福の修行

昨日から新潟の春日山に来て、上杉謙信を深める機会がありました。春日山神社、毘沙門堂、その後、林泉寺に参拝しました。上杉謙信の生き方や思想は、この地に多く遺っています。上杉謙信の「謙信」は、法号であり戒名を不識院殿真光謙信と言います。そして林泉寺には「第一義」という謙信の座右が山門の入口に掲げられています。この法号のはじめにある「不識」というのは禅の達磨大師の言葉です。

「不識」には林泉寺HPにこう紹介されています。

『仏道修業に励んでいた謙信公は、林泉寺八代目の益翁宗謙大和尚「達磨大師の言った不識とはどういう意味か」と問いました。苦修練行数カ月の末、ついにその本旨に達しました。不識の中味に合致した生涯を見出した謙信公は、自ら「不識庵」という号を名乗りました。不識というものの意味は、梁(中国)の武帝と達磨大師の間で取り交わされた問答の中で達磨大師が答えれらた言葉です。不識は、「しらぬ」ということではなく、「ただ頭の中で考えたり、本で学んだ知識などでおしはかれるものではない。あらゆる偏った見方、考え方を捨てて、仏様に身も心も預けて、仏様とともにその教えに生きるとき、初めて真理と自分とがひとつになり、悟りがひらけて、自分も仏様になれるのだ」ということです。』

自ら毘沙門天を志し、戦国時代に生まれ義を貫くことを覚悟し生きた謙信にとってこの「不識」というのは人生の大きな課題だったように思います。何がもっとも善いことなのか、何を信じて生きるのか、その時、経典の中にあった良し悪しをも全て忘れ、無心に私我を手放し捨て去っていく中に「第一義」があったように思います。私も理念で「子ども第一義」としていますが、この第一義はそのまま、あるがままという意味があります。つまりは、子どものままを貫くともいい、子ども心のままともいい、常に子どもの側から物事を観続けるという意味でもあります。

また毘沙門天というのは、サンスクリット語(インドの古語)では「ビシュラバナ」と表記し、この音写が「ビシャモン」と言います。言葉としては「全て丸ごとを聴く」という意味を表しています。そして毘沙門天は七福神の一人に数えられています。私が実践を重んじる「聴福人」というのはこの毘沙門天の生き方、つまり如何に全てを聴いて信じて福に転じるかを徳目に実践するということです。

「義」というのは、古来から続く日本人の生き方を貫くときに顕現するものです。そのあるがまま、自然、かんながらの道の上には義は燦然と輝き子孫たちへの道しるべとして風土の彼方此方に文化として継承されていきます。

毘沙門堂で四方の自然を感じながら毘沙門天を念じ続け、神人合一しようとした謙信の祈りが聴こえてくるかのような感じがしました。人間の世界での筋道もありますが、人間よりも先に自然の筋道というものがこの世には存在します。その人間の小我を手放し、自然の大我を悟るというのは第一義の実践によって実現するように私は思います。

常に自然を優先しているという意味が、「謙」でありそれを「信」じるものとして自然あるがままであったその生き方に私は「義」の本質をいつも感じます。義と言えば、日本には義将と呼ばれる風土自然を顕現した武将たちの生き様や真心がいまでも語り継がれています。

古来から大切にしてきた忠義という言葉も、今の時代は色あせて別の意味で使われます。そのうち自分の価値観に囚われて思い込み、忙しさに流されて大義を忘れて自分をも亡くしてしまっている人も増えたように思います。

こういう時代だからこそ毘沙門天から福の徳目を学び直し、もう一度「第一義」を座右にしていくことが必要になってくると思います。引き続きカグヤは「子ども第一義」を掲げ、この時代に温故知新した福の修行を積み重ねていきたいと思います。

 

 

和とは何か 1

昨年から暮らしの実践をはじめ、身のまわりの道具や環境が和のものに変化してきています。和のものとは、日本古来のものであり先祖たちが手作業で編み出して産み出してきた智慧の姿を顕すものです。

今の時代は、西洋や外来の文化を中心に大量生産されたものを家具や道具に用いることが増えています。家も西洋風になり、家具もその他の生活スタイルも西洋のものを取り容れています。しかし、歴史のある建物や古民家などにはかつての日本の生活スタイルで用いられた文化が遺っていることもあります。

改めて「和」とは何か、少しずつ深めていきたいと思います。

和というものは、辞書をひけば「仲よくすること」や「調和すること」、「協力すること」や「結ぶこと」など書かれています。他にも「やわらぐ」、「おだやかな」という意味もあります。この和という言葉は、私たちは聖徳太子の時からはっきりと意識しはじめたように思います。和の文化と呼ばれる日本文化は、伝統文化の中に色濃く残っています。先祖たちがどのように生きてきたか、どのように暮らしてきたか、その中に和の本質は現存しています。その先祖の智慧を敬い、謙虚にその智慧に触れるとき和は私たちの心の中に感応できるものです。

私の思う「和」というものは、自然に融け合うことです。道具をはじめ家具から家屋、その他の文化はすべて自然に寄り添い自然と融け合う中で自然人一体になっています。自然との共生の中で日本の風土を顕したものが和なのです。そしてその和には、連綿と受け継がれている御縁や繋がりが存在します。その太古の昔から日本人が自然を深く敬愛し、自然の中から学んだ共生の法理、その実践がかんながらの道です。

それらの悠久の歴史の中で、私たちは「和する」ということ、調和し平和することの真心を感じてきました。それは「福する」と言い換えてもいいかもしれません。自然のままにあるがままに生きていけば自ずから全て調和することができるという意味です。

それを間違えるのは人道に反することを行うときであり、我慾や己に負けてしまうときです。そうならないように自然から離れず謙虚に学んできたのが「和の精神」です。今、時代は西洋の考え方を取り容れすぎたために自然を征服しようとまで考えが変わってきました。自然から離れ自然を管理し、人間が傲慢になってくればそれは「和」とは程遠いものになります。

和の文化が消失するのは、この自然から遠ざかることを意味します。先祖たちは数々の道具を自然と一体になって産み出しました。その感性はまさに調和する道具たちであり、その道具たちが周りの道具と一体になるとまるで自然の叡智の中にいるかのようです。この安心感は心を癒し、寛ぎを与え何よりも静けさや穏やかさといった心の平和をもたらしてくれます。和の家や和の部屋に居るだけで、心が穏やかになり静寂が訪れます。

もう一度、日本人とは何か、日本文化とは何か、自らが暮らしの実践を通じてそれを体現していくことです。和風というものは、その生き方を実践する人たちが醸し出した生き様のことでありその生き様が文化継承のカギになるように私は思います。

子ども達のためにも、和をもって貴しとなすような生き方を今の時代の責任を担う世代の責任者として少しでも道を歩みカタチに遺して譲っていきたいと思います。

 

自然の暮らし

神話の時代、私たちの先祖たちが暮らしていた時代は自然に沿った暮らしをすることは当たり前だったように思います。自然の廻りの中で、春夏秋冬、季節の準備や生活道具の準備、その他、様々な食べ物の調達や保存をしながら他の生き物たちと一緒に日々を味わい繋ぎ過ごしていたように思います。

今の時代は、自然に沿わなくても一年中食べ物が豊富にありますし建物の中にいて空調器具を使えば一年中同じ温度で過ごせます。また時間がキメ細かく設定され、スケジュールが決められその通りに進められます。動物や虫たちは生活圏内から姿を消し、植物はコントロールされて栽培されています。

人間の思い通りになる世界というものの中にどっぷりと入り込んでしまうと、自然に沿うということはなくなっていくのかもしれません。人間にとっての便利さを追求しているうちに、不便さの代表のような自然は遠ざけたい存在だったのかもしれません。

しかし自然に沿う暮らしを手放すことで私たちはとても大切なものを失っていくように思います。それは何か、それは自然への畏敬を忘れてしまうことです。そして自然への畏敬とは何か、それは全ては自然のハタラキで私たちが活かされていることを感じなくなることです。それは信じる世界の消失であり、本来の絶対的な安心を手放していくことです。

最近、祭りを深めていく中で気づくのは自然(神様)に祀ろうということの意味です。古代から人々は自分たちが自然の一部として存在し、自分たちをいつも陰ひなたから助けてくださっているのは自然(神様)であると信じていました。これを私は「かんながらの道」の実践の一つだと感じていますが、本来、自分の力などはなくすべては自然のチカラが働き事が為るという発想を持っているということです。

言い換えれば、その頃の人々は自然(神様)の御蔭様を沢山授かることができたことが実力であったのです。だからこそ、自然に沿うように、自然に間違えないように心を清め、素直に正直に純粋に自然の流れが読め、自然と一体になって自分たちが邪念や邪気、我慾などに流されないように創意工夫を施していたように思います。祭りなどはその最たるもので、全国約30万種以上ある日本の祭りはかつての私たちの先祖が常に自然に寄り添って暮らしてきたことの証明でもあるのです。

自然に沿うためには、自分というものを一度見直す必要があります。そして自信というものの本質を改め直す必要があります。自分とは自然の一部であることを決して忘れず、自信とは自分の力ではないという御蔭様の本質を悟ることです。なぜなら自然の一部である時が素直になるときであり、御蔭様の御力を感じるときが謙虚になるときであるからです。

私たちの先祖たちが永らく暮らしてきた自然の暮らしは、とても素直で謙虚だったように思います。そういう暮らしはとても心の安静がありまさに平和で幸福な楽園だったような気がします。かつてできたその暮らしは今ではもう取り戻せないのでしょうか、時代は次代に受け継がれていますが大切なものを失わないように繋いでくださった文化はまだまだこの国の端々に遺っています。

その一つ一つを結び付け、かんながらの道を譲っていくこともまた子どもを深く愛し慈しむことのように私は思います。自然から学び直すことができることは有り難いことで、自然そのものが先祖一体ですからいつまでもなくなることはありません。

刷り込みを取り払い、刷り込みに気付いてどのように現代で折り合いをつけるか。まだまだ実践によって深めて融和していきたいと思います。

 

祭り部発足

昨日、社内の今年の取り組みとして「祭り部」ができました。昨年は「駅伝部」ができて、朝練をはじめ各地の駅伝に参加したり現地の志ある会社を訪問したり、その地域の歴史や生き方、人々や場に触れたりして愉しみ学びを深めましたが今年は「お祭り」を通じてまた新たな社内での実践を象っていくことになりそうです。

先人たちが遺してくださった叡智や智慧に触れることは、自分たちの歴史やアイデンティティがどうなっているのかを自明することにもなり、子ども達に先人たちの願いを繋いでいくことにもなります。今の時代を生きるものとして、何を遺し何を譲るか、それを先祖に学ぶことは何よりも大切な使命のひとつです。毎年、その時々で必要なテーマが降りてくるということはそれだけ前年のテーマが充実していたということです。そうやって哲学や思想がはっきりと明確になり、その明確になったものがテーマになりそのテーマによって人は創造や革新が促されます。

今年は「祭り」になりましたが、祭りというものが何か少し整理してみます。

古事記に本居宣長が祭りとは何かをこう言います。

「祭事(まつりごと)と政事(まつりごと)とは同語で、その語源は奉仕事(まつりごと)から来たのであろう。天皇に仕え奉ることを服従(まつろう)と言い、神に仕えることを祭りと言うも、本は同じである。」

他にも中国の漢字を分解するとこの「祭」という漢字は夕(肉)と又(右手)と示(神示)から成り立ち、右手の肉を持って神にささげる意味です。祀は示(神)に巳(シ)を付けた字で、祭・祀はどちらも神様にささげるという意味になります。

古語辞典「字訓」を書いた白川静氏はこう言います。

「神のあらわれるのを待ち、その神威に服することをいう。「待つ」と同源の語。祭酒を「待酒」という。まつりのことをまた「まち」「日まち」のようにいうところもある。」

古代の神道は、祭政一致であり人々は日々の暮らしを神様に委ね神様の声を聴きながら生活を営みました。神様の声を聴けるというのは、いのちを常に感じてそのいのちを活かしていたからこそ話ができたとも言えます。その一つの神事として「お祭り」があり、お祭りを行うことで穢れを祓い清めたとも言えます。

この「祭り」を「待つ」と同源の語であると言います。私も待つことは信じ切ることで、丸ごと信じていることですから待つことで出づるのを静かに待つという心境は神様を奉る依代としての御役目として必要なことのように思います。

同時に神様が訪れるのを待つ、しかしそれをどのように待つのか、そこに待ち方というものがあると思います。その待ち方こそが祭りの本質であり、ただ待てばいいのではなく神様が顕れるのをどのような姿勢で待つのか。つまり自分たちの中から神様が出てくるのを静かに待つのです。古来、私たちは八百万の神々であり、一人ひとりが魂と命を持っています。だから親祖や先祖の神様たちは自分たちのことを「尊」をつけて尊称するのです。

その尊が出てくるのを待つのに、善いところを観る、信じて観る、素直に明るく、清らかな心になっていくようにして自分の中から出てくる神様と同じ心が顕れるのをみんなで「祭る・祀る・待つ儀式」を行ったのではないかと私は思うのです。

私たちが実践している一円対話においても、御互いが認め合い尊重し受容して清浄で無邪気な場が出来上がると神がかっているような言葉が発言者から出て来ます。これも一つの「お祭り」であり、そのことで人々が素直になり本来の真心や初心を思い出されるのです。

人が初心を思い出すためにお祭りがあり、お祭りを通して一体自分たちは何を大切に生きていけばいいかを反復して理解していく。単なる西洋からきたイベントではなく、日本のお祭りはとても精神的な意味や生き方を観直す内省的な意味を持っているのではないかと感じています。つまり神人合一していくところに、その本質があったのではないかと私は思います。

今年はそれを改めて学び直し深めていく機会をいただけそうです。引き続き、本業であり志業である子ども第一義の理念を自他一体、理想現実一致にしていくためにも一円融合、全てを福に転じて発明を続け実践を弘めていきたいと思います。

本物を譲る~先祖代々の生き方と魂~

それぞれの国にはそれぞれで築いてきた文化があります。その文化は民族の習慣として習得され、それを代々受け継いで今の子孫があるとも言えます。例えば、日本人は礼儀正しいや正直、子どものように明るく無邪気で親切な人が多いなどと海外から評されます。これも先祖代々の生き方が文化として伝承されて継承されてきたのです。

他には、ドイツ人は親切で勤勉だとか、ロシア人は忍耐強いとか、オランダ人は友好的だとか、イギリス人は紳士的だとか、中国人は地縁血縁を重んじるとか、それぞれの国民性の中に先祖代々で築き上げられた智慧が生きています。これらは伝承されてきた大切な無形の文化として脈々と受け継がれてきた生き方であり、その国民性の持ち味とも言えます。

先日、あるヨーロッパの外国人たちが今の日本の状況をこう評しているとお聞きする機会がありました。それは「日本人は、笑いながら価値のある宝をどんどん捨てていく滑稽な民族」と言っていたそうです。

最初は何のことかと思っていましたが、先祖代々受け継がれてきた大切な宝を惜しみもなく笑いながら捨てていくというのです。その大切な宝は何かと聞いたら、日本人の大切にしてきた生き方や暮らし、それまで築き上げてきた文化や智慧のことだそうです。

何でも西洋から入ってきた新しいものが価値があるとし、文明を優先するあまり古いものは不必要だと廃棄されていきます。日本の風土に沿って自然に寄り添った建造物もなくなり、それまで循環し一つのゴミも発生せずに循環した暮らしを手放し、末永く修理して活かせる自然の道具も見なくなり、御互いに助け合い一緒に結束を固かった地域の繋がりも消えていきました。

今の日本人の特徴は果たしてどのようなものか、子ども達に継承されていく文化はどのようなものなのかと感じるのです。文化の本質は、その民族の生き方でありその生き方をどのように継承していくかがその民族の魂を継承していくことになります。子ども達は環境を通して、そしてその大人たちの生き様の背中を通して先祖代々の智慧やメッセージを無言のままに受け取っていきます。その受け取ったものを基本にして、その時代時代に大切な初心が失われないように温故知新して文化を守り文明を従えて発展してきたのです。

文化を排除し、文明だけを優先して目先の利益ばかりに飛びついて何でもかんでも捨てていたら二度と取り返しのつかないことをしてしまうかもしれません。世界が一つになるとき、もっとも必要なのは民族の多様性です。それぞれの国民性の持ち味を活かして、如何に人間が目覚め御互いが仕合わせになり、地球が喜ぶような生活をするかは文化に懸っているともいえ、子々孫々の平安と平和を譲り渡していく先祖代々の真心はそこに生きているとも言えます。

真心を感じてみれば、先祖は子孫のためにと本当に自分の天命を盡し、一生懸命にいのちを今につないでくれました。私たちが子ども達の未来を案じ子どもたちのためにと今できることをやろうと思うように、先祖たちも同じようにそうやって真摯に子孫のためにその時々をより善くしてくださいました。

私たちが今、本当になすべきことは子どもたちに受け継がれていく民族の魂を守ってあげることではないかと思うのです。今一度、日本の文化とは何か、日本人とは何か、世界から何を必要とされているのか、子ども達に譲り遺していきたいものは何か、自問自答しながら子どもの志事の本質を見極めていきたいと思います。

本物を如何に遺して、本物を如何に譲っていくか、今の時代に生きる責任ある大人の一人として真摯に日々の生活を見直し、一つ一つ実践を通してお手本の一つになる様に精進し暮らしていきたいと思います。

自然界最強の存在~柔弱の徳~

生き物には強さや弱さというものがあります。一般的に今の世の中の価値観では、強さというのはライオンやトラ、熊などの大きな動物の方が強いと思われていますし、集団で攻撃してくる動物、毒を持ち特殊な技術があるものが強いと信じられています。そして弱いものは、小型の草食動物やアリなどの小さな虫たち、逃げてばかりで攻撃する手段がない生き物のことを弱いと思っています。

しかし実際、自然界での強さ弱さの本質はどうなっているかを深めていけばいくほど本来の強さや弱さは逆転していることに気づきます。私たちが弱いと思っている存在が実は自然界では最強であり、私たちが強いと思っている存在が実は弱いこともあるのです。

老子に「含徳の厚きは、赤子に比す。」という言葉があります。これはこの世で最も徳の厚い赤ちゃんに敵うことがないと言います。一般的に赤ちゃんはもっとも弱い存在で何もできないと思われています。しかし何もできないと思われていますが実際はもっとも強い存在なのです。

老子は、その言葉のあとこう続きます。「含徳の厚きは、赤子に比す。蜂蠆虺蛇も螫さず、猛獣も拠わず、攫鳥も搏たず。骨は弱く筋は柔らかくして而も握ること固し。未だ牝牡の合を知らずして而も全の作つは、精の至りなり。終日号びて而も嗄れざるは、和の至りなり。和を知るを常と曰い、常を知るを明と曰う。生を益すを祥と曰い、心、気を使うを強と曰う。物は壮なれば則ち老ゆ。これを不道と謂う。不道は早く已む。」

赤ちゃんは、もっとも自然に調和している存在だと言います。道に沿っていると言います。赤ちゃんを猛獣や毒虫も襲えず、骨は弱く筋肉が柔らかくそして拳を握れば固いと言います。生まれながらに気力も精力も全て調和し、無理がない。私の意訳ではもっとも弱いと思われる赤ちゃんこそ、強さのお手本であり、この世で道を永く生き残るための智慧が溢れている存在であるということです。

他にも老子は、「最大の徳は、水のように最も低い場所に甘んじること」という言葉もあります。赤ちゃんや水のような柔軟で弱い生き方こそが、本当は最強の生き方であり最も無為自然そのものであるというのです。

自然には、しなやかやたおやか、なごやかやおだやかという言葉があります。この古語の日本語にある「やか」がつくものは全てにおいて柔軟性・柔弱性を秘めています。自然界の持つこの弱さというものは、生き残るために変化を已まない最大の智慧であり徳です。そしてその徳を持つ赤ちゃんや水のような生き方はこの世では至強の存在であるのです。

私たちが弱いと思っているものこそ、自然界では最も強く、そして人間が強いと思っているものほど実際は弱いということなのです。

私も以前、自然を学び直す中で大きな太くがっちりとした大木が雷や台風で倒されるのに対し、若くて青々しく瑞々しい草たちがどんな台風の強風にも水害にも耐えて嵐が去るとまた何事もなかったように太陽の光でキラキラと甦生し続けて成長する姿を観たら至弱こそ最強の存在ではないかと何度も驚いたことがあります。

弱そうに見えて実際に強いのは、何でも強くなろうと思っているのではなく大事なものを守るためには変化を惜しまない。言い換えるなら、理念や初心が守れるのならそれが以外は何を変えても平気であるほどに柔軟性・柔弱性を持っているということです。

生き方のお手本というのは、生き残るために変化を已まない存在です。自然界では、そうやって今までいのちをつないできていますしこれからもずっといのちは自然と一緒に寄り沿って自分の天命を活かしていきます。

自然に学ぶものの一人として、本来の強さをはき違えないようにしたいものです。

最後に私が好きな老子の言葉です。

「人の生まるるや柔弱、その死するや堅強なり。万物草木の生まるるや柔脆、その死するや枯槁なり。故に堅強なる者は死の徒にして、柔弱なる者は生の徒なり。ここを以って兵強ければ則ち勝たず、木強ければ則ち折る。強大なるは下に処り、柔弱なるは上に処る。」

40代を迎え、一生青春、一生若々しくあるためにこの柔らかく弱い存在に近づいていくよう子どもと自然とお手本に精進していきたいと思います。そして捨ててはならない大切な生き方を子どもたちに譲り遺していけるように万物自他一体に遣り切っていきたいと思います。

素直は能力

昨日、久しぶりにあうん健康庵の小松先生と奥様にお会いしました。いつもながらの温かい心遣い、おもてなし、いつもの素敵な笑顔と生き方にお会いするだけで元気をいただけます。

場所が離れていても、どんな時でも、私たちのことを応援してくださり励ましてくれる。子ども達のためにと精進していくことは厳しくもあり楽しいことでもありますが、志を実践する方との邂逅によって御縁や道はいつも支えられているように思います。

そのあうん健康庵の入口に、「素直は能力」と書かれた色紙があります。この素直さというものは何ものにもかけがえのない自然治癒の極意のように感じ、私自身もこの素直さは単なる性格ではなく己の磨き方としての最大の能力であるように感じています。どんな時でも素直な人は、全ての出来事やご縁を必ず善いことだと受け容れ、それを福に転じます。しかしその大事な場面で素直の能力がない人は、全ての出来事を禍にしてしまうのです。幸不幸はその人のものの見方、受け止め方ですからどんな出来事もその人がどういう見方をするのかで見え方が変わってきます。その見え方を変える技術、それも素直の能力の一つであることは分かります。

素直と言えば、私が最初に思い浮かべるのは松下幸之助さんです。

松下幸之助さんは、人間にとって何よりも欠かせない大切なものは「素直さ」であると言い切ります。生涯をかけて、素直という言葉を言い続け書き続け実践をし続けた方です。そのエピソードや人生の出来事の場面で如何に松下幸之助さんが素直の能力を活かして禍を転じて全て福にしてきたかが分かります。何よりこれは産まれつきでもっていたのではなく、大切だと気付いて努力して能力を磨いたことが「素直の初段」という言葉の中に残っています。

『私自身はこういうことを考えている。それは、聞くところによると、碁というものは特別に先生について指導を受けたりしなくとも、およそ一万回うてば初段ぐらいの強さになれるのだという。だから素直な心になりたいということを強く心に願って、毎日をそういう気持で過ごせば、一万日すなわち約三十年で素直な心の初段にはなれるのではないかと考えるのである。初段ともなれば、一応事に当たってある程度素直な心が働き、そう大きなあやまちをおかすことは避けられるようになるだろう、そう考えて、私自身は日々それを心がけ、また自分の言動を反省して、少しでも素直な心を養い高めていこうとしているのである。そのように方法はみずから是と思われるものを求めたらよいわけだが、素直な心の涵養、向上ということ自体は、あらゆる経営者、さらには、すべての人が心がけていくべき、きわめて大切なものである。それなくして、経営の真の成功も、人生の真の幸せもあり得ないといってもいい。だから、素直な心に段位をつけられるものであれば、やはりお互いに初段ぐらいにはなることはめざしたい。そこまでいけば、これまでに述べてきたようなことも、おのずと体得され、生かされてくると言ってよいであろう』

松下幸之助さんは80歳半ばになってようやく素直の初段になったと言っていました。生き方として如何に素直を磨くかは、日々の御縁や出来事を通した時、自分がどのようにそれを転じつづけて福にしたかという実践なのです。日々の過ごし方一つ、当たり前ではなく有り難いと感じて物事の見方を転じて観ることや、何かあった時にこれはきっと大切なことを教えてくださっていると学びに換えること、そういう日々の行動で素直は磨かれるように私は思います。また松下幸之助さんはこう言います。

『素直さを失ったとき、逆境は卑屈を生み、順境はうぬぼれを生む。逆境、順境そのいずれをも問わぬ。それはそのときのその人に与えられたひとつの運命である。ただその境涯に素直に生きるがよい。』

生き方として、逆境が来た時に卑屈になればそれはまた己に負けることになります。そして順境の時にうまくいっているからと調子にのればまた己に負ける。人生は常に己に克つかどうか、自分との付き合いをどう素直な状態にしていくかですから運命を受け容れその境涯に対して如何に油断しないで何があろうがなかろうが日々に粛々と実践を続けていくかということになるのです。

素直さを磨くという心があれば、素直さの能力は高まっていきます。最後に松下幸之助さんが言う素直な心で締めくくります。

『素直な心とは、単に人に逆らわず従順であるということではありません。本当の素直さというものは、力強く、積極的な内容をもつものだと思います。つまり、素直な心とは、私心なくくもりのない心というか、一つのことにとらわれず、物事をあるがままに見ようとする心といえるでしょう。その心から、物事の実相をつかむ力も生まれてくるのではないかと思うのです。だから、真理をつかむ働きのある心だと思います。したがって、素直な心とは、何ものにもとらわれず、物事の真実と、何が正しいかを見きわめて、これに従う心、適応していく心です。お互いが素直な心になれば、していいこと、してならないことの区別も明らかとなり、また正邪の判別もあやまることなく、何をなすべきかもおのずとわかってきます。素直な心になりましょう。素直な心はあなたを強くし正しく聡明にいたします。』(「素直な心になるために」PHP)

逆境のときこそ素直さは磨かれ、そして順境の時こそまた素直さは磨かれる。素直の初段になるために、日々素直は能力と言い続けることは生涯の人生道場であり、一生の修行であるように思います。

自然治癒もまたこの素直さが何よりも肝要であることを学び直しました。

起きた出来事一つ一つに大切な意味があることに感謝し、日々の御縁を大切に学び直しを味わっていきたいと思います。

 

天災と人災

天災と人災というものは異なるものです。天災は地球規模の災害であり、大地震から大津波、大竜巻に大台風、大寒波に火山の大噴火、熱波から隕石の落下まで毎回、私たちの想定を確実に上回る災害が天災でもあります。

それに対して人災というのは、想定内で起きる人的災害のことです。原発事故や工場火災、水道管の破裂に地下鉄事故、交通事故や停電、風評などこれらは人災でありすべてそれは事前に備えることができるものばかりです。

この天災と人災と混同している人が増えてきているように思います。一般的にビル管理などで行う災害訓練は人災対策です。これは日頃から訓練しておかなければ「人災」が起きてしまうということから行われる訓練です。本来、運よく最初の天災から逃れられたとしてせっかく助かったいのちを人災によって失うのを未然に防ぐための訓練のことです。

人災とは人道のことで、人の道は日々の平常時の訓練を怠るなということで人災が発生しなくなるようにするのが人の道です。二宮尊徳が、「人道は一日怠ればたちまち廃れる」という言葉があります。そもそも一日怠ることが平気な人がいくら人災の訓練をしたとてそれはもう廃れているのだからひょっとしたらしない方が他に影響を与えない分ましかもしれません。日々に防災のチェックをしたり、日々に備品の管理をしたり、大事なのは人の道は「一日も怠らない」ということで人災は防げるのです。かつて二宮尊徳が何度も天災に対して人道を盡して飢饉や飢餓を救ったり、水害を防いだり、沢山の人命を救助できたのもまた二宮尊徳が「一日も怠らない実践者」であったからであり、その徳恵によって仲間や家族が救われたのです。その遺徳は今でも人災対策の鑑です。

それに対して天災はどうかということです。

天災は時の運です。この天運というのものは、不思議なもので例えばちょうど地震の時に出張で遠くにいたり、津波の時にそこに近づいてしまったりします。自然界に生きている生き物たちは台風が来る前にはみんな避難していると言います。メダカなども流されないように石を呑みこんで深く潜っているといいます。鳥や野生の動物は、事前に天災を察知して避難していのちを守ります。

これは野生の勘とも言えるものです。自然から離れず、自然により沿っていきている生き物たちは自然の観察に長けています。それは固定概念に縛られず、危機意識を怠らず、自分のいのちを最優先に守り、自然への畏敬を忘れず、ピンチの時こそ野生の勘が働いているから助かるのです。

これを運が善いとも言います。この運とは、天運に対して自分の運を合わせていくということです。日頃から自然を畏敬し運が悪くならないような生き方をすることで、救われます。たとえば謙虚さや素直さを持っている人は、なぜか人のアドバイスや周りの見守り、環境の組み合わせによっていのちが長らえます。

これは日々の生き方が天道に逆らわない、昔の言い方をするのなら「お天道さまに恥じない」生き方、つまり正直に謙虚に素直に己に打ち克って初心理念を優先して生きているからです。お天道さまがいつも守ってくださるのはその人が「正直」だからです。そして正直が守られるのは天運に沿っているからです。これは会社経営も然り、生き方も然り、本来の日本人は環境の変化、天災が世界一多い国だからこそ先祖代々、「正直こそ無敵」であると、お天道様を信じて取り組んできたのです。そしてこれらの努力こそが、人道の極みとも言えます。

いくら体調を崩してこのブログを已めないのは、それが人道であるからです。一日怠ればたちまち廃れるからこそ、天理に沿って人道を重んじるのです。人道を怠らないことが己に打ち克ち天道に従うことになります。

引き続き、子ども達のお手本になるように日々の生き方の方を平常心・平常時の方を大事に実践を積み重ねていきたいと思います。

逞しい力

ここ数日、寒暖差が激しい日々が続いています。野生動物たちはとても厳しい自然の中で、この寒暖差に身を晒します。我が家のの犬や猫、鳥たちも春の陽気から一転急激に寒くなるとピクリとも動かずに丸まってじっとしています。私たち人間は、暖房などで室内を暖め洋服を着脱して体温調整をして寒暖差をコントロールしますが野生の生き物たちはコントロールできませんから自分が順応していくしかありません。

先日、地域で最近みかけた野良猫が鳥小屋の近くで亡くなっていました。よく見ると、どこかの猫と喧嘩したのか顔や首筋に傷があり怪我をしているようでした。数日の激しい寒暖差によって体力が弱り遂には凍死したのかもしれません。すぐに大き目な樹の下の土を掘って埋葬して念仏を唱えました。

一般的に室内飼い猫の平均寿命は18年~20年くらいだと言われます。それに対して、野良猫の平均寿命は5年~6年くらいと言います。環境が快適になればなるほどに寿命は延びていきます。今ですら病気をしても怪我をしてもすぐに死にはつながらなくなりましたが、本来の野生に生きる生き物たちは常に死と隣り合わせに生きています。野生がもつ逞しさというものは、本来の自然の中で必死に生きる中で培ってくるように思います。

私たちは寿命は長くなりましたが、その分、かつて持っているであろう逞しさを失ったのかもしれません。もしも自然界の永いスパンで物事を観れば、ひょっとすると寿命が短くても自然治癒力を持ち、自然の中で逞しく生きることの方が種を永く発展・維持させていくことができるのかもしれません。かつて様々な自然災害を乗り越えてきた生き物たちは今よりももっと激しい寒暖差の中で生き残ってきました。もしも天災が発生し、私たちの文明でも対処できないほどのことが発生したとき私たちは自力と智慧で乗り越える必要がでてきます。そうなると、今まで必要だった能力が一切機能せず、まったく別の能力が必要になるのです。

それを自然の持つ逞しさといってもいいのかもしれません。いつまでも生きるチカラを失わない、その逞しい心は自然を畏敬し、自然と暮らしていく中で育まれていくものです。自然と接すると謙虚になるのは、自分の方を変え続けていかなければ自然と共に生きていくことができなくなるからです。

文明が栄えたとしては如何に分度分限を守る生活をしていくか、それは子々孫々へと先祖たちの遺してくださった遺徳を譲り渡すために必要なことです。何でも新しいものがいい、人間の発明したものがいいとなってしまえばその反面に失われるのは先祖や自然が与えてくださった自然治癒の力、つまり逞しさなのかもしれません。

逞しさを遺すには、私たちが自然と共生する道を選んでいくしかありません。地球は滅亡しませんが、人間は脆くも早く滅亡してしまうかもしれません。一人の気づきが万人の気づきになりますから、いち早く気づいて自分自身がその生き方、暮らし方を伝承していきたいと思います。

 

 

 

孤独の意味

世間では今、孤独感とか孤独死の話題がよくニュースに出て来ます。孤独に対して似た言葉に孤高があります。孤高とは俗世間から離れて、ひとり自分の志を守る姿のことを言います。世間では俗世の中で孤独を感じるのと、俗世を超えて孤高でいることが同じようにも扱われているようにも思います。この孤独について深めてみようと思います。先日から紹介している三木清が孤独について「人生論ノート」でこう語ります。

「孤独は山になく、街にある。一人の人間にあるのでなく、大勢の人間の「間」にあるのである。」

これは俗世の孤独は、人と人との関係性の中にあるということです。そしてそれは決して一人になったから孤独ではなく、大勢の中にある間にこそあるということです。そしてそれは言い換えれば「孤独は社會の中にこそある」と私は感じています。

俗世とは社會のことであり、社會がどのようなものかで人間の孤独がどうなっているのかが分かるのです。社會がもしも思いやりに溢れていれば、その時人間は孤独は感じません。しかし社會が冷たく歪んだ個人主義や利己主義に溢れていれば孤独を感じます。

人間の孤独とは他人の心の通じ合いに由ります。心の壁をつくり、他人の個性を受け容れない世の中になれば自分がどのようなことに役に立つのかが見えなくなります。本来は、人間をはじめすべての自然物は意味があって存在します。それを人間の基準、人間のモノサシで善悪、必要不必要を分別すれば孤独感を感じるものです。

前述した人間の間にある孤独感は、社會そのものを変えることでなくなっていきます。人が思いやりとぬくもり、やさしさに溢れて心を包み合い許し合うのならそこに自ずから「徳」が発生し、その徳恵は自然界の太陽や月、水やその他の無限の循環の慈愛と同じような世界を感じ人は仕合わせを実感できます。

そして孤独には人間が対立して味わう一人ぼっちになる孤独感と自然の中にある侘びや寂びといった孤独感があるように私は思います。孤独は味わい次第では、それはいのちの側面を感じることであり自然界に陰陽あるようにその陰陽を感じる力ではないかと私は思います。

三木清に「孤独を味ふために、西洋人なら街に出るであらう。ところが東洋人は自然の中に入つた。彼等には自然が社会の如きものであつたのである。東洋人に社会意識がないといふのは、彼等には人間と自然とが対立的に考へられないためである。」があります。

これは西洋人が人間を中心にした思想感からでしか孤独を感じないのに対し東洋人には自然を中心にした思想感から孤独を味わいますからその孤独の味わい方の意味が異なるということです。

山に入るというのは私たちにとっては自然の中に入り孤独を味わうということです。これは自我を超越し「無」になることです。無になることで私たちは自然と一体になります、ここに心そのものの侘び寂びがあるのです。この侘び寂びの観念を文化や営みそしてそれを人生の使命にまで高めたところに私たちの民族性の柱である「大和魂」があるように思います。

そして三木清がこの日本人の孤独の感性について面白い例えを記しています。

「東洋人の世界は薄明の世界である。しかるに西洋人の世界は昼の世界と夜の世界である。昼と夜との対立のないところが薄明である。薄明の淋しさは昼の淋しさとも夜の淋しさとも性質的に違つてゐる。」

つまりは対立する「人間の間」ではなく、大和する「自然の間」があるということです。

私も夕方のある時間帯、薄明の時間はとても寂しく感じます。これは侘び寂びを感じるこころが感応するのであり、黄昏を味わう孤独を感じる間であり、昔から昼と夜が移り変わる時間帯、降魔時、大禍時といい現世と常世の境目を味わっているのですす。ここに自然の間、余韻の時に入ります。この余韻の時こそ、私の感じる孤独の味わい深さであります。

そしてこの孤独の味わいは人間の間にある孤独とは明らかに異なります。誰と一緒にいても心は常に余韻の時、侘びと寂びを感じているのです。さらに言えば自然観というものの中にある孤独感は、無のことです。そして人間観にある孤独感は、亡のことです。

人間の中にある孤独を和らげ、仲睦まじく仕合わせに暮らしていけるようにするには社會福祉を改善し続けなければなりません。人間の中にある孤独こそが戦争を引き起こし、貧困を広げ、破滅を引き寄せていくからです。社会福祉法人というのは、本来は社會を改善していく同志たちであるということです。

引き続き、子ども達のためにも自然をお手本にして本来あるべき人間の社會を創造していきたいと思います。