道と家と暮らし

家のことを深めていると、家には暮らしがあってはじめて家であることが分かります。以前、ホームレスとハウスレスということをブログで書いたことがあったと思います。現在は都会で野宿していても愉しそうに集まって賑やかに生活している人もいれば、高級マンションに住んでいても孤独に一人ぼっちで仲間がいない人もいます。家がないはホームレスの人ではなくハウスレスであるということ、ホームというのは単なる建築物ではなくそこには温もりのある家族や仲間があって家があるのです。

そしてこの家というものは、自分が暮らしてはじめて家になります。一家の一員としてどのように生活をするのか、家族や仲間を大切に思いやり温かい関係を築いていく中で家は次第に住み心地がよくなり居心地が善い安心基地になっていきます。それをホームだと思っている人は多いと思います。

スイス生まれの建築家ル・コルビュジェの言葉に「家は生活の宝箱でなくてはならない」という言葉があります。言い換えるのなら、生活が宝だから家が輝くとも言えます。つまりそこでの美しい楽しい味わい深い一家の家族や仲間との暮らしが宝と感じられることこそが家の定義であるのです。その宝を日々に発見していく場が家ですから、その家の雰囲気や風格、家風といってもいいかもしれませんがそれが暮らしを彩っていくのです。

一家があれば野宿であってもそれは単なるハウスレスなだけで其処にホームはあります。いくら家が豪華絢爛で豪邸であったとしてもそこに家族がなければ単なるそれは建築物です。家は家族や仲間があってこそ家になりますから、家を与えられたことが嬉しいのではなく家に一緒に暮らす仲間があることが何よりも嬉しく有り難いのです。

古民家の再生というものは、建物の再生と暮らしの再生があります。私がやりたいのは建物の再生ではなく、暮らしの再生なのです。暮らしこそが仕合わせで、暮らしの中の美しさも豊かさもまた歓びもある。そういうものを子ども達に伝承していくために家が必要なのです。一家の伝承をするにおいて当主として何をなすべきか、それを辿っていると自ずから自分の役割と環境に感謝の気持ちが湧いてきます。古民家再生をするという意味を正しく伝承していきたいと切に思うばかりです。

最後に、もう一人、日本を代表する建築家、安藤忠雄さんの言葉です。

「環境とは、与え、与えられるものではない、育ち、育てるものである。」

これは家人としての心得だと私は思います。家を建てる人だからこそ家の本質を語っている言葉です。つまり環境は自ら創造するものであって、与えられたからそれでいいわけではない。それは自ずから育つことと自らが感化して育てていくことなのです。自らが主体的に暮らしてこそ家ができ、その家を大切に守るからこそ暮らしは継承されていくのです。そしてこれが家なのです。

世阿弥が、「家、家にあらず。継ぐをもて家とす。人、人にあらず。知るをもって人とす。」と言いました。つまり「道の家とは、血筋で繋がるものではない、その道を伝えてこそ家といえるものである。その家に生まれただけでは、道を継ぐ者とはいえない。道を知ってこそ、その道を継ぐ資格がある人ということである。」という意味です。

神家本家のカグヤ道は、道を実践することで「暮らす家」にすることなのです。今の時代に、先人たちの生き方や先祖たちが大切に譲っていただいたことを遺し譲ることこそが子ども達のためにその真心を勿体なくしていくことです。引き続き、種徳を立て、眼花の花にならないように子ども第一義の理念を優先していきたいと思います。

 

 

 

 

歴史を学ぶとは何か

昨日、福岡県八女市で有名な町家再生の設計士の方とお会いしてお話をお伺いするご縁を頂きました。その方は、もうすでに八十以上の古民家の再生を手がけており町並み保存や文化財の調査、人財育成等々にいたるまでありとあらゆる活動を志で取り組まれている方です。

古民家の修景ではなく修理をすることを本筋とし、如何に後世に「本物を遺すか」ということを重んじられていました。現在は、ほとんどが予算の関係から町の景観だけをよくするために外見の見た目はそれ風にしますが本質的に古いものを修理修繕するわけではありません。そうではなく、丸ごと直すという観点で人、場、ものにいたるまでに全てに総合的に修理を手掛けておられました。

昨日は福岡の聴福庵を見ていただき、傾きをどのように修理すればいいかだけではなくまたこの古民家がかつてどのように使われていたか、そしてどのような修理を今まで行ってきたか、その歴史について色々と教えていただきました。

お話の中でもっとも印象に残ったのは、阪神淡路震災の御話でした。実際に文化財や古民家など震災後に壊れてしまい実際に調査をしたそうです。すると9割が壊されいたそうです。その実態を調べると、古いものには価値がないと業者が新築を勧めて壊していったものがほとんどだったそうです。古いものの修理修繕は無理だからと、文化財や古民家への理解がない人たちがそれまで大切にされてきた歴史を考えずに安易に取り壊してなくなってしまったそうです。

その方の『これは古いものを単に捨てて新しいものにしたのではなく、それは歴史を捨てたのだということに気づいていない』という言葉がとても深く心に印象に残りました。

よくよく考えてみると、家が何百年も続くというのはそれまでの先祖たちの暮らしや生き方、生き様、そういうもの遺っているということです。家では柱の傷などもそうですが、かつて子ども達がせいくらべした傷や落書きの傷、その他大切されてきたさまざまなものが「思い出」として間に宿っています。そういう観点で見れば文化財とは何か、それは歴史の宝そのものなのです。

そういう歴史を安易に捨てるということは、思い出を安易に捨てるということです。本来人は何のためにこの世に生まれてきたか、それは思い出を残すためではないかと私は思います。生き様を遺すと言い換えてもいかもしれません。一生一度、一期一会にこの地上の楽園に生まれ出てきたいのちに神様が平等に与えてくださっているものは「思い出」をつくれるということです。

このことから洞察すると今の時代は決して新しいものばかりが価値があると人々が信じている時代というわけではなく、歴史を大切にしなくなった人々が増えている時代に入っているということです。歴史というのは、先祖との対話です。先祖の生き方との対話を歴史を通して学ぶのです。古民家を通してその方がじっくりと先祖と対話しているのをみて、私は魂が揺さぶられました。

私自身、もっと先祖たちを尊敬し先祖たちの偉業と真摯に対話ができるよう歴史と正対していこうと改めて決心する有り難い機会になりました。新しい御縁はすべて学び直し、生き直しの大切な時機、このまま古民家から色々と教えていただけることに感謝して自他一体の自己修理を進めていきたいと思います。

自然の学問~大局観~

現在、知識という便利なものを使ってから体験をすることよりも知識を持つことが価値があるかのような世の中になっています。大学をはじめ研究というものも本来は実践があっての研究であるのに、研究のために実践になっているのなら何の意味もありません。

本来は研究すること目的ではなく、現場が困っているから具体的な解決方法を研究する必要があるのです。そして本来の研究とは、実践ののちの研究のことであり体験したことが何だったか、そこから何に気づき直していけばいいかの改善の集積なのです。

そしてこの改善には、知識ではなく「感覚」を用います。感覚というものを身に着けるには失敗が要ります、失敗を通して様々なものを学び感覚を研ぎ澄ませていくのです。知識が多い人は失敗を過度に怖がります、それは知識は失敗では研ぎ澄ませず修正するだけだからです。習得するのなら、本来の学び方である失敗を通して感覚を身に着ける、古来の言い方では「コツを掴む」ことで学習は成立していきます。

民藝という言葉を起こした思想家に、柳宗悦がいます。その遺した有名な言葉に『見て知りそ 知りてな見そ』があります。これは「なんでも見てから知れ、知ってから見るんじゃない。」ということです。

言い換えれば知識から入ってものを知ってはならぬ、分かった気になってはならぬ、まずは見てから、やってみてからのちに知ればいいし分かればいいと言うことでしょう。

知識を持ったからといってその本質が理解できるわけではありません、具体的な実践を通して本質を知り本物になります。つまり体験の質量こそが、その人の感覚を研ぎ澄まし本来のその人の持つ全身全霊の力を引き出していくということなのです。

現在はすぐに何かをやろうとすると知識から入るものです。私の場合は知識がないけれど好奇心があるからすぐにそのものに触れます。自然農をすればすぐに虫刺されや怪我をします、古民家を再生しようとすればすぐに弱いものを毀してしまいます。痛い思いをして失敗ばかりをしては、なぜこうなったのだろうと反省内省してそこからもう一度すぐにやり直してみます。

その繰り返しを何度も何度もしているうちに、自分のカラダの中にある「感覚」が呼応してきます。そうしているうちに身に着けたのは「大局観」です。つまり事物の大局を理解するチカラ、そのものに触れるチカラ、邂逅の力のことです。

人は触れていくことで次第にそのものが”自分に馴染んで”きます。この馴染んでくるというのは場数とフィードバックが欠かせません。そうやって何度も失敗して経験して学び直していくことが成長することであり、成功よりも大切な学問の醍醐味、そして連綿と続いてから太古からの道と大義が感じられるものです。

どんなことも「見て知りそ、知りてな見そ」で、接していく姿勢こそが自然の学問ということでしょう。引き続き、挑戦を愉しみ与えていただいている失敗に感謝して歩んでいきたいと思います。

 

自然への畏敬~弱弱しさ~

昔の日本の家屋のつくりは今の時代の家屋と違って弱弱しくできています。障子やふすま、土壁にいたるまでありとあらゆるものが寄りかかっただけで壊れたり破れたりするものばかりです。

しかしそういう弱さの中で、ものを大切にする生き方が自然に身に着いてきたように思います。これは私も思い出せば虫で遊んでいるときに虫を不意に傷つけてしまったときの感覚に似ています。弱弱しさというのは、いのちに触れることであり自然はすべて大切に扱うということがどういうことかを学んだように思います。

日本のかつての家屋は、自然と一体になってつくられていました。何かの非日常の大きな災害があればすぐに被害を受けていたともいえます。しかし自然を畏れ、災害に備えるからこそいのちを存えてきたとも言えます。

自然を敵対し、自然に一時的に勝ったと思ってもそれはあくまで一時的であり大きな災害が緩やかな浸食には誰も勝つことができないのです。世界にあるものが必ず年月を経て風化していくことをみれば必ず壊れていくのは自明の理です。そうやって世界は循環を已みませんからこれは自然の姿だとも言えます。

その自然に逆らうのではなく、自然と一体になって生きようとするのが先人達の智慧でありそれが昔の家屋にはふんだんに取り入れられています。例えば、弱いといったさきほどの家具類は敢えて弱くつくることで手入れをするようにつくります。障子なども破れれば張替、傷めば取り換え、その都度手入れをすれば数十年、いや数百年でも持つのです。

今の時代の家屋は、手入れをしないでどこまで持つのかという基準でものづくりがされています。そして壊れれば捨てるのです。「捨てる」ことが前提でものづくりをしますから、壊れないもの強いものに固執するのです。

しかし本来、永く使えて丈夫なものと考えれば本質は弱いもののほうが強いし長持ちするのです。ただ前提が「捨てない」ということが基準になっています。そしてそれが「もったいない」という精神と密接につながっているとも言えます。

この前提をひっくり返さなければ強いものが弱いことに気づかず、弱いものが強いということにも気づかないのです。先人たちは、ものを粗末にはしませんでした。それだけものの価値に気づいていたとも言えます。また長い目でものを探していたからこそ、永い時間耐えることができる弱いものの扱いに慣れていたとも言えます。今の時代は短い目でしかものを探しませんから見た目ばかりにこだわり強度を強くしていますからものの扱いなど気にしなくなっています。

昔の家屋や道具、骨董と呼ばれるものは扱い方を間違えばすぐに壊れます。自分たちが扱い安いものを増やして道具を変えるのではなく、道具にあわせて自分たちが変わる方がいいと謙虚な生き方をしていたのが観えます。

自然を畏れる生き方とは、自分の方をサラリと変えてしまう生き方です。引き続き、復古創新を味わって学び直していきたいと思います。

 

直観力とは何か

古いものに触れていると様々な価値観に出会い、そして新しい直感が滾々と湧いてきます。一昨年より磨くことを深めていると、磨くというのは直感と似ていることに気づきます。ひょっとするとこれは「直感を磨く」という言い方をしてもいいのかもしれませんが、磨くから直観が冴え、直感が冴えるから磨かれるのです。つまり直感は本質が磨かれていくということなのでしょう。

例えば、冒頭の古いものでいえば古いもの、経年変化したものに触れて手入れをして磨いていると磨いているうちに次第にそのものの持っている本当の価値に出会います。その価値を知り自分がもう一度再定義し直し、それを今の時代に活かしたならそこに直感的に色々な感性に出会います。それが作り手の思想であったり、またその素材の持つ特性であったり、経年変化して生き残ってきた徳性であったりと様々です。これも一つの多様な価値に触れて自分の価値を磨くことになり直観を育てていくのです。

将棋の羽生善治さんの「直観力」(PHP)に直感に関することが書かれています。その帯には、「自分を信じる力。無理をしない、囚われない、自己否定しない。経験を積むほど直観力は磨かれていく」とあります。

そして『直感を磨くということは、日々の生活のうちにさまざまのことを経験しながら、多様な価値観をもち、幅広い選択を現実的に可能にするということ』といいます。そのためには『考えや価値観の幅が狭いと、直感の判断根拠が乏しいかもしれません。普段から「こうに決まってる」「ふつうこうだ」などと考えていては、鋭い直感は得られない』といいます。

自分の中の小さな常識に縛られきっとこうであるはずだと思い込むことやふつうはこうだなどと囚われることで直感は失われていくということです。マジメで常識的であればあるほどに発想を転換することができないように思います。私はこの発想の転換こそが直観力の醍醐味だと思っています。ではこの直観力をどのように磨くのか、羽生善治さんはそのために気を付けていることがあると言います。

『いつも、「自分の得意な形に逃げない」ことを心がけている。戦型や定跡の重んじられる将棋という勝負の世界。自分の得意な形にもっていけば当然ラクであるし、私にもラクをしたいという気持ちはある。しかし、それを続けてばかりいると飽きがきて、息苦しくなってしまう。アイデアも限られ、世界が狭くなってしまうのだ。人は慣性の法則に従いやすい。新しいことなどしないでいたほうがラクだから、放っておくと、ついそのまま何もしないほうへと流れてしまう。意識的に、新しいことを試みていかないといけないと思う。』

人は誰しも自分の価値観のメガネをかけてこの世の中をみています。その人の価値観が狭ければそれ相応の狭い世界、その人の価値観が融通無碍であり無限で自由あればあるほどに観えている世界は多様で広大です。私があらゆることに興味を持ち深めるのも、自分の価値観を常に壊して常識に縛られないように工夫するためでもあります。新しい世界、たとえば今までかかわることがないような文化に触れることもまた挑戦ですし、今までにやったことがない方を選んだり苦しい方を選ぶこともまた新しい試みなのです。アイデアが停滞するとき、私は敢えてやってみたことがない世界に入っていきます。回り道や寄り道をしているように見えてかえってそのことで直感が磨かれ本業の志を助けてくれるのです。

そして直感を磨くには、日頃から「アウトプット(捨てる)」する必要を説いています。そこにはこうあります。

『過去の知識や情報は、すべて素材だ。それらは、次の新しいものを想像する素材として利用されるためにある。過去の素材であっても、適切に組み合わせれば、新しい料理をつくることができるのだ。しかし、情報をいくら分類、整理しても、どこが問題かをしっかり捉えないと正しく分析できない。さらにいうなら、山ほどある情報から自分に必要な情報を得るには、「選ぶ」より「いかに捨てるか」、そして「出すか」のほうが重要なのである。情報メタボにならないためにも、意識的に出力の割合を上げていくことが重要になる。』

直観力というのは集中力ですから、ひとたび信じて動きだせばすぐに膨大な情報を取り込んでいきます。そして直感のアンテナが立ったなら世界のあらゆるところから情報が集まってきます。それを取捨選択するチカラ、つまりは捨てるチカラが求められます。言い換えるのなら、思い込みを捨てるチカラです。そのために自分の中にある常識を一つずつ壊していく、そういう日々の研磨と練磨、「磨きあげる」ことが何よりも必要だと私は思うのです。

磨きあげるのは、単に掃除や手入れをすればいいのではなく本質的な試練や苦難といった自らを研鑽する機会と経験という砥石によって自らを磨かなければなりません。そのために志を高く持ち、そこから訪れるその一つひとつの御縁を選ばずに引き受けていく人生、もしくは来たものをすべて受け取りそれを福に転じていく人生、それが直観を磨き本来の生きるチカラを高めていくように私は思います。

何をしていてもすべては本懐を遂げる一点に集中する。

直観はいつも陰ひなたから自分を助けてくれる大切なパートナーです。自分の思い込みを信じず、自分を信じて引き続き様々な実践を愉しみ味わっていこうと思います。

 

 

 

 

価値の再発見と再定義

人は価値観というものを持っています。それはそれまでに育ってきた自分の境遇や環境によって左右されてきますが、価値があるかないかを決めるのもその人だとも言えます。

その価値観は時代によって左右され、ある時代では価値があったものがある時代ではまるでゴミやガラクタのような価値になっていくことがあります。人が生きていくということは価値観によってですがその自分の価値観がどうなっているのか時折確かめていかなければ時代の価値観だけに流されてしまうのかもしれません。

如何にどのものに対しても自分が新たな価値を見出すか、そしてその価値を自分が再定義するか、そこに時代時代の本質を守る鍵があるように私は思います。

例えば、田舎と都会ということがあります。田舎にも様々な楽しみがありますが、都会にも様々な楽しみがあります。しかし実際は田舎の価値は田舎の人の方が気づいていなかったり、都会の価値も都会の人が気づいていなかったりします。そこでの生活が当たり前になってしまえば価値があるかどうかも分からなくなっていくのです。

これと同様に価値というのは、当たり前になることで価値が失われていきます。如何に当たり前ではないことを自覚し、その当たり前ではないことを活かすかが価値の発見であり価値の再定義になるのです。当然、その当たり前を見破るその根本には感謝が基礎や基本になっています。

温故知新なども同じく、その当たり前であったことをもう一度確認してその上でそれが当たり前ではなかったことを知る。そのことで物事の本質に気づき、価値が新たに生み出されていくのです。ファッションの世界なども、同じく昔のものが時代を経て入れ替わりまたデザインされて順繰りと回転し続けているだけとも言えます。

時代時代で本質をちゃんと維持していく人は、その時代の価値を正しく見極め、そしてその価値を刷新して原点回帰をしてもう一度世の中にその価値を弘げていくことができます。

この「価値に気づかせる」という言葉は、「刷り込みを取り払う」ということと私は同じ意味だと信じています。それまでに当たり前だと思った常識を目から鱗がとれるように取り払ってみる。そして常識を壊して自分の発想を転換して新しい世界に気づかせる。そういうことこそが価値を発見し価値を再定義することだと私は思います。

人間は時代が変わっても実際にやっていくことは同じことですが、本質を維持する人と本質を忘れる人がいるだけの話のようにも思います。本質は考えるだけではなく、自然に触れて自然の本能を同時に磨く必要があるように思います。そしてそれができる人だけが、田舎であろうが都会であろうがどちらでも楽しむことができるのです。

伝統か革新かではなく、常に本質は価値の再発見と再定義です。古来からの魂を維持しながら今に柔軟に合わせていく、いにしえの道具を用いながら、最先端の道具も活かしていく、本当の革新が本来の伝統であるのだからその両輪の一致するところにこそ私は本質があると感じます。

引き続き、理念を優先しつつ実践を愉しんでいきたいと思います。

左官との出会い

昨日、大分である有名な左官の親方とお会いする御縁をいただき土場工場を見学する機会がありました。そこには様々な土壁や漆喰の塗り見本のサンプル、また見たことのないような今の時代に合った商品が開発されていました。すでに40年近くこの道を進まれ、今では伝統や技術を継承するために様々な活動を行っておられました。

今はあまり土壁を塗るという機会が少なくなり、若い人たちに経験させてあげる機会が少ないと仰っていました。文化財の修復や個人の住宅のリフォームなどで土壁を塗る機会があるときは文化伝承のために学ぶ機会をつくっておられました。文化伝承は一度途切れると二度と取り返しがつきません。先人たちからの大切な技術や心を伝えるために、親方として色々と苦心なさっているのが印象的でした。

土については、かねてから御指導いただいている方もいて改めて土に興味を持つと不思議な魅力に満ちているのを発見します。こんな面白い世界があったのかと、炭も鐵も砂も土もどれも自然が産み出した至高の材料たちです。

この「左官」という名の由来には諸説あるそうですが、まず律令制度の時の官位として『官(大匠)を佐たすける』という意味があること。または砂を使うので「砂官」「沙翫」とし土を薄く塗って、向こうが透き通るような「紗(しゃ・うすぎぬ)」を作るから「紗官」の意味もあると言われています。どちらにしても、土や砂、水や鉱物、全ての素材の本質やその徳性を知り尽くしているだけではなく、様々な素材との調合によって様々な色合いや色彩、技法を盡した総合芸術でもあります。

本来、この土を塗るという仕事は遡れば縄文時代の前から行われていたものです。竪穴式住居の壁も土を見分けて塗り固めていました。その後、土器や竃などもすべて土で行われます。どの土を調達するのか、その土をどのように調合するのか、あらゆる素材を知っているからこそその土を産み出すことができるとも言えます。日本の伝統的な和の住空間を考えるとき、そこには必ず左官がいます。今では左官職人が減ってきて伝統が途切れそうになってきているといいますが、和の住空間の需要がそれだけ失われてきているということでもあります。

昨日の御話でとても印象に遺ったのは、「土に近づく」ことの大切さです。現代は、すぐに壁をクロスを貼って部屋をつくりますが土だとすぐに何か物があたったりするとボロボロと壊れていきます。クロスはそれがないから安心といいますが、実際はガラスのように割れるものであり、土は壊れるものです。そこから大切に扱うことを学び、ものを大事に接する素養が自然に身に着きます。自然素材というものは脆いものですがその分、手入れを怠らず丁寧に修理していけば何十年何百年と維持できるものばかりです。

親方は土のワークショップと称し、子ども達が様々な土に触れる機会をつくっています。土に近づくような生き方をしようと、新たな作品を産み出し続けるだけではなくその生き方を通して日本人としての本質と文化、その価値を新たに刷新するために初心の伝承を行っておられました。

今回の聴福庵の復古創新ではじめに出会ったのがこの左官という志事です。どのように今の時代に合わせて伝統の革新をするか、私自身もこの場を見極め本質をさらに深め、よくよく自然から学び直しつつ、生き方と働き方の一致を実践していきたいと思います。

聴福庵の初心

私たち日本人は和風の空間の中に入ると心が和み落ち着くものです。これはもともと私たちが懐かしいと感じる心から来るものです。私たちが心で感じるものは、全てかつて体験したものです。心にそれがあるからこそ、その心が感応してそれが出てくるのです。

この和風の空間というのは、私たちの暮らしの空間のことです。心が落ち着くということは居心地がいいということです。そして居心地がいいというのは、一緒にいたい存在ということです。それだけ永く共に暮らしてきた家族家庭があることを人は「懐かしい」と思うからです。

例えば、和風の空間には様々な家具や道具たちがいます。外からは採光が差し込み現れる薄い陰、縁側から穏かに流れてくる涼しげな風の音、また水や木の薫り、炭の温もりや静かなけむり、それらはすべて懐かしいと感じるものです。

私たちが懐かしいと感じるものは、かつて永い間生活を共にして助け合い認め合い尊重し合った大切な仲間たちでした。自然界では、自分たちが生活を共にする仲間たちとともに文化を形成します。畑で作物一つ育ててみても分かりますが、何かを育てればそれに近しい親類たちが自然に集まってきます。虫なども同じで、自然に親戚が集まってくるのです。

家族というものの定義が何か、親戚たちが集まり仲よく暮らしていく中で自ずから仲間が共に暮らしはじめていく。ここに本来の家族の意味があるように私は思うのです。

今の時代、かつて悠久の歴史を共に生きてきた仲間を思いやらず人間のみ中心の世界を築くことで次第に仲間が減っていき孤立してきています。仲間に対する扱いもただの食べ物として扱い、ただの置き物として扱い、価値がないものとして粗末にしています。大量生産大量消費そのものが、いのちを単なる「物」としてのみ扱い、本来のもののあわれといった心がある存在として感じられなくなってきています。

昔の仲間たちが傍にいる安心感というのは、格別なものでそれによって心は深く和み癒されていきます。今は本来の社会が失われ孤立で苦しみ病み悲しんでいる人たちがたくさん増えてきました。その空間には果たして仲間たちが親しみ合い結び合う「もったいない」という御縁の繋がりといのちの鼓動がいつも聴こえてくる環境なのでしょうか。

私が今、実践し弘げようとしている聴福というのはそのいのちの声を聴くことです。それは仲間であることを思い出させることです。本来、人間も自然の一部、仲間そのものです。そこから離れすぎてしまえば我儘で傲慢さゆえに孤立が深まっていきます。確かに自分の思い通りの道具を仲間と呼ぶ人もいますが、本来の仲間とは自分が扱うように扱われるものです。尊重し認めていないものを果たして仲間と呼ぶのか、そして果たしてどのような親戚が集まってくるのかと私は疑問に思います。仲間と共に暮らす物語を一家として志すことが親祖から連綿と続いてきたいのちの文化を子孫へ譲り渡していくことです。

和風の空間の本質は、仲間と共に暮らす場ということです。

改めて聴福庵の初心との御縁がどのように変化成長していくのか、大義を忘れずに真心を盡していきたいと思います。

立志聴福

昨年、石見銀山の他郷阿部家に訪問するご縁をいただいてから復古創新という言葉に出会いました。論語の温故知新という言葉は知っていましたが、本来の日本の文化である「勿体ない」という考え方に繋がってはいませんでした。

しかしあれから1年近くが過ぎ、価値を新たにするということの深い意味とそれは今を生きるものたちの使命であることを実感しています。

私たちは「不易と流行」という変わるものと変わらないものの中にあってその時代時代を生きそして暮らしを継承していくものです。明治以降、江戸時代の鎖国の反動からか西洋の文化が流入し何でも新しいものに価値があるという価値観が広がり古いものには価値がないとさえされてきました。それからの日本は、本来の価値のある文化遺産をタダ同然に捨てていきました。現在は一部の人だけが骨董品や、嗜好品などといって収集していてそれを売り買いし、本来の伝統や伝承の意味が正しく継承されていないようにも思います。

他郷阿部家の松場さんご夫妻は、『「世の中が捨てたものを拾おう」という考え方を持ち「復古創新(ふっこそうしん)」つまり古いものに固執するのではなく、いにしえの良きものをよみがえらせ、そのうえに新しい時代の良きものを創っていくことを大切にしよう』と実践なさっています。そして最近の解釈では「革新の連続の結果が伝統であり、革新継続の心は伝統より重い」とブログにも紹介されていました。

ただ古いものを遺せばいいというものではなく、それをどのように革新していくか。つまりその時代時代を生きるものの使命として、かつての日本の心や精神を身に着け、さらにはそれを今の時代で反映しより善く発展できるように精進する。「不易と流行」の本質はこの復古創新にこそあるように私も思います。

そしてこれは「生き方」のことを教えてくれているものであり、この時代、どんな生き方をするのかと私たちは今、問われているのです。

世の中がどう変化して変わったとしても、生き方を変える必要はないはずです。生き方を変える必要がないのなら、変わるところはさらりと変わる。変化を愉しみ変化を味わうのは、変わる楽しさを知っているからです。そして変わる楽しさとは、自分が自然に照らして間違ったと気付いたらすぐにそれまでの人間中心の生き方から自然に寄り添い尊重する生き方に変わっていけばいいということです。

謙虚さというものは、自然を尊重し自分を変えていくことです。そして素直さというのは、日本古来の生き方を維持し大切な大和魂を守ることです。この変わるものと変わらないものとは、自然界と人間界の道理であるのです。自然に逆らわず自分たちの方を変えていくことが悠久の歴史において時代を循環し革新していくシンプルな法理なのでしょう。

ここにきて私にも地域への御恩返しができる「場」が与えていただけたこと、さらに一つの出会がから多くの出会う「間」、日本古来の大切な文化を守り生き方を変えて革新していこうとする仲間たちが集まってくる「和」に喜びを感じます。古来のかんながらの道、そして立志聴福、子ども達に安心して時代を譲り渡せるよう日々新たに温故知新していきたいと思います。

水の徳

自然界というものは、常に万物流転しているものです。ありとあらゆるものに容を易えながら消えては現れ、そして顕れては消えていきます。しかしその本体は普遍的なもので存在しています。それは種が育ち花を咲かせ実をつけそしてまた種になるのと同じです。

自然の中においては土があり、木があり、そして鉄があり、火や水があります。私たちは鐵を中心に周りを水で包まれた惑星に住んでいます。私たちがもっとも師とする生き方は水であり、水と一体になって存在するこの地球は水の生き方から離れることはできません。

老子に「上善水如」があります。

「上善は水のごとし。水は善く万物を利して争わず、衆人の悪む所に処る。故に道に幾し、居るは善く地、心は善く淵、与うるは善く仁、言は善く信、正すは善く治、事は善く能、動くは善く時。それただ争わず、故に尤なし。」

意訳ですが、この世に在る至上の善を司るのは水である。水はこの世にある一切のものの役に立ちそして何ものとも争わず常に人々が嫌がるような低いところに存在している。その水の生き方はまるで道のように謙虚である。よく水が居るところは大地を潤し、その心淵は深く澄み渡っている、思いやりを与え続け、嘘もなくそこには信頼がある、私心なく治め、事は能力を活かし、動く時を知る。どんな時においても何ものとも争うことがない、そして決して誤る事がない。と。

水とはもっとも身近にあって空気のように気づかない存在ですがその持つ「徳」は、自然界では最も至大至高の存在なのです。先祖たちは常に水から学び直し、その謙虚で素直な姿に自らの心を祓い清めて真心を発揮していたように思います。

水の徳性として、「恩恵」「不争」「淡泊」「秘力」があるといいます。それは日頃から万物に利益を与え、常に謙虚でしかも柔軟であり、執着が無くさわやかに振舞い、時には大暴れの実力を秘めているということです。

さらに氷から水蒸気、霧や雨、空気にいたるまであらゆるものに寄り添って変化を已みません。万物流転し循環を促し見守る存在こそ水なのです。

この時期は田植えがはじまり今日も水に学ぶ一日になります。日々、学び直しを繰り返し傲慢になっている自分を省みて穢れを水に流し、新たな気持ちで再生していきたいと思います。