団子の文化

今度、ある企画で温故知新した団子をつくることになり改めて団子を深めています。この団子は、日本人なら一度は食べたことがある和菓子だと思いますが改めて思うと長い歴史がある伝統食の一つです。

その定義としては、穀物の粉を水や湯を加えて丸め、蒸したりゆでたりしたものとあります。色々な説があるようですが、長くは縄文時代から保存食として団子があったとも言われます。

また団子は、神饌の1つでもある「粢(しとぎ)」を丸くしたものが原型とされています。「粢(しとぎ)」は、日本古代の米食法の一種になります。これは水に浸した米を原料にさまざまな形に固めたものを「粢(しとぎ)」と呼びます。

日本大百科全書にはこう記されています。

「水で柔らげた生米(なまごめ)を臼(うす)で搗(つ)いて粉状にし、水でこねて団子のようにした食物。生で食べるという点から、餅(もち)以前の正式の米の食法とされている。今日では日常食としては消滅した食法であるが、実体が餅になったり団子になって名称は伝承されている。本来は生食であるが、煮たり焼いたりして食べているので、本来のものを生(なま)しとぎといって区別している所もある。東北地方北部では、年中行事において神の去来を示すときに神供として用いることが多い。静岡県沼津市付近では疫病神を送るとき、しとぎを用いている。地の神、田の神を送るときに神供とする地方もある。四国・九州地方では、死の直後死者の枕元(まくらもと)に供える白団子をしとぎとよんでいる。あるいは死者に供える団子だけをしとぎとよぶ所もある。しとぎを供えることによって死者として確認するわけである。しとぎはほかに、祭りに関与した神人(じんにん)が、これを食することによって神人から常人の状態に戻るとされているなど、広義の意味の生と死の境界時に用いる転生の意義をもつ食物といえよう。しとぎは穀物を火食することを知らぬ時代からの食物とされているが、他方、火の忌みを厳しく考えた時代、火の穢(けがれ)を避ける方法として考えられた食物であったかもしれない。今後の研究問題である。[鎌田久子]」

団子はむかしから霊的な力があると信じられ、供物などに用いられています。中秋の名月の際にも供物として祀り、月を愛でては食べることでその霊気を養う効果があると信じられてきました。

現代までにあらゆる団子が時代時代に発明され、全国各地でたくさんの種類の団子を食べることができています。時代が変わっても、人々に愛され続けてきた団子は日本の文化の一つでしょう。

団子本来の意味をそのままに、現代風にアレンジしたものをつくってみたいと思います。

視座を磨く~心の呼吸~

人間の心には様々なことが日々に浮かび上がってくるものです。何もしていなくても、心は活動していて私たちが呼吸するように心も生きています。

その心に浮かんでくる様々な想念を如何に味わい盡し、如何に磨くかはそれぞれの日々に生き方次第です。生きていれば様々なご縁に導かれますから、その一つ一つの意味を確かめながら歩んでいきます。

そうやって心を高めながら同時に生まれる様々な感情を浄化していき、心を磨いていきます。それが人生の醍醐味であり、天命を生きるということでしょう。

天命を生きるとき、私たちはどの視座で物事を観ているかというものがあります。世の中の常識に合わせて語るときと、悠久の時空を超えて語るときがあります。常識ではわからないようなことも、視座を高めれば自然に観えてくる境地があります。

天命が分かれば使命に気づき、その使命に生きれば心の純度も洗い清められ視座もまた高まります。何のために生きるのか、何のためにそれをやるのか。その初心にどれだけ透徹するほどに心に思いを刻んでいるか、それが日々の修養の糧になっていくのです。

生きていくというのは、成長することであり、真の成長は心を磨くことです。

様々な課題を日々にいただきそれと正対しては今に集中して心に浮かぶ様々なことを一つ一つ丁寧に磨いてご縁を紡いでいきます。ご縁こそ、磨くための砥石であり、その磨き合いが続いていけばさざ波の中で出会う美しい砂浜の貝ように魂も輝きだします。

子どもたちのためにも日々に心の呼吸を丁寧に整え、視座を磨いていきたいと思います。

神棚の徳

先日、ある友人から会社の神棚を設置したいと頼まれ神棚を深めています。神棚の歴史は江戸時代中期頃に、伊勢神宮の「御師」たちが日本全国を行脚し、神宮のお札を各地に届ける中で発生したのではないかというのが有力な説です。

もともと古代の日本では木や岩や山などを神様として敬う風習であったため、神棚はありませんでした。その中で天照大御神が日本で最高位に位置する神様として伊勢神宮が日本各地の神域を代表する最高位の神社・神域とされお札をお祀りするようになり神棚を置くことになったように思います。

当初はお札を入れる簡素なものでしたが、次第に変化して現代では豪華絢爛なものからシンプルなモダンなタイプも出ています。

そもそも神棚になる前には、古代は宝物を納めたり、供物を捧げたりする場所としての棚が設けられました。今でも、神社の前に三宝を置いて供物を捧げます。また、大切な宝物や依り代になるものを大切に保管するためにお社も立派にできています。

私たちの先祖は、稲作を通して様々な行事や儀式を行ってきました。その中で、自然の恵みに感謝して自然の御蔭様を忘れないようにみんなで力を合わせて心を一つになるように文化を紡いできました。

それが次第に神棚を設け暮らしの中で日々に拝み感謝するという習慣をつくっていったのでしょう。最近では西洋建築になり、稲作にも触れる機会が減り、神棚のない家庭が増えてきています。

改めて子どもたちが安心して先祖の知恵と徳が伝承されていくように、神棚から丁寧に暮らしを甦生していきたいと思います。

日本人の魂

もうすでに郷里の古民家甦生に取り組みそろそろ4年目に入ります。昨年末から、取り組んできた私の復古起新の実践を「暮らしフルネス」と命名し、その理論を具体的な方法にして展開をはじめています。

思い返せば、日本人としてどう生きるか、そして子どもたちのために何ができるかと考え抜いて出た結論がこの暮らしを甦生し、文化を守ることでした。文化とは、生き方であり生き様ことで、私たち日本人の魂のことです。

日本人の魂を磨くというのは、暮らしを磨くことで光ります。

暮らしを磨くのは、先祖の恩徳を高め、先人の智慧を活かし、それを次代へ伝承していくということです。民族伝承の知恵こそ、日本人の魂が顕現したものであり、それを磨くことで日本人は磨かれ世界一流の国際人としてこの先の未来でも大切な役割を果たします。

現代では、それが欧米の文化によって取って代われ、日本人は魂が薄れてきています。和魂とは何か、それを突き詰めていかなければこれからの日本が世界で活躍することはできません。

そのためには、まずは建物や通り、町をどのように磨くのかを町のリーダーたちは理念を定め、真摯に取り組んでいく必要があります。誰かが思い切った行動をして、世の中と反対側に走っていかなければならないのです。この時、必要なのは、資金ではなく、人の数ではなく、勇気を出すということです。

日本という文化を大切に磨くことが、自分自身を大切に磨くことにつながります。そして日本の家は、日本の国家のことですからこれを忘れてはならないと思います。

最後に、フランスの人類学者・地理学者、ジャック・プズー・マサビュオーの言葉です。

「日本の家は、現代において、日本民族と日本的魂の誕生のあり方を、普遍の形で示しているのである。家は、家族の母胎であると同時に、日本民族の母胎でもある。日本民族は、家によって育まれ、趣味や感受性、社会の規則や慣習が、家で作られているのである。同じような家を際限なく建て続けることによって、日本民族は、自分自身のイメージを再生産し続けているのである。そのイメージにおいては、過去と現在が普遍に混じり合っている。日本の伝統的な家は、「日本らしさ」の永遠の源泉であり、この家こそが、日本民族にとって、何よりも確実なルーツなのである。」

日本らしさを大切にした生き方を、引き続き高め、和魂の精神を子どもたちに伝承していきたいと思います。

感謝を磨く

昨日、ある法人の理念研修で感謝の話をお聴きしました。この法人の職員はもともと仏教を信仰している方が多く、とても感謝の心を大切にしています。その話とは、同じことをしていても感謝の心でやっているかどうかがとても重要だという話です。

何かのことをやる際においても、実際には多くの人たちの努力や御蔭様が存在します。また食べ物一つを食べるというのであっても育ててくれた人、運んでくれた人、料理してくれた人、そして人だけではなくその生きものを育んだ地球のことまで思いを馳せれば自然に感謝が湧いてきます。

この感謝は、実際に当たり前ではない存在を感じ取っている心であるとも言えます。如何にそれが有難いことか、滅多にないことかと自覚している心が感謝の心であるのです。

人間はなんでも自分の思い通りになる生活をしていると、次第に傲慢になってきてなんでもあって当たり前、なんでも自分の権利であるかのように勘違いしてしまいます。そのうち感謝の心を忘れてしまうと、自分自身のいのちにさえ感謝をすることをやめてしまうことにもなります。

みんな何かの出来事があり、なぜ自分がこんなことにと思う時、静かに振り返れば感謝の心を忘れていたのではないかと思い出すように思います。

忘れるのを思い出すことと、忘れないように日々に思い出すこと。今のようななんでも物に溢れ、人間の都合でなんでも簡単便利に手に入る時代だからこそ心を磨くために、感謝という実践を積み重ねていくことが心を平安にしていくための大切な徳目になっていきます。

時代が変わっていく中で、今が何に気を付ける必要があるか。仏教ではそれを六波羅蜜で説いています。まさに今の時代は、有頂天にならないように気を付けること。それは感謝を忘れないで生きていくという自戒を持つことだを感じます。

当たり前ではない存在に気づくのは、自分勝手な妄念や妄想を払清めることからです。

初心や理念を忘れずに、感謝を磨いていきたいと思います。

 

日本人文化甦生

私たちは日本人としての文化を持っています。それは何千年も前から生きた人々が、暮らしの中で培ってきた心の文化だとも言えます。自然に信仰し、自然に食べ、自然に生き、自然に家族を持ちました。そうやって、長い年月をかけて身に着けてきた知恵や仕組みこそが文化になったのです。

現代では、神様を拝もうとするとすぐに宗教だといわれます。神様=宗教としてそれぞれに宗教の違いを信仰よりも先に語られます。しかし本当にそうでしょうか。

確かに宗教は個人の自由であり、税金もかからないから特別な組織とみなされます。しかし本来、宗教が始まる前はみんな自然に信仰を持っていたはずです。それはアマゾンの奥地やインディアン、各地の少数民族に至るまで何かしらの信仰心をもって自然や先祖を崇拝していますがそれを現地では宗教とは言いません。

つまり本来、すべてのものは文化からはじまっているのでありそれを分類したものが宗教などになっていったともいえるように思います。異なる文化を認めるというのは、それぞれの育ってきた歴史を肯定し認め合うということです。

そしてその文化をつなぐものこそが「暮らし」であり、その暮らしを丁寧に紡いできたからこそ日本人としての本来の役割や個性も世界で発揮できるようになるのです。

人類がそれぞれで移動して分かれてどのように地球に適応してきたかというのは、偉大な叡智であり智慧そのものです。気候変動の中で、また人類の社会を創っていく中で、どのようにその場所で調和させようとしたか。

実際に実験を人生を懸けて行ってくれてきた先祖たちの生き方が、私たちの水面下の意識で文化として醸成され、今に引き継がれ、この先を見守るのです。

今度、私は神社を建立しますがこれは決して宗教として取り組もうとしているのではありません。私はあくまで「文化」としての道を、日本人の古来からの生き方を暮らしを通して甦生させていこうとしているのです。

まさにそれが子どもたちに日本人の心を育て日本人の誇りを思い出すことにもつながると信じるからです。私自身も、日々に手を合わせ、内省し、自然の循環と共に人も一緒に八百万の神々と共に暮らしていくことに仕合せを感じています。日本人の生き方を学ぶためには、古民家も必要ですし、暮らしも必要ですし、暮らしには行事もあるし、神社も必要です。

心を甦生していくのは、日本人の暮らしの甦生からです。

2月4日、立春の日に出現する神社と共に日本人文化甦生に歩んでいきたいと思います。

真の強さとは

何かを守るということで人は強くなります。しかしその守るためには強さが必要です。その強さとは何かということです。

相対的に戦って勝つか負けるかという強さもあります。しかしそういう戦国の世においても、もっとも最上の策は戦わずして勝つともいいます。つまりは、戦わないことこそ本当の強さであるとも言い換えることができます。

この場合の戦わないとは、戦わないために何がもっとも大切かということを考え抜く正対する力を持つということです。

人間はすぐに自分を中心に物事を考えてしまいます。そして自分の価値観で物事を裁く傾向があります。また欲望があり、保身があり、魔が差す弱さも持っています。そういう人間の姿をあるがままにありのままに見つめるには、心の鍛錬が必要になり心の胆力のようなものが求められます。

優しさは強さにもなり、優しさは弱さでもあります。その優しさが本当の意味での強さになるには心を高め、自他を深く見つめ、丸ごと一体善になるように自分を融通無碍に変転自在になるような精進を続けていくことです。

守るというのは、何を守ろうとしているのかを自分自身に問うことです。

その守るものが私利私欲でないものであれば、また忘己利他のものであれば守る強さは偉大になります。

守るとは、常に損得を超えた「徳」を実践するときにこそハタラキます。その徳は、親が子どものために命を懸けるように、また体が自然に自分のいのちを守るように、地球が生命を保持するように偉大なものです。

徳を実践する人こそ、真の強さを持ち合わせる人物であると思います。そして徳がある人は「運がいい」のです。運がいい人は、長い時間をかけて先祖代々に積んできた徳が備わっています。

その徳を引き出し磨く人こそ、人徳者であり強き者であるのは自明の理でしょう。引き続き、徳を磨き、徳に報いていけるように人生のかじ取りを間違わないように取り組んでいきたいと思います。

先駆者の前進

人間は、どのくらいの深さで物事を認識するかでその視座が変わってくるものです。現在、私も異なる分野に進出する中でより深く濃い智慧を持っている人と話をしていると自分の無知を自覚するものです。

自分の無知を理解する人は、勉強不足であることに気づきます。勉強不足があることがわかれば、知らないことを真摯に学び直し、わからないところは信頼する人のアドバイスや指導をいただきます。

無条件に専門家に頼ればいいということではなく、信頼できる仲間を集める必要があるように思います。信頼できる仲間は、親身になって一緒に問題の解決に向けて取り組んでくれます。

無知故に仲間ができ、無知故に成長する動機が産まれます。

知ると知らないの間には、体験という智慧が入ります。体験は、仲間の存在で豊かにもなり楽しくなります。同志や協力者、応援者たちの御蔭でその希望は小さくてもつながり大きく育っていきます。

先駆者は無知との遭遇ばかりを歩み、そこから体験を人々へ語る存在でもあります。先駆的なものはなかなか理解されませんが、時代はその先駆者を追いかけてくるものです。

先駆者の宿命としての大変さは誰もが同じです。試行錯誤は体験の醍醐味ですから、自分の信じる道を仲間たちと共に前進していきたいと思います。

大湯屋建造

近くBAに日本の伝統的なサウナを甦生するために、東大寺を不屈の精神で再建した重源上人の遺した石風呂を深めています。昨日は、山口県で数か所石風呂を見学し、体験し、構造を分析してきました。

先日、フィンランドのスモークサウナで体験したような同じ柔らかい温かさがありましたが800年前の人々の安らぎとつながった感覚があり有難く不思議な気持ちを味わうことができました。

この重源上人は、日本大百科全書によれば「鎌倉初期の浄土宗の僧。俊乗房(しゅんじょうぼう)と号する。紀季重(きのすえしげ)の子で、重定(しげさだ)と称した。1133年(長承2)醍醐寺(だいごじ)で出家し、密教を学ぶ。また高野山(こうやさん)に登り、法然(ほうねん)(源空)に就いて浄土教を研究するとともに、大峯(おおみね)、熊野、御嶽(おんたけ)、葛城(かつらぎ)など深山幽谷を跋渉(ばっしょう)して修行した。1167年(仁安2)入宋(にっそう)、栄西(えいさい)とともに天台山に登り、浄土五祖像を請来(しょうらい)する。1181年(養和1)造東大寺大勧進(ぞうとうだいじだいかんじん)職となり、南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)と号し、広く諸国を勧化(かんげ)して、建永(けんえい)元年6月5日に86歳で没するまで、平氏焼討ち後の東大寺復興の造営にあたった。その間、再三にわたり入宋するとともに、1191年(建久2)には法然を東大寺に招き、南都諸宗の学匠に浄土三部経の講義を開いたという。また周防(すおう)(山口県)阿弥陀寺、播磨(はりま)(兵庫県)浄土寺、伊賀(三重県)新大仏寺をはじめ、各地に堂宇を建立するとともに、備前(びぜん)(岡山県)の船坂山を開き、播磨の魚住泊(うおずみのとまり)の修築、摂津(大阪府)渡辺橋・長柄(ながら)橋などの架橋、河内(かわち)(大阪府)狭山(さやま)池の改修、湯屋(ゆや)の勧進を行うなど、西大寺(さいだいじ)の叡尊(えいぞん)、極楽寺(ごくらくじ)の忍性(にんしょう)に劣らず社会救済事業に尽くした。」と紹介されています。

社会救済事業に生涯を懸けて取り組み、その遺徳が800年後の私たちにまで届いているのですから如何に偉大な思想を持った人物であったかがここからわかります。

私が今回、取り組むサウナにはこの重源上人の理念に共感して取り組んいます。この当時は、建設に従事する人たちが心穏やかに大仏殿を復興できるように人々の労をねぎらい、病や傷を癒す目的もあって湯屋をつくったとあります。

そもそも何のために復興するのか、復興とは何かと理念や本質を追求し決して結果だけを目的に歩んでいたのではないことがわかります。不屈の精神で取り組んでいくなかで、現実の矛盾や境界線を超えて、人々がお互いに心の平安を持つことができることを信じて具体的な形を示していきました。

「人々の心を癒し、そして穢れを祓う。」

私が今回、取り組んでいる復古起新のサウナもまたこの理念によって執り行う覚悟が決まりました。本日は、100年前の鉄の羽釜が神奈川から届き、今週は樽を佐賀まで見に行きます。

病気が増えに増えて、こんなに人々が病に傾いた現状を重源上人が生きていたらどう感じたでしょうか。その当時の予防医学は今よりも洗練されていたことを私は重源上人の石風呂で実感しました。

時代の過渡期に、人々の心を癒し穢れを祓う大湯屋建造に覚悟で取り組んでいきたいと思います。

 

生き方の発信

現在、様々な技術革新によって人類は新たな扉を開こうとしています。私たちはそれを進化と呼びますが、物事は観方によってはそれは果たして本当に進化であったのかというものもあります。

例えば、縄文時代という時代は非常に平和な時代が続き持続可能な生活を維持してきたことが遺跡から洞察されています。また飛鳥時代なども、職人たちの建造物からその時代の人たちの心豊かな暮らしが洞察されています。物がなく、科学技術も進んでいなかった時代は果たして進化ではないのかと思うと考えさせられるものがあります。

人類においての洗練というのは、決して技術革新だけを言うのではありません。人類の洗練とは、敢えて技術革新しないという選択もあるのではないかと私は思うのです。

自然循環が余計なことを邪魔しないように、私たちも余計な邪魔をせずに暮らしていく。如何に、長くこの地球で暮らしていくのかを思う時、果たしてこの科学技術ばかりを追い求めていくことが人類の洗練なのだろうかと疑問に思うのです。

人類が洗練されていくというのは、目には観えない世界をもちゃんと自覚して自律して協力し合っていく社會を築くことではないかと私は思うのです。それは、自分自身がよりよく生きていきながら周囲への思いやりを忘れないでいのちを輝かせて生きていくこと

心安らかに、与えられた場所で自然と一体になって暮らしを営んでいくこと。人類は、何度も何度も同じ課題を向き合い、結局は縄文時代のような生活に回帰するのではないかと私は思うのです。

知識が増えて言葉が増えていくことが果たして進化と呼ぶものなのか。かえって言葉がなく知識がない方が眼に見えない偉大な存在をみんなが感じ取って仕合せに豊かさを築き上げていたかもしれません。

現代に生まれた私たちがそれに憧れないのは、もう環境が変わってしまったからかもしれません。気候変動が如実に目に見えてくればくるほどにきっと私たち人類は、何が洗練された人類なのかということと向き合う日が必ず訪れます。

子どもたちが末永く平和で仕合せでいるために、大人が選択して決断しなければならない日もまた必ず訪れます。今は、時代の過渡期ですからどこまで通用するかわかりませんが、自分の生き方で世の中に生き方の発信を続けていきたいと思います。