教育の本質

私の人生を振り返って見ると最初に「教育」というものの本質に気づかせていただき、この道を教えていただいたのは吉田松陰先生だったように思います。もちろん、学校の先生には色々と教えていただきましたがはっきりと教育とは何かということを直観したのは松下村塾だったように思います。

17歳のころにその教育という愛に気づいてから、ずっと毎年欠かさず松下村塾へは参拝とご報告に伺っています。そもそも人を教えていくという道は、偉大な愛があります。愛を受けた生徒たちがその後もその愛に報いようと志を立て、己を磨き、學問に勤しみ修養し続けていきました。

肉体が滅んでも、心は燦然と輝き魂は永遠に生きているような至誠の生き方や後ろ姿に励まされ草莽崛起の立志の御旗は150年経っても色褪せません。まだ国防は終わってはおらず、何をもって国防とするのかということもまだ問の中です。

吉田松陰先生は、教育というものをこう定義しています。

「教えるの語源は「愛しむ」。誰にも得手不手がある、絶対に人を見捨てるようなことをしてはいけない。」

常に愛をもって人に接するというのが真の教育者ということでしょう。それは相手の徳性を深く厚く慈愛をもって見守っていく太陽やお水のような生き方をしていくということです。そしてこうもいいます。

「どんな人間でも、一つや二つは素晴らしい能力を持っているのである。その素晴らしいところを大切に育てていけば、一人前の人間になる。これこそが人を大切にするうえで、最も大事なことだ。」

「人間はみな、なにほどかの純金を持って生まれている。聖人の純金もわれわれの純金も、変わりはない。」

愛するというのは、条件をつけないということでしょう。大事なのは、自分が愛したかということであってそこに教育の本質があるように私は思います。

そして松下村塾というものの偉大さを感じるものにこの言葉があります。

「自分の価値観で人を責めない。一つの失敗で全て否定しない。長所を見て短所を見ない。心を見て結果を見ない。そうすれば人は必ず集まってくる。」

日本人の今まで伝承してきた教育のかたちは、「子どもたちを愛しむ」という真心にあるように私は思います。時代が変わっても、私たちの民族の中に脈々と流れているその伝家の宝刀を如何にこれからも大切に守っていくか。

これから日本がどのような状況に入っていくのかは混迷を深めていきますが、条件に左右されることなく子どもたちのために真心を実践していきたいと思います。

場のハタラキ

場のハタラキというものがあります。これは自分が直接的に何かをしなくても、その場がその代わりにハタラキをするということです。これは別の言い方では、やるべきことは全てやってあとは運や天命に任せるというものにも似ています。

これは自分でやると小さな力でも、その小さな力で大きな力を引き出すということにもなります。テコの原理なども、小さな力で大きな力を使います。場のハタラキは、これにさらにもっと偉大な力を使うということです。

例えば、場には想いが宿ります。他にも時が宿ります。重力も宿り、引力も宿ります。他にはいのちが宿り精神が宿ります。つまりありとあらゆるものを器の中に容れて宿らせることができるのです。そしてその場は、目には観えませんが偉大な調和が生れその中で奇跡のようなハタラキをはじめます。これは、物事がなぜかうまくいったり、不思議なご縁を引き出したり、一期一会の見事なタイミングがあわせたりします。

なぜかその場にいけば、いつも物事が善いように運ばれる。なぜかこの場所に来ると心が落ち着き、不思議と話も仕事もうまくいくということが発生するのです。

それがそのようになるのは、その場を創っている人が中心にあるのは間違いありません。ではその場をつくる人は何をしているのか。それは日々に心のお手入れをして場を調えているのです。場を調えることで場のハタラキはさらに活性化していきます。そのためには、生き物に接するように、あるいは神仏に仕えるように謙虚に丁寧に実践していくしかありません。

私は場道家として、場の道場でこのような場のハタラキを研究し実践していますが次々に場のハタラキが可視化され、多くの人たちに感じてもらうようにもなってきました。私が取り組んでいるのは、単なる場所貸しではなく、場のハタラキを受けられる場を提供しているということでしょう。

1000年先の子孫たちに伝承されていくように、まだまだ長い時間をかけてじっくりと醸成していきたいと思います。

心を活かす生き方

中村天風先生という方がいます。この方は今から約150年前に誕生されのちに天風会というものを創設し心身統一法というものを生み出して多くの方々に影響を与えました。

私もはじめて志のため海外へ留学する際には、自分の弱い心を奮い立たせようと座右の書として何回も読み直しました。その後は、就職して営業職についてからもいつも名刺の中に中村天風先生の言葉をメモし仕事の合間の車内の中で何回も言葉に出して発していたことを覚えています。

その中で最も私が影響を受けたのは、積極思考というものでした。これは、消極的な生き方をしないということ。病気も弱い心もすべてはこの自分の中にある消極的な思考が引き寄せているというものです。

例えば、病気になるとだるいやきつい、熱があるなどから不安になったり心配事が増えて、そのうち治りも悪いと不平や不満ばかりがでてきます。本来は、その病気は自分の免疫をつけてくださっている大切なものであったり、自分を見つめ内省する機会いなったり、あるいは病気の治癒に専念できる有難い周囲の方々や両親をはじめ会社の人たちなどの存在があっているのです。不平や不満や不安や不信などが、消極的な生き方を育て、そのことによって永遠に病気の根源が治癒しないのです。それを積極思考にして絶対安心の境地に入る時、不思議なことに私たちは病気そのものの根源が絶たれるともいいます。

これは「生きる姿勢」の話でもあり、「心の在り方」でもあり、どんな今でも真摯に生き切ったかといういのちの根源との繋がりの話です。

天風先生はこう言います。「絶対に消極的な言葉は使わないこと。否定的な言葉は口から出さないこと。悲観的な言葉なんか、断然もう自分の言葉の中にはないんだと考えるぐらいな厳格さを、持っていなければだめなんですよ。」

消極的精神に対してのどうあることが積極的精神であるか、こういいます。

「どんな目にあっても、どんな苦しい目、どんな思いがけない大事にあっても、日常と少しも違わない、平然としてこれに対処する。これが私の言う積極的精神なんであります。」

常に平然と平常心で対処していく、それがまず積極的な精神を持つということです。そしてこうもいいます。

「運命だって、心の力が勝れば、運命は心の支配下になるんです。」

どんな状態であったとしても心の力が消極的なものの打ち克てば運命すらも心が支配できるというのです。そして心についてはこう言います。

「心も身体も道具である。」

道具のように大切に使い使いこなしていけば、いいというのです。だらこそ常に人生に対して、心と体を心身統一していこうといいます。

最後にこうもいいます。

「人生は生かされてるんじゃない。生きる人生でなきゃいけない。」と。

頭で知識で理解することができても、それを自分のものにするには常に日々の自己を磨き続けなければなりません。日々に様々な出来事が発生しても、それをどのように受け取り、心と身体を使って感謝や歓喜に換えていくのか。人生の醍醐味というのは、この小さな体験をどれだけ厚く豊かにしていくかということかもしれません。

子どもたちや子孫の仕合せのためにも、先人たちが人生をかけて遺してくださった生き方や知恵を実践で伝承していきたいと思います。

場の徳

人は場を通して心を広げていけるように思います。それは波紋のようなものです。波紋は波動ともいえます。お山の中にいて、色々な生き物たちの音が聴こえてきます。この音は、波紋として全体に響きます。その音は、水の音や風の音、そして植物の触れる音、鳥の声、虫の羽ばたき、木々の揺らぎなどあらゆるものが自然の波動を合わせていきます。

その合わせていくものに心を寄せていくと、次第に境界線が取り払われ少し遠くで行われる波紋も感覚が拾うようになっていきます。身体の中にある様々な感覚と一体化していく感じです。それを感じていると、お山全体の波紋や波動を感じます。

たとえば、深夜の静けさに包まれているときのお山の状態。そして朝から昼にかけての状態、一日のの中で何度もその波紋や波動を感じます。すると、次第に自分がお山になっているのかのような感覚を得られます。すると、とても穏やかで静かな心になります。シンプルに心地いいのです。この心地よさというのは、心が地に着いているということでしょう。別の言い方にすると、落ち着いているということです。

心は場に落ち着くと、心は全体と結ばれていきます。心地よさというのは、波紋や波動が好循環して調和しているということでしょう。

お山には、そのような調和を司るいのちが宿っているようにも思います。お山にいき静かに瞑想をし、あるいは自然と結ばれると心が落ち着くというのはお山自体にそういう場があるからです。

その場をどう守っていくかというのは、如何にその靜けさを保つかということに他なりません。英彦山の宿坊で、ただ一人閑かに暮らしていると先人たちが何をこの場で取り組んできたのかが感覚的に伝わってきます。

先人たちが磨いてきた場の徳を、これからも大切に守っていきたいと思います。

徳は永遠の道

「懐徳堂300周年供養祭×徳が循環する未来の甦生シンポジウム×ブロックチェーン経済」を無事に開催することができました。有難いことに徳を実践する方々やこれから取り組もうとする方々が集まり温かい雰囲気に包まれた「場」になりました。

最初は、みんなで場を調えることからはじめ蜜蝋などで場のお手入れをしました。そして床の間に集まり法螺貝奉納後、懐徳堂の創設者や學主をはじめ関りの深いご縁のある方々と、この活動を深く支援してくださった方々、また参加者のご先祖様たちをご供養して念仏とご焼香をみんなで行いました。

会場を移動し、真ん中のテーブルをみんなで囲んでシンポジウムを行いました。シンポジウムでは、懐徳堂のその当時の歴史的背景や人物模様、また資本主義がはじまったころから今の成熟していくまでのプロセスでそれぞれの人物たちが何を思い、どう語ってきたかなど先人たちの遺徳を偲び学び直しました。人と人の繋がりの中にある徳を積む話にはみんな深く共感していたのが印象的でした。また贈与や布施、徳積という人間本来の結び合いから新しい技術を通して懐かしい未来やこれからの可能性についても話しました。また世の中の変革は、上からではなく底辺から一人からというのも印象に残りました。

ブロックチェーン経済のところでは、この2年間の私の徳積帳の経過や反省点や課題点、そして可能性や思いなどについて話をしました。同時に、本来のブロックチェーン技術は循環や徳積であることが望ましいこと、技術の前に人間が自分に打ち克つことの価値などを同志や開発者から話がありました。

その後は、みんなで車座になって火鉢を囲み懐徳堂の甦生を試みました。34名ほどの参加者が、それぞれに尊敬する生き方や今回の学びで気づいたことを語り合いました。涙する人もいれば、深く自省している人もいて、またそれぞれの言葉に励まされ元氣や勇氣をたくさんいただいたという言葉が多かったのも印象的でした。それぞれの場で、それぞれに挑戦している人たちだからこそ一人ではないと実感されたように思います。

最後は、直来をして朝から地下水と備長炭で竈で炊いたむかしのお米のおむすびと、伝統在来種の高菜や自然食の副菜、きのこ汁をみんなで食べてとても豊かな時間を過ごすことができました。おやつには、日本最大饅頭の柏屋さんのお饅頭をいただきました。

多くの徳積スタッフがお手伝いいただき、居心地のよい場をつくってくれています。BAでは自然農の畑や田んぼのように、多くの自然に見守られ健やかにいのちが育つ場が醸成されています。有難いことで、自然の叡智には感謝しかありません。

論語に、「徳は孤ならず必ず隣あり」という言葉があります。

まさにそれを実感する素晴らしい一日になりました。懐徳堂も300年前、「人の道」を大切にしようと志してはじまったといいます、先人たちが志たような場をこれからも何度も甦生していくことでその遺徳を継いでいけるようにも思います。

長い時代のなかで、人はずっと人の道を大切にしてきました。少し時代が揺さぶられて道から離れてもそれもほんのわずかな時間です。また原点回帰して元の道に戻れば、そのあとを子々孫々たちが歩んできます。

徳は永遠の道です。

引き続き、場を磨き、場を調え、場と和しながら徳を積み、子どもたちのために今できることを真摯に有難く取り組んでいきたいと思います。

 

自然學問の実践~場の道場~

もともと私たちは自然からあらゆる原理を学びます。その理由は、私たちは自然に活かされ自然がなければ生きていけない存在だからです。この水も空気も太陽も植物も土も微生物もすべて存在しているから私たちの肉体をはじめ精神は健康を保つことができます。その自然の恩徳をいただき存在するからこそ、私たちはその恩徳の存在の根源は何かとその自然學問への探求心が磨かれていくようにも思います。

この自然というのは、言葉で切り分けた自然ではありません。自分も入っている自然ですからもっと突き詰めれば自分というものも存在しない、あるいは自分も渾然一体になっている自然のことです。

その自然の原理というのは、観察によって磨かれます。農などはまさに観察の學問です。自然のハタラキのありとあらゆるものを観察して察知し、その原理を活かして暮らしを成り立てます。むかしの人たちは当たり前に學問に励み、自然に精通していたともいえます。

そして同時に人間のことも観察します。人間の存在が顕す自然の原理をよく観てそれを「孝」として察知し學問を磨きます。人間の徳が、孝によって磨かれ高められ自然に深く厚く循環を恩恵をめぐらせることを発見します。

発見した原理を如何に実践するかというのが、この世の中の経世済民家であり今では経営者といわれる人たちかもしれません。経営者は、自分の経営からということであれば世界人類皆経営者ということになります。

論語大学に、明徳の道はとありますがまさに自然の道はと言い換えれば孝の実践です。人間がいつまでも自然のままであること、これを古来の日本ではかんながらの道とも言いました。

また原理を具体的に実践した人に、二宮尊徳先生がいます。

この方に「たらいの水」理論の実践があります。これはたらいを使って、世の中が丸くなっていること、つまり自然が一円であることを説きました。今では地球を外からいくらでも科学的に観察できますからこの原理は自然の原理であることはもう誰にでもわかります。その中で、二宮尊徳先生は「欲心を起して水を自分の方にかきよせると、向うににげる。人のためにと向うにおしやれば、わが方にかえる。」とし、贈与していく実践を見せてはそれが如何に循環して最終的な偉大な恵みになって帰ってくることを可視化しました。

この思想は、一円観ともいい私もこの思想の原理と同じ意識で徳が循環する経済を実現させようと挑戦しています。これを「場」に投影させるということが、今の私の実践です。

そのため私が「場の道場」を創設して、場のハタラキがどこまでその徳を循環させるのかを観察する実験場としているのです。

今回、その実験の一つの節目としてどのような働きがあるのかがまた新たに観察できます。たらいの水の理論は、私に言うとまず一円であること、そしてお水が宿していること、そして循環すること、さらには浮かんでいるということ、最後はそのたらいそのものが生きているということが重要です。

徳は永遠に巡り、それが子々孫々へと恵みます。

今の時代だからこその面白さを、學び治していきたいと思います。

ふるさとの宝

私たちの暮らしている場所にはそれぞれに固有の風土があります。この風土とは、その地域の自然環境のことです。しかしその自然の中には、単なる気候や土や環境のようなものとは別にその地域の人々の気質や生活文化、そして醸成されてきた性格を含めて様々なものが混淆しています。これらを括って風土ともいいます。

その風土が生んだものの一つに特産品というものがあります。これはその地域でしかできない、その地域固有の個性です。食文化などもその影響を大きく受けています。私たちが観光である地域を訪れ、その地域の素晴らしさを実感するときにその地域の特産品をその場所で食べると驚くほどに美味しく感じ、その地域の魅力に深く魅了されます。

私もかつて旅行でその地域の特産品を食べて感動して、それを持ち帰ったり東京で食べたりしましたがあまりその時のような感動がありませんでした。その「風土の中で」というのが最も重要だったことがわかります。風土には、人物空間、歴史や伝統などありとあらゆるものが混然一体になっているということでそれを深く味わえるのです。

この特産品の「特」というのは、特別の特のことです。この「特」の字はもともと古代中国の象形文字です。元々は牛に関する特別な印を示す意味で、牛をさしていたとされています。それだけ他とは異なる最も優れたものが牛だったということでしょう。特許や特有などといってむかしから大切なものの総称としても使われます。

そしてこの特産品は辞書で引くと「ある特定の国や地域でのみ生産 されたり、収穫 される物品のことでその地域を代表しその土地の気候風土を生かした物品のこと」とあります。

似た言葉に名品、名産品というものがあります。これは「その土地でしか作られないわけではない」ものです。その地域で売れていたり有名なものが名産品です。

しかし不思議なことにこれだけ重要な名産や特産の違いはあまり気にされず、言葉の意味や使い分けの部分は曖昧なままに偽物が年々増えているように思います。産地偽装や原材料の不透明化、さらには加工している時に大量の化学添加物を入れたりその土地の人や道具、あるいはプロセスなども無視したものでもまるで本物のように出回ります。世間では原材料も一部は違っても100パーセントと言っていいとかの規制緩和があったりして?ですし、他にも色々と調べれはきりがないほど「グレーゾーン」な部分が増えるのが当たり前で世の中は誤魔化しばかりです。それこそDAOの技術であるブロックチェーン技術も今は偽装を防ぐためばかりに使われています。

海外ではブランド品が模倣され様々な問題になっています。信じて買ってみたら、実際には偽装されたものだったとなれば売る方も買う方も悲しい気持ちになります。そうならないようにと、色々と対策を立ててはいますが売り買いする方も見た目ばかりを誤魔化して販売してきたことで、本物を見分ける力も失われているものです。

例えば、食に関する特産品であれば生産から加工販売まで全てを正直に自分で取り組んでいる人は偽装はしません。首尾一貫して本物にこだわり、伝統文化を守り風土と共に生きる人は偽装できません。それを「現場に見に行けば」すぐに本物かどうかは見分けがつきます。ただ、儲けに目が眩んで正直に取り組まなくなれば品質は下がります。

農業であれば、農薬や肥料をつかい機械化し大量生産をし種を改良しとすれば本来の風土の味が劣化していきます。加工でも便利なものを使い時短をし添加物などで誤魔化せば味が劣化します。また販売する方も、見た目ばかりで消費者が買いそうなものにデザインし流通にのるように価格をコントロールすることでさらに味が劣化します。

つまり正直に取り組まないから味が劣化するわけで、正直に取り組んでいれば味はその風土を体現するような本物の磨かれた味わいが出てきます。味に出るから本来は誤魔化せないはずなのですが、味を目や脳みその思い込みで食べている時代はなかなか本物を見分ける本能や感性も劣化してしまうものです。

話を戻せば、特産品というものは本来は「ふるさとの宝」です。このふるさとの宝をどう甦生して、そのふるさとの魅力を開発していくかはその志事に関わる人たちの大切な使命であるはずです。

それに気づいている人たちが地域の宝を守り、その宝を守る時にブランド化するということでしょう。みんなで守ろうとしなければブランドはできません。まず何が地域の宝なのか、そしてその宝をどう守るのか、それが将来の子どもたちや子孫へ何を譲り遺せるかにかかってきます。私が取り組む古民家甦生もですが、現在の消費優先の利益吸い上げ型の仕組みに気づき宝を磨いて守っていくような経世済民型の仕組みに転換していく必要性を感じています。

核心は常にこの宝を何にするかにかかっています。

引き続き、人類の本当の宝を磨いていきたいと思います。

徳積帳のヒント

江戸時代における日本最大の私塾に日田の咸宜園があります。これは豊後の三賢人の一人、廣瀬淡窓が開いた私塾です。三賢人は他には、梅園塾の三浦梅園、西崦精舎の帆足万里があります。それぞれ独創的で本質的な教育者で和の系譜を伝承されています。

廣瀬淡窓は、敬天思想の実践者で「万善簿」をつけて善に取り組みました。これは毎日善を積めれば白丸、そうではなければ黒丸、毎月集計して白丸を増やしていき一万の善を積むというものです。この善は、別の言葉では徳ともいいます。毎日徳を積んで、一万回ということでしょう。日々の暮らしを善や徳を意識して実践するというところに、この咸宜園の理念を感じます。

咸宜園の「咸宜(かんぎ)」は中国の詩集「詩経」の言葉fr「ことごとくよろし」という意味になります。これは徳を活かすという意味とも言えます。また実際には身分、学歴、性別を問わず誰でもどんな人でも入塾ができるという三奪法(さんだつほう)」というものを定めます。年齢や地位や職業など問わないで人間本来の學問を一緒に取り組むということでしょう。

むかしの私塾の創設者や學問を立てた人たちは、その人格のすごさや内容の素晴らしさにいつも感銘を受けます。これは伝統技術や伝統工芸でもむかしの人たちのつくり上げたものに現代の人たちが叶わないのと同じです。それだけ人格が磨きあげられ、暮らしが丁寧であったことが想像できます。

廣瀬淡窓は、學問への姿勢として「淡窓詩話」の中でこういうこともいいます。

「天下ニ廣ク流行スル説ハ。其説必ス浅近(せんきん)ニシテ一偏(いっぺん)ナリ。如此(かくのごとく)ナラザレバ。中下等(ちゅうかとう)ノ人ヲ引キ入ルゝコト能(あた)ハズ。予ガ如キ漠然タル説ハ。迚(とて)モ人ノ耳ニ入ラズ。是亦子莫カ中ヲ執リテ權ナキノ類ナルベシト。自ラ一笑シテ止ミヌ。」

意訳ですが、「天下に流行している学問の極端な説は、浅はかで偏っているから人気があってすぐにうける。しかしそういう俗うけするものはそういう浅はかな人たちがばかりが集まってくるものだ。自分のいうような当たり前の説は、ほとんど広がらないし俗うけしないし目立つこともない。これは中庸であるからで、極端ではないからであると。いつも笑って受け流している」と。

これは現代の珍しい著書やニュースや偉い人たちが極端なことをいってテレビなどで注目されて人気が出ているのを見てもよくわかります。みんな新しい説や極端な説ばかりを探して、メディアはそれを取り上げては情報ビジネスで儲けています。しかし、本来の中庸とは「あたりまえ」のものです。それは空気や水や光などの自然の道、あるいは暮らしという生活と意識であったりもします。

私も日頃から話していて世間からみるとそんなの知っているということを何度も地味に伝えています。しかし知っているだけで実際にやっていないのならそれは知っているとは言わないものです。知りたがりが増え、知ることが目的になってしまえば、あたりまえの本質的な意識を改革するような暮らしは遠ざかる一方です。一人の暮らしが変われば世界が変わるといっても、今は10億人が変わることの方が変わったという時代です。

本当のことを學ぶは、人の教育の理由と本質であり、人格を磨くことにおいてはまず「あたりまえ」から共に學び直しはじめましょうということかもしれません。それは古今問わず誰にでもある普遍的な「暮らし(生活)」からということでしょう。むかしの私塾が全寮制であったり、共に師弟で薫風するのを見つめているとその本質を感じます。

私もこの場で暮らしフルネスを実践していますが、引き続きあたりまえのことを丁寧に取り組み徳を積んでいきたいと思います。

ご縁を結んだ存在

人生を振り返ってみると、人生は出会いによって形成していることがわかります。生まれたときから亡くなるまで、誰に出会ってどのような生き方を教わり何に氣づいて感じたかということの連続です。

その出会いには、現実に人生の節目で深く絆を交わし関わった人もいれば先人や偉人といったすでにこの世に身体はなくてもその生き方を場や伝承において影響を与えてくださったものがあります。

そのどの出会いも、それぞれの人たちの人生で深く関わっているものであり私たちは目には観えない何かのご縁に導かれ続けているということになります。ご縁の繋がりの中に私たちは生きているということでしょう。

これは当たり前のことですが、ここから自分の人生が俯瞰できます。出会う人たちはご縁を連れてくる人たちです。何か必要なご縁の結びがお互いに必要であり、それを分け合うのです。つまりお互いに必要としあうということです。私たちの身体は言い換えれば、そのご縁のために必要ということにもなります。

亡くなった人たちはこの世にはいませんが、ご縁の中には生き続けています。ご縁があるのは、そのご縁を結んだ存在があるからです。そのご縁を素直に受け取り、そのご縁を活かしていけば自ずから自分が身体で体験していくことが俯瞰できます。つまり、ご縁をどのように活かしてきたかというのが自分の人生を映すからです。

この世でどのような人たちと出会ってきたか。

それは単に大勢に出会ったからいいのではなく、どのご縁に導かれているかということが重要なことなのでしょう。そしてご縁を活かすように最適な時機が訪れるのを素直に待つ心がご縁を尊重していく一期一会の人生のようにも思います。

映画やドラマのように仕立てられた有名人や偉人のような劇的な出会いのように演出しなくても、ご縁の世界ではダイナミックに毎日のように時空を超えて感動の連続を味わっているのです。魂や意識というものの変化は、四季の巡りのようにいのちの喜びを味わっているように思います。

静かに自然に寄り添い、安らかな暮らしをご縁と共に結んでいきたいと思います。

盂蘭盆会の徳

先日から自宅で今年の分の落雁をつくり盂蘭盆会のお供えをはじめています。今回は菊の花を象った木型をつかい美しい菊の落雁ができました。以前、このブログでも紹介しましたが落雁は室町時代に中国経由で日本に伝来したものです。

落雁の名前の由来は中国では軟楽甘という名前からというものと、平たく四角形に固められた表面に胡麻を散らせた様が近江八景のひとつ「堅田の落雁」に似ていたからとも。実際の内容は、仏陀の百味飲物(ひゃくみおんじき)が由来です。これは目連という僧侶が亡くなったお母さんが食べられるようにと供養に用いたところがはじまりです。

実際に手作りで落雁をつくってみると、その一つ一つの工程が供養に結ばれていることが分かります。私たちは誰かのことを思いやり、真心で手作りするとき手から供養が入ります。物質的なものの見方だけではなく、たとえ目には観えなくてもこの世には魂や思いのようなものが存在します。

例えば、「場」というものにおいても追善供養といっていつまでも亡くなった方の遺徳を偲び、いつまでもその人への感謝や魂への尊敬を失わないでいるといつまでもこの世に存在し続けています。目には観えないし直接に触ることもできませんが、意識を通して触れ合うこともでき、同時に冥福を祈るように供養をすると心で通じ合うこともできるように思います。

お経やお香、お水やお光など、また声や音などを通しても伝わっていくようにも思います。私たちはそういう目には観えないものを「場」で感じることができるのです。

私が場を調えて、場を磨くのは、目には観えないものの存在によって私たちが謙虚に覚り反省しさらに世の中を明るく徳が伝承していくような実践をして豊かさや仕合せを感じるようにしていきたいからです。

私たちの存在は、親祖をはじめ祖先からずっといただいてきた何かでできています。それも徳の一つです。その徳を大切にするために、私たちは先祖へのご供養をします。先祖を思い慕い冥福に感謝するとき、同時に自分自身の徳へも感謝していることになります。

この盂蘭盆会の時機は、一年でもっとも豊かな暮らしが味わえる時間です。丁寧に真心を籠めて、場を調えて先人たちの遺徳の全てにここから祈りたいと思います。