自然体の本質

世界において日本人であるということの重要性は昨日も書きました。なぜ日本人でなければならないか、そこには私たちの世界における存在意義にも関係します。そしてそれは単に世界の中での日本民族というだけにとどまらず、結局は自己を活かすということの本質に深く関わっているからです。

そもそも人は自分という存在をどのように理解しているかで観えている世界が変わっていきます。例えば、単に自己という自分が今までの過去のことや身近な存在から理解する狭い範囲の自分というものと、民族の一人として先祖代々からつながっている自分であると理解するのでは自己認識が変わっていきます。前者は私的なものですが、後者は歴史全体的なものです。言い換えればこれらの歴史全体的な民族的使命を持つことによってはじめて本来の意味での個性というものに出会うということです。これを三木清が分かりやすく例えています。

「すべての理念的なものは運命的なものを通じて実現される。個人の任務は民族を通じ民族のうちにおいて世界的なものを実現することである。個人は自己の民族を世界的意義あるものに高めねばならず、そのためには個人はどこまでも自主的に民族と結び付くことが必要である、個人が自発的でないところでは人類的価値を有する文化は作られないから。」(論文 全体と個人より)

はじまりの初心をもって誕生した先祖たちの道をその後の私たちが受け継ぎ歩んでいるのですからその道を高めそれを民族の目指した姿として顕現させていることが今の文化とも言えます。文化があるというのは、かつての祖親の真心をカタチにした個人があったということです。人類的価値とは、その初心という理念においてそれをどのような道筋と道程を実践して文化にしたかということです。だからこそ三木清も「すべての人は、自らの民族が持つ文化を世界史的意義を有するものへ磨き上げそして高めていかなければならない」と言います。

「個人は抽象的な人類や世界ではなく却って民族というが如き具体的な全体と結びついて具体的な存在であるのである。個人は民族を媒介するのでなければ具体的に人類的或いは世界的になることができない。単に人類的と考えられるような個人は抽象的なものに過ぎぬ。単なる世界人は根差しなきものである。」(論文 全体と個人より)

個人というものの定義をどのように捉えるか、自分らしさというものをどの価値で定めるか、そこが肝心だと私は思います。自分自身とは何か、それを正しく理解できてこそはじめて真の個性を活かし発揮することができるのです。単に個性の発揮とは、自分の好きなことをやればいのではなく真に自分らしさ、自然体であるのです。自分らしさが自然体とも言いますが、では自然体とは本当は何かということなのです。

私の自然体の定義はもっとも日本人であるということです。

言い換えれば今まで脈々と受け継がれてきた私たちの道統の存在そのままになっているということです。それがあってはじめて自分らしさであり、それが本当の個性なのです。私が日本人を目指し文化を学び直すのも自分の中にあるその個性を磨きたいからです。日本の精神とは何か、その精神を磨くのもまたそれは民族としての心を高めてはじめて日本精神を磨くといえます。そして三木清はこうも言います、「国家・民族という精神的バックボーンがあってこそ「個人」が真に活きる 」と。

私も同感で、まず「国」とは何を指すのか、そして「民」とは何を指すか、真に「国民」であるということはどういうことか。自分が国民の一人として自分を発揮していくには、まず本来の国民に回帰する必要があるのです。その回帰した姿において如何に文化を世界に発信していくか、そこに民族的使命がありそこに個々の天命があるように思います。

運命というものは天命のことで、天命は運命と自然体になればなるほど同化していきますから自分が民族の文化そのものであるということを忘れてはならないと私は思います。

そのために何を実践していくか、どんな手本を示して子ども達に道を譲っていくのか、自分の使命とはそういう民族から受け継がれてきた使命のことですからその道を譲り渡す時、真の幸福もまた受け渡していくことができるように思います。最後に三木清の言葉で締めくくります。

行動の哲学は歴史の理性の哲学でなければならぬ。歴史の理性はもとより抽象的なものでなく、一定の時期において、一定の民族を通じて現れ、一定の民族のうちに具体化されるものである。そして一つの民族は民族である故をもって偉大であるのではなく、その世界史的使命に従って偉大であるのである。

歴史に顕れる日本の先人たちの中には、全てその民族の偉大さが顕現します。私の尊敬する方々もみな、その自然体の本質を持っています。吉田松陰然り、高杉晋作然り、源義経然り、私たちの民族には「徳」と「義」が脈々と受け継がれています。

本当の意味で世界が滅びるというのは、世界史的使命が失われるということです。民族多様性を如何に遺すか、それはそれぞれの民が文化を重んじて生きていくということです。時代がいくら激変しても道は変わらずそこにありますから道を継ぎ道を弘め、道を繋いでいけるよう自然体に近づいていきたいと思います。

日本刀の精神

先日、日本刀用語の中の「付け焼刃」について書きました。他にも似た言葉で「にわか仕込み ・ 一夜漬け ・ 間に合わせ ・ その場しのぎ」があります。付け焼刃は剥がれやすいやメッキが剥がれるなどもそうですが、本当の実力を身に着けなければ乗り切れないということに使われます。

しかしではなぜ付け焼刃が横行するのか、それを深めてみると今の教育の在り方や、誤魔化して済むような世の中の風潮も観えてきます。結局は、生き方を決めず覚悟を持たないでも生きられるものが溢れる豊かな時代、精神を如何に厳しく磨き鍛えるかということが求められているということです。

例えば、一夜漬けという言葉で思い出すのは学校のテストです。テストさえ乗り切ればいいのだから、一日、二日覚えていればその場しのぎで乗り切れたものです。他にも、その場さえ乗り切ればというものは沢山溢れています。特に器用な人やテクニックが高い人は、能力でその場を乗り切ることが出来てしまいます。一度、そうやって楽を覚えてしまうと次からまた楽な方法で乗り切ろうとするものです。逆に不器用な人は、それができませんからいちいち時間をかけて丁寧に愚直に取り組んでいくものです。

そのうち社会に出てからも、調子よく世渡りをする人と不器用だけれども真摯に世の中に貢献する人に分かれます。このことを考えるとアリとキリギリスの寓話を思い出しますが、結局は「己に克ち日常を怠らないこと」に尽きるように思います。その場しのぎの逆は平素を正すことだからです。何かあった時だけ乗り切ろうとするのをやめるのは日頃をキチンと正しておけばその時がきてもいつも通りにやればいいからです。

付け焼刃というのは、日頃の鍛錬よりもその場さえ乗り切ればで研ぎや付け足し刃をつけます。しかしその刃はすぐにまた切れなくなり、ただのなまくら刀になります。この鈍刀というのは、だいたい大量生産で造られたものです。本当の日本刀は、折り返し鍛錬によってはじめて切れ味の光る唯一無二のものが仕上がっていきます。

教育がもしも大量生産をしてしまえば、人間もまた鈍刀のような付け焼刃のその場しのぎばかりが育ってしまいます。本来の人間に必要な素養は、刀を打つ鍛冶師のような心構えで取り組む必要があるように思うのです。

単に見た目が日本刀であればいいなんていう刀を、誇りを持つ鍛冶師は打つはずがありません。鍛冶師がブレれば研ぎ師がブレ、その他の鞘師、白銀師、塗師、柄巻師、装剣金工の関係者もみんなブレていきます。常にみんながブレずに日本刀を造るからこそ日本刀の精神が宿りそして伝承され後世に遺るのです。一本の日本刀が仕上がるまでにどれだけ本気で皆がそのものを造り上げるか、そこが何よりも大事なのです。

鈍刀に仕上がってしまった刀は、見た目は立派でも切れ味のない実戦現場では使えないものです。今の時代、それで苦しんでいる大人たちが本当に多い世の中になったような気がしています。こうなるのも周りの人たちがどれだけその人を信じて本気になって正直に育ててきたか、見守ってきたかではないかと私は思うのです。

言い訳をしない、正直に生きるということ一つも日本の心であり大切な徳目の一つです。そういうことを怠り日常の鍛錬を積もうともしないで、いきなり目の前の出来事を一時しのぎ、その場しのぎ、一夜漬けで乗り切ろうとするその生き方から修正しなければなりません。

日本刀の中に見える私たちの先祖が大切にしてきた生き方から本来の大和魂とは何か、日本人の在り方とはなにかを学び直していきたいと思います。

生き方言葉

日本語には、職人用語のようなものが沢山あります。大工用語であったり、鍛冶用語であったり、それぞれに道を深めた職人さんたちが鍛えあげた言葉があります。それは生き方と深く関連しているようで、その言葉は私たちの生活の中でも大事な場面で使われることが多い様に思います。

昨年から鐵や刀を深めていく中で鍛冶用語や研ぎ用語、日本刀の言葉に出会う機会が増えました。特にこれらは鍛錬用語のようなものに溢れていて、自分を鍛え磨き上げていくことに通じる言葉が多く己の我に打ち克つための言葉が溢れています。

日本人の先祖たちが大切にしてきた武士道は、如何に克己復礼するかに尽きるように感じます。かつての先祖は徳を重んじ、その徳に恥じない生き方をすることこそが日本人の心であり日本人の鑑であるとしています。それもかつての古の道具に触れたり、先祖の伝承してきた文化に触れると実感します。今では文化が失われて、使っている言葉も次第に忘れ去られていきますがもう一度、その言葉からその意味だけではなく生き方を感じ直して子ども達に伝承していきたいと感じます。

例えば、日本刀の言葉では「土壇場・しのぎを削る・切羽詰る・単刀直入・身から出たサビ・懐刀・伝家の宝刀・反りがあわない・真打・元の鞘に収まる・一刀両断・諸刃の剣・抜き差しならぬ・真剣勝負・つばぜり合い・一太刀あびせる」等々、沢山の言葉があります。これらも日々のやり取りの中で、日本刀を用いた生活の中から出て来た言葉です。

何を大切にしているか、何をすると失敗するか、その教訓や回訓を言葉に遺していたとも言えます。

例えば、「付け焼刃」という言葉があります。

これは本来「焼き入れ」という作業をすることで日本刀は強くなり切れるのですがその正式な焼き入れを行わずに軽い研ぎだけで模様をつけては刀紋がついたように見せかけることを言います。このことからたとえ一時しのぎその場しのぎではなんとかなったとしても、にわか仕込の一時で間に合わせたように装った勉強や技術では通用しないよ、つまり「付け焼刃」ではダメだという教訓なのです。

これは今の時代、すぐに勉強して形だけの技術を教えてしまう学校の勉強に似ています。付け焼刃では本番の世界では役に立たず、その道を深めて鍛錬・練磨する必要があります。宮本武蔵の「千日の稽古を鍛とし万日の稽古を錬とす」であり、朝鍛夕鍛して本焼き入れを行ったものだけが本物の強さ、本当の切れ味を持つように思います。仕事も同じですぐに結果を出そうとして付け焼刃の知識や技術を得ても本当の意味で相手の御役に立とうとするのなら「焼き入れ」はとても大切な鍛錬になるのでしょう。

今は利便さ楽さを追求し鍛錬をすることを避けようとする風潮もあります。できれば鍛錬せずにできるための勉強をし知識を持とうとしている人も増えています。しかし古来からそれではならぬと武士道では戒めそれを言葉に遺しているのかもしれません。

鍛錬の反対は怠け癖なのかもしれませんが、豊かな時代だからこそこの鍛錬は非常に価値があるように思います。松下幸之助さんがこういう言葉を遺しています。

「暮らしが豊かになればなるほど、一方で厳しい鍛練が必要になってくる。つまり、貧しい家庭なら、生活そのものによって鍛えられるから親に厳しさがなくても、いたわりだけて十分、子どもは育つ。けれども豊かになった段階においては、精神的に非常に厳しいものを与えなければいけない。その豊かさにふさわしい厳しさがなければ、人間はそれだけ心身ともになまってくるわけである。」

人は五感をフル活用していなければそのうち怠け癖がついて次第に人間の本能が減退してくるものです。

生き方まで付け焼刃にならないように、日々の鍛錬を怠らなかった先祖たちに見習い日々に生き方言葉を磨き、刻苦勉励に勤めていきたいと思います。

灯りの余韻~炭の仕組み~

炭を使った暮らしをはじめてみると、如何に炭が温もりを与えているのかを実感するようになってきました。一日のはじまりと終わりに炭を熾しているだけで時から離れ自然に近づいていきます。

そして炭はコツを掴めば、火の調節もとてもしやすく便利な現代の道具よりも微調整がききます。それに一度火が入れば、小さな火が残りますからいつでもまた熾し直すことができ火を絶やさなければいつでもまた復活するということにも気づけます。灰も大切な役割をし、燃え尽きてなおその火を守っています。この炭で沸かす一杯の御茶は本当に格別で生きている仕合わせを感じるほどです。

この炭というものの温もりは、普通の薪やガス、石油で燃やす火にはないものです。それらの火は燃え盛る太陽だとしたら、炭の火はそれを受けて光る月のようです。月はその光の中に温もりを宿します。同じように炭にもその炭の中に温もりが宿るのです。

炭に火が入れば、炭のいのちが燃え始めます。その炭のいのちは透明な灯りを自らの呼吸で点灯させていきます。その点灯した灯りが周りを暖め、同時に私たちに温もりを感じさせます。この優しく包まれる灯りの中で、私たちは一日のはじまりの意味を知り、一日の終わりの意味を感じます。この炭が産み出す「灯りの余韻」は、心に深い味わいを与えてくれます。

人生は一瞬です、そしていのちは熱を帯びてはその熱が次第に冷めて消えるか最期には灰になっていきます。血液が赤く体温を維持するために呼吸するように炭もまた赤く温もりを維持するために呼吸をします。火吹竹で息を吹き込み元気になる炭のように、私たちもまた息をして元気になります。

火に空気の中の何かが反応することで、温もりというチカラが出て来ます。その自然が熔け合う瞬間に私たちは灯りの余韻を感じて心が癒されていきます。火は人の心を投影します。その人の心の安らぎは火の中にも顕れます。炭のない暮らしは人心の荒廃を進めているように私には思えます。これは昔からの稲作の仕組みがなくなって協力しなくなったように、炭もまたこの人の手で炭を扱う仕組みがなくなって温もりが失われてきたようにも思います。

灯りの余韻を大切に味わう心のゆとりを炭と一緒に育てていきたいと思います。

子ども達のためにも、自分が灯を消さないように実践を大切にして見守っていきたいと思います。

分を弁える~謙虚さの醸成~

人は自分自身のことを間違うのは我慾や私心に呑まれるからだとも言えます。昔から執着をはじめ、暴食、色欲、強欲、憂鬱、憤怒、怠惰、虚飾、傲慢などがあります。どれも自分自身の中にある己心と私心との間で発生してくる感情であり、その感情をどう転換し、どう執着を手放すかが人生の修行とも言えます。

実際に文章で書くのはいとも簡単ですが、実際に実践してそれを転じて善いものにしようとするのは大変なことです。実際には、どの執着が一番強いかは人それぞれに異なりますが、ある人は強欲でなくても傲慢であったり、ある人は暴食がなくても怠惰であったり、それぞれに強弱あるものです。

仏教では六波羅蜜と言いその執着を手放すための修行として、布施(ふせ)、持戒(じかい)、忍辱(にんにく)、精進(しょうじん)、禅定(ぜんじょう)、智慧(ちえ)があるそうです。私欲を手放すには、私欲を超える実践を行いいつも自分を律してより大きなものに自分を近づけていこうとすることで己の分を弁えようとするように思います。

人は自分の分を弁えることができてはじめて謙虚になったとも言えます。

実際の自分を本来の身の丈よりも大きいものだと思うところに人間、いや人類の失敗があり、実際は分を弁えないことをすればそこに破滅が待っています。これは歴史を観れば明白で、分を弁えればその文明は長く続き、分を弁えないことで文明は終焉します。

人間がいくら凄いと思っても「いのち」一つ作れませんし、また地球規模の大天災には立ち向かう術もありません。例えば、火山の大噴火や熔岩を消火できるのか、竜巻や台風を消し飛ばすのか、大津波を鎮めるのか、巨大隕石を吹き飛ばすのか、そんなことできるはずもありません。宇宙や自然を敵にしても決して勝てるわけではなく、もしくは何かや誰かと比較競争して勝った気になってもそれは長い目で観て果たして本当に勝ったと言えるものかとも思えます。

自分の分を弁えている人は自然に沿っています。自然に沿っているから、自然を変えようとはせずに自分を変えようとします。世の中を変えようとはせず、自分を変えようとします。他人を変えようとはせずに、自分を変えようとするのです。これらは分を弁えているのです。自分を変化させる人はみんな、その道理を実践により体得しているのです。

如何に分を弁えるか分度を保つかは、日々の生き方、その謙虚さの醸成があるということです。一期一会の御縁といただいた大切なお守り刀を懐に抱き、初志を貫くためにも安文守己・知足安文の実践を意識していきたいと思います。

循環を優先

発酵を深めていく中で、沢山のことに気づきますがもっとも大切なポイントは「循環を優先」することのように思います。自然と共に歩んでいく生き方というのは、まったく一つの無駄がなく、「ゴミ」という観念がありません。この世にあるすべてのものは再利用でき、そのものが消失しても次の世代や次のいのちの糧になります。

このように一つの無駄もゴミも発生しないこと、そしてそれが永続的に繰り返され継続されていくことを循環と定義します。

例えば、木というものを理解するとそれが循環の柱になっていることに気づけます。木は種から根をはり芽が出て伸びて成長する中で森をつくり、多くの生き物たちを活かします。その後、朽ちたり、炭になり灰になりまた土にいる微生物たちを甦らせていきます。微生物は極小の生物ですが、私たちを常に活かします。木はその成長に一つの無駄もなく、常に様々な他を活かし続けて寿命を維持します。

木から学ぶことは本当に多く、自分の都合を一切排除したところに循環型社會が存在することを直感します。

一昨日の桶については、その木の特性を上手に活かし、微生物の仕組みを深く理解しているからこそ桶を使ってきたように思います。古来から私たちの先祖は、壺や甕を用いて水や酒を保存していました。これは遺跡を見学すれば縄文以前の時代からあったことは遺跡の出土で分かります。そして木の桶は弥生時代の遺跡からも発見されており、室町時代に中国からの影響もあり広がり江戸時代には各家庭に必ず存在したものとなりました。その後、昭和に入りホーロータンクやプラスチック製のものが広がり桶はほとんど見なくなりました。そこには人間の都合の良い便利さ安価さはあり経済という名のお金の拡大はありましたが同時に大量のゴミが発生し、大量の無駄が存在する非循環になったとも言えます。

かつて桶はどのように循環していたかを調べてみると、まず酒屋が森の中から選んだ木を用い新桶を作り、その後30年後に酒桶としての寿命が近づくと、今度は味噌屋・醤油屋それを譲られ、更にそこから長くて150年ほど使われます。その後は、職人たちが修理を繰り返し微生物たちの故郷として何百年もの間ずっと循環型社会の御役に立つのです。

世代を超えて利用されてきた桶はずっと人間と一緒に生きて暮らしてきました。桶を身近に生活していると、その桶が私たちと同じように「呼吸」をしていることに気づけます。漬物においては、自分たちの都合の悪い微生物を排除して簡単に管理できるプラスチックと違って木桶や木樽はこちら側が愛情をかけて塩加減、塩梅をみて見守らないと腐ってしまいます。しかし経年変化の味わいが出てくるのはそこは生き物として、いのちとして大切に扱っている真心が入るからです。

そこに循環があるというのは、それは私たちがいのちとして寄り添うから存在するのです。いのちがあるものは寿命があり、その寿命を延ばしてあげたい、一緒に暮らしていきたいといういのちを思いやる温もりがあります。

時代が変わっても、桶の持つ魅力は変わりません。

それは私たちの心の中に、この循環の思いやりや真心が消えないからです。手間暇かける贅沢さや、手作業の温もりは、いのちに触れる仕合せです。

身のまわりに循環の道具を置くことは、自分も循環の中に暮らすことです。いくら循環をしたいといっても、今の循環しないものに囲まれていたら気が付くと大量のゴミと大量のムダを発生してしまうもので、同時に人間の都合の良いことばかりを優先し循環できなくなっていきます。そうやって人間が自我欲に負け、己に克てず、我儘に傲慢になれば循環型社会は一瞬で崩壊していきます。

子ども達の未来はこれからまだまだ続きます、それをどう永続させていくために自分たちが一体何を実践して生きていくかはこの世代を任された私たちの使命のはずです。

常に自らを正しつつ、循環を優先しているかを観直していきたいと思います。

分を弁える

刀や武士のことを深めていると、「分を弁える」という人格に気づけます。恥を知り、信義のため誠を盡す実践とはこの「分」という生き方のことを言うように思います。

今の時代は、分を弁えるという言葉は死語になってきたとも言えます。かつての日本は、他人様に譲る心や慎む心を優先してきました。それが次第に移り変わってきて恥を感じないような風潮が報道をはじめ広がっているように思います。恥は道徳のはじまりとも言われるように、恥の文化があったからこそ日本人の道徳力は高かったように思います。

分を弁えると言えば、同義語には「分別をつける ・ 弁える ・ 身の程を知る ・ 身の丈に合わせる ・ 分相応 ・ 背伸びしない ・ 欲張らない ・ 我を張らない ・ 欲を出さない 」などがあります。今では分を弁えるは、なんとなく偉そうにしないとかしゃしゃり出ないとかというように使われていますが実際は「我を張らない、私欲を出さない」などが本来の意味に近い様に思います。

「仰せの通りに」や「ごもっともで」などというのは、まず禮に沿って自分の都合を優先せずに大義を重んじるという生き方を実践していたように思います。すぐに自分勝手に自分中心に考えるような世の中になれば、我が出てきて私欲が入りますから身の程を間違い、礼儀をわきまえず、自分を過信過大評価してプライドを優先する人ばかりになってしまいます。

かつての日本は「分を弁える」ことで、御互いに自らを正し修行をし「自分に打ち克って」いくことを美徳としていたということではないかと私は感じます。自分が今あるのは何の御蔭か、先祖の御蔭、主君の御蔭、天地神明の御蔭であると常に忘れずに分際分限を弁えていたということです。

すぐに自分の力であると過信し、自分が特別なものだと傲慢になると人は分を弁えることがなくなります。そこから人は周りへの思いやりよりも、自分を愛しすぎるようになり人の話を聴けなくなり素直さと謙虚さを失っていくようにも思います。

身の程を知るというのは、足るを知る感謝の心が基本にあり自分が御蔭様によって譲られてきたことを自覚する謙虚な心の醸成です。分を弁える人の謙虚さの中には、いつも感謝を忘れていない実践が光ります。これも日本人がずっと大切にしてきた生き方、日本古来からある真心の徳目の一つだったのでしょう。

今の時代は教育により歪んだ個人主義が蔓延し、それらの個がせめぎ合って競い合い自己ばかりが優先される時代ですから「克己復礼」などという分際のことはあまり意識されないように思いますがかつての武士や侍をはじめ日本人が大切にしてきた精神文化は刀と共に消えていったようにも思います。

改めて日本刀のことを深めていると、なぜ刀が人を選ぶのかということも実感しました。人格なきものが刀を持つということは、単なる私心が武器を持っただけです。こんな武器ばかりをぶつけ合い私心で争い合うのでは平和とは言い難いようにも思います。本来何を磨くのか、武士の魂と呼んだものが何だったのか、侍が大切にしてきた徳目、分を弁えることを改めて観直したいと思います。

私自身振り返っても未熟さが身に沁みますが未来の子ども達のためにも、御蔭様の心で分を弁える実践をつとめていけるよう精進していきたいと思います。

 

理念を優先~私心を取り払う~

先日、理念経営について話をする機会がありました。そもそも理念=経営ですから経営の技術として理念を使うのではなく、経営か理念かと使い分けているのもまた本来の理念からかけ離れたものです。どれだけ理念を優先順位の第一義に維持できるか、そこは己に克ちつづけるしかありません。

しかしこれが分からずいつも我に呑まれ刷り込まれてしまっている人が多い様に思います。己に負けてしまっていることにも気づかず、我が使い分けをしてはさも理念をやっているように錯覚してしまうのです。自分を中心にして、物事を分別しているようではカラダで会得したものではなく所詮頭で仕分けたものですから実践が本物になったわけではありません。

実践が本物になっているというのを気づけるかどうかは、己に克っているかということを内省することでその感性を磨いていくしかないようにも思います。まず己に克っているかどうかの判断の前に、自分の私心はどうなっているのかということに気づいているかどうかがあります。

人は誰しも私心を持っています、つまり我があります。その我を優先している人は、私心に呑まれていることにも気づかずに理想理念をも自分の都合で捻じ曲げていきます。本人はちゃんとやっている気になっていても、先に己心の魔、私欲と私心が優先されていますからそれは理念を優先していることとは異なります。

人間はなんでも自分の思い通りにしたい、自分の都合ですべてを動かしたいと思っていますからその考え方が根底にあれば無意識に自分の分別で良し悪しを勝手に決めては自分の都合の良い正義を持ち出しては理屈、正論を述べてしまいます。そうなってしまうと、反省もまた自分に都合のよい反省を繰り返すだけで自分を変化していくことはいっこうにできません。

人が変化するのは、理念を優先しているからでありその理念に合わせて自分の方を変えていくからこそいつまでも素直で謙虚なままでいられます。日々に気候が変動して服装を着替えていくように、日々に体調に合わせて過ごし方を変えていくように、常に世の中の変化に対して自分が順応していくように、相手を変えようと思わずに自分の方をパッと変えていける人こそ柔軟性がある謙虚な人とも言えます。

この逆に、いつまでたっても何をいっても自分のイメージや自分の姿の方を守ろうとし自分を変えまいと頑なに固執していると変化に取り残されていきます。理念を観て動いている人は、別に頑なな自分をいつまでも維持しようとは思わず楽しみながら自分を変化させていきます。それは私心よりも理念を優先するからです。故事に「聖人は無欲ではなく大欲である」という言葉があります。

理想理念といった大欲があるからこそ、自分の小欲に固執しない、私心に囚われないことが理念を優先した生き方ということなのでしょう。理念がありながら単なるお題目になって何も自分が変わっていかないのは、宝の持ち腐れになることもあります。

本来の宝を活かし、自分を光らせていくためにも理念を優先しているかどうか、自分の方を理念に合わせて変化させているか、私心を取り払い個性を発揮しているかと見つめていきたいと思います。

日本の伝統

永い時間をかけて手作業で産み出されたものに伝統工芸があります。伝統工芸品の中には、その作者が誰なのかが分からなくてもそこに籠められた思いや心が作品に投影されているのが分かります。手に取ってみると、どのように使われてきてどのように使われたいのかが分かるような気がします。これもまた作品に魂が宿っている証かもしれません。

日本民藝館の柳宗悦にこんな言葉が遺っています。

「実に多くの職人たちは、その名をとどめずこの世を去っていきます。しかし彼らが親切にこしらえた品物の中に、彼らがこの世に活きていた意味が宿ります。」

これは誰の人生でも同じことで、たとえ有名ではなくても名前がこの世に残らなくてもその人の生き様は確実にこの世に活かされていきます。そしてその生き様が後の世の人の発見や伝承によって意味が宿るのです。

成功ばかりを望んでいるのではなく、自分の人生を懸命に打ち込むことで作品を遺すという生き方から私たちは伝統の価値を知ります。

また日本という個性と特色においてもこういう言葉で表現しています。

「近代風な大都市から遠く離れた地方に、日本独特なものが多く残っているのを見出します。ある人はそういうものは時代に後れたもので、単に昔の名残に過ぎなく、未来の日本を切り開いてゆくには役に立たないと考えるかも知れません。しかしそれらのものは皆それぞれに伝統を有つものでありますから、もしそれらのものを失ったら、日本は日本の特色を持たなくなるでありましょう。」

新しいものしか価値がないと思うような世の中の風潮もありますし、流行ばかりが人気で儲かるからと追いかける人もいます。しかし世の中の多様性が消失し、画一化されて個性のないものばかりが溢れてしまえば特色はなくなっていきます。

一見、オルタナティブと呼ばれる少数の存在は実はそれこそがその国の特色になるものでありその他大勢が特色とは呼ばないのです。多様な特色を併せ持つからこそ、その国のカタチもはじめて観えてくるものであり、そういう個性を大切にする人々が持ち場持ち場で踏ん張っているからこそその他大勢の個性も活かされ過去から未来へ大切な願いや思いが伝承されていくのです。

伝統というものは、太古から受け継がれてきた私たちの精神文化です。その精神文化をカタチにした人たちが職人であり、その職人たちの作品によって私たちは個性を自覚することができ尊重するように私は思います。

最後にまた柳宗悦の言葉です。

「無名の職人だからといって軽んじてはなりません。彼らは品物で勝負しているのであります。」

本当に善い仕事とは、有形無形の品物となって後世に語ります。私たちが取り組む子どものための仕事もまた、現場の中に顕れます。どれだけ子どものためになったかは、子どもの姿の中に顕れます。私たちの作品は、子ども自身だからこそ未来の子ども達がそれを証明すると思います。

かつての日本の職人たちに恥じないように、日本人としてやり遂げていきたいと思います。

 

日本刀の心

昨日、渋谷にある刀剣博物館に訪問する機会がありました。古刀から新刀、現代刀に至るまで様々な日本刀が展示されていました。改めて日本文化の一つ、日本刀について深める機会になりました。

日本刀は、国宝の中の一割を占めるほど日本の代表的文化の一つです。

ちょうど平安時代頃に、今の日本刀の原型が産まれそれからずっと時代と共に刀が息づいてきたとも言えます。日本の神話では、素戔嗚の尊が八岐大蛇を退治した天叢雲剣といった三種の神器があります。これは勇気を顕し、その勇気の証が剣になっているとも言えます。

そして日本刀には武士の心があると言います、そしてその道の実践には忠義があります。この忠義を実践するということは、義、勇、仁、礼、誠、智、信などの徳目を磨き自分の精神や魂を高め続けるという覚悟で生きるとも言えます。

例えば戦国時代の武将が放つ言葉の中に、その忠義の覚悟が読み取れます。

「いざとなれば損得を度外視できるその性根、世のなかに、それを持つ人間ほど怖い相手はない」真田幸村

「仁に過ぐれば弱くなる。義に過ぐれば固くなる。礼に過ぐればへつらいとなる。智に過ぐればうそをつく。信に過ぐれば損をする。」伊達正宗

「武士は常に、自分をいたらぬ者と思うことが肝心だ。」
「真の勇士とは責任感が強く律儀な人間である。」加藤清正

「大事なのは義理の二字である。死ぬべきに当たってその死をかえりみず、生きる道においてその命を全うし、主人に先立つ、これこそ武士の本意である」上杉謙信

損得を超えて、道義や道徳のためにいのちを懸けていくのが武士とも言えます。そして死を前にしてどう生きるかを定め、その中で自分の決めた生き方を貫くことを優先する勇気があるかどうかが武士の実践とも言えます。

この「勇気」というもの、これは不安、恐怖、その他のものから逃げずに立ち向かうチカラ、信念を貫くチカラのことです。武士はこの徳目を実践し、自らを高め、それを日本刀の中に見出したのかもしれません。

刀鍛冶や研ぎなどの工程の中に、その日本刀の出来上がるまでの忍耐が見えます。この日本刀という道具は死を覚悟した人が持つ道具です。そしてその死を覚悟して信念に生きる人が持つ道具でした。その信念を貫けるように折れないものを鍛錬し、研ぎ澄まされた切れ味を磨きあげたとも言えます。侍や武士が持つのに相応しい、それが日本刀の心であろうと私は直感しました。

勇気と忍耐は表裏一体ですから、ここからさらにもう一つ深めてみようと思います。子ども達に日本人のことを伝えられるよう、日本の心を学び直していきたいと思います。