神苑

英彦山に関わっていると、今まで知らなかったこと、繋がらなかったご縁と結ばれています。歴史は、結ぶ人たちがいることで顕現して甦生してきます。宿坊の甦生から新たな物語が繋がってくることに仕合せを感じます。

伊勢神宮に多大な貢献をしたある英彦山の山伏がいることを知りました。

名を、太田小三郎といいます。この方は、伊勢のまちの近代化に尽力した人物として有名で弘化3年(1846)、豊前国英彦山の鷹羽寿一郎の三男として誕生しています。この鷹羽家は代々豊前英彦山の執当職を担った家柄でした。お兄さんは明治の維新の志士で活躍した鷹羽浄典です。

明治5年(1872)初めて神宮に参拝し、ご縁あって古市の妓楼「備前屋」を営む太田家の養子になり、そのまま傾いていた太田家を立て直し、竟には今の伊勢神宮を守った人物です。

当時の伊勢神宮は、宮の中に民家が入り込んでいて神宮の尊厳と神聖が保たれている状態ではありませんでした。そこで彼は「神宮の尊厳を維持し、我が国の象徴である神宮とその町を、国民崇拝の境域にすべき」と方々に呼びかけ同志を募り明治19年(1886)に財団法人「神苑会」を結成しています。

そして多くの寄付やお布施を集め民地を買収し、すべての家屋を撤去して宇治橋から火除橋までを「神苑」として修繕していきました。現在、内宮の宇治橋を渡った先に広がっている聖地の清々しい場が醸成されたのはこの時の徳積みがあってのことです。

「神宮の尊厳を維持し、我が国の象徴である神宮とその町を、国民崇拝の境域にすべき」の理念は、そのまま英彦山宿坊の甦生でもとても参考になる考え方です。今、伊勢神宮があれだけの聖域になりいつまでも国民に深く愛され信仰の聖地となっているのはこの理念と実践があったからであり、今でもその理念が受け継がれているから伊勢は美しい信仰の聖地として燦然と輝いています。

今、英彦山は同じように大変な憂き目にあってもいます。水害にも遭い、山は荒れて参道周辺には廃墟のように空き家が目立ち、これから民家や営利主義の業者が入ってくるかもしれません。そうならないように、本来此処はどのような場であったのか、そして日本人にとってここがどのような場であったか、それを思い出し甦生する必要を感じるのです。

私たちの尊厳とは、先人たちの遺してくださった大切な灯でもあります。それを守るために、私たちがどのように歴史がはじまり暮らしてきたかを守ることは、日本人そのものを甦生していくことでもあります。

こうやって先人の山伏のお手本があることに心強く感じています。

私も伊勢神宮のような未来を描き、これから英彦山の甦生に取り組んでいきます。

恩を労う

人生の中で、大切なことに挑戦するときいつも周囲の方々が大きな力を貸してくれます。大義があり、真剣に取り組むからこそみんなその努力に共感し手を貸してくださるのです。

そのうち大勢いの方々が参加してくれて応援してくれますが、いつも有難い気持ちに充たされます。今まで振り返ってみると、身近な人たちから特に苦労をかけています。苦労をかけて手伝ってくれていますが、気が付くとそれが当たり前のようになってしまうこともあります。

心では感謝を思っていても、いつも過ぎることで労をねぎらうことを忘れてしまうのです。しかし実際には、もっとも身近で苦労をかけているのですから感謝しているのです。

敢えて、労をねぎらうことはお互いの努力や苦労を分かち合う機会になるように思います。いわなくてもわかっていることを敢えて言うことや、しなくてもいいことを敢えてすることでその労に報います。

私は上手にそれを伝えていることはできているのだろうかと思うことがあります。時に、人によって苦労に対するねぎらいの質量も異なりますからその人がどれだけ頑張ったかを感じる機会は見守るときに感じるように思います。

まだまだ私は身体が動くので周囲と一緒に取り組んでいきますが自分を含め労をねぎらうことをさらに磨いていきたいと感じます。

今日も、英彦山の宿坊の甦生に取り組みまた今回もご縁のある方々と身近な仲間のお力をお借りします。こうやって一つひとつの苦労を分かち合いながら歩んでいけることに仕合せと徳積みを実感しています。

子どもたちの未来のためにも、恩を労い徳に報いる日々を創造していきたいと思います。

ふぐのひれ酒の妙味

昨日は、懐かしい友人が遠方から訪ねてきたので一緒に夜中まで会食をしました。ちょうど寒くなってきたこともあり、ふぐのひれ酒を用意して飲みました。炭で温めて飲む熱燗だけでも贅沢ですが、そこにふぐのひれ酒が入るとお酒が止まらなくなるものです。

このひれ酒は、歴史を調べると意外とまだ新しいことがわかります。戦後の物資が乏しい時代に、美味しいお酒を飲むための工夫から発明されたものです。

詳しく言うと、昭和24年に酒税法改正で製造開始された新しい日本酒、正式名「三倍増醸清酒」というものが誕生します。これは日本酒の供給量を増やすために考えられた新しい製造法でした。戦時中は、食料米自体が足りませんからとてもお酒にはまわせません。そこで政府は日本酒へのアルコール添加を認め、日本酒を食用アルコールで水増しするという方法をとりました。しかししかし食用アルコールだけを添加した日本酒は辛くてとても飲みづらかったといいます。

なのでそこに糖類やグルタミン酸ナトリウムを加え、甘味料と人工的な旨味を調整し飲みやすく仕上げたものが三倍増醸清酒、つまり三増酒でした。この名の通り、アルコールと糖類と添加物で3倍量の日本酒をつくったのです。

密造酒や無許可で造られた酒との違いは、工業用アルコールや燃料用アルコールを使用していないことです。たまにロシアとかではニュースででますが、人体に甚大な悪影響がある危ないお酒です。三増酒は二日酔いが酷く悪酔いし甘ったるいなど、不平もあったようです。この三増酒は現在は、2006年の酒税法改正からは飲まれなくなっていますが戦前戦後はこれをどうにか美味しく飲めないかということで「ひれ酒」が発明されたのです。

ひれ酒はちょうどよく温まった日本酒の中に、少し炙ったふぐのひれを入れたものです。よく店舗では、最期に最後に火をつけてアルコール分を飛ばして蓋し差し出されます。ひれ酒の中でも最も美味しいとされているのがとらふぐのひれといいます。

先人の工夫の御蔭で美味しいお酒として飲める、ないなかでもあるものをうまく活かして楽しむのは素晴らしいように思います。もともとお酒は目出度いものであり、心を澄ましととのえる百薬の長とも呼ばれるものです。

飲み過ぎは注意ですが、このふぐのひれ酒の御蔭で食事の楽しみが増えるのは仕合せです。智慧を活かして伝承していきたいと思います。

御縁と徳

昨日は、久しぶりに東京から致知出版社の花坂さんが聴福庵に訪ねてきてくださいました。コロナのこともあり、もう随分お会いしていなかったのですがすぐに出会った頃のことや藤尾さんとの出会いのことで話に花が咲きました。

15年くらい前に、致知出版社がまだ青山に事務所があったころに私が社員をたちを連れてお伺いしたのがご縁になります。その時、はじめて藤尾さんから「徳を言う字を書いてみよ」という講義を受けて徳について真剣に考えるようになりました。

思い返すとその後、私はずっと徳を磨くことをテーマに取り組んでいて今では徳積財団を設立し徳を積む活動を弘めるに至っています。まさにあのご縁なければ今はないということも思い出しました。

よく考えてみたら、今の自分はすべて過去の御縁の影響を受けて仕上がっているのがわかります。大切なことを教えていただいたり、志から共鳴し共感したことが今の自分の人生を形成しているのです。

森信三さんが、『人間は一生のうちに逢うべき人には必ず逢える。しかも、一瞬早すぎず、一瞬遅すぎない時に。』といいましたがまさに時節や時機に出会ったご縁は、自分の人生を道しるべを照らすものであるのでしょう。

またこうもいいます。

『縁は求めざるには生ぜず。内に求める心なくんば、たとえその人の面前にありとも、ついに縁は生ずるに到らずと知るべし。』と。

求めていたからこそ出会いがあり、志があったからこそ今、こうなっているのでしょう。みんな誰しも、「徳」というものがありそれぞれに道を歩みます。その徳をどう磨いていくか、輝かせていくか、それを福にしていくかはその人の生き方が決めるものです。

私はこれで徳を磨くというものをそれぞれにあるように、徳もまた個性があるのです。私はこの時代の徳のありようや、その徳の磨き方を弘め、新しい時代でも何がもっとも人類にとって幸福なのか、そしてどう生きることが仕合せにつながるのかを普遍的なところで実践しようとしています。

遠方より朋がいいタイミングで来訪することはうれしいことで、ここにもまたご縁の不思議さを感じます。

最後に、また森信三さんの言葉で締めくくります。

「時を守り 場を清め 礼を正す」

まさに、場を醸成するための素晴らしい格言であり、徳を磨き上げるための法則そのものです。先人の智慧に学び、子どもたちに真なるものを伝承していきたいと思います。

自然の回復期間

中国の長江でこれから10年間の禁漁措置を始まります。これは急減している漁業資源の保護のためです。そのため流域で働く漁師計約30万人に失職することになるといいます。実際には漁獲減の根本的な原因とみられているダム建設は続いており、禁漁だけで解決するのかという問題もあるそうです。

他にも調べると、禁漁期間が終わってからの乱獲の問題、密漁の問題などもあり実際にはどうなるのかはこれからの様子次第でもあります。鵜飼など伝統的な漁業なども喪失していきますからこれは大変な措置です。しかしこのままでは魚が全滅してしまうということで10年間という期間、川をそっとしておこうという実験ということになります。

もともとこの長江は青海省のチベット高原を水源地域として中国大陸の華中地域を流れ東シナ海へと注ぐ川のことです。全長は6300kmで、中華人民共和国およびアジアで最長、世界でも第3位の大河になります。この川が禁漁というのだから大変なことです。

日本だと一番長い川は信濃川で367キロですからどれだけこの長江が凄まじい長さであるかがわかります。この川の魚がいなくなっているのだから、その損害はまた世界から見ても恐ろしいレベルです。

人間は、短期的に自然を搾取してお金にしますが自然はとてもゆっくりと回復していきます。自然の回復は大きいほどに緩やかですからその緩やかな回復を邪魔をするほどに搾取すれば回復する速度が追いつきません。

例えば、人間の身体もそうですが恢復は自然と同じくゆったりと治癒していきます。その治癒の途中にまた無理をすれば治癒が働かなくなっていきます。時間をかけて治癒していくものだからこそ、私たちはその治癒した分の余力で生きて暮らしてきたともいえます。

自然界も同様に、自然循環で発生し生まれた利子の分だけで暮らしていけば永続的に人間は生きていくことができます。つまり自然に寄り添い、自然を富ませ豊かにすることでその分の恩恵の中で暮らすことが私たちが循環の一部となって自然と一体になって地球での生活が保障されるということです。

人間は、地球の大きさに甘えてやりたい放題していきますからそれがいつか限界が来た時、真に反省するのかもしれません。長い歴史の中で文明は何度も滅んでいます。その滅んだ理由はほとんどが自然災害や自然が回復せずにその場所で生きられなくなったものだということもわかってきています。

何度も何度も同じことをして滅んでしまうのは、人間の一つの業なのかもしれません。子どもたちのためにも、その業と対話し、その業への向き合い方を転換し、暮らしフルネスを通して実践を伝承していきたいと思います。

お滝場の甦生

昨日はお滝場の石風呂にはじめての火入れを行いました。関わってくださった方々の御蔭で無事に場が整いました。特に建築に携わった大工の棟梁や窯をつくりあげてくれた職人、お掃除して綺麗に守ってくださった人たち、また修行者の方との一期一会はとても心に残りました。

滝行というのは、冬季の寒い中での荒行のように思われますが実際には一人で行うのと仲間と行うのではその感覚は異なります。昨日は、背中から水をかけてくださる方、勤行を唱えて祈りを捧げてくださる方、また法螺貝を吹いてくださる方がいて、他の仲間が見守る中でお滝をいただきました。

滝行をする方々は信仰深く、滝ではなくお滝とも呼びます。

私たちはいのちあるもの、尊敬しているもの、大切なものには「お」をつけます。お花、お米、お母さん、お水なども同様です。お滝というのは、流れている水ですがそこに確かな何かの存在を感じるのです。

神道の大祓詞には、瀬織津姫という神様のことが書かれていてこの神様が滝場にいて色々な災厄を祓い清めてくれると記されます。祓いというのは、あらいが語源で、禊というのはすすぐことを言うといいます。つまり祓い清めるというのは、今でいう洗い流ししてきれいにするということでしょう。

このお滝の神様の瀬織津姫のほかに、速開都比売(はやあきつひめ)・氣吹戸主(きぶきどぬし)・速佐須良比売(はやさすらひめ)という洗い流してきれいにする神様がいると祝詞には出てきます。川や渦、海などみんな洗い流してきれいにする神様たちの御蔭で私たちの汚れや穢れは取り除かれて自然に循環するというのです。

先人たちはこの自然の仕組みを知り、日々の小さな塵や垢のように心や魂などにつく汚れや穢れも洗いきれいにできる方法を発明したのでしょう。

今の時代、以前よりもスピードがあがり今までのように簡単に洗い流すことができなくなってきています。できればしっかりと洗い流しておかないと積もり積もるとそれだけ浄化に時間がかかってしまいます。

日々の暮らしの中で、私たちは禊をしますがこれからはますます必要になってくると私は確信しています。人間は集合意識によって社会を形成しますからそれが歪であればあるほどに地球や宇宙にも影響を与えてしまいます。量子のことが解明すれば、意識こそが世界に影響を与えていることはわかってくるはずです。情報化社会というのは、意識の社会ですから人間力を磨き高めていくことで未来の流れも変わることでしょう。

子どもたちのためにも、大切な智慧や伝統を活かしながら場を創造していきたいと思います。

 

心の風景

時間というのは、変化のことです。どんなに変化がない物質であっても、必ず微細には変化しているものです。変化しているからこそ、変化を感じることで時間を捉えることができます。私たちは時間というものを人生の中の時間と認識しますが、本来の時間というものは変化そのもののことをいうように思います。

その変化は、現実に外界が移り変わっていくもの。また内面の世界が移り変わっていくものがあります。その両方が合わさって時となりますから、この時間というのはとても矛盾に満ちていて同時に不安定なものです。

私たちはその時々の組み合わせから一期一会を感じるものです。

この一期一会は、組み合わせともいえます。その組み合わせは変化の組み合わせから産まれる偶然の一瞬のことです。その一瞬は、外側の変化の一瞬に合わせて内面的な心の状態が組み合わせられ自分にしか見えない景色が現れます。

その景色に心は感動し、今この一瞬に目覚めるのです。

今朝も雨の晴れ間に一瞬、美しい虹が出て心の風景を映しました。

美しい景色をみても何も感じない人もいれば、その景色に涙する人もいます。私たちは景色を磨いていく生き物であり、人生とはどのような景色を産み出したかといっても過言ではありません。

心の景色を大切に過ごしていくことは、変化を味わい変化を愛おしむように生きていくことです。二度とない人生だからこそ、悔いのないように大切な初心のために生きていくこと。

人生の純度を高め磨いていくことは、この心の風景をより鮮明に美しくしていくことです。

一期一会を生きていきたいと思います。

物語を生き切る

英彦山の宿坊の甦生が始まる前に色々と心の整理をしています。毎回、古民家甦生や場の甦生をする前は傾聴や覚悟の時間があります。このプロセスはとても大切で、今までの様々な物事を紡ぎ、結び物語を続ける準備に入るからです。

物語というものは、すべてのものに存在するものです。

この世にあるものはすべて物語があり、その物語の続きを私たちは生きています。何も意味もないもののように見えても、実際にはそこには意味が存在します。それが物語がある由縁であり理由です。

その意味が観える人と、意味が見えない人がいるだけです。私たちはどのような場にも意味があると感じられる人と、場に意味を感じられない人がいます。私は場道家を実践しますから、そこに一期一会の物語を直観していくのです。

これは自分の人生にも言えることです。

今の自分があるのは多くの物語の集大成でもあります。その物語を歩んでいく過程で、色々な人たちとさらなる物語の続きを見つめ、自分の役割、徳、業にいのちを傾けていきます。

こうやってまた新たなご縁が産まれ、新たな出会いと別れがあります。この出会いと別れもまた物語の一端に過ぎないことでありまた再び物語は歩むのです。私がもっとも仕合せを感じるのは、止まっていたもの、忘れられていたもの、捨てられていたもの、失われていたもの、形がなくなっていたものを「甦生」するときです。

私にとっての甦生は、物語を綴ることでありそれはこのブログを書いていることにも似ています。

今日も一日、かけがえのない日々がはじまります。

子どもたちのように一期一会に生き切り、自分自身の一生の物語に生きていたいと思います。

世の中で一番

心訓七則というものがあります。福沢諭吉が弘めたものですが作者は誰かはよくわかっていないようです。どちらにしても、これはとても心の持ち方に対して大切な教えが入っているものです。

一、世の中で一番楽しく立派なことは、一生を貫く仕事を持つことである

一、世の中で一番みじめなことは、教養のないことである

一、世の中で一番さびしいことは、仕事のないことである

一、世の中で一番みにくいことは、他人の生活をうらやむことである

一、世の中で一番尊いことは、人に奉仕して決して恩を着せないことである

一、世の中で一番美しいことは、すべてのものに愛情を持つことである

一、世の中で一番悲しいことは、嘘をつくことである

この「世の中で一番」というのは、他にはないものということです。つまりそれ以外はないものという意味になります。例えば、ある人は世の中で一番大切なものは利他であるとします。すると、それ以外は実は必要ないとしているのです。またある人は、世の中で一番大切なものは義だといいます。それも同様に、それ以外は自分の人生においては取るに足らないものということです。

人間は、誰もが初心というものを持っています。他の言い方では業と呼んだ人もいます。その人の使命、人生の役割がその人の世の中で一番であるのです。

この心訓七則ですが、ここでは強調するために世の中で一番と使われていますからこんなに一番ばかりが並んだら本来はおかしなことになります。だからこれは並べて読むものです。

「一生を貫く仕事を持ち、教養があり、他人の生活と比較せず自分を生き抜き、利他に善き、すべてのものにいのちがあるものとして愛情深く接し、正直に生きていくこと。」これがもっとも世の中で一番の生き方であるということを感じさせるためのものです。

理想の生き方として、日本人の伝統的な美しい暮らしを営む人々が世の中で最も尊いと言っているようにも思います。そこから離れないこと、そういう人間にならないように心がけようと戒めているともいえます。

よく考えれば、この逆は「仕事がなく、教養もなく、他人とばかり比べては自分のことばかりを優先し、物を粗末にして嘘ばかりついている生き方。」これを戒めているのです。

学問をしていくのは、志を磨き、精神の働きを高めるためでもあるといいます。まさに、人間は生き方が仕合せを決めますから時代が変わってもその本質は変わりません。しかし環境や場が濁ってくると、それもできなくなってくるのでしょう。

場を磨き高めること、これらの学問の本懐を守り続けることにもつながります。子どもたちが安心して素直に正直に成長していけるように、見守り続けていきたいと思います。

徳積の一灯

仏陀に「貧者の一灯」という物語があります。これは簡単に言うと古代インドの阿闍世王が招待した釈迦のために、宮殿から祇園精舎への帰り道を大量の灯火で明るく照らそうと布施を声掛けします。貧乏な老婆も自分も釈迦のためにとお金を工面して一本の灯火を布施する。阿闍世王の灯火は徐々に消えていったが、老婆の灯火は朝まで消えなかったという話です。

それぞれの解釈の仕方がありますが、この物語はその中身がとても重要な話です。食べるものがなくて貧しくても布施をしようとしたこと、釈迦の教えを説いて布施をする人を集めたこと、単に油や火をつけたのではなく永遠に消えない信仰という火をつけたこと。どんな大量の油や火よりも真心を籠めて徳を積んできた火は尊いということ。世の中のために世界のために未来永劫の子孫のためにという偉大な心で取り組んだこと。ないからできないではなく、徳を実践しようと心掛けたことなどがあります。

釈迦は、説法もしますが実践をされた方です。それは姿からもわかります。布切れ一枚しか持たず、道を歩み、最期まで徳を実践されました。この徳は、仏教では布施ともいい、わかるよりも行動で示されました。

有名な布施には、「無財の七施」というものがあります。言い換えれば、徳を積むための「七つの実践」ということです。眼施、和顔施、言辞施、身施、心施、床座施、房舎施の七つです。

眼施(がんせ)は、常にやさしいまなざしでいる実践。

和顔施(わがんせ)は、いつも和やかに笑顔で人と接する実践。

言辞施(ごんじせ)は、優しい言葉で人と接する実践。

身施(しんせ)、自分の身体で奉仕する実践。

心施(しんせ)は、他の人に対して心配りをする実践。

床座施(しょうざせ)は、席や地位を譲る実践。

房舎施(ぼうじゃせ)は、自分の家や部屋を提供する実践のことです。

これは、他人を自分だと思って大切にする実践。自他一体の境地を顕すものです。私たちは自分を大切にするように他人を大切にするときに徳は積めます。決してお金をたくさん持っていなくても、財産に恵まれていなくても徳は積めます。言い換えるのなら、ないからこそ徳の実践はさらに豊かになります。

簡単にできないからこそ磨かれるものであり、それがもっとシンプルで根源的であるからこそ私たちは迷いなく生きていくための真理に近づいていくともいえます。

大切なのは真心で「一緒に積んでいこう」「共に磨こう」というあるないにかかわらず、実践するという純度の高い一灯に真の意味があるように私は思うのです。この貧者は果たして本当に貧者なのか、真の豊かな心を持つ「心の長者=仏陀」ではないかと思うのです。

昨日のブログで心の長者のことを書きましたが、この心の長者は心の豊かな者のことです。そしてこの心の豊かな者の正体は、この貧者の一灯の実践をする人ということだと私は確信しました。まさに仏陀は、誰にもできることであり、みんなが勇気を出して踏み出せばそこには仏陀があるのです。

徳の仲間ができることは、仏陀を産み出すことであり仏陀はそれを同じ人として平等なところで語っているのです。

これからいよいよ地球環境の変化の著しい人類の行く末を決める大きな分岐点に、この貧者の一灯はこの世を明るく照ら光明になるでしょう。子どもたちのためにも、徳を積むことの意味を実践して伝承していきたいと思います。