英彦山の宇賀弁財天

昨日は、英彦山にある宗像神社にてお掃除とお手入れ、ご祈祷を行いました。ちょうど守静坊が最もその神社に近く、よくお参りする場所です。巨大な山のような磐座があり、そこからの景色は広大です。また磐座に立つとそこから英彦山の山頂が拝めるようになっており、古代からこの場所で祭祀が行われていたような感覚があります。

そもそもこの宗像神社がなぜ英彦山にあるのかということに疑問があり色々と深めていきました。地域の人たちは宗像神社とは呼ばず、弁天様や弁財天と呼んでいました。この弁天様や弁財天というのは、仏教の守護神である天部の一つでヒンドゥー教の女神であるサラスヴァティーが仏教に取り込まれた呼び名です。この天部とは、元々は仏教の生まれたインドで仏陀の生まれる前から信仰されていたバラモン教やヒンドゥー教の神様などが仏教に取り込まれた神々ということです。

日本で最も古いと言われる弁財天は東大寺法華堂に安置されていた奈良時代の弁財天像といいます。八臂辨財天(はっぴべんざいてん)といい、八本の手に八つの道具を持って仏法を守護しているともいいます。そしてもう一つが、宇賀弁財天(うかべんざいてん)というものがあります。この宇賀の神は中世以降に庶民の間で信仰された蛇や龍の化身とされる神さまのことです。一般的には翁面蛇体の宇賀神をいただく姿の弁才天が信仰されて十五童子を伴っています。

英彦山のこの宗像神社の御神体と像は、この宇賀弁財天です。もともと弁財天は、お水の神様でありインドでは川の神様です。そしてこれは龍を顕します。

英彦山は神仏習合の山で修験道のはじまりの地です。その修験道の開祖は役行者です。豊前坊という天狗の場所がありますが、そこに役行者の石像と龍、そして不動明王が祀られています。お水が滾々と湧き出る場所です。そして役行者の母は、女山伏の祖ともいわれており、白専女(しらとうめ)、また渡都岐比売(とときひめ)、刀自女(とらめ)といいます。そのその白専女は、宇迦之御魂神の御霊を持っていたといわれています。

つまりここから推察すると、元々のご神体は瀬織津姫であるということです。修験道の祖が何をお祀りしていたのか。これは私の勝手な洞察なので、責任は私が持ちますがお水が古代においての最も重要な信仰のはじまりであり、私たちはお水から心を学び、お水から智慧の全てを学びました。この世の全ては、お水が変化したものでありお水の化身がこの宇宙の存在ということでしょう。

その存在に気づいた役行者が瀬織津姫をお祀りして修験道がはじまったのではないかと私は直観します。最初の導いた神様が宇賀弁財天、瀬織津姫であったということでしょう。よく考えてみると、大祓祝詞にも瀬織津姫は水を司る神様とされています。仏教では龍神です。八大龍王ともいいます。

そして弁財天が音を司るようになったのは、その水の流れる音と繋がりがあるといいます。音のはじまりもまたお水からということでしょう。

今年は辰年で龍にご縁ばかりがある歳です。有難い英彦山のお水に見守られながら、お水の持つ徳を伝承していきたいと思います。

新たな種~第二創業

創業という言葉があります。これは事業をゼロから創ることです。そして第二創業というものがあります。これは創業して成長し成熟し、そして衰退するときにまた新たな種を蒔き芽を出しまたゼロから成長していくときの節目のことです。

宇宙のなかで地球に住むとこの場所の摂理というものがあります。それは重力や引力があるのも、陰陽がありバランスをとるのも、また呼吸をして水を循環させいのちを保つのも「最初から決められて存在している」ものです。これを「自然の摂理」とも私たちは呼びます。

その自然の摂理の中に、種から芽が出て成長し花や実をつけて枯れてまた新たな種になるという循環があります。私たちが赤ちゃんで生まれてから成長し老化して死に至ることも摂理でありそれは最初から決められているものです。地球が丸いことも、水に包まれていることも、太陽との距離が一定であることも月が傍にあるのもこの場所が持つ摂理です。

摂理というものは、いちいち逆らっても仕方がないのでその中で私たちは最善の体験をして摂理を学びそれを活かし、いのちを繋いでいきます。植物も年々同じ四季を迎えて同じ成長をしているようですが変化し続けているものです。天候、気候も変わり時も経ち周囲の循環すべてが微妙に変化していますから同じであることは不可能です。その同じではないことに対して、どんなものでも小さな変化を続けていきます。それが成長の本質でもあります。

摂理にはサイクルがあり、また新たに生まれ変わるような状況を意図的に創り出します。それが死というものです。ある意味では、私たちの生死とは摂理の中で創り出した自然と共に永続して生きるための最善の智慧であり仕組みです。

そしてこの生まれ変わりというのは、実は日々に発生しているともいえます。毎日、夜寝て朝起きては細胞をつくり毀し新しい自分として甦生させます。これを繰り返していくなかで老いて死ぬまで細胞分裂を繰り返します。そのうち別のいのちと和合して新たないのちを産み出します。それが赤ちゃんです。子どもは瑞々しい産まれたての好奇心を発揮して新たな環境を創り出すのです。それが創業のサイクルです。

永続している老舗やまだ数十年ほどの会社であってもこの創業のサイクルは発生しています。そして自然の摂理に沿ってまた新たに生まれ変わるのです。自然に逆らえばそのまま終焉を迎えます。それだけ自然というのは、循環することや永続することを最も大切な摂理にしているのです。終わることは最初からないということです。終わるのは私たちが摂理に合わせて終わらせているのです。

そう考えてみたら有難いことに第二創業というのは、それまでのいのちが充実して結実し新たな種を創るところまで時間も経験も醸成したということの証です。何もなかったところから、志に導かれ目的を定め理念を磨き、仲間を集め、形として顕現するところまで生育して成長して終わるのです。いわば、次の種を創れるところまで成長してきたということです。

一つの種ができるためには、大切な時間といのちを使う「思いの醸成」が必要でした。種はちゃんとこの思いの醸成という自然の摂理を通らないとできませんから種が新たにできたというのは思いの結晶が誕生できたということです。

その結晶を軸に、新たないのちの芽を出していくのが第二創業です。不易と流行という言葉もありますが、変わらないものを持っているからこそすべてを変えていくことができるのです。つまり摂理が変わらないからこそ、我々が変わっていくことができるのです。世の無常というのは、歴史を鑑が観ても明らかです。人の生死のように摂理はいまでも揺るぎません。新たな門出に、感謝の気持ちがこみあげます。

ここ数年取り組んでいる修験道でも、山伏が峰入りするのは擬死再生や母胎回帰の通過儀礼を意味しますがある意味、第二創業にも似ています。生々流転していくことは仕合せなことであり何よりおめでたいことです。

昨日は、カグヤのクルーたちと共に百年自然酒を酌み交わして予祝をしました。いつも善いご縁、善い仲間、そして徳に包まれて有難い時を過ごしています。

この機会をいただけたこと、そして新たないのちが誕生していくこと、摂理と共に永続していく喜びに感謝しています。子どもたち、子孫たちに徳が譲り渡されていくことを信じて新たな種と共に社業を邁進していきたいと思います。

暮らし=生き方

昨日は、千葉県神崎市にあるカグヤのむかしの田んぼで視察研修を行いました。この田んぼは、取り組みだした13年前から一度も肥料も農薬も入れたことはありません。しかしある研究機関がお米を分析調査していただくと、非常に抗酸化力が高いと驚かれました。また味も美味しく、お米好きな人や本物好きな方にとても好評です。

何か特別な農法をしているのかとよく聞かれますが、実際にやっていることといえば、社員みんなでお田植祭や新嘗祭などをしご縁に感謝して楽しく取り組んでいるくらいなものです。

福岡県飯塚市でも伝統の在来種の高菜を自然農法で育てていますがここもまた同じく肥料や農薬を一切使っていません。しかし市販の高菜と比べたら、味も複雑で濃く、同時にピリリとした辛みと野性味があります。虫にもほとんど食べられることなく、見た目の元氣さも特別です。

ここも特別な栽培方法をしているわけではなく、家族で多少の草取りと作業しながら美味しいご飯を畑で食べたり、音楽を聴いたり歌ったりしながら楽しみ有難い時間を過ごしているくらいです。

現代は、すぐに収量を余計に気にします。それは儲からないからです。大量につくれば多く稼げます。しかしその大量を優先すれば、大量になるような農法をしなければなりません。そこから様々な欲望が芽生えていきます。一緒に育つ大切なパートナーを儲けのためだけに利用するようになるのです。

これは養鶏も養豚も養殖なども同じです。餌に何かを足し、抗生物質などの薬を投与し、大量に育てては安く販売していきます。世の中の経済の在り方が、そもそも安く大量にを推奨してきましたからみんなそのことには疑問にも思いません。いいものを安く買えるのは正義のようになっています。それが現代では、人間にも同様なことが発生して安くて大量な人材ばかりをつくろうとします。

そもそも私たちのご先祖様たちが取り組んできた理想の姿を見つめていると損か得かとか、利益があるかないかではなく、常に「生き方」というものを大切にしてきたことがわかります。

今でも見事な風土や貴重な在来種の種が大切に残っているのは、その種を守るために自分の生き方を磨いてこられた人たちがいたからです。特に何百年や千年を超える老舗を見学するとその磨かれてきた生き方が随所に垣間見ることができます。彼らは、単に儲けのために材料を利用するのではなく、今でも生き方を守り感謝して代々の願いや祈りを伝承して味わって暮らしているのです。

私が「暮らしフルネス」にこだわるのは、生き方にこだわるからです。暮らしをどう定義するのかは色々とあるでしょうが、私にとっての暮らしは生き方です。暮らしを換えるというのは、生き方を換えるということでそれは人生を換えるという選択です。

どのような人生を歩んでいくかは、その人が決めることができます。何を大切にするのかを判断するかは、まさに日々の生き方が決めていきます。時代が変わっても、生き方はそれを伝承していく人たちによって結ばれ繋がり永遠です。

いい土を遺してくださった存在や、いい種を繋いでくださった先人、そういう有難く温かい真心をいつまでも継いでいきたいと思うものです。現在、お米のことを深めてお米を甦生していますがお米には何かそういう先人たちのいのりを感じます。

子どもたちの未来のためにも、暮らしや生き方を見つめ直していきたいと思います。

蕎麦の文化

蕎麦打ちをはじめて蕎麦を食べ続けていますが、お米と同じように飽きることはありません。特によい蕎麦はとても美味しく、こんな素晴らしい食べ物をなぜ今まで知らなかったのかという感動が何度も押し寄せます。

私は十割で打っていますが、世の中の蕎麦屋さんでは小麦や山芋を入れているところが多くあります。最近のチェーン店では麺に蕎麦も入っていないのに蕎麦といっているところもあります。

蕎麦は日本の大切な文化なのでその尊厳を守ってほしいと願うばかりです。

蕎麦は、中国が原産とも言われていますが実は日本でソバの栽培が始まった時期はそれよりももっと前からあったといわれます。高知県内で9000年以上前の遺跡からソバの花粉が見つかり、当時からソバが栽培されていたことが発見されました。またさいたま市岩槻区でも3000年前の遺跡からソバの種子が見つかっています。つまり縄文時代からすでに私たちの先祖は蕎麦を栽培し食べていたということになります。

お米はというと、縄文時代の後期(約2800年前)とされていますので蕎麦は日本人の食のルーツの一つであるのは間違いありません。

もともと「蕎麦」という字の由来を調べると、蕎麦の「蕎」という字は、「とがったもの」とか「物のかど」を意味する「稜」のことです。蕎麦の実が三角卵形で突起物になっているのが理由でそれでその角がある形状から、「稜麦(そばむぎ)」と呼ばれていたといいます。

この稜という字を重ねると「稜稜」といって「稜稜し(そばそばし)」とい言葉がありました。これは「かど立っていて、よそよそしい」という意味だそうです。そこから「高層建築物の上の草」を意味する「蕎」という漢字が使われるようになり蕎の字になり「そば」と呼ばれています。そして麦は、小麦や大麦と区別するために蕎麦となりました。

蕎麦の麺だけをみていたらとがったものというイメージがないかもしれません。私はそば殻の枕を使っていますから頭の高さを調整するときに中身をみるととがっているのがすぐにイメージできます。

今は機械がありますが、むかしの人たちはこれを石臼で丁寧に脱穀して大変だっただろうと思います。さらに石臼が入ってくる前は、どうやって脱穀したのだろうかと。きっと煮込んでスープにしたり、小さく砕いてパンのようにしたりして食べていたのかなと想像できます。

今では信じられないかもしれませんが、ずっと以前の私たちのご先祖様たちはそうやって食べ物として大切に栽培してくださったことを思うと頭が下がります。蕎麦は今でも日本人に人気ですから、これからも大切に初心を忘れずに食べていきたいと思います。

剣聖や医聖の生き方

塚原卜伝という人物がいます。のちに剣聖と呼ばれる人物です。戦国時代に戦わずして勝つという思想を持ち、その極意である一之太刀は「国に平和をもたらす剣」であるとされ尊敬されたといいます。

よく考えてみると、戦国時代はまさに戦いの世の中です。戦いを終わらせるために新たな戦いをしては戦国時代は終わりを見せません。仮初の平和というのは、強いものが出て仕方なく戦わないでいるだけで弱くなればまた争いの世の中です。人類史の歴史は、いつまでもこの戦いを続けています。戦いというのは、ある意味で人類にインプットされた必然なのかもしれません。

だからこそ、どう戦いを終わらせるのかというのが勝つということかなのかもしれません。この剣聖の塚原卜伝は、無手勝流といって戦わないための仕組みを考案しました。その一つは、戦わないということを極めることで未然に戦いを防ぐ意識であったり、あるいは敢えてそれを避けるために行動するということです。侍であれば非常に憶病にみえますが、実際の戦いでも一度も負けたことがありません。この負けるということの定義が、一般的な勝ち負けではないことはすぐにわかります。

そういえば以前、似た話で扁鵲のことを書いたことがありました。これは中国の同じく春秋戦国時代の伝説の医者のことです。この扁鵲はその時の皇帝から認められた真の名医ですが兄弟の中ではもっとも自分の医術が低いといいます。それは長兄は発病する前に未然に防ぐ人で、次兄は病気が軽いうちに少ない薬と施術で治す人で、扁鵲は病気なってから人を治す人だからだといいます。

発生する前に決着が着いているというのが、まさに戦わずして勝つということなのでしょう。

今の時代の有名人や評価されている人たちは、果たしてどれが一番でしょうか。私は塚原卜伝や扁鵲の長兄のような人物こそがこの世を平和に導く真の聖者ではないかと感じます。もちろん、それぞれに役割がありますがだからこそそういう市井の隠者のような人物を探し求める必要があるのではないかと思います。

世の中の変革は、決して目立つような派手なところ、権力があり膨大な財力や名声があるところで発生しているのではありません。塚原卜伝や扁鵲の長兄のような人物が裏で支えているのでしょう。私もそうありたいと思います。

子孫のためにも、人類の未来のためにも徳を磨いて徳の循環する世の中に貢献していきたいと思います。

役割の尊さ

すべてのものには役割というものがあります。それはそのものにしかないものです。不思議なことですが役割は交代することもあれば、急に別な役割をいただくことがあります。自分がこういう役割を果たしたいといくら思ってみても、あるいは役割が果たせない状態になっていたとしても役割は与えられることがあります。その時々の役割があって、それを体験することで自分というものの可能性を新たに発見していくことがあります。

例えば、器というものがあります。一つのお椀というものでもいいです。はじめはご飯を食べるときに食べ物を容れるものでしたがそれが愛着が湧いて自分の大切な暮らしのパートナーになります、時には汁を容れたり、またある時は子どもの御粥をつくったり、時には保存するものに使ったり、割れたら修繕し、大切な時の縁起担ぎや御守りになったり、そして場をととのえるお花や苔を活けるものになったり、最後は一緒に土になったり、それぞれにその時の役割を全うしていきます。

私は古民家甦生に取り組んでからその「役割」というものをとても強く感じるようになりました。私の身近にあるものは、長いものは数百年の役割をもっていた道具があります。伝来するなかで多くの人たちにご縁があり大切にされ、あらゆる役割を果たしてきました。

色々な役割を経てきたものが持つ美しさや洗練された徳には頭が下がる思いがします。

現代の社会では人間は役割というものを誰かによって決めつけられるものです。あるいは、自分の役割を自分勝手に決めつけては苦しんでいるものです。しかし本来の役割というのは、自然に与えられるものです。

与えられた役割を全うする生き方というのは、仕合せで豊かなものです。他人と比べて幸福の善し悪しを嘆くよりも、自分に与えられた最も尊い役割を実感することで有難い気持ちが満ちてきます。時にはそれが自分の思っていないものかもしれませんし、世間的にはあまりよいものではないと評価されることがあるかもしれません。

しかし不思議なことですが、自分にしかない役割を天が与えてくれていることがほとんどです。それをどう受け取るかは自分次第でもあります。他の誰かにはなれないからこそ、自分の役割を全うする喜びに生きることが大切です。

教育というのは、何かにさせるのではなく、役割に気づいてその役割を全うする中で出会うご縁に感謝していく人を見守っていくことではないかと私は思います。今の価値観では、そして日本の教育環境という空気を吸っている中ではそこは議論の中心になることもなくなっているのかもしれません。

徳というのは、本来は観えないものです。だからこそ、気づく環境を用意して見守るのがある意味での教育者の役割かもしれません。生意気なことを言っているようですが、役割の尊さに気付けることが入り口に立つことだろうと私は思います。

子どもたちに役割があることを丸ごと信じてそれぞれの人生を全うする喜びを伝承していきたいと思います。

真理と生きる

久しぶりに三重県伊賀市にいる私のメンターにお会いしました。コロナもあり、お便りが途絶えていたのもあり心配していましたがご夫婦共にお元氣で安心して嬉しい時間を過ごしました。

いつお会いしてもとても純粋な方で、遠い未来を見つめて深く考えて行動されておられます。世間一般には、気ちがいや変人などといわれていますが私にすればそうではなくあまりにも根源的な智慧に対して正確無比で本質的、そして自然的に真実を語る姿に現代の価値観に毒された人たちや刷り込まれた人たちには理解できないだけです。

よくお話をお聴きしていると、すべては自分の実体験からでしか語っておられず、そして自分の身に起きたことや感じたものを素直に掘り下げてそれを誰よりも素直に受け止めて歩んでおられます。色々な大変な人生を送っておられますが、大変強運でいつも何か偉大なものに助けられておられます。

奥様も大変素敵な方で、実践を味わい感謝も忘れていません。ご夫婦でバランスがよく、なかなか冒険的な人生を楽しんでおられます。人柄というものは、人徳と合わせてにじみ出てくるものです。

今の時代、世の中の価値観が本来のあるべきようと離れて道からズレていたとしても粛々とそれに抗いながらも人類のためにと愛をもって様々なことに取り組んでいく姿にはいつも共感を覚えます。

純粋な方が居る御蔭で、私も多少世の中と調整しながらやっていこうとする気持ちが産まれます。常に希望があるのは、その方が純粋性や夢を諦めていないということです。

今回の訪問でメンターは新たに物事を見極めるモノサシを定義されておられました。そこにはこうあります。

「真理と断定できる条件」

1.生死がない

2.損得がない

3.表裏がない

4.不変である

5.万物に公平公正平等である

6.永久永遠に継続する

これは、よくよく見つめ直すと自然の姿であること。これではないことは不自然であると言っているように私は思います。如何に今の人間や人類が自然の道から外れているのかを物語ります。

人は、人生の最期にこの世に産まれてきて何をしてきたかの総決算があります。それは徳に顕現されてきます。その時、自分はどのように生きたかということを自覚するのです。

私も一期一会、一日一生のこのいのちをどう生きるか、いただいてきたものを感謝で恩返しできるよう徳に報いる人生を歩んでいきたいと思います。

ご夫婦には、純粋さで同志を励ます存在でおられるよういつまでもお元氣で健やかでいてほしいと思います。いつもありがとうございます。

好奇心と本質

どの道を極めていくにも先入観のなさというのは大切なことのように思います。思い込みというのは、本来の純粋さを失わせていくようにも思います。そもそも最初は、思い込みなどなかったところからはじまりました。それが知識を経て、後からこういうものだと付け足していきました。それは後の人の解釈であり、最初の人は損な解釈をしていません。

これはどのようなものでも同じです。誰かがそういったから、それがいいと思ったというのは自分が最初に思ったのとは異なります。誰かがいったことを認識して、きっとそうだろうと思い込んでいるものがほとんどです。自分の当初の感覚ではなく、誰かの感覚で認識するのです。

現代は特に、知識で塗り固められた世の中で情報過多の時代です。しかも専門家や権威が仕上がっており、最初から考えることもなしにそういう人たちの評価や意見を鵜呑みにしてしまいます。さらにみんながそう言ったからという常識に縛られてしまいます。これでは、本当のことはほとんどわかることはありません。さらに質の悪いことに、専門家ではないことや資格を持っていない、あるいは認可がないや許可もないとなるとすぐに偽物として邪魔をしたり法律違反や詐欺のようにいわれることもあります。

純粋に素直にそのものに向き合う人が減っていくのは、それだけはじめに先入観や思い込みを植え付ける環境が整ってしまっているからのように私は思います。

そういう自分も、先に誰かによって刷り込まれた知識が膨大にあります。そこから考えなくなり感度も下がり、常識のようなものに呑まれては気づかないことが増えました。日々にその思い込みや刷り込みを取り払うだけでも学びが精いっぱいで発見や発明できる驚きの日々にはまだまだ追いつかないほどです。

好奇心というものは、先入観や刷り込みがあることで次第に減退していくものです。何でも初心、はじめは素人と取り組むからこそ本当のことが観えてくるものです。自分の知っているものをそぎ落とし、先人たちのように最初に感じたものに近づいていくのはすべて好奇心がなせる業です。

好奇心のままに、真理に向き合い、実践や行動によって本質を保っていきたいと思います。

タイミング

私はいつもタイミングに見守られて不思議な体験をすることが多くあります。その体験は、その時に今しかないことが発生しそこから示唆を受けることしかないからです。何の意味のないようなことであっても、意味はあり、その意味が教えてくださったことに導かれて歩んでいると次第にタイミングが合ってくるのです。

これを私は一期一会ともいい、ご縁に活かされた人生とも呼んでいます。

久しぶりに鞍馬山に来ています。先週からずっと英彦山でしたが、よく考えると20代の後半からずっと鞍馬山と英彦山の往復をしてきました。何回、往来したかも覚えていないほどです。しかしどちらも天狗がいるお山で、教えがあるお山です。お山という存在を認識したのもこの二つのお山を往来するなかで体験したものです。

このお山というのは、単なる岩や土が盛られたところではないことは誰でもわかります。お山にもいのちがあり、ずっと場が生きている存在です。これは地球としてもいいし、太陽などの星といってもいいものです。生きているというのは、確かな意味を持って存在しているということでもあります。その意味は、自分との関係性や結ばれ方、つながり方で認識し直観するものです。

そしてそれを理解するのは先ほどタイミングというものがとても大切な要素になっていると私は思います。なぜこのタイミングでこの場にいるのか、そういうものを深めていくと自分に確かな意味があることに気づくからです。

私は鞍馬山の御蔭で、いのちというものの存在に深く気づくことができました。そしてそのいのちが輝くということの意味を学ぶことができました。現在世の中では多様性とか公平性とか色々といわれますが人間社会でいうそれと、自然界や宇宙などでいうそれは意味も異なります。

私が鞍馬山で学んだことは、もともと最初からこの世にあったものについてのいのちの存在です。私たちが人間として今、文字や言葉で認識するずっと以前からいのちというものは存在してきました。

そのいのちは、自分の周波数や波長、あるいは意識を変えることで認識することができるものです。それは人間様になっているような現在の環境ではなく、ひたすらに謙虚にいのちと向き合うことで観えてくる境地です。感覚を研ぎ澄まし、徳を顕現しては今というタイミングを生ききること。

そういう生き方の集積によって少しずつ、意識は変容していくように私は思います。そしてそれもまた場数によって変わります。運のいい生き方というのは、出会いやご縁を大切にする生き方でありそれはタイミングの妙を片時も忘れない生き方でもあります。

またこの場にこれたことに感謝しています。善い時期にこうやって導かれ呼んでいただけるのことに天意や神意を感じています。今日も一期一会のタイミングを生きていきたいと思います。

巳の縁日

2024年3月30日の英彦山守静坊のサクラ祭りの日は弁財天の縁日「巳の日」です。この守静坊の谷はむかしから弁財天をお祀りしている場所でとても深いご縁がります。この日に芸能と徳積経世済民ができることに改めて感謝の気持ちが湧きます。

この吉日のひとつである巳の日(みのひ)は、約20日から40日の間に一度訪れる吉日です。この巳の日の巳とは、蛇のことです。この蛇(白蛇)は、弁財天のお使いをする動物です。弁財天との結びつきが強い巳の日は、運気の上昇に加えて、金運が上昇する日としても知られむかしから信仰の対象になってきました。巳の日と己巳の日は、財布を買ったり、神社にお参りしたり、銭洗弁天でお金を洗うと、金運や財運のご利益が得られるとされ各地で祈祷しています。

弁財天は、芸術・芸能・勝負事・学力・学問・財運といった、様々な運気を上げる神とされているのでそのお仕事や志を持っている人たちは大切に信仰してきました。日本は神仏混淆しているため、あらゆる神様が和合していますがもともとこの弁財天という女神は、日本では瀬織津姫や市杵島姫命、龍神とも同一であるといわれます。

もともとこの巳の日といったものは、中国の陰陽五行説に基づいています。十干「甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸の10種類」と十二支を合わせたものが干支です。陰陽五行説では世の中の全てのものは陰と陽、木・火・土・金・水に分けられると考えられます。具体的には、木は火を生み、火は土を生み、土は金を生み、金は水を生み、水は木を生むという具合です。なので、巳は土、土は金を生むということで財宝や財運が湧くということです。

偶然ですが、純白のしだれ桜に喜んでいただくために音楽や絵画の奉納三昧になりましたが弁財天様にも喜んでいただくことができそうで有難く思います。来坊の皆様に偉大な幸運や幸福、財運が届くように真摯に場を調えていきたいと思います。

一期一会の弁財天様との縁日を、ご一緒できることを心から楽しみにしています。