場の道場の心得

人は守るものがあることで強くなります。本当の強さとは、守る強さのことです。この守るは、何を守るのかでその強さの質が変わっていきます。人には、それぞれの正義がありその正義を守るために争ったりもします。

しかし本来、守るものは外側にあるのではなく自分の内なるものの中にあります。その内なるものの守るというのは、己の心の中にあるものです。己の心の中にあるものを守るとき、人は争うことをやめととのえようとするのです。

それは敵対するものではなく、自分の一部であることを深く感得するからです。その相対的な存在も含めて自分自身であると悟れば、私たちはそのものを許し、理解し、そのものと一体になった調和の道を探す必要が出てきます。

その時、私たちは己心の平安を保つために精進していくのです。

そうやって何千年も前から、私たちは「人」であろうと努力してきました。人であろうと努力するとき、人は本当の強さを持つように思います。その強さは、「人であることを守る」ということです。

徳を積むことや、恩義に報いること、真心を盡すこと、心を澄ますこと、また信仰や感謝の心で生きることはこの人であることを守るためにあります。外側から教え込まれた知識ではなく、自分の内面の奥深くに学びにいくというような学問がなくなっていき、今は自分をととのえていくことの重要性を理解しない場所が増えていきました。

人類は、過去の歴史がそうであったように一人ひとりが己心を平安に保つように修行しないと人ではなくなるような所業をします。人とは何か、真の人格とは何か、そういうものをむかしはとても重要な徳目として大切に向き合ってきました。

この先の未来、そういうものを学ぶ場が必要で人はそこに出会うと今までとは別人のように変化し学び直しをはじめます。志を持つことで人を本当の人に変えてしまうからです。

松下村塾などもきっと、「人」を育てたのでしょう。志をもって万事の源とすると吉田松陰はいいました。つまり、根源は志であり、それが学問の根幹であるということです。そしてその志に必要なのが、何を守るかという自問自答なのかもしれません。

場の道場では、これを学び、これを体験し気づけるような環境をととのえています。子どもたちの未来に確かな道がつながるように、精進していきたいと思います。

暦と徳

今週の金曜日、2月4日の立春に例大祭と徳積財団設立2周年記念イベントを行います。私は旧暦に合わせて暮らしのバランスを取っていますから、歴を遊び様々な取り組みをしています。

そもそも本来の暦は、月や太陽の運行に照らして自然と調和しながらその宇宙や地球の機智に合わせながら生きていく仕組みです。全体快適というか、自然との調和の中で暮らしていく方が無駄な力もいらずみんなで共生し支え合っていきますから合理的でシンプルです。

自然界を観察すれば、動植物はじめすべての生き物たちはこの自然暦に沿っていのちを永らえて繋いできました。雨が降る時期には雨を活用し、暑い時にはその暑さを活用する。それぞれのいのちのリズムをととのえながら、他の生き物たちと一緒一体になって自然と上手に力を貸しあい借り合いながらこの世の生を豊かに全うします。

自然と遊ぶのは暦と遊ぶことに似ています。私は旧暦で大事な感謝の行事に取り組みますが、新暦もまた遊び心で楽しみます。日本には古来から予祝の文化がありますから、この少しズレている暦もまた予祝にしてしまえば御蔭様と感謝の二回、その徳を味わうことができます。

例大祭は、毎年、同じことをやっていますがその時々で神様が喜ぶようなことが変わります。それはご縁と出会いが増えていくこと、弥栄といいますか繋がりが豊かになっていきますから回数を重ねるごとに面白く仕合せが増えていきます。そして直来もまた、その時々にいただいたご縁によって変わります。同じことをやっていますが、同じことは一度もなく毎回、この日が来るのが楽しみになっています。

それに今回は、徳積財団設立2周年ということもありまた徳について磨き深める時間が持てます。あっという間の2年でしたが、なんと濃い2年であったかと振り返ると感謝がこみ上げてきます。

むかしから、徳には陰徳というものと明徳というものがあります。

陰徳は見返りを求めずに、自分の真心を盡すこと。そして明徳は、そのものに備わっている使命を明らかにすること。徳は、この世で生きていく上での真の羅針盤であり、この暦と徳を学べば安心立命の境地に入ります。

子どもたちの未来のためにも、本来の生き方を、日本人の道を少しでも後世に繋いでいきたいと思います。

徳の回帰

大分県中津市本耶馬渓に「青の洞門」というものがあります。これは江戸時代、荒瀬井堰が造られたことによって山国川の水がせき止められ、樋田・青地区では川の水位が上がりました。そのため通行人は高い岩壁に作られ鉄の鎖を命綱にした大変危険な道を通ることでしかそこを渡れなくなっていました。

諸国巡礼の旅の途中に耶馬渓に立ち寄った禅海和尚が、この危険な道で人馬が命を落とすのを見て心を痛め、享保20年(1735年)から自力で岩壁を掘り始めたのがはじまりです。

この禅海和尚は最初は、自分一人で3年間ノミとで穴を掘りぬき、その後も托鉢勧進によって雇った石工たちとともに30年余り経った明和元年(1764)、全長342m(うちトンネル部分は144m)の洞門を完成させたという話です。その後は「人は4文、牛馬は8文」の通行料を徴収して工事の費用をもらうことにし、これが日本初の有料道路とも言われています。

私はこの青の洞門に深く心が支えられていることがあります。周囲の誤解で事を邪魔されたり、すべてをひっくり返されるような出来事に出会う時、また一人でコツコツと地道に取り組んでいる最中など、ふとこの禅海和尚のことをいつも思い出し徳を偲ぶのです。

人は、あまりにも偉大なことを発想したり、あまりにも遠大なことに取り組もうとすると周囲から必ず誤解されたり疑われたり、変人や狂人扱いをされるものです。一生懸命それを何度も説明しても誰も本気にはせず、言い訳の一つやもしくは何か裏があるのだろうと思われたりもします。私の人生はいま振り返るとそんなことばかりの連続でした。不可能と思えることや、意味がないといわれることに取り組んでいくことは陰徳のようでそれを誰かに認められたいからなどの気持ちは入りません。でも人は人とあまりにも違う人をみると好奇な目もあり社会秩序などが気になってしまい黙ってはいられないのでしょう。

私の場合は、今まであまり目立たずにこっそりとひっそりとそっとしてもらいながら取り組んでいくように心がけていきました。時折、周囲が盛り上げて運動にしようとされますがそれがいつも返ってそれぞれの我欲望の養分になって大きな邪魔になってしまうことが多く、結局は静かに実践する人たちと穏やかに取り組んだ方が安心して結果が出るまでが早かったりするからです。

人は真の意味で人を信じることができるとき、本当の意味の支援や協力をしてくれるようになります。誤解されたり、いつまでも理解されないのは、まだ自分の真心が人々が信じるほどではないのだと諦めて真摯に取り組むしかありません。

この青の洞門は、そういう意味では私たちが真に徳を積むためのお手本であり模範です。この取り組みをベンチマークして学び、取り組むことで私たちはこの先人の智慧を活かしこの国も人々の心も甦生させていくことができると私は思うのです。

この禅海和尚は、初心を定めてから3年間はまずは一人で掘り続けました。すると3年目にしてはじめてお手伝いしてくれる人が現れ一緒に掘り始めます。その後は、一人二人と協力が現れみんなで掘り始める。今度は、石工たちに費用が払えるように托鉢が広がっていきます。最後は、有料道路にして通行料をとってそれを掘り修繕するための費用にします。この流れで、トンネルが掘られたのです。そしてこの景観と遺徳後世まで守るためにと、福沢諭吉が周囲の土地を買い取り守ります。その後は羅漢寺と共に、現代の資本主義の台風をいわばでしのぎながらも嫋やかにその陰徳を顕彰し続けるために維持します。そしていつまでも多くの人たちが訪れてその価値を学び続けます。それが私のように志を守る勇気をいただく原動力となって心にいつまでも徳が掘り続けられていくのです。

これは一つの真実であり、甦生やコンサルティングのもっとも王道のカタチです。

現在、英彦山の甦生に取り組んでいますが私がいつも心に抱いて見本にしているのはこの禅海和尚の志の貫徹する実践の姿です。信仰というものの本当のチカラは、人々の心に徳を回帰させていくことです。

徳が回帰すれば、人々はその偉大なことをいつまでも学びそれを世の中を導く原動力にしていきます。ひょっとしたら福沢諭吉にもこの禅海和尚は偉大な影響を与えたかもしれません。子どもたちは、このような遺徳が養分になり健康に成長していきます。

1000年後の未来のために、逆算して今、何をすべきかをこれからも真摯に取り組んでいきたいと思います。

 

甦生の心得

現在、宿坊に使う古材を探しています。もともと古い宿坊なのですが、昭和の頃のリフォームなどで色々なところが改造されています。それを元に戻し、本来の役割の場に回帰するにはその当時の時代に合ったもので甦生させていくのが私のやり方です。

時というものは、一緒に流れていますからそこに古いものと新しいものが産まれます。全部を古くする必要はありませんが、その肝心かなめの場所には相応の品格が必要になります。

例えば、床の間というもの。他には、仏壇、そして重要な柱などはその場を司る神様の舞台のようなものです。私の場合は、その場の中心になるものを必ず探して配置していきます。それもご縁で辿るという具合に、そこに相応しい物語が必要になるのです。

現在では、古いものは価値がなくなり捨てられていく大量消費の時代ですがそのうち資源がなくなれば奪うように古いものを手に入れようと競争する時代も来るでしょう。人間というものは、有り余れば捨て、希少価値になって拾おうとします。本当は、本物を大切にするという普遍的な感性を持っていればすべてのものをもったいないと感じることができると思います。失ってはじめて、その当たり前にあったものの有難さに気づくというのはわかっていてもこの消費文明の環境の中にいたらなかなか難しいものです。

私が古民家甦生で取り組んでいることの一つは、子どもに本物を遺すことです。その本物とは、真の豊かさ、真の仕合せ、真の価値、真の意味、真の姿、真の道です。こういうものは、先人が大切に智慧として繋いできたものの中にこそあります。

宿坊には、まだその余韻がいくつか遺っておりこれらを拾い集めて磨き上げてそのむかしからの場を甦生していきます。

家との対話は、家から学び直すことです。私たちは、ずっと場から学ぶのです。その場の学びをどうこの時代に甦生するかが、真の意味での建築だと私は思います。私は、設計士でも建築士でもありませんが場を創る人です。そしてその場の中に入り、舞台をととのえていく人でもあります。

家が育つように、人も育ちます。そしてその家も人も、時機がくれば必ず原点回帰します。その原点回帰に関われたことはとても仕合せなことです。その時に取り組んだ先人が大事にしたものに恥ずかしくないように、丁寧に真心を籠めて甦生をしていきたいと思います。

終始のご縁

何がきっかけで物事がはじまったのかを振り返ってみると、そのはじまりのきっかけの中にそのご縁がどのようなご縁だったのかが観えてくるものです。今振り返ると不思議で、みんな誰もがはじめて出会ったときにはその後にどのようなことが発生するのかがわかりません。

わかるとしたら直観的に幸不幸の予感があるくらいですこのご縁には、ずっと一緒に長く旅を伴にする人もいればバトンを渡すときに一瞬だけのご縁の人。あとは、すれ違っていくようなご縁の人。人生を丸ごと変えてしまうようなご縁もあります。しかし、よくよく味わってみるとあの時のあの出会いとご縁は必然だったのだとも感じるのです。

それをどう大切にするかは、その人の感性に由ります。感性が優れている人は、ご縁の持つ偉大な存在に気づいています。一期一会に、ご縁を大切にしそこに宿しているメッセージを受け取りそのものとのご縁を集めていきます。

どのようにご縁を集めて一つの人生を完成させていくのか、それが人が生きていくことの証です。そう思うと今も私の人生はご縁を集めることだけです。

これまでもただ大切にずっと集めてきました、そしてこれからも遺りを集めていきます。よく集大成という言い方をしますが、人生はご縁が積み重なり結び合いできあがります。今、私たちの目の前にあるものすべて、それは石や木、そして生命体に至るまでそのすべては集大成の今のカタチなのです。

ご縁はまだまだ無限に続き、まだまだ集め続けます。しかし、人生は死を迎えるとそれが逆行していくように感じます。つまり集大成からまたはじまるのです。まるで終わりがはじまりのようにです。

はじまりのご縁を感じるときに何かが終わることを感じる。つまりはじまりと終わりのご縁は同時に行われているということです。その終始こそご縁の本体であり、終わるようではじまり、はじまってるようで終わっていく。まさにご縁というのは永遠の循環です。

だからこそ私たちはその一瞬のご縁を「大切にしたか」が問われるのです。

大切にするからこそご縁は活きるのであり、ご縁を活かす人は「大切にしていくことを忘れない」のです。時間は、その大切にする意味を思い出させるための産み出した人類の道具なのです。まだ言葉のない時代、何も知識がない時代に、私たち人類はそこに気づきこの世に時間を創造したのではないかと私は思います。

人生は一度きり、そして永遠なのです。

日々の社会通念や常識に流されてしまいますが、いのちの持つ意味を忘れずに子どもたちに先人からのいのりを伝道し生きるチカラを伝承していきたいと思います。

暮らしフルネスの本懐

万物にはそのものの徳というものが備わっています。それを磨き明らかにしていくことを、明徳という言い方をします。この明徳は、大和心そのものでもあり日本人に連綿と続いてきた大切な生き方です。私は、この大和心の甦生のことを「暮らしフルネス」と定義しています。もっとシンプルにいえば、この徳を明らかにし、徳を循環し徳によって治める世の中になっていくことが暮らしを実践する理由ということです。

私が本業として取り組んできた見守るという保育も、またむかしの田んぼや伝統固定種の高菜、そして古民家での智慧の甦生やあらゆる現在の取り組みに至るまですべてはこの大和心がそうさせているともいえます。

和というのは、徳が引き出されることでわかります。和食であれば、素材のもっているそのものの味や魅力が引き出されたことをいいます。私は料理人ではありませんが、井戸水や炭火をつかい素材そのままで味わうものを好んでつくります。余計な味付けなどしなくても、そのままの味が出た方がその徳が明らかになるから好むのでしょう。

このみんなが使っている「和」や「暮らし」は、本当の意味になっているのでしょうか。なんとなくわかりやすく使われていますが、日本人の和や日本人の暮らしではないものがほとんどになっているようにも感じます。

そもそもこの和や暮らしは、長い歴史の中で用いられた言葉です。歴史を学ばずして、先人の智慧の伝承なくして使うようなものではありません。現在は、何か新しい知識やそれを上手に分かりやすく便利なした言葉がすぐに独り歩きしていきます。しかし、本来は長い年月を経て醸成された発酵したような言葉であることが本質です。

だからこそ、知識ではわからないものが「言葉(言霊)」の中に存在しているともいえます。同じ、「暮らし」という言葉を使ってみたとしてもです。その暮らしという言葉は、使う人の持つ歴史や伝統によってまったく意味が異なっているということです。

私はもともと「和風」という言葉が嫌いです。和風は和ではないから、言葉遊びのようになるのが苦手なので嫌いという具合です。本物の「和」は、和風のものとは一切異なります。ひょっとしたら、昔気質なのかもしれませんが日本人としての誇りがあるからどうしても和風が馴染まないのかもしれません。西洋の文化や他国の文化はいつも尊敬しています。だからこそ、この便利な和風はどこか失礼ではないかとも感じてしまうのでしょう。これは決して和風がわるいと言っているのではなく、少し苦手というニュアンスで書いています。

刷り込まれた知識や、社会通念があるということが前提ですが私たちは何が本来の和であるのか、何が本来の暮らしであるのかをみんなで実践を磨き合う中で学び直す必要性を感じています。

私がこの場の道場での取り組みは、それを子どもたちに伝承し未来を智慧で満たすためです。先人の深い愛や思いやり、そして暮らしを次の世代へ伝道していきたいと思います。

目利きを磨く

「目利き」という言葉があります。これは辞書を調べると、器物・刀剣・書画などの真偽・良否について鑑定すること。また、その能力があることや、その能力を備えた人。人の才能・性格などを見分けることにも使われるとあります。

この目利きがいい人というのは、本物を見極める力がある人のことをいいます。では何が本物で何が偽物なのかがわかるというのは何かということです。それは真実や本当の価値を見極めることができるということです。

現在は、この目利きが非常に失われている気がしています。テレビやマスコミ、そしてあらゆる情報をインターネットで配信されていますがそのどれもが本当の情報を伝えていることはありません。つまり目利きがよくないということです。どれも、人気が出そうに加工したり、さも手間暇がかかっているかのよう表現したりと、そもそも大量生産大量消費、経済拡大を優先した市場原理を優先していますが無理やりにそれに合わせているうちに目利きを間違うような価値や表現ばかりが磨かれていきました。

広告や宣伝もまた、本当にいいものの配信ではなく目的は商売や人気取りのためのようになっていきました。消費者たちがすぐに飛びつくような情報操作を繰り返しているうちに消費者が目利きがなくなってきました。そうなってくると、みんなが使っているものがいい、テレビでよく出てくるものがいい、大きなディスプレイに陳列しているものがいい、ブランド品であればいいというようによく調べもせず、目利きもせずに安易に購入して消費するようになりました。それが今の社会通念としての「いいもの」になってしまい本物や真実を目利きする力が削がれたようにも思います。

もともと本物というものや真実というものはとても地味なものです。じっくりと観察して、その膨大な手間暇、自然の深い関わり方や造形してきたものに近いものです。

昔の人は、自然の経過や自然が造形したものを深く尊敬しその持っている徳を引き出し、その徳に見習い近づけようと調和を意識してモノづくりをはじめ生き方を磨き続けていきました。むかしの洗練されたものは、現代では実現できないほどです。それは刀剣然り、陶器然りです。

そういうものが分かる人たちが増えていけば、この世の中で何がもっとも真実でいいものかがわかるようになっていきます。目利きをする人たちがこの世の中に、本当に素晴らしいものを増やし、目利きできる人になるようにと暮らしを磨いていくことで私たちの社会も本質的で自然美に近づいていくように思うのです。

世の中が本物や真実になったなら、正直者が馬鹿をみないような豊かな社会が顕現します。地球がととのっていくというのは、こういうところから始まっていくと私は思います。素直であること、謙虚であること、明るくいることは真心を磨いていくことです。真心と目利きは表裏一体なのかもしれません。

子どもたちに真実や本物が譲り遺せるように、これからも目利きを磨いていきたいと思います。

地球との共生

トンガの近くで火山が大噴火をして地球全体にこれから大きな影響を与えます。地球は丸くなっていますし、回転し循環しますからこの火山灰や二酸化炭素がこれから地球を冷やしていくだろう問い事が予想されます。これは太陽の光が入りにくくなってくるからです。

よく考えてみると、気候変動による温暖化で地球が急激に温められていましたがここに来て噴火により今度は冷えていくということが発生します。地球も一つの生命体ですから、バランスをとって自浄作用が働くというのは人間の身体と同じことです。

私たちは人間の身体でいえば、皮膚の繊毛のような状態かもしれません。身体にひっついて身体の変化の影響を受けていきます。何かが身体で起きれば、その状態に応じて変化して生息し続けます。いくら人間が、自分たちのものかのように地球上で振る舞っていても実際には繊毛が何か騒いでいるだけの状態です、身体が本体ですから、如何に本体とうまく共生し穏やかに生存していくかを選択していくかということです。

平和が長く続き、地球の変動が少なかったからこそ私たちは今の生活を享受されました。しかしひとたび、地球に大きな変動が発生したら今の仮初の物質的豊かな生活はあっという間に破綻してしまいます。

かつて地球には、氷河期というものが何度もありました。ある意味、今も歴史から振り返ると氷河期のままという考え方もあります。問題は、私たちが食べるものがなくなってしまうような氷河期に突入することです。

土も凍れば作物は育ちません。太陽光が弱くなれば、それだけ光合成ができなくなり森林をはじめ植物たちは弱っていきます。海面も下がり、地上や地中の水も減ります。もしも火山の噴火が、さらにいくつも同時に噴火したとしたらその急激な変化に今の人類がどれだけ対応できていくか。今はある程度のテクノロジーを持っていますから、ある程度は対応できますが人類全体となると80億人いるからよく考えないといけません。

私たちはいつの時代も、本当はサバイバル状態で子孫がどう続いていくかを常に向き合っていかないといけない存在です。先人たちは長い間の地球との共生の中で、生き延びる方法を智慧として伝承してきました。もしも現代のような化学的なテクノジーで生き残ったのなら、そんな智慧は必要ないはずです。

文明は何度も発展し、崩壊し、消失してきました。その中のいくつかの文明では、今と同じくらいのテクノロジーをもった時代もあったそうです。しかしそれがすべて失われている。ここに何かのヒントを感じます。

日本人は極東の島国で、もっとも遠くまで旅をした民族だといわれます。つまりそれだけ絶滅の危機を体験して乗り越えてきた民族ともいえます。その民族が、先人の智慧として遺して繋いできたものこそが生き残るための方法であり、歴史であるということは間違いありません。

状況が一変し、環境も社会情勢も変わる瞬間があります。野生の感覚を失わないまま、本来のあるべきようをよく観て、子どもたちのためにどうすべきか、挑戦していきたいと思います。

原点回帰と甦生

この十数年で地球の気温は急激に上昇しています。同時に、地球内部の変化も著しく地震や火山の噴火も増えています。私たちの身近では、四季のめぐりが少しずつ変化しているのを感じます。それは和の暮らしを通して実感するものです。

現在は、都市化した自然から離れた生活環境で仕事をしていく中でかつての日本人の先祖たちのような自然と調和した暮らしが失われてきました。気候変動のことも、今では衛星や世界各地の観測などをインターネットやテレビですぐに確認できますがむかしはそんなものはありませんから身近な微細な変化で地球全体の様子を直感したのでしょう。

空の様子、海の様子、そして風、月、山、さらには虫たちや植物たちの変化から地球の反対側で起きたこともある程度は把握することができたのかもしれません。

実際には、この世の中は因果の法則という真理もあります。どんなに私たちが小さな行為をしたにせよ、それが関係性によって繋がっていますから巡り廻って地球全体に偉大な影響を与えてしまうのです。

小さな石ころを転がしたということや、火をつけて燃やしたということでされ、一見そんなものが何かを起こすとはだれもが考えませんが実際にはそれが因果のはじまりになりますから何かしらの影響を大きくして周囲に展開されていくのです。

宇宙のはじまりなどを解明していけば、無から有が産まれるときなどその原理が働いていることはそのうち量子力学などで明確になっていくと思います。しかし人間jは、教育によって自他を分け、他人事という便利な仕組みを覚えてからそんなものは誰かがなんとかしてくれて自分の問題ではないと分別するようになりました。

気候変動や環境問題などその最たるものです。

この世界は、丸く、地球も円環ですからやったことが巡り廻る仕組みです。だからこそバランスが重要になります。このバランスは、ゼロイチのようにすべてをプラスマイナスでゼロにととのえ続けなければ維持できません。使ったエネルギーは休ませて貯める、昼と夜のように必ず静と動を保つ必要があります。

人類は極端になるのは、この分別したことからです。分別されしなければ、極点にはならないのです。バランスを崩したのはこの分別智であるのは明らかです。だからこそ、この分別しない智慧が必要になります。それを日本の先祖たちは「和」といい、日ごろからバランスを保つような暮らしを創造したのです。

私の暮らしフルネスの本懐はここにこそあります。

時代の変化の中で、常に自分を調和させていくことは責任を自分に保つということです。その自分を保つためにも、この和の暮らしは必要であり、そして同時にテクノジーや智慧を使うのです。

子どもたちの未来のためにも、この時代に人類全体が目覚め地球と一体になる生き方に原点回帰できるように様々な原点回帰を甦生させていきたいと思います。

経営の道

経営という言葉があります。この語源を調べてみると、はじめて使われたのは紀元前八世紀、周の国だといわれます、そこには「祖先文王が霊台という祭壇を築いて、建国のシンボルとしたことを追想して霊台を経始し、”これを経しこれを営す。”庶民これをおさめ、日ならずして成る」という言葉からです。

この経営の「経」の字は、織物の経糸(縦糸)を表していてそれが変じて南北の方向(経度)、仏教や儒教における不変の教示を説いた書(経書、経典など)をになったそうです。そして経営の「営」は区画を調整する意味があり、周囲を守るための「陣屋」や「兵営」「営舎」などでも使われています。

つまり、筋道を立てて枠組みを定めるという意味でしょう。ここから経営戦略というものが出てきます。どのような目的、目標を定めて、それをどのような筋道で行い枠組みでやるのかという発想になっていきます。

私はよく周囲から経営者っぽくないといわれたり、経営者向きではないなとどいわれたことが多くあります。若い頃から、あまりジャンルや分類に囚われず、またマネージャーとかプレーヤーなどという言葉にも興味がなく、自分のスタイルでやってきたからかもしれません。

そう思うと、周囲の言う経営者とは何だろうと思うことが多くあったのです。経営がうまいというのは、稼ぐのがうまく会社を大きくする人のように言われます。経営者向きだという言葉も、数字の計算が早くて合理的、会社の運営が上手で人がよくまとまっていることのようにいわれます。名経営者といわれる人は、その分野で大成功を収めた人のこといいます。失敗して、倒産した人のことを名経営者とは言いません。

しかしここに何か、私は違和感を感じるのです。

私が思う名経営者は、松下幸之助さんです。運を大切に生き、PHPを設立し子孫たちのために尽力されました。この経営者は、若い人は知らない人も増えてきたかもしれませんが松下電器、今はパナソニックの創業者です。

松下幸之助さんは大成功したからか名経営者なのか、私はそうは思っていません。どのような人生を歩んでこられて、その中でどのように商売の道を究められたのかという意味で先達であり一つの模範であるのは明らかです。経営者というよりも、生き方のモデルということです。

人は一人ひとりは、本当は経営者ではないかと思うのです。自分の人生をどう生きるか、そこに成功も失敗もあるでしょう。しかし生き方を通して何をその人は学び魂を磨いていったかは、その人の経営によると思うのです。自分という一生をどう生きるか、そして自分に与えられた尊い道をどう歩むのかは自分で決めて実践するしかありません。これを実現するには自主経営をするしかありません。

本来、経営者というのは会社だけのこというのではなく人生を歩んでいく者という意味が近いと思います。今思い返すと経営者向きではないということの意味も、使う人によって異なりますから私にとっての経営とは何か、経営者とは何かをまず確認することが大切だったのかもしれません。

自分の人生をどう生きるか、その人生の生き方はそれぞれに千差万別ですから尊重していく必要があります。そのうえで、理念を持ち、志を高め、自分を磨き、周囲を愛し、真心と感謝で生きる人は立派な一流の経営者だと私は思います。それは起業していようが、会社をもってなかろうが、その生き方が立派な経営者だと思うのです。

ご縁から色々な人にお会いしますが、私の尊敬している経営者はみんな自分というものを見事に経営されている方で答えを生きている方ばかりです。子どもたちに、生き方のお手本になるように真摯に学び、私なりの経営の道を切り拓いていきたいと思います。