むかしの人々

英彦山のむかしの山伏の道を歩いていると、岩窟や仏像、墓石などが谷の深いところにたくさんあります。今は木々が鬱蒼としていて、廃墟のようになっている場所にも石垣があったり石板があったりとむかしは宿坊だった気配があります。むかしはどのような景色だったのだろうかと思うと、色々と感じるものがあります。

守静坊の甦生をするときに、2階からむかしの山伏たちの道具がたくさん出てきました。薬研であったり、お札をつくる木版であったり、陶器や漆器、他にも山の暮らしで使うものが出てきました。

その道具たちを見ていたら、むかしはたくさんの人たちが往来していたのだろうと感じるものばかりです。食器の数も、お膳もお札の数も、薬研の大きさも関わる方々のために用意されたものです。

英彦山は3000人の山伏と800の宿坊があったといいます。この山では谷も深くお米もできませんから、食べ物はどうしていたのだろうかと感じます。これだけの宿坊があり、家族もいますから山の中だけでは食べ物は確保できません。実際に、宿坊にいるとそんなに作物が育てられるような場所も畑もありません。きっと、里の方々、檀家の方々をお守りしお布施として成り立っていたのでしょう。

宿坊には、他にも立派な御神鏡や扁額、欄間などがあります。貧しくもなく、そして派手でもない。しかしとても裕福な暮らし、仕合せをつくるお仕事をなさっていたことを感じます。

庭には、柿の木やゆずの木があります。そして220年の枝垂れ桜があります。足るを知る暮らしを静かに営み、祈りと里の人々の平安を見守るような日々を感じます。

英彦山、お山という存在は人々にとってどのような場所であったのか。

日々に疲れやすい心を癒し、身体を健康にしていくための故郷だったのではないか。今ではそう感じます。お山は誰かのものではなく、みんなのものです。そのみんなのものを大切に守ろうとされてきた方々によってみんなの故郷も守られてきました。今ではほとんど宿坊もなくなり、山伏もいませんがその精神や心、魂はお山の中に遺っています。

この遺ったものを感じ、自分なりにお手入れをしながらむかしの人々の生き方を学んでみたいと思います。

イワの信仰

先日、国東の両子寺にお伺いするご縁がありました。美しい参道とあわせて、岩窟があり両子権現がお祀りされていました。英彦山に関わってから、たくさんの岩窟に巡り会いました。この岩窟とは何なのか、少し深めてみようと思います。

そもそも岩(イワ)という言葉を調べてみると少し見えてきます。この岩は、山が連なったという象形文字です。ヤマという言葉もまた、山の上に岩々が連なった様子のことを指します。つまり石で連なった場所のことを岩(イワ)と呼んだのがはじまりではないかと思います。

そしてこのイワは、一説によれば「イワ」は、神を意味するヘブライ語の子音 (yhwh)に任意の母音をつけて、日本流の「神」の呼び名「イワ」となったともあります。つまり巨石で連なったものを古代の人たちは、何者か偉大な神が宿っていると直観しそこから岩の信仰がはじまったのではないかと感じています。これは古代においては、仏教や神道、道教などあらゆる信仰が始まる前からあった日本の源流の信仰のカタチだったように思います。修験道のはじまりではないかと私は感じます。

このイワには、「イワクラ(磐座・石位・石坐・岩座)」「イワヤ(石屋・岩屋)」「イワサカ(磐境)」「イシガミ・イワガミ(石神・岩神)」というものがあります。「イワクラ」は「神が依りつき宿る岩石への信仰」といい、「イワヤ」は「神が依りつき、籠る岩窟への信仰」といい、「イワサカ」は「神を迎え、祀るための区切られた岩石空間への信仰」といい、「イシガミ・イワガミ」は「岩石そのものを神として祀る信仰」といいます。

イワを中心に、神様が依り代になる場所と信じられそこで信仰が行われました。世界にはストーンヘンジやピラミッドをはじめ、岩が中心になった信仰の形跡があちこちに遺っています。

むかしはイワの力で病を治していたのでしょう。岩窟に入ると、とても静かであり不思議なぬくもりを感じます。同時に、偉大な何かが繋がっている感じもします。最近では、岩窟から出てくる湧き水にシリカやケイ素という成分がありそれが寿命を伸ばしたり健康を保つ薬になったということもいわれています。他にも精神疾患や、心の状態を穏やかにする、あるいは穢れを祓う力もあったと思います。

そもそも信仰の原点は、私は病を治すことだと直観しています。そして修験者たちは、本来はその病を癒すための道を示したものです。心身を健康に保つためには、自分のことを深く理解する必要があります。自己との対話を通して、身体や心を深く学びます。そうして学んだ知恵をもって、人々を救う仕組みが産まれたのです。

現代は、物理的、科学的に病気を捉えていますがそもそも病気になるような生活をしていますから健康というものもわからなくなってきています。だからこそ、本来はどうだったのか、古代はどうだったのかと温故知新することの大事さを感じています。

子どもたちのためにも、古代から続く知恵を甦生し未来のために伝承していきたいと思います。

道徳の実践

現代は、子どものためといいながら自分たち大人の都合のことをいい、未来の社会ためといいながらお金を増やすためにやっていることなども混在してより本当のことが分からなくなってきています。そのほかにも社員のためにといいながら、社長だけが利益を享受されるようになっていたり、国民のためといいながら一部の政治家たちが得をするということが当たり前になっています。

それが当たり前のような環境になって気づかなくなってくると、正直者が馬鹿をみるかのような風潮になっていきます。だからといって、みんながずる賢くなってしまうと道徳が乱れ、その結果社会が住みにくくなり豊かさや喜び、仕合せも失われていきます。みんなで仕合せに豊かになるには、みんなが助け合いそしてみんなで喜び合うような社会にしていかなければなりません。

そのためには、本来の目的というもの、私はこれを初心といいますがそれをまず定めてみんながその目的や初心を振り返りながらそれぞれが自立して協力していくような主体的な風土を醸成していく必要があります。

私もむかしは、世間のルールに従って比較競争社会、消費文明のなかで自分を守ろう、自分たちを守ろうと取り組んできました。そのうちこれは本当に子孫のためになるのだろうか、これは真に豊かなことなのかと疑問を感じるようになり働き方と生き方を一致させる経営に舵をきり今に至ります。

何でも一致させていこうとするのは、そこに誤魔化しもできず正直で素直でないと成り立ちませんから実際には苦労の連続です。特に今の時代は、そうではない会社や社会が当たり前ですから似て非なるものとの比較にあってなかなか本質が伝わらないことも多くなります。

本物といえば、それ以外は偽物なのかとなるし、本当だといえばでは何が嘘なのかとなります。正義とか悪とか、二元論ではなく大切なのは目的や初心に対して一致させること。つまり言行一致、知行合一、実践するということだと感じて取り組んできました。

実践というのは、目的や初心を行うことです。何のためにこれをやるのかということを忘れないで行動し続けることです。最初は、簡単には一致できずに改善の連続です。しかし次第に、働き方が改善されていくと同時に生き方も改善されていきます。

経営論やテクニックでやっていくのではなく、まさに思想と現実を一致させ経営文化に昇華していけばみんなでその社会を創造していくことができるからです。そのような社会を目指していくうちに、安心した暮らしはととのっていきます。

これは今私が発明したものではなく、日本でいえば三浦梅園、石田梅岩、二宮尊徳、中江藤樹、上杉鷹山などみんな実践により顕現させてきたものです。

その時代もまた同様に誤解されたり理解されなかったりしたでしょう。しかし後世の人たちが後で冷静に客観的に観たら如何に人間が人間らしい取り組みをしたかがこれらの偉人の生き方や歴史から感じられるものです。

理想は現実になってこそ、子孫を救うものです。子どもたちのためにも丹誠を籠めた実践を積み重ねていきたいと思います。

知識と知恵

私たちはよく本を読み知識を得ます。しかしその知識は、自分自身の中に一体になり知恵にならなければ本当の意味で役に立つことはありません。知識と知恵は両輪であり、そのどちらもあることではじめて活かし続けることができます。

特に知識は、知識を持っている人たちの間では役には立ちます。特に最近は、情報化社会で知識はそのままお金になりますから知識を持っている人が持っていない人に提供することで役に立ちます。また知恵は、知識がなくても仕組みや方法、習得していることで救われるものです。知識で言葉にできなくても、先に実践をできてしまっていればそれはそのまま役に立つことができます。本来、すべての生命、そして存在はこの知恵を持つことで生き延びてきました。

知恵はそのまま自然の仕組みが身体から体現されたものであり、その知恵は身体のつくりをはじめ特徴、あるいは性質そのものまでに影響を与えています。虫が色々な形になったのも、動物がいろいろな種類があるのもまた、これは知恵が性質に及ぼしたものです。

人間もまた知恵が性質に及ぼしたものです。その知恵の一つに、知識があるということです。人間の脳のつくり、そして身体の動き、手を上手に用いて知識を活用し様々な道具を産み出します。これが人間の持っている特徴であり知恵です。

知恵としてのこの知識を使うことを持っていても、その知識があるゆえに人間自体が滅びてしまうこともあります。知識をどう用いるかは人間次第です。先人たちは、自然の知恵を学び、それを知識で磨いてきました。人間の欲を知識で調和させてきました。道徳や信仰というものもまた、知恵と知識の両輪を活かしたものです。

今の時代、知恵を隠し知識が知恵をコントールできるかのような様相で話が進みます。そんなことは存在せず、知識はあくまで知恵の後に従って一緒に動く存在です。包丁と砥石のようなもので、鏡と布のような関係です。お互いを磨いたり、ととのえたり、清めたりする存在であるとき、この両輪は調和するように私は思います。

知識の在り方のようなものを語り合う人はほとんどおりません。偉い人は、知識を使ってさらに自分の立場を守ります。教育の本当の怖さというのは、他人の知識を得ることで自分で学ぶことを忘れさせることかもしれません。

子どもたちには、自学自悟、自分の目や手、あらゆる五感や身体感覚などを用いて学ぶことの大切さを伝道していきたいと思います。真の豊かさを日々の学びから集めて磨いていきたいと思います。

醫験合一

修験道のことを深めていると、医に中ります。この「医」はもともとは「醫」の略字です。会意兼形声文字でできていて(殹+酉)からなります。これを漢字漢和辞典で調べると、「エイッというおまじないの声を示す擬声語(隠す箱・矢・木のつえを持つ象形)」と「酒器の象形」から、薬草酒等を使って「病気を治す人」を意味する「医」という漢字が成り立ったとあります。

もともと医療の起源、古代は加持祈祷によって病気を治したということがわかっています。それが現在の科学技術によって病気を治すことになっていますがその変遷をみると、如何に病気に対して医者が変化してきたかということもわかります。

中国から仏教が伝来するとき同時に医療技術、漢方などが入ってきます。針、灸をはじめ湯薬、湯治などもそうです。それを用いて僧侶が病を観るようになっていきます。当然、身体だけではなく心の病気というものもあります。心と体は繋がっていますから同時に看病していく必要があります。病によるどうにもならない苦しみや辛さに、仏陀の知恵が役にたってきたようにも思います。

今もですが、病気は治るものとどうしようもないものもあります。そんな時、人々は神にすがるものです。真摯に修行を積んだ僧侶が、心身合一して磨き切った心身元氣の妙法を何かしらの巫術などで治癒したこともあったかもしれません。

英彦山の中興の祖の法蓮上人もまた、そのような医術をもった人物であったといわれます。国東の六郷満山もまた仁聞菩薩によって同様な医術を持ち布施により聖地が醸成されたとあります。

近代になって大きく医療が変化したのは明治以降の西洋的な医療が優先されてからです。江戸時代までは和漢、またオランダからの医療が調和していましたが現代ではもっぱら西洋医学の方が信頼されています。今ではようやく未病が必要ではないかと、予防医学に取り組みはじめています。ウェルビーイングなどもですが、病気にならないような暮らし方などもはじまっています。

医の歴史には、修験者の歴史も同時に鑑みることができます。

改めて、修験道のルーツを辿ってみたいと思います。

二つで一つ

日本には元々、二つのものをもって一つであるという思想があります。無双原理や反観合一などという言い方もあります。どの思想家、哲学者もこの二つが合わさったものの中にすべての元があると説きました。

これは万物が円球体であるということの証明でもあります。二宮尊徳はこれを一円観という言い方をしました。すべてが渾然一体になって融和しているのが私たちの根源の元氣ということになります。

よく考えてみると、一つのものを二つにするところから分別というものははじまっていきます。時空というものでさえ、時間と空間とを分けて理解することから取り組みます。

本来はこれは二つで一つですが、この二つというのは単に二個のことではないことはすぐにわかります。水と空気でも同じく、混じり合って存在していますしそのさらに奥には地球がありその奥には宇宙があります。ありとあらゆるものは本来は一つであり、それを分けるという行為が現在の学問を体系化したようにも思います。

私は、炭が大好きですから炭の火を感じながら水を味わいます。水を味わうのには火があるとよく、火を味わうには水があるといいのです。他にも、木と石が調和するとお互いの活力が引き出され、闇と光が重なりあうことでほのかな安らぎが満ちていきます。

この世は、何かが混じり合うときに一つの元氣が誕生します。その元氣が四方八方に放たれることでまた別の元氣と結びついて新たな元氣が誕生します。こうやって無限に元氣を分け合いながらこの世は存在するのです。

そしてこの思想こそ、日本の神話から今にまで続く私たちの民族の価値観でありそれが生き様として歴史を象っていきます。この歴史というものと今の私たちの生命というものも、二つで一つになったものです。

直観的に人間は、この元氣の間を往来する存在ともいえます。静かに今を見つめたら、この今を元氣に生きることが仕合せや豊かさをもたらします。

当たり前なことがわからないほど勉強してきましたが、本来の根源的なもの、中心は何かということを自覚し悟ってこそ人生の妙味を直観できるように思います。時折、初心を忘れないように同じように生きた方々の余韻に触れたいものです。

子どもたちにもその余韻が伝承できるように場をととのえていきたいと思います。

芸の道

昨日から神奈川県相模原にある水眠亭に来ています。英彦山の守静坊でお茶を立てていただきその生き方に感銘を受けて生き様を拝見したいと思いようやく念願叶って訪ねることができました。

この水眠亭は、川のほとりに眠っているように見えた江戸時代の古民家をみて名付けられたそうです。ご主人の山崎史朗さんが彫金・工芸・デザイン・音楽・俳句・食文化、茶室を含め一期一会に直観とご縁があったものをご自分で手掛けられている唯一無二の完全にオリジナルの空間と場が存在しています。

自分の目と手で確信したご自分の美意識によって本物をつくるため、すべての制作の工程を他人に委ねずに自らで手掛けられます。この場にあるすべての道具や家、庭園にいたるまでほぼすべてご自身で見立て納得いくまで手掛け磨き上げられたものです。

どのものを拝見しても自分の信じた美意識を徹底的に追求し磨き上げていく姿に、その覚悟を感じます。まさによく言葉に出てくる「一線を超えよ」ということの意味を実感することができました。

もっとも感動したものの一つである手作りの茶室はまさに総合芸術の粋を極めておられ、そこで立てられるお茶はまるで千利休が今の時代に甦ったのではないかと思えるほどの佇まいと気配です。ご自身でゼロから茶室をつくることを通して、なぜそうなったのかを自分なりに突き止めておられます。つまり利休の心を建物から学び取られています。そして利休が目指した心、また日本人の心とはどういうものだったのか、利休が追及したものと同じように自分なりに辿り着かれておられます。

本来、誰かの真似をしたり先人のやってきたことをそのまま学ぶのではその人の求めたものとは別のものになってきます。釈迦も利休も自分が亡くなったあとは必ず廃れるという言葉を遺しています。「古人の跡を求めず 古人の求めしところを求めよ」という言葉に出会ったことを改めてここで思い出しました。これは先達や師の真似や後ばかりを追いかけるのではなく先達や師が何を求めたのかを自分も同じように求めてこそそのものと同じになるといったのでしょう。先日お伺いした三大薄皮饅頭の柏屋さんでもその家訓に「代々初代」というものがあることを教わりました。「代を継いでいるのではなく常に自分が初代になることだ」ということでしたがこれも同じ意味でしょう。

歴史を鑑みると、中興の祖という存在が顕現して道がまた甦生していくことの繰り返しです。

現代は、マニュアルや作法のことをまるで道そのものかのように呼び、本来の本物の道は単なるテクニックや事例のように扱われます。大衆に蔓延る権威や権力、権利が真の道を覆い隠します。まるでこの世は道の終焉の様相です。しかし真の道というものは、誰かに教わり真似をするのではなくまさに自らの覚悟で一人、自学自悟していくものです。

「時代の川の流れを眺めながら一人、静かに道を極める。」

まさに水眠亭の徳を感じる一期一会のご縁になりました。それに茶室、「海庵」のすごさ。この川の阿はいつか海になり空となる。日本人の忘れてはならない深い魂に共感することができました。

人の生き方というものはやはり覚悟が決めるものです。

覚悟のある生き方は真に豊かであり仕合せを醸成していくものです。自分が好きになったのを極めるのではなく、好きを極めるから好きになる。本当に好きならすべてを丸ごと好きになるということ。この人生を丸ごと深く味わい好きになることこそ、真の芸道ではないかと直観しました。

私が取り組むことと同質のことに先に挑まれている先人にご縁をいただいたことで、私も生き方の勇気と自信になりました。まだ道ははじまったばかり、子どもたちの喜びや仕合せを未来へ結び続けられるようにこれからも切磋琢磨していきたいと思います。

出会いに心から感謝しています、ありがとうございました。

いのちのリレー~理念研修~

えにし屋の清水義晴さんの御蔭さまで福島県にある日本三大薄皮饅頭で有名な柏屋の五代目本名善兵衛さまとご縁をいただき、無事に理念研修を終えることができました。また本名さまからは、日本一の誉れのある旅館、八幡屋の7代目女将の渡邊和子さんと日本を最も代表する自然酒で有名な十八代蔵元の仁井田穏彦さまとのご縁をいただきました。どの方も、覚悟の定まった美しく清らかな生き方をされており志に共感することが多く、暖簾を同じくした親戚が増えたようなあたたかい気持ちになりました。

福島は東日本大震災の影響をうけ、そのままコロナに入り大変なことが続いた場所です。離れて報道などを拝見し、また人伝えにお話をお聴きすることが多くありずっと心配していました。今回、ご縁のいただいた方々のお話をお聴きしているとピンチをチャンスに乗り越えられさらに美しい場所や人として磨かれておられるのを実感しました。

自分たちの代だけのことではなく、託されてきた先人たちへの尊敬や感謝、そして子孫たちにどれだけの素晴らしい宝を遺しそしてバトンと渡せるかと皆さん今を磨いて真摯に精進されておられました。

私にとっても本来の日本的と何か、日本人とは何か、日本的経営の素晴らしさをさらに実感する出会いになりました。

私は理念研修をする際には、本来はどうであったかというルーツや本質を徹底的に追求します。今がある原因は、始まりの初心が時間を経て醸成されたものです。その初心が何かを知ることで、お互いが志した源を共感することができるからです。この志の源とは何か、これは自然界でいう水源であい水が湧き出るところのことです。

この湧き出てきたものが今の私たちの「場」を産んだのですから、その最初の純粋な水を確かめ合い分け合うことで今の自分に流れている存在を再確認し甦生させていくことができます。甦生すると、元氣が湧き、勇氣を分け合えます。

水はどんなに濁っていたり澱んでしまっても、禊ぎ、祓い、清めていくうちに真の水に回帰していきます。私たちの中に流れているその真水を忘れないことで水がいのちを吹き返していくように思います。

私たちは必ずこの肉体は滅びます。それは長くても100年くらい、短ければその半分くらいです。そんな短い間でできることは少なく、みんないのちのバトンをつなぎながら目的地まで流れていきます。大航海の中の一部の航海を、仲間たちと一緒に味わっていくのが人生でもあります。

その中で、後を託していくものがあります。これがいのちの本体でもあります。そのいのちを渡すことは、バトンを繋いでいくことです。自分はここまでとわかっているからこそ、次の方に渡していく。その渡していくものを受け取ってくださる存在があるから今の私たちは暮らしを営んでいくことができています。

自分はどんなバトンを受け取っている存在なのか、そしてこれからこのバトンをどのように繋いでいくのか。それは今よりももっと善いものを渡していこうとする思い、いただいた御恩に報いて恥じないようなものを磨いて渡していこうという思い、さらにはいつまでも仕合せが続いてほしといのるような思いがあります。

自分という存在の中には、こういうかけがえのないバトンがあることを忘れてはいけません。そしてそのバトンを繋いでいる間にどのような生き方をするのかも忘れてはいけません。そのバトンの重みとぬくもりを感じるからこそ、私たちは仕合せを感じることができるように思います。

一期一会の日々のなかで、こうやって理念を振り返る機会がもてることに本当に喜びと豊かさを感じます。このいただいたものを子どもたちに伝承していけるように、カグヤは引き続き子ども第一義を実践していきたいと思います。

ありがとうございました。

美味しいもの

昨日は、仲間たちと一緒に千葉県神崎のむかしの田んぼで新嘗祭を行いました。まるで親戚が集まってみんなで和気あいあいと豊かな時間を過ごせるように、懐かしい時を過ごしました。

この懐かしい感覚は、自分の幼い頃の思い出なのか、あるいは先祖からずっと繋がって体験してきたことの思い出なのかはわかりません。しかし、なぜか全員がその感覚を持っていてそれがいつでも場に甦生してくるというものです。

私たちが産み出している場というのは、私たちの懐かしい感覚の場でもあります。

何度もあの幸福や仕合せ、そして一緒に生きていくことの素晴らしさを体験しあう。そしてお互いの近況や一年を振り返って思いやり心配し合い助け合う。

こうやって厳しい自然界や時代の変化のなかでも助け合って今まで生き残ってきたようにも思います。そしてまた新たな元氣を蓄えてみんなで豊かに仕合せを味わっていくのです。

私はこの元氣の源、それは田んぼでありお米であろうと直観しているのです。そこでむかしの田んぼで、田んぼを喜ばせようと無肥料無農薬で伝統的な神事や祈り、家族の団欒や作法を大切に食べることで懐かしい未来を実践しています。

純粋な気持ちというものは、純粋になりきったときにその純粋さを混じります。純粋さは、混じらないと物理的には思いますが魂が渾然一体となって結ばれるようにすべてが調和していきます。

調和したものは、感覚的に美味しいと感じます。

昨日は、備長炭で炊いた竈のご飯と豚汁をみんなでつくり食べましたがこの一年でもっとも思い出深い美味しいものになりました。この美味しさは心に沁みますし、魂を揺さぶります。

こうやって当たり前ではない日々に感謝して、これからもみんなで力を合わせて子どもたちのために働いていきたいと思います。

会社にとってもっとも大切なこと

本日からカグヤでは同じ初心や志を持つ会社に訪問する理念研修を行います。私たちの会社は元々、目的重視で働いていますから理念研修というのはよく行われています。現在では、ほぼ毎日がある意味で初心の振り返りと改善ばかりで生き方を見つめ、働き方を磨いている日々です。

一般的に会社は、目標ばかりが求められますが私たちは何のためにを大事にしています。「子ども第一義」という言葉をスローガンにしていますが、これは目的を見失わないためにみんなで確認し合っているものです。この第一義というのは、何よりも大切な中心としているものという意味です。この子どもというのは、子ども主体の子どもであり、童心の子どもでもあり、子どもが人類の最も尊い存在であるという意味です。

私たちは大人か子どもかで子どもを語ります。子どものためにといいながら実際には、大人の社会の都合がよい方へばかりの議論をします。本当に子どもが望んでいることは何か、それは一人一人の一家一家の暮らしの環境にこそ存在します。自分たちも本来は、子どもが大きくなっただけで子どもが何よりも尊重される世の中にしていけば自然界と同じく調和して仕合せを味わえる世の中にできるはずです。

当たり前のことに気づけなくなっている現代において、純粋にニュートラルに子どもの憧れる未来のために生き方と働き方を変えていこうと挑戦しているのがカグヤの本志、本業ということになります。

生き方というのは、どのような理念を抱いて取り組んでいるかということです。その生き方を確かめて、今日はどうであったかと振り返る。仕事や内容はその手段ですから、その手段のプロセスに目的を忘れずに誠実に実践してきたかというものが働き方になります。その働き方をみんなで分かち合い確かめる中に、みんなの生き様が出てきます。その生き様の集合体こそが、会社であり理念の体現した姿です。

社会というのは、自立し合うことで真に豊かになります。この自立とは、奴隷からの解放でもなく、お金や地位、名誉、成功者となることとは違います。本来の自立は、みんなが目的意識を持ち、協力し合い助け合い、お互いを尊重しながら生き方を磨いていくなかで醸成されていくものです。

自分らしく生きていくというのは、思いやりをもてる社会にしていくこととイコールです。自分も人も活かすというのは、お互いを違いや個性を喜びあい感謝していくということです。

子どもたちは、学校の勉強とは別に家庭や家族、身近な大人の生き方や生き様を模範にして学んでいきます。これは単なる教科ではなく、まさに生きていく力を養っていくのです。

だからこそお手本が必要ですし、場や環境があることが重要になります。育つ環境がなければ、いくら教えても真の意味で学ぶことができないからです。これは文化の伝承なども同様で、連綿と繋がっていく中で託していくものですから先人たちが先にお手本になりそれを子孫へと結ばれていくものです。

私たちの会社は決してユニコーン企業や大企業、テレビなどで有名なベンチャー企業などではありません。しかし、こういう私たちのような生き方や働き方を大切にする会社も社会には必要だと感じています。誰もいかない道だからこそ、私たちがその道を往く。子どもの1000年後のために必要なことだからこそ、誰もしないのなら我々がそれを遣るという覚悟をもって会社を運営しています。

そして同じようにそれぞれの道で自分らしく歩んでおられる方の生き方や働き方は私たちにとっても勇気や励みになり、また知恵を分かち合える同志にもなります。たとえ手段は異なっても、目指している夢や未来は似ているということに深い安心感を覚えます。

一期一会の日々に、どれだけ真心を籠めて生きていくか。

会社としてもっとも大切なことを忘れない日々を過ごしていきたいと思います。