耕さないことと耕すこと

自然農を実践していますが耕すという意味がまた少しずつ変化していくのがわかります。もともと自然農では耕さない、虫も草も敵にしないという一つの概念がありますが実際には土の表面を削り草を取りますし、野菜の種類によっては耕すことがあります。そして虫も大量発生すれば、手で取り除いていきます。

つまりこれは形式的な概念ではなく、その背景があるということを意味します。例えば、虫や草を敵にすると農薬で全滅させようとします。自然界には当然、分解者がいたり、共生者がいたりして全体を循環させていますから何かだけを取り除くとすぐに別の問題が出てきます。つまり、「敵」にするのか、「和」にするのかではその取り組み方が異なってくるということです。

自然農では、敵ではなくどう調和していくのかを重要視します。言い換えれば、他の生き物たちへの配慮や思いやりを忘れないということです。つまり敵ではないというのは「優しくある」という姿勢です。自然に対して相手を敵にするのは視野が狭く、相手も生きていくために理由があり生きています。自然界では取り過ぎないのはそういう道理を知り分を弁えているからでもあります。人間界はそれを無視してでも取りすぎますから道理から外れてしまいます。すると自然農では具合が悪いことが次々と発生し健康な畑や農作物が育たなくなるのです。

もう一つ耕さないというのは、農業で耕すのは土を拡販して肥料を足して収量をあげていくためです。一つの土地で収穫できるようを増やそうとすればそこに肥料を足す必要があります。そしてその肥料を土の中に攪拌すれば栄養過多になり作物が大きくなり実をたくさんつけます。栄養過多ですから病気にたくさんかかりますし、その栄養を分解するために虫たちがたくさん発生します。それを防ぐために抗生物質や農薬を散布して対応するのです。また耕すと土中環境が乱れます。具体的には、土の中や野菜の周囲で育っている菌類や虫たちの住まいを崩してしまいます。土の中に住んでいる生き物たちの生態系が豊富で循環がめぐっていたらその代謝物そのものが肥料になります。つまり生き物たちの生きている日々のプロセスが他の生き物たちを活かす肥料になっていくのです。

耕さない方がいいというのは、土の中の生態系まで配慮していこうとする生き方の表現でもあります。環境問題が色々といわれますが、作る段階から環境に配慮していこうとするのが耕さないということもあると私は思います。

ではむかしの人たちは耕すことで畑が醸成され豊かになるといったのは何かということです。これは畑を攪拌すればいいという意味ではなく、その畑でたくさんの野菜を育てて活かし続けるという意味だったと感じます。つまり「耕す=活かす」ということです。

二宮尊徳にも心田開発がありますが、これは心を耕すという言い方もしますがこれは真心を活かし続けるという意味でもあると思います。つまり活かし続ける、使い続けることこそが耕しているのだということ。

自然農の耕さないというのは、言い換えればむかしの人たちは耕すということ。時代が変われば、その言葉の表現も変わっていきますからむかしの言葉を言葉通りだけで認識するのではなくその言葉の本質や本意が何か、それを理解していることが重要なのです。教科書に書いている通りを額面通りに理解するのは、本質を理解したのとは異なるのです。

子どもたちには、本質や本物の体験を幼児期からしてもらう機会や場があることを望みます。実践を磨いていきたいと思います。

生き方の選択

環境問題というのは人間の問題であることは以前このブログでも書いています。そもそも温暖化の原因は人間の影響を受けてのことであり、理由はわかっていても変えることができないでいることでより問題は深刻化してきました。

よく考えてみると、私の幼い時から環境問題のことは言われ続けてきました。レーチェル・カーソンの沈黙の春で農薬や化学物質のことが記され日本でもこれらの問題に気づいて行動していく人も増えていきました。

実際には、ゴミ問題と同じで明らかにゴミの増える量がゴミを出さない量を凌駕しているため問題が深刻化します。ゴミになるものを作るところから解決しないといけないのですが、大量生産大量消費という前提を変えるわけではありませんから問題の原因そのものの根本を解決していないのにいつまでも対処療法ばかりしていてもキリがありません。

そしてこの原因そのものを突き詰めていくと、人間そのものの問題であることにたどり着くのです。それをロボットなどで解決しようとしても、そのロボットをつくっているのも人間であり、人間が関わるから原因はやはりなくなりません。なのでこれは持病がある人間のように病気とうまく付き合っていくしかないように思うのです。

人間は病気を持っています。病気があるからこそ、気を付けることで健康を維持していくこともできるものです。若い時は何をやっても元氣で病気など気になりませんが、歳を経ていくとあらゆる病気にかかっていきます。免疫も下がっていきますから、健康的な食生活、運動、睡眠、心の状態、感情を整えていくような暮らしが必要になっていきます。

私たちの先祖たちは、人間の持っている病気、言い換えれば欲などにも向き合って調整してきました。何でも思い通りにはならない自然の中で謙虚さを学び、生死を尊び、素直さを学び、教えといった智慧をみんなで分かち合って助け合い暮らしてきました。

日本の伝統工芸や伝統文化の中でもその智慧の仕組みが入っているものを感じます。今の時代はスピードが急速にあがり、10年後の未来には何が起きているのかということがあまり予測できません。子どもたちの時代ではさらにスピードは加速していくはずです。

だからこそ、子どもたちのために何を選択するかは私たちの世代の責任でもあります。日々の暮らしの小さな決断が未来を易えていくことを知り、その生き方の選択をしていきたいと思います。

仙人と智慧

今朝から心地よい秋風が吹いています。今が、冬野菜の種まきの蒔き時ということになります。次第に虫の鳴き声が小さくなり、秋ナスも種をつけていきます。夏から秋に本格的に入ったという合図でもあります。

自然は素直で純粋で嘘がありません。人間と違ってそのままの表情でありのままに心を伝えてきます。私たち人間にとっては大変自然災害も、自然界では起きるべくして発生したことであり、特別なことはありません。

しかし人間は、もはや何が本当で何が本当でないかもわからないほどに刷り込まれてしまっていて素直に自然を感受することが難しくなってきています。

これからあらゆる自然災害が発生してきますし、人類の社会も先送りにしてきたあらゆる問題が噴出してきます。その一つ一つを素直に反省し、改善していくことがこれから先を生きる人間たちの生き延びる力、つまり智慧が試されていきます。

智慧は、人類が生き延びるための仕組みであり先人たちが磨き上げてきたテクノロジーとマインド、そしてフォースのようなものです。智慧を使ってここまで生き延びてきて、これからも智慧が必要になります。

自然とどう調和して生きていくか、技術をどの方向に進歩させていくか、どこまでを使いどこまでを使わないかといった分を弁える謙虚さなども必要です。しかしそれはすべて「素直」からスタートするものであり素直でなければ智慧は使えないのです。

私たちが素直を磨くためには、素直を磨くための暮らしが必要になります。何でも人間の思い通りにはならないことを学び、足るを知り自然から学び直してあらゆる直観を高めていくのです。

むかしはこのような人物を「仙人」と呼んだのかもしれません。仙人は不思議なフォースを宿していたといいます。自然に精通し、智慧を使いこなす。まさに素直さの権化ということでしょう。

私はこの年で山伏の生き方にご縁があり、聖地を甦生するご縁をいただきました。なぜ自分がこんなことに携わることになったのかを想うと、その意味の深さを実感するばかりです。

世界はこれから数十年、智慧を学び直す期間に入ります。

智慧を学び直すために志のある人々が世界中から智慧を求めて世界を巡ります。聖地巡礼です。その一つの聖地に仙人を集め、場を磨き、智慧の活用を伝道していきたいと感じています。

まだ周囲は何が起きているのか、何をやっているのかを知る由もないはずですが遠い未来を見据えて粛々と準備を進めていきたいと思います。

文化の正体

日本の現在の文化は、他国から流入してきた文化を日本で作り替えてきたものです。例えば七夕、節分、お月見にからバレンタイン、クリスマスなどもあらゆる年中行事がむかしからあるものと最近できたものも混在しているほどです。

お月見でいえば、最初のルーツはどこだったのかわかっていません。わかっているところでは縄文時代に里芋など秋の収穫として神様に感謝を籠めてお祀りしたところからではないかといわれますがその後は中国からの文化が入ってきて月餅が月見団子になり、十三夜といって2回お月見をするようになりと変化していきます。

日本人はそう考えてみると、他国の文化を融和して取り入れるということができる文化を持っているということです。それは八百万の神々の思想にあるように、私たちはすべてのいのちや文化を尊重し合うという前提の意識があるからにほかなりません。

聖徳太子の時に、和をもって貴しとすると定めてからずっと私たちの先祖たちは尊重し合うにはどうすればいいかを突き詰めてきました。本質さえ一致するのならば寛容さや許しによって認め合っていこうとしたのです。

海外にいくと、それぞれが自己主張して批判し、戦いますが日本人はディベートなどもあまり得意ではないように思います。その分、助け合いや協力などは得意な民族です。

文化というのは、その国の人たちの生き様であり生き方ですから日本という文化をよく観察するとき私たちは仲良くしていくにはどうすればいいかと突き詰めてきた文化を持っているということになります。

現在、世界は身近になり国同士の関わりもとても密接になってきています。権力闘争も、今までのアメリカ一強の状態が崩れ、中国の台頭と共にそれぞれの国々が新しい時代の経済、軍事、政治に入れ替わり新旧が入れ替わってもきています。

そんな中、気候変動をはじめ地球規模の災害が増えてきてますます人類はどのように同じ地球で暮らしを営んでいくのかを考える時機が近づいてきています。そんなに先の未来ではなく、間もなくそれも訪れます。

だからこそ私たちはどのような文化をもっている民族であるか、何が得意でどのような役割を担っていくのかを見つめ直す必要があるようにも思います。私たちの会社では一円対話を実践していますがこれもまた私たちの文化が創造した実践の一つです。

子どもたちに、日本人としての得意が世界に貢献できるように着実に実践を磨いていきたいと思います。

想いの本質

私たちは先人たちの想いを継いで今に存在しています。その想いを継ぐのは、血のつながりもあるかもしれませんがそれ以上に想いで繋がっていくものです。人の一生はあまりにも短く、あっという間に人生が終わってしまいます。

そういう意味では、みんな志半ばで斃れていくのです。だからこそ想いがあるのです。つまりこの想いで人が繋がっていくというのが想いの本質なのです。そしてそれは決して死んでしまったから終わるのではなく、死んでからも続いているものであり生きているから繋がらないのではなく、生きていても繋がり続けるのです。それが道ということでしょう。

人生は誰もが想いを持てば道半ばです。

私の今の取り組みも、多くの方々の想いが繋がって実になっているものです。そしてこの先もずっと同じようにあらゆる人たちの想いが集まってさらなる成果を結んでいきます。

そのご縁のつながりこそ、決して金銭では交換できないかけがえのない豊かさであり私たちの仕合せの本体ということでしょう。

もしもこの世に金銭がなくなったとして、何がもっとも大切だと感じるか。それは私は「ご縁」であると、そしてそのご縁を結ぶつながりの「想い」であると私は思います。

人は想いとご縁で結ばれているものであり、これが仕合せを積み重ねて未来を希望にしていくように思うからです。

だからこそどのような想いを日々に醸成していくのか、どのようなご縁を結び活かしていくのか、そして如何に豊かな幸福の場を創造し続けていくか。ここに生成発展の万象繁栄の根本があるように感じています。

想いは形がないものです。しかし想いこそ、いのちの発する偉大なかたちでありご縁こそそれを結ぶいのちの綱です。今でも目を閉じると、志半ばで去っていた人たちの想いが私に宿っているのを感じます。そして耳を傾ければ、この先の未来で私を待っている想いが溢れています。

子どもたちのためにも想いを力に換えて、私の役目を全うし道を切り拓いていきたいと思います。

微生物から学び直す

私たち人間は微生物でできていますがこの微生物はまだまだ未知の存在です。宇宙空間の過酷な環境で数年間生き延びている微生物もいれば、極限環境微生物といって強烈な酸性、放射能、高熱高温、あらゆる極限環境でも生存しているのです。人間であれば、即死するような環境であっても微生物は生き延びていきます。

もともと私たちの生命はどこからやってきたのか、突然湧いたという説もありますがどこからの宇宙から飛来してきたという説もあります。これをパンスペルミア説(パンスペルミアせつ、panspermia)ともいいます。これはウィキペディアによると「生命の起源に関する仮説のひとつである。生命は宇宙に広く多く存在し、地球の生命の起源は地球ではなく他の天体で発生した微生物の芽胞が地球に到達したものとする説である。「胚種広布説」とも邦訳される 。またギリシャ語で「種をまく」という意味がある。」とあります。

キノコのコロニーのように、小さな微生物たちが集まり形をつくり胞子を撒いて拡散していく。この仕組みで宇宙空間を漂い、あらゆる星々の間を移動しながら自分たちに相応しい生命環境の中で独自の進化を遂げていくというものです。

先日もカビのことを書きましたが、私たちの生活空間には常にカビや微生物が漂っていて根付けるところに定着してそこでコロニーをつくり育ち拡散していきます。同様に、宇宙でも一部は仮死状態になりながら漂い、また最適な環境下にうまく漂い定着できることができればそこで生命活動を活発にさせていくのです。

人間の体内は微生物でできていますし、小腸をはじめあらゆるところで私たちは微生物と感情などを調和していますから微生物が私たちの根源ということも直観することができます。

その微生物たちは私たちの知らない宇宙を知っていて、遠く離れた星からあらゆる銀河を漂い星々に散らばってやってくると思うと何ともいえない不思議なロマンを感じます。

このあらゆる極限状態でも生きられるとするならば、そこでコロニーをつくり定着したものが宇宙人ということも予想もできます。例えば、酸素のない環境下でも生きられる進化を遂げる私達みたいなヒト型のものもあるかもしれません。あるいは、苔や植物のような形で進化したものもあるかもしれません。地球のように水が豊富な環境ができれば、星々はひょっとしたら地球型の微生物群が増えていくこともあるかもしれません。

そんなことを考えていたら、私たちのルーツはどこからやってきたのか。そして多様性は何を根源に今に至るのか、そして進化とはいったい何かということも仮説を立てることができるように思います。

科学が進めば進むほど、宇宙の偉大さ、その設計の美しさ、素晴らしさに魅了されていきます。一緒に生きる存在、共に一つである生命は微生物たちから学び直せます。

子どもたちのためにも微生物の存在に目を向けて、微生物から学ぶ姿勢を忘れないようにしていきたいと思います。

根源は免疫、原点回帰

私たちの身体には、免疫というものがあります。これは病原体・ウイルス・細菌などの異物が体に入り込んだ時にそれを発見し体から取り除いてくれるという仕組みのことです。そしてこの免疫には自然免疫と獲得免疫というものがあります。

まず自然免疫は、生まれつき体内に備わっている免疫の仕組みで元々古来から存在する機能です。これは発見した異物を排除する仕組みです。有名なものに好中球と、NK細胞、マクロファージがあります。このどれも、外部からのものをキャッチして食べて無効化していきます。

そしてもう一つの獲得免疫は、人生で病原体と接触した際に再び感染しても発病しないようにする仕組みのことです。この獲得免疫は、侵入した異物を排除するだけでなく記憶細胞という特殊な機能をもつ細胞に変化し記憶しています。そうすることで、いち早く発見し感染が進む前にキャッチして食べてしまうのです。T細胞とB細胞が有名です。

インフルエンザで例えると、ウイルスが口や鼻、喉、気管支、肺などに感染した場合はまず自然免疫のNK細胞とマクロファージ、樹状細胞などがウイルスをキャッチして食べて駆除しはじめます。そしてそれでも駆除できない場合は、B細胞、キラーT細胞という獲得免疫が今度は活動を始めます。具体的にはB細胞は抗体を作り、その抗体はウイルスにくっついて他の細胞に感染できなくなるといいます。

そうやって私たちの身体は自然免疫と獲得免疫の合わせ技で撃退してくれていたのです。無症状の人がいるというのは、この免疫系が働き無害化させているからということになります。免疫がきちんと働いているのなら、外部からの異物は正しくキャッチされ、駆除され記憶され、ずっと身体を守り続けてくれるのです。

これからコロナウイルスも様々な変異株が誕生してきますし、その都度、ワクチンを開発して対応ではいたちごっこです。私たちの身体は大量のウイルスに日々に晒されていますからやはり今まで生き残ってきた力を磨いていくのが一番です。

その方法は、食生活、運動、睡眠、精神や心の安静、という基本、また体質改善、生活習慣の見直しでできるはずです。つまり暮らしを整えていくのです。暮らしフルネス™は、これらのことを実践するためにも欠かせない智慧の仕組みです。

引き続き、子どもたちのためにも暮らしを見直して伝承していきたいと思います。

微生物を尊重する暮らし

腸内フローラを活性化することで免疫を高めていくというのは、むかしからの感染症予防法の一つです。もはやコロナウイルスは変異し続けていきますし、海外から強力な新種が次々と入ってきますからワクチンや薬ではいたちごっこの様相です。

気候変動も重なりますからますます新手の病気や感染症は増えていくばかりです。こうなってくると自己免疫を高めていく方法しか手段がありません。今の私たちが生存しているということは、今までも自己に備わっている免疫があったから乗り越えてきたともいえます。

この時代は免疫を下げるような生活環境の中で私たちは暮らしています。こういう時だからこそ、免疫を上げるような本来の自然と共生する仕組みを学び直す必要性を感じています。

私たちが免疫を高めるということで最初に思いつくのは、腸内細菌です。腸内フローラが豊かでしっかりとしている人は健康で免疫も高く元気な人も多いといいます。私たちは微生物によって身体を守っていますから、お腹の中の微生物の状態がよければよいほど免疫を高め外部からの感染症のウイルスなどの侵入を防いでくれます。

如何に日々の生活の中で微生物を上手に取り込むかが鍵になります。本来は微生物は空気中も浮遊していますし、自然界の土やほこりの中にもたくさん存在しています。そういったものを日々に取り入れていけば免疫も高まるのですが、食事から摂取するのがもっとも効果的な方法です。私たちは微生物にご飯を食べさせることによってその代謝物をエネルギーや栄養に換えていますから微生物が喜ぶようなものを食べてあげるのが一番です。腸活といい方も今ではしていますが、微生物を尊重する暮らしをしていくことがもっとも免疫を高めてくれたということでしょう。

今、まさにその微生物でもコロナウイルスに効果があるのが酢酸菌(さくさんきん)だといわれています。この微生物は乳酸菌や納豆菌と並ぶ食用の発酵菌の1つです。この酢酸菌は、アルコールを酢酸に変える細菌の総称でお酢になる元です。なので英語では「Mother of vinegar(お酢の母)」とも呼ばれています。

この母なる存在が非常に大きな働きを腸内で行ってくれているのです。どこにいるかといえば、空気中にもいますが梅、ぶどう、柿、りんごや花、はちみつなどにもあります。具体的に酢酸菌をつかった発酵食品には、お酢やワインビネガー、コンブチャ、ナタデ・ココやカスピ海ヨーグルトなどもあります。日本では、黒酢、柿酢、リンゴ酢などあらゆる酢に存在しています。

特に素晴らしい効能は、アレルギーに効果があることです。花粉症をはじめ、あらゆるアレルギー反応を穏やかにする力があります。科学的にも腸内菌叢により産生される短鎖脂肪酸(酪酸、酢酸およびプロピオン酸)という物質が腸管上皮細胞の増殖促進、炎症性サイトカインの抑制作用等による抗炎症、抗潰瘍作用もあると報告されます。

つまりコロナウイルスは、免疫の過剰反応が影響しますからそうならないように予防し続けることで重症化を防ぐことができるかもしれません。先人たちの智慧を活かし、子どもたちに安心した環境が遺せるように自然から学び続けていきたいと思います。

未来の結果

日本の伝統家屋や民家ではよく「ヤモリ」を見かけます。これは家守や守宮とも書き、家を守る存在としてむかしから大切にされてきました。アジアの国々でも、縁起の良い生き物として神様のように崇めているところもあるそうです。

基本的には夜行性ですから昼間は軒下や天井の裏などにひそんでいますから見かけませんが、夜になると窓ガラスにはりついたり、網戸にいたり、障子を走り回ったりと賑やかです。

寿命は長くても10年から20年くらい生きます。冬はなるべくじっとして過ごして春から秋にかけて活動しています。湿気の多い時期、家を壊すシロアリや虫たちが出てきますがヤモリがいる御蔭で人間の手が届かない場所までスルスルと隙間を通って駆除してくれます。他にも私たちが苦手な害虫としているゴキブリ、蚊やハエ、蛾なども食べてくれます。

私たち人間は暮らしの中で相性が善い虫たちと長い時間をかけて共生関係を結んできました。トンボやクモなどもですが、人間に害があるものを駆除してくれる存在です。ヤモリはその代表的な生き物であり、ずっと今まで一緒に暮らしを営んできたパートナーの一つということになります。

このヤモリは爬虫類で、肺があり心臓があります。とても素早いのですが、愛らしい目や顔をしているので近くでみるとなかなかのものです。基本的には臆病で人間にかみついてくることもなく、歯もないので痛くもありません。

それにヤモリはむかしから縁起物として富の象徴ともいわれてきました。他にも夢にでると良いことが起きるなどともいわれています。これだけ様々な言い伝えがあるというのは、ヤモリが出てくるときはいつも何か良いことがあったということ。言い換えれば、ヤモリの後には善いことがあるのではないかという準備をしたということでもあります。つまりヤモリと吉兆の縁を起こすのです。

不思議なことですが、先人たちは子孫たちに大切にしてほしいものを縁起にして善い存在として接していきます。何か自然において私たちにとって有益で共生できると信じればそれが目先の現実では理解できないことでも縁起担ぎをしていくのです。

これは何回も繰り返される経験の中で特に善い結果が出たものをいつまでも覚えていて、その結果につながる前兆をよく思い出し、その前兆であるものを縁起のよいものにしていくという考え方です。つまり幸運を引き寄せていくための智慧と工夫がそこにはあるのです。

ヤモリが縁起がいい、そして幸福や富の前兆とみるのはヤモリを大切にしてきた家が繁栄してきたという歴史的な結果を多く見てきたからでしょう。これは健康であることや、生き物や周囲に思いやりがあることや、場が整っていることなどもあると思います。

そう考えてみるとヤモリは、その人間のかつての結果を伝える大切な存在のような気がしてきました。口伝や伝承、縁起などには必ず結果に元ずく事実があります。その事実は経験の集積によって顕現した智慧ですから、子どもたちの未来の結果のためにもその智慧を伝えていきたいと思います。

湿度から学ぶ

日本の風土は高温多湿です。この時期の平均湿度は74パーセントくらいあるといいます。私の今居る家も、大雨が降り始めましたが湿度は84パーセントあります。これは空気中の水分がどれくらいあるかを示したものです。

私たちの身体は、自分にとって快適な体温を一定に保つために常に気温や気候に合わせて活動をしています。暑くなれば冷まそうとし、寒くなれば温めようとします。この変化が激しいと、それだけエネルギーを必要とするためかなりの負担が身体に生じて夏バテや熱中症の原因にもなるといいます。

一般的に私たちが快適と実感する湿度は40%から60%といいます。40%を切ってしまうと肌や目などが乾燥し、インフルエンザウイルス等が活発になります。そして逆に60%を超えてしまうとダニやカビが活発になります。

湿度によって、ウイルスやカビが活動しますから常に湿度を一定に保つための工夫が必要になってくるのです。現在の住宅では、気密性が高く部屋の空気はこもっています。なので除湿すればすぐに乾燥し、水分が増えればずっと残ります。本来、微風が通れば自然に湿度は一定に保たれるのですが風が通らなくなるとあっという間に湿度の管理は難しくなります。

伝統的な日本家屋は、この湿度との関係を常に意識して設計されてきました。また家屋に使われる材料もどれも湿度を意識したものばかりです。例えば、障子、土壁、畳、建具に囲炉裏などどれも湿度を調整するためのものです。

湿度が高すぎるときは吸収し、低すぎるときは加湿します。つまり車のハンドルの遊びのように、変化が緩やかに発生するように調整する役割を果たしているのです。あとは、もともと隙間が多く、ほとんど外界とつながっているような建て方をしていますから常に風が通り、そのうち快適な湿度に回復して保つようになっているのです。

そうはいっても、梅雨前線が停滞して暑さが厳しいときはどうしようもありません。そんな時は、きっと窓を開けてあとは拭き掃除をしてカビが発生しないようにしたのでしょう。それに冬の極度の感想には、囲炉裏で常にお湯を沸かしてお茶をたてて対処したのではないかと思います。自然と共生していたころは、私たちは湿度を身近に感じて暮らしを営んでいたように思います。

都会では、総合空調で空気清浄機でコントロールされているためあまり湿度とかカビとかウイルスとかも気にすることはありませんでした。しかし田舎に暮らし、伝統的な家屋に住むと如何にそれらが身近であったかを実感します。

見方を変えれば、湿度の御蔭で発酵食品は保存でき、ウイルスなどの予防になり感染症を抑えてくれるということでもあります。それに湿度の変化で身体は常に五感やエネルギーを使いますから自然にお腹もすいて美味しくご飯が食べることができます。

健康を考えたら、自然と共生する仕組みを活かしている暮らしの方が快適に安心して長生きできるように思います。子どもたちに、湿度との関係から学び直すことを伝承していきたいと思います。