ひな祭りの甦生

現在、桃の節句でひな祭りの季節です。この節句というのは、中国の暦法で季節の節目のことをいいます。有名な五節句は1月7日の人日の節句、3月3日の上巳の節句(桃の節句)、5月5日の端午の節句、7月7日の七夕の節句、9月9日の重陽の節句になります。

この節句の節の定義は、奇数が重なるときに陽が重なり陰になるということからその禍を避け邪気を祓うためにはじまったものです。それが日本の農耕と合わさり、日本の伝統行事に昇華され今に至ります。

一時期、明治新政府が五節句禁止令というものを出しましたが実際にその時には今までの伝統行事を急にやめることはなく継承されたといいます。しかし今は、ご節句禁止令など出てなくても次第にその行事が失われてきました。

本来、意味があったものが意味がないものにされることでそのものの本体が喪失します。意味を伝承してきたことが本来の伝統行事でありそれが流行に流されたり経済効果だけを優先するなかで失われてしまうことはとても残念です。そもそも行事は何のためにあったのか、そしてその意味や由来はどうだったのかは実践する人たちが後ろ姿や口伝などで示していくしかありません。

子どもたちへ籠めた願いや祈りがそのままに未来にまでつながっていくことを信じるばかりです。

今週末は、「流し雛」というものをやってみようと思っています。この流しびなは、ひな祭りのルーツになったものと言われています。これは「源氏物語」にも出てくる話で、人型の形(かたしろ)を舟に乗せ須磨の海に流したそこには記されます。

むかしは、病気は禍いや祟り、邪気のようなものと恐れられていましたからそれを祓い清めることで福にできると信じていました。特に自然界の植物にはいのちが宿ると信じられていましたから、その自然物を自分の「形代(かたしろ)」にして悪い箇所(痛みのある部分)にその形代を撫で付けて痛みをうつし川に流していたといいます。これが雛祭り(雛人形)につながっているといます。

今は木の葉や自然物を用いた「形代」を使わずに「桟俵(さんだわら)」という藁で舟をつくり、その中に紙粘土で作ったお人形と願い事を書き入れた紙を一緒に入れて川に流すという具合に発展しているといいます。

しかし本来は、葉っぱや植物、その他の形代を流すことで穢れを海に沈めてもらおうとしたのです。私は神社をお祀りして祝詞をあげだしてわかりましたが、大祓祝詞の中にも、数々の神様が川から海に穢れをもっていって清め流して沈めてくれて取り祓うと記されています。

日本人は、いのちや魂を信じていてそれが依り代としてこの世に出てきたり、形代として移したりできると信じていたのです。私の先祖の土師氏も、埴輪などの土器をつくりそこに息を吹きかけて形代にして埋葬することをやりました。

いのちの移し替えをすることを知っていたように思います。ものづくりをする人たちは、自分たちの想いがモノに宿ることを知っています。これもまたいのちの移し替えり、私たちはこの世にでて多くの形代を持っているのです。

今の伝統行事がどのように受け継がれてきたか、みんなよくその意味を学び直す必要があるように思います。意味がある行事を意味のないものにするのは、それを深めたり磨いたり、探求したり本質を学ぼうとしなくなるからです。忙しくなる理由は、そうやって実践することを怠ることでさらに心は迷いわからなくなるからです。

どんなに忙しくても、伝統行事を丁寧に丹精を込めて取り組めば暮らしの柱はそこで支えられます。本来の日本人の生き方、そういうものが正しく子孫へ伝承できるように実践を積み重ねていきたいと思います。

室礼の本質

来週、古民家講習会の3回目で室礼について行います。この室礼は大和言葉であることはブログで書きましたが改めて飾ることと室礼することの違いについて少し書いてみようと思います。

飾るという言葉を辞書で引けば、「1 他の物を添えたり、手を加えたりするなどして、美しく見せるようにする。装飾する。「食卓を花で―・る」2 物を、人目につくように工夫して、置き並べる。「商品をウインドーに―・る」「雛人形 (ひなにんぎょう) を壇に―・る」3 表面をよく見せる。取り繕う。「体裁を―・る」「―・らない人柄」「言葉を―・る」4 りっぱにやり遂げることによって、価値あるものにする。華やかさやすばらしさを添える。「白星で初日を―・る」「有終の美を―・る」「歴史の一ページを―・る壮挙」5 設ける。構える。「高座を―・ってくだされ」〈狂言記拾・泣尼〉」(goo辞書)とあります。つまりは、美しくするために飾るということです。

それに対して、室礼を辞書で引けば「1 「設(しつら)え」に同じ。「テーブル設いをする」2 (「室礼」「補理」とも書く)平安時代、宴・移転・女御入内などの晴れの日に、寝殿の母屋や庇(ひさし)に調度類を配置して室内の装飾としたこと。室礼(しつらい)は、鋪設とも書き、建具や調度を配置して、生活の場、または儀式の場を作ることである」(デジタル大辞林)とあります。

飾るだけではなく、儀式の場をつくるとあります。この儀式の場とは何かということです。この儀式は、公事 (くじ) ・神事・祭事・慶弔などの、一定の作法・形式で執り行われる行事。また、普段の生活での行為とは異なる特別な行為のことです。

単に装飾するだけではなく、そこに信仰や信条、宗教、哲学などが入っているということです。

例えば、今年の場の道場のトイレの室礼には「赤べこ」をしつらいしています。これは丑年と疫病除けに縁起があります。ほかにも、厄除け大三元大師のお札もあります。暮らしの中で私たちは信仰をしてきた民族ですから、数々の行事はすべて室礼とともにあります。

今月の例大祭では、玄関には松竹梅の門松を祀り、お社周辺のしめ縄や素焼きのお皿なども新しくし飾るだけではなく御水を汲みにいき、丹精を籠めた神饌をお供え、丁寧に磨き清浄にして場を整えます。そして直来で伝統の赤飯餅を用意し、ぜんざいを振る舞うのもまた室礼の一部です。

つまりこれらは単に綺麗に飾っているだけではないことはわかります。飾っていることと他に信仰が入っているのです。信仰心がある人は、単に飾る以上の心を用いていることがわかると思います。。意味があるものを意味のあるままに大事に祀り続けるのです。これは縁起を大切にしてきた民族だからです。

そうしたご縁があったものは単なるモノではなく、お祀りしていく神様となります。私が取り組んでいる暮らしフルネスの暮らしの柱は、この日本的な伝統の精神にあります。聴福庵も場の道場も徳積堂も、祐徳大湯殿もみんなその神様のようにお祀りしてしつらえています。

その室礼に感動してくださった人たちが、日本人のかつての懐かしい暮らしを思い出してくれて伝承をしてくださっています。

今回の講習では、実践を観ていただきながらなぜ古民家甦生が意味があるのかを伝えていきたいと思います。

暮らしフルネスが始まる

最近、時代のスピードが急速に増して生きているときには観れないだろうなと諦めていたことが身近な景色で顕れてきています。どうせわからないと、半ばあきらめながらも舞台だけはと取り組んできたことが新しい常識に組み込まれはじめています。

未来が今になっていく感覚は、今までで今が一番大きく感じています。

私は、もともと子どもに興味があるのは私自身の中に変わることのない子どもがいるからです。その子どもは、魂と言ってもいいかもしれませんが純粋にこの世で保育されていることに仕合せを感じて豊かさと幸せを味わっています。

私たちは本来、どんな人も生きているだけで価値があり、この世に同じ空気を吸う人としてかけがえのない存在です。そんな当たり前な世界で、魂は存在して日々に自然に磨かれ淘汰され光り輝き安らぎを得ています、

そこに何らかの制限をかけて別の人生を与えていくのが刷り込みであり、環境であることは歴史を見ればすぐにわかります。縄文時代には、暮らしそのものが澄み切っており私たちは数千年もその喜びを感じていました。それがここ2000年弱で、暮らしが失われまるで何かの生産機械のように一つのことのために使役しています。

生きているという実感は、本来は何もない中にあり、その何もない中にはこのいのちを自然に紡ぐという当たり前の暮らしの中に無がありました。その無を楽しむというのが私のいう暮らしフルネスの本義であり本質です。

物事には本質があるように、事実にも原点というものがあります。

時代の節目にあり、今こそ、その原点に立ち返りみんな気づいて動き始めなければなりません。それは子どもの未来の話になるからです。子どもとは、未来のことです。未来をどうよりよくするかは、今の世代の本当の使命です。そのために私たちは今を生きているのです。今の私たちの生活があるのは、先の代の人たちの配慮であり、生き方であり、信じた現実です。それを修正し、改善し、さらに遠大な未来を描くのは始祖からの想いを継いでいくことです。

暮らしフルネスはいよいよこの時代に始まります。

想いを大切に誇りを見守る

人には様々な「想い」というものがあります。その想いを受け継がれていくことで、ますますその人たちの想いが豪壮になっていくものです。最初は小さな想いでも、それが積み重ねていけば次第に大きくなっていく。その想いを穢さないように、その想いを育てて見守っていくように誇りがあります。

よく物事を観察していると、誰にしろ大なり小なりの想いがあります。その想いに引き寄せられて、その想いを受け継ぎ、その想いの一部を担います。想いの連鎖は、時間を超え、場所を超え、それが人の想いを通して結ばれていくのです。

まるで伝言ゲームのようですが、一つ異なるのはそこに大切な想いを扱っているという自覚と、その想いを守りたいという願い、そして想いを信じて実践してきた祈りのようなものが入っているのです。

できるだけ正確に、そして以前よりも磨いて次の方に受け渡していきます。その想いを粗末にしないように、粗末にされないようにと細心の注意を払います。つまり、想いに対する配慮をしていくのです。

現在、古民家甦生でいろいろな事情で空き家になったところを引き継いでは甦生させています。しかしその空き家といっても、そこにはそこで生活をしてきた人たちの大切な想いが詰まっているもので特に長ければ長いほどにその想いは醸成され強いものになっています。

その想いがあるゆえに、簡単には片づけられないこともあるのです。特に想いを無視するような無配慮なことがあれば、誇りをもって対応するでしょう。その誇りは、損得度外視で「想い」を大切にして判断するのです。

誇りというものは、「想い」と連動しています。どんな想いを持っていたか、それは目には見えなくてもその想いを受け継いだ人にはとても大切なことなのです。現代の物質文明では、想いなどというものは目に見えないものですからお金で解決したり簡単に事務処理で片付けようとします、しかし、想いを持っているからこそ生命があるのであり、単なるモノではなくなります。そこに一つのいのちが存在するのです。そのいのちが壊れないようにと想いを大切にしていくのです。

またその想いが働き、想いに人は集まってくるのも事実です。

想いを粗末にしないように、想いを大切にするような配慮を私自身も気を付け、丁寧に真心をもって接していきたいと思います。

いのちの暮らし

現代は、物質文明でモノ化している世の中ですからなかなかいのちのようなものを重んじる風潮が失われてきつつあるように思います。苦しいことを避け、便利なものばかりに飛びつくのもまたこのモノ化する文明の価値観が拡大していくからでもあります。

なんでもモノにしてしまえば、いのちへの配慮なく便利なもののために壊してよくなっていきます。壊しては失われてしまうものも、仕方がないとモノ化を優先すればそのうち自分たちのいのちもまたモノ化されていくように思います。

そうならないように、日々の暮らしを整えいのちに感謝していくような不便さを楽しむ力が必要になります。

そもそも不便や苦労というものは悪いものではありません。苦労は実は楽しいもので、修行も同様にそれをやること自体に喜びがあり仕合せがあるものです。なんだか今の時代はそれは変人のようにいわれますが、むかしの時代の修行はただ苦しいのではなくその苦しみの中に深い喜びを感じていたのがわかります。楽に傾いている価値観の中では、苦はよくないことになっています。この苦の意味がそもそも違っているからそうなるのです。もともと苦楽は同じですから、苦も楽もどちらも仕合せの種になっているのです。

その仕合せの種をどう味わい育てていくのか、その育て方こそが暮らしなのです。

暮らしを充実させていくというのは、好奇心を失わない生き方を優先し、いのちを大切に物を活かすということでもあります。

そういう生き方をしている人は、日々を暮らしの実践道場として日々に新たに物事を丁寧に紡ぎ取り組んでいきます。その取り組みは、仕合せの種まきともいえるでしょう。

生まれてきて死ぬまで私たちはいのちがあります。

いのちを最期まで大切にすることは、最期までいのちを実践することです。いのちの実践は、いのちがあることを忘れないでいのちだと思って生活をし続けることです。つまり古来からある日本の伝統的な暮らしを大切にしていくことです。

子どもたちのロールモデルになるような生き方を伝承していきたいと思います。

 

自己自然の感受性

季節の変わり目というものは、風や雲、雨が動きます。日本では特に四季が豊かで、あらゆる種類の風や雨が降ります。小さな変化を敏感に察して自然と共生してきた日本人たちは、同じ風であっても同じ風に感じず、同じ雨雲であっても同じ雨雲とは思っていなかったのでしょう。

そういう意味では、私たちの五感はその微細な変化に順応しながら四季折々の自然循環の流れを察知して独特な情緒をもち日々を豊かに暮らしてきたことを感じます。

例えば、日本の風の種類には2000以上あるといわれます。これは農家や漁師が、微細な風に名前をつけては天気予測をしていたことがわかります。

数が多くて全部は書けませんが、例えば風であれば、つむじ風、そよ風、台風など、雨であれば、花時雨、桜雨、緑雨など、雲であれば東雲、瑞煙、慶雲など、全部足せば覚えられない量の種類が存在します。

私たちは雨だからただの雨だという認識ではなく、そこに季節や自然との深いつながりを察知してその季節を感じ取っていたのです。

豊かな言葉は、この自然の恵みそのものでありその自然の産物として私たちは言葉を大切に深く味わい暮らしに活かしてきました。私たちは知らず知らずのうちに、この日本の風土の恩恵によって豊かな感性を育まれたのです。

瑞々しい料理ができるのも、音楽が誕生するのも、芸術はその自然との共感や共生によって導きだされたものです。同時に文化もまた、同様にそれらのものが調和して誕生してきました。

子どもたちが自然に育つ中に、この自然の微細な感受性をより昇華できるような環境を用意していきたいと思います。日本の風土や文化芸術を守るのは、日本人の豊かさを守っていくためです。

引き続き、暮らしフルネスの価値を発信していきたいと思います。

新たな施浴伝説

歴史というのは、普遍的な私たちの先生です。困難な時こそ、今にあたふたするのではなくもう一度歴史に学び、今を考察していく必要があると思います。

今から1300年前、聖武天皇が治めた奈良時代に天平文化というものが花開きました。この時代は地震や疫病の大流行ありました。天然痘と思われる疫病では総人口の3割前後が死亡したとも言われています。

この疫病は権力者や貴族であろうが関係なく広がり、藤原不比等の息子4人兄弟(藤原武智麻呂、藤原房前、藤原宇合、藤原麻呂)も病死しています。この時代は、地震や疫病から飢饉にまで発展しどうにもならないことが続きます。

だからこそ聖武天皇は仏教の力をかりて国分寺や国分尼寺を各地に作らせその総本山の東大寺と法華寺を建て大仏を建立したといいます。

先日、大三元大師のこともブログで書きましたがもともと節分の豆まきもここのとき宮中で行われた疫病を持ち込む鬼を国外に追い払う追儺に起源があるといわれます。感染症と地震は連動していて、今こそもう一度、歴史に学ぶ必要があるのです。

私が建立した原点サウナでもある、祐徳大湯殿サウナはこの時代の歴史も参考にしています。かつて古くから入浴と仏教には密接な関係があり入浴の起源は、仏像を湯で洗い浄めたことに始まるとされます。この時代、施浴といいお寺では寺僧の入浴後、近隣の人々に寺の風呂を無料で開放していたといいます。この施浴にまつわる伝説で有名なものが「光明皇后の千人施浴」です。

この光明皇后(701年から760年)は日本の第45代天皇・聖武天皇の皇后です。この光明皇后も天然痘で3人の兄を亡くしその生家である藤原不比等の邸を寄進し、その跡地に奈良に法華寺を建立して兄たちの菩提を弔います。

仏教への信仰心も篤く、社会のためにと真心を尽くしていた皇后がある日夢で仏のお告げを聞きます。そこで法華寺の施浴を建立し、千人の垢を洗い流す誓いをたてるのです。

そしてその千人目に現れた者は、肉がただれて血膿が噴き出たらい病の人でした。しかし皇后は自らその者の体を洗い、乞われるままに流れ出る膿まで吸い取ってやります。すると浴堂に紫雲が立ち込め、患者は瑞光に満ちた金色の仏に化身して「我れは阿閑(あしゅく)仏なり」と言葉を残して消えたといいます。

これはその後、ずっと人々の間で口伝で伝承されていて時代を超えて今でも人々の心に響くものがあります。世界ではマザーテレサなども同様に、深く人々の心を救おうとし真摯に手当てしてきた生き方が感じられます。

またこの光明皇后は千人の施浴の際、信仰の深い3人の女官に手助けをしてもらっていたといいます。そのこの女官のことを「典侍(ないしのすけ)」といって人々は3人を三典(さんすけ)と呼びました。これが銭湯で風呂を焚き、浴客の体を洗う男衆の呼び名である「三助」の由来となったといわれています。

つまり「施浴」を手伝い、人々の心の穢れや体の汚れ、ありとあらゆる苦難を癒そうと日本の石風呂(蒸し風呂サウナ)を活用したのです。

今の時代に似ているものを感じ、ここに共通の信仰の源泉を私は感じます。大げさかもしれませんが、私もこの祐徳大湯殿を建立する際に誓いを立てています。その誓いに恥じないように、歴史に学びこの時代に相応しい新たな伝説をはじめていきたいと思います。

人類の岐路

久しぶりに古いノートパソコンを出してきてブログを書いています。現在のパソコンが、ウィンドウズの更新をしてライセンスがなぜか認証できなくなり、復元したところ完全に立ち上がらなくなったことによるものです。

日ごろから効率よく仕事をパソコンでしていましたから、そのパソコンが立ち上がらなくなるというトラブルの与える衝撃はかなりのものでした。それだけパソコンに依存しているということでもあります。

現代は、携帯電話を持っているのは当たり前です。田舎で電波のないところにいくと、使えなくなりそこに電池が切れると時間すらわからないという具合になります。知らず知らずに、多くの情報や道具としてこのパソコンや携帯を使っていますが突如として使えなくなるとどうなってしまうのかという不安に陥るものです。

今回は、3年以上前のパソコンを取り出してきましたがスピードも遅く何か作業をするのにかなりの時間を要します。もう一つ前の代のパソコンは立ち上がるのにも数分かかります。さらに前のとなると、もはや故障しているパソコンのような状態です。

この十年くらいでそれだけの速度の変化があり、扱う情報量も膨大に変化しました。そう考えてみたら、時代は確かに変わったという感覚を実感として持てるものです。

このように機械の性能が上がれば上がるほど、機械への依存度は高まっていきます。しかし機械が壊れたりなくなれば他の方法がすべて一瞬にして喪失します。このことは、これからの人類はよくよく考えなければなりません。

一つのものに依存するというのは、それ以外のものがなくなるということです。分散して依存すれば何かがなくなっても、他の代替え機能があるのでそれによってリスク回避はできます。しかし分散していなければ、もしもがあれば身動き一つとれずにすべてを失ってしまうのです。

現在、商売でも独占的に富を集中したり、このパソコンのOSのように一局集中して標準化するのは便利なことです。しかしこの富や便利さには一種の危うさはつねに付き纏います。歪な依存は、有事を乗り越えるのにはリスクが高すぎるのです。

この先、コロナが収束しても同時に第二、第三の自然災害が発生する可能性があります。地球規模で環境の変化が起きていますから当然、人類も変化に巻き込まれていきます。気温や湿度など、水分量が変わればそれ相応のウイルスはまた出て来ますし、生態系が変わるから食糧事情は今までのようにはいきません。資源がこのペースで失われれば、あらゆる業態に影響を与えます。

つまり今は、人類の岐路なのです。

今回のパソコンが壊れてから、改めて分散することの大切さに気付き直した気がします。私の取り組んでいる暮らしフルネスのハイブリットハイタッチな働き方や生き方を子どもたちや民族の未来に伝承していきたいと思います。

自然の暮らし~医食同源~

春になると苦みのある旬の野菜がいくつかでてきます。その一つにフキノトウがあります。このフキノトウは、あの緑色の大きな葉をつけるフキの若い花茎のことです。花が開かぬ前の鱗片状の包葉に包まれたものをてんぷらや焼いたりゆでたりして食べます。

独特の苦みがあり、春の旬の代表の一つとも言えます。

この春に苦みには、「春の皿には苦味を盛れ」とありむかしから春には苦いものを食べるという習慣がありました。これは春野菜全体のことを言います。この春野菜の苦味成分には、冬の身体を春仕様に転換していく作用があるといいます。

冬は体温を逃がさないようにと、代謝機能を低下させその分、脂肪や老廃物を溜め込みたすくなっています。それで冬太りという言葉があるのです。この冬に脂肪を蓄えていると同時に老廃物も溜まっているのです。

この老廃物を取り除き、代謝を促すにもこの春野菜の苦みが役にたちます。この春野菜の苦みは、「植物アルカロイド」と呼ばれ新陳代謝を促し体内にたまった余分な熱や水分を体外に排出する作用があるといいます。それに加え春野菜には抗酸化作用のあるポリフェノール、他にもビタミンA(カロテン)、ビタミンB群、ビタミンC、があり体内の代謝を高めるために使われる補酵素があるといいます。この苦み成分は、サポニン、タンニン、アルカロイドなどになり、少量であれば、体にとっては肝臓の働きを活発にして解毒作用につながり腎機能も向上させるといいます。

春野菜には、春キャベツ、春ニンジン、フキノトウ、たけのこ、タラの芽、菜の花、新セロリ、新じゃがいも、新ごぼうなどがります。

ただおいしいだけではなく、私たちの食べるものは薬そのものであり、医食同源とあるように体を元気にして健康を保つのにも欠かせないのです。

暮らしフルネスの食は、まさにこの医食同源を実現するものです。旬を味わい、四季のめぐりと一体になりながら自然と離れず、自然と同化してその恩恵を全身に受け取ることで仕合せを感じるものです。

子どもたちに、その自然の暮らしを伝承していきたいと思います。

藁葺古民家の甦生~白蟻被害~

現在、藁ぶきの古民家を甦生していますが大半の木材が白蟻に食べられていてとても難儀して工事を進めています。外から見ても、そこまでは感じなかったのですが室内のクロスや板を剥いだら家中のほとんどに白蟻による食害がありました。

十数年の空き家で湿度が高く、人が住んでいないため窓を開けることもなく風通しの悪い家に白蟻が来ればほぼ家は壊れてしまいます。まさかと思うような立派な柱や梁までもスカスカになるほどに白蟻は木材を食べつくしていました。

この白蟻は3億年以上前から地球にいることが分かっており現在、世界で確認されているだけでも2,000種類以上ものシロアリが存在するといわれます。その中で日本に生息するシロアリは、およそ22種前後だと言われます。その中でも家屋に大きな被害をもたらすシロアリは、ヤマトシロアリやイエシロアリです。

ヤマトシロアリは、日本でもっとも生息数が多く家のシロアリ被害の80~90%はヤマトシロアリだと言われます。このヤマトシロアリは土壌性の白蟻で土の中や湿った環境が好きで被害は床下に多く生息しています。特徴として巣を作る能力がなく餌場にそのまま住み着き、天井まで被害が及ぶこともあるといいます。

またイエシロアリは木造の建物だけでなく、コンクリート造の建造物、立木に対しても被害があります。特徴として食害に遭っている場所に巣を作ることはなく、別の場所に大きな巣を形成するといいます。そして一つの巣には100万匹以上にのものもできるとし、被害速度が甚大だといいます。

まだ専門家に見てもらってみませんが、見るからにイエシロアリの食害ではないかと思えるものです。立ち木、梁、その大きなところをあちこち食べられていました。

この白蟻の餌は、木材のセルロースです。通常は分解できない木材のセルロースをお腹の中の微生物で分解してもらい栄養を確保しています。他にもこのセルロースを栄養源として利用する動物に牛がいます。牛は胃のなかにいる微生物がセルロースを糖に分解して栄養にします。こうやって共生関係を維持することで通常は食べれないものを分解して栄養をお互いに与え合っているのです。

白蟻の弱点は、紫外線や乾燥になります。水分がなければ、生息環境に適していませんから繁殖することが難しくなります。家を手入れしていてわかるのは、カビが生えないような環境が重要なのです。

高温多湿の日本の気候風土だからこそ、風を通し、また火を焚き水分を除き、煙で燻して木材が腐食しないようにする。これらのことで、本来は家の中に湿気がたまらずにカビないように工夫したのです。

甦生するのも大変ですが、これからまた白蟻が来ないように予防することも必要です。期間が短いですが、どこも手を抜けませんから日本の未来の甦生、子どもたちに引き継いでいく文化のためにも、丁寧に丹誠を籠めて取り組んでいきたいと思います。