未病の智慧

英彦山の宿坊の甦生に取り組む中で、英彦山への理解が深まってきて仕合せな時間を過ごしています。特に夕暮れ時の英彦山から眺める美しい山々の端や山際にうっとりします。

一人、沈む太陽に法螺貝を立てていたらそれに呼応してどこからか応答の法螺貝が聴こえてきます。一つ、二つと、まだ英彦山には法螺貝を立てる方々が棲んでおられ共に山や谷にその音を響かせています。

懐かしい時間が穏やかに過ぎていく瞬間です。

静かな山では、法螺貝を吹くと谷間の方に音が引き寄せられそこから音が重なりあって呼応してきます。その音の響き方で、谷があることがわかります。むかしの山伏たちは、法螺貝で山の立体まで捉えていたという話もあります。山で研ぎ澄まされた生活をしていると、人間の感覚が開いていくのかもしれません。自然や山を深く愛し、そして尊敬していたからこそ自然の智慧を授かったのでしょう。英彦山に佇むと、その懐かしい暮らしや山伏たちの澄んだ真心を直観します。

そして修験者の先達の数々の神通力や護摩祈祷によって、自然回帰し心身が回復した人が多かったことが歴史からも証明されていてこれは現代人の未病にはとても重要な意味を持っているように思います。

そもそもこの英彦山は、仙人の仙道が栄えた場所で不老不死の伝説がたくさん残っています。その証拠に、不老園という秘薬が伝承されていたりもします。

現代は、西洋の科学的に薬草から抽出された白い薬がほとんで治療薬にしていますが副作用も強く、耐性ができたりと、根源的な治療にはならないことで薬も見直されつつもあります。根本や根源の病気の原因が取り除かれないのに薬だけを投与していても回復しません。

そういう意味では、未病といって病気にならない生き方や暮らし方を教え、そして薬草や護摩祈祷や、独特な気脈を整えるよう術などで治癒した方が人間は真の意味で恢復していったのでしょう。

改めて、その伝統的な医療を見直し、温故知新していく必要性も最近は感じています。心と体のバランスをどう整えていくか、それは末永く健康で生きていくための人間の大切な智慧です。

子どもたちにもこの智慧が伝承できるように、色々と挑戦していきたいと思います。

暮らしフルネスの夢

言葉というのはその物事を分析するのにはとても便利な道具です。それが何と何でできているのかということを科学的に証明するのも言葉で分析します。しかし言葉で分析できるものというのは、分析できるものだけです。分析できないものは、そのものを直接見せるしかありません。それが言葉の限界でもあります。

私は聴福庵の主人ですが、聴福庵のことを伝えるときはもちろん文章や言葉を用います。しかし説明したとしても、言葉で分析したとしても実際には現地に来て直接見せて感じてもらわないと理解することができません。つまり分析できる範囲ではない何かがあるのです。

それは例えば、偉大すぎるものだからというものがあります。あまりにも大きいものは言葉で説明できません。宇宙が説明できないのと同じです。もう一つは、一体になっているものも説明できません。この地球という存在そのものがなぜ存在するのかが証明できないのと同じです。

つまりあまりにも偉大なもの、あまりにも一体になっているものには言葉は通じないということです。

このブログは、私は自己整理と自己内省で綴っています。何か日々に気づいたこと、地を低く歩んでいくなかで観えてくる天の高さを知ろうと学問を実践しています。しかし、いつも文章では説明できないところを実感し、そのギリギリのところを書いています。

それに今ある言葉、私が習ってきた言葉でしか解釈できずどうしても抽象的になるのです。それでも書き続けるのは、それを伝えよう、道を歩もうとするからであろうとも思います。

私は炭が好きで、よく炭を使い何かをしますが水と火とが一体になったところの不思議さや好奇心はいつまでもなくなることがありません。それは火が水でもあり、水が火になるからです。こんな具合に文字で書くと意味不明です。しかし、それを私が取り組んでいる道具や場で感じてもらうとその意味が伝わります。

私はどうやら、そもそもが分かれていないものばかりが実感できるようでそれが今の変な取り組みのように思われてしまう由縁であろうと思います。わからないものがあると信じる世界というのは、実はとても豊かなものです。それに今まで知らなかった世界が急に広がりまだ私たちが知っている世界があまりにも小さいことを理解するのです。

子どもたちはひょっとすると、生まれながらにこの私が観えているような世界を知っているしそこに生きています。言葉の教育によって、人間の加工した社会に閉じ込めていきますが言語を習得するまえにこそ本来は原理原則は伝道する必要があると思っています。

暮らしフルネスはそういう思いから誕生したものです。

子どもたちの未来が、より豊かに幸福になるように挑戦していきたいと思います。

自分への御褒美

生きていると小さな頑張りというものがたくさんあります。何かをしようとしようがしていまいがこの世に生きているというのはそれだけで頑張っているともいえます。

肉体であれば心臓が活動し、体温をあげ呼吸をし、血液を循環させています。毎日、老化していきますがそれは頑張った歴史ともいえます。皺が増え、色々な機能が減退していきます。それも一つ一つ、知らず知らずに頑張ってきたからでしょう。

この当たり前ではないことを忘れるほどに私たちは日常を酷使していくものです。これでもかと足りない方をみては、何かと比べられ自分らしくいることができなくなったりもします。これは幼い頃から教育の影響が大きいと思っています。人は自分というものを労われないと他の人を労わることができません。

そういう私も、つい忙しくなると労わることを忘れてしまいます。すると身体を壊したり、周囲への思いやりが出て来なかったり、物を粗末にしたりと疲れてしまいます。疲れは労いのメッセージでもあり、お疲れ様というのは頑張っている自分自身へのご褒美でもあります。

この褒美の字を調べてみるとこの「褒める(ほめる・ホウ)」という字は、「衣」という字を上下に分けてその間に「保つ」という字を書きます。この「保つ」という字は、大人と子どもが寄り添う様をあらわします。保育の字も、子どもに寄り添い見守る姿がそのまま感じになったものです。つまりにんべんが大人の姿で、「口」の下に「木」と書く部分は赤子がおむつをする様。それに「衣」で包み込みふくらんでいる様子が褒めるです。抱きしめたり、おんぶしたりする様子が想像できます。

そこからこの褒めるという字が「ゆるやか、広い」となり、「素晴らしいことや、よいことを賞賛しほめる」という意味をもつようになったといいます。そこに美しいがついて「褒美」になります。さらに有難いものとして「ご」が入り、ご褒美になるのです。

私は子どもに関わる仕事をしていますが、今更ながらご褒美にこういう意味があることをあまり関心を持っていませんでした。しかしよく考えてみると、子どもが素直に育つのにこのご褒美はとても大切なことだと感じます。現在、問題になっている自己肯定感が持てない問題もまたこの褒美や労うことがなくなってきたからでしょう。

見返りを求めることはよくないと教え込まれてきましたが、報いることは大切なことだと感じるのです。今の私たちの暮らしも、多くの労苦があって存在しています。それを労い、労わり、お互いに報い合うことは自分の存在そのものへの感謝の時間でもあります。

今は、頑張りすぎている人が多く、周囲の評価やスピードで疲れている人が増えています。疲れることがよくないのではなく、疲れるほどに頑張っている人たちを労わらないことが問題だと感じるのです。

これは日本の社会全体で発生している閉塞感の根本的な原因だとも感じています。報恩や報徳というのは、一方的に自己犠牲をすることではなく自己感謝をすることではないかと感じます。

自分という存在に感謝する、自分を褒めること。つまり自分への御褒美を与えることは、見返りではなく恩送りであり恩返しでもあり徳積みそのものです。

色々と学び直して、同じように頑張りすぎている人が疲れすぎて孤独にならないように労いと褒美と感謝を実践していきたいと思います。

体験の質

人はどのような体験をしてきたかで、その人生の質が変化するものです。また同時にその体験をどの意識でしてきたかでさらにその深みも変化します。そして振り返りがどれだけ濃かったかでその体験の意味付けや価値も変化してきます。

つまり同じ人で同じ体験をしても、その体験の質は全く異なるということです。

問題意識や危機感、そして志が高い人や死生観を持っている人ほどにその体験の質は異なるということです。

求道者という人がいます。

これは一般的には真理や悟りを求めて修行をする人のことをいいます。またこの修行は、宗教のような修行だけでなくその道の一流を目指す人にもいわれる言葉です。

この求道者は、常に体験を磨き上げてさらなる高みや深みへと邁進していきます。勉強するなといっても勉強しますし、四六時中同じことだけを考え続けています。そして体験をしたらその体験から何かを感得するのです。

場数が増えればふれるほどに前回よりも何かを掴んでいく。それはまるでただの暗記ではなく、記憶に刻むような作業です。

改善というものもこれに似ています。前回はこうだったから今回はこうするというように、常によく観察をし、物事の流れや意味からさらに善いご縁を紡いでいくのです。何かに繋がっているから、その人には常に点から線になり、その先の面を捉えていくともいえます。

畢竟、御縁というものは求道者の体験そのものともいえます。

日々は体験をするための大切な機会です。

なぜこの体験をするのか、なぜ今なのか、理由などないと思われることであってもそこに必ず学ぶものがあるのが求道者です。体験の喜びや仕合せはこの世に生きていることの証でもあり、この世で生まれてきたことへの感謝そのものでもあります。

時に大変な体験をすることもあり、心が打ちひしがれてしまうときや歓喜に満ちて涙することもありますがその一つ一つの体験こそ質を磨いてくれる砥石です。

子どもたちに今と未来をつないでいきたいと思います。

引力と場

何かの決意と覚悟で物事に取り組むとき、そこには引力のようなものが働きます。不思議と最良のもの、最適なものが集まってくるのです。これは意識せずとも、自然にまるで向こうから集まってくるかのように時が重なりタイミングが合います。

この偶然のようで必然が発生するのは、その「場」に充分に気や志が満ちたということの証明でもあります。

例えば、あるものを磨き続けているとします。それは泥団子でも構いませんし、古い木材、もしくは貝殻を磨いても同様です。ある一定の磨きをかけたら、ある時に突然光り輝きはじめます。

単にコーティングや塗装をしたものではなく、内側のもっているものが光りだすのに似ているのです。この状態になれば、自ずから光を発して変わらない状態に入っていきます。

実際に、舞台や場が磨かれていくとそこには義士が集まり、志が和合し、まるで水滸伝の梁山泊や南総里見八犬伝のように仲間や同志が集まってくるのです。

時間をかけてそれぞれが志を温めるまでの期間、また多くの人たちと志をぶつけ合い錬磨し合う機会の質量がある一定を超えるとき、そこに「場」が誕生するのです。

その場をどうつくるか、そこには夢を実現しようとするもの。そしてその夢に共感して自分もと挑戦をする人たちが必要です。小さくまとまるのではなく、大きなところで目的が同じであればそれぞれが自立して懸命にその目的に殉じていく必要があります。

その時、離れていても、或いは同じようにやらなくても結果は必ず一緒に取り組むところに落ち着くのです。こうやって歴史的な場は誕生し、それが時代を動かす一つの引力になっていくのです。

これは宇宙の働きの姿でもあり、私たちは同じやり方で場を創造していきます。

それぞれの志が一つになっていくことは、人生の仕合せとご縁の喜びです。引き続き、二度とないこの今に集中していきたいと思います。

続 暮らしフルネスの実践と幸福論 

古代ギリシャにディオゲネスという哲学者がいたといいます。この人は、ユニークな哲学者として様々な逸話が遺っています。物乞いのような生活をし、樽を住まいにしていたといいます。またアレクサンドロス大王がなんでも与えてあげようといっても、媚びを売らずに考えるためにどいてくださいと言ったほどだそうです。

例えば、残した名言も印象深いものです。

「つねに死ぬ覚悟でいる者のみが、真に自由な人間である。」

「人生を生きるためには理性を備えるか、それとも首括りの輪縄を用意しておかなければならない。」

「かの金持ちは財産を所有するにあらず。奴の財産が奴を所有しているのだ。」

「私に祖国などありません。私はただ天の下で暮らしているだけなのです。私は天下の住人です。」

「愚人から誉められても嬉しくない。多くの人から誉められたりすると、私も愚人なのではないかと心配になる。」

本来の自由とは何か、そして持たないものと持つものとの間にあって天下の住人とはどういうものをいうのか、まさに真理に生きた人の言葉のように感じます。

またこうもいいます。

「休みたいのなら、なぜいま休まないのか。」

「何もしないこと。それが平和だ。」

今でこそ、捨てることや持たないことなどを実践し、執着を離れることの真の価値を証明している人が増えていますがその当時にそれをやってのけているところは求道者の様相です。

そして私がもっとも共感したのは、幸福論です。そこにはこうあります。

「人生の目的はよく生きて幸福になることである。身体を労苦によって鍛え、健康と力を得るように精神や魂を徳によって錬磨し、その静かさと朗らかさの中に真実の豊かさと喜びがある」

時代が変わっても、流行は変化しても普遍的な真理は一切少しも変化したことはありません。この時代、物が溢れ、お金も成熟し過渡期です。本物の幸福に人類がアップデートしていかなければこの先の未来はありません。

改めて歴史に学び直し、この時代に相応しい「暮らしフルネス」の実践を増やしていきたいと思います。

引導を渡す意味

「引導」という言葉があります。これは辞書を調べると「引導(いんどう)とは、仏教用語である。仏教の葬儀において、亡者を悟りの彼岸に導き済度するために、棺の前で導師が唱える教語(法語)、または教語を授ける行為を指す。もとは、衆生を導き、仏道に引き入れ導くことという意味であるが、そこから転じて前述の意味として使われるようなった」

そこから「引導を渡す」という言葉が出てきます。この「引導を渡す」とは、諦めるように最終的な宣告をすることを意味しています。その他にも、僧が葬儀の際に棺の前に立ち死者に悟りを得るように法語を唱えることの意味も持っているといいます。

つまり、引導とは引いて導いていくとあるように一人では歩けない状態になってしまった人を思いやりで迷いから目覚めるように手引きしてあげるという感じなのでしょう。

人の生死も突然であり、この世にもたくさんの執着を残してしまうようにも思います。ある人は、大切な人のことが気がかりになったり、またある人は大切な約束を果たそうとしたり、やり残したことや後悔しそうなこともたくさんあります。しかし実際に、この世に肉体がなくなりどうしようもできなくなってしまったことにも諦められずにこの世に留まろうとしてもそのままでは何も変わりません。

時が流れていく以上、時と共に私たちも歩き続けていく必要があります。新たな道へと歩んでいくのにどうしても一歩が踏み出せなかったり、時には一人で歩んでいくことが怖いこともあるのかもしれません。

その時に、こちらですよと優しく声掛けてくれたり、そろそろですよと時を知らせてくれたり、また或いは、迷いから目覚めさせてくれたりする存在に救われるものです。

悟りというものは、器が空っぽになったり眠りから覚めたりすることに似ています。道は一緒に歩み続けているものであり、道は生死問わずにみんな循環を続けているともいえます。

私たちの先祖は死者も共に歩んでいくという死生観をもっていました。たとえ肉体が失われてしまったとしても、魂として生き続けて別の次元ではいつも同じ道のどこかを歩んでいると感じていたのでしょう。

二度とないこの今、この世の道ではまだできることがあります。引導を渡すような機会はなかなかありませんが、宿坊、守静坊の甦生によってその機会が得られることに有難く思います。

真心を籠めて、取り組んでいきます。

普遍的な若さ

人間には「若さ」というものがあります。この若さは、年齢的な若さもありますが同時に魂の若さ、精神の若さという心の瑞々しさのようなものがあります。人はいつかは年老いて死にますが、肉体以外のところは死ぬことはありません。つまり若さというのは、普遍的なものであるということです。

この普遍的なものをもって生きている人は、肉体の変化にも関わらずいつまでも若いのです。逆に肉体が若々しくても精神が年老いてしぼんでしまう人もいます。大事なのは、いつまでも心や精神を磨いて挑戦を続けて若さを謳歌していることのようにも思います。

改めて、サミュエル・ウルマンの青春(岡田義夫氏訳)を詠んでみるとその普遍的なものを表現しています。

「青春」

「青春とは人生の或る期間を言うのではなく心の様相を言うのだ
優れた創造力、逞しき意志、炎ゆる情熱、怯懦を却ける勇猛心
安易を振り捨てる冒険心、こう言う様相を青春と言うのだ

年を重ねただけで人は老いない。理想を失う時に初めて老いがくる
歳月は皮膚のしわを増すが情熱を失う時に精神はしぼむ
苦悶や、狐疑、不安、恐怖、失望、こう言うものこそ恰も長年月の如く人を老いさせ、
精気ある魂をも芥に帰せしめてしまう
年は七十であろうと十六であろうと、その胸中に抱き得るものは何か

曰く「驚異えの愛慕心」空にひらめく星晨、その輝きにも似たる
事物や思想の対する欽迎、事に處する剛毅な挑戦、小児の如く
求めて止まぬ探求心、人生への歓喜と興味。

人は信念と共に若く 疑惑と共に老ゆる
人は自信と共に若く 恐怖と共に老ゆる
希望ある限り若く 失望と共に老い朽ちる

大地より、神より、人より、美と喜悦、勇気と壮大そして
偉力と霊感を受ける限り、人の若さは失われない
これらの霊感が絶え、悲歎の白雪が人の心の奥までも蔽いつくし、
皮肉の厚氷がこれを固くとざすに至ればこの時にこそ
人は全くに老いて神の憐れみを乞う他はなくなる」

改めて、こういう心の持ち方、心の生き方をしていきたいと思うものです。一生一度のこの一期一会を味わっていきたいと思います。

山が故郷

私たち日本人の先祖たちは山というものを魂の故郷のように感じていたといいます。そして死者になった人たちを先祖と呼び、記憶の存在ではなくいつも身近に存在しているという信仰を持っているといわれます。

これは小泉八雲も同様のことを言っていますが、世界では死者と生者ははっきりと区別され別々の世界にいるともと思われます。しかし、日本ではご先祖様やお天道様というようにいつも身近で見守ってくれている存在と感謝をしているように思います。

例えば、仏壇や神棚にも死者に食べてもらおうと供養や奉納をします。他にも何度も通っては報告をしたり、相談をしたり、節目には挨拶に伺います。まるでそこに行けば、会えると信じ切っているかのように死しても存在しているものとして接していくのです。

これを死者崇拝という言い方をした人もいますが、今も生きていると信じて追善供養のように接しているのです。つまり一般的な生きる死ぬという物質的な存在の変化とは別に生死を度外視して常に変化せずに永遠に存在しているものとして接しているのです。

つまり、魂のように生きていても魂があり死んでいても魂はあるという考え方があるということです。そしてその魂は、山から降りてきて一生を生き、そして死して山にまた還る。そしてその山からまた降りてくると永遠の循環を続けている存在として直観しているのです。

山に墓があるのも、かつては山で埴輪を焼いたのもまた魂の在り家があると信じられたからです。そして死後の世界でも仕合せになってもらおうと、この世に生きている存在が死者の御蔭様に祈り続けていくのです。それは同時に、死者もこちらのことを祈り続けてくださっていると信じているからです。

この普遍的に祈りあう存在のことを日本人はカミと呼びました。そしてその八百万のカミたちがいつも身近な土地にいて氏神様としてその場から離れずに見守ってくださっていると信じているのです。

だからこそ、その土地土地には氏神様がお祀りされていてご挨拶や御礼、お祈りをしにいくのです。これはまるで実家に帰るような感覚や親戚や友人、祖父母に会いにいくような感覚なのでしょう。

最近では、西洋的な宗教観が入ってきて氏神様の土地や場所も一つの宗教施設のようになってしまいました。しかし山が故郷という考え方は何千年もの長い間、日本人の心や生き方を支えた豊かで幸福な生き方であったのは間違いありません。

現在、英彦山の甦生に関わっていますが何を甦生する必要があるのかということを真摯に考え直すことばかりです。子どもたちが安心していつまでも心の平安を保ち仕合せであり続けられるように使命を果たしていきたいと思います。

九州の総鎮守

以前、九州自然歩道のことを調べているとそれが英彦山に続いていたという話を友人に聞いたことがあります。これは長い年月をかけて人々が、信仰によってあるいた巡礼の道があったということも意味しています。

そしてその場所には、点と線を結んだところにそれぞれ総鎮守というものがあります。この総鎮守とは、国または土地の全体をやすらかに守る神や総社のことをいいます。それぞれの住んでいる場所には、それぞれの鎮守がありその広さが大きくなっていきそれをまとめているところが総鎮守という具合です。またそこには一宮、二宮という言い方もします。

大体、その土地や地域を巡り総鎮守にいってみるとそこが何らかの発祥の地であることがわかります。つまり始まりの場所ということです。総鎮守には、全体を広く纏めるという意味とあわせてそこがはじまりの場所であるということもあるように思うのです。

言い換えるのなら、そこからすべての発展がはじまる原点があるということです。人間であれば初心があるということです。

私たちは、道すがら点があるのならそこに原点回帰しながら歩んでいくという智慧を伝承しているからでもあります。何度も生まれ変わり、先祖の想いや祈りを生きている私たちは時としてその原点に出会い自分の役割や使命を振り返ります。道は、巡礼そのものでありそのご縁や御蔭様や意味に触れては感動し感謝するのです。

総鎮守に詣でることは自分の原点を確認することになります。自分の原点を確認すれば人はそこに確かな運命や意味を実感して確信に至ります。勇気の源泉にもなり、偉大な信仰を呼び覚まします。

九州にも総鎮守というものがあるはずです。私はそれを英彦山だと思っています。その理由は九州の歴史は英彦山から始まったことがあまりにも多いことと、九州の巡礼の道が英彦山に向かってつながっているからです。

一つの九州という言い方を九州人はします。英語でONEKYUSHUという言い方もしています。それではその九州の総鎮守はどこかといえば英彦山にこそあります。それをこれから証明していきますが、九州人ならみんな英彦山を大切にすることで原点回帰すると私は信じています。そして九州は日本の始まりの場所ですから、九州が甦生すれば日本全体が甦生するはずです。

忘れてしまった歴史、隠された歴史、失われた歴史を甦生し、九州の場で新たな歴史を結びたいと思います。