られない。」

色々と、これからも実践から誕生している語録を備忘録として綴っていきたいと思います。

暮らしフルネスの本懐

万物にはそのものの徳というものが備わっています。それを磨き明らかにしていくことを、明徳という言い方をします。この明徳は、大和心そのものでもあり日本人に連綿と続いてきた大切な生き方です。私は、この大和心の甦生のことを「暮らしフルネス」と定義しています。もっとシンプルにいえば、この徳を明らかにし、徳を循環し徳によって治める世の中になっていくことが暮らしを実践する理由ということです。

私が本業として取り組んできた見守るという保育も、またむかしの田んぼや伝統固定種の高菜、そして古民家での智慧の甦生やあらゆる現在の取り組みに至るまですべてはこの大和心がそうさせているともいえます。

和というのは、徳が引き出されることでわかります。和食であれば、素材のもっているそのものの味や魅力が引き出されたことをいいます。私は料理人ではありませんが、井戸水や炭火をつかい素材そのままで味わうものを好んでつくります。余計な味付けなどしなくても、そのままの味が出た方がその徳が明らかになるから好むのでしょう。

このみんなが使っている「和」や「暮らし」は、本当の意味になっているのでしょうか。なんとなくわかりやすく使われていますが、日本人の和や日本人の暮らしではないものがほとんどになっているようにも感じます。

そもそもこの和や暮らしは、長い歴史の中で用いられた言葉です。歴史を学ばずして、先人の智慧の伝承なくして使うようなものではありません。現在は、何か新しい知識やそれを上手に分かりやすく便利なした言葉がすぐに独り歩きしていきます。しかし、本来は長い年月を経て醸成された発酵したような言葉であることが本質です。

だからこそ、知識ではわからないものが「言葉(言霊)」の中に存在しているともいえます。同じ、「暮らし」という言葉を使ってみたとしてもです。その暮らしという言葉は、使う人の持つ歴史や伝統によってまったく意味が異なっているということです。

私はもともと「和風」という言葉が嫌いです。和風は和ではないから、言葉遊びのようになるのが苦手なので嫌いという具合です。本物の「和」は、和風のものとは一切異なります。ひょっとしたら、昔気質なのかもしれませんが日本人としての誇りがあるからどうしても和風が馴染まないのかもしれません。西洋の文化や他国の文化はいつも尊敬しています。だからこそ、この便利な和風はどこか失礼ではないかとも感じてしまうのでしょう。これは決して和風がわるいと言っているのではなく、少し苦手というニュアンスで書いています。

刷り込まれた知識や、社会通念があるということが前提ですが私たちは何が本来の和であるのか、何が本来の暮らしであるのかをみんなで実践を磨き合う中で学び直す必要性を感じています。

私がこの場の道場での取り組みは、それを子どもたちに伝承し未来を智慧で満たすためです。先人の深い愛や思いやり、そして暮らしを次の世代へ伝道していきたいと思います。

世界変革への門出

昨日は、聴福庵にてブロックチェーンエンジニアたちと一緒に鏡開きを行いました。お昼にはその鏡開きの御餅を使い、七つの穀物と七つの若草を使いお雑煮にしたり、かき餅にしてみんなで食べました。

鏡開きでは、まずみんなで鏡餅に感謝をして参拝して、その後は「おめでとうございます」と声掛けをしながら御餅を木槌で開いていきました。清々しい門出と福がみなさんにつながるようにと祈り行いました。

寒い日でしたが、炭をたくさん使った古民家はとてもぬくもり、またコロナでテレワークからなかなか会えない仲間たちと一緒に雑談をしたり学び合い、教え合う時間は、何よりも有意義でした。

畳になれていない人も多く、少し腰が痛いこともありましたが懐かしい未来の時間をみんなで過ごす豊かな時間です。

一昔前まで、日本人はどのような環境で仕事をしていたのでしょうか。そういうことを知っている人ももういませんし、たいした文献も残っていません。

しかしむかしから続いている場所で、むかしの真心をもって文化を継承している人がいるとそこには懐かしい未来の場が甦生するのです。私がそうであるように、私の暮らしフルネスの実践の中に人が入ればそこに何かを直感してくれます。

それは私が先人の智慧を尊び、日本人であることの素晴らしさ、文化の偉大さを実感しているからにほかなりません。現在は、都市化され国家を優先して生活というものを激変させましたからむかしからある本来の豊かな暮らしを失っていきました。

生きているということは、決して生活のためだけではなく暮らしのためにあります。この暮らしは、現代の暮らしではなく、懐かしい暮らしのことを言うのです。暮らしの定義を換えない限り、本来の私たちの豊かさは原点回帰しないのではないかとも感じます。

コロナで私たちは大切な何かを思い出し、そしてコロナ後に世界は人類のしあわせとは何かということを考えようと話していました。しかし、現在の社会情勢をみていたら原点回帰は元の経済優先の仕事中心に戻ることのように報道されます。

残念なことです。

人は一人ひとりの中での意識の変革によってしか世界は変わっていきません。まずは自分自身が変わることで、つまり暮らしを換えることで世界は真に変革していくと私は思っているのです。

子どもたちの未来、子孫たちの平和のために、世界の変革をこの場所、私のいる足元から変えるために実践を積んでいきたいと思います。

鏡開きと感謝

昨年末に杵と臼でついた御餅を鏡餅にしてお祀りしていましたが、本日は鏡開きをします。この鏡開きは、室町時代ころからあるといわれている武家の風習だといわれます。

現在、日本では年中行事の一つになっていますが正月に神(年神)や仏に供えた鏡餅を下げ直会をし食べる。一年の神仏に感謝の気持ちを示し、無病息災などを祈ることです。一般的には汁粉・雑煮、かき餅(あられ)などにして食べるようにしています。

私も本格的に毎年、この鏡開きの年中行事を甦生して5年目になりますが最初は失敗の連続でした。あっという間にカビが生えてしまい、鏡開きまで持たないのです。他にも、固すぎて割れないとか、食べるまでもたないとか、いろいろとありました。

現在は、工夫をして焼酎で洗ったり、ワサビをおいたり、玄米で隙間を上手につくったり、温度管理がしやすい乾燥した部屋の状態を維持するようにしたり、時には人が集まるときだけ移動したりと鏡餅の方に寄り添ってずっとこの鏡開きの日までお守りしています。

気が付くと、単なる食べ物ではなくまるで生き物のように接して食べるのがもったいないと感じるほどです。みんなでついた御餅を、みんなで食べて無病息災を祈ることはとても豊かなことです。感謝の気持ちで取り組んだ行事だからこそ、感謝の気持ちで大切な節目を迎えることができます。来年は、江戸時代までは黒米を使っていた黒鏡餅だったというのを新たに知り、黒い鏡餅に挑戦してみようと楽しみにしています。

こうやって毎年続けていくたびに、その行事の本質を気づきなおし、また自分の暮らしの一部として文化を伝承していくことができます。子どもたちにもただの体験ではなく、伝承としての日本文化を伝道していきたいと思います。

体験と気づき

人は体験するということは、自分の知らないことに気づくということです。知ってから体験すると、知っている体験をしようと思うあまりその体験を素直に気づくことができないものもあります。

例えば、太陽とは何かというものを知識で得たとしてもその太陽の持っている多様な力や徳を全部わかることは決してありません。人間は、固有の言葉を用いてそのものを分類分けて理解し、その言葉で語り合いますがその深さや真実を知るには膨大な体験と気づきが必要になるからです。

人によっては、ある真実や本質までたどり着いている人がいます。こういう人たちは、それぞれの分野である一定のところまでその事物や存在を深めてその体験から何が本当のことかということに気づいた人であったりします。

ある人は、自然界の観察から太陽を理解し、またある人は光や熱源というものから理解し、そのすべてを気づいたわけでなくてもその太陽というものの存在をあらゆるすべての存在を通して観ているとその本質に少し気づくことができるというものです。

ただ、気づいて知ったからといってコントロールすることなどできず私たちはその存在に寄り添い合わせていくしかありません。その存在を知ることは、その存在と一体になっていくからです。

この自他一体になる感覚というものは、万物とつながるための方法の一つです。本来は、分かれていなかったものをもう一度、一つに融和するということ。これが気づきを促進し、そのもののことを深く感じることができるからです。この感じる世界、気づきの領域というものは体験で近づいていきます。

良質な体験をし続けるためには、この感じる力、五感を研ぎ澄ませて素直な心で自分から傾聴し感謝し続けるという実践も必要です。謙虚であればあるほどに、この世の普遍的な事実に気づきやすくなるということです。

生まれたての子どもたちは、みんなその感覚の境地を開いています。それを閉じていくのが、知識でもあります。このような時代、知識に頼り過ぎてしまいその感覚の世界が失われてきつつあります。本来の人間の学びとは何か、子どもたちの環境を創造しながら見守っていきたいと思います。