伝統を守るための革新

ついに長年、農作業や私のハードな仕事を支援してくれていた軽トラックが廃車になることになりました。まだまだ乗れると思っていたら整備工場からも難しいと連絡が来ました。最後の仕事は、冬の英彦山での悪路での荷物運び。寒さ厳しい山の中で、頑張ってくれたこともありお別れが寂しく昨日は色々と思い出を振り返りながら掃除をしました。

これからまた新しい取り組みが始まるこのタイミングで、交代になりますが本当にこの軽トラックに私は支えられています。

改めて、軽トラックの歴史を調べるとそのはじまりはいつだろうかと思うと江戸時代の大八車にまで遡ります。つまり荷車こそ、軽トラックの原型ということです。そこから、1957年にダイハツからオート3輪が発明されます。これは前1輪、後ろ2輪の貨物車です。他にもマツダ、新三菱重工業などがこれを製造しました。

そして軽トラックの形になったのは1955年。スズキが同社初の4輪車であるスズライトを発売。そして1960年には東急くろがね工業がくろがねベビーという軽4輪トラックを開発します。これが現代の軽トラックの元祖と言われます。

私が今まで乗っていた車はスーパーキャリイでしたがこの原型の「キャリイ」はスズキ初の量産4輪車にして初の軽自動車である「スズライト」のトラック仕様として登場したものです。1966年にスズライトが取れてキャリイになりました。ずっとむかしから大きくモデルチェンジしていませんから、古い感じに思われていたからかあまり軽トラックがかっこいいとは言ってもらえません。しかし、この形が普遍的であって乗りやすく、私自身は軽トラックのこのもっとも機能的で合理的な姿を尊敬しています。

今回、入れ替わる新しい軽トラックはやはり同じくスーパーキャリイですがキャビンを長く伸ばしたものになります。これはシート後部が広くなり、シートも倒せるようになっていて荷台も工夫されています。しかも色を深いグリーンにし、英彦山や農地での景観に入っても違和感がないようなデザインのものにしています。

伝統を守るために、どのメーカーも革新を続けます。私はこの軽トラックは、見事にそれを実現しているように思っています。何よりも大切なのは、目的や初心を失わずに時代の価値観に合わせて微調整を続けていくことです。

今までの感謝とこれからの感謝を忘れずに、学び続けていきたいと思います。

種を守る

昨日は、郷里の伝統野菜の堀池高菜の収穫をしてきました。今年は、とても小ぶりですが逞しく健やかに育っているのは触った感じからも伝わってきました。毎年、一年を一緒に過ごす作物があることはとても豊かで仕合せなことです。

作物も種もそれは単なる呼び名であって、本来は一緒にこの世を生きる大切なパートナーです。そのパートナーとの一年一年の思い出や支え合い、その暮らしがあるということは何よりもかけがえのないものです。

お互いに貢献し合うことや、お互いに助け合うことで私たちは存在の絆を結ぶことができます。これは、生きものたちのすべての根底にある願いでありその価値の源泉です。

みんなただ生きているだけですが、その生きているだけで貢献する。物も同じく、すべてその存在理由はお互いの共生や貢献のためにあります。そしてその中でも、特に暮らしで支え合う仲間たちはともに働き、ともにその時代を生きていきます。

今、私の手の中にある種もそして目の前の高菜も同じように時代時代の中で同じ「種」として生き、お互いにいのちを分け合いここまで生きながらえてきました。私がそうであるように、先人たちもこのいのちを大切に守りながらここまで生きながらえてきました。

だからこそ、このずっと一緒に過ごしてきた種を見捨てるわけにはいかず同じようにこの土地で、この土地に生まれた者同士で生き続けていくのです。

私が伝統固定種の種を守るのは、ただ種が失われるからではありません。私がこの種を守りたいと思うのは、この種との「生き方」であり、大切なパートナーとしての仲間や家族との仕合せな暮らしをこの先もずっと子孫へ繋いでいきたいと願うからです。

現在、伝統固定種の種をブロックチェーンのトレーサビリティで守る取り組みを企画していますがこれもまた伝統を守るための革新なのです。

日本の風土の中で、この風土が育て見守るいのちを補助していけるようにこの世代の役割を果たしていきたいと思います。

真の文明人

いのちは寿命を大切に最後まで使い切るときに喜ぶものです。最近は、寿命を伸ばすという言葉も聞かないくらいみんな消費することに没頭していきますが本来はなるべく消費せずにもったいなく使うことを大事にしていました。

捨てるという文化こそ、近代になって生まれた価値観でありその価値観によって環境問題も社会問題も荒廃の一途をたどっているともいえます。

例えば、回転数というものがあります。ゆっくりとじっくりと回すよりも、急回転させるとスピードが上がります。スピードが上がるというのは便利ですし消費行動です。スピードを上げて、回転数をさらに上げれば確かになんでもすぐに手に入るほどのものが増えますがその分、捨てるものも増えていきます。

これは全く合理的ではないうえに、寿命をみんなで短くしていく作業です。

人類は、あらゆるもののスピードを上げていきました。それは運輸、移動などの物質的なもの、そして時間というもの、さらには環境の自然循環であるものまで、本来のじっくりとゆっくりとみんなでゴミ一つ出ないような理想的でシンプルな状態を捨てて手に入れてきたものです。

そのことに由って、無理がたくさん生まれ無理した分があらゆる問題として浮上してきます。もう一度、スピードを落とそうとしても今更そんなことをすると時代遅れと揶揄されますからもはやブレーキを人類自体がかけられる状態ではありません。

もしかしたら、自然災害や隕石の落下など、現在の文明を一転させるようなことがあれば元に戻るのかもしれませんがまたそのうち同じことを繰り返すのでしょう。

そう考えてみたら科学というのは、自然から時を盗むことに似ています。自然の知恵を盗み、ある部分だけピックアップしてそれだけを便利に使い周囲の資源を急速に引き出すという技術。これは現在の量子でもAIでもバイオでもだいたい似通ったものです。

私は人類はブレーキを自分でかけることができたとき、真の文明人になる気がします。そのためには、自然を善く学び、自然から得た智慧を尊敬し、あくまで分を超えない程度で科学を用いる。

そこに真の文明人の徳を感じます。

子どもたちのためにもそのお手本になれるように精進していきたいと思います。

時代と人生の記録

私たちは歴史を生きていますが、その時に何よりも重要になるのは記録です。どのような経過で何をしてきたのか、それを遺すことはとても意味があることです。それを読むことによって、私たちはその出来事から真実を学ぶことができるからです。

ちょうどヨーロッパで戦争がはじまり、第二次世界大戦の頃のことを知りたいと思うようになります。あの時の虐殺の歴史や人種差別、あらゆる人間の行いがどうでったのかを考え直すのです。

アンネの日記というものがあります。

ユダヤ人迫害から潜伏していた場所で書き綴った日記です。この日記はアンネの一家が拘束された後、秘密のアパートで見つかりました。今ではその日記が世界中であららゆる言語で出版され多くの人たちに読まれています。

私たちは、その人生の記録や記憶は空間にいつまでも遺っています。しかしそこにアクセスするには、その空間と繋がっているキッカケが必要だったりもします。もちろん、遺跡や建物、そして暮らしという媒体でアクセスすることもできますが日記や詩などもその方法の一つです。

今の時代、あの頃に何が起きたのかを思い出し私たち人類は大切なことを忘れていないかを再確認する必要性を感じています。

アンネの日記から、いくつかの言葉を紹介します。

「私は理想を捨てません。どんなことがあっても、人は本当にすばらしい心を持っていると今も信じているからです。」

「私達は皆、幸せになることを目的に生きています。私たちの人生は一人ひとり違うけれど、されど皆同じなのです。」

「あなたのまわりにいまだ残されているすべての美しいもののことを考え、楽しい気持ちでいましょう。」

「澄みきった良心は人を強くする。」

「たとえ嫌なことばかりでも、人間の本性はやっぱり善なのだということを私は今でも信じている。」

「私が本や新聞記事を書く才能がなくても、いつでも自分のためには書くことができる。」

「私は、また勇気を奮い起こして、新たな努力を始めるのです。きっと成功すると思います。だって、こんなにも書きたい気持ちが強いんですから。」

「私は、死んだ後でも、生き続けたい。」

私もブログや日記を毎日、書き綴っています。アンネには会ったことはありませんが、共感することがたくさんあります。こうやって書き綴っている間は、まるでそこにいるかのように日記を通して語り合うことができます。

時代を超えても語り合えるものにこの記憶や記録があるのです。

時代は変わっていきますが、どのとき、どう生きたかという魂の声や勇気を分け合いながらその時々の人生の記憶を子どもたちのためにも記録していきたいと思います。

茅刈り

昨日は、熊本県阿蘇郡高森にある萱場に茅葺屋根用の茅を刈りにいくご縁がありました。友人や仲間がたくさん駆けつけてくれて、みんなが楽しく茅刈りを行いました。

思い返せば、この茅葺とのご縁は私の故郷のお地蔵様が祀られている建屋の屋根を私が喜捨をして甦生するという話からです。その話は、地元の方々との折り合いがつかずに中断することになりましたがその御蔭で、一緒に徳積財団を設立することになった親族の叔父さんと出会い、その近くにある藁ぶきの古民家を甦生することになり、さらには今回のように英彦山の宿坊の屋根を葺き替えるというご縁になりました。

ご縁は最初からそうっなっているかのように繋がっていて、絶妙なタイミングで一期一会に場にも人にもと時にも出会います。答えが先にあって、それを象っていくかのようです。

有難いのは、その答えが最初からわからないからこそ有難い体験になっていくということです。私自身は慎重で臆病ですが、勇気を出せるのも挑戦できるのも、この「ご縁」を羅針盤にしているからだと思います。

資金面や材料面、知識も経験もすべて不足していてもみんながいるという存在感やご縁を信じるという目は見えない繋がりを味わって生きていくことができるからなんとかなっているようなものです。

今回の茅葺もとても貴重な体験になりました。

もともと私たちが古民家で使ってる材料は、すべて自然素材で自然由来です。ということは、その自然素材はどのような風土や環境で、いかなる特性を持っているのかを学ぶことで先人たちがどのように自然と共生してきたかがわかります。

ちょうど、私たちが茅を刈りに行った場所も本日から野焼きがはじまります。阿蘇の茅は特に良質で、しっかりとまっすぐに伸びていて丈夫でしなかやで品があります。水をはじき、長持ちし、雨や風から家を守ります。

昔の人たちは、身近にある素材を暮らしの中に上手に取り入れました。草草も捨てるのではなく、これはどのような徳が備わっていてその徳にどう報いようかと謙虚に考えたいのではないかと思うのです。

それは偉そうに、何かに活用してやろうといった人間都合の見識ではありません。自然への畏敬や畏怖、そして何よりもいのちを慈しむやさしさに満ちたものです。

私の取り組む甦生は、根本にはこの観点を忘れません。

今の私があるのも、人類が続くのもすべて自然の恩恵、自然の御蔭さまです。自然素材自然由来に感謝してこそ、本当の意味で本物の加工品になるのです。

子どもたちのためにも、プロセスを外さずに大切な文化を伝承していきたいと思います。

危機に備える

今回、ウクライナとロシアのことでウクライナの人たちが「まさか本当に侵攻してくるとは」とほとんどの人がショックになっていたというのを報道で見ました。私たちも外から見てて、世論も最初は脅しや一部の地域だけの侵攻かと思っていたら全面的に侵攻していきそこでまさかと考え始めます。そして第3次世界大戦が起きるのではないかと、それも今でもまさかそんなことはを思うようになっているはずです。
コロナの時も、想定外が発生して初動が対応できなかった国もたくさんあります。そして今は、戦争が発生してどのように想定外に対応するかが試されているのです。
昨日は、原発を攻撃したという報道が流れました。その時、私もまさかそんなことがとショックを受けましたが戦争ですからこれは当たり前に想定されることです。しかし、そんなことは起きてほしくないと思っていることや、まさかそこまではしないだろうとバイアスがかかっていることに気づきます。
本当の危機は、自然災害よりも人間の人災の方が確率も高く衝撃も大きいものです。これから世界がどのようになっていくのか、思考を停止させず危機に備えて動いていきたいと思います。

平和を持続させるために

私は、20年間、子どもに関わる仕事をしてきました。その子ども観というものは、子どもは生まれながらにしてすべてが備わっている完全な人間そのものであるというものです。

人間そのものというのは何を言っているのかというと、人間とは徳そのものであるということ。もう一つ進めると、もともとのいのちはすべて徳であるというものです。これは人間に限らず、全てが完全ですべてがいのちの一部。それを尊重しようという考え方です。

これは子どもに限らず、私は万物全てに徳が備わっていると思っていますから現在の古民家甦生だけではなくすべて取り組んでいるものはこの初心と観点を働かせて実践しています。

足りないから補うのではなく、本当にそのものの役割を発見して活かしていくという発想です。これは日本人の伝統的な価値観、もったいないなどにも通じるものがあります。

子どもは最初からすべてを備わっているからこそ、余計なことをしない。余計なことというのは、備わっていないと、足りないと、これはダメだや間違っているなどをということを無理やりに教え込まないということです。きっと、何か理由があってそうしているのだろうと尊重し尊敬して見守るということです。

これが私たちが社業で取り組む、見守る保育の考え方から学んだことです。

子どもは丸ごと信じてこそ、本当の意味で私たちが子どもから学び直し、子どもように素直で正直なままに自立して自分の天命を全うしていくことができると私は思います。

そもそも自立というのは、自分の自立ですがこれが人類の自立にもつながります。今のように世界を巻き込む戦争が起きそうなときこそ、教育者たちは真実と向き合い、平和ボケするのではなく「真の自立とは何か」ということを正対する必要があります。

真の自立をするのなら、人類はもっと優しくなり思いやりを忘れずに悍ましい戦争もなくなっていきます。人の心が貧しくなり、荒廃するからこそその結果、環境に現れていくのです。だからこそ、人の心に真の豊かさを甦生させていくことが末永く平和を持続するための知恵でもあります。

私が取り組む、場も暮らしフルネスも起点はすべて子どもを見守ることからはじまっています。こんな時だからこそ、希望を忘れずに自分の天命を全うしていきたいと思います。

平和の教育

最近、ロシアとウクライナの交戦の報道が各地から入ってきます。しかし、現地ではどのような感じなのかが体験したことがないのでわかりません。私たちは戦争を経験していない世代なので、映画やドラマなどどこか頭で考えている世界を想像しています。

実際には、ウクライナでは寒い中、食べ物も不足し、不衛生で一般的な生活がほとんどできない中で市民の方々はそれぞれに武器をもったり励まし合ったり支え合って戦争で耐え忍んでいるはずです。

それに攻める方も、大義がよく見えない中で一般市民の人々の抵抗を感じながら早く終わってほしいと願っているようにも感じます。

本当は人のいのちがもっとも理不尽に失われないようにするのが戦争の戦略です。しかし、経済戦争でもいのちは失われるし、実際の戦闘でも失われます。時間的な長短があるだけで、実際には多くのいのちが失われるのです。

そしてこれはどこか遠いところで自分たちと関係がないことが発生しているのではありません。地球は丸く、人も世界もすべて繋がっていますからこれがどのように世界に影響していくかはこれからの未来が決めていきます。

そして人のいのちを奪い合うとき、そこには憎しみや怒りが産まれます。これは何世代も、何十年、何百年とその後の関係を崩していきます。本来、同じ民族だったものや隣人や家族であったものが傷つけあうのです。

本来、仲裁するためにみんなで選出した国連や安保理のリーダーたちがいがみ合うというのはなんとも残念なことです。国というものをつくり、それぞれに富を奪い合って権力によって統一するという構造はいつも終わりはこうなります。

子どもたちの未来に痛ましく暗い影を遺すような舞台をつくるのは本当につらいことです。子どもたちの未来がどう明るく幸福に近づけていけるか、そのために私たちは生まれ挑戦していく必要があると思います。

私は人類が末永く平和でいられるためには人類が施されている今までの価値観や教育という刷り込みの洗い直しだと考えます。これはかつて同じように戦争で子どもたちを守りいのちを失った子どもの権利条約を発案したヤヌシュ・コルチャックがすでに実践して見せました。

私も彼と同様に、いのちを大切にして平和を築くには「子どもの自治」を幼いときから体験し、誰かや大人の勝手な都合でいのちを失わなくていいように子どもに体験させることだと思います。子どもはわかっているし、子どもはそこで平和を学ぶのです。つまり平和とはいのちの教育を学ぶことであり、真の自立を獲得する環境がいるのです。今の政治のリーダーたちがそのことに気づき、間違いを正し、本来、何のために人生があるのか、教育があるのかという目的から再設定しやり直す必要を感じます。

こういう時こそ、私たちは真の教育の意味を考える時機だと私は思います。子どもたちのためにも、私の役割を果たしていきたいと思います。

人の形

先日、大宰府天満宮の宝物館で展示されている友人の中村弘峰さんの作品を見学する機会がありました。常に人形を通して、時代時代に生き方を温故知新し変化を求めて挑戦しているそれぞれの代々の生き方の展示でもありとても刺激を受けました。

時代は常に変化して已みません。私たちはこの今も日々に新たな気持ちで自分の中にある初心に正直に生き続けていくことで本当の自分のままで存在することができるものです。

自分の心に素直であり続けることは、本当は周囲の環境とはあまり実は関係ありません。どんな環境下であっても、自分の初心のままであり続けることができてはじめて人は自分を生き、真に自立することができるからです。

どんなときにも初心を優先できるか、この問いは人類一人ひとりに与えられた使命でもあります。

今回、展示の中で感動したものの一つに中村人形の家訓があります。改めてこれはものづくりに関わる人だけでなく、まさに日本人としての初心を忘れてはいけない素晴らしいものだと思い皆さんに共有したいと思いました。こう記されます。

【人の形を作ることを生業とする我が家は代々一子相伝である。

たとえ粥を食へども只ひたすらに良き物を作るべし。

これは初代筑阿弥が残した家訓である。

生活が貧しくとも信念を持ち人形を作ることを第一とする。

人形は人々に夢や希望を与えうるものである。

特に祭りの御神体の様なものは祈りを受ける存在である為、

それを作る時には殊更自我を捨て、無になることが必要不可欠である。

その為、我が家では幼き頃より常に自分のものを人に差し出す事でその特訓をし、

人の形を作る者は謙虚であるべきと教える。

青年になりし頃、心と体を鍛え学問に邁進し、

我が家の後継は必ず修行に出て人の役に立つ為に苦労を買って出る事。

歳を経ても常に純粋で素直であるように、

仕事に臨む時は作らせて頂いている心を大切にする。

初代より我が家は臨終に於いて、

後継は先代の手を握り目に見えるものを受け取る。】

どの文章の中にも、自戒が籠っていてそれが本物の人形を象ることができると諭しているかのように感じます。私たちの身体も本来、自然の一部であり依り代でもあります。その時代時代に、どうやって無我の境地を会得し、どのように人々の心に残るような自分自身を貫遂していくことができるか。

人生のテーマは、先人たちの生き方や生き様からも学べます。子どもたちに、未来の希望が伝承していけるようにこれからも学びを楽しんでいきたいと思います。

心のふるさとのバトン

これから英彦山の守静坊の屋根を茅葺屋根に葺き替えるための本格的な準備は入ります。現在は、トタン屋根になっていますが本来の宿坊の姿を甦生するために元の屋根にする作業です。

この費用が甦生でもっとも決断が必要なものでしたが、日本人の心のふるさとを甦生するためにもこの茅葺屋根は欠かすことはできません。

私の取り組む甦生は、この茅葺だけではなくありとあらゆる日本の伝統文化につながるものを同時に甦生させていきます。それはただ伝統の物を使うのではなく、その伝統の意味も一緒に甦生させていくのです。

例えば、畳一つにしても畳がなぜ存在したのかの歴史的な背景をひも解き、同時にその畳を本物にこだわる職人さんと一緒にその心や伝承を伝道していきます。そして職人さんたちやその土地の人々を結び、本来の日本の結の関係をつなぎ直していくのです。

そのためには大変な手間暇や配慮なども必要になりますが、もともと日本人なら備わっている真心があると確信していますからそれを丁寧に甦生させていきます。

今回の茅葺屋根の甦生も、葺いてしまえば手入れをしていけば30年以上は家を守ってくれます。そしてまた30年経った頃には、また葺き替えをするのでしょう。そのころはもう私も生きていないかもしれませんし、一緒に取り組んだ職人さんたちもいなくなっているかもしれません。

しかしここで今、つなぐことにこそ意味があり、誰もしないから私もやらないではなく、誰もしないからこそ自分がやる必要があるのです。

子どもたちのことを思うと、先人たちの祈りや志、生き方や知恵をつなぎたいと真摯に思います。人生の中で、何がもっとも役に立つのか、そしてどこに心の居場所があるのか、それはもう明白です。

煌びやかで派手なものばかりについ感情的に魅せられますが、それもすぐに消費され飽きてしまいます。しかしこの私が取り組んでいるものは、一生飽きることもなく、そして永遠に知恵として未来の子どもたちの人生を助けます。

今はわからないかもしれませんが、これは本当に100年後、もしくは数百年後に人々が気づききっと感謝しているのがわかります。

それはなぜか。

私自身が、先人たちや先祖たちからいただいている恩徳に心の底から感謝しているからです。よく私のところまで来てくださった、つないでくださった、集まってきてくださったと感謝しているからです。

私の身の回りには、いつもそういう徳の存在のものや人たちが集まってきてくださいます。何よりもその知恵ややさしさ、思いやりや美しさに日々の暮らしが感動に包まれています。

時代の当事者、時代の責任者として普遍的なものを丁寧に紡ぎ、自分がされたように未来の子どもたち、そして後世へと心のふるさとのバトンを渡していきたいと思います。