こころ豊かな時間

昨日は、久しぶりに千葉県神崎にある「むかしの田んぼ」にみんなで集まり団欒を楽しみました。今年は、とても稲が元氣でほとんど草取りもなくすくすくと育っています。

世の中の田んぼは、栄養を豊富に与えて育っていますから稲が緑で青々としています。それに比べうちのむかしの田んぼは無肥料無農薬ですから黄緑がかっていています。一見すると、栄養不足のように思われますが人間でいえば欧米人のようにがっちり体形ではありませんがすらっとしていて無駄なところが一切ない健康的なむかしの日本人の体形のようです。

お米も大きさや形などすべて小ぶりですが、味は深みと厚みと清々しさがありとても美味しいお米ができあがります。美味しいお米とは何か、この美味しいという定義も他人によって異なりますが本来の美味しいはやっぱり魂が喜び合うようなプロセスを経過したものたちの協奏によって得られる境地のように私は思います。

ただ舌先三寸だけを美味しくする技術でできたいのちは、長続きもせず心から美味しいとは思いません。しかしそれを魂が喜び心から美味しくする技術でできたいのちであれば永遠に美味しいと感じ続けるのです。それは記憶の中にいつまでも遺りますし、そのいのちは永遠のカタチにまで昇華されいのちを折り重ねます。

私たちは結果を焦り、成果を求めるばかり、大切なプロセスを省くようになってきました。効率優先、収量優先、利益優先の考え方では手間暇をかけたりいのちが喜んだりすることは非効率であり、不利益だとさえ思うようになりました。

しかし、それはいのちを無視した生き方であり本来自然の一部であった人間としての姿からほど遠いものです。むかしは、いのちを大切に使っていきました。それはみんなのいのちがどうやったら喜ぶか、そしていのちの大切さをいつも感じながら味わいながらこの世での生を一生懸命に謳歌していました。

一度きりの人生だからこそ悔いのないように、すべてのいのちと共鳴し合い、すべての時間を惜しむように使い切っていました。現代は時間に追われ、いのちを無視して経済活動にみんな没頭しています。休みといえば経済活動を別の形で補填しているだけで文化的な暮らしの喜びを味わうこともしなくなりました。

私たちがこの「むかしの田んぼ」に取り組むのは、暮らしフルネスの一環であり如何に人生を充ちたりて実るものにするか、そのためにどう生きるのかを田んぼを使って示しているものです。

私たちの田んぼは、いのちがイキイキとしています。ありとあらゆるいのちが躍動し合い、暮らしを支え合っていきています。そしてその生きものがいっぱいの田んぼの中で稲が仕合せに育っています。こんな理想の社會を田んぼで実現させ、私たちはそのお米を大切に料理してみんなでその瞬間を味わいます。

こころ豊かな時間です。

いのちは、このこころ豊かな時間を養分にしてすくすくと仕合せに育っていきます。このことを子どもたちに伝承したいと祈り、私たちはこのむかしの田んぼを実践しているのです。

いつまでも永遠に大切だったことまで変えてしまうことは決して仕合せなことではありません。世の中がいくら流行で変化したとしても、変わってしまってはならない永遠があります。その永遠はいのちのことで、いのちはいつまでもいのちのままに喜ばせ輝かせていくためにみんなで協力し合う必要があります。人間が人間らしく人間のままで生きるためにもこれは人間で生まれた私たちの本命なのです。

子どもたちがいつまでもこころ豊かな時間を生きていけるようにむかしの田んぼと共に見守り続けたいと思います。

 

功徳の支援

昨日、あるご縁から仏教の伝来と共に日本に入ってきた「仏説温室洗浴衆僧経」というお経があることを知りました。これは仏陀が沐浴の功徳を説いたもので、これがのちに日本の文化と融合し発展を続けて今の日本伝統の湯浴み文化に繋がっていることを知りました。

以前、深めた時には重源上人が石風呂をつくったことが調べて書きましたが確かになぜお寺で温浴をここまで弘めていくのだろうかということに気づいていませんでしたがそれはお経によってその意味や価値が明確だったことに改めて気づきました。
この「仏説温室洗浴衆僧経」をさらに深めてみようと思います。

このお経には、温浴には7つの道具、7つの福徳があると記されています。具体的な7つの道具とは、『「然火」(ねんか)=薪や炭、「浄水」(じょうすい)=清浄な水 、澡豆(そうず)=豆類で作った洗顔用の洗い粉のことで洗剤や石鹸のようなもの、「蘇膏」(そこう)…樹脂や牛、羊の脂から作った皮膚をすべすべにする栄養クリーム。「淳灰」(じゅんかい)=樹木の灰汁のことで洗髪する洗剤のようなもの、「楊枝」(ようじ)=楊柳の枝をほぐした今でいう歯ブラシのようなもの、「内衣」(ないい)=浴衣やタオルのようなもの。』の7つを指しました。

そしてこれらの功徳としては、・四大(地・水・火・風の体の構成元素)が安隠となり。 ・風邪のように痺れや痛みが移動する病が治る。 ・湿気の高まりでうずく病が癒される。 ・寒さを起因とする病、冷え性などが治る。 ・熱が下がる。 ・垢が除かれ清潔になる。 ・心身が軽くなり、目がはっきりする。といわれます。

仏教のこの沐浴の功徳によって以上の7つの病気が治ると信じられてきたのです。その功徳を施すために僧侶たちは、自らを清めるだけなく民衆に沐浴の場を設け、修行の一環としてそれを手伝うための「功徳湯」というものが誕生したのです。東大寺の大湯屋もまたその一つであり、重源上人の石湯もまたその一つです。

日本人はもともと神道に穢れを祓い清める思想がありますから、この仏教伝来のお経のこともすぐに理解していきました。空海が、全国各地に温泉を開きその功徳によって穢れを祓うことを進めたのもまたこの日本の伝統文化の融合のように思います。
それからこの水蒸気による温室と水や湯で洗う浴室という二つの仕組みは、世の中の人々の荒んだ心や穢れや体の病を払うための功徳になってどの時代も効果を発揮していくのです。

私が創造した祐徳大湯殿もまたこの功徳湯を施すためのものです。人々の荒んだ心が癒され、暮らしから遠ざかった人たちが元の元気な姿、心安らかな豊かで安寧の時間を過ごし本来の人間らしいゆとりや余裕を持てるようにと場を整えるためのものです。

今の時代、本当に変革すべきは暮らし方であるのは自明の理です。人間の徳を顕すためには功徳の支援が必要です。あの時代は、僧侶が行っていましたが今の時代は徳を積みたいという方々によってそれが行われていくはずです。

子どもたちに日本人としての心穏やかな暮らしがいつまでも伝承されていくように私ができることをゆっくり急いで展開していきたいと思います。

世界平和の素

最近、アメリカを中心に人種差別のことで世界ではデモが発生しています。この問題は、ずっと続いてきたもので今にはじまったことではありません。なぜこのような差別が発生するのか、改めて他人事ではなく私たち日本人もこのようなことが発生していることに向き合う必要があるように思います。

実は、第一次第二次世界大戦も、そして今度発生するかもしれない第三次世界大戦もその根底と根源にはこの人種差別の問題が関わっているからです。

人類はただ利害関係だけで戦争しているのではありません。そうであれば、利害のところで勝敗が決まりそれで話が収まるものです。それが収まらずに大量虐殺や人権を無視した残虐な行為に発展するのはこの人種差別というものの本質が戦争を過剰にし人間が人間の心を捨ててしまうような乱暴で残虐な存在に仕立てていくからです。

これは私の洞察ですから報道などに書かれることはありませんが、私は悲惨な戦争はほぼすべてこの人間の差別という価値観が巻き起こしていると確信しています。

そもそも差別とは何か、辞書を引くと「 あるものと別のあるものとの間に認められる違い。また、それに従って区別すること。「両者の差別を明らかにする」 取り扱いに差をつけること。特に、他よりも不当に低く取り扱うこと。「性別によって差別しない」「人種差別」」(goo辞書)には記されます。

つまり何かと比べて差をつけること、この差は意図的に優劣をつけてそのものを平等に扱わないことです。さらに、人種差別という言葉はwikipediaにはこう記されます・

「人種差別や民族差別は古くから存在する。古代ギリシア人のバルバロイや中華思想などに見られるように、しばしば自民族中心主義の裏となって表れる。19世紀の西欧諸国では植民地交易を正当化するために人種差別が科学と結びつけられ、社会進化論や優生学を援用した疑似科学に根拠を置くイデオロギーとなった。このような人種主義や植民地主義に基づき先住民族の迫害や、アフリカの黒人を対象とした奴隷貿易・奴隷制が実施された。近代以降は戦争や民族主義の台頭、独立運動への抑圧などによって様々な迫害や差別が表面化した。1930年代のドイツに登場したナチスはユダヤ人、ロマなどの差別・迫害を正当化する極端な人種差別政策を実施した(ナチズム、ホロコースト)。アメリカ合衆国や南アフリカに見られた有色人種への差別政策は徐々に解消されていったが、近年は民族紛争、テロ、難民・移民の増加を背景とした特定の民族・宗教への排斥を正当化しようとする極右思想や排外主義が見られる。」

つまり特定の存在以外は、生き物とも思わないようになっていく。つまり物が単なるモノ化していくように存在そのものを心で扱わなくなっていくのに似ています。消費う一つの材料のようにゴミのように扱い、そのものの歴史や文化やそれまでのプロセスを排除してしまうのです。

不思議なことですが、元は同じ人間からはじまりそれが世界を旅していく過程で白人や黒人、黄色人と肌の色が変わっていきました。もともとは同じ人間であったものが、今では肌の色の違い、少数民族かどうかで徹底的に差別し合っています。

こんなことがなぜ起きるのか、そしてそれが発展して悲惨な戦争や略奪、奴隷など同じ人間とは思えないように不当な扱いをしていきます。幼いころから、教育により刷り込まれ、偏見を持たされ、その上で不当に扱ってもいいという常識を練りこんでいく。

こんなことがひとたびはじまれば、同じ人間であるのに同じ人間に扱わないという人間が出てくるのは自明の理です。そもそもいのちはすべて対等で平等であり、私たちは異文化理解を含め、共感も共生もすべてそこから起点に広がるものです。その起点が消えてしまえばどうなるのか、独裁的に独断的に権力が横行するのです。

権力によって何かを統一するのに、この差別は常にセットで存在します。差別をなくそうというのは、権力をなくそうとすることと同じですからなくならないのです。

世界は今、大きな岐路に向き合っています。この岐路が果たして未来をどうかえるのか、今、私たちの世代は試されています。改めて私たちも子どもの会社ですから、この問題を素通りする気もありません。

人間の心に安心と安寧をあたえ、世界の平和が末永く続いていくように差別を取り払うために具体的な形を世の中に示していきたいと思います。

異文化理解

異文化を理解していくというのは、世界がボーダレス化していく中ではとても大切なことです。私も以前、留学をしており海外で暮らし仕事をする機会が長くありましたから異文化理解の価値を学んだことがあります。

この異文化とは、異国の文化ということではなく自分以外の文化に触れるということを指すように思います。自分の生き方を自分の文化と仮定して、それまでの自分自身の生き方ではない全く異なった世界を理解していくということです。

人間は、与えられた環境や世の中の常識の影響を多大に受けて生き方が異なっていくものです。ある人にとっては当たり前の常識が、またある人にとっては考えられないほどに異常に感じるものです。

この異常に感じるものを当たり前に取り組んでいる人のところにもしもひとたび入ってしまえばカルチャーショックというか今までの自分の生き方や文化を変えるほどの影響を受けることがあります。

人間は、それぞれの中に文化が持ち、長い時間をかけて醸成してきました。その中で、その民族が丁寧に紡ぎ、大切にしてきた生き方というものがその国の伝統文化ということです。

その伝統文化がなぜ価値があるのか、それはそれだけの生き方を連綿とつなげて続けてきた人たちの存在があったからです。その存在が、長い時間をかけて将来のみんなが憧れる立派なクニにしようと目標を定めて弛まず努力を積み重ねていきました。今の私たちの日本が、優しく感謝で謙虚な人や、素直で明るく正直に生きていこうといった徳目を持った人が多いのもまたかつての日本人が生き方を文化にまで高めてここまで紡いできたものが定着しているからです。

私たちはそういう生き方をしてきたけれど、海外や別の場所、そして別の生き方をしてきた人はまた今までどう生きてきたのかを理解することもまた異文化を知ることです。世界が一つになっていくなかで、世界の人々がどのロールモデルをお手本にして世界のクニづくりに活用するのか。それが時代の要請をうけてこれから本格化していきます。

その時まさに日本人は一体、今までどんな生き方をしてきたか。そして異国の人はどんな生き方をしてきたか。その善いところをみんなで異文化理解をしあって取り入れあって世界をこれからどのような憧れるクニにしていくかを高め合い磨き合い学び合い語り合う時代に入ったのです。

子どもたちが世界で活躍できる場をつくるためには、伝統文化によるアイデンティティをもって異文化理解をできる人材を育てていく必要があります。自分の文化を理解できる人は、他人の文化も同時に理解できるようになるものです。

子どもたちが将来、安心して世界の一員として世界をよりよく住みやすい場所にしていけるように祈る気持ちで伝統を継承して場を用意していきたいと思います。

改善を続けること

人間は、数々の体験を通してどのように平和が大切かということを学び直していきます。戦争や悲惨な体験なども、その時代を生きた人たちが学びそれを後世の人たちが引き継いで改善していきます。

私も戦争は体験していない世代ですが、祖父母の兄弟たちは戦争で戦死しています。毎年その墓参りや掃除をすることで戦争の記憶と向き合い、少しずつ薄れてきている記憶を維持していくのです。

戦争で亡くなった方々のためにも自分がしっかりと生きなければと祈りますし、その上でなぜこのようなことが起きる人間の社會になったのかと向き合う切っ掛けにもなるのです。

現在、アメリカや中国がまた戦争状態に近づくような報道が流されており日本人としてこの時、どう捉えて行動するのかを思うと先祖たちの死を無駄にはできないという思いがします。

人間は忘れる生きものですから、どうしても忘れてしまいます。忘れるというのは、ある意味生きる上でとても大切なことですが、災害や戦争で亡くなった方が身をもって体験し得た教訓を子孫はしっかりと忘れずに受け継ぐ必要があると思います。

それは先祖が子孫たちにできることであり、子孫は先祖の死を大切に意味を持たせて供養し続けることでもあります。私たちが今、生きているのは先祖の体験の集積の御蔭です。どの役回りが自分に廻ってくるのかわかりませんが、もしも先祖が悲惨な体験の役回りをしたのであればその体験をしっかりと受け止めて正面から見つめてそれを活かすことで報われるように思います。

子どもたちが未来の時代に生きていくなかで、もしも同じ体験をすることになったとしたらどうでしょうか。ちゃんと世代の中でつないでいかなければそれが改善されず、また同じことを繰り返してしまうかもしれません。二度と同じことがないように、どのように改善するのか、それを生きられなかった先祖の代わりにつとめるのも子孫の大切なや役割ではないかと思います。

これからはじまる新しい時代、その時代が子どもたちに仕合せと幸福に包まれるように真摯に学び、改善を続けていきたいと思います。

自然から学ぶ

人は、書物や文字から物事を学ぶ前は何をもって学んでいたか。それは自然から学んだというのは明白な真実です。自然から学ぶというのは、野生であることを意味し、野生は自然と溶け込み合いながら真実を知り、それを実生活に活かしていくのです。

これを日本の風土を暮らしにまで昇華したものが私たちの親祖であり先祖たちです。その暮らしは日本の自然風土に適っており、随所に瑞々しく初心で純粋、好奇心に溢れた子どものような素直な感性を保持しています。

日本の学問の基本や原点はこの自然から派生したものであるのも事実です。

私は、自然農、古民家で伝統的な暮らし、人類の保育環境を整える仕事をし、かんながらの道を実践するものですがそのすべては自然と向き合って歩んでいく日々です。それは自然と中和するなかに本物の私があり、そして時があり、場があり、縁があります。

孔子も釈迦も聖人と呼ばれる方々はみんな共通して自然から学びました。時代が変わってもその本質は変わることはありません。常に自然を観照して自分を内省することの繰り返しによってはじめて道理に適う徳福一致の境地を得らるように思います。

江戸時代の儒学者の佐藤一斎があります。この人物は岩村藩家老の佐藤信由を父に江戸藩邸で生まれた方で朱子学や陽明学に通じていました。幕府の学問所「昌平黌」の儒官(大学学長)を務めてその門人には近代の日本に大きな影響を与えた佐久間象山や横井小楠、渡辺崋山らがおり、その象山の教えを吉田松陰や勝海舟、坂本龍馬が受けたといいます。

その佐藤一斎が書き記した「言志四禄」があります。そこにこの自然から学ぶことの意味が記されます。

「太上は天を師とし、其の次は人を師とし、其の次は経を師とす」

これは意訳ですが(人間の最上の学び方というものは本来、大自然の森羅万象を先生として天地すべてを学びとろうとすることが何よりも大切なのです。人間や書物から学ぶことも大事なことですが大自然を直接の師として教えを乞うのが、真理を体得できる最高の学び方なのです。)といいます。

あくまで人や本は二の次であり、まずは天地自然の道理、つまり自然から学ぶことだといいます。これは人間だけに限らず、すべての動物、植物、虫や菌類にいたるまでみんなこの大自然を先生にして学び続けて生きています。その真理を決して忘れず傲慢にならず、自然と共生するままに子どもたちに真実の学びを伝承していきたいと思います。

伝統的日本人

倫理法人会の創始者、丸山敏雄氏は日本の伝統的な智慧を実践に結びつけているように思います。本来、日本人の親祖や先祖がどのように暮らしを立てたか、私たちは別に西洋や海外のからの暮らしを取り入れなくても、原点的というか、本来的にもっとも純粋に取り組んでいた何億年も何千年もの間、培われてきた「智慧」を受け継いできました。

今こそ、本来の「智慧」に回帰して暮らし方を換える必要があります。そしてそれを時代の言葉に置き換えて翻訳をする伝承者がいます。まさに丸山敏雄氏も一つ前の時代の伝統的日本人だったように思います。

その丸山敏雄氏が、解き明かした日本人の真理と知恵を倫理法人会の資料から抜粋して紹介します。

イ. 全一統体の原理
世の中のすべてのものは、物も人もただ一つの生物でもあるかのように、一つに統(す)べられている。その一は幽なる純一界であり、人間の五感にとらえられるこの現象界は顕界である。つまり形のあらわれた顕界のもろもろは、幽なる超経験的世界に統一されているとする。これは歴史的には天御中主神およびその他の神々の働きから把握されたもので、地球的、空間的には世界のすべての存在物に対する体験的把握に基づいている。

ロ. 発顕還元の原理
物はすべて、+と-といったような二方向に、ことがらも、発するほうへと還るほうに働いているもので、振子のような具合である。入ったものは出るし、出たものは入る。取れば取られるし、与えれば、また与えられるとする原理。これは歴史的には高御産巣日神(たかみむすびのかみ)と神産巣日神(かみむすびのかみ)の働きから、そして空間的には存在するものの実相から把握されたものである。

ハ. 全個皆完の原理
大も小も、新も旧も、色も味も、どこも、いつも、彼も、此も、常に完全で、足らぬものはなく、余るものもない。ともに玲瓏として玉のように完(まった)く、美しく、善である。個々のものも、すべ括(くく)った全体も、万象万態すべて善、美、完であるとする。これは一般的な善悪、美醜、完全不完全にたいし、超越的な高度の態度から万象を見たもので、歴史的には伊邪那岐命、伊邪那美命が水蛭子(ひるこ)を産んだ失敗の反省から、やり直しをしたことにもとづいている。これは失敗は成功の道行きであり、それはそのままでよいとする思想に基づく。

「人生に失敗は無いのだ、すべて成功の道行き、成就の行程・・・。従って人生はその瞬間瞬間、常に総力の結集、すべての因子の過不及なき総合調和にある。そして、なんらの矛盾もなく一つの偶然も無い、あるべくして在り成るべくして成る。公正無私、悠々坦々、れいろう玉のごとき人生だ。」とあるのは「全個皆完の原理」のことである。

二. 存在の原理
存在しているものは、それぞれに唯一絶対の価値をもっている。すべて、そこにもここにもあるものではなく、たった一つの存在で、絶対である。したがって存在の真実相は動静一体、賢愚不二、貴賎不分、美醜一如であるとする。この原理から、一切を受け容れるという倫理が導き出される。ここに小さな自己の知恵才覚は消滅し、無欲括淡な生活に入る。大宇宙すなわち我であり、人我一体、天人不二、絶対無我、純一無私であり、倫理の究極がすえられる。この原理は「全個皆完の原理」に続くもので、歴史的には古代人の生活の中にある無私の生き方から、空間的にはひろく存在物の観察から導き出されたもので、一種の存在論である。

ホ. 対立の原理
倫理実践の根拠となる原理的な思想としては、対立の原理があげられる。これは万物は皆個々の対立である、とする。自分と相手、表と裏、上と下、右と左、高さと低さ、夫と妻、親と子といった具合であり、一人対一人、一人対数人、一人対万人といった対立もある。この間にそれぞれのすじみちがあり、それに順応することが正しい生存の法則となる、とする。この原理は歴史的においては宇比地邇神(うひじにのかみ)、妹須比智邇神(いもすひじにのかみ)などの陰陽の対立からくるもので、空間的には宇宙顕界のすべてが、このように対立ととらえられる実相から導きだされるものである。

ヘ. 易不易の原理
現象界のすべてにわたって、易(かわ)るものと易らぬものがる。万物万象、ことごとく、一秒の休みもなく、常に変わり、あらたまってやむときがない。しかも、そのまま、すこしも変わらず、もとのままのものがある。河の流れは変わるが、河そのものは変わらない、といったようなものである。流れるもの、流行するものから見ると、常に流れて止むときがない。しかし全体から見ると、流れるといった形においては不変であり、不動であり、少しも変っていない。こうした相反する二つの相を、ただ一つに統一して、万物万象、ことごとく存在を保ち、進行を続けている、とする。これは歴史そのもの実際、国家や民族の連綿と続いている状態や変化してゆく実情などからきたものであり、空間的には自然地理、人文地理的な観察にもよっている。

ト. 物境不離の原理
物と境とは、必須不可欠の関係にあって、物が物としてあるためには、かならず境があり、物なくして、単に境だけあるということはない。かりにあるように見えても、まったくその働きをしていないし、意味もなさないし、何の役にも立たない。たとえば家は、敷地がなくては建ちようがなく、敷地は家が建たなければ敷地としての意味も働きもない。境と物は、二者にして一者であり、一つにして二つである。べつべつには存在しない。これが存在大調和の実相である。これは歴史的には「ひもろぎ」、「いわさか」などの伝えにもとづき、空間的には宇宙における星、地球における生物、無生物のありかたから導かれたものである。

原理を一つ一つしっかりと玩味していると、全てに正確に的中されており完全無欠です。このような方が存在したことへの感謝と、繋いでくださっていることへの感激を覚えます。

子どもたちが将来、道に迷う時、この原理を思い出してほしいと祈ります。私たち伝統的日本人がどのように歩んできたか、そしてどのように歩んでいくか、歩み方のことが記されています。

太古から続く道上を私たちは今も歩んでいます。どんな時も、自分たちの体内、いや精神や魂にはその根と深くつながっています。子どもが安心して暮らしていける社會の創造をお手伝いしていきたいと思います。

徳福一致

先日、倫理法人会の創始者丸山敏雄氏のことを書きましたが、改めてその理念を深めてみようと思います。まずはこの「倫理」という言葉があります。この倫という言葉の語源は、仲間や類、また人の輪を意味します。つまりは仲間の中で大切に守る道理ということです。

人間は一人では生きておらず、社會を形成して社會の中でお互いに助け合い人になりますからこの仲間との関係が生きていく上でとても大切な生きる力であることは自明の理です。倫理をどう捉えるか、それを学び実践をすることでより善い幸福な社會を創造していくのが人間として生まれてきた使命の一つであることも間違いありません。

私が丸山敏雄さんの理念で大変共感したのは、「徳福一致」というものです。これは、徳=福であると言い切ることです。私は以前、二宮尊徳の一円観を学び大変な衝撃を受けそこからすべて一円にして万物一体善の境地を学びました。今でも一円観によって、様々な事柄を受け止めそれを一円対話というカタチに昇華させ社會の幸福のために幼児教育の環境に導入を弘めています。

そもそもこの徳福一致を提唱するようになった背景を考えてみると、丸山敏雄氏の時代は社會が急速に徳と福とを分けて考えるようになったということも洞察できます。つまりは、徳を積むことと幸福はまったく別物であると認識されていくようになったということです。

例えば、想像してみると見返りを求めずに世の中のためにただ善きことだけを祈り行うということが損となってしまえばそれはしなければならないことになります。しかし、もしもそれが幸福そのものの本体であり実体であると認識できるのなら徳を積むことそのものの価値を感じることができます。

かつての日本は、富=徳でしたから富=得ではありませんでした。西洋型の個人主義が入ってくることで、それまでの日本の倫理は崩れ社會が大きく変わっていきました。そこに警鐘を鳴らしたのが丸山敏雄氏だったようにも思います。

情けは人のためならずという諺があります。これも本来は、情けをかけることは廻り巡って自分のためであるという倫理道徳の話が、他人に情けをかけることはその人のためにならないというように勝手に認識が変わってしまいました。現代では、ほとんどの人が意味を間違えて後者として使っているようです。

このように言葉が変わるのは社會が変わるからです。社會が今どのようになっているのかは人々の言葉の中に顕著に出てくるのです。徳福一致とは、すべては人間の間で転じ合って福になって顕れてくるのが徳の正体であるというのです。

だからこそ本当に人間社會を幸福したいと心から願う世界のリーダーたちは必ずこの「徳積」の境地にたどり着くはずなのです。私が徳積財団を設立する理由もまた、この人類の幸福のため、そしてその人間と一緒に生きていく仲間のいのちたちのためでもあります。

今は、徳も得になり、福も欲のようになっています。本当の意味が回帰してくる日はいつになるのか、それは人類の目覚めが必要であり、一人一人の勇気ある行動が必須です。

子どもたちが安心できる未来を譲れるよう幸福な社會を創るために私にできることを実践していきたいと思います。

国富論

国富論という書があります。これは1776年に哲学者のアダムスミスが現代の資本主義の思想の経済構造を提唱し出版されたものです。この本は西洋の古典ですが、これが西洋的な経済観念の実質的なはじまりのように思います。

シンプルに言えば、世界の経済は個人個人の利益を最大化させることで発展を続けていくという具合のことが書かれているといいます。そのために如何に生産性をあげるか、そして効率を優先するか、さらには分業するか、現代の経済の仕組みのことを書か書かれます。そして国が富むために必要なのは消費であると定義しています。

そうやってこの200年、世界の経済学は発展しみんな資本主義を導入して国家を富ませてきました。しかしここにきて、コロナも体験し果たして「国家は本当の意味で富んでいたのだろうか?」と疑問に思った人が増えたはずです。

日本は特に、戦後、海外からもエコノミックアニマルと名指しされるほどに経済の発展に集中して世界第二位の経済大国にまでのし上がりました。最近では中国に抜かれていますがそれでも世界の中では経済大国です。しかし実際の幸福度は下がる一方だといいます。

果たしてこれが本当に国が富んだと言えるのか、国が富むとは何か、本当の富とは何かということを今一度、見つめ直す必要があると私は思います。

かつての日本は富をはっきりと定義していました。それは「徳」のことです。つまり国が富むというのは、徳を積む人たちが増えて徳が蓄えられている国になること。それを国宝とも呼び、徳を宝として大切にしてきました。

今では徳は単なる経済の中の「得」でしかなく、本物の徳は戦後の教育によって次第に荒廃していきました。明治以前の日本人は、精神がとても成熟していました。心が素直で正直で感謝を忘れず、誠実であったのは日々の暮らしの中でこれらの徳目を実践し徳を国民全体で醸成する努力をしてきたからです。

黄金のクニである日本とは、本来は徳の溢れるクニである日本であったということです。もう一度、ここで国家の国富論を日本から世界に発信していかなければなりません。それは国富論ではなく「国富徳論」を示すということです。富国有徳という言葉もありますが、国が本当の意味で富むには有徳の社会をみんなで醸成していくしかないということです。

子どもたちが、仕合せにこのクニでいつまでも生き続けることができるように徳が循環する仕組みを私が必ず成し遂げ、このクニを甦生させていこうと思います。

 

 

美しい生き方

昨日、ご縁があって豊前市にある倫理法人会の創始者の丸山敏雄氏の古民家と天和会館を見学する機会がありました。まだコロナで閉館でしたが、事情を理解してくれてご親切に対応していただきました。

丸山敏雄氏の遺した言葉は、戦後の日本において倫理運動と呼ばれる生活改善運動を実践された方です。具体的に17か条の「万人幸福の栞」というものを掲げ、生活の中に具体的な実践を積み重ねていく中で倫理の道理を説いていきました。

第一条 今日は最良の一日、今は無二の好機  第二条 苦難は幸福の門 第三条 運命は自らまねき、境遇は自ら造る 第四条 人は鏡、万象はわが師 第五条 夫婦は一対の反射鏡  第六条 子は親の心を実演する名優である 第七条 肉体は精神の象徴、病気は生活の赤信号 第八条 明朗は健康の父、愛和は幸福の母 第九条 約束を違えれば、己の幸を捨て他人の福を奪う 第十条 働きは最上の喜び 第十一条 物はこれを生かす人に集まる 第十二条 得るは捨つるにあり 第十三条 本を忘れず、末を乱さず 第十四条 希望は心の太陽である 第十五条 信ずれば成り、憂えれば崩れる 第十六条 己を尊び人に及ぼす 第十七条 人生は神の演劇、その主役は己自身である

現代の便利で人間都合の世の中では、実践を怠りただ日々を闇雲に忙しく過ごしていたらややもすると世の中の常識や風潮に流されて自己を見失い刷り込まてしまいそうなものです。それを実践によって撥ね返し、本来の自己を確立していくということ、教育者としてのロールモデルを示してくださっています。

自己の確立と仕合せは表裏一体です。自己という一人の存在、自分という二人が一体になっているもの。そのままあるがままのいのちに合致するとき、人間は本物の人間になります。それを狂わせるのは、環境であり場でもあります。知らず知らずに文化や場の影響を受けて人間は醸成されますからどのような処にいるかは知らず知らずに多大な影響を受けてしまうのです。そういう時、目を覚ますような人に出会ったり、気づきをいただき暮らしの指針が観えることで人間は自己を発見するように思います。

私は、このタイミングでご縁があったことに不思議な思いがしました。暮らしフルネスとは、生活の改善であり暮らしの改善です。本物の日本の暮らしが亡くなってしまっている今、暮らし改善運動が必要ではないかと思うのです。

私は宗教家でもなければ、運動家でもありません、ただ粛々と自分の足元で実践をするものです。しかし、今の世の中、子どもたちのことを思えば心配になるし、未来のことを思えば繋いでいかなければならないという使命にかられます。これから時間をかけて丸山敏雄さんの言っている意味の本質を少しずつ学び直してみたいと思います。

最後に、特に感銘を受けた丸山敏雄氏の「心訓十戒」です。

「人を大切にする人は、人から大切にされる。

人間関係は、相手の長所と付き合うものだ。

人は何をしてもらうかより、何が他人にできるかが大切である。

仕事では頭を使い、人間関係では心を使え。

挨拶はされるものではなく、するものである。

仕事は言われてするものではなく、探してするものである。

わかるだけが勉強ではない、できることが勉強だ。

美人よりも美心。

言葉で語るな、心で語れ。

善い人生は、善い準備から始まる。」

そうありたいと強く思い、子どもたちにその美しい生き方を譲り遺していきたいと思います。