薬草の原点回帰

日本の神話には、大国主が薬草を用いて病や怪我を治癒するという話が出てきます。縄文時代の遺跡からも薬草が出てきますから、太古のむかしから私たちは植物を用いて治療をしてきた歴史があることがわかります。

歴史の中で特に私が印象に残っているのは鑑真和上です。

この鑑真和上は688年に中国の唐で生まれ763年に日本で亡くなりました。

そもそもこの鑑真和上が日本に来ることになった理由は、その当時の日本では修行もせず戒律も守らない名ばかり僧侶が増え社会秩序が乱れていたといいます。それに困っていた朝廷は、仏教制度を本来のあるべき姿に整備しようと日本人僧侶(栄叡、普照)を唐に派遣して日本の仏教を正しい道へ導いてくれる人材を探しにいかせました。そして授戒制度を伝えることで日本の仏教の発展に大切な役割を果たしたのです。

この授戒制度は、今でいう資格や免許のことです。

話を薬草に戻しますが、この鑑真和上は平安貴族の文化になった香合というお香を調合する技術を伝え、漢方薬を伝えたのも鑑真です。鑑真が日本へ渡航してきた際の積荷リストには複数のお香や漢方薬などの記載があります。

鑑真は薬にとても詳しい医僧で仏教だけでなく日本の医療進歩に大きく貢献したといいます。目は失明していましたがあらゆる薬を嗅ぎ分けて鑑別することができました。聖武天皇の夫人であった光明皇后の病気を治したこともあり、大僧正の位を授けられました。奈良の正倉院には、その当時の薬の一部が、いまも大切に保管されているといいます。

以前、ある方にその唐招提寺を建立する際、どの場所にするかで土を食べて判断していたということを聴いたことがあります。土の状態でいい土地かどうかを判断する。 目が観えなくてもあらゆる五感を活かして情報を得ていることにも感銘を受けました。

有名な鑑真和上像というものがあります。

もう1300年も前のものでも、今でも生きているかのような木造です。仏教の理想の生き方をした人、仏教の生き様の理想像を持っていた立派な人物であったから人々が慕ったのでしょう。単なる資格や免許を発行する人ではなく、本来の在り方、どうあることが仏教の本義であるかをその人の生き方や実践で当時の日本人を導いたのでしょう。

医療もまた、原点回帰するときが近づいているように私は感じます。対処療法だけを進歩させて最新医療だとしそれに頼るのは本末転倒だと感じています。子どもたちのためにも暮らしフルネスの中で、本物の医療をこれから極めていきたいと思います。

未病の智慧

英彦山の宿坊の甦生に取り組む中で、英彦山への理解が深まってきて仕合せな時間を過ごしています。特に夕暮れ時の英彦山から眺める美しい山々の端や山際にうっとりします。

一人、沈む太陽に法螺貝を立てていたらそれに呼応してどこからか応答の法螺貝が聴こえてきます。一つ、二つと、まだ英彦山には法螺貝を立てる方々が棲んでおられ共に山や谷にその音を響かせています。

懐かしい時間が穏やかに過ぎていく瞬間です。

静かな山では、法螺貝を吹くと谷間の方に音が引き寄せられそこから音が重なりあって呼応してきます。その音の響き方で、谷があることがわかります。むかしの山伏たちは、法螺貝で山の立体まで捉えていたという話もあります。山で研ぎ澄まされた生活をしていると、人間の感覚が開いていくのかもしれません。自然や山を深く愛し、そして尊敬していたからこそ自然の智慧を授かったのでしょう。英彦山に佇むと、その懐かしい暮らしや山伏たちの澄んだ真心を直観します。

そして修験者の先達の数々の神通力や護摩祈祷によって、自然回帰し心身が回復した人が多かったことが歴史からも証明されていてこれは現代人の未病にはとても重要な意味を持っているように思います。

そもそもこの英彦山は、仙人の仙道が栄えた場所で不老不死の伝説がたくさん残っています。その証拠に、不老園という秘薬が伝承されていたりもします。

現代は、西洋の科学的に薬草から抽出された白い薬がほとんで治療薬にしていますが副作用も強く、耐性ができたりと、根源的な治療にはならないことで薬も見直されつつもあります。根本や根源の病気の原因が取り除かれないのに薬だけを投与していても回復しません。

そういう意味では、未病といって病気にならない生き方や暮らし方を教え、そして薬草や護摩祈祷や、独特な気脈を整えるよう術などで治癒した方が人間は真の意味で恢復していったのでしょう。

改めて、その伝統的な医療を見直し、温故知新していく必要性も最近は感じています。心と体のバランスをどう整えていくか、それは末永く健康で生きていくための人間の大切な智慧です。

子どもたちにもこの智慧が伝承できるように、色々と挑戦していきたいと思います。

楽観性の意味

人は楽観的な方が物事がスムーズに進むことが多いように思います。なんとかなると思って人は、いいアイデアもうまく繋がり思った以上の成果が入ってくるからです。なんとかなるというものではなく、なんとかしなければでは心のゆとりや余裕も異なります。

この楽観性というものの中には、信じるという側面があることに気づきます。つまり信じている状態で行動するのと、不信で行動するのでは視野の広さも変わってくるように思います。

そもそも考えてみると、人間には現実としてどうにかなることとどうにかならないことがあります。小さな自分の能力ではどうにも解決できないことがほとんどで、例えば仕事であってもその大部分は周囲の御蔭様や力を貸してくださった方々によって実現します。

自分がやったように見えていても実際は、多くの人々の力をお借りしてやらせてもらっただけです。それは歌手であろうがスポーツ選手であろうが、有名人であろうがその周囲の裏方や大勢の方々の力が合わさって実現したものです。

そう考えれば、自分だけではできないと諦めてしまえばかえって多くの方々への信頼や尊敬、また感謝も生まれるのです。そこまでのことが観えているのかというところに、人間の楽観性があるように思います。

私も自分の能力を超えたことをさせていただくことが多々あります。つい周囲は私がやったかのように評価しますし、周囲の依頼から私が一人でなんとかしなければならないような環境に引き込まれたりもします。もちろん、真摯に真心を持って取り組みますがそれは決して一人でできることではありません。

現在、世界のことや日本のこと、未来から逆算して子どもたちに譲りたい社会、そして信仰や伝統文化の甦生などに取り組みますがそれは私は尽力しますがあくまで天にお任せして進めているものです。何か偉大な存在、見守ってくださっているすべて、また神さまのような繋がり続けているものの遺志や祈りの力にお任せする。自分自身は、その力が発揮されるような環境をととのえていくだけです。

天にお任せというのは、運任せでもあり何か投げ出しているようにもみえるものです。しかしそうではなく、全体の大きな流れに身をゆだねながらも自分の分は誠心誠意に取り組むという覚悟でもあります。

そういう生き方をしている人は、全託している楽観性があり信じながら取り組んでいるから偉大な力を引き出したりお借りすることができるように私は思います。今の時代の教育は、なんでも一人で背負い、自分の力だけで頑張るようなことばかりをさせられてきます。それに能力を発揮して、役に立てば評価され褒められています。自分のあるがままの存在を受け容れられないでいるとこの楽観性は育たないようにも感じます。

子どもたちが安心して天命や立命を生きられるように、私自身の取り組みのプロセスで勇気になっていきたいと思います。

自分への御褒美

生きていると小さな頑張りというものがたくさんあります。何かをしようとしようがしていまいがこの世に生きているというのはそれだけで頑張っているともいえます。

肉体であれば心臓が活動し、体温をあげ呼吸をし、血液を循環させています。毎日、老化していきますがそれは頑張った歴史ともいえます。皺が増え、色々な機能が減退していきます。それも一つ一つ、知らず知らずに頑張ってきたからでしょう。

この当たり前ではないことを忘れるほどに私たちは日常を酷使していくものです。これでもかと足りない方をみては、何かと比べられ自分らしくいることができなくなったりもします。これは幼い頃から教育の影響が大きいと思っています。人は自分というものを労われないと他の人を労わることができません。

そういう私も、つい忙しくなると労わることを忘れてしまいます。すると身体を壊したり、周囲への思いやりが出て来なかったり、物を粗末にしたりと疲れてしまいます。疲れは労いのメッセージでもあり、お疲れ様というのは頑張っている自分自身へのご褒美でもあります。

この褒美の字を調べてみるとこの「褒める(ほめる・ホウ)」という字は、「衣」という字を上下に分けてその間に「保つ」という字を書きます。この「保つ」という字は、大人と子どもが寄り添う様をあらわします。保育の字も、子どもに寄り添い見守る姿がそのまま感じになったものです。つまりにんべんが大人の姿で、「口」の下に「木」と書く部分は赤子がおむつをする様。それに「衣」で包み込みふくらんでいる様子が褒めるです。抱きしめたり、おんぶしたりする様子が想像できます。

そこからこの褒めるという字が「ゆるやか、広い」となり、「素晴らしいことや、よいことを賞賛しほめる」という意味をもつようになったといいます。そこに美しいがついて「褒美」になります。さらに有難いものとして「ご」が入り、ご褒美になるのです。

私は子どもに関わる仕事をしていますが、今更ながらご褒美にこういう意味があることをあまり関心を持っていませんでした。しかしよく考えてみると、子どもが素直に育つのにこのご褒美はとても大切なことだと感じます。現在、問題になっている自己肯定感が持てない問題もまたこの褒美や労うことがなくなってきたからでしょう。

見返りを求めることはよくないと教え込まれてきましたが、報いることは大切なことだと感じるのです。今の私たちの暮らしも、多くの労苦があって存在しています。それを労い、労わり、お互いに報い合うことは自分の存在そのものへの感謝の時間でもあります。

今は、頑張りすぎている人が多く、周囲の評価やスピードで疲れている人が増えています。疲れることがよくないのではなく、疲れるほどに頑張っている人たちを労わらないことが問題だと感じるのです。

これは日本の社会全体で発生している閉塞感の根本的な原因だとも感じています。報恩や報徳というのは、一方的に自己犠牲をすることではなく自己感謝をすることではないかと感じます。

自分という存在に感謝する、自分を褒めること。つまり自分への御褒美を与えることは、見返りではなく恩送りであり恩返しでもあり徳積みそのものです。

色々と学び直して、同じように頑張りすぎている人が疲れすぎて孤独にならないように労いと褒美と感謝を実践していきたいと思います。

体験の質

人はどのような体験をしてきたかで、その人生の質が変化するものです。また同時にその体験をどの意識でしてきたかでさらにその深みも変化します。そして振り返りがどれだけ濃かったかでその体験の意味付けや価値も変化してきます。

つまり同じ人で同じ体験をしても、その体験の質は全く異なるということです。

問題意識や危機感、そして志が高い人や死生観を持っている人ほどにその体験の質は異なるということです。

求道者という人がいます。

これは一般的には真理や悟りを求めて修行をする人のことをいいます。またこの修行は、宗教のような修行だけでなくその道の一流を目指す人にもいわれる言葉です。

この求道者は、常に体験を磨き上げてさらなる高みや深みへと邁進していきます。勉強するなといっても勉強しますし、四六時中同じことだけを考え続けています。そして体験をしたらその体験から何かを感得するのです。

場数が増えればふれるほどに前回よりも何かを掴んでいく。それはまるでただの暗記ではなく、記憶に刻むような作業です。

改善というものもこれに似ています。前回はこうだったから今回はこうするというように、常によく観察をし、物事の流れや意味からさらに善いご縁を紡いでいくのです。何かに繋がっているから、その人には常に点から線になり、その先の面を捉えていくともいえます。

畢竟、御縁というものは求道者の体験そのものともいえます。

日々は体験をするための大切な機会です。

なぜこの体験をするのか、なぜ今なのか、理由などないと思われることであってもそこに必ず学ぶものがあるのが求道者です。体験の喜びや仕合せはこの世に生きていることの証でもあり、この世で生まれてきたことへの感謝そのものでもあります。

時に大変な体験をすることもあり、心が打ちひしがれてしまうときや歓喜に満ちて涙することもありますがその一つ一つの体験こそ質を磨いてくれる砥石です。

子どもたちに今と未来をつないでいきたいと思います。

続 暮らしフルネスの実践と幸福論 

古代ギリシャにディオゲネスという哲学者がいたといいます。この人は、ユニークな哲学者として様々な逸話が遺っています。物乞いのような生活をし、樽を住まいにしていたといいます。またアレクサンドロス大王がなんでも与えてあげようといっても、媚びを売らずに考えるためにどいてくださいと言ったほどだそうです。

例えば、残した名言も印象深いものです。

「つねに死ぬ覚悟でいる者のみが、真に自由な人間である。」

「人生を生きるためには理性を備えるか、それとも首括りの輪縄を用意しておかなければならない。」

「かの金持ちは財産を所有するにあらず。奴の財産が奴を所有しているのだ。」

「私に祖国などありません。私はただ天の下で暮らしているだけなのです。私は天下の住人です。」

「愚人から誉められても嬉しくない。多くの人から誉められたりすると、私も愚人なのではないかと心配になる。」

本来の自由とは何か、そして持たないものと持つものとの間にあって天下の住人とはどういうものをいうのか、まさに真理に生きた人の言葉のように感じます。

またこうもいいます。

「休みたいのなら、なぜいま休まないのか。」

「何もしないこと。それが平和だ。」

今でこそ、捨てることや持たないことなどを実践し、執着を離れることの真の価値を証明している人が増えていますがその当時にそれをやってのけているところは求道者の様相です。

そして私がもっとも共感したのは、幸福論です。そこにはこうあります。

「人生の目的はよく生きて幸福になることである。身体を労苦によって鍛え、健康と力を得るように精神や魂を徳によって錬磨し、その静かさと朗らかさの中に真実の豊かさと喜びがある」

時代が変わっても、流行は変化しても普遍的な真理は一切少しも変化したことはありません。この時代、物が溢れ、お金も成熟し過渡期です。本物の幸福に人類がアップデートしていかなければこの先の未来はありません。

改めて歴史に学び直し、この時代に相応しい「暮らしフルネス」の実践を増やしていきたいと思います。

引導を渡す意味

「引導」という言葉があります。これは辞書を調べると「引導(いんどう)とは、仏教用語である。仏教の葬儀において、亡者を悟りの彼岸に導き済度するために、棺の前で導師が唱える教語(法語)、または教語を授ける行為を指す。もとは、衆生を導き、仏道に引き入れ導くことという意味であるが、そこから転じて前述の意味として使われるようなった」

そこから「引導を渡す」という言葉が出てきます。この「引導を渡す」とは、諦めるように最終的な宣告をすることを意味しています。その他にも、僧が葬儀の際に棺の前に立ち死者に悟りを得るように法語を唱えることの意味も持っているといいます。

つまり、引導とは引いて導いていくとあるように一人では歩けない状態になってしまった人を思いやりで迷いから目覚めるように手引きしてあげるという感じなのでしょう。

人の生死も突然であり、この世にもたくさんの執着を残してしまうようにも思います。ある人は、大切な人のことが気がかりになったり、またある人は大切な約束を果たそうとしたり、やり残したことや後悔しそうなこともたくさんあります。しかし実際に、この世に肉体がなくなりどうしようもできなくなってしまったことにも諦められずにこの世に留まろうとしてもそのままでは何も変わりません。

時が流れていく以上、時と共に私たちも歩き続けていく必要があります。新たな道へと歩んでいくのにどうしても一歩が踏み出せなかったり、時には一人で歩んでいくことが怖いこともあるのかもしれません。

その時に、こちらですよと優しく声掛けてくれたり、そろそろですよと時を知らせてくれたり、また或いは、迷いから目覚めさせてくれたりする存在に救われるものです。

悟りというものは、器が空っぽになったり眠りから覚めたりすることに似ています。道は一緒に歩み続けているものであり、道は生死問わずにみんな循環を続けているともいえます。

私たちの先祖は死者も共に歩んでいくという死生観をもっていました。たとえ肉体が失われてしまったとしても、魂として生き続けて別の次元ではいつも同じ道のどこかを歩んでいると感じていたのでしょう。

二度とないこの今、この世の道ではまだできることがあります。引導を渡すような機会はなかなかありませんが、宿坊、守静坊の甦生によってその機会が得られることに有難く思います。

真心を籠めて、取り組んでいきます。

普遍的な若さ

人間には「若さ」というものがあります。この若さは、年齢的な若さもありますが同時に魂の若さ、精神の若さという心の瑞々しさのようなものがあります。人はいつかは年老いて死にますが、肉体以外のところは死ぬことはありません。つまり若さというのは、普遍的なものであるということです。

この普遍的なものをもって生きている人は、肉体の変化にも関わらずいつまでも若いのです。逆に肉体が若々しくても精神が年老いてしぼんでしまう人もいます。大事なのは、いつまでも心や精神を磨いて挑戦を続けて若さを謳歌していることのようにも思います。

改めて、サミュエル・ウルマンの青春(岡田義夫氏訳)を詠んでみるとその普遍的なものを表現しています。

「青春」

「青春とは人生の或る期間を言うのではなく心の様相を言うのだ
優れた創造力、逞しき意志、炎ゆる情熱、怯懦を却ける勇猛心
安易を振り捨てる冒険心、こう言う様相を青春と言うのだ

年を重ねただけで人は老いない。理想を失う時に初めて老いがくる
歳月は皮膚のしわを増すが情熱を失う時に精神はしぼむ
苦悶や、狐疑、不安、恐怖、失望、こう言うものこそ恰も長年月の如く人を老いさせ、
精気ある魂をも芥に帰せしめてしまう
年は七十であろうと十六であろうと、その胸中に抱き得るものは何か

曰く「驚異えの愛慕心」空にひらめく星晨、その輝きにも似たる
事物や思想の対する欽迎、事に處する剛毅な挑戦、小児の如く
求めて止まぬ探求心、人生への歓喜と興味。

人は信念と共に若く 疑惑と共に老ゆる
人は自信と共に若く 恐怖と共に老ゆる
希望ある限り若く 失望と共に老い朽ちる

大地より、神より、人より、美と喜悦、勇気と壮大そして
偉力と霊感を受ける限り、人の若さは失われない
これらの霊感が絶え、悲歎の白雪が人の心の奥までも蔽いつくし、
皮肉の厚氷がこれを固くとざすに至ればこの時にこそ
人は全くに老いて神の憐れみを乞う他はなくなる」

改めて、こういう心の持ち方、心の生き方をしていきたいと思うものです。一生一度のこの一期一会を味わっていきたいと思います。

九州の総鎮守

以前、九州自然歩道のことを調べているとそれが英彦山に続いていたという話を友人に聞いたことがあります。これは長い年月をかけて人々が、信仰によってあるいた巡礼の道があったということも意味しています。

そしてその場所には、点と線を結んだところにそれぞれ総鎮守というものがあります。この総鎮守とは、国または土地の全体をやすらかに守る神や総社のことをいいます。それぞれの住んでいる場所には、それぞれの鎮守がありその広さが大きくなっていきそれをまとめているところが総鎮守という具合です。またそこには一宮、二宮という言い方もします。

大体、その土地や地域を巡り総鎮守にいってみるとそこが何らかの発祥の地であることがわかります。つまり始まりの場所ということです。総鎮守には、全体を広く纏めるという意味とあわせてそこがはじまりの場所であるということもあるように思うのです。

言い換えるのなら、そこからすべての発展がはじまる原点があるということです。人間であれば初心があるということです。

私たちは、道すがら点があるのならそこに原点回帰しながら歩んでいくという智慧を伝承しているからでもあります。何度も生まれ変わり、先祖の想いや祈りを生きている私たちは時としてその原点に出会い自分の役割や使命を振り返ります。道は、巡礼そのものでありそのご縁や御蔭様や意味に触れては感動し感謝するのです。

総鎮守に詣でることは自分の原点を確認することになります。自分の原点を確認すれば人はそこに確かな運命や意味を実感して確信に至ります。勇気の源泉にもなり、偉大な信仰を呼び覚まします。

九州にも総鎮守というものがあるはずです。私はそれを英彦山だと思っています。その理由は九州の歴史は英彦山から始まったことがあまりにも多いことと、九州の巡礼の道が英彦山に向かってつながっているからです。

一つの九州という言い方を九州人はします。英語でONEKYUSHUという言い方もしています。それではその九州の総鎮守はどこかといえば英彦山にこそあります。それをこれから証明していきますが、九州人ならみんな英彦山を大切にすることで原点回帰すると私は信じています。そして九州は日本の始まりの場所ですから、九州が甦生すれば日本全体が甦生するはずです。

忘れてしまった歴史、隠された歴史、失われた歴史を甦生し、九州の場で新たな歴史を結びたいと思います。

 

 

日々の精進

若い頃に安岡正篤さんの著書で「六中観」というものを知りました。これは安岡正篤さんの座右の銘だったそうです。「私は平生ひそかにこの観をなして、いかなる場合も決して絶望したり、 仕事に負けたり、屈託したり、精神的空虚に陥らないように心がけている。」というほど意識されていたことがわかります。

常に中庸を保つというのは、丹田の錬磨によるものと思いますが歳を重ねるにつれてこの六中観の感じ方が変化してきます。

この六中観は、「忙中閑あり 苦中楽あり 死中活あり 壷中天あり 意中人あり 腹中書あり」の六つです。人生の中で、どんな「中」にいても六つに転じて福にしていく工夫。まさに人生の達人ともいえる境地です。

最近は、英彦山に関わることでまさかの壷中天ありまで体験させていただいています。仙人の境地に入れるかどうかわかりませんが、この六中観によって中庸や中心を磨いていけることに仕合せを感じています。

もう一つ、私は六然訓というものも同じくらい意識してきました。「自處超然  じしょちょうぜん 處人藹然  しょじんあいぜん 有事斬然  ゆうじざんぜん 無事澄然  ぶじちょうぜん 得意澹然  とくいたんぜん 失意泰然  しついたいぜん」の六つです。

これを合わせて私流に「かんながらの道」、つまり自然道と名付けて実践を続けています。どんな時でも、自然に委ねて天に任せるという生き方。まさに神人合一の境地です。

人生の中で、生き方の羅針盤があるというのはとてもすばらしいことです。時に絶望するとき、時に悲嘆にくれるとき、偉大な勇気になります。また時に歓喜するとき、有頂天になるとき、偉大な謙虚さを与えてくれます。

感情があることで様々な貴重な体験ができますが、分を弁えることで信仰や信心が磨かれます。人はこの感情と心のバランスを保ちながら、唯一無二の人生経験をこの宇宙で得られ記憶を育てます。

今に生きることは、この六中観や六然訓を大切に生きていくことです。

子どもたちにも健やかないのちの伝承ができるように日々の精進していきたいと思います。