仮想と陰徳

現在、新しい通貨がどうとかこうとか色々と騒がれています。仮想通貨が新しい経済をつくるというのもわかります。もともと仮想というものの定義が何か、IT用語辞典で引くと「実際には無いが、仮にあるものと考えてみること。 仮に想定すること。 ITの分野では慣用的に “virtual” の訳語として「名目上は違うが、実質的には~であるとみなせる」という(本来とは少しずれた)意味で用いられる。」とあります。

仮想は英語では「virtual」と書きます。これははラテン語の「男らしさ」を意味する言葉で「目には見えないがあるもの=事実上の」という意味になったそうです。英単語としては、virile(男性的な)virility(男らしさ)virtually(事実上)virtue(美徳)とあります。

私にとっての仮想は、この「virtue・美徳」に近いものがあります。それで徳積帳を開発したのです。これは「物理的な効力 [virtue] によって本質的に存在することという意味です。つまり、実践することで顕現する効果ということでもあります。これは日本語の仮想の意味とは異なります。本質的な言葉の意味は、「陰徳」なのです。

変なことを言っていると思われるかもしれませんが、私にとっての仮想は陰徳という定義です。そもそも仮想通貨も、通貨の側面を意味しています。価値を道具で交換し合うところから生まれたものですが現代の世の中はお金でなんでも交換できるように仕上げてきました。その結果、ある意味でとても便利な世の中になりました。しかしまたある意味でとても冷めた物質的で機械的なものにもなってきました。

現代、真の豊かさという言葉が出てきているのもまた貧富の差が開く一方であまりにもお金に支配されたこの社会システムにつかれてきた人が増えてきているからかもしれません。

私がこれから取り組む仮想空間は、「場」です。この場には、いのちが宿りその顕現する姿として「道」が現れます。それを「場道」と呼び、現代の人たちが忘れてしまっている初心を思い出すため、暮らしフルネスという体験を通していのちを甦生させていくのです。

現代の社会では、なかなか意味が分からないことをやっていると思われますがそのうち時代が追いついてくるはずです。その時、この仮想が陰徳であったことの事実を人々は悟るように思います。これは宗教ではなく、自然科学の現象の一つを改めて気づき直すということでもあります。

研究者も増え、そして実践者が増えていくとき、私たちはその価値観を学び直し、先人たちの生き方を尊敬し、子孫たちへ徳を譲る世の中にしていけると思います。

私は粛々と深く静かに私の提案するブロックチェーンが実践して具現化したものを表現していこうと思います。ここで根をはり花を咲かせ、実をつけ、そして種になっていきたいと思います。

和紙とは何か

英彦山の宿坊、守静坊の甦生のクラウドファウンディングの返礼品を用意するために和紙の準備に入っています。和紙の定義は、現在では西洋から伝わった製法の木材原料を主とする洋紙に対して、むかしながらの製法でつくっているのが和紙と言われます。他にも手漉き和紙のみが本来の和紙という定義もあります。また最近では原料に三椏や楮が100%使われたり、機械でも手すきに近いものも和紙と定義されたりしています。

何が和紙というのかは、それは個々人の受け止め方ですから厳粛に何が和紙かということはわからなくなってきています。以前、伝統のイグサで畳をつくっている農家さんからイグサは加工品ではなく生産品であるという話を聞きました。つまりいのちあるものとして生きているものだということです。

私にとっての和の定義は、いのちがあるものということになります。そういう意味で和紙は、私にとってはいのちのあるものでつくっているものという意味です。それでは何がいのちがあるのかということになります。

もともと日本の和紙作りの三大原材料として使われているものは楮(こうぞ)、三椏(みつまた)、雁皮(がんぴ)です。この植物を収穫し、丁寧に扱って和紙の原料をつくっていきます。それを和紙職人が、一枚ずつ手で漉いていきます。私もその場面を何度も観ましたが、とても神秘的で神々しい様子です。

その和紙は機械ではでない風合いがあります。これは手漉きだけではなく、最初からずっと完成するまで日本の伝統的精神でつくられているからです。

和というのは何か。

この問いは私にとっては明確な定義があります。それは日本の心でであるということです。日本の心とは何か、それは思いやりのことです。思いやりを忘れない、すべての主体をいのちとして主人公としていのちをすべて全うできるように配慮や尊重があること。

そうやってつくられたものだからこそ、和であり和紙になるのです。

だから自然の篩にかけられても長持ちし、何百年、もしくは千年を超える時間を維持することができるのです。そういういのちを入れるものだからこそ、むかしはお札にも使われていて人々の暮らしを守ったのでしょう。

返礼品は、このいのちをそのままお届けしたいと思います。

英彦山の守静坊から思いやりを伝承していきたいと思います。

徳治の世

自分らしさというものがあります。これは個性でもあり、その人にしかない天命というものもあります。誰かと比較してではなく、その人がその人にしか与えられていないいのちを最大限発揮していくということです。それが自由でもあり自立でもあります。そしてそれが社会の役に立つようになれば人類の仕合せもあります。

社会で役に立つようにするには、みんなでお互いの自分らしさを尊重し合うような寛容な世の中である必要があります。それぞれがお互いに反省し合い、そして認め合う世の中にしていくことです。

誰かが正しい、誰かが間違っているとなっていがみ合えばいつまでも対立構造が変わらず争いが絶えません。しかしお互いに尊重し合うようになれば、自分も正しい、みんなも正しいという具合にそれぞれの違いを認め合えるようになります。

そのためにどうお互いに折り合いをつけるのかを対話するのが人類の叡智です。

人類は、太古のむかしから真の豊かさとは何か、そして真に平和な世界は何かということを何度も何度も反省しては築こうと努力してきました。そして徳による政治を行うことを孔子は説きました。つまり徳治の世にするということです。

自然界というものは、弱肉強食と教えられます。しかし果たしてそうでしょうか。サバンナやアマゾンをみていても、お互いに自制し合い、尊重し合いながら自然の摂理に従ってお互いのいのちを精いっぱい発揮しています。自然界はまさに自分らしくあります。弱肉強食は、何度も立場が入れ替わりますからお互い様ということです。

人間はその自然の尊重し合う仕組みを捨てて、一方的に権力や権威で集団をまとめようとしていきました。その方が、都合もよく実は時代が変わってもこの辺はあまり変化していません。しかし、この時代、情報化も進み、人類も世界と結ばれ、国境もなくなってきました。人類としてどう生きるのか、どう自分らしさによって真の豊かさに近づけていくのかをみんなで対話する時が近づいているように思うのです。

そのモデルをどの国の誰がやってみせるのか、そして深く静かに実践することで形どっていくのか。今、人類は試練の時です。だからこそ、子どもたちのために徳積財団を立ち上げ、徳治の世を実現しようと挑戦をはじめたともいえます。

いよいよ、宿坊の甦生もひと段落して本懐であった徳積堂の運営をはじめていきます。子どもたちに譲り遺していきたい懐かしい未来を今、この時代に甦生して実践していきたいと思います。

心を一つに

昨日、無事にクラウドファウンディングの目標を達成することができました。約60日の間、皆様からご支援、応援、激励をいただきそれが力になりました。思い返すと、最初は小さなほんの小さな活動からはじまりました。協力者もごくわずかで、話も半信半疑、こんなことは夢物語ではないかと心配されていました。

私も必ずやり遂げると決心してからも、数々の困難や試練が訪れ挫けそうなことばかりでした。今度こそは無理かもしれないと諦めそうなところを支えてくださったのは信じてくださった方々の想いに応えたい、裏切りたくないという思いだったようにも思います。そして、いつもその困難な現場に足を運んでくれて気持ちよく手伝ってくださって徳を一緒に磨いてくださる方もおられました。あらゆるご支援いただいた方のその心がどれだけ工事の時の支えになったことか、、本当に感謝しかありません。

特に今回の宿坊は、もともと僧の暮らす家だからこそみなさんの布施を集めて甦生させたいと願っていましたから特にお布施のプロセスを重視して取り組んできました。寄付といよりも、自他一体に徳を喜びあうように全体の仕合せを意識して取り組みました。その御蔭様で甦生も無事に取り組んでこれました。

そして取り組むのにもっとも大事にしたのは歴史をつなぐことです。最初からこのj業は日本の伝統的精神で取り組みたいと願い、かの東大寺の大仏の布施を集めた重源上人や行基菩薩のやり方を参考にしてきました。もともと大仏建立は聖武天皇が自らの不徳を反省して世の中が真に安らぐようにと願い取り組んだはじまりです。しかしここに日本の和の心の原型があると私は感じています。

この聖武天皇の時代は本当に大変で政変、旱魃・飢饉、地震、病気、そして愛する幼子を亡くし、もうこれでもかというような災難や苦難の連続でした。そして天平9年(737)聖武天皇は自ら省みて「責めは予(われ)一人にありと全責任は私一人の不徳であったと定め、そして大仏造立の詔を発します。

そこにはこうあります。

「人有(あり)て、一枝の草、一把(にぎり)の土を持ちて、像を助け造らむと情(こころ)に願はば、恣(ほしいまま)に聴(ゆる)せ」

意訳すれば「もしも、誰かが、一枝の草や一握りの土を持ってきて、自分も大仏造立を手伝いたいと言ったならば、これを許せ」と。つまりどのような小さな力でもいい、みんなで和心を合わせて心を一つにしようと言葉掛けるのです。そして布施を集めて見事に美しい大仏を建立するのです。

私もこの歴史を知った時、涙が出ました。御先祖さまたちはこうやって苦難のたびに人々の心を一つに和合し、大事な局面をみんなで小さな力を合わせて繋いできてくださったのだと。これを参考にしたいと願ったのもこの歴史を学んでからです。

一枝の草、一握りの土、それでもいい。みんなで一緒に心ひとつに徳を積もうとの声掛けにこの苦しい時代を転じて人々を分断から救ったのではないかと思うのです。

はたしてこの現代は、どうでしょうか。今はまさに分断の時代ともいわれています。物質的には豊かになりましたが、心はどうでしょうか。みんなの心は一つになっているのでしょうか。小さな力を合わせて、本当に大切なことをみんなで守ることができているのでしょうか。

宿坊の甦生は、単に古民家を直して観光名所や発信拠点にしようとしているのではありません。むしろその逆です。秘かに静かに平和を守るために先祖たちと同じ気持ちで丹誠を籠めて山の暮らしを慎んで実践していく。そして未来の子孫たちに、その祈りや願いを伝承していきたいから甦生させているのです。

心は形はありません、しかし心はみんなでカタチにできるのです。

この宿坊をこうやってみんなの気持ちを一つにして甦生してこれたこと、自分のこと、そしてみんなのことを心から誇りに思います。御先祖様も喜んでくださったでしょうか。直接の何のメリットがなくても、子孫や未来の徳のためにと真心でご加勢頂いた皆様に改めてこの場をお借りして心から感謝いたします。

皆さんの心のカタチを守静坊でしっかりと守り続けていきたいと思います。

来月にはすべてととのえて、7月初旬には皆さんと苦楽を分かち合うような感謝祭を開催したいと思います。ぜひ徳の余韻を皆様にも感じていただきたいと思います。日時が決まりましたらまたお知らせいたしますので、引き続き見守りをよろしくお願いします。

本当にありがとうございました。

一期一会 令和4年5月31日
一般財団法人徳積財団 副理事長 野見山広明 拝

彦山譜の甦生

昨日は、全国的に有名な立螺師が集まり勉強会が行われました。そこには法螺貝を100個以上持っている方、また倍音を研究するためにホルンやトランペットなどあらゆる楽器を深めている方、他には自作の拭き口をなん本も磨いて法螺貝をつくりあげている方がおられました。

音階もさることながら、あらゆる音を出せ、そしてそこには艶があります。音の余韻も、穏やかで静寂が流れるものから、龍が飛び跳ねるような躍動感のあるものまで、まさに信仰そのものが音に現れていました。

鳴り響いた音がずっと身体の中を流れ続けていて、今朝も起きたときに血液の中を駆け巡っているような感覚が残っています。こんなにも音が全身に宿るのかと、今まで感じたことのない音とのつながりを学ぶことができました。

現在、私は英彦山の宿坊の甦生をしています。もともとこの英彦山の甦生に取り組むキッカケになったのは、宗像環境会議のご縁でしたが法螺貝との出会いは英彦山の有名な修行場での出会いです。

そこで法螺貝に触れてから、急に禊や滝行とのつながりが産まれました。今思い返せば、意味があって私は法螺貝を持つことになったことが分かります。

法螺貝の音は、それぞれの風土によって音色も音譜も異なります。基本は、号令や指令などの合図として使われてきたもので軍事的なものにも用いられましたから合図は秘密です。なので口伝でのみ伝承されてきました。そしてそれぞれの地域には、それぞれの文化があるようにその地域の文化の影響を色濃く受けた立螺師もいるし法螺貝も音譜もあります。

英彦山にはかつて、彦山譜というものがありました。今ではそれはもう残っていないといいます。もしも祈りが叶うなら、その彦山譜を甦生させるお手伝いをしたいと昨日、心に決めました。

何百年、何千年も続いてきたその土地の風土を伝承しその土地の風土になるには、その土地でその文化を甦生させ、極め抜きそのものと一体になる覚悟が入ります。まさにこの土地風土の化身のような存在が音色に出てくるはずです。

未来の子どもたちのためにも、風土や文化を顕現する人の営みや精神、そして伝承の知恵など、あらゆる方面から取り組み、それを次世代へと結んでいきたいと思います。

ご縁に心から感謝しております。

自然のリズム

先日、浮世絵師・廣重の東海道シリーズ「三嶋」の中の三嶋明神前でほら貝を吹く男の図というものを見ました。これは何の図だろうと深めていたら、むかしはお役人さんたちが宿場町で時を知らせるのに法螺貝を用いたとありました。山伏だけではなく、むかしは役場職員たちも法螺貝を吹いていたということになります。そういえば、先日、インドから来られた留学生もインドでは朝や夕方にみんな法螺貝で今でも時を知らせているといわれていました。それだけむかしは、法螺貝は暮らしの中で当たり前に存在した道具だったのでしょう。

話は変わりますが、もともと今のような24時間を分刻みで生きるようになっているのは現代の特徴で少し前までは不定時法といって自然のリズムに合わせた時間が用いられていました。

一日の長さを等分に分割する時刻制度を「定時法」で、これに対して一日を昼と夜に分けそれぞれを等分するやり方を「不定時法」といいます。江戸時代までは日本はこの不定時法が使われていました。つまり昼と夜をそれぞれ6等分し、一単位を「一刻」と呼びました。

これを使えば、一日のうちでも昼と夜の一刻は長さが違い、同時に昼夜の長さは季節によって変化しました。つまり時間が昼と夜と季節によって変わるということです。時間に合わせるのではなく、自然のリズムに合わせた時間を生きていたということです。

そしてその時の呼び方も数字ではなく真夜中の子の刻から始めて、昼夜12の刻に十二支を当てました。一方で子の刻と午の刻を九ツとして、一刻ごとに減算する呼び方も使いました。子の刻が九ツ、丑の刻が八ツで巳の刻の四ツまで行ってまた午の刻で九ツから数えます。これは数字だと、同じ数字が2回出てくるのでどちらの2つとか、どちらの3つとか聞き直すこともあったからでしょう。それで夜の九ツ、昼の九ツ、明け六ツ、暮れ六ツといった区別をつけたのです。泣く子も黙る丑三つ時というのもここから出てきます。

これはよく幽霊が出てくる時間帯といわれ怖がられました。これは中国の陰陽五行のもっとも陰の強い時間帯のことです。陰陽はたとえば「月は陰、太陽が陽」「裏は陰、表は陽」ともなります。そして「丑は陰」で「寅が陽」となり、その中間にある「丑寅(午前3時)」は「鬼門」です。つまり「鬼が出入りする」方角となるため、近い時刻の「丑三つ時」が「鬼門」と深い関係があると解釈されこの時に幽霊が出ると信じられたのでしょう。

むかしの人は昼と夜の時間を棲み分けしていたといいます。昼は人の時間で夜は神の時間だったのです。そうやって自然のリズムで自分たちの働き方を換えていきました。今では働き方改革には自然のリズムが無視されています。そのすべては人間中心です。

私たちの暮らしフルネスでは、自然のリズムを取り入れています。人間が本来持っている暮らしの時間は、今まで生きてきた時間軸を使うことで甦生していきます。子どもたちが真に豊かな時間を持てるように、この時代で逆行小舟と言われようとも子どもの憧れる生き方と働き方の実践を磨いていきたいと思います。

今度、法螺貝で時を知らせてみたいと思います。

身近な自然との調和

現在、「サル痘」という感染症が世界で流行り始めています。このサルという名前がついているのを調べたらあまりサルとは関係がないことがわかりました。このサル痘ウイルスによる感染症は、1958年、最初にこのウイルスが発見されたのが医薬品開発のために集められたサルだったことから、サル痘と呼ばれはじめたそうです。

実際にはいろいろな自然動物の血液を解析したところ、リスやネズミなどのげっ歯類がこのウイルスを持っていてこれらの動物にかまれたり、血液・体液・発疹などに触れたりするとヒトにも感染するということがわかっています。それがヒトからヒトへ感染になると大変です。飛まつ・体液・発疹などに触れることで感染していきます。

ヒトからヒトへの感染はあまりないといわれていますので感染拡大はないといわれてますがすでに20か国で感染拡大があったそうです。

また6月から海外からの入国が緩和されていきますが、これから発生してくる感染症をどのように対応していくのかはまだ解決していません。コロナでここ3年間くらいを過ごし、もしももっと強力な感染症が流行ったらまたどうなるのでしょうか。

人間と自然との共生関係やバランスが崩れて行き過ぎると、すぐにこのようなことが発生してきます。島国の動物たちなどがよく絶滅するのも、本来そこにいない生態系やウイルスが入ってきて抵抗力のない生き物たちが絶滅していきます。

現在、アフリカの奥地にあるようなウイルスや、ひょっとするとシベリアの永久凍土の中にあるようなウイルスも人間の移動や輸送のときについてきます。虫たちも船や飛行機と一緒に入ってくれば、それまでの風土の生態系が崩れます。

感染症の問題は、生態系の問題でもあります。そうなってくると環境問題、つまり人間の問題が産み出しているということですから解決がなかなかできないのです。

ウイルスとのイタチごっこですが、治療薬もそんなにすべてをすぐにつくりだすことはできません。この辺で、冷静になって人類はどのようにこれから本来の暮らしをとのわせていくことが永続する未来につながるのかを身近な実践から見つめ直していく必要があるのではないかと思います。

暮らしフルネスの実践を磨いて、身近な自然環境との調和をととのえていきたいと思います。

 

ハレの精神

宿坊に遺された先人たちの道具を丁寧に洗浄し磨いています。墨で年代を書かれた箱に入った食器などは200年以上前のものばかりです。それくらい前からずっとあるというのは、それだけ多くの人たちが使ったということとそれだけ長く大切に今まで保たれたということでもあります。

お椀などは漆が塗られていますが、だいぶ傷んでおり修繕できるもの、できないものがあります。どれも土台はしっかりしていて、塗り直せばまだ使えるものばかりです。

昔の人たちは、道具や物を大切に扱い、使ったら仕舞っていました。日用品とは異なり、ハレの日や大切な時に用いたものだったからでしょう。今は、仕舞うというよりは倉庫や棚に入ったままになるのでどうしても使わないものになってゴミになって捨てられていきます。

ハレの日に使うというものは、ハレの日が何かということがきちんと定義されていたからかもしれません。現在、辞書でハレの日を調べたら節目のことだと記されます。

このハレの節目というのは、何か物事が転換される時、また何か成長をする大切な時機、種から芽が出るように新たな人生の物語がはじまる時などにケガレを祓い清めて晴れ晴れとするということになります。

心を澄んだものにし、雨上がりの美しい晴れ間のように心を澱みや汚れを洗い流して新たに生き直そうとする日本人の大切にしている生き方を顕すものです。禊もまた同じように、穢れを祓い清めハレるために用いられます。

節目を大切にすることで、心を清め続けたのかもしれません。

この古い道具たちに新たな出番をどう用意していけばいいかと思案しています。この道具たちとのご縁があったからこそ、ハレの日を待ち望む未来のためにさらに寿命を伸ばして大切に今の時代も使われるようにしていきたいと思います。

一期一会の出会いを大切に、子どもたちのために精進していきたいと思います。

託された想い

昨日は、飯塚市でブロックチェーンの記者発表に参加してきました。私がブロックチェーンに関わるようになったのは、友人の高橋剛さんが切っ掛けです。彼が不慮の事故でインドで亡くなってから今日で約4年と2か月が過ぎました。あれから一緒に、彼の夢を受け継ぎしっかりとこの場所に夢を残すと取り組んできました。

私は彼ではないので彼のやってきたこととは違うことをやっているかもしれません。でもその心や想いだけは一緒にやっていこうと取り組んでいます。

そう思えば、他のことでも同じです。託されたと思っている私は、いつも託された想いの方を優先して取り組みます。それを他の人たちからみれば、一見、彼はそんなことをしないといわれることもあります。私は彼と同じ同じではなく、別の人間です。どうやっても同じことはできません。ただ、同じ想いに近づくことができるだけです。

同じ想いに近づいていこうとすると、勇気が湧きます。そしてまるで隣に一緒にいるかのように感じます。生前のその人の気配が身近に感じられ、彼ならどう思うだろうかと考えるようになります。すると、まるで別のことをやっているはずなのに彼も一緒にこの今、ここで取り組んでいると感じるのです。彼の心を身近に感じるのです。

人は身体は失いますが、心はいつまでもこの世に遺っているように思います。それを受け継ぐ人や、託された人と共にあるのです。そうやって長い歳月、私たちは一緒にみんなで託されたものを繋いできました。

繋いできたものがあるから、大変な時でも耐え忍ぶこともできます。つながっている存在に励まされ、応援され、いつも自分の初心を貫くためのお守りになります。

どんなに時代が急変して周囲の評価が変わっても、その想いは何の影響もありません。自分自身が託された想いを胸に、残りの道を真摯に歩んでいきたいと思います。

お茶のご縁

昨日、守静坊である仙人のような方からお茶を立てていただき一服頂戴するご縁がありました。その方は、千利休の時のお茶を甦生させようと真摯に自らを磨いておられる方でした。

茶道具もすべて自分でつくり、その美しい道具のもつ雰囲気に清廉と静寂を感じました。ありとあらゆるものを深くそして高く遊び、まさに一線を超えているその卓越した技に、心が共感しました。私も、自分で色々なことを創造し、その物と対話しながら自分を盡していきますから物をみればその取り組む心が伝わってきます。

素晴らしい先輩がいることを知り、この道の面白さにさらにワクワクする想いがしました。

その方との話で売茶翁(ばいさおう)のことをはじめて知りました。この方は、日本ではじめて喫茶店を開いた方でもあり煎茶の祖ともいわれています。その生き方がとてもユニークで、1675年生まれの方ですが今でもその生き方は人々の心の中で語り継がれています。

この売茶翁というのは名前ではなく、お茶を売る翁(おきな)という意味のあだ名です。本名は柴山元昭、幼名は菊泉といいます。僧侶としての名前は月海で、晩年は高遊外と名乗りました。

禅の心を持つ雲水の中には、本来の雲水そのままである人がおられます。この世にいてまるで五次元のところでゆらりと遊んでいるような風貌の方です。心を自由自在に操りまるで雲水そのものです。

この方の面白いエピソードは、死期を悟り売茶業を廃し、自分の茶道具も燃やしてしまうものです。これは自分の死後、俗世に渡り、売買されるようなことになってしまえば茶道具自身が悲しむだろうと思い一緒に燃やしてしまったそうです。本来の雲水そのものが雲水そのものの道具と共に旅をし遊ぶ。まさに禅の生き方と共にしてきたパートナーだからこそ、一心一体だったのでしょう。

心を遊ぶというのは、奥が深くまだまだ私にはわからないことばかりです。千利休はどうだったのでしょうか。もうお会いできませんが、同じように千利休の求めた心を求めて、売茶翁が行った実践を参考にして、私自身も茶を遊んでみたいと心から感じました。

素晴らしい出会いに心から感謝しています。