法螺貝の甦生

昨日は、法螺貝を4時間かけて磨きました。いつの頃のものだかわかりませんが、木箱には大峯龍王講とあり、実際に触れた感じだと200年くらいは経っているのではないかとも感じます。

この大峯講というのは、奈良県の大峯山にある役小角が開山した修験道の聖地のあるところです。この役小角は、幼名を金杵丸といい幼い頃より叔父の願行上人より仏法を学んだといいます。その後は、17才で葛城山に入り岩窟において孔雀明王の秘法を受け、生駒山では人々に危害を加え苦しめていた前鬼・後鬼を諭し改心させそのまま弟子にしています。

そののち大峰山に入山、金峰山山頂において世界の平和とすべての魂の幸福を願い一千日の間修行を積まれました。これが千日回峰行のことです。そして衆生済度のご本尊金剛蔵王大権現を感得されたといいます。そして吉野山へ下り、金剛蔵王大権現を自ら桜の木で彫られ祀りました。そこからこの大峰山が道場となり日本を代表する修験道が開かれました。

そして講というのは、本来は仏教の講話を聞くために集る人々の集会を意味し、信仰を中心に修行を共にする相互扶助のコミュニティのようなものでもあります。

ここから役行者という高祖神変大菩薩の遺徳を追慕して、大日大聖不動明王・金剛蔵王権現を信仰して修験道を伝承していく人達が使っていた法螺貝ということになります。

この信仰で立てる法螺貝の目的は「法螺表白文」にこうあります。

「謹んで吹奏し奉る金剛三昧の法螺と云者、金剛界バン字の智体にして法身説法の内証なり。 又、天界の音楽なれば、一度之を吹き奉れば、其の響き十方世界に周偏して、諸々の不浄を清め、邪気を除き、悪気魔障立ち所に降伏せしめ奉る。恭しく法楽荘厳の御為に丹誠を致して吹奏し奉らんとす。願わくば本尊聖者哀愍納受を垂れ給はんことを。」

修験者たちは、この法螺貝を通して浄化し、破邪顕正のまごころを磨いたのです。これに対して、陣貝という戦国時代に軍の進退を知らせるものもありました。一番貝、二番貝といって送り出す合図に使ったりしたといいます。様々な流派があるそうで、細かく吹くことで様々な指示を軍に送ったそうです。

同じ法螺貝でも使われ方で、その役目が変わっていきます。私の手元にあるものは、信仰の方の貝ですから不浄を祓い、己を磨くための法具です。これは永い間、色々な人たちの間で吹かれてきたものです。それをこの時代に甦生させ、新しいいのちを吹き込んでいく。

その吹き込んだいのちのチカラによって、様々ないのちを温故知新して生まれ変わらせたい。その心願を法螺貝に委ねて、新しい時代を切り拓いていこうと思うのです。一見、古いと思われている法螺貝も私が甦生させれば新しくなります。

日本には伝承者が減ってきています。このままでは、いのちは甦生できなくなり終焉を迎えてしまいます。新しいいのちを吹き込めるように精いっぱい真心を籠めて精進していきたいと思います。

 

歴史は繰り返す

高度経済成長が終焉を迎え、人口増の時代から人口減の時代へと入ってだいぶ経ってきました。人口減の問題は、もう随分前から提議されていますが現在の経済成長の仕組みは過去のままで歪は大きくなるばかりです。

今までのやり方をやめてしまうと経済も会社ももたないとなれば、未来を無視してでも今までのやり方に固執する。そういう生き方が結局は最後には限界がきて崩壊し変化せざるを得ない状況に追い詰められます。

歴史を省みても、そんなことばかりを人類は繰り返しており何回生まれ変わっても同じ様相です。これは人類のパターンなのかとも思いますが、地球環境や他の生物全体に多大な影響を与えるようになってきていますからそろそろこれもなんとかしないといけません。

マクロでは地球環境の改善ですが、ミクロでは一人一人の生き方の改善です。

環境問題は人類の意識が引き起こしていますから、人類が意識を改善していくしか変えようがありません。

人間は何かを変えようとするとき、それまでの過去のものを捨てるほどの覚悟が必要です。それは今までと同じことをしないという意識、もう一つは前に進み新しい未来を創造するための意識です。どちらにも覚悟力が必要です。

慣れ親しんだ日々や、得意になって同じ筋力や能力を使うことの方が人間は楽ができます。楽をしてしまうと、楽な方が正しいと思い込み、それが時代的にズレて正しくなくなったとしてもそれを変えることができないのです。

自分の都合の善いことを一つ一つ外していくのは、自分に打ち克つチカラが必要です、己に克つというのは、自分にとっては楽ではないけれどそれが目的のために捨てるのなら楽しいと、軸足を自分にせずに初心や目的に合わせて変えていくときにできるものです。

言い換えれば、自分にとっては都合が悪い方を選択していくという割にあわないことを実践することで変化を後押ししていくのです。これは人類も同じです、そして当然、それは個人一人一人の改革と己との正対によってしか実現しないのです。

生き方で存在を示す会社をやるというのは、一人一人がそのことに深く向き合いそれを実現するために惜しみない努力と生き方改革をニコニコ顔で命懸けで取り組んでいくという志事をしているということです。

そういう志事が仕事になるとき、世直し行は完成に向かいます。

子どもたちのためにも、理屈ではなく真心で、計算や下心ではなく正直で、言い訳ではなく素直な行動で示していきたいと思います。

徳を積む

昨日、徳積財団の活動について話し合いを行いました。徳というものは、必ずこの世に存在しているものですがその徳を大切にするということを意識することは減ってきているように思います。

そしてその徳を積むとはどういうことか、そして何のために積むのか。私は魂を磨くことで徳が磨かれることに意味があると信じていますが過去の先人たちもみんなその徳についての言葉を遺しています。

松下幸之助さんは、「人間で一番尊いものが徳である」ともいいます。その話の中ではこう解釈しています。

『君が「徳が大事である。何とかして徳を高めたい」ということを考えれば、もうそのことが徳の道に入っていると言えます。「徳というものはこういうものだ。こんなふうにやりなさい」「なら、そうします」というようなものとは違う。もっとむずかしい複雑なものです。自分で悟るしかない。その悟る過程としてこういう話をかわすことはいいわけです。「お互い徳を高め合おう。しかし、徳ってどんなもんだろう」「さあ、どんなもんかな」というところから始まっていく。人間として一番尊いものは徳である。だから、徳を高めなくてはいかん、と。技術は教えることができるし、習うこともできる。けれども、徳は教えることも習うこともできない。自分で悟るしかない。』

これはなぜ教えることも習うこともできないか、それは無我無心の境地であるからだと思います。徳はただ磨く境地ですからただ磨くというのはただ動くということです。それは実践するといっていいかもしれません。実践する人は、そこに磨こうとする意志があります。そこに徳が集まってくるのです。

老子はこういいます。

徳のある人は自分の徳を意識しない
それは得が身についているからだ
徳のない人は徳を意識するため、
なかなか身につかない

だから、
最上の徳は無為であり、
わざとらしいところがない。
低級な徳は有為であり、
わざとらしいところがある。

最上の仁は無為であり、
わざとらしいところがない。
低級な仁は有為であり、
わざとらしいところがある。

つまり、無為自然であることこそ最上の徳であるということ。真心はそのまま徳になるのです。

子どもたちはその真心をどうやって学ぶのか、それは知識や知恵とはまた違います。それはその人の真心の行動によって学ぶのです。真心は必ず伝わり、真心は必ず天に通じます。

これを吉田松陰は「至誠」といいました。

先人に恥じないように、真心を盡して徳を磨いていきたいと思います。

 

いのちの甦生

いのちというものを思う時、それはいのちを伝える存在によってはじめて成り立つことがわかります。つまり、いのちは何かというものを理解する方法として、それはいのちを受け取る側に対していのちを伝える側があることに気づくのです。

当たり前のことかもしれませんが、この当たり前に気づいている人がどれだけいるのかということを改めてみなければなりません。

例えば、子どもは両親がいのちを伝えます。その両親にも両親があり、遡れば最初の両親にまでたどり着きます。つまり今のいのちを私たちが感じるとき、そのいのちを伝え続けた存在があったことに気づくのです。

これを伝統とも言います。

そしてこれは人間だけに限りません、動植物、虫や菌、ウイルスにいたるまでみんな記憶を伝承していきいのちを引き継いでいるからこの世に存在します。そしてもっと言えば、この地球も、そして宇宙もまたいのちを伝える存在によっていのちは存在します。

私たちは伝え続けることによって存在する意味を知る。

としたら、私が取り組んでいる伝承は果たしてどのような仕事になるのでしょうか。経済社会では儲けにならない価値のないことのように思われますが、いのちの世界ではもっとも尊いことになると私は信じているのです。

伝統や伝承に携われるということは、徳を積めます。そして魂を磨けます、いのちの気枯れを祓い、元氣を取り戻すチカラを与えます。日本が元氣になります、そして世界もまたいのちがいっぱいに満ち溢れ元氣になります。

私はむかしの田んぼをやっていますが、田んぼもまた伝承の風土の権化です。だからむかしのままに続けるのです。もちろん、現代の科学の発展もまた当然ですからそれは活用しますがいのちの伝承とは別の次元での話です。

子どもの仕事をするということを深め究めた時、結局はこのいのちの伝承をすることや風土を醸成することにたどり着きます。私のいのちの使命は甦生ですが、この甦生は元氣を甦生するといってもいいことです。

いのちが甦ることで、人もいのちも別の物に転換されます。

子どもが安心して天寿を全うできるように私たち大人から変わっていきたいと祈ります。

浄化場の夢

四国に88か所霊場というものがあります。私はすべてを巡礼したことはありませんが、空海の出生地や遺跡のいくつかは伺ったことがあります。四国には独特な場があり、この場を支える人たちによって不思議なチカラを発揮しています。その一つのお遍路というものがあります。

これは日本大百科全書によれば『日本の各種の巡礼のなかで、四国八十八か所霊場を巡る巡礼をとくに遍路といい、その巡礼者そのものも遍路(お遍路さん)という。この文字は中世末から江戸時代初めに用いられ始めたもので、それ以前は「辺路」と書かれ、『今昔(こんじゃく)物語集』(12世紀前半)や『梁塵秘抄(りょうじんひしょう)』(12世紀後半)では「へじ」と読まれた。これが海辺の路(みち)をさしたことは『今昔物語集』(巻31第14話)で明らかであるが、それには「四国辺地」と書かれている。このような「海辺ノ廻(めぐり)」の修行が四国の弘法大師(こうぼうだいし)信仰と結合して、弘法大師空海の旧跡を巡る巡礼になったのが遍路である。』と記されます。

遍路は四国88か所霊場を指しますが、元々は修験者たちの修行の方法として山林抖擻といって山野をめぐり歩き山にこもり、山の暮らしから悟った智慧を里の人たちに伝道するような人々の生き方からはじまったといわれます。

また札所といって、参拝者の巡礼のしるしとしてお札を受け取ったり納めたりするところがでてきます。この道を歩んだ証明として大切にされてきたそうです。ここから霊場巡りではなく札所巡りとも言われるようになったといいます。

四国ではお遍路で有名な人物に衛門三郎という人の有名な話があります。この人はもともと伊予国(愛媛県)の豪農で欲が深く、地域の人望の薄い人物だったといいます。あるとき、門前に托鉢に訪れた乞食僧がくるので何度も追い返してもその乞食僧は毎日訪れます。八日目は僧の鉢をたたき落とし割ってしまいその鉢も八つに割れてしまいます。その日を境に、乞食僧は三郎の屋敷を訪れることはなくなりました。しかしここから不運と不幸が始まります。8人いた自分の子どもたちが次々に原因不明の病気にかかって亡くなってしまうのです。きっとこれは自分が乞食僧に酷い行いをしからに違いない、そしてあれは弘法大師空海であったと悟ります。そして生まれ変わってやり直したいと発心して空海を求めて空海の歩んだあとを追いかけていきます。これが四国で有名なお遍路のはじまりなのです。

実はこの話は続きがあり、衛門三郎は後を追いかけても追いかけてもどうしても空海に会えません。そして二十二回目ののち、今までと逆に回ればお会いできるのではないかとお遍路をして十二番・焼山寺の手前で倒れます。そこで空海に出会い、改心したことを認められ「甦生」を約束され亡くなりました。

私はこの話こそ、浄化場の本質を顕していると感じます。人は、穢れを祓い浄化されることで甦生します。つまり魂が磨かれて生まれ変わるのです。そうやって何度も何度もこの世に来ては修行をして、魂を昇華させ精進していきます。

現世は物質文明が偏り、なかなか心の世界のことを認めようとはしなくなっています。しかし、本来のいのちは何処に向かっているのか、何を求めているのか、それを思う時、大切なことを忘れさせないことへの工夫が初心を守る人々たちによって伝承されていきます。

浄化場が必要なのは、初心を伝承するためです。

引き続き、私の夢を実現していくためにご縁を活かしていきたいと思います。

私の道

故郷での様々な出来事を振り返ると、不思議な思いがするものです。生まれ故郷でもありますが、ここにはすべての原点があり、神話や歴史に裏打ちされた真実もあります。

私の故郷は、神武天皇や神功皇后、そして卑弥呼や台与などの歴史の舞台でもありました。遠賀川の流域には数々の遺跡が発掘され、そこには邪馬台国、大和国の時の記憶が一緒に宿っています。伝説や地名の数々もその事実を確実に裏付けるものとして存在し、話を聴けばきくほどに日本の原点をこの「場」に感じます。

私は、子どもたちのためにと自分の人生のほとんどをつぎ込んできました。それは単に我が子というだけではなく、物質的な子どもという意味のみならず、自己の内面にある子ども心や、人類が素直になって健やかに存在している時の純粋な子どもの魂のようなものを大切に見守りたいと願いここまで生きてきました。

その中で、私は心のふるさとというものに出会います。

そしてそれは正直で素直で誠実、真心で自分らしくあるときに顕れる心の風景のようなものです。この美しい生き方や暮らしを体験する機会を通して、この故郷が本物の心のふるさとに変化をはじめていきます。

自分らしく生きていく生き方が、暮らしを易え、働き方を改革していくのです。そしてその勇気と決断と行動によって人々の心が深く癒され、本来の心の原風景、魂の原点回帰につながっていくように思うのです。

おかしなことを言っているように思われるかもしれませんが、「場」を学び深めて本質にたどり着けばつくほどにその意味を感じない日はありません。

善い場を醸成するというのは、好い生き方を循環させていくということです。その人にしかできないことを好きなように生ききることです。バカや変人、狂人などと呼ばれようとも、心の中にしかない未来の理想郷を持って歩むのは誠実さや正直さゆえです。

美しい先人たちの生き方に恥じないように、先人たちや先祖の後押しや応援の風を戴きながら私は私の道を歩んでいきたいと思います。

心の原風景

故郷には、原風景というものがあります。これは、何をもって原風景というか、その辺はとても曖昧ですがお互いの中にある懐かしい暮らしの一端であることは認識できるものです。

例えば、むかしからある故郷の山の秋の山笑う色彩を眺めては山登りを一緒にしたことや、その山で遊んだこと、空気や風や水や光などを思い出します。私たちはその時、懐かしいものに触れ故郷の原風景を味わうものです。

この原風景とは、むかしからあるものであり共にそこでの暮らしを伝承されてきた伝統や思い出などを指しているように思います。もっと深く掘り下げると、それは心の風景でもあり、心の原体験、心の景色というものでもあります。

愛された記憶や、見守られた記憶、そして仕合せを味わった記憶、そういうものが頭の中ではなく心の深いところで生き続けています。先祖代々、何千年も何億年も前からその記憶は存在していて、その懐かしい記憶が原風景としていつまでも心に焼き付いているのです。

その心に焼き付いた記憶に触れると、心は瞬時にその時のイメージを懐かしみ心を仕合せで満たします。私たちはその心の養分を吸っていのちをイキイキさせてこの世での気力を充実させていくのです。

これは人間だけではありません。

犬にも犬の記憶があり、野山を仲間と共に駆け巡る記憶、人間と深く信頼し合っている記憶、美味しいものを食べ活力を得る記憶、安心して眠る記憶、他にもたくさんありますがその懐かしい原風景に触れることで仕合せを感じます。

私たちにとって決して失われてはならない、いや失いたくないものこそこの心の原風景であるのです。私の取り組んでいる活動は、この心の原風景を甦生させていくことです。

人類は発展していく過程で、何を失ってはならないかということを思い出す間もなく自転車操業的に目標に向かってまっしぐらに進みます。立ち止まる時間もないくらいに、お金や経済の大波に背中を押され続けてスピードは増すばかりでブレーキを踏んでも止まれません。

今回、コロナの御蔭でゆっくりと進むような機会を得て改めて何が大切か、何を失ってはならないかを思い出す機会を得ました。私はこの時こそ、心の原風景を取り戻し、みんなでその心の原風景を故郷に具現化する絶好の機会ではないかと思うのです。

子どもたちはこの心の原風景を糧にしてその後の人生を安心して歩んでいけます。子どもたちがこれ以上、心を傷つけることがないように私たちはまだできることがあるのです。

引き続き、故郷に原風景を甦生させながら日本をはじめ世界にその美しい仕合せの記憶を引き継いでいきたいと思います。

新境地への挑戦

昨日は、神田明神に会社のみんなで参拝してご祈祷していただきました。今までは新宿の熊野神社でしたが、神社の特徴や雰囲気も異なり、新しい場所の文化を感じました。

神田神保町は、古書店をはじめお洒落なカフェ、レストランなどもたくさんあります。新しいものもあれば、とても古い物もある、それがとても調和して魅力的な場所です。

参拝の後、神田明神の前で商いを営んでいる三河屋さんで甘酒をいただきました。麹の柔らかい甘さと、清々しい味わい、身体が芯から温まりました。現代では、飲む点滴と呼ばれていますが、過去も今も薬として私たちの身体にピッタリの自然食品なのは間違いありません。

少しだけこのお店をご紹介すると、ここは徳川幕府について御用商人として、三河(今の愛知県)より江戸に来て、1616(元和2)年に創業で400年以上の歴史があります。米糀と麹の2種類の麹づくりを続けています。その糀を使った味噌や甘酒、納豆が店頭に出ていました。将軍家、宮内庁御用達だったそうです。

ライトワークまでの帰りには、湯島聖堂にもみんなで立ち寄っていきました。ここに昌平坂学問所があり、佐藤一斎をはじめ安積良斎などの学長がいて門下に吉田松陰や横井小楠、高杉晋作など志士たちが学んでいたことに思いを馳せるとなんとも言えない感慨深さがありました。

そしてそのままお茶の水の楽器街を通り抜け、神田神保町まで戻ってきましたが街並みの中のかつての佇まいをあちこちに感じました。

この場所に古書店が多いこと、カフェが多いこと、カレー店も400以上あるとありましたが若い人も多く、この「場」には学問を味わえるような空気感を感じました。

新天地でのカグヤの進化に相応しい場所で、仕合せな気持ちになりました。これからどのようなご縁があり、新たな出会いや別れがあり、繋がりや絆が産まれと、思いを馳せるとワクワクします。新天地への挑戦は、新境地への挑戦でもあります。

子どもたちから学び直し、歴史からも学び直し、原点回帰して未来を切り拓いていきたいと思います。

新天地

新しい分散型の働き方をはじめ、新宿の本社も移転しオフィスをやめて神田神保町にライトハウスというカタチで改めてスタートしました。これはライトワークハウスの略でもあり、見守るための灯台という意味でもあります。

以前のところは、大きなビルでたくさんの会社や人たちが働いていて総合空調で強固なつくりをしていましたが今のところは窓が自由に開けられる屋上にありテラスもあり、風通しの善い中で過ごせます。

環境が変わることで意識も変わるといいますが、変化の真っただ中に変化を楽しめることは変化を味わうのにも効果があるように思います。

時は無常で、変化しないことはありませんから今まで変化してなかった分がコロナによって急速に動いてきます。元に戻ることもなく、元通りになることもありません。確実に時は前に進み、新しい時代に合わせて変化がはじまっています。

大切なのは、本来どうありたかったか、本来どうしたかったかという本心や本音がそれぞれに試されていきます。こういう試練は実はとても貴重な機会であり、人生の大切な節目になります。自分の生き方や生き様と正対し、本来の目指す未来や目的に合わせて働き方も暮らし方も換えていくこと。

まさに千載一遇のチャンスと捉えて、明るく前向きに変化を味わう勇気が欲しいところですがなかなかそうはいかないのもまた人生です。わからないものに不安を抱くのは普通ですから、それを持ちながらも思い切って前進することで未来は開けます。人は、天にお任せして歩むとき我を省いていくことができるように思います。

仲間がいたりみんなが一緒に乗り越えていこうとする時こそ、勇気を分け合うものです。自分の前進や行動が他の誰かの勇気になるということは、仕合せなことでそうやってみんな勇気を分け合って生きているようにも思います。

新天地という言葉があります。

これは「新しい場所」を意味するだけでなく、「新しい活躍を期待される場所」という意味でもあります。引っ越しなどで新しい土地に移住するとき、引っ越し先の土地を「新天地」いいます。これは単に土地や場所を換えるだけではなく、仕事を変えることを意味します。

人生で新しく活躍する場所が発生したということ、それが新天地です。

私は本来の引っ越しや移転は、この「新天地」で働くことを意味するように思います。人生の節目で、新天地に移動するというのは別の新しい活躍を期待されたということです。そうならないのなら、新天地ではないとも言えます。

ステージが上がり、今までではなく何が新しく活躍を求められて期待されているか。それをよく確かめ、そのステージで活躍するための場づくりや自分の布置を高めていくことが変化を味わうことにもなります。

53歳で現役の三浦知良選手が新天地についてこう語ります。

「新天地での挑戦はいつだって、誰だって難しい。でも、人生は、いつの瞬間だって挑戦なんだ。」

さらに真剣にやるからこそ面白いとも言います。自分が本気になるもの、真剣になるもの、情熱をすべて注ぎ込めるものに出会うことは仕合せなことです。新天地を与えられるというのは、天から新たな役割や使命をいただいているということでもあります。

そこに合わせて挑戦をすることや真剣に生きることが、新天地で働くというステージに入っているということでしょう。誰にも平等に時が訪れるからこそ、真剣に生きるということを大切に子どもたちの憧れる生き方と働き方をしていきたいと思います。

場道家

先日、來庵された方々から時空の話や五次元の話をお聞きしました。ここにはそれがあるらしく、暮らしを共にしていく中で時間間隔がズレてしまうということでした。何人かからは竜宮城ではないかともいわれ、笑われましたが何か時の流れが変わる感覚を持ったのでしょう。

私はこれを表現するときに、「時の沈み」と呼びます。時間をかけてじっくりと醸成するものが集まり、そしてそられが共鳴共振するとき、そこに「場」ができます。その「場」に佇むと、太古から流れている通常の時間ではない普遍的な「道」を感じるのです。

そしてその組み合わせを「場道」と呼びます。

私が「場道家」を名乗るのは、この時空や波動のようなものを大切に暮らしを紡いでいるからかもしれません。

人間には、様々な感覚があります。1次元、2次元、3次元、そして4次元、その上が5次元です。一般的に生きている物質世界での状態が3次元ですから私たちは通常は3次元にいます。そこに霊的なものやスピリチュアルといった目に見えないものを感覚的に察知するとき4次元となります。その上というのは、パラレルワールド(parallel world)と呼ばれ多次元空間の世界に入るそうです。

このパラレルワールド(parallel world)とは、ある世界(時空)から分岐し、それに並行して存在する別の世界(時空)を指す。並行世界、並行宇宙、並行時空といわれます。

今、流れている世界とまったく別の空間が存在するということ。つまり、私たちの目に見えない世界が同時にこの今に別空間に存在させるということ。シンプルに言うと、心の世界が物質の世界に突如として顕現して具現化されるということかもしれません。

これは日本人には得意なはずで、私たちは「和」を通して場や間を暮らしを通して創造してきた民族です。私がやっているのが特別なのではなく、誰でもできることです。しかしこの時代、この5次元が、何よりも価値を持つようになるでしょう。

その理由は、5Gをはじめ私たちは人類の科学が量子力学の発展やAIやブロックチェーンによる仮想空間に科学と共に進化していきます。その時、同時にこの並行世界や平行宇宙、並行時空は必要になるのです。

目に見えない世界を生きるということは、もともと存在していた場所を知るということです。

宗教っぽいといわれるかもしれませんが、現実として感じられる世界はもう間もなく科学も近づいています。笑い話ではなくすぐそこに話なのです。場道を通して、一人でも多くの人たちが魂のふるさとに気づき、目覚め、本来の真の豊かさに気づいてほしいと願います。

子どもたちが仕合せの世界に生き続けて、根からの養分を吸い上げ永遠の豊かさを享受できるように私の役目を果たしていきたいと思います。