自分で考える

人は自立していく上で大切なのは「自分で考える」ということです。この自分で考えるというのは言い換えれば「自分で気づく」という力のことです。人生はあらゆることが自分の中での気づきや発見で彩られていきますから誰かの人生を代わることはできません。

常に自分が自分の人生の主人公になって生きていく必要があるのです。その時、大切なのがこの自分を生きるために、自分で気づく人になるということです。

自分で気づく人というのは、説明が要りません。よく私は変わったことばかりをしているように周囲が見えるようで、またとても遠くのことのために歴史を遡り、損得を度外視して行動していきますから意味不明のことをやっているようにしか感じられないのかもしれません。

その時、説明をするようにいろいろと聞かれますが説明はしても全体のことが伝わるというのはほんのごく一部だけです。その時に、説明がわかりにくいという人もいます。説明ができないからよくないというのです。

確かに人に伝える技術というものを持つことで、わかりやすく誰にでもわかるようにすることは大切です。しかし、それはテレビや報道、記事など、もしくは広告宣伝をする時などにはいいかもしれませんが志や実践、もしくは学ぶということにおいては説明よりも気づくことの方が大切なのです。

気づくというのは、説明は要りません。自分の中で、その実践に近づいていき自らがその本質を掴むために気づくのです。気づくことで、人は真に成長しますし、気づきによって本当のことを掴むことができます。

つまりどんなに説明しても理解できないのは、説明する側の問題ではなく気づく側の問題だということなのです。私は今までの人生で、人生の達人といわれるような一道を究めた人たちに何人かお会いして学びをいただく機会がありました。

その人の説明の仕方がわかるかどうかではなく、どうやって近づこうか、どうしたらこの人の学びの深淵に触れることができるのかと謙虚に気づこうと真摯に取り組んできました。

その人の存在から醸し出される片鱗を感じ取り、言葉にならない実践や生き方などを直観して気づきで近づいてはじめて少しだけ悟りに触れるという具合です。それでも実践してまたお会いすると、気づきの差が観えてさらに学びを深めようとする意欲が高まります。

これを説明してくださいとは言いませんし、わからないのは相手の説明が悪いなどとは決して思うこ思うことはありません。最初から説明してもらおうという学びもないし、そんなに甘えていたら自分で考える力が失われてしまうのです。

今の教育は、なんでも先生や上の人が下の人に教えることが当たり前だということになっています。そして気づくことよりも、教え方がいいとか悪いとか相手のせいにばかりしては自分で気づくことの大切さが伝わっていません。自分の問題だと気づかないくらい、気づくことが失われているともいえます。

畢竟、人生は「気づく」ことができるかどうかで意味が変わります。そして自分で考える喜びや気づくことの仕合せが人生を真に豊かにするのです。

子どもたちのためにも、自ら気づける生き方を伝道していきたいと思います。

持たない豊かさと、磨ける喜び

現在、家に住むのに持ち家とするのか賃貸とするのか、そしてシェアするのかと選択肢が増えてきています。バブル時機から持ち家信仰が広がり、家をもって一人前とされてきましたが実際には家を持つのにローンを組んでそれを支払うために働くという人も多いように思います。

先祖は、家を建てるというのは大変費用も労力もかかりましたから子孫へと家を譲渡していく過程で負担を減らす工夫をしてきました。和の建築が、間取りを自由に換えれるのはその時々で家族構成が変わっていくからでもあります。

現代は住宅事情がかわり、新築を建て続ける仕組みが動いていますから持ち家にせよ賃貸にせよ、すぐに手が出せる仕組みになっています。ただ、簡単に買えるからと買っても家は単なる物の売り買いのようにはいかず、手入れや修繕も必要になります。

車でもそうですが、買って終わりではなく車検をはじめガソリン代、整備代、そのほか、事故に遭遇したときの修理代などを考えると総額は大きくなります。家となると、もっと手間暇も修繕費もかかり維持するのは大変なことです。

住んでいれば、日々に小さな手入れをしますが空き家になってしまえばあっという間に朽ちていきます。人工的に人間が何かをしてつくったものは、どんなものでも必ず手入れしないと朽ちていくのがこの世の道理です。

だから本当は、自分が「持つ」のなら手入れができるかどうかを先に考えなければならないのです。そうでなければ持たない方がまだ手入れが行き届きます。ある一定上の物が増えてしまえば人は手入れすることができなくなり荒廃していきます。

増えないようにすることと、手入れできる範囲で足るを知り持たないようにすることが物を大切にするための心得の一つになるのかもしれません。しかし、持つことは同時に磨いていくことでもあります。いろいろなものが増えて磨けることは仕合せなことでもあります。

掃除ばかりしているように思われますが、手入れの豊かさ、修繕の美しさ、そして大切に甦生させる喜びは寿命が伸びる思いがして格別でもあります。

人類が物を増やさず、分相応の中でも最高の幸福が得られるように暮らしフルネスの実践を楽しんでいきたいと思います。

幸福の原点

昨日は、福岡にある自然農のむかしの田んぼで田植えを行いました。ここは無肥料無農薬で、山水をかけ流しているため沢蟹やエビなどの生き物たちがたくさんいます。

今回は神事も兼ねて田植えをしましたから早乙女の衣装も用意して田植え歌も流しつつ執り行いました。この早乙女というのは、世界大百科事典によればこうあります。

「田植に,苗を本田に植える仕事をする女性をいう。ウエメ(植女),ソウトメ,ショトメなどともいう。本来は,田植に際して田の神を祭る特定の女性を指したものと考えられる。かつては田主(たあるじ)の家族の若い女性を家早乙女,内早乙女などと呼びこれにあてたらしい。相互扶助を目的としたゆい組の女性だけを早乙女と呼ぶ例もある。いずれも敬称として用いられている。田植に女性の労働が重んじられたこともあり,しだいに田植に参加する女性すべてを早乙女と呼ぶようになったと思われる。」

また百科事典ペディアによればこうも書かれます。

「田植に従事する女性。古くは植女(うえめ)ともいい,田植女の総称ではなく,田の神に奉仕する特定の女性をさした。田の神を早男(そうとく)と呼ぶのがそれを暗示する。田植は,豊作を祈る祭の日でもあるので,早乙女の服装は地方によって異なるが,普通,紺の単(ひとえ)に赤だすき,白手ぬぐいをかぶって新しい菅笠(すげがさ)をつける。」

この早乙女は古来から里山の「結(ゆい)」の仕組みとセットで存在し、早乙女たちがそれぞれの田んぼに移動しながらみんなの田植えを手伝いながら神事をし田んぼの神様に喜んでいただきながら豊作を祈り、その場の人たちの仲間を集めながら相互扶助の精神を醸成する役割を果たしたようです。

家々の田んぼをみんなで手伝いながら田植えをするために、早乙女たちが家々の田んぼを巡りながらみんなで明るく楽しい時間を過ごしていたことが目に映ります。豊作を信じて、おめでとうございますという声掛けとともに田植え歌のリズムに乗せて手伝いに来た人たちといっしょに家々の田んぼの稲の苗を植えていく。

きっと、稲もみんなで育てる、田んぼもみんなで守るという意識をもって一緒にその場を磨いていたように思います。田植えをしてからは、草とりから畔の手入れ、そして収穫、はさかけ、籾摺り、脱穀、新嘗祭、しめ縄づくり、藁ぶき屋根の補修などさらに一緒に暮らしていく中での協働作業の機会が増えていきます。

お米という字は、八十八の手間暇がかかるという意味でできた漢字だといえますがその手間暇が協働で一緒に暮らすためのものであるのならこれこそが人類の真の豊かさであることがわかります。

物質的な豊かさや金銭的な豊かさとは別に、暮らしを共にして仲間と助け合い見守りあう豊かさは古今の普遍の幸福の原点です。

今年も稲の巡りとともにしながら暮らしフルネスを楽しんでいきたいと思います。

ふるさとの甦生

私たちは自分たちの「いのち」をいつも見守ってくれている「ふるさと」のことを忘れると、当たり前ではない偉大な「御恩」に気づかなくなっていくものです。今の自分があるのは、御恩の集積の結果でありそれになんとかお返しをしたいと思う心の中にふるさとがあるからです。

今、ふるさとへの恩返しといえばふるさと納税のことなどが言われますが決してふるさとに納税したからといってご恩返しができたということではないと私は思います。一つの手段ですが、かえってそのふるさと納税の問題で村や町が資本主義の影響で荒れてしまいさらにふるさとが消滅していった事例も増えているように思います。

なんでもまず前提に「お金」のことを考える世の中になってから、都市を運営する方法で田舎もやろうとしだしてから田舎の魅力も同時に失われてきたように思います。

本来は、それぞれが個々人でふるさとのために何ができるかをよく考えて取り組んでいくことからはじめることだと私は思います。そのために資金も必要ですが、できるところからはじめていけば仲間が増えてそのうちふるさとが喜び、人も喜び、御恩も喜んでいくように思います。

そのふるさとへの御恩返しにおいて、もっとも大切なことは「魅力」を磨きなおすことです。これは、そこに住む人たちができることですし、ふるさとに戻ってきた人、もしくはそこを新たなふるさとにしようと移住する人たちでもできることです。

それは、その場所の単なる過去の栄光や遺跡を自慢することではありません。もしくは、なんとなく目新しいものや人気があるもの、流行のものを出すことが魅力ではありません。

魅力とは徳を磨いていくことで発揮されるものです。そもそもこの徳と魅力は似ているところがあります。そのままでは魅力は輝くことはありません、あくまで磨いていくことで魅力は高まって光っていきます。

「あなたは自分のふるさとの魅力を磨いていますか?」 そして、「あなたは自分自身の魅力を磨きましたか?」

この二つの問いだけで、私たちは徳というものの存在やふるさとへの御恩返しにつながっていくと私は感じているのです。その場所を、今までよりももっと素晴らしい場所にしていく。もしくは自分の徳を磨き、子孫たちにその徳をもっと素晴らしいものにして譲渡していく。

与えられたものに不満を言ったり、不足を嘆くのではなく磨くのです。それは足るを知り、あなたにしか与えられていないたった一つの天与の道を磨くのです。そうすることが、ふるさとへの御恩返しになるのです。

実際、毎日のように見学者が来て話を聴きにきて説明しますが私が取り組んでいることは実は誰にでもできることです。ふるさとのことを愛する心は、感謝に生きる心でもあります。その心をもっている人は豊かであり仕合せです。その仕合せが末永く継続できるように私たちはふるさとへ御恩返ししていく必要があります。それが子どもたちの仕合せな未来への約束でもあります。

仕事でやることではなく、心をもって魅力を磨くことは個々人でできるのです。

みんなでそうやってふるさとを磨いていけば、光り輝き出したふるさとを観て元氣になっていく人たちが増えていきます。ふるさとが甦生すれば、その土地だけではなく人々も元氣になっていくのです。

日本が元氣になれば世界も元氣になります。

元氣になれば、人間は足るを知り自然との共生のすばらしさ、平和の美しさ、本物や伝統文化の価値を実感しなおすことができます。

引き続き、この場からふるさとの甦生を楽しんでいきたいと思います。

 

暮らしの習慣

一般的なスケジュール(予定)とは別にルーティン(習慣)というものがあります。スケジュールは、決められたものを計画通りに実行していくことをいいますが習慣は暮らしの中で取り組む繰り返しの実践のような位置づけで用いられます。

ルーティン(習慣)を持っている人は、そこに一つのリズムも持っています。毎日を整えていくための一つとしてこの習慣を大切にすることはとても重要なことだと思います。

例えば、私はこのブログを毎朝欠かさず書いています。前の日、もしくは直前までに振り返りをし日々を省みてそこから気づいたことや発見したことを深めたり実践を磨いています。日々に取り組むことで、毎日のリズムができ同時に意識を磨いていくことができています。

この意識には、変化というものを捉えるというものもあります。同じことを徹底的に磨き続けることで前のこととは異なっているものの発見がたくさんあります。同じことをしていても決して同じことは起きることはなく、必ず何らかの変化を感じ取ることができます。

このブログの場合は、以前と同じテーマで書いているのにも関わらず10年前の記事と今書く記事では内容が同じでも表現の仕方や理解の深さ、また言葉の磨き方が変わってしまっています。自分でそこではじめて、日々のルーティン(習慣)によって磨かれたということを実感するのです。

私たちはルーティンを通して自分を磨いていくことができます、別の言い方をすると暮らしの習慣によって自分を変えていくことができるということです。理想の自分、目指している姿に近づけていくためにどのようなルーティンを暮らしの中で実現するのかを決める必要があります。

ここでのどんな暮らしをしていくのかは、つまりどんな自分をつくっていくのかと同義語ということでしょう。

暮らしフルネス™は、この自分を磨いていくための実践をどう豊かなもので満たしていくかということでもあります。足るを知る暮らしのルーティン、自然と共生するルーティン、自分を整えていくためのルーティン、あらゆるルーティン(習慣)は私たちの人生を深く支えているのでしょう。

本物の変化は小さなルーティンの積み重ねと磨き合いによって起こります。これから新しくはじめる新たなルーティンが子どもたちの未来をより豊かにしていくように祈りつつ行動を開始していきたいと思います。

 

 

徳を掘り起こす

明日は、いよいよ徳積堂がオープンする日です。この日を迎えるまでかなりの時間をかけて準備してきましたが、無事に始動できることが仕合せです。もともと徳の循環をはじめるための実験の場として醸成していきましたがこれからどのような変化をこの場が築いていくのか楽しみです。

今回のオープニングイベントは徳の掘り起こしをテーマに古代から今までの歴史を学び直す機会にしています。そもそも歴史とはそのまま真実であり、どのような経緯で今ここまできたのかを明確に顕すものです。

時としてその時代の権力者が歴史を私物化して、真実を歪めていることもありますが本来の歴史はいくら歪めても最後には必ず正体がはっきりするものです。それはそこに「場」が遺っているからであり、その場にアクセスする人たちによって本当のことが次第に明らかになっていくからです。

例えば、日本の歴史では菅原道真公のように如何に罪人であるかのように時の政権が歴史を抹殺して功績をなかったことにしたとしても、その後、ご縁のある人たちや遺跡や文化財などの掘り起こしによってその徳が顕彰されていくのです。

いくら歴史を誤魔化して私物化しても、いつかは明るみになり返ってそのことでさらに歴史の真実や徳は人々に語り継がれるようになるのです。

歴史というものは、今まで歩いてきた軌跡でありこれから何処に向かっていくのかの大切な方針や初心を示すものです。私たちは個人の人生を生きてはいますが、大きな意味としては歴史を生きているのです。この現代もまた、古代から続く歴史の連続の一部であり未来もまた歴史につながり顕現してきます。

今の自分の布置を理解することは、今の自分に譲られてきた徳を理解することでもあります。

私たちが歴史を掘り起こす必要があるのは、自分たちが今までどのように歴史を生き抜き暮らしてきたか。そして先人たちの数々の人生での思いや祈り、願いを歴史とともにどのように暮らし生きていくのか、その遺徳を感受しなおすことで私たちが何を徳としてきたかを甦生させる意味もあるのです。

徳の甦生は、徳の循環のはじまりになります。

子どもたちが、自分たちの歴史やルーツを知ることこそ根のある暮らしを実践することであり、栄養豊富な風土から養分を吸い上げて世界や未来で活躍するための場の醸成になっていきます。

まずはこの時、この徳積堂から子どもたちに確かな未来を譲っていきたいと思います。

徳循環の道理

私たちの身の回りには自然由来のものと、そうではない人工的なものが存在しています。例えば、建築でいえば土壁や柱などは自然由来です。それに対して、ビニールクロスやユニットバスなどは人工的なものです。

本来、自然界は自然が造形したもので仕上がっているものです。それは自然の篩にかけられるなかでも生き残る智慧で存在しているもので形成しています。石も土も木も、また火も水もすべて自然界を維持するための大切な要素を果たしあうことで存在を助け合い半永久的に循環しながら維持しています。

しかし人間が人工的につくるものは、自然に反して本来自然の中で存在しないものを産み出しますから循環することができません。循環しないものは、自然の篩にかけられてそのうち消滅していきます。

つまりこの世の道理としてシンプルなものは、循環しないものは消滅し循環するものだけは永続するということです。こういう真理や道理は、この世にいる限りは変えることはできません。どのような生物にも生死が存在するように、変えることができない事実が真理としてあります。

現代を観てみたらどうでしょうか。

人類はここ百年で循環しないものばかりを産み出してきました。それはゴミとしてこの世にとどまり、自然の消滅を待つまで循環せずにこの世に存在していきます。本来、循環とはお互いに存在そのものが互助と利他で巡っており、お互いの役割がお互いの社会に必要不可欠な共生関係を結んでいるものです。

自然との共生という言い方をしますが、これは自然由来の中に人間も入って一緒に循環の一助になることを言います。里山などはその典型で、自然の巡りを助けるように私たちは自然の資源を上手に活用し、取りすぎず余らなすぎずに適当に分けていただきながらその分、周囲の生き物たち全体を活かそうとしていきます。

私が取り組んでいるむかしの田んぼもまた、生き物たちがいっぱいになるような環境を用意しお米をつくっています。お米づくりは、実は微生物をはじめたくさんの生命たちが水田に溢れ自然の循環を活性化していきます。それにより、水も空気も浄化され、私たちの身体も食を通して循環して浄化されていくのです。

循環というものは、お互いを活かしあうことですがそれは決して人工的に行うものでは廻らず、必ず自然の巡りと調和して発生するのです。私は、これから徳積堂を始動させ循環についてここから発信していきますがそもそも循環が徳そのものであり、循環を促すことが徳を積むことになるのです。

現代では逆行しているかもしれませんが、そのうち何が本来の持続可能なのか。延命治療ではなく、根源治癒とはどういうことを言うのか。気づく人たちとともに人類の未来を切り拓いていきたいと思います。

徳循環の社会実験

今週末はいよいよ徳積堂のオープンです。徳循環の社会を創造すべく、念願が叶いいよいよ「徳」を甦生させる活動を本格化していきます。今の時代の徳とはどういうものか、それぞれの時代で徳の大切さは語られてきましたがこれから新しい時代の幕開けに際しここから新たな徳の真価を発信していきたいと思います。

「徳」においての私の先生といえば、二宮尊徳です。私は二宮尊徳を非常に尊敬していて、30代の10年間はずっと二宮尊徳の遺した言葉や遺跡を歩き、またその言葉の意味をなぞるように学んできました。どの遺した言葉も私の魂に深く響き、それを社業にも反映させていきました。

例えば、「一円対話」というのは二宮尊徳の一円観を参考にしたものです。聴福人は、桜町陣屋の近くの親鸞上人の高田山でのメモ帳にあった言葉で閃いたものです。また今の時代の人たちが捨てるものを拾い集めて甦生するようになったのも二宮尊徳の生きざまから学んだものです。実は他にもこれから私が取り組むもののほとんどは、似たようなことを実行していくかもしれません。

金融に取り組むのも、積小為大からでもあり、至誠、分度なども今の会社経営だけではなく、あらゆる私の取り組みの根底を支えています。それはこの世の自然の真理を活かしたというところに深い信頼があるからだろうと思います。

いよいよ徳積堂を始動するにあたり、既存の価値観との融和するためにその土を醸成していきます。そのためにまず取り組むのは、「推譲」の真価です。

二宮尊徳に「譲って損なく、奪って益なし」があります。

言い換えるのならこれは、みんなで譲っていくことは徳になり、奪うのをやめば徳になる。徳の循環を実現するために、ここから温故知新した社会実験をスタートさせていきたいと思います。

塞翁が馬の会

故郷の旧庄内町(飯塚市)に「塞翁が馬の会」というものを新たに立ち上げました。これは、「結」といった日本の伝統的な互助の知恵を現代に温故知新して甦生させるためにはじめたものです。

この「塞翁が馬」という言葉は中国の有名な故事の言葉で正確には「人間、万事塞翁が馬」といいます。この塞翁は、人の名前ではなく国境の塞(とりで)付近に住む老父という意味でその馬のことを指します。

この故事の内容を日本語に現代語訳すると、「辺境の砦の近くに、占いの術に長けた老父がいた。ある時その人の飼っていた馬が、どうしたことか北方の異民族の地へと逃げ出してしまった。人々が慰めると、その人は「これがどうして福とならないと言えようか」と言った。数ヶ月たった頃、その馬が異民族の地から駿馬を引き連れて帰って来た。人々がお祝いを言うと、その人は「これがどうして禍をもたらさないと言えようか」と言った。やがてその人の家には、良馬が増えた。その人の子どもが乗馬を好むようになったが、馬から落ちて大腿骨の骨を折ってしまった。人々がお見舞いを述べると、その人は言った。「これがどうして福をもたらさないと言えよう」一年が過ぎる頃、砦に異民族が攻め寄せて来た。成人している男子は弓を引いて戦い、砦のそばに住んでいた者は、十人のうち九人までが戦死してしまった。その人の息子は足が不自由だったために戦争に駆り出されずにすみ、父とともに生きながらえる事ができた。このように、福は禍となり、禍は福となるという変化は深淵で、見極める事はできないのである。」とあります。

まるで「禍福は糾える縄の如し」のように、縄をあざなえば上下が交代で発生するように禍福もそのようなものであるということです。この禍とは何か、それは福のことです。そして福とは何か、それは禍のことです。つまり禍福の本体とは一つであり、自分のものの見方と心の持ち方でどうにでも観えているだけということです。

自分を中心に物事を考えていけば、自分にとって禍だとするときそれは周りにとって福になることもあり、自分にとって福であるのは周りにとっては禍であることもあるのです。そしてそれは自分の人生においても同じく、禍福は常に入れ代わり立ち代わり交換しながら訪れてきた半生でした。

例えば、一人の人生においては苦難や失敗があったおかげで気づかなかったことに気づき、それを努力し乗り越えて転じるとき、善いことになるものです。または逆に、楽をして上手くいったからと福を満喫しているうちに見落としたことが増えて気が付くとそれで転落することになるものです。かつて二宮尊徳は、余話の中で「禍福二つあるにあらず、元来一つなり。」といいました。それをこういう話で例えます。

「包丁で野菜を切るときは福だが指をきれば禍になる。柄をもって切るか、指を切るかの違いだけだといい、次に水を使った田んぼの畦の例えから、畦があれば田んぼは肥え、畦がなければ田んぼは痩せる、その違いは水は同じでも畦があるかないかのみとしました。さらには富も、自分のために使えばそれは禍になり、他人のために使えば福になるとし、同じく財宝も貯めて使えば福になり、貯めて使わなければ禍になるのだ」と。

結局は、ここでも禍福とは同一のものでありそれはその人の転じ方次第であるといいます。つまり禍福が問題ではなく、如何に「活かすか」にかかっているということです。

私は「活かす」というのは「禍いを転じて福にする」ことだと定義しています。そして禍福を一円のように丸く融合させるとき真の平和が人々に訪れます。

「塞翁が馬の会」と名付けたのは、物事に対してそういう初心を忘れないで取り組んでいこうという気持ちからです。偶然に発足した会ではありますが、この会の生き方や心の持ち方が故郷の人々、そして風土、暮らしを甦生して日本、世界を平和に導いていけるように禍福を豊かに味わっていきたいと思います。

甦生の目的

藁ぶきの古民家の甦生が中盤に入ってきました。傾きを直してからは床板から天井板の設置をはじめ梁の修復や柱の補強をしています。どれくらい前から傷んでいたのか、まさに満身創痍ですが一つ一つ丁寧に修繕されていくたびに家が喜び甦ってきているのを実感します。

一つの家を甦生するのには本当に多くの人たちの手が入ります。むかしは専門の業者さんたちだけが取り組むのではなく、近所の人たちや縁戚関係、他にも仕事仲間や地域の方々などが手伝ってくれて家が建っていたのだろうと推測できます。

棟上げの際の御餅まきも、直会も手伝ってくださる方が多かったから存在していた行事であったことがわかります。このプロセスそのものが家を建てる中に入っていたように思います。

一つの家を建てる、そして一つの家を直す。これは家を守ることを学ぶだけではなく、家族を守ること、地域やふるさとを守ること、そして国を守ることを学んでいた大切な教育と伝承だったのでしょう。

その教育や伝承の仕組みが失われれば、同時に守ることを学ぶ仕組みも消失したことになります。今の日本の問題はこの家をみんなで直すということがなくなったところから始まっているような気もしています。

これは単にリフォーム業者にリフォームを頼めばいいという話ではありません。それでは先ほどのお金で家を業者に建ててもらうだけの話と一緒になるからです。以前、ある古民家を甦生した際に、家主さんが近くに住んでいるのにほとんど一度も現場に見に来ることがないことがありました。

その際、日ごろあまりものを言わない大工棟梁が家主さんに自分の家に愛着がないのかとなぜ見に来ないのかと諭していたことがありました。家は単に物ではなく、深い愛情をかけてはじめて建つものです。愛情のないものを建てても、そんなものが大切な家族を守ってくれるはずはありません。

家は、大切なものを守ろうとします。その家を治すということは、その守りたいと強く願う家を守りたいというさらに強い思いによって甦生させていくのです。私の取り組む甦生は、単に家をリフォームするものではありません。

一体何を甦らせているのかということを感じてほしいのです。

今、私たち人類は大きな節目を迎えています。物に溢れて経済成長し続けて豊富な資源を使い切る寸前まで贅沢な生活をお金によって得ています。しかし自然界では、この人類のつくってきた幻想的な豊かさは本来の姿ではないものです。今は、まだギリギリでお金によって幻想を保つことができていますがそれもまもなく終焉を迎えるほどに資源が枯渇してきています。

私たちは何が本当の豊かさであるのか、そして何が仕合せであるのかを真に問われる時機に入っています。

私の甦生は、単に古民家再生して利活用するためにやっているのではないのはそもそもの初心や目的が異なっているからです。子どもたちのために、何を譲り遺してくのか。今の世代の責任をどう果たしていくのか、それをプロセスすべてて伝道し伝承していきたいと思っています。

新たな甦生が、世界を易えていけるように真心で取り組んでいきたいと思います。