今を生きる責任

昨日は、無事に20周年の振り返りを行い21年目に向けて気持ちを新たにしました。これまで支えてきてくださった方々の存在の大きさに改めて感謝する一日になりました。今では、本当にたくさんのご縁に恵まれ、私たちを今も応援し一緒に歩んでいく家族やパートナーが増えました。本当に有難いご縁に深く心から感謝しています。

よく私は大切なことを語るときに「懐かしい未来」という言葉を使います。しかしこれは決してむかしが一番いいからむかしに戻そうと言っているのではありません。最近は、コロナが流行してから以前みたいに集まりたいとか、むかしみたいに海外旅行に行きたいとか、すぐに過去がよかったというような言葉を聞きます。しかし今この時、この瞬間はすでに過去ではなく未来そのものになっています。

だからこそこの今である未来そのものが一番いいとなっていることが仕合せであり、そうやってこの一期一会の今を刷新していくことで懐かしい未来を継いで仕合せをさらに守っていったように思うのです。

先人たちは、自分たちよりも子孫が不幸になってほしいなどと願ったことはありません。今の自分たちの仕合せを同じように、子孫たちにも譲っていきたい、もしくはもっと仕合せになる世の中を創造してほしいと心から願ったはずです。そこには自然界のように無償の愛に満ちています。

だからこそ、今を生きる責任をもっている私たちはこの今をかつての先人や先祖たちが願ったように仕合せな世界にし、また同じように子孫にその仕合せを繋いでいきたいと思うのです。

人は人からされたことをまた他の人にしたいと思うようになります。この連鎖は、ずっと変わらずに今もこの世を支えています。だからこそ謙虚に、子どもたちの仕合せを願い誠実に今を善いものにしていくために精進していく必要があるのです。

過ぎた過去は戻ってきません、その過去を善かったものにするにはこの今をまさに善くしていくことだけに専念していくしかありません。今を見て今に生き切るのは、その時々のご縁を大切にしたいと願うからであり先人たちのような美しい生き方を子孫に繋いでいきたいと思うからです。

今があることに感謝して、いのちと調和していくことが真の豊かさになり心のままに生きることのようにも感じます。これからもいただいてきたご縁を感謝で結び直して、新たなご縁を結んでいきたいと思います。

20周年

起業して20周年を迎え、これから21周年目に入ります。多くの方々にご支援、ご指導をいただいて20年間、子ども第一義の理念に取り組んでくることができました。本当にありがとうございます。

振り返ってみると、最初に会社を立ち上げたときのことを思い出します。満を持して会社を起業したという感じではなく、周囲から押し上げられるように会社をつくることになったのを覚えています。そして最初のスタッフは友人や兄弟などからはじまりました。夢や希望だけはありましたが、他にはほとんど何もなくまさに裸一貫のような感じでした。

それが次第にお客様とのご縁が増え、事業も増え、スタッフも増えていきました。会社としては利益が増えたのですが、目的から少しズレていくのを修正するばかりにエネルギーを奪われて疲れていきました。そこから理念を定め、理念経営に舵を切り、色々な事業や取り組む内容をととのえていきました。老舗企業を研究し、どうしたら1000年続く会社になるのだろうかと試行錯誤しているうちに会社もスリムになり、今に至ります。

この今も、裸一貫のような気持ちで続けていますが家族が増え、同志が増え、子ども第一義の理想に向かってみんなで手を取り合って挑戦を続ける日々を送らせていただいています。

カグヤという会社は竹取物語が由来で竹がよく使われます。この竹には節目があり、節目があることが成長の証でもあり柔軟にしなやかに逞しくなっていく由縁でもあります。

会社の節目は何だったのか。思い返すと、たくさんあります。事件ばかり、感動ばかり、ご縁ばかりの20年でした。今日は、みんなで東京のライトハウスに集まりその節目を振り返る一日になります。

これからも子ども第一義の理念を実践し、1000年先の未来から逆算をして私たちにしかできないことをやり遂げていきたいと思います。

ウェルビーイングではなく暮らしフルネス

現在、資本主義経済の行き詰まりをはじめコロナによる経済の低迷、また戦争による閉塞感など世界は暗い情報が増えています。そんな中、ダボス会議ではグレート・リセットといって今までの価値観を見直し、前提から見直そうという声が出ています。

リセットというのは、最初からやり直すという意味です。

シンプルに言えば、これは今のやり方ではこれ以上難しいから最初に戻すということを言っていますがではどうやって戻すのかということは議論されていません。それは戦争によって破壊されて縄文時代のように戻ることをいうのか、もしくは原点回帰というように人類が何を求めているのかということを真摯に考えて前提をひっくり返すのか。どちらにしても、それも人類が選択できるということなのでしょう。

具体的には下記のようなことがいわれています。

  1. ビジョンの再定義:自然との調和を保ちながら、社会のニーズに応える
  2. 透明性の確保:環境、社会、経済のパフォーマンスに関するデータを開示
  3. 外部性の内部化:環境的及び社会的影響を認識し、負の外部性を減らす
  4. 長期的なビジョン:会社、社会、自然を含む全ての重要な利害関係者に利益を
  5. 人を資産にする:社内の声を優先する
  6. 生産のローカライズ:エネルギー源や財源、流通のローカライズ
  7. サーキュラーエコノミーへの切り替え:環境および社会システムとの共存
  8. 多様性を受け入れる:価値観、所有構造、財務の多様性を認識

確かに、現状を維持しながら変革をしようとすると今の社会の在り方を換えていくことで幸福に近づこうとするのはよくわかります。しかしこれで本当にグレート・リセットするのかということどうでしょうか。

私は、そもそもの大前提がこれで変わっていくとは思いません。これはこれまでを換えようとはするのですがこれまでとの対比の中で大前提が変わることはないからです。

現在の行政の仕組みや国家の在り方なども根本は変わりません。それは今の仕組みを走らせながら新しい仕組みを入れようとするからです。一度知ってしまった便利さを手放せないように、人はそう簡単に元に戻ることはありません。そして長い時間をかけて教育してきた価値観を忘れることもなかなかできないからです。手段は目的を超えられません。目的を換えるには、具体的な智慧が必要でそこには常に今を磨き続ける努力が必要だからです。

私はこれまでのことを対比するウェルビーイングではなく、今を温故知新し根源的に甦生させる暮らしフルネスというものに取り組んでいます。これはもともと幸福を目指しているのではなく人間の暮らしをととのえていくことを実践していく方を目指しているのです。

今、世界は現状を換えずに変化することをみんな求めていますが今の国の仕組みがいつまでも変わらないようにそんな大きな変化はないように思います。しかし、時代は必ず後押ししてきて原点回帰するときが訪れると思います。

大事なのはその時、その原点回帰するものが残っているかということです。私が文化や知恵を伝承するのは、子どもたちがそれを受け取れるようにするためです。今の社会をどうするのかという運動は、私の役割ではないように思います。

私の役割は、一つ一つの先人の智慧を甦生し、実践し、歴史を紡いでいくことです。どの時代も、本当は同じ課題と向き合い続けて今があります。むかしも今も、本質的には人間の課題はなくなっていません。だからこそ、智慧が必要なのです。

子どもたちに智慧が伝承できるように、ウェルビーイングではなく暮らしフルネスを実践していきたいと思います。

変化の創造

成熟してきた業界のことを観察していると、今までの仕組みが邪魔をして変化が停滞していしまっているところがよくあります。その時代時代に、課題がありそれを解決するためにはじまるのですがその時に作った仕組みやシステムが陳腐化してくるのです。

その時は、それでよかったものが時代が経つとそれが変化の邪魔をするのです。そもそも移り変わっていくということが分かっていれば、移り変わる中で何が今の時代の要請なのかということを常にとらえて学び続けることができます。しかし、日々の忙しさに追われてそんな時間が取れなくなると次第に移り変わることを忘れてしまいます。

あまりにも目先のことや日々のことに追われていくと、人は変化に疎くなるのです。

変化していくためには、少し忙しさから離れて世の中の変化をよく見つめ直す時間が必要です。もしくは、忙しくしない日々を生き、常に変化というものを見つめる観察眼を養う必要があるように私は思います。

かつての人たちは暮らしの中でその観察眼を磨いてきました。

日々の小さな変化、自然の変化に目を凝らし、小さな虫一つ、植物の変化一つを気づき、そこから世界の変化を予測していました。自然界にも兆しというものがあり、世界の反対側で起きていることでも小さな自然の変化から想像することができるのです。

今は、テレビやインターネットで世界の反対側の情報も映像などで入ってきますがむかしは長い時間と小さな変化を観察することで情報を入手したのでしょう。もともと地球は球体ですから、投げたものは長い時間をかけて返ってくるものです。これは意識の変化も同様です。歴史が刻まれていく中で、人間の意識も少しずつ変化していきます。

コロナがあり、戦争があり、人間の心理や感情も刻々と変化していきます。

毎日は同じように見えても同じことは一つもありません。

その時々によく観察し、原点回帰しながらも何が変わったのかを見極めて順応していくしかありません。昔と比べてではなく、まさに今がどうなっているのかに集中するということでしょう。

子どもたちの未来のためにも、新たな変化を創造していきたいと思います。

暮らし方

人はそれぞれに人生を生きていますが、その中で暮らしがどうなっているかはその豊かさや仕合せを左右するものです。例えば、芸術や文化、音楽などを含めそれがなくても毎日仕事をしてお金を稼いで毎日、忙しく生きてはいますがそれで日々の暮らしが潤うかというとそうではないことはすぐにわかります。

ある人は、毎日の生活に潤いがありまたある人はそれがない。それは環境もあるかもしれませんが、本来は生き方が決めるのであり、その生き方が暮らし方を決めているということもでもあります。

どんなに忙しい毎日であっても、暮らしがととのっているのであれば潤いのある日々を過ごしていくことができるのです。

私の場合も、周りからみると結構暇そうに過ごしているように見られることがあります。特に古民家で炭火でお茶を沸かしてゆったりとおもてなしやおしゃべりをしていますから余計にそう思われます。

私のことをあの人はもう十分儲かって稼いでいるから仕事をしなくていいなどと言われたり、話が長いし時間がゆったりだから気を付けないとすぐに時間がなくなってしまうよなどともいわれます。しかし実際は、結構な忙しさもありやっていることを話すとよくそんな時間がありますねというくらいいろいろとやっています。ただそう見えないだけといことです。

それを考えてみると、私の場合は「今」というものを大事にします。また人生の座右の銘は一期一会です。その瞬間に真心を籠めていきると決めていますから、忙しくても心まではそうならないようにと噛みしめながら味わっています。毎朝毎晩、振り返りをしてはその余韻から気づいたことを反芻しています。

自然に触れたり、花をめでたり、炭を感じ、音を聴き、光を観察しご縁を味わう。そうやって少しの隙間に、今、この瞬間を楽しむのです。

暮らしは、暮らし方でもあります。

人生は一度きりですから、悔いのないよう潤いを忘れないように過ごしていきたいものです。子どもたちにも、多様な暮らし方を選択できるような場をつくっていきたいと思います。

守静坊の徳

英彦山の宿坊と関わりだしてから、お布施や喜捨をしていただく方とのご縁が広がってきました。大変有難いことに、最初から見守ってくださっている方の応援や支援は困難を乗り越えるためのとても大きな勇気をいただけます。

現在、クラウドファウンディングなどで幅広くこの活動を知っていただきたいと思って取り組んでいますが、実際には喜捨いただくのはほとんどが知り合いの方ばかりです。名前を拝見するたびに、拝みながら有難うございますと心で感謝します。そして、この方に英彦山や宿坊からの徳が循環しますようにとお祈りします。

私に対しての真心の応援を受け取りながらも、同時に家を甦生させていただく器として恥ずかしくないように心を澄ませて宿坊の甦生に精進しています。余計な我が入ってこないように、他力を引き出し偉大な徳力によって完成するようにと祈り続けます。

今までとは異なるのは、ここがもともと坊でありむかしのお寺であったということです。お寺だからこそ、一人ひとりの皆様のお布施によって甦生させたいと誓い取り組んでいます。今、そうなっていることを改めて感じて、本当に感謝の心でいっぱいです。

宿坊がいくら完成間近といっても今も相変わらずの一進一退で問題は次々と発生します。先週末に茅葺をするために天井を開いたらシロアリが天井にまできていて大事な梁などがだいぶ食べられていました。そこから傾きがでてきて、まだシロアリが残っている可能性もありこれからシロアリ業者さんと調査しつつ、どう補強するかと大工さんと相談していきます。また大工事です。

もう予算がどうとか言っている場合ではなく、200年後の未来のためにいい加減な工事をするわけにはいかないと真摯に丹精を籠めて甦生に手を抜かずに取り組んでいます。

有難いことに、自分で取り組んでいますから覚悟次第ですのですべて正直に純粋に自分で決めることができます。家と対話し、家から学び、家の声を聴き、家が喜ぶように甦生していけます。そして家が完成した暁には家の持っている徳によって人が感動してくれ恩返しをしてくれます。

守静坊は、磨いてみると本当に光が神々しく、清々しい気を放つ場所であることに気づきました。飯塚の聴福庵も時が沈み重く落ち着きますし、たくさんのいのちの存在が尊重される和の空気感を場に放ちますが静けさはこの宿坊の特徴の一つです。最初に名前を付けた人からずっとこの徳を磨いてきたのがわかります。

きっとこの先も都会の喧騒や、過度なストレスなどを受けて疲れている人がここに来て法螺貝をゆったりと聴けばきっと心身が恢復して初心が回帰していくでしょう。

もう少しでそんな未来が拓けてきそうな予感もしています。皆さんからのお布施や喜捨は、まずます徳の循環を促し多くの人たちを救い、仕合せを分かち合える場の養分や栄養になっていくと思っています。

そのようなお手伝いをさせていただけたことに深く感謝しています。

引き続き、皆さんと一緒に徳を積んでいけると嬉しいです。

守静坊の枝垂れ桜の徳

守静坊の枝垂れ桜を見学しに沢山の方々が訪れていました。もう何十年の前から訪れている人、最近知ってはじめて来られる方、色々な方が来られます。辺鄙なところにありますからほとんど場所も見つけられないところにあります。それでも桜を見に来てくれているのを感じると、ここに一つの出会いと一期一会があります。

私たちは花を見ます。しかしこれは花の方も私たちを見ているということもわかるはずです。お互いに見つめ合ってその心を通じ合うとき、私たちは花に心を映されて感動するのです。

自分の心が花の美しさを見て、その美しさを感じる心とつながるのです。

私たちの心というのは、目で見ている以上にその目には映らない何かを感じ取っています。私たちは自然の中に存在しているその何か、私はいのちともいいますがそれを心が観ているのです。

この地球のすべてはいのちを持っていることがわかり、いにしえの時代にはそのいのちが常に観えている時代があったのでしょう。日本でも、研ぎ澄まされた神社などはその姿がいつも観えるように自分を整え心を澄ませています。他にも飛鳥時代などの大工さんや職人さんを調べると、確かにその方々にもいのちが観えているのがわかります。

私たちはいのちをいちいち確認していたら、何もできなくなると思いそのいのちから一定の距離を持つようになってきたのでしょう。しかし、繋がっているいのちの世界から離れたことによって私たちは心を忙しくするようになっていきました。心が忙しくなることで、頭で処理するようになりましたがその分、本当の豊かさや仕合せからも遠ざかったともいえます。

人間は戦争を繰り返しますが、戦時中でも美しい心を保ち続けた人たちの姿もあります。真に地球に住む生命を保ちたい、真の人間のままで素直を保ちたいとみんな自分に打ち克って生きていました。

花は、そんな人間の心をよく知っているのかのようにいつも美しい心のままに私たちに正対してくれます。花のいのちは短いといいますが、私たちはこの花のいのちをみて心を落ち着かせることができます。

花も多種多様、心も多種多様、しかし、その花が持つ美しさに魅せられて心は動いていきます。

この守静坊の枝垂れ桜も孤高の美しさ、その心を映してきます。老齢になっても、理想を失わずいつまでも情熱を持ち気魄を放ち永遠の若さを宿す枝垂れ桜。

この枝垂れ桜に恥ずかしくないように、真摯に甦生に取り組んでいきたいと思います。

 

英彦山の甦生のはじまり

昨日は、英彦山の宿坊、守静坊に120人以上が集まりみんなで茅葺屋根の茅を運び入れました。大きなトラックで6台分くらいあったでしょうか。一軒の家の屋根にこんなにも大量の茅を使うのかと驚きます。先日、阿蘇に茅を刈りにいきましたがその作業も大変な作業でしたからこれをこの数と思うと、改めて職人さんたちの労力や仕事に頭が下がる思いがしました。

現在、この宿坊は昭和のリフォームで茅葺屋根がトタン屋根に変わっています。もう地元で茅を育てている人たちもなく、みんなで茅を葺く文化も消失しました。できないのだから他の方法でということで、トタンになったのでしょう。トタンは便利で、茅を丸ごと囲いますから茅に雨が染みこむこともありません。茅は、そのままにしていると傷みますから定期的なメンテナンスが必要になります。

むかしは、常に囲炉裏に火が入っていたから茅も燻されて防カビや防虫などもしてくれ長持ちしました。現代は、燻すこともありませんからすぐに茅も傷んでしまいます。どう考えてもトタンからわざわざ茅葺にすることは見た目が良いメリット以外には大きな費用がかかるし、この先もずっとメンテナンスできるかという問題があるからと二の足を踏む人が多いといいます。それはよくわかっています。一般的には無理だと諦めるかもしれません。しかし、私は別に家をリフォームしているのではありません。

私は、古民家甦生を通して日本の懐かしい未来を甦生しているのです。なので茅葺屋根は私にとってはメリットしかないのです。やらない理由はまったくないのです。この茅葺屋根を葺くという行為自体が、懐かしさの源流であり、現代にも連綿と続いてきた真の日本人の心を甦生することになっているからです。

昨日は、みんなで「結」(ゆい)という体験をしながら、たくさんの茅を運びました。みんなで声をかけあいながら、力を合わせて協力しました。午前中だけでは終わらず、その後は有志が残ってくださって残りの茅もほとんど運びました。体力も消耗し、大変ではありましたがみんな心は清々しく笑顔も多く、素晴らしい人たちが一緒に汗をかいてくださっていることで場所全体が輝いていました。そして200年の枝垂れ桜もそれを満開の花と共に美しく揺れながら見守ってくれていました。

この懐かしい未来の光景は、決して文字では伝えることができません。

この場に参加してはじめて、これが「結」(ゆい)なのかと、直観し実感するものです。私はこの光景がいつまでも子どもたちに遺して続いていけたらいいなと心から祈っています。

人はみんな、みんなのものだと分かち合う時、そして誰もが地球では家族の一員だと助け合う時、私たちはそこに繋がっている存在、結ばれている存在の有難さに気づきます。他人と貸し借りができるのも、そして知らない人たちでも協力し合えるの、その時、心はとても豊かになります。懐かしい先人の生き方や知恵に触れるとき、私たちは何かを思い出しています。その何かは先人が私たちに遺してくださった大切な心を伝承し、その当たり前ではないことに感謝を思い出しています。そして私たちはその結ばれてきた今までのご縁の尊さを思い出すのです。

私たちは、ずっとむかしから今も結ばれ合っています。それをまたこの時代も結い直すことが、これまでもこれからも仕合せになっていくための知恵なのでしょう。

英彦山の甦生のはじまりが、この結からであったことに深く感謝しています。

歴史の大切な1ページを皆さんと一緒に、結でめくれたこと一生忘れません。英彦山のお山の徳が引き出された瞬間を感じました。ここからは引き続き、徳を磨き、英彦山から日本全体へとその徳を顕現させ子どもたちの心のふるさとを甦生させていきたいと思います。

一期一会をありがとうございました。

孤高の輝き

英彦山の守静坊の枝垂れ桜が満開になりました。私は桜は好きですが、この枝垂れ桜は今まで感じたことがないような美しさです。その美しさの理由は、もちろん宿坊の甦生が大変だったこと、なんとか枝垂れ桜が咲くころにはと冬の間、何度も桜に声をかけては共に頑張ってきたからかもしれません。

この枝垂れ桜は長野家代々の宿坊の坊主が見守り大切にしてきた桜です。もう200年以上前からある古木です。まさに英彦山においては孤高の一本で、澄み切った透明感は他の桜とはまったく異なる佇まいです。

今の私達よりも長く生き、英彦山の歴史を次の代へとつなぐ生き証人です。その生き証人が、英彦山の山伏や修験道が神仏分離令や山伏禁止令などで荒廃する中でも、孤高のままに英彦山に残り咲き続けて皆さんの帰りを待っていたのでしょう。この山伏がいなくなってからの150年の空白も生きてきたのです。

その春の目印として、誰も来なくなってもずっと満開の桜を咲き誇り続けてきました。冬の厳しさに負けずに、誰も来なくなっても立派に見事に何かを待ち、理想のように咲き続けるのです。

私がこの枝垂れ桜に魂が揺さぶられるのは、その孤高の輝きなのかもしれません。

孤高とは、ひとりかけはなれて、高い理想をもち志を保ち続けることです。世の中に迎合せず、世間の価値観にも左右されず、一人、自らの初心と向き合い最期まで貫徹して実践をしていく姿です。

その美しい生き方と、この美しい枝垂れ桜が重なるのです。

見返りもいらず、ただ、子どもたちのために真摯に甦生に取り組む。今回の甦生もそれを保てたでしょうか、初心を忘れずに純粋に純度高く取り組めたでしょうか。それはきっと建物のオーラとして薫るはずです。

未来に恥じることがないように、長野先生に託された想いを胸に抱き、私もこの守静坊の枝垂れ桜と共に残りの人生を真摯に歩んでいきたいと思います。

仁聞の徳

歴史を調べていると、文献にあるものと文献のないものの辿り方があります。本来、文字で歴史を残すというのは改ざんされたり全体が観えるものではなかっため、大勢の人たちの口伝、もしくは石碑や場の景色や風景、他には何かしらの目印を残していました。

以前、何がもっとも歴史として遺るかというものを調べた研究者がいて文字がもっとも早く失われ、その逆に長く遺ったものは言い伝え、歌や舞などの神事であったということを聞いたことがあります。

確かに文章や文字は、その時代の価値観を反映していますし記録はできても記憶は伝承できません。記憶を伝承するのが先で、それを理解するのに記録が必要ですから本末転倒になってしまいます。

私はもともと記憶を優先するタイプで、歴史を辿るときは直観的に必ずその場所に行き、その記憶を辿るための目印を探します。その目印は、時には石碑石像であったり、樹木であったり、場であったり、風景であったり、道具であったり、人々の伝承や伝説、文化や芸能であったりと多種多様です。

記憶というのは、一体どこにあるものなのか?

これは人の脳の中にあるものなのか、私は記憶は脳で理解するものではないと思っています。記憶は、五感や六感を通して直観するものであり、その記憶はいつまでも場に佇み、磨き上げたり澄ませるときに徳のように顕現してくるものだと感じています。

私が何か古いものを甦生するとき、心身を清め、場を磨きととのえ、その記憶にゆったりと心や耳を傾けていきます。つまり「聴く」のです。聴いていくと次第に、どうしてほしいか、何を出してほしいか、どれを引き継いでほしいかなど、篩にかけられた記憶が残っていきます。もしくは、じわりとにじみ出てくるように、太古からの複雑な記憶が集まってきます。

それをカタチにして甦生させるとき、人々はその記憶をはじめて実感することができるのです。いくら隠しても、いくら改ざんしても、本当にあったことはなくなることはありません。ただ忘れているだけです。忘れたものは、必ず思い出すことができます。それは脳で思い出せなくても、心は思い出すのです。

私が英彦山の甦生に取り組んでから、ますますそのむかしの記憶が蘇るご縁が増えてきています。そろそろ思い出す時機が来ていることを思い、できる限りの人たちにその記憶を伝播していきたいと思います。

古の記憶を心で聴いて子どもたちと歩んでいきたいと思います。